Cyber Japanesque 2001年10月〜2004年11月日記帳


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2004/11/6

★★★★☆ 十一月顔見世 歌舞伎座 "吉田屋 廓文章"

 上方の和事スタイル、女に身をやつすボンボンの話を、こってりとおかしみを混ぜて演じる雁治郎。匂い立つオーラ有り。

 久々の歌舞伎であった。顔見世興行という割には、吉右衛門さん、仁左衛門さんもいるが、人も演目も少々こじんまりとしている感じを受けた。しかし、上方の和事スタイルを、じっくりと初めて観た、"吉田屋 廓文章"が良かった。この1年ほど、仕事で大阪出張が多く、東京とは異なる、人情味ある大阪の人や文化に惹かれているところでもあるので、興味深く観た。廓文章を初めて観たが、雁治郎さんがいいねぇ。情けなく落ちぶれて舞台に現れた時でさえ、福々として白い顔から、匂うオーラが出ているのだ。何というか、新之助なんかの直線的な後光ではなく、フワッとした柔らかい光である。あのちょっとプクッとした頬っぺたのせいもあるのだろうか・・・笑。

 雀右衛門 夕霧に恋焦がれ、恋敵のお座敷に出ているのに、嫉妬に地団駄踏んでいるくせに、いざ夕霧が訪れてくれると、わざと冷たいつれないフリをする。こういう男女の駆け引きも、上方風なのかな。そうして結局は、お互いに熱くラブラブ状態となる。そうして、最後には勘当も解かれるという、無理やりハッピーエンドというのも、大阪らしく笑いを誘う。40歳を超えると、あのこってりとして、ホロリとさせ、人情味を感じる人間関係はええのぉ・・・。上方歌舞伎、面白し。


2004/8/16

 記録的な真夏日も一段落をした日に、歌舞伎座に向かった。

 ★★★★☆ 八月歌舞伎座 東海道四谷怪談

 夏といえば、"四谷怪談"であろうか。2000年の夏にも、橋の助−勘九郎、三津五郎(当時は八十助)−福助の黄金のカルテットの四谷怪談を見ている。前回カッコ良さが心に残った橋之助ももちろん良いが、今回は勘九郎のさんの上手さが光る。

 圧巻は、隣家であり夫 伊右衛門を奪おうとたくらんでいる伊藤家より届けられた毒入りの薬を、有難そうに飲むシーン。姦九朗が、これでもか、これでもかと、病気が良くなる期待にうち震える姿を演じる。"伊藤様・・・"と手を合わせて拝むシーンから、薬の粉を一さじ残らず飲もうと、薬を包む紙までも、縦にして、横にして、粉を大切に飲むシーン。ねちっこい演技が、上手い。いやぁ、このネチネチと感謝を演技で表すところはさすが。 そして、恐ろしい顔にお歯黒を塗り、髪を梳くと抜け落ちる姿。観客を一気に怖がらせる演技。

 大詰めで、観客席に幽霊が隠れていて観客を脅かすのも、以前は1回だけだったが、今回は6回程度"キャー"という歓声が上がる。ここら辺は、勘九郎さんのサービス精神の表れかな。

 ということで、NY公演を無事終えた勘九郎さんが、ますますその世話物的な役での演技の華を咲かせている。是非皆様、ご覧下さい。


2004/8/8

 8月2日から8月6日まで、夏休みで種子島に行ってきました。1543年にポルトガル船が島の南に流れ着き、半年間滞在した時に、鉄砲を伝えたという島。そして、鉄浜(かねはま)なる砂鉄をたっぷりと含んだ浜も島にある。日本の戦国時代の戦え方を変え、インターネットがベンチャーを上場させるように、織田信長に天下を取らせた変化の源となった島。

 そして今は、宇宙センターがあり、H-UA他のロケットを打ち上げている島。宇宙センターは、広大で自由に車で構内を走れる。センターの中に、海水浴場と漁港とサーフポイントがあるのがユニーク。宇宙科学センターは、入場無料であり展示物は大きいが、面白さや体験性でもう少し工夫が必要かな。もっと、子供目線になっても良いかもしれない。

 売り物はなんといっても"海"。たまたま8/7の日経プラス1でも、"砂浜のきれいな海水浴場"で第四位になった"浦田海水浴場"。種子島の海水浴場は、人がいるのが珍しいくらいですが、ここの浦田海水浴場はさすがに30人から50人くらいの人がいました。浜に立っている簾を屋根にした"プライベート海の家"が、程よく陽の光を防いでくれ、心地よかったです。金曜日のせいかもしれませんが、売店は閉まっておりました(笑)。

 私は、サーフィンをするのが主な目的で行き、波を独り占めにできる機会も多かったので満足だったのですが、この人のいなさは凄い。普通の観光客は、隣の島の"屋久島"にきっと行くのでしょう。とにかく売り物は海・海・海・・・。なぜか、新空港を作っており、島内が中途半端に開発されているのが、少々心配かな。ということで、テレビ東京の坂口憲二 "この夏は忘れない"のような夏休みでした。

0806_TANEGASHIMA1.JPG - 6,621BYTES宇宙センター横(灯台下) 0806_TANEGASHIMA1.JPG種子島いわさきホテル前(ホテル前) 0806_TANEGASHIMA1.JPG浦田海水浴場


 

高浜(長崎県五島市)=写真 320
五島列島・福江島にある遠浅のビーチ。潮の干満で面積が変わる白い砂浜と青い海のコントラストが美しい
白浜中央(静岡県下田市) 310
南伊豆で最も有名な白浜大浜海水浴場の北側に隣接する白砂の浜。波は比較的おだやかで磯遊びも可
ブセナビーチ(沖縄県名護市) 270
部瀬名岬にある高級リゾートホテルの眼前に広がるビーチ。760メートルも続く白い砂浜にはパームツリーが並ぶ
浦田(鹿児島県西之表市) 260
種子島北部の入り江にある。森に囲まれた白い砂浜はウミガメの産卵場所としても知られる
白良浜(和歌山県白浜町) 250
600メートル続く遠浅の砂浜を持つ関西屈指のビーチリゾート。ケイ酸に富む石英砂は日本一の白さを誇る
エメラルドビーチ(沖縄県本部町) 240
海洋博記念公園内に造成された約6万平方メートルの人工ビーチ。真っ白なコーラルサンドがまばゆい
大浜海浜公園(鹿児島県名瀬市) 200
豊かな自然を残す奄美大島の浜。「ゴールドビーチ」と呼ばれる黄金色の砂浜にはウミガメが産卵に訪れる
浄土ケ浜(岩手県宮古市) 190
真っ白な玉砂利の浜と、海から突き出た白い石英粗面岩、緑の松林、そして紺ぺきの海の景観美
御座白浜(三重県志摩町) 190
志摩半島の先端に位置する遠浅の浜で波も穏やか。真っ白い砂浜と透明度の高い海は南国気分満点
10 由良(山形県鶴岡市) 180
白砂の砂丘と日本海に沈む夕日、間近に見える白山島が織り成すパノラマ。渚に隣接して温泉もある
出所:日経新聞 日経プラス1


2004/7/19

 2ヶ月ぶりに歌舞伎座へ。歌舞伎に初めて行く友人と一緒に行ったので、一幕見席ではなく、B席をとったのだが、これがカメラマンの篠山紀信に邪魔をされて残念な結果に終わった。

 ★★★☆☆ 七月歌舞伎座 桜姫東文章

 有名な演目だが、私は観るのが初めてだった。しかもいつもは一幕見席なのだが、今回は歌舞伎初体験の友人とということで、奮発してB席へ。一階の真中の後ろだった。ところがこれが大失敗。TVカメラ2台の横に、頭の大きい篠山紀信が2台のカメラをさらに並べ、バシバシと通路の真中で写真を撮る。玉三郎を追っていて、私も玉三郎さんが好きなので、玉さんが出てきて気分が盛り上がると、バシバシと大きい音で写真を撮る。今の一眼レフは音が小さいが、きっと6×7あたりで撮っているのだろうが、とにかく音が大きい。おいおい、若い女性の裸をスタジオで占有で写真を撮っているのと違うんですよ。しかも、下手だと思ったのは、とにかく筋の展開とは関係なく、5秒に一回は、バシッバシッとシャッターを下ろす。筋を先読みしてくれて、静かなシーンとかは遠慮をしてくれるならば、まだ有難いが、一定の間隔でシャッターを下ろすので、気が散ってしまう。 あれだけシャッターを下ろして、ドテンと一番良い場所を確保をすれば、誰でも良い写真が撮れると思いました。隣の隣の1名の方は早々に怒って帰ってしまい、隣の方は文句を言って席を替わってもらったようです。松竹さん、きちんと同じお金を払っているのですから、カメラマンを隔離するか、事前に周りに了解を取るか、祝日を避けるか、配慮が必要なのではないでしょうか。

