オルガズム。.... 佐久間學

(15/9/15-15/10/3)

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10月3日

Madrigal History Tour
The King's Singers
ARTHAUS/109123(DVD)


キングズ・シンガーズというイギリスの6人組のコーラスグループは、1968年にメジャー・デビューをしていますから、もうほとんど「半世紀」の歴史を誇っていることになります。その中で、2CT,Ten,2Bar,Basという6人編成は変えずに適宜メンバーを入れ替えてそのサウンドを受け継いでいます。
このDVDは、1984年に彼らが出演してBBCで制作された「マドリガル・ヒストリー・ツアー」という番組をすべて集めたものです。この時期になると、すでにオリジナル・メンバーが3人いなくなっています。1978年にはテナーがアラステア・トンプソンからビル・アイヴスに、1980年にはカウンターテナーの、ナイジェル・ペリンがジェレミー・ジャックマンに、そして1982年にはバスのブライアン・ケイがコリン・メイソンに替わっています。このブライアン・ケイという人は、よく似た名前のブライアン・メイほどは頭髪がなく、何か人懐っこくてムードメーカー的な存在だったので、彼が脱退した時には一つの時代が終わったことを感じたものでした。しかし、ベースは少し存在感が薄くなったものの、少し前に加入したテナーのビル・アイヴスの伸びやかな声のおかげで、このグループは一つの黄金期を迎えることになりました。
彼らはデビュー当時から「マドリガル」を重要なレパートリーとしており、コンサートでは必ずマドリガルのコーナーがあって、楽しませてくれていました。そんな彼らをホストにして、マドリガルが生まれた土地を巡って、実際にそれらが歌われたであろう歴史的な建造物の中で彼らに歌ってもらう、という番組は、まさにうってつけの企画だったに違いありません。この一連の1本30分ほどのシリーズでは、フランス、ドイツ、スペイン、イギリス、イタリアという順に、そんな「キングズ・シンガーズ in ○○」が展開されることになります。それぞれの番組ではメンバーがMCを担当しているのも一興、彼らのとてもきれいなクイーンズ・イングリッシュも、番組に華を添えています(残念ながら日本語字幕はありません)。5つの国にそれぞれ1人ずつのメンバーが付くと一人余るので、イギリスだけはジェレミー・ジャックマンとコリン・メイソンがダブルMCになっていますが、それはこの時点での新加入メンバーとしての扱いなのでしょうね。
当然のことですが、彼らが古いお城の中や由緒あるビアホールなどで歌っている映像は、すべて「口パク」です。この番組の収録に先立って、1983年にスタジオで録音が行われ、それらの一部が番組の中で用いられるのと同時に、別の選曲で2枚組のLPもEMIから番組と同じタイトルでリリースされています。それを1枚のCDにしたものがこれです。ジャケ写は「イタリア編」での衣装ですね。
ところで、このタイトル、1967年に作られたザ・ビートルズの「Magical Mystery Tour」という曲のもののパロディであることに気づいた方はいらっしゃるでしょうか?彼らはもちろんビートルズの曲も録音していますし、何よりイギリス人がこよなくこのロック・バンドを敬愛していることが、こんなところからもうかがうことが出来ます。日本語だと「マドリガル」と「マジカル」では音節数が違うので「似てない」と思うかもしれませんが、この映像の中では「Madrigal」という単語はほとんど「マリガル」と聞こえますから、これはぴったりハマっているのですよ。
キングズ・シンガーズのバックではアンソニー・ルーリーと「コンソート・オブ・ミュージック」が時折「伴奏」をしていましたが、このDVDでは5本の「ツアー」の前に置かれた「A Century of Music」という、シリーズ全体のイントロダクションとなる1時間番組の中では、コーラスとしての「コンソート・オブ・ミュージック」が登場しています。エマ・カークビーとかイヴリン・タブといった、当時の「カリスマ」が歌っている姿を見られるのが、実はこのDVDの最大の魅力でした。

DVD Artwork © Arthaus Musik GmbH


10月1日

The Song of the Stars
British Music for Upper Voice Choir
Christopher Finch/
Wells Cathedral School Choralia
NAXOS/8.573427


