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天ざるつき。.... 渋谷塔一

(04/1/21-04/2/10)


2月10日

LISZT
Harmonies poétiques et religieuses
Steven Osborne(Pf)
HYPERION/CDA67445
リストというのは、とても有名な作曲家であるにもかかわらず、知られている曲と知られていない曲に差がありすぎるように思うのです。ピアノ曲にしても、「愛の夢」や「コンソレーション」は第3番のみが嫌になるくらい取り上げられますが、他の番号はよほど好きな人でないと聴いたことがないという具合。もちろん作品の数が多すぎるという現実もあるのでしょう。それにしても・・・とリスト好きの私は悲しく思うことがしばしばです。合唱作品やオルガン曲にも素晴らしいものがたくさんありすと(東北弁)。
今回の「詩的で宗教的な調べ」もそんな曲集です。全部で10曲からなる彼の中期の作品で、合唱曲からの編曲が含まれていたりとなかなか興味深いものです。しかし、今のところ全曲が収録されているCDはカタログに3種類しか載っていません。NAXOSVOXBOX、そしてお馴染みレスリー・ハワードのHYPERION盤。今回のオズボーン盤でやっと4種類とは・・・・。う〜ん、ボレットさえも弾いていないんですよね。とは言え、この中の第3曲「孤独の中の神の祝福」と第7曲「葬送」は大変な人気を誇ってまして、この2曲だけならいくらでも聴く事が可能なのも面白いところです。
さて、そんなわけで今回のオズボーン君の演奏。まず全曲通して聴いてみます。彼のCDは今までにも聴いてまして、最初はカプースチン、そしてメシアン、その次はアルカン、そしてリストと日本で入手できるCD全て網羅しているつもりです。(これで全部かも)しかし、いつも感じるのですが、彼の演奏はとても薄味。メシアンにしても、テクニカルな曲は目覚しいのですが、色っぽさの必要な曲になるとどうしても物足りなく感じていました。今回のリストもそんな感じです。例えば有名な第7番「葬送」、この曲は一説にはショパンの葬儀の際に書かれたとか、(中間部で英雄ポロネーズを模しているとも言われてます)他の説では、ハンガリー独立革命で処刑された同士の追悼として書かれたなどと言われています。冒頭の弔鐘を模した音、荒々しい行進曲、そして葬送の音楽。これらがひとしきり続いた後に現れる、はっとするような艶やかなメロディ。この旋律が何を表すのかは解りませんが、ピアニストたちはここを美しく奏したいがために、この曲を演奏しているのかも。と思わせるくらいのインパクトのある部分です。ああ、オズボーン君の演奏って、この部分に決定的に色気が不足しているんです。アラウが弾くと身を捩るような官能が立ちのぼるのに。
しかし、先日私自身が酷く疲れている時に、再度オズボーン君の演奏で聴いてみました。すると、これが心地よいのですね。押し付けがましくなく、さりげない。余分な贅肉を削ぎ落としたさっぱりしたリスト。「ああ、いいなぁ」と初めて思いました。そういえば、昔、バーンスタインのマーラーに心酔していたのに、ある日を境に聴かなくなったのも、「くどいから」と言うのが理由でしたっけ。