 ストーリーは確かに荒唐無稽で、これぞ歌舞伎という変化自在。段治郎さんも、背が高く玉三郎さんと釣り合い、橋之助ばりの悪人役が、似合っていました。新たなスター誕生という感じがしました。玉三郎さんも、女郎屋帰りから声のトーンが低くコミカルになり、しかし要所では少年美に近い純な美しさを醸し出していて、さすがです。昼の桜姫東文章の上の巻も、是非観たいですね。玉三郎と段治郎に大きな拍手を!集中できれば、四つ星はいったでしょう。

 ★★☆☆☆ 七月歌舞伎座 義経千本桜

 うーむ、玉三郎さんが出ないので、篠山紀信は消えたが、ちょっと途中で鼓と別れるシーンの引っ張り方が、少々だれました。右近さん、一本気な演技は良いが、シンプルにしても良いと感じました。まぁ、千本桜の狐忠信の幕は、もう猿之助さんから数えて5回目くらいだと思うが、スピード感が必要だと感じました。初めて見た友人も中間は、少々眠くなってしまったとのことでした。 やはり七月は、一幕見で桜姫を見ることをお勧めします。


2004/5/25

 久しぶりに仕事がはやく終わり、千秋楽の歌舞伎座へ逃亡。しかし、勧進帳は少し遅れていったら、既に入れなかった・・・涙。成田屋の半被を着た、一幕見席のお兄さんに聞いたら、魚屋宗五郎でも新之助が最後に出るというので、気を取り直して30分後に列に並ぶ。

 ★★★★☆ 五月歌舞伎座 十一代目海老蔵襲名披露 "魚屋宗五郎"

 以前勘九郎の"魚屋宗五郎"を見たことがあり、その軽妙洒脱な演技が頭に残っている。元坂東流ということで、三津五郎さんを贔屓にしたいが・・・苦笑。最初から三津五郎さんの言い回しの影に、どうしても勘九郎が重なる。正直に軽い庶民的な口調は、圧倒的に勘九朗が上手いですね。お酒を飲んで、目が座ってきたところからは、真面目さが漂う三津五郎さんも独自の味が出てくる。完全に顔を動かさず、目も動かさず、正統な凄みがあるね。

 殿様のお屋敷に行って、玄関で酔っ払い暴れるシーン。ここも自然に勘九郎が脳裏に。「ご家老さま・・・・ご苦労さま」なんていう勘九郎が言っていたオヤジギャグを、三津五郎が言うかドキドキしていたが、今回は言わなかった。(苦笑)。顔にかかるほつれ毛が、ちょっと三津五郎さん色っぽいぞ。でも酔っ払っていた場面から、ご家老様の前で正気に戻るところは、少々服装も含めてやつれ過ぎかなと思った瞬間、海老蔵の殿様登場。これが薄水色の着物で、凛々しいのだよ。三津五郎演じる宗五郎の妹を手打ちにしてしまったことを、潔くわびるかっこよさ。オーラが漂っていたね。千秋楽だったが、海老蔵の声の通りも良かったので、一安心。"大和屋" "成田屋"という大向こうも何度かかけて、すっかりストレス解消をさせてもらいました。

 襲名公演、千秋楽の凛々しい殿様役での幕が下りてくる最後の瞬間、海老蔵の顔が、ちょっと疲れが漂っていたが、口元に一瞬不適な笑みが走ったのを私は見た。来月の"助六"に期待!

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2004/4/21

 とても変わったイベントを見た。渋谷にて。

★★★★☆ 初代彫蓮 刺青写真展「一蓮托生」 at LE DECO  4/21〜5/1

 渋谷の若者の多い雑踏を歩き、白いギャラリーの黒いエレベータを上がる。エレベータの扉が開くと、鮮やかな花束と甘やかな香り。

 一歩個展のスペースに足を踏み入れると、色とりどりに飾られた人の肌の波。カラフルではあるが、アラーキーなんかのベトリとした湿り気のある鮮やかさとは異なる、肌の柔らかい自然の湿り気の漂う静謐なる鮮やかさ。

 人はなぜ、身体に刺青を纏うのだろう・・・。己の背負うものや業をあらわすために彫り物を纏うのか、己に何も無いから彫り物を纏ってみるのか・・・。

 老若男女入り混じり、色々な人が刺青を入れています。それも、図柄も肩に鶴を入れるシンプルなものから、全身におどろおどろしい観音様まで。素直に、これだけの彫り物に威圧されます。彫蓮さんの実演も行われています。最近だと芥川賞の「蛇とピアス」にも麒麟の刺青を主人公が負うことで、微妙に生き方に変化を与えて行きます。そういう意味ではとてもタイムリーな企画ですが、ただただ哲学的にこの意味合いを考えてみるだけのパワーを持っています。世界でもこれだけ精巧に彫り物をするのはきっと日本だけでしょう。そもそも裸の身体の上に服や着物を纏うのが人間ですが、なぜその中間に身に傷をつけて絵を描くのか。もちろん、1)華やかな動物や鳥の如く相手を威嚇するため、2)羽織の裏に絵を描くような粋さの表現、3)歌舞伎の隈取の様に力強さを表す、等の意味合いがあるのでしょうが、もっと違う何か精神的なものを感じさせる迫力です。

 個人的には、少しだけ女性の横顔が写っており、肩に可憐な鶴の舞が入っている写真が好きですね。やはり、身体と刺青と、そしてプラスアルファがあった方が、ストーリーを想像するという楽しみができるのでしょうか。

 なお、今回の個展の全ての彫り物は、彫蓮さんという女性が一人で彫ってきたもので、それを3人のカメラマンが撮った企画です。母親と子供の写真や映像も微笑まし。

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2004/2/12 

 今月も歌舞伎座に玉三郎登場。それに仁左衛門に団十郎と豪華舞台。

 ★★★★☆  "三人吉三巴白波"

 一幕見席で三幕目と大詰を見ました。大詰で、深々と雪が降る中での、玉三郎、仁左衛門、団十郎の立ち回りが素晴らしい。舞台を見ているうちに陶酔をしてしまいました。

 本当は、序幕から通しで見られると、この込み入った黙阿弥の世界を、よりストーリーが楽しめるのかな。そして、玉三郎初役の、男が女装をして盗賊をしているお嬢吉三が、ちょっとドスの効いた声で、たまに少しだけ色気を放ち素敵だ。仁左衛門 お坊吉三と二人で、死のうと決意して、玉三郎 お嬢吉三の紅い襦袢に紫の振袖が、ひざを立てて座った仁左衛門 お坊吉三の肩にハラリとかかった見栄の美しさ。ただし、三幕目は少々団十郎 和尚吉三が、少々でくの坊的な大味な演技かな。玉三郎と仁左衛門が繊細なので、大雑把に映るのかな。

 ところが大詰めのこの完璧なる美は、筆舌に尽くしがたい。是非 オペラグラスで、玉三郎の表情に注目をして見るべきである。離れ離れになった愛しき仁左衛門 お坊吉三とめぐり合ったうれしさ、恩のある団十郎 和尚吉三を救おうというキリッとした決意の表情、そして、追っ手に縄を用いて捕らえられそうになる苦悩の表情。紅い振袖で、必死に立ち向かい、慣れない手を振り?追っ手と戦う姿が必死で、愛しい。そんな合間に描かれる、仁左衛門 お坊吉三が屋根の上で戦う際の、水色の布とニヒルな表情に、こちらもため息が出る、かっこ良さである。

 最後は大団円で、幸も不幸も結論づけず、余韻を残して終わるところもいいな。観客の心の中で、彼ら三人にネバーエンディングストーリーが続くのだろうか。

 是非 一幕見で、雪降るシーンの大詰めだけでも、双眼鏡で表情をじっくりと見ながら、味わって下さいな。


2004/1/31

 1/18に歌舞伎座に"二人道成寺"を観に行って、まだ報告をしていませんでしたね。失礼!