「アッパー・ヴォイス・クワイア」というのは耳慣れない言葉ですが、要は「上の方の声部による合唱」ということです。冷蔵庫には入れません(それは「タッパー」)。和声学の教科書に出てくるような4声体の混声合唱では、楽譜はピアノと同じように2段になっていて、上はト音譜表、下はヘ音譜表で書かれています。その「上の方」に書かれているソプラノとアルトのことを「アッパー・ヴォイス」、反対に「下の方」に書かれているテナーとベースを「ローワー・ヴォイス」と呼ぶのです。
もしかしたら、「テナーにもト音譜表が使われているではないか」とおっしゃる方もいるかもしれません。確かに、2段しかない楽譜ではテナーはヘ音譜表の中にありますが、きちんと各声部を1段ずつ使った4段の楽譜では、テナーはト音譜表で書かれます。しかし、よく見ると、そのト音記号の下に小さく「8」という数字があることに気づくことはありませんか(ないものもありますが)?そう、正確にはテナーが歌っている音は、ト音譜表の上での音よりも1オクターブ低い音なのです。つまり、ト音譜表で書いたときには、テナーは「移調楽器」として扱われているのです。それを表わすためにト音記号の下に「8」という数字が付いているのですね。
ですから、「アッパー・ヴォイス・クワイア」というのは、実音でト音譜表に収まる声だけで歌われた合唱、ということになりますね。具体的には女声合唱と児童合唱がこれに相当します。あるいは、アルトのパートを成人男声が歌う場合もあるかもしれません。
今回のCDで演奏している「ウェルズ大聖堂スクール・コラリア」という団体も、やはり女声合唱団です。この大聖堂に付属の学校の生徒たちの中からオーディションによって選ばれた24人のメンバーから成る、2012年に結成されたばかりのとても新しい合唱団です。
彼女たちが歌うのは、古くはホルストから、最も若い1978年生まれのタリク・オレガンまでのイギリスの作曲家の作品です。合唱の世界では有名なヒット・メーカーが並びますが、これが世界初録音という作品が結構あるので、そういう意味では貴重なのではないでしょうか。「参考音源」というやつですね。
最初に歌われるのが、そんな世界初録音の一つ、このアルバムのタイトルにもなっているボブ・チルコットの「The Song of the Stars」。いかにも彼らしい、適度に体が動いてくるような軽快なリズムの作品、彼女たちはそんなリズムに軽々と乗って歌います。ちょっとだけ、口先だけの演奏のようにも感じられますが、それはおそらくこの作曲家の資質から来るものなのでしょう。
ホルストの有名な「リグ・ヴェーダ第3番」も、とても素朴な演奏が好感度の高いものですが、やはり何か上っ面だけをなぞっているという感は否めません。おそらく、それは彼女たちの作品に対するシンパシーの問題なのかもしれません。
ですから、そういう意味で、ジョン・タヴナーの曲が始まったらそれまでになかった何か熱い思いが感じられるようになったのは、単なる偶然ではなかったのでしょう。それまでの、ちょっとよそよそしい感じが、「Ikon of Saint Hilda」という少し前の作品では完全に払拭されて、この合唱団のポテンシャルが満開になったような充足感を味わうことが出来ました。ただ、ここで演奏とは全く関係のないところでの問題が発生します。続く、いずれも世界初録音(タヴナーの作品でも、まだそういうものがあったのですね)の「Theotoke」と「Agnus Dei」が、それぞれの演奏時間は正しいのですが、タイトルが入れ替わっていたのです。まあ、このレーベルではよくあることですが、困ったことですね。もちろんNMLでもそのまんまです。
それと、やはりナクソスは、と思ってしまったのが、音のあまりのしょぼさ。いくらCDでもこれではあんまり、最近のハイレゾの録音を聴きなれた耳には、とても耐えられません。

CD Artwork © Naxos Rights US, Inc.


9月29日

ZOFO Plays Terry Riley
中越啓介(Pf)
Eva-Maria Zimmermann(Pf)
SONO LUMINUS/DSL-92189(CD, BD-A)