2月6日

DVOŘÁK
Symphony No.8 etc.
Klaus Tennstedt/
London Philharmonic Orchestra
BBC/BBCL 4139-2
今年は、ドヴォルジャークの没後100年、各地の演奏会では、さぞ、この大作曲家の作品が頻繁に演奏されることでしょう。こんな機会ですから、普段はあまり聴かれることのない埋もれた交響詩や序曲なども、紹介されるにちがいありません。しかし、そのような今まで聴いたことのなかった作品に接した時、おそらく誰しもが、これらの曲が演奏されなかったのにはそれなりの理由があることに気付くことでしょう。交響曲にしても、「8番」と「9番」さえあれば、あとは何も要らないと感じるのが、まっとうなリスナー。「7番」などという珍しい曲を取り上げたのはいいけれど、この1年のお祭りが済んで、「あの時8番をやっておけば良かった」と後悔するアマチュアオーケストラは、後を絶たないことでしょう。
BBCの放送音源によるこのシリーズ、ここで「8番」のとてつもない名演を聴けば、その思いはさらに募るに違いありません。そのぐらい、ここでのテンシュテットの演奏には、聴く人を惹きつける魅力がたっぷり含まれています。
この演奏が行われたのは、1991年4月2日、会場はロイヤル・フェスティバル・ホールです。この日のテーマは「チェコ音楽」、スメタナの「売られた花嫁」序曲に続いて「8番」が演奏され、最後にヤナーチェクの「シンフォニエッタ」が来るという、ユニークなプログラムです。1曲目のスメタナでは、ロンドン・フィルの鍛え上げられたアンサンブルに思わず引き込まれます。あの、まさに「常動曲」のような果てしない細かい音符の連続の正確なこと。ここでテンシュテットは、意外にも、恐ろしく精密な、まるでシークェンサーのような音楽を作り上げています。その鋭利さからは、「凄さ」は感じるけれど、同時に「冷たさ」も感じてしまうほど、交響曲もこれでやられるのはちょっと辛いな、と思ってしまいます。
しかし、その交響曲の冒頭が、いともたっぷりとした「歌」を伴って現れた時、それは杞憂であったことに気付くのです。続くフルートソロの何と味わい深いことでしょう。これほどしみじみとしたテンポでゆったりと奏でられたこのテーマを、他に知りません。もちろん、これは優秀なフルーティストだからなし得ること、殆どフルート協奏曲といっても構わないこの曲にこの人材を得たことで、テンシュテットの音楽はとことん懐の深いものになりました。2楽章にしても3楽章にしても、いたずらに民族性を強調することはありません。しかし、そこでさりげなく行っているテンポの変化や、ちょっとしたフレーズの味付けだけで、決して「泥臭さ」には陥らない、ある意味誰にでも納得出来る「チェコの心」が伝わってくるのは、殆ど奇跡に近いものがあります。そして、フィナーレにたどり着く頃には、いつの間にか心が熱くなっているのを感じないわけにはいきません。もちろん、「生」でこの演奏に接した人たちの思いも同じはず、録音された大歓声によって、それははっきり知ることが出来ます。
ヤナーチェクも、冒頭のトランペットこそやや危なげですが(やなチェック)、それ以外は各プレーヤーの技が見事に決まった名演、そういえば、ライブにもかかわらず、この録音に傷が少ないのは、まさに驚異的です。

2月5日

R.STRAUSS
Songs
Felicity Lott(Sop)
Graham Johnson(Pf)
ASV/CD DCA 1155
ミュージカルもそうでしょうが、オペラの世界でも「当たり役」というものがあります。そんなことは誰でも知っています(当たり前)。例えば“トスカ”は古今東西、さまざまなソプラノが挑戦しているにも拘わらず、「53年のマリア・カラスが最高!」と言われてたりします。ケルビーニの“メデア”は、そのマリア・カラス以外の人は考えられませんし、(だから彼女の声が嫌いな人はこのオペラを聴くこともないのでしょう)“椿姫”はイレアナ・コトルバシュかな。とにかく、その役を歌うことで強烈な存在感を示すことが「当たり役」の条件なのですね。で、“ばらの騎士”の元帥夫人は、間違いなくシュヴァルコップの歌が最高とされています。艶やかさと高貴さを併せ持ち、なおかつウィーンの世紀末の持つ独特の頽廃感も感じさせる歌唱は、確かに「退屈し、世を憂える貴婦人」そのものでした。で、彼女が表舞台から引退した後、しばらくの間、完璧なる元帥夫人を歌えるソプラノは出現しませんでした。一時期、アンナ・トモワ・シントウの名前もあがりましたが、やっぱり少し小粒。悪くはないけど、強烈な存在感とはちょっと違います。最近はルネ・フレミングを推す人が多いのですが、彼女はちょっと妖艶過ぎる気がして、洒脱な品の良さがあまり感じられません。
私は密かに、イギリス生まれのソプラノ、フェリシティ・ロットが現在最高の「元帥夫人」なのではないかと目論んでいるのです。以前、“カプリッチョ”の録音を聴きましたが、ここでも2人の男性に揺れ動く女性の心理をなんとも細やかに歌っていて、思わず感心した記憶がありました。今回のCDは、ピアノ伴奏によるシュトラウスの歌曲集ですが、ここでも彼女のシュトラウスへの共感をしみじみ感じることができます。
シュトラウスの歌曲は、御存知の人も多いでしょうが、殆どは彼の夫人、パウリーネが歌うことを想定して書かれているといいます。メゾやアルト、若しくは男声で歌われることも少なくありませんが、やはりソプラノで歌われるのが一番自然だと思います。もちろん歌曲の分野にも、かのシュヴァルツコップの名唱が存在しますが、今聴いてみると、あまりにも情感がこもりすぎていて、(これがいいと言う人も多いのですが)少々鬱陶しく思えてしまいます。
ロットのアルバムは、シュトラウスのたくさんの歌曲から26曲をセレクト。それらの歌を「夜想と幻想」「花」「告別と子守歌」「少女と愛」のカテゴリーに分けるという含みのあるもの。このプログラミング自体にも、彼女の拘りが感じられます。もちろん、歌の素晴らしいこと。通して聴いてみるとよくわかるのですが、ロットの歌には独特の「諦観」と「ゆったり感」があるのです。
有名な「ツェチーリエ」、幅広いピアノのアルペジョに乗って歌われる愛の歌ですがこれの美しいこと。最近リリースされたフレミングの演奏の性急さと比べるとその差は歴然です。「明日」もいいし、「万霊節」も絶品です。「子守歌」も今まではポップの歌唱が最高だと思っていましたが、このロットの歌を聴いて、「最高を2つにしてもいいかな」と考えたくらいですから。
実は発売前から問い合わせの多いアルバムだったそう。彼女のシュトラウスに期待している人は私だけではなさそうですね。

