どーれ、マタイでも聴こうかね・・・。.... 佐久間學

(17/9/25-17/10/17)

Blog Version

10月17日

EŠENVALDS
The Doors of Heaven
Ethan Sperry/
Portland State Chamber Choir
NAXOS/8.579008


エリクス・エシェンヴァルズは、1977年にラトヴィアに生まれた作曲家です。ラトヴィアは、エストニア、リトアニアとともに「バルト三国」と呼ばれ、合唱が盛んな国として知られています。このエシェンヴァルズもおもに合唱のための作品をたくさん作っているまさに「売れっ子」の作曲家です。
手元には、2010年に録音されたレイトン指揮のポリフォニー盤(HYPERION)と、2015年に録音されたクリャーヴァ指揮のラトヴィア放送合唱団盤(ONDINE)がありました。それらを聴いて、この作曲家の作品には、かなり惹かれていました。もはや「アヴァン・ギャルド」と呼ばれるような音楽とは無縁になっている世代ですから、技法的にはとてもオーソドックスなものなのですが、ハーモニーの表現ツールとしてかなり細分化された音の塊を扱う、まるでリゲティのようなところがあるのが魅力的でした。
ただ、それを歌う合唱団はかなりのポテンシャルを要求されるのではないか、という気はしました。この2枚のCDで歌っている団体は、どちらも非常に高水準のテクニックと音楽性を備えていましたから、そんなエシェンヴァルズの音楽を、それぞれに方向性は異なるものの、しっかりと聴く者に使えることに成功していました。と同時に、これはアマチュアが手を出したりするのはかなり危険なのではないか、という印象も強く持ちました。
今回、2016年に録音されたNAXOS盤では、アメリカのポートランド州立室内合唱団という合唱団が歌っています。フーゾクではありません(それは「ソープランド」)。設立されたのは1975年、ポートランド州立大学の優秀な学生だけをピックアップして、このような名前のハイレベルな合唱団が結成されたのです。それ以来、ロバート・ショーやエリック・エリクソンなどの大指揮者との共演もあり、この合唱団のレベルには一層の磨きがかけられ、多くのコンクールに入賞したり、世界的なツアーを敢行したりするほどになりました。ポートランドで生まれた合唱作曲家、ローリゼンにも絶賛されています。レコーディングも数多く行っており、その中にはあのトルミス直々に指名されて録音したものも有るのだそうです。凄いですね。
とは言っても、基本的にアマチュアの合唱団ですから、エシェンヴァルズでは、果たしてこれまでの合唱団と対等に渡り合えるほどの演奏を聴くことはできるのでしょうか。なんせ、このアルバムでは収録されている4曲中の3曲までが、すでにさっきの2枚のCDに収められているのですから、ハードルはかなり高くなります。
それ以前に、この「The Doors of Heaven」というアルバム・タイトルに、ちょっと引っかかります。これは、ここで演奏されている作品のタイトルではないんですね。調べてみると、「Rivers of Light」という曲の歌詞の一部だと分かりました。「冬の夜には空一面が光の川であふれ、天国への扉が開く」とオーロラに彩られた北欧の夜空が歌われています。そんな美しい光景をイメージしたタイトルだったのでしょう。たしかに、そんなカラフルなイメージは、この中のどの曲からも受け取ることはできます。
ただ、それだけには終わらない、もっと強靭なメッセージが彼の音楽には込められています。それは、このアルバム・タイトルの元では決して伝わって来ることはありません。
そんな風に思ってしまったのは、この学生合唱団のレベルが、明らかにこれまでのCDの団体よりも数段劣っていたからです。どちらにも入っていた「A Drop in the Ocean」では、後半になるとぼろぼろになっているのがはっきり分かりますからね。ここで初めて聴くことが出来た先ほどの「Rivers of Light」も、前の2つの団体だったらもっと精緻なハーモニーが味わえるのに、と思ってしまいます。テナーに、とても目立つ悪声の人がいるんですよね。プロだったらありえないことです。
その程度のものでも構わないのでは、と思ってこのようなタイトルを付けたのであれば、それは作曲家に対する冒涜以外の何物でもありません。

CD Artwork © Naxos Rights US, Inc.


10月14日

BACH
Magnificat in E flat
John Eliot Gardiner/
Monteverdi Choir
English Baroque Soloists
SDG/SDG728