「惑星」で素晴らしい演奏を聴かせてくれたピアノ・デュオのチーム「ZOFO」の新しいアルバムです。ジャケットがUFOみたいですね。もちろんこのレーベルですから、普通のCDの他に2チャンネルとマルチチャンネルが収録されたBD-Aが入っています。2チャンネルの場合は24/192という最高のスペック、しかし、オリジナルの録音は24/352.8のDXDによる、7.1サラウンドです。
「惑星」での目の覚めるように爽快なテクニックの冴えが印象的だったチームが、今回はテリー・ライリーを取り上げた、というのに、まずかなりの違和感がありました。「ミニマル・ミュージックの始祖」として多くの人から崇められているライリーの音楽は、その代表作「in C」で見られるような、かなりの自由度を持ったおおらかなものだ、という印象は決して拭うことはできません。さらに、数少ないライリー体験の中でも、純正調に調律されたオルガンによる夜を徹しての即興演奏なども、彼のオリジナリティを象徴するものとして刷り込まれています。
しかし、ここで取り上げられている作品は、そのような「不確定」なものではなく、4手ピアノのためにしっかりとすべての音符が楽譜として「書かれて」いる音楽なのですよ。多くの「現代作曲家」と同じように、彼もついに「普通の」作曲家に成り下がってしまっていたのでしょうか。このデュオ・チームの日本人の方のメンバー中越さんが、「私が最初に体験したライリーの作品『in C』と、4手ピアノのための作品があまりにも違っていたので、本当に驚いた」と語っているぐらいですから、それは誰しもが感じていたことなのでしょう。
いつライリーがそのようなスタイルに「変わって」しまったのかはよく分かりませんが、このアルバムで演奏されているメインの作品が含まれる「The Heaven Ladder」という曲集の「第5巻」は、アメリカのピアニスト、サラ・カーヒルの委嘱によって作られました。最後に演奏されている「Cinco de Mayo(5月5日)」という曲に出会った彼らは、それを機会にライリー本人とコンタクトを取ることになり、ほかの曲も紹介してもらったということです。そのうちのいくつかは、ライリー自身が彼らのために「改訂」してくれたそうです。
そのような、オリジナルの「4手ピアノ」の他に、クロノス・クァルテットからの委嘱で作られた弦楽四重奏の編成だったものを、彼らが4手ピアノのために編曲したもの、さらには、彼ら自身が委嘱した作品なども、このアルバムには収録されています。
まるでピアソラのような、ほとんどできそこないのタンゴでしかない、かつてのライリーの面影などはどこにもない音楽の応酬の中に身を置くのは、なんとも居心地の悪い体験でした。例えば、同じ「The Heaven Ladder」シリーズでも、別のピアニスト、グローリア・チェンの委嘱で作られた「第7巻」に含まれる「Simone's Lullaby」などは、ほとんど「ラ・フォリア」と見まがうばかりの平易な変奏曲ですし、「G Song」というクロノスのための曲なども、まるでヒット・チューンのような感傷的な「歌」に過ぎません。ZOFOのために作られた「Praying Mantis Rag」に至っては、中国風の大道芸人でも出てきそうないとも軽快なラグタイム、良くこんな曲をまじめに演奏したものだ、と思わずにはいられません。
唯一の救いは、先ほどの「チンコ・デ・マイヨ」という、カタカナで書くとちょっとヒワイな曲です。基本、陽気なラテン音楽なのですが、真ん中の部分にかつてのライリーを思わせるような内部奏法を用いた静謐な部分を見つけることが出来ました。
録音は、いくらスペックがハイレゾでも、エンジニアの耳が悪ければどうしようもないという見本のようなもの、BD-Aでは差音でしょうか、ピアノの弦同士の干渉の結果出てくる音がとても耳障りです。あまりに解像度が高いので、聴こえなくてもいい音まで聴こえてしまうという悪例でしょう。CDの方が余計なものが聴こえない分、ストレスを感じません。

CD & BD-A Artwork © Sono Luminus, LLC.


9月27日

The Puccini Album
Jonas Kaufmann(Ten)
Antonio Pappano/
Orchestra e Coro dell'Accademia Nationale di Santa Cecilia
SONY/88875092492


カウフマンは、おそらく今のオペラ界では間違いなく最も成功したテノールなのではないでしょうか。何故に「成功」というかはさまざまなご意見があることでしょうが、まずはそのファンの多さです。なんせ、日本の音楽雑誌には「今月のヨナス・カウフマン」という連載が掲載されていたほどですからね。そして、そのような「心情的」な尺度ではなく、もっと納得できるものが、レパートリーの幅広さです。スタート時はモーツァルトあたりだったものが、見る見るうちにワーグナーまで歌うようになって、「ドイツ・オペラ」の新しい星、と思われていたものが、いつの間にかヴェルディやさらにはビゼー、マスネといったイタリアやフランス物でも成功を収めるようになってしまいました。
それだけではありません。あまりご存知ないかもしれませんが、デビュー・アルバムがR.シュトラウスの歌曲集だったように、彼はオペラだけではなくリートの世界でも大活躍しているのです。ヴェルディとワーグナーを同時に歌える人ではプラシド・ドミンゴがいましたが、彼がリートを歌うのは聴いたことがありません。カウフマンに望むのは、間違っても指揮者への道を歩もうなどとはせず、ずっとこの素晴らしい声を聴かせ続けてくれることに尽きます。
今回のニューアルバムは、2014年9月にローマでのセッションで録音されたもの、全曲プッチーニのオペラからのナンバーというとんでもないものでした。彼がデビューしたころには、こんな「オール・プッチーニ・アルバム」が出来上がるなどと予想した人などいたでしょうか。それも、プッチーニの12曲あるオペラの中から11曲が取り上げられているのですからね。唯一欠けている「修道女アンジェリカ」にしても、これが含まれる「三部作」の他の2つ、「外套」と「ジャンニ・スキッキ」はちゃんとあるのですから、こうなると「ほぼ全作」と言っても全然構いませんし。なんせ、「妖精ヴィッリ」とか「エドガール」といった、今まで耳にしたことのない初期の作品の一部が聴けるのですから、かなりマニアック。
もっとメジャーな「トスカ」のカヴァラドッシあたりは、かなり前からステージで歌っていたようですし、2013年にウィーン国立歌劇場ではそれほど有名ではない「西武の娘」のジョンソン、2014年にはロンドンのコヴェント・ガーデンで「マノン・レスコー」のデ・グリューで大評判をとったというほど、最近はプッチーニづいているようですね。「西部」と「マノン」は近々その時の映像もリリースされるようですし。
実は、今回のアルバムの中では、カウフマンだけではなく、ほかの歌手も参加してアンサンブルも披露されています。そこでソプラノのロールを担当しているのが、リトアニア出身のクリスティーネ・オポライスというおいしそうな名前の人(それは「オムライス」)なのですが、彼女とは数か月前のコヴェント・ガーデンで共演していたばかり。しかも、その時の「マノン」は本来歌うはずだったアンナ・ネトレプコのキャンセルによる代役でした。その時の指揮者、パッパーノとともに、めでたくアルバムの最初は「マノン」からの4曲で飾られています。
オポライスは他にも「ボエーム」のミミと、「トゥーランドット」のリューも歌っています。このCDで音を聴く限りでは、彼女の声は「マノン」よりこちらの方がより魅力的に思えます。
カウフマンも確かに魅力たっぷりのロドルフォやカラフを聴かせてくれていますが、彼の持ち味であるストレートで強靭な声は、プッチーニの音楽とはほんの少し融けあわないな、と感じられるのも確かです。いや、しかしこれはこれでいいんです。プッチーニで変な軟弱さに染まったりしてしまったら、彼はもうワーグナーなんか歌えなくなってしまうではありませんか。そんなことになったら、世の「ヘルデン・ファン」たちが黙ってはいませんよ。