 ★★★★★ 寿初春大歌舞伎 "京鹿子二人娘道成寺"

 一幕の人気も凄かった・・・。20分前に行きましたが、長蛇の列。天気の良い日曜日の夜だったせいか。列がいったんくぎられて、入場者数をカウントして、余り席20人分ということで、何とか滑り込みました。私の後ろにも列は長かったが・・・。

 菊の助と玉三郎の二人の舞の競演は、煌(きら)びやかで、眩暈がするような眩(まぶ)しさであった。

 どうしても二人で出てくると、比較をしながら見てしまうのだが、やはり私は玉三郎の美しさにゾッとして惹かれてしまう。ということで贔屓目があればご容赦を。

・二人が手を胸の前に持ってくるときには、菊の助に比べ、玉三郎の方が下で手を添えるのは、役のうえの年齢設定でしょう。でも、二人がまったく同じ衣装を着けているので、よくそれがわかる。これは、日本舞踊で習った通りかな。

・例えば鞠をつくような仕草の時に、上半身を前に出すシーンでは玉三郎の方が所作が綺麗だ。上半身を曲げるときに、まず微妙に胸を前に出して、その後に頭を下に持っていく。こんな細かいところが、玉三郎の醸し出す色艶の秘密か。(まぁ、玉三郎の色艶も賛否両論あるが、私はもちろん賛成である)

・化粧のせいか、元々の表情のせいか、眼の強さのせいか、菊之助は顔が平板に見えてしまう。踊りの中で、たまに鐘を見上げるときだけ、玉三郎の眼光が恋に焦がれての憎しみのせいか、ギラリと光るんだよね。最後の下がってきた鐘に登っての大見得のシーンでも、あの眼光のビームを見るだけでも、玉三郎の表現力は凄い。それに引き換え、菊之助は表情がいつも同じかな。

・全体的には、さすがに二人がきらびやかな衣装を着て、二人がそろって舞うと、眼がつぶれるかと思うくらいキラキラと美しい。並大抵ではなく、このオーラと美のレベルは高い。別の世界に入ってしまうかと思ったくらいだ。

 ということで、正月らしい豪華絢爛な企画。一回しかいけなかったので、もっと何度も味わいたかった濃密な時間。


2004/1/5

 お正月の雰囲気も残り、着物姿の女性もいつもより多い歌舞伎座。

 ★★★☆☆  寿初春大歌舞伎  "仮名手本忠臣蔵  九段目  山科閑居"0105_KABUKI.JPG

 新春らしい豪華な配役。幸四郎 大石由良之助の息子、新之助 力弥に嫁入りを願いに来た、娘の菊之助 小浪と義理の母 玉三郎 戸無瀬。菊の助と玉三郎を邪険に扱う由良の助の妻 勘九朗 お石。そして、菊の助の父 玉三郎の夫であり非業の死を遂げる団十郎 加古川本蔵。これだけのメンバーだけで芝居をするのだから、大向こうも各種かかる。

 菊の助、玉三郎、勘九朗の三者が演じる夫々の女性像を見比べるのが面白い。嫁入りを拒否された後の、菊の助と玉三郎の二人の美しさ。白無垢の菊の助と、真紅の玉三郎の紅白の対比の美しさ。深刻な顔の似合う菊の助の顔立ちの端正さが似合う。二人が向かい合い両手を握り合い、互いに顔を見合わせながら身体を揺らすさまは、二人とも悲しみと揺らぎかねない自決への決意も込められ、見とれてしまう。二人とも声が通るところも、一幕見席の私にとってはありがたい。

 この二人に夫の首を差し出せと絡む勘九朗も、討ち入りで死に行くであろう息子に嫁がすわけには行かないと心に秘めつつ、意地悪な様子の演じ方が良い。勘九朗の女性役は、道成寺のような美しい女性役よりも、意地の悪い役が上手いねぇ。味わいが出る。

 そうして、出番は少ないが、新之助の演技も基本どおりで良い。初々しさ、清々さも残り、少しだけ頬に赤さも浮くような、若者。そうして、憎き吉良邸の図面を団十郎から贈られ、その攻略方法の試しということで、庭の竹を使い窓を破ってみるさまの、綺麗な見得も決まる。主役ばかりでなく、脇役でも基本動作に忠実に、そしてそんな中でも存在感を示す姿は、奥の深さを感じました。今年の襲名に期待がかかる。

 ということで、今年も一幕でふらりと歌舞伎を楽しもうと誓った一日でした。


2003/11/9

 NHKの大河ドラマでは、ついに寺島しのぶ あやを破り、写真集SHINNOSUKE1.JPG - 4,479BYTESに加え、SHINNOSUKE1.JPGまで出した新之助。"新悪名"なる1962年の大映映画を見たのだが、そこに出てくる若い勝新太郎にとても似ていると思ったな。勝新太郎は復員帰りのいがぐり頭。新之助はスキンヘッドだが、両者似ているか(笑)。そうそう、新悪名には、つい大往生を遂げた お杉婆 中村玉緒の若き日の姿も、出ておりました。中村玉緒が取り持つ、勝新と新之助。これも何か不思議な縁か。

 ★☆☆☆☆ 宮本武蔵    at 新橋演舞場

 私は新之助ファンであるのだが、残念無念ながら歌舞伎として、演劇として、一つ星。脚本と演出が悪いと思う。それとも一般の新劇好きとかの人には、こういうのが良いのかな? それとも、視聴率で苦戦をしているテレビNHK大河ドラマだけども、それとの比較で感じるのだろうか。

 関が原の戦いで、又八と共に、屍累々の場からムクリと起き上がるところはテレビと同じ。又八の堤真一は、なかなか大胆でユーモラスだからな。舞台で、又八が武蔵に無理やり連れてこられた文句を言うところから、人間の小ささを感じてしまい、普通の人間のドラマになってしまった。そうして、最後の巌流島では、お杉婆がなぜか武蔵を許してしまうし。中村玉緒の意地悪ぶりと、そこに潜む童心のかわいらしさの絢が良いのに。等々。

 星ひとつの理由は、

1)NHK大河ドラマの役者の好演者との比較。いくら視聴率が悪くとも、さすがそれなりの役者を揃えているか、NHK。又八、お杉婆、そして、沢庵和尚も、やはり大河ドラマの方が良いなあ。ああでも、小次郎役の片岡愛之助は、クールな松岡昌宏に対抗して、良い雰囲気を醸し出していた。

2)ストーリーに理由も脈絡も無く飛ぶ面が多々。無理に一条下り松の闘いと、巌流島に持っていっている。結局 どこの場面も丁寧に描かれていない。せっかく扇雀さんの吉野太夫が美しい舞を見せるのに、例えばあそこだけでも、もう少ししっとりと描くと良いのに。せめて、武蔵が去っていくときに、吉野太夫と武蔵が、籠釣瓶の八つ橋と次郎左衛門の如く、目を合わせるだけで、物語が生まれるのに。

3)新之助も、こういう芝居も、表情はテレビの方が良く見える。やはり芝居それも新歌舞伎と名乗るのならば、歌舞伎の如く、大きい所作や見得が無いと、ただメリハリ無く流れる感じがする。スピード感の変化が無いのだ。一条下り松も、最初から最後まで一対一での斬りあいに終始するし。もっと例えば、コクーンの夏祭浪花鑑の様に、うねり押し寄せるような集団のパワーを出せば良いのに。

 とまあ色々ありますが、歌舞伎好き、又は大河ドラマを見て来た人にとっては、残念ながら肩透かしだった。新之助一人が、テレビ同様のテンションでがんばっていました。(でももしかして、例えば新宿コマ劇場などでやっている五木ひろしなんかの演歌歌手のリサイタルで行う時代劇というのは、このような主演者一人を立て、ストーリーや演出は気にしない世界なのだろうか・・・・) 