最近、以前に録音していたバッハの大作を次々に録音し直しているガーディナーですが、今回はちょっと小さめの曲、「マニフィカート」です。ご存知のように、この曲にも受難曲同様、改訂された楽譜が存在しています。現在最も頻繁に演奏されるのは、その改訂稿のほう、というか、ただ「マニフィカート」と言った場合は、間違いなくそちらのことを指し示します。それに対して、改訂前のものには「第1稿」、もしくは「変ホ長調版」という但し書きが必要になります。そう、この曲は改訂の時に調性(キー)まで変えられてしまったのですね。改訂稿は半音低いニ長調になっているのです。
別に半音ぐらい違ったってそんなに違いはないのでは、と思われるかもしれませんが、それは平均律にどっぷりつかってしまった現代だから言えることです。早い話が、この曲が作られたバロック時代の横笛のフルートはニ長調で吹く時に最もよい響きがするように出来ていました。この頃のフルートは穴の数が少ないので、そのニ長調で吹く時には単に穴を1個ずつ開けていけば自然に音階が出来るのですが、半音高い変ホ長調になると、空いた穴の隣の穴をふさぐといった特殊な指使いをしないと、音階が吹けません。それは指使いが難しいだけではなく、音色そのものも濁ってしまいます。
ということで、変ホ長調の第1稿には、フルートは使われてはいませんでした。1曲だけ、「フラウト・ドルチェ」という名前の「フルート(フラウトはイタリア語でフルートのこと)」が2本使われているのですが、これは縦笛のフルート、つまり「リコーダー」で、オーボエ奏者が持ち替えで演奏していました。
さらに、これはバッハがライプツィヒに赴任した年、1723年のクリスマスのために作られたので、本来の「マニフィカート」のテキストの他に、4曲のクリスマスの聖歌が挿入されていました。しかし、その後、1730年代に、クリスマス以外の用途にも使えるようにその聖歌を「排除」して改訂を行ったのが、ニ長調の改訂稿です。第1稿は、現在の楽譜では、このようにその聖歌はきちんと場所が決められて印刷されていますが、バッハの自筆稿ではそれらは最後にまとめて書かれてあり、どこに挿入するかという指示が付け加えられていました。そういうことですから、これらを外すことも最初から想定していたのでしょうね。
ガーディナーがこの曲をPHILIPSに録音したのは、1983年でした。その時には「普通の」改訂版を演奏していましたが、今回、2016年のクリスマス近くに、おそらく教会で行われたコンサートと前後して録音されたものは、「第1稿」によるものでした。ですから、当然聖歌が歌われています。ただ、フルートは他の曲では使われるので、この曲でのリコーダーはオーボエ奏者ではなくフルート奏者が演奏しています。
新旧の録音には30年以上の隔たりがありますから、合唱もオーケストラもほぼ全員が他の人に入れ替わっているはずです。ですから、最近聴いた「ヨハネ」「ロ短調」「マタイ」、と同様、かなりの点で変化は見られます。最も強く感じたのが、今回の合唱のおおらかさ、でしょうか。旧録音では、合唱はとても厳しい姿勢で音楽に立ち向かっていたという印象がありました。メリスマなどはそれこそ正確無比の完璧さを聴かせていましたが、そのあまりの潔癖さには、ちょっと息が詰まるほどの圧迫感がありました。しかし、今回は見事に肩の力が抜けた、聴いていて気持ちの良いものに変わっていましたね。
オーケストラも、最後の「Gloria Patri」のトゥッティで楽譜上は付点音符のところを、以前は当然この時代の習慣に従って厳格に複付点音符できっちり合わせていたものが、今回はかなりユルめのリズムに変わっています。
そして、彼らの演奏で初めて聴いた聖歌が、やはりとても気持ちの良いものでした。特に3曲目の「Gloria in exelsis Deo」の軽やかさは、今まで聴いてきたどの演奏にも見られないものでした。

CD Artwork © Monteverdi Productions Ltd


10月12日

DURUFLÉ/Requiem
RESPIGHI/Concerto gregoriano
Henry Raudales(Vn)
Okka von der Damerau(MS), Ljubomir Puškaric(Bar)
Ivan Repušic/
Chor der Bayerischen Rundfunks(by Michael Glser)
Münchner Rundfunkorchester
BR/900320