2月3日

Quiet on the Set
James Galway at the Movies
James Galway(Fl)
Jeanne Galway(Fl)
Thomas Kochan/
London Mozart Players
RCA/82876-50932-2
(輸入盤)
BMG
ファンハウス/BVCC-34111国内盤)
ゴールウェイは、1993年に「美女と野獣」というタイトルで映画音楽だけのアルバムをリリースしていますが、それから10年経って第2弾とも言うべき新作(録音は昨年の1月)が届けられました。クラシックではないこんなアルバムを紹介するのも、たまにはええがな。ところで、このアルバム、両方ともライナーには「オリジナル・サウンドトラックではありません」というコメントが記載されているのがおかしいですね。
ここで取り上げられている曲は、最も古いもので1986年の「眺めのいい部屋」ですから、わりと最近のものが集められています。しかも、一番新しいものが、2002年の大ヒット作「マイ・ビッグ・ファット・ウェディング」なのですから、選曲のセンスにはとても新鮮なものがあります。とは言っても、どうも最近作られた映画のためのオリジナルの曲というのは、イマイチ印象が薄いのはどういうわけでしょう。あれほどヒットした「フォレスト・ガンプ 一期一会」でさえ、ここで改めてアラン・シルヴェストリのオリジナル・テーマを聴いてみても、「こんな曲、映画で流れていたっけ?」という程度の感想しか抱けません。ジェームス・ホーナーの「ブレーブハート」に至っては、今別のところで大流行しているホルストの「木星」そっくりですし。
ですから、もっぱらしみじみ聴くことが出来たのは、「ムーラン・ルージュ」に使われているかつてのナット・キング・コールのヒット曲「ネーチャー・ボーイ」のような、既存の曲の方でした。その極めつけが、「眺めのいい部屋」での「私のお父さん」です。この、プッチーニが「ジャンニ・スキッキ」の中でラウレッタに歌わせた極上のメロディーは、この映画に限らず最近ではコマーシャルなどで盛んに使われていますが、このゴールウェイのバージョンは、その中でも傑出しています。敢えて言わせてもらえば、今までオリジナルのオペラ歌手が歌ってきたものが全て色あせて見えるほどの、絶妙の歌い口と豊かな表現が、そこにはあるのです。"O mio babbino caro, Mi piace, e bello bello,"という出だしの歌詞の"bello"の部分でオクターブ上がるところなどで、声では決してなしえない、フルートだからこそ出来る完璧なオクターブが聴けた瞬間は、鳥肌すら立ってしまいました。
アレンジは、クラシックを基調にトラディショナル風やポップス風と多彩で楽しめます。「ノッティング・ヒルの恋人」で使われたシャルル・アズナブールの「忘れじのおもかげ」などは、軽やかな8ビートに乗って、合いの手のトランペットソロ(クレジットはありません)ともども、懐かしい雰囲気に浸りきることが出来るでしょう。ただ、ところどころで共演している奥さんのジニーのフルートは、ちょっといただけません。リズム感は悪いし、音色もゴールウェイの輝かしさとは全く別物、オーバーダビングの方が、どれほど完成度が高かったことか、と思ってしまいます。

