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交遊編大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔交遊編〕大田南畝関係
(大田南畝、あるいは大田直次郎として交遊のあった人)
【と】※◯は欠字、◎は表示不能文字
交遊詞書・漢詩・狂歌出典巻・頁年月日
とうえいけい
滕英瓊
「滕英瓊が寿星仰いで鶴を見るの図に題す。英瓊は大久保彦左衛門(二字欠)の裔なり
 開国功臣識大名 子孫能画此図成 人間万事揚州鶴 南極老人猶欲生」
南畝集16
漢詩番号2864
⑤10文化3年
1806/01/
とうえん
東円上人
「東円上人の高野山に之くを送る
 欲尋玄聖踏遺蹤 直指摩尼第一峰 南紀遥通千里路 上方長響六時鐘 談経後夜聴霊鳥 持呪空潭掣毒竜
 自是海公留卓錫 于今深洞有孤松」

〈唐・王維「過香積寺」〝薄暮空潭曲 安禪制毒龍〟〉
南畝集4
漢詩番号0536
杏園詩集二
③189
⑥53
安永7年
1778/03/03
とうおんし
滕温之 (唐衣橘洲)
  滕温之 (別資料) (「橘洲 名◯従、字 温之、称呼 小島源之助」 『月露草』⑱47)
とうかいえん
東海園
  東海園 (別資料) (堀口孟喬)
とうかいしょし
東海処士
「勢州の東海処士の「元日」の韻を和す
 処士垂楊自掩門 春風依旧入杯樽 欲臨東海寄書素 西望千山過雨痕」
南畝集8
漢詩番号1628
④47寛政2年
1790/03/
とうきつじ
滕吉二
「秋前二日、山士訓・縢吉二生と同じく春菶仲を訪ふ。寒字を得たり
 西郊雨歇暑将残 蘘沢風煙已自寒 数訪衡茅知路熱 纔傾杯酒覚情寛 晋時狂客期青眼 漢代佳人廃素紈
 明日炎涼看又変 千秋不改旧交歓」
南畝集5
漢詩番号0818
③282安永9年
1780/07/04
とうげんけい
滕言卿
 滕言卿 (別資料)(安藤言卿)(邀月楼)
とうげんし
東原子
「東原子のもとにのろま狂言をみて【十月十七日】
 とりがなくあづまなまりの若かいで是やのろまの玉子なるらん」〈長橋東原参照。同人か〉
七々集②267文化12年
1815/10/17
とうこう
藤公
「参政藤公の初度を賀し奉る
 城辺朱第五雲間 朝罷威儀委佩還 国老従容応退食 台筵咫尺不違顔 開樽漢閣賢良会 接跡尭封岳牧班
 遙憶君侯初度日 高称寿考対南山」
牛門四友集⑥8明和4年
1767/
とうしきょう
滕子興
「九月八日、関叔成・滕子興・立子玉と同じく耆山上人の妙有庵に集ひ、亡友南条山人を憶ふ。知字を得たり
 無恙東林会 含杯憶旧知 樽前憐節近 籬畔恨花遅 雨霽青山出 天空白日移 回思陶処士 時与遠公期」
〈陶処士は陶潜で南条山人を、遠公は盧山東林寺の慧遠で耆山を擬える〉
南畝集6
漢詩番号1291
③444天明5年
1785/09/08
とうしけい
滕子敬
「初冬、中子光・安子潤・滕子敬と同じく清水太傅吉川氏の別業に遊ぶ。君字を得たり
 (詩は省略、交遊編の「交遊」参照)」
南畝集5
漢詩番号1044
③357天明1年
1781/10/
とうしじょう
滕子乗
「夜雨、滕子乗に宴す。塩韻を得たり
 枝々翠竹払前簷 細雨霏微興更添 一対此君今夜飲 従佗堪露湿疎簾」
南畝集3
漢詩番号0359
③128安永4年
1775/05/
「秋夜、滕子乗に飲す
 飛来折簡到藁萊 迎我高堂夜色開 東壁青煙纔秉燭 西窓白雨且銜杯 題詩一葉疎桐落 乗酔三更撃柝催
 坐上偶逢狗監侶 欲裁游猟愧非才
 【子乗、鳥監為り。第七句、之に及ぶ】」
南畝集3
漢詩番号0371
③132安永4年
1775/07/
とうしとく
滕子徳
「滕子徳の太夫人の七十を寿す
 碧桃花発蔭家園 好後潘輿対酒樽 恩到千春承雨露 衣裁五色舞児孫 瑶池自下西王母 赤阪斜通北斗門
 七十古稀人所羨 還疑此地接仙源」
 〈加陪仲塗・河田安左衛門〉