デュリュフレの「レクイエム」のフル・オーケストラ・バージョンの最新録音、2017年の3月にミュンヘンのヘルツ・イエス教会で行われたコンサートのライブ録音です。オーケストラはミュンヘン放送管弦楽団、指揮は、1978年にクロアチアに生まれ、今年の秋にこのオーケストラの首席指揮者に就任したばかりのイヴァン・レプシッチです。合唱も、昨年の秋にやはり首席指揮者がダイクストラからハワード・アーマンに替わったばかりの、バイエルン放送合唱団です。
この「レクイエム」は演奏時間が30分ほどしかありませんから、CDの場合にはこれ1曲だけということはまずありません。そこで、多くの場合、カップリングとして演奏されているのが、デュリュフレが形式の上で参考にしたというフォーレの「レクイエム」です。これだと、ちょうどCD1枚としては適当な尺になるので、世の中にはこの組み合わせがたくさん存在しています。
しかし、今回のCDの元となったコンサートでは、思ってもみなかったような組み合わせがとられていました。ご存知のように、この「レクイエム」ではグレゴリオ聖歌の旋律がすべての楽章でテーマとして使われています。そこで、このコンサート自体もこの後にレスピーギの「コンチェルト・グレゴリアーノ」という、やはりグレゴリオ聖歌がモティーフとなっている作品が演奏されていたのです。
デュリュフレでは、このオーケストラ・バージョンの特性を最大限に生かした、とても幅広い表現力を持った音楽が広がります。まずは、合唱がとても渋い歌い方で、そこからはよく練り上げられた、まさに「大人の」表現が伝わってきます。そしてオーケストラは、おそらくこの指揮者の資質なのでしょう、いかにも聴かせどころを押さえた巧みな設計で、計算されつくした盛り上がりを用意してくれています。
常々、このオーケストラ・バージョンはダイナミック・レンジの変化があまりに唐突に感じられる個所(たとえば「Domine, Jesu Christe」の途中の「libera eas」からの部分など)があちこちにあって、ちょっと不自然な感じを抱いてしまうことがあるのですが、今回の演奏では何の違和感もなくそのようなクライマックスに対応できるのですね。聴く人を驚かすことなく、自然に場面転換を見せる術を、この指揮者は会得しているのでしょう。
ソリストも堂々とした押し出しで、この曲に必要なある種のパワーを示してくれています。こういう演奏を聴いてしまうと、作曲家が自ら作ったオルガンだけによるリダクション・バージョンには、このオーケストラ・バージョンとは全く別のベクトルを与えていたのではないか、という気になってしまいます。デュリュフレは、これらにカラー写真と白黒写真、いや、もしかしたら3D-IMAXとサイレント映画ほどの違いを込めていたのではないでしょうか。もちろん、それによってそれぞれの価値の優劣が問われることは決してありません。
レスピーギの「グレゴリア聖歌風ヴァイオリン協奏曲」は、3楽章形式でヴァイオリンのソロが大活躍をするごく普通の協奏曲の形をとっています。第1楽章は、レスピーギお得意の「シチリアーノ」のリズムが全体を支配する穏やかな音楽で、そこには「グレゴリア」の姿はありません。それがはっきり表れるのは、その楽章の最後に置かれた長大なカデンツァから、アタッカで次の楽章に入った瞬間です。どこかで聴いたことのあるような、ほのかに中世の雰囲気を湛えたその旋律は、のどかな安らぎを与えてくれます。ところが、最後の楽章になって出てきたのは、ドヴォルジャークの弦楽四重奏曲「アメリカ」のテーマに酷似した、なんとも俗っぽい東洋的なメロディです。正直、「グレゴリア」とは全く住む世界の違うように思える要素が混在するこの作品(なに?これは)、それでも、このデュリュフレを聴いた後ではあまり違和感がないのは、なぜなのでしょう。

CD Artwork © BRmedia Service GmbH


10月10日

Penderecki Conducts Penderecki Vol.2
Choral Music
Krzysztof Penderecki/
Warsaw Philharmonic Choir(by Henryk Wojnarowski)
Warsaw Boy's Choir(by Krzyszkof Kusiel-Morez)
WARNER/01902 9 58195 5 2


WARNERからのペンデレツキ自作自演集の第2集は、なんと全て無伴奏の合唱曲の2枚組でした。おそらく、これは彼がこのジャンルで作ったすべてのものなのでしょう。その作曲年代は彼の生涯のすべてに渡っていて、1958年から2015年までという長大なスパンに及んでいます。それは、殆どが宗教的な作品で、単独のミサ曲やモテットの他に、オーケストラを伴う受難曲などのオラトリオの中で、合唱だけによって歌われていたパーツも含まれています。例えば、1965年に完成された「ルカ受難曲」からは、それ以前に単独で作られていた「Stabat Mater」を始めとした4曲の無伴奏合唱曲が歌われています。
ペンデレツキは、その作曲家としての経歴の中で、大きな技法上の変化を遂げたとされています。なんせ、彼自身が、その作風の変換点を明確に語っているのですからね。つまり、1973年に作った「交響曲第1番」をもって、それまでの「アヴァン・ギャルド」のスタイルを完全に封印した、と。
ですから、この、彼の合唱音楽の集大成となるこのアルバムを聴く時には、その半世紀以上のすべての作品に対峙することによって、そのようなスタイルの変化(「変節」とも言う)を、このジャンルでも実際に感じることができるのではないか、という期待が生まれるのは当然のことです。
ところが、そんな期待は見事に裏切られてしまいました。どの作品を聴いても、全く変わらない穏やかなテイストしか感じられないのですよ。
たとえば、最初のトラックに入っている、彼の最もよく知られた合唱曲、1962年に作られた「Stabat Mater」こそは、「アヴァン・ギャルド」として知られていた作品だったはずです。調性もハーモニーも存在しないまさに混沌とした不条理な風景が続く中で、最後にニ長調という紛れもない「古典的」なハーモニーで終止するというあたりに、ほとんどニヒリズムのようなものを感じてしまう、というのが、これまで抱いていた印象でした。
ところが、このCDから聴こえてきたものは、すべてがとても美しくまとめられて、何の不安感や恐怖感も抱くことのない、いたってのどかな音楽だったのです。冒頭のテーマは、まさにプレーン・チャントそのものです。途中で現れるシュプレッヒ・ゲザンクもクラスターも、単にその時代の流行の技法をつまみ食いしただけで、曲全体に軽いアクセントを与えるものとしか思えません。したがって、最後の長三和音は当然の帰結として何の疑問もなく受け入れられてしまいます。
そんなはずはない、と、初演直後の1966年に録音されたヘンリク・チシの指揮による歴史的な演奏を聴き直してみると、そこからは確かに致死量の毒が含まれた「アヴァン・ギャルド」が聴こえてきました。しかし、おそらく今聴いたばかりの自作自演が楽譜に忠実な演奏であったものだと信じると、それは本来単純だった譜面をあまりにもデフォルメしてしまったもののようにも聴こえます。作曲家の演奏は、言ってみれば昨今流行の「原典版」の思想、あくまで元の楽譜に忠実な演奏を目指したものなのでしょう。そこからは「あの曲は、『アヴァン・ギャルド』なんかじゃないんだよ」という作曲者の言葉が聴こえてはこないでしょうか。そういえば、最近の演奏家、例えばアントニ・ヴィットあたりは、とっくにそんなことは気が付いていたようですね。
そして、最後の最後、2枚目のCDの最後のトラックに入っていたのは、1963年に作られた「古い様式による3つの小品」の1曲目、「アリア」でした。オリジナルは弦楽合奏の曲ですね。それを合唱にヴォカリーズで歌わせたというものですが、これはもろチマローザの「オーボエ協奏曲」と言われている作品のパクリです。こんなものまで「全集」の中に入れて保存しておこうという作曲家の意思は、きっちりと受け止めるべきでしょう。ペンデレツキは、彼の生涯で「アヴァン・ギャルド」だったことなど、一度もなかったのです。