 2003/10/25

 2ヶ月ぶりに歌舞伎に行く。いやぁ、禁断症状が・・・苦笑。

★★★★☆  お染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)    at 歌舞伎座

 仕事が終ってから、残り少ない10月公演に向かう。18時半には歌舞伎座に行く予定が、仕事で延びなんと着いたのは20時50分。玉三郎さんが出ている貴重な舞台なのに、泣きそうになりました。東銀座駅の階段を駆け上がり地上へ。一幕見席の入り口になんと"お詫び"の看板が。むむむ、販売終了? 不安になりつつ四階へ上がる。「チケットを下さい」、と言うと、「本日はもう入れません」と言う。「いや、階段で帰る人一人とすれ違ったので、満員じゃないはずです」と食い下がると、「消防法で150人に限定されており、たとえ帰った人がいても、その前に並んで入れなかった人に不公平なので、入れません」と冷たく言われた。うーむ、理屈もわからないでもないが、もう少し柔軟にしないと、顧客満足度を落とすような気がするが。「また別の日に来てください。あと2日しかないですけれど」と言われても・・・。

 途方に暮れ階段を下り、外に出た。さすがに当日の券は無いだろうな、と思いながら正面入り口をうろうろしていたら、ちょうど出て帰ろうとされる夫婦がおられた。「帰られるのですか? 券を売ってください」とすがるような目で訴えると(苦笑)、「おお、帰るから、いいよ、あげるよ」と天使のような声が。ということで、最後の大詰を40分くらい、一等席で見ることができました。本当に券をお譲り下さった方、私は感謝感激観劇です。この場を借りて、深く御礼申し上げます。玉三郎さんの舞台は、正月公演も満員で入れないことがあったし、まず観るまでもドラマがあるねぇ。

 大詰めでは、まず玉三郎が久松になり登場。さわやかな男役を見られるのは、珍しい。いつもは玉三郎の手や指の演技に目が行くが、この日は"目"の演技に心奪われた。憂いと怒りを、瞬時に切り替えての演技なのだ。確かに道成寺の最後の龍の目のきつさは凄かったからな。でも、キッとした目なら、例えば新之助のように一瞬のパワーでできるかもしれないが、瞬間的に憂いと怒りを表現するのは、またレベルがもう一つ難しそうだな。

 もう一つこの日に感じたのは、"玉三郎と一緒に歳をとる幸せ"ということだ。最近読んでとても心惹かれた 藤田宜永の「艶めき」(講談社文庫)のカバーが「女のほんとうの恋は40からかもしれない」と40歳になった私をドキリとさせるコピーがあるのだが、この短編集の中に人生の経験と味わいを重ねたからこその男女の恋が描かれている。玉三郎は確かに容姿は絶世期はそろそろ越えているのかもしれないが、容姿の美しさから、演技と細部の深みを増していくのを、きちんと一緒に時を重ねながら観ていけるという幸せ。40歳にして、歌舞伎のまた違った面白さに気付かされたような気がする。歌舞伎への恋か、玉三郎への恋か。こう考えると、玉三郎もイトオシク、慈しみたくなるねぇ。

 そうして最後は、白に藍色で牡丹?を描きこんだ着物をさっそうと纏った、お六姐さんが登場し、大和屋番傘の中での大団円を迎える。清々とした気持ちの良い終りかた。このお六姐さんが、すらっと背が高く、さっそうとしており、それはもう美しカッコよいのであった。タランティーノの新作"キル・ビル"ルーシー・リューの雪の中の立ち回りも似ていそうだが、タランティーノにこの玉三郎のお六姐さんを見せたら、涙を流して観劇するに違いない。


2003/9/28

 先日9/25に"伝統を育む知行合一の改革"というテーマで、長野県の小布施の町おこしで有名なセーラ・マリ・カミングスさんの公演を聴きましたので、報告を。(私は自分が住み愛する、そして街並みを壊す開発が激しい鎌倉の街並みや、歌舞伎の事を頭の隅に置きながら、聞いていました。) "生きている文化は、一番面白い"ということを、きちんと自分の関わる企業活動やそこからのビジネスメリットにも心を砕きながら、実践しているところが素晴らしい。そうして、一個人や一企業ではなく、Communityで地域の人まで、自主的に参加してもらいながらの活動は、これからもGlobal & Localな世界での動きの、まさに参考となった。

●まずセーラさんが仕掛けた町おこし関連の活動:

・マラソン大会(2003/7):人と人とのつながりの場が必要だというとこで、祭り=Iventとして、マラソン大会を企画。全てボランティアで運営し、工事もボランティアとのこと。そして、人を活発にするために敢えて一番暑い日に大会を設定したとのこと。

桶保存会:日本酒を作る桶を作る職人さん自身が昭和30年代に廃れてしまったのを復活させるために、桶のニーズを持つ日本酒製造等の会社から結びつけて企画。ニーズをきちんと作ろうとするところが偉い!。"業界の熟成文化を結びつけるSocietyを作りたかったとのこと。桶は一度作られると、日本酒→味噌・醤油→つけもの と循環して使われていくものらしい。

・小布施ッションの日:毎月ゾロ目の日に、人が集まり、日本酒ベースのカクテルを賞味し、文化人を呼び語らうことを毎月実施。若い人が無気力・絶望的では駄目で、知的刺激、人間的刺激を提供する場を意図的に作っているとの事。若い人のために、学生は参加無料らしい。

 他にも、枡一に職人さんが食べていた料理を食べられる"蔵部"というレストランを開いたり、国内外からインターンを受け入れたり、北斎館を作ったり、枡二と枡一の事業を拡大したりと、多数。

●セーラさんの活動方針に関する印象的な言葉:

・"だから仕方ないではなく、どうしたら良いかを考える。" "マイナスをどうプラスにするか" "そこまでやらないと目標には届かない"

・"いつ 誰が どうするか を明確にする"

・"自分が街を良くできる という意識を持つ"

・江戸の文化も決して豊かだったからできたのではない。1883の浅間山の爆発にもよる天明の大飢饉など、厳しいからできた。そして、Communityとして人々が協力しあったのだと思う。

・"生きている文化は、一番おもしろい" :昔の写真ではなく、今の写真で、例えば酒造りを見られるのが良い。日本に来たときには、伝統文化は、博物館に入ってしまっていた。

・いろんな活動は同時進行で行うのが良い。そこからエネルギーと連鎖反応が生まれる。

ということで、非常にパワフル、かつユーモアも大いに交えながら語ってくれ、身近な伝統文化や街をどう活性化させるかに、大いに役立つ内容であった。是非、皆様 桝一小布施のサイトも参考にされてみては如何。

 


2003/8/23

 ある方から券をいただき、久しぶりの夏の盛りのような暑い週末、八月納涼歌舞伎の昼の部に行って参りました。

★★★☆☆  怪談 牡丹燈籠    at 歌舞伎座

 二組の男と女の運命が絡みあい、他の命を巻き込みながら、ゆっくりと凄絶に堕ちていく・・・。その不条理とゾクリとする美が、暑い夏の夕方を彩り、頭を異次元へ誘う。

 主を裏切り幽霊に殺させ、その幽霊から百両をせしめる三津五郎 伴蔵と、女房の福助 お峰。やはり主君を殺害した橋之助 源次郎と、それをそそのかした扇雀 お国。それぞれが主君を裏切らなくてはいけないドラマと葛藤を前半は見せる。そうして、怪談らしく幽霊も登場。時には、場内を徘徊し、お客に叫び声をあげさせる(笑)。

 後半は、二組の転落の様子を最初は静かに、最後は凄絶に見せる。百両を元手に、商売を営み繁盛させる三津五郎 伴蔵。しかし彼は、命からがら逃げてきて、芸者になった扇雀 お国の元に通う恋仲に。そして、金持ちにはなったが、心離れを恨む女房の福助。そんな扇雀 お国に、嫉妬心を抱く橋之助 源次郎。

 そうして、扇雀 お国と橋之助 源次郎は、ころした主君の幽霊により気が違い・・・・橋之助 源次郎は嫉妬する女房の福助を、豪雨の中で殺そうとして、一緒に川の中に引きずり込まれていく・・・。そんな二組の男女の、死していく物語を、歌舞伎らしくドラマチックに見せる。

 やはり、鼠小僧のように、何かこじんまりとまとめるのではなく、ダイナミックにシュールにまとめて欲しいねぇ。こんなシュールな物語を、美しい女性達が、着物で着飾り一生懸命見るというのも、よく考えると不思議な光景かな・・・笑。でも江戸文化の先進性もあると思う。扇雀さん、中々強い女、情のある女を上手く演じていました。粋で艶があった。

 あと、私自身にとって、途中の世話物のような淡々とした舞台の場面を、男と女の痴話話や心の機微を描く場面を含めてけっこう面白く見られた事にも、初体験なので少々驚き。美しいとか、ダイナミックとかそういうのだけではなく、ただの男と女の会話も、楽しめるだけ大人になったという事でしょうか。最近40代になりましたし・・・苦笑。勘九郎も、もう藤山寛美だね、芸域が。あれも大人がなせる業か・・・笑。

 夜の"野田版鼠小僧"は今ひとつでしたが、この牡丹燈籠はなかなかおもしろかった。改善点は次の2点。 1)少々幕の話と話のつなぎがバラバラな点があり、もう少し全体の流れる統一感が欲しかった。 2)福助演ずるお峰が、旦那役の三津五郎 伴蔵と、幽霊を迎える場面の、怖さを表現することろが少々ふざけ過ぎでこっけい。 

 まあでも、久しぶりの一階からの観劇を堪能しましたぜ。 あなたも暑い日に如何!? 