CD Artwork © Sony Music Entertainment


9月25日

The Lost Paladise
Arvo Pärt
Robert Wilson
Günter Atteln(Dir)
ACCENTUS MUSIC/ACC20321DVD(DVD)


アルヴォ・ペルトの生誕80年記念アイテムは、このところ怒涛のようにリリースされています。とは言っても、中には前回の「ヨハネ受難曲」のように単にそんな風潮に便乗しただけのお手軽な抱き合わせリイシューもありますが、今回の映像は正真正銘2015年に制作されたことが証明されていますのでご安心ください。
ここで描かれているのは、まさに「最新」のペルトの姿でした。メインとなるのは2015年5月12日に行われた新作「アダム受難曲」の上演の模様です。と言っても、厳密にはこれは新作ではなく、今まであった「アダムの嘆き」と「タブラ・ラサ」、そして「ミゼレーレ」という3つの旧作に、新たに序曲として「セクエンツィア」という、これはこのために作られたものを加えて一つの作品にしたものなのです。そして、それを「舞台上演」という形にしたところが、一つの注目点でしょう。つまり、演奏会場の客席の後ろでオーケストラと合唱団が演奏を行い、それに合わせて正面のステージでアクターやダンサーが動く、というものです。さらに、照明もかなり力が入っていて、そこでの「光」が音楽とシンクロするさまは、ペルトを聴く時の新しい形となるかもしれません。その会場は、エストニアのタリンにある「ノブレスナー・ファウンドリー」という場所で、かつてソ連時代に潜水艦工場だったところです。ペルトのオーガニックな音楽は、きちんとしたコンサートホールではなく、このような「廃物利用」の方が似合います。
この上演の模様は、このレーベルからやはりDVDやBDになって10月末にリリースされる予定ですから、ご覧になってみてください。そして、その上演のいわば「メイキング」として作られたのが、このドキュメンタリーです。こちらも同じく10月末にリリース予定なのですが、それに先立ってNHK-BSで放送されてしまいました。ですから、まるで代理店から早めにサンプルをいただいた、みたいなノリで見てみることにしましょう。ただ、BSはもちろんHDの画像なのですが、パッケージとしてはBDが販売される予定がなくDVDだけのようですので、ご注意ください。
この上演で演出を担当したロバート・ウィルソンが、ペルトとともにサブタイトルにクレジットされています。彼は、1980年代にペルトの音楽と出合い、その特別さに深く感銘を受けたと言います。制作発表の記者会見のシーンでは、いわば「宗教曲」であるこの作品の「宗教」をどのように舞台に反映させるのか、という質問に対して、「宗教は政治と同じく人と人を引き裂くものだから、それを舞台に持ち込むつもりは毛頭ない」と言い切っています。これは、おそらくペルトの作品に「宗教性」を求める人にとっては、ちょっと物足りないと感じるのかもしれません。しかし、この立場を全面的に支持しているのが、ここで合唱とオーケストラの指揮を担当しているトヌ・カリユステです。「彼はテキストではなく、音楽そのものを理解しようとしている」と。
ここでは、そのほかに多くの人たちがコメントを寄せていますが、カリユステとともにペルトの多くの作品に関与してきたポール・ヒリアーの場合は、カリユステとはちょっと異なるスタンスであることもはっきり分かるのが興味深いところです。というか、ヒリアーは本当の意味でペルトの音楽やその技法を理解しているのか、ちょっと疑問を持ってしまいました。
エストニアから、場面がいきなり東京に変わったのには驚きました。これは2014年に「高松宮殿下記念世界文化賞」受賞のために来日した時のショットでした。画面で見る東京の風景のなんと醜いことでしょう。それ以上に醜かったのは、授賞式でメダルを授与する人のなんとも尊大な態度。その仁王様のように大股を開いたいかにも「平民」を見下したような振る舞いも、しかし、ペルトは優しい心で許したのでしょう。そのまなざしは、次のとある神社でのシーンで幼稚園児と戯れる時のものと同じでした。

DVD Artwork © ACCENTUS Music GmbH


9月23日

WAGHALTER
New World Suite
Alexander Walker/
New Russia State Symphony Orchestra
NAXOS/8.573338