CD Artwork © Warner Music Poland


10月7日

MOZART
Don Giovanni
Jean-Sébastien Bou(D. Giovanni), Robert Gleadow(Leporello)
Myrtó Papatanasiu(D. Anna), Julie Boulianne(D. Elvira)
Julien Behr(D. Ottavio), Anna Grevelius(Zerlina)
Marc Scoffoni(Masetto), Steven Mumes(Commendatore)
Jérémie Rhorer/
Choeur de Radio France, Le Cercle de L'armonie
ALPHA/ALPHA 379


ジェレミー・ロレが毎年パリのシャンゼリゼ劇場で上演しているモーツァルトのオペラは、そのライブ録音が順次CDとなっているようです。第1弾は2015年9月に上演されたこちらの「後宮」でしたが、次にリリースされたのは、それ以前、2014年12月に上演されていた「ティトゥス」でした。そして、この2016年12月に上演された「ドン・ジョヴァンニ」が3番目のリリースとなっています。
「後宮」ではそれほどの魅力は感じられなかったので、「ティトゥス」はスルーしてしまったのですが、今回は大好きな演目ですからロレの復調を信じて聴いてみることにしました。それにしても、歌手の皆さんは全員聴いたことのない人だというのには驚きました。逆に、先入観抜きでそれぞれの歌を味わうことはできることにはなるのですが。
「後宮」にはなかったことですが、今回のブックレットにはこの公演のステージ写真がたくさん掲載されています。それもカラーで。それによると、演出は良くある現代への読み替えが行われたもので、キャストは普通のスーツやジャケットを着ています。ただ、なぜかドンナ・エルヴィラはランジェリー姿になっていました。彼女は、小さな手帳を熱心に見ているので、それは「カタログの歌」のあとでレポレッロから奪った手帳なのでしょうが、このシーンで下着姿というのはどういうシチュエーションが設定されていたのか、ちょっと気になってしまいます。
もっと興味深いのは、第1幕のフィナーレです。ここではドン・オッターヴィオ、ドンナ・アンナ、ドンナ・エルヴィラの3人だけが仮面をつけて現れる、というのが普通の演出なのですが、この写真ではなぜかパーティーの客全員がマスクをつけているのですね。いったいどんな演出プランだったのでしょう。
そのシーンには、花嫁姿のツェルリーナもいるのですが、彼女とドン・ジョヴァンニがアップになった写真で見ると、ツェルリーナを歌っているアンナ・グレヴェリウスがまるで年増女のように写っています。彼女はこれがツェルリーナでのデビューなのだそうで、実年齢はずっと若いはずなのに、ちょっと損をしていますね。
いや、彼女の声は、ツェルリーナにしてはかなり太めの声なので、そんなイメージもあってなおさら老けて見えたのでしょう。でも、それは決してミスキャストではなく、逆にこの役に芯の強さを与えていてとても心地よく聴くことが出来ましたよ。マゼットを介抱するアリアなどでは、ひょっとして姉さん女房、なんて思ってしまいます。
そこで一緒に写っているドン・ジョヴァンニ役のジャン=セバスティアン・ブは、真っ白なジャケットといういかにもプレイボーイ然とした衣装姿ですが、このツェルリーナとのデュエットなどは本当に甘ったるい声で迫ります。彼は基本的にそんな歌い方で通しているようで、そういうとても分かりやすいキャラクターに徹しているのでしょう。つまり、レポレッロ約のロバート・グリードウの方が、思いっきりドスの利いた声だということですね。
ドン・オッターヴィオ役のジュリアン・ベールは、最大の収穫でした。パリでデビューした時には「魔笛」のタミーノを歌っていたのだそうですが、あのカウフマンのような力のある、それでいてもっとソフトな声は、理想的なモーツァルト・テノールなのではないでしょうか。
ドンナ・アンナとドンナ・エルヴィラ役の人はちょっといまいち、騎士団長も、写真では貫録があるのに声はへなちょこでした。
おそらく編集なしのライブ収録のようで、ロレの指揮はそれぞれの幕のフィナーレなどはたまに歌手が付いていけないほどの煽り方を見せていました。でも、お客さんはその熱気をしっかり受け止めていたみたいですね。なんせ、最後近くの「地獄落ち」が終わったところで盛大な拍手が起こるぐらいですから。