2月1日

Salley Garden
Lim Hyung Joo(Voc)
ソニーミュージック/SICP-509
さて、年明け早々、声楽関係が活気付いてます。先頃書いたヘップナーの新譜は、さるオペラ愛好家の方が絶賛。「テノール界の吉田秀和」のような存在の方ですから、影響力も大きいらしく、CD店で静かなブームを呼んでいるそうです。同時に話題を呼んでいるのが、若手テノール“ローラン・ヴィラゾン”。以前からその方が、「ポスト3大テノールは、日本の中島と、マッチャード、そしてヴィラゾン」と話していただけあって、こちらも話題沸騰中。でも、この人のアルバムは次に回す事にいたしましょう。
今回の1枚はこちらも話題沸騰中、韓国のテナー、イム・ヒョンジュです。いつものことですが、新しいジャンルができると特有の名前をつけたくなるのはこの業界の悪い癖。日本のPOPSは「J-POP」、作曲家兼ピアニストは「コンピー」(これは、かのE電と同じく全く定着しませんでした)。これではまるで「小○製薬の世界じゃん」と思ってたら、今回は何と「ポッペラ」なんだそうです。えっ?モンテヴェルディですか?(ポッペラの戴冠)違うのですね。POP+OPERA・・・・これでポッペラ。サラ・ブライトマンやIZZY、そして今回のイム・ヒョンジュが尊敬するアンドレア・ボチェッリ、ラッセル・ワトソンなどがこのジャンルに当てはまるのだそうです。
このアルバムで歌っているイム・ヒョンジュは、年齢秘密。ジャケ写にはちょっとひいてしまいますが、韓国ではスゴイ人気歌手で、日本でいうと氷川きよしかな?彼が舞台に現れマイクを手に取っただけで老若男女が黄色い悲鳴をあげるのだとか。伸びやかで透明感のある歌声は、昨今の韓国ブームも手伝って、じわじわと日本のファンの間にもひろまりつつあります。ここで歌われている曲は、ヒーリング系のもの、ミュージカル・ナンバー、そしてドナウディまで。日本盤のみのボーナス・トラックも2曲含まれていて、いろいろな意味で興味深いものがあります。アルバムタイトルになっている「サリー・ガーデン」。この独特の雰囲気は何と表現したらよいのでしょうか。もちろんボチェッリの、あの開放的な歌とは全く違うエキゾチックな佇まい。口の悪い友人は「これはキムチ声だ」と評してましたが、確かに、ボチェッリやワトソンのような「ベルカント方式」で歌う人とは、全く発音も発声も違います。どちらかと言うと、口を小さく開けてささやくように歌う・・・そんな感じですね。だからこそ聴き手に「この人は私だけのために歌っているのね」と錯覚させるのではないでしょうか。マイクを通して、聴いてくれる人、一人一人に語りかける。もしかしたらこれが「ポッペラ歌手」としての醍醐味なのかもと感じました。
今のところ、このジャンルについては静観しようと思っています。もしかしたら、きちんとしたジャンルとして定着し、クラシックと他ジャンルの掛け橋として、見事に機能するかもしれません。しかし、これは例えが極端かもしれませんが、こういう歌って「脳死状態」のようなものだと思うのです。まず、生命維持装置としての機械がないと生きていけないではないですか。このヒョンジュの歌もそうですが、本来持っている美しい歌声に電気的処理をかけて、不思議な雰囲気を醸し出すこと。これがポッペラ歌手に必要不可欠の要素だとすれば、逆に言えば、ここで聴かれる声がヒョンジュのものでなくてもいいのではないでしょうか。少しだけ声が美しくて、そこそこの容姿を持って、そして大事なことは、後でいぢれる声の持ち主であること。その要素を持ち合わせていれば、こういう歌手はいくらでも栽培できる(これもスゴイ表現か)と思うのです。いつか流行ったヴァーチャル・アイドルのように、いろいろな人がよってたかって創り上げたアイドル。そんな印象を受けてしまいます。
ただ、これはあくまでも今の印象です。これから先はわかりませんが、少なくとも良い物を持っているのなら大切にそれを育んで欲しい。と、おせっかいなおやぢはまるでボコーダーのように無機的な「春よ来い」を聴きながらしみじみと思ったのでした。