ドヴォルジャークがアメリカに渡って「新世界交響曲」を作ったのは1893年でしたが、それから半世紀近く経って、やはりヨーロッパからアメリカに渡った作曲家が今度は「新世界組曲」を作ったなんて話は、誰も知らないでしょうね。
その作曲家の名前は、イグナーツ・ワーグハルター、1881年にポーランドに生まれたユダヤ人です。このレーベルからは2枚目の作品集となります。今回の収録曲はそのほかに、オペラ「マンドラゴラ」からの序曲と間奏曲、そして、「マサリクのための平和行進曲」です。
彼は生きた時代と出自のために、紆余曲折の多い生涯を送ります。若いころから作曲家として認められ、さらに彼は指揮者としても、2つの歌劇場で修行の後、1912年にベルリンに新しくオープンした、後に「ベルリン・ドイツ・オペラ」となるオペラハウスの初代音楽監督となります。
すでにオペラも作曲していたワーグハルターは、1914年に彼のオペラハウスで2作目のオペラ「マンドラゴラ」を上演しました。これは一大イヴェントだったようで、客席には当時の名だたるオペラ作曲家、R.シュトラウス、ブゾーニ、フンパーディンクなどが座っていたそうです。
ここで聴ける「序曲」も「間奏曲」もとても素敵なメロディに彩られています。例えば「名曲アルバム」のような形で紹介されれば、絶対にみんなに「うける」こと間違いなしの曲です。
しかし、第一次大戦後に台頭してきたドイツの国家主義は、彼にとっては不利なものでした。1923年の「サタニエル」という民族的なプロットとテーマが用いられたオペラは、批評家からはさんざんに叩かれます。オペラハウスの破産もあって、彼は乞われてアメリカに渡り、ニューヨーク交響楽団(1928年にもう一つのニューヨークのオーケストラに吸収され「ニューヨーク・フィル」となる)の音楽監督となるのです。しかし、彼は1シーズン務めたところで故郷が恋しくなり、ベルリンに戻ります。
ヨーロッパにもどったワーグハルターは、また作曲や指揮活動に専念しますが、いよいよナチズムによる追求が厳しくなると、再度アメリカに渡る決心をします。その途中に寄ったチェコスロヴァキアで、1918年から1935年まで大統領を務めたトマーシュ・マサリクの退職を祝う曲を委嘱されます。それが「マサリクのための平和行進曲」です。とても格調が高く、隙のない構成には惹かれます。ここで彼は、自筆稿に、反ナチスの姿勢を持つマサリクに向けて「ゲットーを出て自由へ」という献辞を添えています。
1937年に再度ニューヨークにやってきたワーグハルターは、前回とは全く異なるサイドでの活動を始めます。それは、一流オーケストラには決して雇ってもらえない黒人の演奏家のために「アメリカン・二グロ・オーケストラ」を結成することでした。そして、そのために作ろうとしたのが、お待たせしました、「新世界組曲」です。彼は、前回の渡米の折に、アーヴィング・バーリンやジェローム・カーンそしておそらくジョージ・ガーシュウィンと知己になっています。そこで得られた「アメリカ音楽」のエキスを、この「組曲」に込めたのです。このオーケストラの結成と、ガーシュウィンが数年前に作った「黒人だけのオペラ」とは、無関係ではないはずです。
10曲から成るこの「組曲」は、それぞれに魅力が満載です。そして、アメリカっぽいと思われるのは、ラグタイム風のリズムと、フォスター風のメロディです。3曲目の「賛歌と変奏」の途中で出てくるテーマが、そんな、確かにどこかで聴いたことのあるキャッチーなものだと思ったら、それは「マルちゃん正麺」のCMでした。
この「組曲」は結局全曲が演奏されることはなく、オーケストラも解散してしまいます。200ページに及ぶ自筆稿は封筒に入って誰にも知られずにいたものが、2013年に発見され、ここにめでたく世界初録音となりました。もちろん、他の曲もすべて初録音です。

CD Artwork © Naxos Rights US, Inc.


9月21日

Lockrufe
Meininger-Trio
Christiane Meininger(Fl)
Miloš Mlejnik(Vc)
Rainer Gepp(Pf)
Roger Coldberg(Bass/guest)
PROFIL/PH15020