CD Artwork © Alpha Classics


10月5日

LIGETI
Requiem
Gabriele Hierdeis(Sop), Rene()e Morloc(Alt)
Frieder Bernius/
Kammerchor Stuttgart
Danubia Orchestra Óbunda
CARUS/83.283


リゲティの「レクイエム」の新しいCDがリリースされました。とは言っても、録音されたのは10年以上前、2006年3月のコンサートでのことでした。リゲティが亡くなったのはこの年の6月ですから、別に彼のための「レクイエム」ではなかったはずです。
そもそも、これは放送用に録音されたものでしたから、CDにするつもりはなかったのでしょうが、どういう事情が働いたのか、その音源と、過去にこのレーベルに録音されていた同じリゲティの「ルクル・エテルナ」、さらに、16声部の無伴奏混声合唱のために作られたその「ルクス・エテルナ」をお手本にして、数々のクラシックの作品を多声部の合唱曲に編曲したことで有名なクリトゥス・ゴットヴァルトの編曲作品をまとめて1枚のCDが今頃作られたということのようです。確かに、「レクイエム」は編成こそ巨大ですが、全曲を演奏しても30分もかからないで終わってしまいますから、それだけではアルバムは作れませんからね。
ただ、そんなに短いのには訳があって、この作品では、「レクイエム」の典礼文の前半、セクエンツィアの部分までしか作曲されていないのです。つまり、モーツァルトの同名曲で言うと「Lacrimosa」の部分で終わっているのですね。しかも、そこでテキストの最後に登場する「Amen」という言葉が削除されています。その意味、そして、残りの「Domine Jesu Christe」から「Agnus Dei」までを作曲しなかった理由は、作曲者は語ってはいません。
ここで演奏しているのが、ベルニウス指揮のシュトゥットガルト室内合唱団です。ベルニウスはブックレットの中で、彼とリゲティの作品との出会いについて語っていますが、その中にちょっと興味深いことがありました。この曲は、1965年に完成されていますが、その楽譜を見たベルニウスは、その譜面のあまりに巨大で複雑なのに驚いて、とてもこんなのを見て演奏することなどできない、と思ってしまったそうなのです。たしかに、それが、このCDが出ると知った時に感じた疑問点でした。今まで数多くのアルバムを作ってきたベルニウスですが、彼の本領はあまり人数の多くない「室内」合唱団を使ってのきめ細かい音楽づくりだったはずです。それが、こんなばかでかい編成の作品に取り組むなんて、なんと無謀な、と思いましたね。
しかし、彼の話によると、最初にこの作品のスコアを見た時にはそうだったものが、最近はそれを小さな編成に直した「改訂版」が作られていて、それは50人ほどの彼の合唱団でも演奏できるようになっているというのです。
確かに、調べてみたらペータースから出版されているスコアには「1997年改訂」という表記がありました。ただ、断片的にネットで見つかる情報では、改訂の前後ではそれほど大きな違いはないような気がするのですが。この後、2008年に録音されたエトヴェシュ盤でも、2002年に録音されていたノット盤でもこの「改訂版」が使われていたはずですが、いずれの録音も音を聴く限りではそれほど少ない人数の合唱ではないように感じられます。なによりも、1960年代に録音されたミヒャエル・ギーレンやフランシス・トラヴィス(映画「2001年」のサントラ)による演奏と基本的に変わらないドロドロとした情念が、これらの合唱からは確かに聴こえてくるのです。
ところが、今回のベルニウスの演奏からは、それが全く感じられません。特に「Kyrie」での複雑なポリフォニーからは、おそらくこの作品には絶対に欠かすことができないメッセージが、まるで聴こえてこないのです。こんなものは「リゲティのレクイエム」ではありません。そもそもリゲティ自身が「100人以上の合唱が必要」と言っていることが確認できていますからね。ベルニウスの演奏は、明らかな勘違いの産物です。
カップリングの「ルクス・エテルナ」などは、すでにCDとして出ているものです。マスタリングのせいでしょうか、オリジナルのCDよりも精彩に欠ける音になっていました。

CD Artwork © Carus-Verlag


10月3日

MANCUSI
Passion Domini secundum Joannem
Theresa Krügl(Sop), Anna-Katharina Tonauer(MS)
David Sitka, Lorin Wey(Ten)
Matthias Liener, Michael Nagl(Bas)
Guido Mancusi/
Chorus Duplex Vienna, Louie's Cage Percussion
PALADINO/PMR 0082