南畝集6
漢詩番号1173
③406天明4年
1784/03/
「滕子徳の駿州に之きて久能山の原廟を修むるを送る
 駿陽名嶽鬱崚嶒 一望千盤不可登 原廟遥臨沿海上 遊衣長託白雲層 梓材重断周丹雘 匠事新修漢股肱
 経術如君非俗吏 明時何惜致才能」
南畝集7
漢詩番号1388
③479天明7年
1787/11/
とうしぶん
滕子文
 滕子文 (別資料) (小田穀山・佐藤穀山)
とうしゅくけい
藤叔卿
「夏日、藤叔卿と同じく叔成に集ひ、公修・温之を憶ふ。時字を得たり
 青山午色静茅茨 勧客杯行自不遅 緑蟻当樽浮満坐 玄蝉隔葉響高枝 風流更憶逃名士 涼雨偏宜避暑時
 林下為開三経待 重迎二仲酔幽期」
南畝集1
漢詩番号0103
③34明和9年
1772/06/
とうしりょう
島子諒
(島田左内)
「早夏、井玄里・関之輿・山士訓・島子諒・(三字欠) 松竜川と同じく染井の西原に遊び、休円の山荘に過りて牡丹を賞す (詩は省略、交遊編の「交遊」参照)」南畝集2
漢詩番号0275
③95安永3年
1774/04/
「七夕、井玄里・関叔成・大久君節・山道甫・山士訓・島子諒・蘇百順・野美卿・河益之・辺公僚・栗士弘と同じく元石師の水月庵に集ふ (詩は省略、交遊編の「交遊」参照)」南畝集3
漢詩番号0375
杏園詩集二
③133
⑥38
安永4年
1775/07/07
「八月十四夜、竹士輿・井子瓊・島子諒と同じく市谷里長佐野氏に飲す (詩は省略、交遊編の「交遊」参照)」南畝集5
漢詩番号0835
③288安永9年
1780/08/14
とうぜとく
滕是徳
「天明八年正月廿八日小集 春日、懐ひを滕是徳に寄す
 千里東風満駿河 客中佳興近如何 空山寂々催啼鳥 虚谷丁々響伐柯 瀛海赤魚曾入貢 芙蓉白雪好翻歌
 宦遊自有前期近 更待三春日月過」
南畝集7
漢詩番号1405
遊娯詩草
③486
⑥287
天明8年
1788/01/28
「松柏篇。司工滕是徳の六十を寿す
 一庭松柏幾年栽 勁質凌霜出草莱 露滴清陰百木長 春深緑葉千秋盃 南山上寿思周代 大匠新詩属漢台
 共守門閭陪几杖 高標磥砢棟梁材」
南畝集8
漢詩番号1533
④15寛政1年
1789/03/
「六月朔日、滕是徳に飲す
 折簡頻召我 偸閑此対君 炎雲赤阪外 碧溜滄池濆 節共氷心得 風随酒気薫 旧盟如不廃 何必嘆離群」〈六月一日は賜氷節〉
南畝集8
漢詩番号1558
④15寛政1年
1789/06/01
「五日前一夕、膝是徳に集ひて爾雅を読む
 新蒲佳節近天中 文字清歓此且同 飲対離騒思楚客 篇開爾雅見周公 呻吟佔畢情無尽 愛惜分陰業不空
 長夏已窮西日力 将乗帰酔向薫風」
南畝集8
漢詩番号1648
④54寛政2年
1790/05/04
とうどうし
滕童子
 滕童子 (別資料) (加藤昌蔵・滕伯慶・守満師)
とうはっけい
滕伯慶
 滕伯慶 (別資料) (加藤昌蔵・滕童子・守満師)
どうほん
道本師
「遥かに洛陽の道本師に寄す。師、書を善くす
 道人称道本 々々有誰知 唯見竜蛇勢 飛騰洛水涯」
南畝集19
漢詩番号4274
⑤422文化14年
1817/04/
とうほんぞう
藤本藏
「夏日、藤本蔵・橋本氏・山士訓と同じく山君忠に宴す。林字を得たり【君忠の東隣司天台】
 新知共説故人心 一酔涼生竹樹林 莫怪今宵徳星聚 司天台畔夕陽沈」
〈藤好本藏『蜀山文稿』⑥156「藤好本蔵を送る序」山田君忠を介して知る。宇和侯臣〉
南畝集3
漢詩番号0485
③168安永5年
1776/06/
とうぶんけい
滕文卿
 滕文卿 (別資料) (内山賀邸)(勝賞楼)
とうめいけい
稲明卿
「大椿篇を賦して稲明卿の七十を寿す 上寿誰歌小雅篇 南華曾説大椿年 古来七十称難得 春秋至八千」南畝集6
漢詩番号1287
③442天明5年
1785/08/
とうもうこう
滕孟行
「滕孟行の宅に古剣観る歌