「マイニンガー・トリオ」のコンサートは、いつも満員だぁ。いや、そんなことは分かりませんが、「マイニンガー」と聞いてイメージしたのは、「シュワルツェネッガー」みたいな屈強な男の姿でした。でも、パーソネルを見てみるとそのマイニンガーさんはクリスティアーネ・マイニンガーという女性でした。ジャケット裏の写真見ると、屈強な男は残りの二人、ピアノのライナー・ゲップとチェロのミロシュ・ムレイニクでした。この、いかにも若作りのマイニンガーおばはんは、日本の着物の「帯」をワンピースに巻いているようですね。ただ、ドイツ人はともかく我々日本人は帯締めが「縦結び」になっている時点でもうこの人のファッション・センスを疑ってしまうことでしょう。なんたって、これは死装束の結び方ですからね
それはともかく、このおばはんを中心にしたトリオは、活発に同時代の作曲家に作品を依頼してそれを演奏しているのだそうです。今回のCDには全く名前を聞いたことのない6人の作曲家が、それぞれ1曲ずつ曲を提供しています。もちろんすべてが世界初録音です。
この中での最年長、1943年生まれのライナー・リシュカの作品のタイトルが、アルバムタイトルにもなっている「Lockrufe」です。鳥が求愛のために叫ぶ鳴き声のことだそうですが、特にメシアンのように鳥の声を認識させられるようなモティーフが現れるわけではありません。もっと内面的な意味での「求愛」を音で表現した、というところでしょうか。冒頭ではフルートだけで、まるで尺八のような音色の演奏が聴こえてきます。そんな瞑想的な作品なのかと思いきや、いつの間にかピアノやチェロによってなんだか「ジャズ」っぽいビートが流れてくるようになると、それはまさに「ジャズもどき」の音楽に変貌します。「もどき」というのは、マイニンガーのフルートがとてもどんくさくて(ブレスに時間を取っている間に、どんどんリズムから乗り遅れていきます)、いくらなんでもこれを「ジャズ」と呼ぶのはためらわれるからです。「ジャズの要素もほんの少し加味された現代の作品」、という感じでしょうか。4つの「楽章」から出来ていますが、「Langsam」とか「Luhig」といったドイツ語表記が、まるでブルックナーみたいで笑えます。そのくせ、終楽章は「Samba feel」と言ってる割りには、全然「サンバ」っぽくないのも粋ですね。
1994年生まれのライナー・エブル・サカルの「Wind Touch」という作品は、なんでも2015年のアンカラでの作曲コンクール(それが、どの程度のレベルのものかは分かりません)で1位を取ったのだそうです。この録音は2013年に行われたものですから、受賞したのはその後のことになります。タイトルの爽やかさとはうらはらに、ダークなテイストに支配された曲です。
1986年生まれのメフメト・エルハン・タンマンの「Water Waves」という、まるで武満徹みたいなタイトルの作品は、基本ミニマル、その中にドビュッシー風のスローなパーツが挿入されています。
1963年生まれのジョエル・クーリーの「Arabian Fantasy in Blue」は、タイトルに逆らわない、アラビア風の「ブルース」。
1955年生まれのケイト・ウェアリングの「Lotus」は、その名の通り、「真っ白なハス」、「ハスの夢」、「ハスの心」という2つの楽章から出来ていますが、細川俊夫ほどのエロさはなく、やはりミニマルっぽいテーマの繰り返しや、リズム・パターンがはっきりしている今風の作品です。
そして、1977年生まれのブラシュ・プツィハルの「Full Moon Trio」は、もろ中国風の音階が使われたリリックな作品です。チェロが奏でるとても美しいメロディをフルートが奏でると、なぜかとても下品なものに変わるといったように、このフルーティストの音楽的なセンスは、ちょっと別の方向を向いているような気がしてなりません。写真の帯締めが気にならない人であれば、もしかしたらこれは楽しんで聴けるものなのかもしれません。

CD Artwork © Profil Medien GmbH


9月19日

Mac MILLAN
St Luke Passion
Peter Dicke(Org)
Markus Stenz/
Netherlands Radio Choir
Netherlands Female Youth Choir
Netherlands Radio Philharmonic Orchestra
CHALLENGE/CC72671(hybrid SACD)