「受難曲」というと、なんか大昔の音楽のように思ってしまいますが、この現代でもそういうタイトルの作品に挑戦している作曲家はたくさんいます。このサイトで取り上げたものだけでもペンデレツキリームグバイドゥーリナタン・ドゥンゴリホフマクミランペルトチルコット、果てはイラリオン・アルフェエフ府主教と、枚挙に遑がありません。今回、そこに1966年にイタリア人の父親とオーストリア人の母親との間に生まれたグイド・マンクーシという人が加わりました。蛇とケンカはしません(それは「マングース」。
ナポリで生まれたマンクーシは、小さいころ父親とその友人のあのニーノ・ロータからピアノの手ほどきを受け、ウィーンに移住するとウィーン少年合唱団に入団、ソリストとしても活躍します。さらに、ウィーンの大学でファゴットと声楽と指揮法を学びます。指揮者としてデビューした後は、スカラ座やバイロイトで副指揮者を務めるなど、数多くのオペラハウスで研鑽をつみ、現在ではウィーンのフォルクスオーパーのレジデント・コンダクターのポストにあります。
作曲家としても多くの作品を世に送り、そのオーケストラのための数々の作品は、このレーベルからも2枚組のCDとしてリリースされています。それを聴いてみると、彼の作曲のスキルはまさに職人芸の域に達していることが分かります。いずれの作品も分かりやすいメロディを卓越したオーケストレーションで飾りたてるという華やかさにあふれたものでした。中でも、今では多くのオーケストラでも演奏されているというワルツやポルカでは、まるでヨハン・シュトラウスが現代に蘇ったかのような素敵な世界が広がります。ただ、ヨハンとヨーゼフの共作になるあの「ピチカート・ポルカ」そっくりの曲が聴こえてきた時にはびっくりしましたね。タイトルを見ると「全く新しいピチカート・ポルカ」、もう「全く」開き直っているという感じです。
そんな人が作った、ヨハネ福音書をテキストにした受難曲は、そのような曲から与えられる先入観とは「全く」異なっていました。まずは、演奏者の編成がとてもユニークです。例によってエヴァンゲリストをはじめとする人物のセリフを担当するソリストの他に、アリアを歌う「天使」とか「雄鶏」役のソリストも加わっています。そこに20人ほどの合唱が入るという声楽陣に対して、伴奏するのは5人ほどのメンバーによる打楽器だけというのですからね。
2011年に作られたこの受難曲は、2016年に初演されたのですが、それのライブ録音がこのCDです。その一部はこちらで見ることが出来ます。CDではどこにも指揮者の名前が見当たらないのですが、この映像を見ると作曲者自身が指揮をしていることが分かります。
曲全体の構成は、バッハあたりの受難曲と同じように、レシタティーヴォ、アリア、コラールなどから出来ています。ただ、レシタティーヴォはほとんど「朗読」のようですし、時には笑い声なども入っています。アリアでは、旋律楽器であるビブラフォンが主な伴奏を担当、メロディアスとは言えないまでも、ある意味瞑想的な「歌」を、そこには聴くことができることでしょう。そしてさらにメロディアスなのが、コラールです。これは、ほとんどバッハあたりのものと同じ旋律が使われていますが、ハーモニーはより複雑なものに変わっています。そして、注目すべきはその演奏面からのアプローチ。作曲者が作ったこの「コルス・デュプレクス・ヴィエナ」という合唱団は、このコンサートでもメンバーがソリストを務めるほどのハイレベルの団体なのですが、このコラールを歌う時にはおそらく意図的にアンサンブルを雑にして歌っているのです。それは、聴いていてとても居心地の悪いもので、安らぎを与えるはずのコラールがとてつもなく邪悪なものに聴こえます。この作曲家はそのような形で「苦悩」を表現しているのでしょう。

CD Artwork © Paladino Media GmbH


9月30日

Leuchtende Liebe
Elisabet Strid(Sop)
Ivan Anguélov/
Bulgarian National Radio Mixed Choir
Bulgarian National Radio Symphony Orchestra
OEHMS/OC 1882