 一双竜剣鳴匣中 従来神物合雌雄 執之天下応無敵 軽利剽遫如熛風 維昔初鋳発硎日 白日耿耿飛霹靂
 雌伏全収三尺光 雄飛本抱千金質 自是干将与莫邪 併属主人一摩挲 酒闌把示同懐子 更使満堂坐咨嗟」
南畝集2
漢詩番号0175
③63安永2年
1773/04/
とうりえん
桃李園
(紀軽人)
「十一月三日 本町四丁目伊豆蔵の主管、桃李園紀軽人が遨頭にて、百川楼に宴す
 桃李園記
 桃李のものいはぬは、女郎花のかしがましきにまさり、柳桜の都の錦は、菊紅薬の栗栖野にこえたり。こゝに花の江戸のまん中、もとつまちのほとり、桃李園の序開をいはゞ、かの天地は万物の旅龍町にちかく、光陰は百川の過客なるべし。花氈をひらいて花に坐し、さかづきを飛して月に酔ふあまり、桃青が句に李白が詩をあはせて、桃李の園となし、桃栗三年柿のもと人丸かぶりの出赦題、口からももの園生を出て、口もかろく、紀も軽人のうた袋にらく書す。 四方山人
細推物理⑧397享和3年11/03
「夏日、城東の百川楼に宴す【時に桃李園将に西遊せんとす】
 誰道長鯨吸百川 百川楼上此開筵 下簾新樹来薫吹 倚檻紅塵隔翠煙 肴核頻傾千石酒 閭閻近接万商淵
 坐中有客遊京洛 為誦東都賦一篇」
南畝集14
漢詩番号2445
④313文化1年
1804/05/
「小田原駅の観山舎に宿す。友人桃李園酒を載せて至る
 投宿観山舎 閑庭隔市塵 鉄蕉横鳳尾 玉樹老竜鱗 美酒催微酔 他郷対所親 葛魚鮮作膾 不念故園蓴」
南畝集14
漢詩番号2480
④323文化1年
1804/07/26
「小田原の桃李園、吉浜の温湯一桶を贈る
 豆山南畔吉浜濆 一担温泉為我分 忽転駿台為熱海 頓消沈痼滌塵氛」
南畝集20
漢詩番号4374
⑤454文政1年
1818/05/
とおやま きんしろう
遠山 金四郎
「遠山晋鑑察の「富獄を望む」の韻を和し奉る
 絶頂雲霞望自晴 乍伝東海使星名 天威近借霜台色 林麓遙添雪嶺明」
「魯西亜船渡来御用」「聖堂御褒賞の節も逢候人にて御座候」
〈対ロシア交渉の目付役。寛政六年の学問吟味、御目見得以上の首席。南畝は御目見得以下の首席〉
南畝集15
漢詩番号2654
書簡番号98
④376
⑲139
文化2年
1805/03/
とがわ なんがい
戸川 南涯
 戸川南涯 (別資料) (天地楼)
とき やましろ
土岐 山城守
「何がし君のみたち【欄外。江戸見坂、土岐城州】に参りけるに、あるじ、暮るともかへしはせじな稀人のたづねくるまの轄かくして、ときこえさせ給ひしかば
 生酔のまはりかねたる口ぐるまうちいでぬべき轄(クサビ)なければ」〈沼田藩第十一代藩主土岐頼潤か〉
七々集
万紫千紅
②254
①288
文化12年
1815/09/
とき かい
土岐 甲州
「土岐甲州に馬見所に聯に うま酒の壷うま場にてみるときは心の駒もいさみたて髪」七々集②299文化13年
1816/02/
どくせいろう
独醒楼
 独醒楼 (別資料) (仁尾君)
とくにん
篤忍
「春日、梅屋の集ひ。篤忍律師の比叡山に之くを送る 風畳清漣転緑蘋 満園香雪白鱗々 行尋桐柏山中路 思否梅花屋裏人」南畝集17
漢詩番号3479
⑤194文化8年
1811ウ02/
とくりゅう
徳竜
「樋季成の席上、十一歳の神童僧徳竜に贈る【童、越後州蒲原郡水原村無為信寺の僧なり】
 童子遥辞北海隅 一朝声価動東都 久無藝苑生蘭蕙 豈計香風起苾蒭 清賞驚看巌下雷 新詩剖得蚌中珠
 人間未識金翅鳥 謾道竜駒且鳳雛」
南畝集6
漢詩番号1124
杏園詩集二
③387
⑥67
天明2年
1782/08/
としが
都子雅
 都子雅 (別資料) (巣林館)
としまやちょうべえ
豊島屋 長兵衛
「十五日、豊島や長兵衛がもとにて雨ふり出けるに
 ふりかかり雨と風とのふく来る長き兵衛のやどぞめでたき」
あやめ草②91文政4年
1821/09/15
とっとりこう
鳥取藩主