2003/8/16

  6月の夏祭りがとても面白かったので、期待をしていったのだが・・・・。

★★☆☆☆  野田版 鼠小僧  at 歌舞伎座

野田ファンには約束された面白さも、ちょっと受け狙いの底の浅さが見えてしまった・・・残念。やはり歌舞伎のスケールに比べれば、小手先が目立つか。

 6月のコクーンにての勘九郎"夏祭り"が存外に面白く、しかし 同じ6月の歌舞伎座にての玉三郎"藤娘"は、昼の部だったので千秋楽にと会社を抜け出し勇んでいったら、実は前日に終っていたことにショックを受け、歌舞伎はそれ以来。昨年の勘九郎"野田版 研辰の討たれ"は、舞台一杯に使いスピード感はあるも、どうも何かしっくり来なかったが、コクーン夏祭りが面白かったので、今回の勘九郎の挑戦は吉と出るか凶と出るか、期待と不安の入り混じったまま歌舞伎座へ向かった。

 いきなり劇中劇で、勘九郎が飛び出し、屋根のセットの上を飛び回るスタートダッシュは良かったのだが。どうもその後、やはりしっくり来ない。

 理由は、

1)どうも不必要なちょこちょこした動きが、鼻につく。・・・・・・後家役の福助に、手首をクルクル回させて、そんな所で笑いをとろうとされても、出るのは冷笑か。

2)最初はドタバタで、最後はほろりと泣かそうという演出も、歌舞伎の不条理性に比べれば、今ひとつ。・・・・・・昔の藤山寛美の松竹新喜劇でもそんな展開がパターンとしてあったが、歌舞伎はもっと不条理でよろし。 確かに、脚本の細部の設定は凝って重層構造になっている部分もあるのだが。

3)最後にホロリとさせようと鼠小僧を演じてしまった勘九郎演じる棺桶屋の三太に屋根の上で事切れる際に語らせるが、今ひとつメッセージわからず。・・・・クリスマスの日に小判が降ってくることを楽しみにしている子供の為に、命を張って金をばら撒こうとする三太が、刀でやられて息絶える際の語りが、ちょいとわかりませんでした。これは四階の幕見席のせいかもしれないが、無理にストーリーにひねりを入れようとしていないかな!?

 ただし、けっこう笑ったことは確かですよ。勘九郎の上手さも味わったことも確かですよ。でも、何か終った後に心に残るものが、浅いような・・・・。ご自分の目で確かめて下さいな。

 


2003/6/21

  いやぁ、久しぶりの日記、久しぶりの歌舞伎だったが・・・・爆発的な面白さだったぜ。

★★★★★  夏祭浪花鑑  at コクーン

 その爆発的な面白さを観て、なぜかレッド・ツェッペリンのライブを思い出した・・・これが庶民の猥雑なる歌舞伎だ

 不条理の美学。荒木経惟の撮ったニヒルな勘九郎の顔に、集約されているような不条理の虚無感。それにダイナミックな演出が華を添える。終わってみて、暫くして思い出すと、勘九郎 団七が、舅の劇団自由劇場出身の笹野高史 義平次を凄絶に惨殺するシーンの印象がやはり強い。

 最近仕事が無茶苦茶に忙しくて、脳内が沸騰状態にある。18:30の開演めざし、会社から渋谷に駆けつけ駅に降りる。渋谷駅前の交差点から、東急本店まで、無機質な若者でひしめく。人が多数いるのに、私は孤独と無力感を感じた。少し遅れてついたので、そのまま暗い舞台にすぐ入り込む。

 そんな気分と状況の中で、団七が義平次がだまして連れ去った琴浦の籠を追って、池のほとりへ向かうシーンになった。蝋燭が勘九郎 団七と、笹野 義平次の周りを囲む。昔の歌舞伎小屋に想いを馳せる。いやらしさの中にも、ほんの少々コミカルを交えた、義平次が、団七をなぶる。いや、この徹底したなぶり方もいいねぇ。歌舞伎役者にはない下品さがあるぞ。そして、次第に耐えられなくなる団七。刀を抜こうとする。もみ合う。池に突き落とす。泥だらけになる。ついに切り捨てる・・・・・。

 遠くから祭囃子が聞こえてくる。最初は、小さく。近づいてくる。団七は血を洗い流し、刀を鞘に収めようとするが、手が震える。祭囃子が近づいてくる。刀が鞘にあたり、カチカチと音がする。近づいてくる。刀が収まった瞬間、怒涛のごとく祭囃子が駆け抜ける。豊穣なる明るい光と白い半被姿の人々が駆け抜ける。掛け声と共に、会場を駆け抜ける。怒涛のエネルギーが駆け抜ける。そして、その場にはただ独り団七がポツンと残る。

 歌舞伎においても、この音が遠くから聞こえてきて、団七が焦るシーンは、ドキドキするものだが、今回は、舞台装置と人を巧みに使った演出に、静と動がくっきりと際立ち、Bravo! 串田和美の勝利。 私はその時、なぜか随分と昔のハード・ロック(歳がばれるか・・・苦笑)の、レッド・ツェッペリン"狂熱のライブ"を思い出した。1973のマジソンスクエアガーデンでのライブの様子が映画になっている。"天国への階段"のロバート・プラントの澄んだ声。そんな静の状態の歌と、ジョン・ボーナムの10分間の延々のドラムソロが冴え渡る"モービィ・ディック"に、ジミー・ペイジのギターリフが炸裂する"ロックン・ロール"。ロック全盛時代のモンスター公演の熱気と、今回の夏祭浪花鑑の熱気と終わってからのいつまでも続くスタンディング・オベーションは近いものを感じた。

 そう、庶民の楽しみであり、反権力志向の歌舞伎が、現代にその一端を垣間見せた凄い公演であった。とにかく、素直に楽しみやしょう。

 *獅童 磯之丞は、いつもよりもオーラが少なかったかな。 坂東弥十郎演じる釣船三婦親分が羽織る、雷の中の龍が描かれた着物がカッコいいぞ。痺れる。必見!

  そうそう、ちょっとだけ覗きたい方は、夜の部がある日は、8:45頃と9:40頃に、コクーンの裏手に集合するとよろし。

 


2003/3/21

  今月は、2回 歌舞伎座の夜の最終幕を一幕見で見ました。遅くなりましたが、そのレポートを記します。

★★★★☆  与話情浮世横櫛  at 歌舞伎座

 艶やかな仁左衛門と玉三郎の演技と対照的に、豊かな表情で笑いを取る勘九郎は加藤茶なりぃ

 3月は非常に素晴らしいことに、仁左衛門と玉三郎のゴールデンコンビに、勘九郎がからみ、しかもその"浮名の横櫛"という演目が最終幕にあるので会社帰りに見られるという、滅多に無い幸運。同じトリオによる昼の"源氏物語 浮船"も新聞の評価は高い。

 "浮名の横櫛"は、私にとって新鮮な面白さを感じた。理由は2つ。

1) こんなにエロティックなものを人前で上演していいのだろうか・・・という位素晴らしい

 一目で恋に落ちた仁左衛門 与三郎と玉三郎 お富が、一目を偲んでひと時の逢瀬を持ち、お富の旦那に見つかって、与三郎が身体中切られ、お富が海に身投げをする"赤間別荘の場"。ここの場は、普段はどうも上演をされないらしいが、この場が入ることで、最終場の生き残った 与三郎とお富が再会する場面が、非常につながり、活き活きとしてくるのは事実。 そして、この"赤間別荘の場"が一番印象的で素晴らしかったのだが・・・歌舞伎ならではの公序良俗には反している艶っぽい内容が良い(笑)。