ジェイムズ・マクミランの新作、「ルカ受難曲」は、2012年から2013年にかけて作曲され、2014年3月15日に、アムステルダムのコンセルトヘボウで行われた「オランダ放送サタデー・マチネ」で初演されていまちね。その時のライブ録音がSACDでリリースされました。
これは、マクミランの「受難曲」としては2008年に初演された「ヨハネ受難曲」に続く2作目のものとなります。ただ、「ヨハネ」の場合は演奏時間は1時間半、オーケストラも合唱もかなりの大人数を必要としていましたが、今回の「ルカ」はそれに比べるとだいぶコンパクトにはなっています。演奏時間は73分ですので、CD1枚に収まりますし、オーケストラは基本的には2管編成ですが、フルートとクラリネットは1本だけ、トロンボーンとチューバは含まれないという少なめの管楽器、さらに、ティンパニ以外の打楽器も使われてはいません。ただ、ティンパニと金管が登場するときには目いっぱい大音量で迫りますし、さらにオルガンも加わりますから、「小編成」という感じは全くありません。それと、少なめの弦楽器がとても繊細な響きを披露する場面との対比が見事ですから、とても多彩な表現力が感じられるオーケストレーションです。
ところが、例によって参考のために代理店であるキングインターナショナルが作ったインフォを読んでみたら、「オーケストラの規模は、フルート、クラリネット各1本で、トロンボーンやチューバ、ティンパニを含む打楽器は含まれていません。」と、なんだか全然別のCDのインフォか、と思えるようなことが書いてありました。これは、ブックレットにある「a single flute and clarinet, no trombones or tuba and no percussion instruments apart from timpani.」を翻訳したものなのでしょうが、なんという語学力でしょう。きちんとした編成は出版元であるBoosey & Hawkesのサイトで簡単に知ることが出来るのに。
まあ、そんな「使えない」代理店の情報などはあてにしないに越したことはありません。なんたって、ブックレットには必要な情報はすべて載っているはずですから、それをきちんと読めばいいだけの話です。ただ、困ったことにこのブックレットにもなんだか怪しげなことが書かれているのですから、ひどい話です。この作品は、前作同様、聖書の福音書をそのままテキストに使っているだけで、それ以外の「コラール」や「アリア」はありません。そこで、とてもユニークなことにイエスが語る部分を「児童合唱」に歌わせているのですが、ブックレットではこの合唱団は「16歳以上の若いシンガーが、オランダ中から集まった女声合唱団」になっています。しかし、ここで歌っているのは「女声」ではなく、間違いなく「児童合唱」か「少年合唱」です。
もう一つ、歌詞はすべて英語なのですが、それがどこにも載っていませんし、公式サイトなど別のところにあるという案内もありません。これは重大な欠陥です。
全体は4つの部分に分かれています。「プレリュード」では、ルカ福音書の最初の方にある、聖母マリアが受胎告知を受けたときに唱える有名な賛歌「マニフィカート」からテキストが取られています。そして、その後は「受難」のシーンである「第22章」と「第23章」が続きます。そして最後に、「ポストリュード」として、「復活」と「昇天」の場面が歌われます。音楽はいつもながらの「マクミラン節」が満載、オーケストラのクラスターやグリッサンドをバックに早口でまくしたてる様は、まるで「ラップ」のようです。
曲の冒頭から、堂々とした合唱がティンパニだけをバックに盛大に聴こえてくることからも分かるように、この作品ではあくまでも主役は合唱です。ですから、時折聴こえるヴァイオリンのささやきの繊細さなど素晴らしいところがたくさんあるこの録音の中で、合唱のテクスチャーが完璧には再現できていないのが、とても残念です。

SACD Artwork © Challenge Records Int.


9月17日

BRUCKNER
Sinfonie Nr.7
Simone Young/
Philharmoniker Hamburg
OEHMS/OC 688(hybrid SACD)


「女子はブルックナーが嫌い」というのは、かなりの真実味を持って語られているフレーズです。「デートでコンサートに行くときに、ブルックナーの交響曲を選ぶほど愚かなことはない」という変形もありますね。確かに、まわりを見渡すと、「超」が付くほどのクラシック通と思われる女子なのに「ブルックナーのどこがいいのか、さっぱり分からないわ」っつー言葉を吐いたりする人がいたりしますからね。
そんな、女子からは冷たい目で見られているブルックナーですから、演奏する方でも女性指揮者が取り上げることはあまりないだろう、と思ってしまいますが、シモーネ・ヤングはそんな「偏見」をあっさり打ち破ってしまいました。彼女は、2005年から10年間総支配人・音楽総監督のポストにあったハンブルク国立歌劇場のピット・オケ、ハンブルク・フィルを率いて、ついに女性指揮者で初めてのブルックナーの交響曲全集を完成させてしまったのです。しかもSACDで。
2006年3月の交響曲第2番を皮切りに始まったこのチームによるブルックナーの録音は、2015年の3月に行われた交響曲第5番によって、全曲の録音が完成しました。その間、一貫して用いていたのは「初稿」でした。すべてが初稿でハイレゾのSACD、そして女性指揮者という三点セットも、もちろん史上初めてのことでしょう。
今回の「7番」に関しては、改訂は行われていませんから「校訂」が異なる2種類の原典版が存在しているだけです。元が同じなら、誰が校訂しても同じではないか、という一般論は、楽譜の場合は通用しないのは常識、ここでも、その「ハース版」と「ノヴァーク版」とでは、微妙に異なっています。最もわかりやすいのが、第2楽章のクライマックスで登場する打楽器の有無です。ヤングが使っている楽譜の出版元はブックレットに明記されていますが、それは「Musikwissenschaftlicher Verlag(音楽学出版社)」、これは、レオポルド・ノヴァークの校訂による楽譜です。ですから、さっきのところでは盛大にシンバルとトライアングルが鳴り響きます。こういう風に校訂者ではなく出版社の名前が表記されているのも、この全集の特徴です。
ヤングのブルックナーを初めて聴いたのは「4番」ですが、あれから10年近く経ってだいぶ貫録が付いてきたように、ジャケットの写真を見ると感じます。それはおそらく、もはや「女性指揮者」などという奇異な目で見られる対象ではなくなった、一人の円熟した指揮者としての貫録なのでしょう。とは言っても、彼女のブルックナーに対するアプローチは、「4番」当時と変わることはなく、ひたすらチャーミングにこれらの曲に立ち向かっています。特に、今回の「7番」は、もしかしたら全交響曲の中で最もチャーミングな作品ですから、思う存分彼女の持ち味が反映されています。
しかし、彼女の場合、時折一部のオタクによって「軟弱」と評されるこの作品の一つの側面を強調するようなことは決してありません。彼女が築き上げたのは、強靭なリリシズムがもたらす確固たる建造物のような美しい世界でした。そこからは、時折作曲家のオルガニスト、あるいは合唱作曲家としての姿さえ垣間見ることができるはずです。終楽章の最後に、テーマが再現される個所があります。ここは普通の指揮者ではテンポを落として、最後の粘りを見せるところなのに、ヤングはいともあっさり処理しています。これは、大仰な終止形を演出しなくても、ブルックナーの壮大な世界は十分に描き出すことができるのだ、という自信の表れなのかもしれません。
一つ問題なのは、その終楽章の頭の部分。トラックが変わるなり第1ヴァイオリンのテーマが始まりますが、本当はその前に1拍分第2ヴァイオリンのトレモロが入っているので、もっと前でトラックを切らなければいけないはずです。というより、そのトレモロ自体がここではなくなっています。これはかなり深刻。