「因州鳥取の太夫の、ふところ紙いるゝものに歌かけといはれてとりあへず
 千年のつるの鳥取たちわかれいなばの山の松に巣をくふ」〈因幡国鳥取藩八代藩主池田 斉稷か〉
七々集②279文化12年
1815/11/
ととき ばいがい
十時 梅厓
 十時梅厓 (別資料) (清夢軒)
とみざわ
富沢
「秋日、山道甫・立子玉と同じく富沢□を訪ふ
 初日晴来墨水流 煙波縹緲一層楼 樽前幸得新知楽 忘却人間万古憂」
南畝集4
漢詩番号0716
③247安永8年
1779/08/
とみざわ ぎょくえん
富沢 玉淵
「武州多摩郡蓮光寺村の富沢玉淵、家に一石臼を蔵す。云ふ、之を染屋村の清水氏に得たりと。玉川古へ調布を出だす。蓋し其の搗く処なり 調布搗何年 古歌伝一曲 長留石臼存 将比玉川玉」南畝集17
漢詩番号3252
⑤128文化6年
1809/07/
とみた
富田
「富田氏の甲陽に之くを送る 手携書剣出江関 峭壁攢峰入峡間 長夏芙蓉天外雪 誰為背面美人看」南畝集9
漢詩番号1843
④122寛政5年
1793/04/
とみたや
富田屋 三左衛門
「伏見富田や【三左衛門】がもとにやどりしに、去年やどりし頃よみける歌を裱褙してかけ置ける其のうた
 かり枕むすぶも三たびくれ竹のふしみの里に一夜のみかは
 かりそめにふしみの里も呉竹の四とせになりぬとし/\の宿

伏見の宿のあるじ六十の賀に鶴宿松樹といふ事をよめる
 いく千代もやどりをしめて松風の耳にしたがふ友鶴の声」
小春紀行附録⑨94文化2年
1805/11/04
とみはら
富原
「富原生 好□ の三河に帰覲するを送る
 三河郷隔小河浜 砕錦坊辞衣錦身 誰謂北堂萱草老 侵凌雪色自回春」
南畝集18
漢詩番号3588
⑤229文化9年
1812/01/
とよおかこう
豊岡藩主
「豊岡大守のみまえにて河東によみておくれる歌 かとうして又やはらかな一ふしに三筋の糸をひく麹町」
〈但馬豊岡藩第六代藩主・京極高品か。藩邸は麹町にあった〉
巴人集②415天明3年
1783/08/
「長月廿一日の夜、豊岡大守もみまへにて、富本斎宮太夫が浄るりをきゝ侍りて
 此とのはむべも富本浄るりのみつばよつばに番組をせり
 三味線もよくなりひらのあい方はいつきのみやときくぞうれしき」

「梅川忠兵衛の一曲をきゝて 千金の富本流をきく月の廿日あまりに四十両かも」
巴人集②418天明3年
1783/09/21
「冬日、豊岡侯の席上に瓶中の菊を詠ず
 十月風霜白日斜 高台旧自絶紛華 何人更把東籬菊 持贈糢潯陽大守家」 〈潯陽大守は陶潜〉
南畝集6
漢詩番号1159
③400天明3年
1783/10/
ともの かしゅう
友野 霞舟
「友野霞舟の寄せらるるを和す
 市朝陵薮皆是仙 大隠小隠幾成篇 如君非吏還非隠 出処行蔵亦両全 嗒焉時入寥天一 文采風流共奇絶
 召入昌平列学生 誘掖児曹細講説 教育英才早已多 吾孫多日受琢磨 老子本耽舐犢愛 欲酬厚徳如之何
 長物唯存一古瓦 未足案頭称古雅 漫道未央東閤余 年来廡下久棄捨 唯須愛玩待其人 硯池濁水灑清塵
 詩新一唱且三歎 得将燕石易奇珍」
南畝集20
漢詩番号4607
⑤521文政4年
1821/05/
「友野霞舟の羆熊の祥有るを賀す 三女先称柳絮風 禎祥入夢卜羆熊 薄寒醸積瑶林素 預待伝経映雪功」
〈柳絮の才=非凡な才女。瑶林瓊樹=品格が高い。孫康映雪=蛍雪の功〉
南畝集20
漢詩番号4630
⑤527文政4年
1821/12/
とりやま せきえん
鳥山 石燕
「雨中、石燕丈人の梧柳庵に過る 碧柳千条梧十尋 池亭更入芰荷深 自逢風雨多幽興 石舞零陵古洞陰」南畝集4
漢詩番号0553
③195安永7年
1778/06/
「石燕丈人の幽居に題す 庭陰都入画 林景好題詩 一望足山水 清音無尽時」南畝集5
漢詩番号0867
③298安永9年
1780/10/
とりゅう
屠竜
 屠竜 (別資料) (酒井抱一)
Top浮世絵師総覧交遊編大田南畝関係