1月30日

RODRIGO
Concierto Pastoral etc.
Joanna G'froerer(Fl)
Maximiano Valdés/
Asturias Symphony Orchestra
NAXOS/8.557801
ロドリーゴのフルート協奏曲「パストラル協奏曲」の最新録音が届きました(おそらく、今年中にもう1枚リリースされるはずですが、それはまたその時に・・・)。あのジェームズ・ゴールウェイの委嘱によって1978年に作られたこの協奏曲は、もちろん、その世界最高のフルーティストのテクニックを想定して準備されたものですから、要求される能力の高さといったらハンパではありません。いきなり冒頭から始まる華麗な高音のアラベスクを聴いただけでも、並大抵の技量の持ち主では演奏不可能であることが分かります。根性のないアマチュアでしたら、楽譜を見ただけで、さらう気すら起こらなくなってしまうことでしょう。CDは、ゴールウェイ自身による世界初演盤(RCA)の他にも、4種類ほど出ていますが、中にはジェラール盤(AMATI)のように、音を追うだけで精一杯、とても音楽とは言えないようなお粗末なものも現れるほど、大変な曲なのです。
ここでソロを吹いているのは、ジョアンナ・グフレエールという、録音時には30歳だったカナダの女性フルーティスト。あいにく写真がどこにもないのでその容貌は窺い知ることはできませんが、いいんです、別に美人でなくとも、胸さえ大きければ(「バストアル協奏曲」)。
彼女の演奏、「パストラル」の最初の難所は、やはり相当に苦労をしているように見えます。しかし、少なくとも正確さという点では合格でしょうか。こんな難しいパッセージはゴールウェイにしか吹けないのですから。それがひとしきり終わってオケがラテン的なテーマを演奏しはじめます。しかし、これがスペインのオケとは信じられないほどの、情熱のかけらもないものであったのは、ちょっと意外でした。とりあえず、オケには目をつぶって、グフレエール嬢にだけ注目です。これが、最初のうちはテクニックは素晴らしいものの、ちょっと醒めたところが物足りないように感じていましたが、第2楽章の朗々としたテーマになったら、俄然輝いてきたではありませんか。カナダではモントリオール交響楽団の首席奏者ティモシー・ハッチンスに師事したといいますが、確かに、一見クールなようでいて、キラリと光るものがあるのは師匠譲りでしょうか。のびのびとした音とスケールの大きな表現は、これからが楽しみな人です。
やはりゴールウェイによって初演された、フルート版「ある貴紳のための幻想曲」では、その伸びやかさが存分に味わえて大いに楽しめました。この曲の中に頻出するロドリーゴ特有のカンタービレは、もしかしたらゴールウェイに肉薄するほどのものがあるかもしれません。
もう1曲、やはりフルートソロが活躍する「管楽合奏のためのアダージョ」は、初めて聴きましたがブラスバンドのレパートリーとして格好の、とても聴き映えのする曲、ロドリーゴの間口の広さをかいま見た思いです。