SACD Artwork © Oehms Classics Musikproduktion GmbH


9月15日

ORTIZ
Gallos y Huesos, Notker
Tine Rehling(Hp)
Christopher Bowers-Broadbent(Org)
Paul Hillier/
Ars Nova Copenhagen
ORCHID/ORC100048


ポール・ヒリアーが首席指揮者を務めるデンマークの室内合唱団「アルス・ノヴァ・コペンハーゲン」のCDは、今までに主に地元デンマークのレーベルであるDACAPOからリリースされていました。そのほかにも、HARMONIA MUNDIからのものも有ったでしょうか(HMでは、同じヒリアーが指揮をしていてメンバーも重なっているシアター・オブ・ヴォイセズとの共演)。しかし、彼らの最新のCDが出たというのでチェックしてみたら、それはなんとイギリスのレーベルORCHIDからリリースされているではありませんか。このレーベル、イギリスの合唱団のものなどは多少出しているようですが、なんでデンマークの合唱団?という気がしてしまいます。まあ、指揮者のヒリアーはイギリス人ですけどね。
しかし、製作スタッフの名前を見てみると、プロデュースもエンジニアリングもDACAPOレーベルではおなじみのプレヴェン・イヴァンでした。ということは、原盤製作にはタッチしないで、販売だけを担当した、というケースなのでしょうか。こういうグローバルな商売の実態というのは、分かりづらいところがあります。
ただ、そういうことであればサウンド的には今までのDACAPOと同じものが保障されるのですから、聴く方としてはありがたいことです。おそらくマスターはDXDで録っているのでしょうから、ただのCDだというのが、ちょっとなんですが。
このアルバムで自作を披露しているのは、ヒリアーとは昔からの友人であるアルゼンチン出身の作曲家、パブロ・オルティスです。1956年に生まれ、若いころからタンゴとアーリー・ミュージックに夢中になっていたのだそうです。もう30年も前からアメリカで活躍しています。
ここで演奏されている2つの合唱作品は、なんともとっつきにくいタイトルとテキストです。まずは「おんどりと骨」という、とてもシュールなタイトルが付けられたソプラノ3人、アルト2人、バリトン1人とハープのための作品です。セルジオ・チェイフェクという作家によって書かれたスペイン語のテキストは、とても難解。一応ブックレットに英訳もありますが、何回読んでも理解できません。仕方がないので意味を考えるのは諦めて、ひたすら音楽に浸ることにしましょうか。聴こえてきたのはハープの伴奏に乗って、まるで風のように漂っている女声合唱でした。抑揚の少ないそのメロディは、積極的に何かを表現しようという意志を完全に捨てているかのように思えます。何しろ、ジャケットには堂々と「不可解な音楽」と書かれているのですからね。それに加えて「タンゴがヒント」という、さらに「不可解」さを募らせる言葉が続きます。この曲のどこから「タンゴ」を聴きとればいいのでしょうか。
そこへ行くと、もう一つの「ノートカー」の方が、まだ引っかかりが感じられます。こちらは男声だけ8人のアンサンブルで歌われますが、そこにオルガンが加わるという編成です。なんでも、この「ノートカー」というのは1000年以上前に実在していた歯が抜けてドモリの修道僧なのだそうです。その人が作ったとされるラテン語のテキストをヒリアーに見せてもらって、オルティスは曲を作ろうと思ったのだそうです。オルガンだけで演奏される部分もありますが、それらを含めてかなり尖がった作風、前の曲に見られたような流麗さは全くありません。ただ、それはいわゆる「現代的」な無秩序の世界ではなく、それこそ中世のペロタンあたりが作ったオルガヌムのような、まだ西洋音楽の洗練が形成される前の音楽のようなテイストが感じられるものでした。確かに、この時代の音楽には、「ドモリ」を思わせるような要素もありましたね。そして、それが作曲家の「アーリー・ミュージック」志向と一致したのでしょう。
録音は、予想通り素晴らしいものでした。ただ、やはりそれはCDの範疇でのこと、本来のハイレゾでぜひ聴いてみたいものだという望みは、当然起こってきます。

CD Artwork © Orchid Music Limited


おとといのおやぢに会える、か。



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