スウェーデンのオペラ歌手、エリーザベト・シュトリッドのデビュー・アルバムです。しゅとりで(一人で)ベートーヴェンとワーグナーのオペラの中の曲を歌っています。しかし、写真を見る限り、彼女はとてもオペラ歌手とは思えない、まるでモデルか女優さんのような美貌の持ち主ですね。どことなくシャロン・ストーンのような顔立ちだとは思いませんか。彼女がスウェーデンのマルモに生まれたのは1976年ですから、もう40歳は超えているのに、とてもそうは見えませんね。
彼女がオペラ界で世界的なデビューを果たしたのは2010年ですから、やはりもはや若くはない年齢(34歳)の時でした。そもそも、ストックホルムの音楽大学に入ったのは24歳の時でしたからね。その前からオペラの勉強は始めていましたが、それまではなんと看護婦さん(死語)だったのだとか。人生経験は豊かだったようですね。
現在では、バイロイトにも2013年に「ラインの黄金」のフライアでデビュー、さらに2015年にはライプツィヒ歌劇場で「ジークフリート」のブリュンヒルデを歌うなど、ワーグナーのロールも次々にレパートリーになりつつあります。シュトラウスも、2016年には「エレクトラ」のクリソテミス、2017年には「サロメ」のタイトルロールと、着実に実績を重ねています。ただ、彼女が最も数多く歌っているのは、ドヴォルジャークの「ルサルカ」のタイトルロールなのだそうです。
まずは、曲順(作曲順に並んでいます)に従って、「フィデリオ」でレオノーレが第1幕で歌うレシタティーヴォ「極悪人め!どこに急ぐの!」と、それに続くアリア「来て 希望よ 最後の星の輝きを」です。バックのオーケストラはそれほどの重量感はありませんが、プレーヤーの腕は確かで、木管のアンサンブルなどはとても美しく響きます。しかし、ここでの彼女の声にはなにか精彩がありません。
そんな感じは、続くワーグナーの曲でもついて回ります。まずは、なかなか聴くことのできない初期のオペラ「妖精」第1幕からアーダのカヴァティーナ「いったいどうして悲しまなければならないの」ですが、曲自体にも魅力がないことも手伝って、やはりちょっと、という感じです。
「さまよえるオランダ人」からの「ゼンタのバラード」では、ブルガリア国立混声合唱団の女声が加わります。その合唱はとても素晴らしいのですが・・・。
そして、「タンホイザー」からは第2幕の「殿堂のアリア」と、第3幕の「エリザベートの祈り」です。後者では、まずさっきの合唱団の男声による「巡礼の合唱」が入りますが、とてもきれいな声とハーモニーなのに、あまりに人数が少ないので、かなりしょぼく聴こえます。次の「ローエングリン」第1幕の「エルザの夢」ともども、やはりシュトリッドの声にはなにか中には入っていけないもどかしさを感じないわけにはいきません。
ところが、「トリスタンとイゾルデ」第3幕の「イゾルデの愛の死」になったとたん、彼女の声はガラリと変わってしまいました。それまで、同じスウェーデンの歌手、ビルギット・ニルソンにちょっと似た感じはあったのですが、それがここでは全開、まさにニルソンの再来のような張りのある声が聴こえてきたのですよ。そのあとの「ワルキューレ」第1幕のジークリンデとジークムントのデュエットから、ジークリンデだけのパートを抜き出した、「身の上語り」と、「あなたこそ春」、さらに「ジークフリート」第3幕でブリュンヒルデが歌う「愛の幸福」と、それはもう至福の時間が待っていました。
前半は、本当にもう聴くのをやめてしまおうかな、と思っていたのに、最後までちゃんと聴いてよかったですね。
あ、アルバムタイトルの「Leuchtende Liebe(輝く愛)」というのは、このブリュンヒルデ(とジークフリート)のナンバーの最後の歌詞ですが、途中で終わっているので、彼女は歌ってはいません。そもそも、このCDには歌詞がどこにもありません。

CD Artwork © OehmsClassics Musikproduktion GmbH


9月28日

BACH
Mass in B Minor
Christina Landshamer (Sop), Elisabeth Kulman (Alt)
Wolfram Lattke (Ten), Luca Pisaroni (Bas)
Dresdner Kammerchor(by Michael Alber)
Herbert Blomstedt/
Gewandhausorchester Leipzig
ACCENTUS/ACC10415BD(BD)


毎年ドイツのライプツィヒで開催されている「ライプツィヒ・バッハ音楽祭」は、今年も6月9日から18日までの日程で行われました。期間中はコンサートなど120のイベントが繰り広げられましたが、その最後を飾ったのが、バッハゆかりの聖トマス教会にライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団を迎えて行われた「ロ短調ミサ」のコンサートです。今年は、現在90歳とおそらく現役の指揮者としては世界最高齢のヘルベルト・ブロムシュテットが指揮をしています。
その模様を収録した映像は11月にはBDでリリースされるのですが、共同企画がNHKだったため、おそらくBDと同じであろう映像がすでにNHK-BSで放送されてしまいました。せっかくですので、正式なリリースを待たずにそのレビューを書いてしまいましょう。映像は同じグレードですが、音声に関してはBSはAACですがBDではハイレゾのPCMではるかにクオリティは高いはずですから、音にこだわる方はBDもしくはDVDをご購入下さい。
教会でのコンサートですから、演奏家たちは祭壇の向かい側のバルコニーにあるオルガンの前に座っています。つまり、お客さんの大半は演奏家に背を向けて座っている、ということになるのですね。当然、普通のコンサートとはかなり異なった環境での鑑賞となります。ごく一部、周りを取り囲むバルコニーからだったら、ホールのような視野が開けるのでしょう。
そこで、映像ではあくまでお客さんの視点ということで、はるかかなたの演奏家を見上げる、というアングルからスタートします。もうすでに演奏家はスタンバイしていて、何の前触れもなくまさに指揮者がタクトを振り上げる(いや、ブロムシュテットは指揮棒は持っていませんでした)瞬間からいきなり始まってしまいます。コンサートの映像としては、ちょっと余裕のない編集ですね。
編集ということでは、これはそのコンサートのライブ録音ということですから本番をそのまま収録したもののように思ってしまいますが、実は全く別の機会に収録されたと思われるカットが1ヵ所混じっています。それは「Christe eleison」の途中。そこではコンサートマスターの横の譜面台に本来はあるはずの楽譜がなく、さらにバルコニーのお客さんまで別の人になっていますよ。ということは、おそらく本番の前に公開のGPがあって、その時の映像を差し替えて編集していたのでしょう。