1月28日

NOCTURNES
Bart van Oort(Pf)
BRILLIANT/92202
相変わらず安いブリリアントレーベルの新譜です。このレーベルは、とにかく「全集」という言葉が好きなようでして、どんなものでも箱にしてしまう・・・というのがおはこのようですね。驚くべき速さで録音された、バッハのカンタータ全集や、既存の音源と、新録音を絶妙に配したモーツァルトのオペラ全集、最近では、ニコル・マットの指揮でメンデルスゾーンの合唱曲全集など、1セット購入しただけで、聴ききれないよ〜。と嬉しい悲鳴をあげたくなるラインナップです。
今回の「NOCTURNES」と銘打たれた4枚組も、そんな企画CDです。19世紀に書かれたピアノのための「夜想曲」を全て(?)網羅。(一応、箱にはcompleteと書かれてます)1枚目は、夜想曲の元祖、ジョン・フィールドの作品。2、3枚目はおなじみ、ショパンの全曲。そして4枚目は音楽史から零れ落ちた作品を丁寧に拾い集めたもの。ここには、普段ほとんど聴く事のない、カルクブレンナーやプレイエルの作品、そしてアルカン、クララ・シューマン、ドブルジンスキなど、本当に珍しいものばかりが集められていて、ピアノ好きならたまらない1枚になってます。これで1990円。単なる「暇つぶし」でもバチはあたらないでしょう。
まず興味深いのは、全ての曲を当時のピアノ(1842年製プレイエル、1837年製のエラール、1823年製ブロードウッド)で演奏していること。居ながらにして、当時のフランスのサロンで音楽を聴いている気分になれるのですね。演奏もかなり刺激的。全曲をオランダ生まれのピアニスト、バルト・ファン・オールトが演奏してますが、(この人はブリリアント・レーベルではお馴染みの人。まあナクソスでいうビレットのような人ですね。)まず、一番馴染みの深いショパンから聴いてみました。「楽譜には忠実に演奏すべし」と厳命してあるショパンの作品にさえ、はっと驚くような装飾をこらしているのには、ほんとびっくり。作品32-2での、少々やりすぎ?と思える自由さは、とにかく一聴の価値ありです。彼にしてみれば、ハイドンもショパンも同じなのでしょうか。かなり情熱的な演奏で、時には音量的に、プレイエルのピアノ自身のキャパを越えていると思われる部分もあり、「こうしてピアノが進化していったんだ」と妙に納得したりもします。その点、フィールドの作品は、いつ聴いても単調ですが、今回美しいピアノの音色に随分助けられているように思いました。
で、4枚目の珍しい曲集。これはまず何も解説や作曲家の名前を見ないで聴いてみます。そして何曲目が気に入ったかメモをとるのです。(いつも知らない作品を聴く時はこうしてます)で、後で付け合せて、「ああ、私はこういうのが好きなんだ」と再確認。自分では、アルカンの曲に心を動かされるだろうと予測してましたが、そうでもなかったことに苦笑したりしました。いろいろな意味で楽しめた1セットです。

