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交遊編 【せ】大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔交遊編〕大田南畝関係
【井伯秀】(せいはくしゅう)(酒井要蔵・徹源)【交遊】(文人サロン) ※◯は欠字、◎は表示不能文字
詞書・詩歌出典巻・頁年月日
「十日、岡公修・稲垣恵明・大久君節・井伯秀と同じく竜隠庵に集ふ。歓字を得たり (詩は省略、交遊編の「交遊」参照)」南畝集1
漢詩番号0125
③41明和9年
1780/09/10
「首夏、公修・君節・温之・伯秀過らる。分ちて盃字を得たり (詩は省略、交遊編の「交遊」参照)」南畝集2
漢詩番号0176
③54安永2年
1773/04/
「梅雨。岡公修・関叔成・滕温之・井伯秀と耆公の山房に集ふ。韻を分つ (詩は省略、交遊編の「交遊」参照)」南畝集2
漢詩番号0181
③65安永2年
1773/04/
「七夕、公修・叔成・周夫・温之・井伯秀・雨安之と同じく竜隠庵に集ふ。声字を得たり
 (詩は省略、時候編の「七夕」参照)」
南畝集2
漢詩番号0211
③74安永2年
1773/07/07
「冬日、叔成・周夫・伯秀と同じく耆公の妙有庵に集ふ。公修・温之を遅つに至らず。栖字を得たり
 (詩は省略、交遊編の「交遊」参照)」
南畝集2
漢詩番号0257
③89安永2年
1773/11/
「九日、岡公修・山君忠・山道甫・井伯秀・辺公僚・檟氏・森氏・形叔邦・原士立と同じく江古田に遊ぶ。文韻を得たり
 (詩は省略、時候編の「重陽」参照)」
南畝集3
漢詩番号0500
③173安永5年
1776/09/09
「秋日、公修・周夫・井伯秀・森子厚と同じく耆山上人に陪して山士訓の清風館に宴す
 (詩は省略、交遊編の「交遊」参照)」
南畝集4
漢詩番号0570
③200安永7年
1778/09/
「歳秒、関叔成・山士訓・森周夫・井伯秀・森子厚と耆山上人の山房に集ふ。一東の韻を得たり
 (詩は省略、交遊編の「交遊」参照)」
南畝集4
漢詩番号0609-10
杏園詩集二
③213
⑥56
安永7年
1778/12/
「井伯秀の宅に花を賞す。岡公修・関叔成・大久君節・山士訓・山采美・森子厚と同じく賦して、冥字を得たり
 君家一樹蔭閑庭 万点風花撲玉缾 啼鳥窺人春寂寂 陰雲送色雨冥冥 自憐歳月多離索 誰対芳菲忍独醒
 邂逅相逢堪尽酔 明朝回首属飄零」
南畝集5
漢詩番号0768
③266安永9年
1780/03/
「歳秒、岡公修・関叔成・森周夫・山士訓・井伯秀・井公亮と同じく耆山上人の房に集ふ
 (詩は省略、交遊編の「交遊」参照)」
南畝集5
漢詩番号0890
③304安永9年
1780/12/
「菊池叔成・井伯秀と同じく素観師の喘月庵に過る
 当年有四友 今日余三人 共会牛門静 偏驚駒隙頻 交無忘故旧 境不絶比隣 用舎雄云異 同心各自真」
南畝集
漢詩番号2346-7
④278享和3年
1803/09/
「田間の一路を過ぎて、大久 正貞 君節・西井 粲 彦卿・井徹源に邂逅し携へて竜隠庵に遊ぶ【田間の一路、東豊山二十詠の一。白馬台の西に在り】
 四十年前三両人 偶然逢著蟹河浜 田間一路通幽処 恰是淵明把菊辰」
【田間の一路に小流有り。字を蟹河と曰ふ】
南畝集17
漢詩番号3407
⑤174文化7年
1810/09/09
井伯秀。名 発。字 伯秀。剃髪後、称 徹源。岡公修の旧友半日閑話9⑪268文化11年
1814/11/24