 クールで美しい玉三郎 お富が、あのクールでハンサムな2枚目の仁左衛門 与三郎の手をそっと取って、寝室に導くシーンが、これが美しいのだよ。女が男を閨に導くなんて、そしてその完璧に美しい二人に匂い立つようにされると・・・背中がゾクリとするぜ。

 そして、お富の旦那に見つかった与三郎が、まず旦那の子分に、眉間を刀の先で十字に傷つけられて、身体中を切り刻まれる。これも、グロテスクな描写だ。

 美しさも、グロテスクさも、非日常的でエロティックさ。

2) 勘九郎の自由奔放の、加藤茶や志村けんの如くの笑いが・・・素晴らしい

 最終場の"源氏店の場"で、与三郎を引き連れ、生き延びた勘九郎 蝙蝠(こうもり)安が登場する。 無精ひげが口の周りに濃く残り、太く描かれた眉毛を上下に動かし、威勢の良い言葉がちょっとかわいらしく(失礼!)ポンポンと飛び出し、その表情がとても大きい。そんな姿は、往年のドリフターズの加藤茶(最近はキャッシュワンのCMに出ている)や志村けんを彷彿とさせる。もちろん普段も芸達者で笑いを取るのは一流の勘九郎だが、今回の役は、特に楽しんで大らかに演じているように見えた。

 

 ということで、美しさ、グロテスクさ、エロティックさ、そしてユーモアと笑い・・・いかにも大衆芸能である歌舞伎の面目躍如の、3人と演目であり、お勧めである。


2003/2/23

 ★★☆☆☆ 通し狂言 義経千本桜   "川連法眼館"   at 歌舞伎座

  戦いや立ち回りさえもコミカルに見せてしまう、歌舞伎の抽象化力は偉大なりぃ

  狐忠信自身は、猿之助をはじめとして、右近、勘九郎、そしてTVで獅童と色々見てきたが、今回は菊五郎。いよいよ決算期を向かえ、仕事がヒートしてきて、一幕見席に駆け込んだのも始まって7分くらい経過してから。空いている席を見つけて、座ってから、義経と忠信のやりとりでは、すっかり眠ってしまいました(笑)。真紅のあでやかな着物を纏った芝雀 静御前が出てきたころから、少し眠気が覚め、菊五郎さんが源九郎狐に変身しても少々眠気が残る。 仕事の疲れのせいも大きいが、菊五郎さんの源九郎狐も、少々技の切れという面では、少々劣るかなと感じる。菊五郎さんの持ち味の、ちょっと哀しげな匂い立つような艶が、源九郎狐には、ちょっと似合っていないかもと思いました。切々と自分の親だと訴えるところはいいが、その後に鼓をもらい爆発的に喜ぶところとか、やはり若さとパワーかな。

 すっかり世の中は新之助の隠し子騒動で盛り上がり、挙句の果てには右近さんまで巻き添えになり(苦笑)、それをバネに視聴率のさらに上がる"武蔵"の、ダイナミックな剣の勝負が眼に焼きついているせいか、最後に鼓をもらって感謝の印に義経の追手を打ち破る、ホノボノとした立ち回り が新鮮でしたぜ。忍者のような灰色の全身を覆う服を身に着けて、腰を落として足を交互に上げてロシアダンスのようにコミカルに踊りながら出てきて、竹のしないでさらに3人で踊りながら狐とからむ、立ち回り。例えて言うなら、チャイコフスキーの"くるみ割り人形"の"行進曲"をバックにしたような立ち回り。(これで、想像がつきますかしらん!?) リアルにリアルに表現するテレビドラマに対して、臨機応変に立ち回りさえもコミカルに抽象化する歌舞伎の力は凄しと、改めて思ったしだいです。

 ああ、新之助も眼力とその迫真の演技は凄いが、肩の力を抜いた余裕や、おかしみ、こっけいさを身に着けるのはこれからかな・・・と世俗の話題に想いを馳せた夜でした。


2003/1/6

★★★★★ NHK大河ドラマ "武蔵"

 スターウォーズよりもおもしろき 新之助 武蔵なり

 "俺は、強い。俺は、強い"と吠える市川新之助 武蔵。 テーマは"ダイナミズム"とのことだが、鋭い眼光、雄たけびをあげて、しゃにむに野性的に突き進む新之助 武蔵が圧巻。やはり、彼は天才だねぇ・・・。源氏物語よりも、こっちの方が似合うと思う(笑)。確かに、"七人の侍"を彷彿させるのもあるが、舞台よりも間近で見られる新之助の、新しい世界が広がる。

 閉塞感ある景気であるが、踊り場に差し掛かり、生き残る為に戦わなければいけないという追い詰められた昨今の状況。だからこそ、新之助 武蔵のように、まだ見ぬグローバルな世界に、自分のオリジナリティで戦いを挑む物語は、時代に元気を与えてくれる。Bravo!

★★★★★ 寿新春大歌舞伎 京鹿子娘道成寺   玉三郎

 鐘の上にて悲しみから怒りに変わるその凄まじき美しさよ

 やっと、念願の一幕を見られました。坂東玉三郎の道成寺、これは私にとっては完璧なる美です。もちろん、その踊りと形態の美しさ、これでもかこれでもかと押し寄せる衣装を変えて、踊りの内容を変えることもあります。 しかし、これが究極の美であるというのは、途中にチラチラと鐘を見る時の、その眼光の凄まじさと、ラストシーンの鐘の上にある。蛇が顔を上げていくシーンで、最初は実に哀しそうな苦悶を表情を浮かべ、あれっと思わせておいて、次にこれまた凄まじい怒りと睨みの顔に変身していく時の為に、今までの美しい踊りがあったことにより、美は完成したと感じました。

 これは、"鷺娘"も凄いが、怒り恨みの美という観点で、道成寺も凄いぞ。必見!


2003/1/5

 掲示板にも1/4に歌舞伎座前からも書きましたが、参りました。1月大歌舞伎の玉さんの"道成寺"を一幕で見ようと歌舞伎座に行ったのですが、なんと一幕見が定員オーバーで札止め。入り口では、入れなかった着物を着たお客さんと歌舞伎座職員で小競合いが・・・。

ちなみに歌舞伎座の人と話をして得た情報では、

・1/3の雨模様の時は人がまだ少なかったが、天気が良い本日は凄い。
・1/2も札止めだった。
・最近は 三階席の満席情報の流れるのがはやいので、三階席を求められなかった人は、朝から一幕見でずっと見る

・ちなみに、道成寺の次の"白浪五人"も30分前には、一幕見で札止めでした。

寿 新春大歌舞伎

★★★☆☆ 弁天娘女男白浪

 様式美と言葉の波の快感

 鎌倉の稲瀬川など、私の住まいの近所が舞台にも関わらず、実は観るのは初めてである。ということで楽しみであった。

 菊五郎 弁天小僧と団十郎 南郷力丸の登場。おお、久々の菊五郎さんの若い娘役。肌は少々衰えている気がするが、なんとも言えぬ艶があるのぉ。
 "しらざぁ、言ってきかせやしょう"の名文句も良いが、その後 男だとわかってからの変身振りが気風良く、気持ちよい。赤い襦袢をパタパタと、肌けて見せて、褌・さらしまで。小粋の良い男ぶりが、Bravo!