1月25日

DONIZETTI
Don Pasquale
Gérard Korsten/
Orchestra & Chorus of the Teatro Lirico-Cagliari
TDK/CDM-OPDP
正直に白状しますと、どうもイタリア・オペラは苦手の部類に入ります。筋立ての荒唐無稽さ(ヴェリズモあたりだと、多少緩和されますが)もそうですし、かのR・シュトラウスが「ばらの騎士」で皮肉ったテノール歌手の例を持ち出すまでもなく、主人公たちが声を頼りに、どうでも良いことを朗々と歌い上げる様子も聴いていて気恥ずかしいのです。とは言え、たまには必要に迫られて、イタリア・オペラを聴く事もあります。
生涯に70もの歌劇を作曲したドニゼッティ。その作品の多くは悲しい物語ですが、中には「愛の妙薬」や、「連隊の娘」、そしてこの「ドン・パスクワーレ」のような、ロッシーニ顔負けの楽しい作品も書いています。中でも、今回の「ドン・パスクワーレ」は、彼の後期の代表作と評する人も多い名作です。親分のスパゲッティを食べた子分が殺されるという悲惨なお話(それは、「ドン・パスタ食われ」)、ではなく、金持ちの独身老人ドン・パスクワーレの甥エルネストが、美しい未亡人ノリーナと結婚するために一芝居打つというもの。う〜ん。この筋ってどこかで聞いたことが・・・・。そう。シュトラウスの「無口な女」と良く似ているんですよね。これで調べたくなって、ついイタリア・オペラに手を出したわけです。頑固な老人、結婚を許してもらいたがっている甥(息子)その恋人(妻)が、貞淑な女性を装って、老人と結婚する振りをして、結婚が成立した途端豹変、すごくわがままで金遣いの荒い(おしゃべりな)女に変身。困り果てた老人は、結婚を解消し、本来のカップルがめでたく許されるという話です。とは言え、シュトラウスの方は話が何倍も複雑ですし、登場人物の性格も微細に渡って書き込まれています。(ドイツ語がわからないと理解できないと言われる所以です。)それに引き換え、ドニゼッティの方は、人物像はみんな解りやすく書かれています。ここら辺は、突っこむともっと書きたくなってしまうので、また機会があったら。
で、今回の演奏です。ノリーナ役のエヴァ・メイにひかれて購入したのですが、彼女はさすが当たり役にもしてるだけあって、素晴らしい歌を聞かせてくれます。細部にわたってこなれているのですね。初心な娘、ふてぶてしい女。そのどれもが実に可愛らしく、チャーミングです。「だまされてもいいや」と思うオトコが多いのも納得。さすがです。エルネスト役のシラクーザ。この人は最近人気急上昇のテノールですが、残念ながら、私はちょっと声の好みがあいません。アイドル声とでも言うのか、妙にくせがあって。これがいい人もいるのでしょうけど。ドン・パスクワーレ役のコルベッリは、声だけ聴くと若そうなのですが、なかなか良い貫禄を見せてくれます。
そして、何より、このカリアーリ劇場と指揮のコルステン。最近、大手のCD会社からオペラ全曲がリリースされない現象の合間を縫って、この劇場の録音が、CD店の棚でひっそりと増殖中。新譜コーナーで、見かけないチャイコフスキーのオペラのCDを手に取ったら、ロジェストヴェンスキー指揮、カリアーリ劇場のライブだったのです。で、コルステンの名前にも何となく聞き覚えがあったので調べてみたら、今話題の「エジプトのヘレナ」のCDも出ていたと。恐るべし、カリアーリ劇場!
ま、何はともあれ、イタリア・オペラをバカにしてはいけないと自戒した「おやぢ」でした。

1月23日

MOCNIK
Sacred Music
Various Chorus
CARUS/83.159
スロヴェニアの若い作曲家、ダミアン・モチニクの作品集です。ここでは表記出来ませんが、名前のCには、チェコ語で言うところのハーチェクが付いていますので、「チ」と発音されるはずです。もちろん、初めて聞いた作曲家、1967年生まれといいますから、まだ30代、ライナーに写真がありますが、かなりのイケメンです(もちろん男性。モチハダニクタイハではありません)。作品は合唱関係がメインのようで、彼自身、合唱指揮者としてのキャリアもあります。このアルバムでは、その、彼が指揮をした女声合唱団を始めとして、全部で5つの合唱団による演奏を聴くことが出来ます。さらに、ソプラノやバリトンのソロの曲もあり、なかなか多彩な構成となっています。
モチニクの作風は、かなり幅広いものであることが、このアルバムからは分かります。ベースとしては自然の流れに逆らわない、美しいメロディやハーモニーを持っているものではあるのですが、単に叙情に流されない刺激的な部分も併せ持っている点で、軟弱なヒーリング系とは一線を画していることは明らかです。最も原初的な傾向は、一人の歌い手のみによって歌われる「Benedictus Dominus」や「Magnificat」で聴くことが出来ます。それぞれ5分以上のかなり長い曲、独唱のみではちょっとつらいのではと言う当初の危惧は見事に払拭されました。まるで中世に回帰したかのような、まるであのヒルデガルト・フォン・ビンゲンのような、淡々とした語り口の世界が、そこには広がっていたのですから。これはなかなか魅力的なアプローチです。
それとは逆に、アヴァン・ギャルドといっても構わないほどの挑戦的な面を持っているのが、オルガンと混声合唱のためのミサ曲です。合唱パートはなかなか手慣れた手法で、そこそこの「技」を繰り出してはいても、決して「オーソドックス」の範疇を超えることはない穏健なものなのですが、伴奏のオルガンがとことんぶっ飛んだものなのです。メシアンの過激な部分だけを培養したような、次に何が出てくるか全く予測不能なこのオルガンと、合唱とのミスマッチが、力強い訴えかけとなって迫ってきます。
「宗教曲」ということで、大半はラテン語の歌詞によっていますが、中にはチェコ語によるテキストもあります。そんな曲では、東ヨーロッパ特有の和声やリズムも見られて、この作曲家の嗜好の幅広さを再確認出来ます。ただ、彼が最も自分のアイデンティティと感じているのは、おそらく独唱曲に見られた中世、あるいはグレゴリオ聖歌あたりのテイストなのではないでしょうか。先ほどのミサ曲の「アニュス・デイ」からは、確かにグレゴリアンに由来していると思われるメロディーラインが感じられました。
演奏している団体は、揃いも揃って高水準、中でも、作曲家自身の指揮による「アンドレイ・ヴァヴケン婦人教会合唱団」の、やや民族的な発声を含んだ鋭角的な響きには、思わず耳をそばだてられてしまう力が秘められています。