モダン・オーケストラが演奏するバッハですが、編成はとても小さく、弦楽器は6.6.4.3.2でしょうか。ただ、これはコーラスなどの場合だけで、アリアのオブリガートではプルトが少なくなっています。音色もとてもまろやかなので、ガット弦が使われているのでしょうか。管楽器も必要な人数だけで、通奏低音はポジティーフ・オルガンのみです。ピリオド・オーケストラでありがちなチェンバロやリュートなどは使われていません。ホルン奏者などは、休憩なしで全曲が演奏されていたため、出番が終わってからもずっと座っていましたね。
合唱はラーデマンが作ったドレスデン室内合唱団。40人程度の人数で、とてもピュアな声が魅力的でした。演奏も完璧、メリスマは楽々とこなしますし、「Et resurrexit tertia die」に出てくるベースのパート・ソロも信じられないほどの軽やかさです。ソリストたちも、それぞれにいい味を出していました。特にアルトのクールマンが、全く力まずに深い情感を伝えていたのは感動ものです。ブロムシュテットの独特の「タメ」が気になるものの、とても気持ち良く聴ける演奏でした。
ただ、BSで使われていた磯山雅さんの字幕では「Et incarnatus est de Spiritu sancto ex Maria virgine, et homo factus est. 」の「incarnatus」を、普通は「御からだを受け」とか、「肉体を受け」と訳すところを「肉に入られました」ですって。宗教的にそのような表現があるのかもしれませんが、一般の人が見る映像としては受け入れにくい字幕です。製品のBDでは別の字幕が使われることを、切に望みます。

BD Artwork © ACCENTUS Music GmbH


9月26日

ROLLE
Matthäuspassion
Ana-Marija Brkic(Sop), Sophie Harmsen(Alt)
Georg Poplutz, Joachim Streckfuß(Ten)
Thilo Dahlmann, Raimonds Spogis(Bas)
Michael Alexander Willens/
Kölner Akademie
CPO/555 046-2


ヨハン・ハインリッヒ・ローレという、バロック後期に活躍したドイツの作曲家が作った「マタイ受難曲」の世界初録音です。ローレという人は1716年に生まれて1785年に亡くなっていますから、あの大バッハ(最近は、そういう呼び方はしないんだい)の息子のカール・フィリップ・エマニュエル・バッハの生涯(1714年〜1788年)と見事に重なっていますね。それどころか、ローレはその生涯で何度かエマニュエル・バッハとは実際に関わっていますし、さらに父親の大バッハとも少なからぬ関係があったのでは、とも言われています。
というのも、音楽家の家系に生まれたローレは、小さいころから父親による音楽教育を受けていて、教会のオルガニストを務めるまでになっていましたが、10代後半の3年間はライプツィヒで法律学を学んでいるのです。その頃は大バッハがその街の教会のカントルでしたから、彼が主催していた「コレギウム・ムジクム」や、教会の楽団に参加して演奏していた可能性は否定できないとされています。
その後、ローレはベルリンで法律の仕事に携わるようになるのですが、縁があって24歳の時(1741年)にフリードリヒ大王の宮廷楽団のメンバーとなり、そこで、エマニュエル・バッハの同僚として6年間を過ごします。当時の宮廷にはエマニュエルの他にもクヴァンツ、ベンダ、グラウンといったそうそうたるメンバーがいましたから、ローレは彼らから多くのことを学んだことでしょう。
その後は父親が住むマグデブルクで教会のオルガニストとして、さらに父親が亡くなると、その後を継いで1752年からはアルトシュタット・ギムナジウム(中学校)の音楽監督を晩年まで務めます。その間、1767年にハンブルクでテレマンが亡くなってその後任者を選ぶ選挙があった時には、エマニュエル・バッハとローレが候補者になったのですが、ローレは1票差で負けてしまいました。
ローレは数多くのカンタータやオラトリオを作りましたが、受難節で演奏される受難曲は、全部で8曲作っています。今回録音された「マタイ受難曲」は1748年に作られ、彼の父親によって演奏されました。これは、バッハが作ったのと同じ様式の「オラトリオ風受難曲」で、その形でもう3曲作られていますが、残りの4曲は当時の主流であった聖書のテキストを使わない「受難オラトリオ」の様式で作られたものでした。
この作品は、演奏時間に100分ほどを要する大曲です。とは言っても、大バッハの「マタイ」に比べたら半分程度の長さしかありません。たしかに、テキストはオリーブ山のシーンから始まりますからバッハより少し短くなっているのですが、それだけではなく全体の構成がかなり異なっています。最も顕著な違いは、ソリストによるアリアの比率です。オリーブ山以降で歌われるアリアは、バッハでは11曲ですが、ローレの場合は5曲しかありません。
そして、エヴァンゲリストの語りやイエス、ピラトといった登場人物のセリフで綴られる聖書からのテキストは、バッハと同じようなレシタティーヴォ・セッコの形を取っていますが、それが時折「アリオーソ」という形に変わってメロディアスな歌ときちんとした伴奏による音楽に変わる、という場面はバッハには見られないものです。これは、現代のミュージカルで普通にセリフをしゃべっていた役者さんがいきなり歌い出す、というようなシーンが連想されて、なかなか楽しめます。音楽全体も、やはりバロックというよりはクラシックの様式がそろそろ世の中に広がって来たな、と感じられるような、滑らかな進行のメロディや和声を聴くことが出来ます。合唱などにはロマンティックのテイストさえ漂っていますよ。
それでも、最後近くにおなじみの「O Haupt, voll Blut und Wunden」のコラールが聴こえてくると、なにかホッとします。これこそは、まさに受難曲の地下水脈のようなものなのですね。

CD Artwork © Classic Produktion Osnabrück


おとといのおやぢに会える、か。



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