 後半の五人衆が並ぶ中では、菊の助 赤星十三郎 が、普段の女形の雰囲気は残しつつ、声も通り、実は清々しく初々しくカッコ良し。

 団十郎も、このような一本調子の作品は上手い。息子に刺激されたか、いつもより肌が若々しい気がするぞ。眉の太さと角度も素晴らし。

 ということで、華やかでおめでたい作品でしたぜ。

★★★★★ 菅原伝授手習鑑 寺子屋

 心の琴線に触れる完璧なる忠義の美の世界

 何度も何度も演じられている作品ですが、寺子屋の後半も間延びがせずに、ずっと緊張感が維持されていた。幸四郎 松王丸は、最初の咳をするシーンから、顔の表情と声で、凄い演技を感じさせる。我が子が、忠義の為と聞き、微笑みながら首を差し出したと聞き、涙を流すシーンでも、上手い! そしてパートナーである、玉三郎 千代が、これが身体を最小の動きで全てを表現する演技。うーむ、ついに別次元の完成度に到達してしまいましたね。黒い着物に白塗りの顔、シンプルな構成ですが、腕なんかも、わざと抑えて演技をしていると感じました。それで、例えば子供の供養をして、お焼香をする場面で、その時だけ人差し指と中指の角度を微妙に変えて、非常に美しい角度を作り出す。それが哀しさと、丁寧に弔う気持ちを、よく表している。思わず、私の涙腺が刺激されました。あと、伴奏も素晴らしかったです。

★★☆☆☆ 保名

 一面の菜の花に舞う・・・・ムムム

 どうも芝翫さんは、顔の長さとその皺のある顔が生理的に駄目でしたが、今回 さすがに上手いとは思いました。でももっと狂って欲しいなという気はします。舞台背景が一面の黄色い菜の花畑の描写が素晴らしかった。むせかえるほど美しい。

★★★★☆ 助六由縁江戸桜

 スーパーマン助六は、やはり団十郎につきる!

 最後は団十郎の助六。そうそう、この日は、二階の二等席でしたが、当日買ったもので一番後ろの補助席。しかし、それを良いことに、立って必死に花道を見ておりました・・・笑。最初の出のところが、一番カッコ良いですよね。初めて見た助六が、テレビだったのだが、今の団十郎だったせいもあるが、ちょっと高めの声といい、気風の良さといい、やはりこの"助六"は団十郎のが好きですね。雀右衛門 揚巻も、はらはらしながら見ていたのだが、危なげないし、声も出ているし、今年も元気に演じてくれそうです。 ちなみに、河東節の御連中の中に、小泉首相の弟さんがいるそうですよ。

 

写真日々 眞さんの作品 写真日々 眞さんの作品


2002/11/3

 FM横浜とコニカ主催の鎌倉 大仏前での、"Lyrico"コンサートに行く。なんと、400組800人の招待に、50倍!の2万通以上の応募だったらしい。私は、隣の家の人も行くと聞いていたので、そんなに凄い倍率だとは夢にも思わなかった・・・、確かにコンサートの中で、"地元の人、鎌倉の人"と聞かれた時に、1割くらいしかいなかったぞ!周りにいた若者も、高徳院(大仏寺)にあった鎌倉市内の観光案内のボードを見上げて、「鎌倉って、けっこうお寺あるんだね・・・」と言っていたので、普段鎌倉に来ないような若者のセグメントに鎌倉の存在をアピールするには、大いに役立ったと思う。

 コンサートは波のBGMから始まった。そして、バイオリンの音色が、鎌倉の森と闇に気持ちよく響き渡る。そして、Lyrico(以下 リリコ)の登場。伸びやかな声が、心地よく耳に入ってくる。バラード調の曲が数曲。曲により、ステージにライトが当たったり、大仏にライトがあたったり・・・。しかし、ライトアップされた大仏の穏やかな表情はいいね。途中から、JazzyなR&B調で盛り上がる。リリコも、まだ改名して1年、改名後のコンサートもこの11月に初めて開くという割には、語りや盛り上げ方を含め、ステージは上手いぞ。

 そして、最後の曲は、新しいシングルとのことだが"キセキノハナ"(← ここで試聴できるので、ちょっと聴いてみてくださいな)という曲。これが、アジアンテイストな曲調なのだが、大仏建立750年にふさわしく、悠久を感じさせて良いのだよ。ライトアップされて、ゆったりと眼を閉じて見下ろしている大仏を、曲を聴きながら眺めていると、思わずジーンときましたぜ。

 

写真日々 眞さんの作品 写真日々 眞さんの作品 写真日々 眞さんの作品 


2002/10/11

10/8に、高倍率(6倍〜10倍位のはず)の中、抽選であたった鎌倉薪能に行って参りました。

 採点不能 第四十四回 鎌倉薪能

 今年は10/8と9の2日間で、1回に1600人が抽選で選ばれたそうである。朝から雨が少々パラついたり止んだりという中、中止かと思ったが、12時に確認をすると実行されるとのこと。ということで会社を早退してしまった。何と言っても10倍の難関を潜り抜け、無料招待という太っ腹な企画なので、行かねばなるまい。一昨年は当たったが、昨年は選に漏れてしまったし・・・。

 少しばかり遅れて会場に着いたら"宗徒法螺"と言って、山伏姿の一群が法螺貝を吹いているところであった。しかし、雨がパラっと。"火入れ式"の時にポツポツと来て、いよいよ能 "加茂"の時には、雨で始まらず、観客は傘をさしながら待っている状態であった。少し弱まった時に"加茂"は始まったが、途中中断。雨に濡れると、お面や衣装の修復が困難だからとのこと。再開されたが、短く終わってしまった。そして狂言をとばし、能 "融"を短く行って、おしまい。本来は3時間50分予定のところ、1時間半で終わってしまった。

 私も雨の中で能を見たのは初めてだが、さすがに屋外のイベントは自然と一体だね。昔 アメリカの伝説の野外ロックフェスティバル"ウッドストック"のフィルムを見た事があるが、確かあの時は雨にずぶ濡れになりながら観客は逆に盛り上がったのじゃなかったっけ。しかし、能の場合は、どうも見るのに集中力がいる。アッパー系の歌舞伎は大向こうや騒音を吸収してさらに盛り上がる要素があるが、ダウナー系の能は集中力を欠くものに弱いね。雨がパラツキ、頭にビニールをかぶる人、端で傘を指す人、それを怒る人などどうも集中できず、まったく味わうことが今回はできませんでした。

 しかし、その自然まかせのリスクがあるから、素晴らしい環境で見ることができた時には感動も大きいのか。是非、この雨の体験を忘れずに、来年の当選と晴天を祈ろう。

 

写真日々 眞さんの作品 写真日々 眞さんの作品


2002/10/6

★★☆☆☆ 芸術祭十月大歌舞伎 "忠臣蔵"  at 歌舞伎座

 第九と同じで、忠臣蔵がかかるともう年末気分になってくるが、まだ10月初にて歌舞伎座で忠臣蔵を一幕見で見る。七段目と討ち入り。

 ううむ、素直に言うと、あまり惹き入れられなかった。そうだね、籠釣瓶ほど脚本が凝縮されていないせいか、それとも演技のせいか・・・。玉三郎 お軽の兄である、団十郎 平右衛門が、何か少々コミカルで、物語の本来の濃密さが薄れているようだ。もう少しねっとりと演じると、それなりに"念"という点でも盛り上がると思うのだが・・・。

 玉三郎 お軽は、夫の勘平が自害したと兄から聞いた瞬間の、悲しみにうち震え崩れる姿は、これは瞬間的にものすごく美しかった。いつもよりも、眼の周りの薄紅いろのめばり(?)が、濃いように感じた。この微妙な濃さが、淡い色気を醸し出している。瞬間的に映像のような極度の美のシーンが何箇所かある。今回の見所は、この玉三郎だけの様に感じた。


2002/9/22

 写真日々 眞さんの作品 presented by 写真日々 眞

 サイトを通して紹介を受け、鎌倉中心部 カレー屋"キャラウェイ"の隣 "ギャラリー松岡"で9/24(火)まで行われている、写真日々 眞(しゃしんか まこと)さんの「-写真日々-」展に行ってきた。

 NYあり、随分と私的な出会いと別れあり、鎌倉ありと、少々欲張りな企画か。

 モノクロ写真での、情感が伝わる写真。 鎌倉以外で気に入ったのは、"leim"(確かこのような綴りだったと思う)というちょっと混血風女性のポートレイト。しっかりとレンズを見つめるその強さと美しさが印象的。

 鎌倉の写真では、どこかの小路での水鉄砲を構える少年の写真も、荒木の"さっちん"ライクで印象的だが、上にある"小町通り夜景"と、"ホテル ニューカマクラ"の2枚かな。"ホテル ニューカマクラ"の方は、普段 鎌倉駅のホームから見慣れている光景にも関わらず、ポッカリとあいた空と築80年という建物が不思議なマッチをしている。"小町通り夜景"の方は、お聞きすると終電を降りて見つけた瞬間ということで、人っ子一人いないが小町通りと銭洗弁財天の文字が浮き立つ光景を上手く捉えたと思う。両方とも見慣れた光景からの新たな発見。素敵だと思う。

 "別れの朝"という組写真も、朝4時か5時とのことだが、鎌倉駅に一人も人がいない風景を、うまくぶらして撮っている。歩きながら撮ってみたそうだ。作者の心象を上手く表しているな。

 ということで、白黒の世界で、ちょと心にひっかかる作品があった、良い空間でありました。


2002/9/16

 さあ三連休。最終日に、今日は"和"の日にしようと勇んで国立劇場の小劇場に向かった。そう、淡路島で見た人形浄瑠璃に魅せられ、国立で"心中天網島"を観たかったのだ。ところがである・・・当日券はなんと売り切れ。うーむ、文楽パワー恐るべし!