1月21日

PENDERECKI
St Luke Passion
Antoni Wit/
Warsaw National Philharmonic Choir and Orchestra
NAXOS/8.557149
ペンデレツキの作品を体系的に録音しているNAXOSですから、「ルカ受難曲」もそのうち出るかなと思っていた矢先、待望の新録音がリリースされました。つい先日、オーマンディが指揮をした「ウトレンニャ」が復刻されたばかり、この時期のペンデレツキを愛して止まない私としては、嬉しい限りです。
1966年に初演されたこの作品、ケルン近郊のミュンスター大寺院が創立されて700年を迎えるという、いわばセレモニーのために委嘱されて作られたものです。今のペンデレツキだったら、式典会場の大聖堂を埋め尽くした聴衆が思わず感涙に咽ぶようなエモーションたっぷりの曲を作ったことでしょうが、当時、作曲界での寵児であったこの作曲家は、とことんハードなアイディアを盛り込んだ「受難曲」を作ってしまいました。作曲家として期待されていた姿勢とともに、確かにその頃はまだ生々しかった「アウシュヴィッツ」などへの抗議の気持ちも込めていれば、必然的に甘さとは無縁の殺伐とした曲に仕上げざるを得なかったことでしょう。実際に委嘱をしたのが、ケルンの放送局WDRであったことも、幸いしています。今でもその片鱗はうかがえますが、この放送局は、当時は現代曲に対してはパイオニア的な姿勢を貫いていましたから、クラスターやシュプレッヒ・ゲザンクてんこ盛りの曲が出来上がっても、歓迎こそすれ、異を唱えることなどは全く考えられなかったはずです。そのような、ある意味幸せな時代の産物が、聴き手にへつらい、大衆におもねる作品であふれかえっている今の時代の聴衆に与えるインパクトは、少なくはないはずです。
ポーランドの豊かな才能が結集して作り上げられたこのアルバムを聴くと、当時のペンデレツキがいかに緻密な仕事を行っていたかということに、しばしの感動すらおぼえます。これが作られる数年前に出来ていた無伴奏の合唱曲「スターバト・マーテル」との関連性、そこへ進行していく筋道などが、極めてわかりやすい形で伝わってくるのです。かつてはほとんど騒音にしか聞こえなかったオーケストラの個々の楽器が、それぞれ確かな主張を以て奏でられていることにも、容易に気付かされます。そして、なんと言っても特筆すべきは、合唱の素晴らしさ。卓越したソノリテに裏付けられて、いかなる表現にも柔軟に対応している様は見事としか言いようがありません。「スターバト・マーテル」の最後が、なぜ長三和音になるのか、彼らがその第3音F♯に込めた響きの深さを受け取れば、それは自ずと明らかになることでしょう。
作品を冷静に見つめる目を以て、丁寧に磨き上げられたこの演奏によって、私たちは、この作品にすでに「古典」としての重みが備わってきていることを感じないわけにはいきません。時代のふるいにかけられて見事にその存在価値を誇示しはじめた「ルカ」、もはや2度とこのような曲は作れなくなってしまったこの作曲家への、それは、痛烈な批判でもあるのです。

おとといのおやぢに会える、か。


(since 03/4/25)

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