ショックより気を取り直して、新橋演舞場のチケット売り場に向かう。一等、二等、立見とあるが、"えーい、ままよ!"と一等席を買ってしまう。

 ★★★★☆ 新橋演舞場 九月大歌舞伎 "上意討ち" "お祭り"

 少々不甲斐無き優男の怒りのパワー恐るべし。 ウルトラマン新之助 惨めな男からの怒れ荒ぶる男をダイナミックに演じまするぅ!

 歌舞伎座の四階に比べ、さすがに一等席は前後の間隔が広い。雨の日であったが荷物が足元に楽に置けると、妙な所でささやかな贅沢をまず満喫。

 話は、天下泰平時代の会津藩で、少々時代に乗り損ねた武芸を重んずる侍一家の話。もしかすると宮仕えで、IT革命やバイオ革命に伸るか反るかのサラリーマンの物語だったりして・・・笑。武芸にこだわる団十郎 伊三郎の息子 新之助 与五郎の許に、藩主から体よく次の女に乗り換えられてしまった菊之助 お市が嫁入りに来る。周りは厄介払いされた女を娶ることに反対したが、新之助 与五郎は快諾する。そんな夫妻に子供が生まれ、団十郎 伊三郎とその妻は大喜び。ところが、跡継ぎの問題から、菊之助 お市が藩主との間に設けた子供が脚光をあび、格の問題から菊之助 お市を藩主に戻すよう要請が来る。それをガンと断り続ける 新之助 与五郎と父 団十郎 伊三郎。ついにそのプレッシャーは強くなり、菊之助 お市はだまされて匿われる。そして、計略に嵌められて、新之助 与五郎の目の前で、菊之助 お市は自害し、子供は切り捨てられる。ラストは、怒った新之助 与五郎と団十郎 伊三郎 親子の討ち入りである。

 前半は軽妙なおかしみに溢れる。厄介払いの女を妻にするのを周囲に反対され、新之助 与五郎が、"じゃじゃ馬を乗りこなすのもおもしろいもの"とうそぶき、"人間万事塞翁が馬"と洒落るシーン。友人と囲碁を打ちながら、献身的に尽くす妻について、夫婦の機微を小唄みたいにかけあうシーン。団十郎も好々爺を怪演!なんかほのぼのとして、いいねぇ。

 そんなほのぼのとした前半に対して、妻を藩主に戻すよう親戚より詰問される新之助 与五郎。散々強気に突っぱねといて、急変し妻に戻ってくれるようひれ伏して頼み新之助 与五郎。その不甲斐無く、惨めな演技が、ハンサムな新之助にされると、きっと多くの女性の母性本能をくすぐるのではないだろうか。切々と訴えるさまが良いぞ。そして、怒りを爆発させ、人格を変えていく終盤。相変わらずの眼光より鋭い光を放ちながらの、カリスマ新之助。くー、カッコ良い!有無を言わせぬ迫力。

 最後はちと尻切れトンボではあったが、脚本が良くできていると思う。まだ二回目の公演なので、私は筋を全く知らずに観ていたが、その日本語もわかりやすいことも相まって、非常に義太夫の節からもストーリーを終えた。義太夫の言葉は明確にわかるのは楽しいし、心に響く。

 あと、菊之助は、ちょっとふっくらと貫禄というか、色気というか、さらに良くなったね。化粧は、浄瑠璃の人形を意識しすぎか、もう少し人間味があっても良いと思うが。声もきれいだし、素敵である。

 新之助は、迫力のみならず、指先にも結構神経が入っている。妻に戻ることを頼み込み父に介添えされ手を合わせるシーンとか、妻が縛られていた紅い縄を手に見得を切るシーンとかの、手と指の形はきれいだったぜ。

 ということで、暫く歌舞伎を離れる新之助も、そして演劇としてのストーリーも楽しめる歌舞伎らしい娯楽作品。そして最後は、"お祭り"で、粋に明るく帰途につける。お勧めである。


2002/9/7

 少しだけ暑さも峠を越し、文化の秋の到来でしょうか。

 ★★★★☆ 九月大歌舞伎 籠釣瓶花街酔醒

 予想以上に良かった。元々脚本がこの作品は非常に優れているし、衆人の前での縁切りの場から、花魁を切り裂く場までの、吉右衛門の演技の上手さはもとより、雀右衛門さんの語りと声も良かった。二人の語りの上手さが目立った。そして私は私的な事ですが、"老いらくの恋"なんていうものに想いを馳せていました・・・。

 正直に言って、以前に観た勘九郎 次郎左衛門と玉三郎 八つ橋の舞台が★★★★★だったもので、私はあまり期待していなかった。

 序幕の次郎左衛門が八つ橋を見染める場も、雀右衛門が歳を感じさせずに、随分スタスタと歩いているのには驚いたが、吉右衛門 次郎左衛門の美しさに驚き放心するシーン等、少々いかにも演技演技し、鼻についた。今ひとつであった。なお、見染めの場で花魁達の歩く際の足の運びは、足を大きく振る吉原型ではなく、普通の足の運びだったな。

 それが、舞台が進むにつれ、吉右衛門の演技が自然に見え、こちらに感情移入をさせるから不思議である。雀右衛門 八つ橋が、間夫(まぶ)である梅玉 栄之丞からつめられる 廻し部屋の場から、雀右衛門 八つ橋が吉右衛門 次郎左衛門への縁切りの場まで、私は吉右衛門と雀右衛門の2人の語りに、6度ほど背中に感動の電流が走った。正直に言って、美形女形好きの私としては、雀右衛門さんはオペラグラスで見ると、なおさらあまり良さがわからなかったのだが、今回は、不条理にすまないと思いつつ潔く縁切りを語る演技が素晴らしかった。やっぱり上手かったのか、雀右衛門!(笑)

 

 さて、こんな素晴らしい切々とした舞台を見て、私が考えていたのは"老いらくの恋"なんていうこと。

 少し前に鏡を見たときに、自分の髪に4本ほどまとまった白髪を見つけた。今まで白髪はほとんど無かったし、一本一本偶然に出てきたという感じだったので、少々そういう歳になったのかとショックを受けた。もう40歳に近いのであるから別に悲観をすることはないのであろうが、肉体的に明確に提示されると、それなりに感じるものがあった。

 この次郎左衛門は、北関東の田舎の実直な商人で、今まで女に目もくれずに働き、たまたま江戸に訪れた際に吉原に寄り、そこでの一目惚れがこの悲劇の基になったのであろう。商売でかなりの蓄財をしているから、歳は30代、結婚していた可能性はあるが、初めての身請けであろう。仕事に追われ女性に心を奪われるなんてことが無かった時に、ふっと心のつぼにはまった女の美しさと恋心。そして、次第にそれを制御できなくなっていく次郎左衛門。商人であるから普段は数値に強いはずであろうが、それを制御不能にする"恋心"とは・・・。谷崎潤一郎の"痴人の愛"、山口椿の"雪香物語"、もちろんここまで官能に身を沈めなくとも、確かに恋心を抱く心地よさはあるのだから。

 そんな恋心を抱くということが、老いを感じた瞬間に、あとどの位自分の時間が残されているかも頭に過ぎり、あとどの位できる可能性があるかをちょっと考えてしまった。そして吉右衛門の演技を通し、このある意味では無様で醜い滑稽な次郎左衛門という男に、この男の狂気に、感情移入をしていた時に、そんな狂うほどの恋心も、身を任せてしまうと甘味な官能的なことではないのかな・・・と思ったのですよ。

 さあ、こんな老いを少しだけ感じた私が記す"電脳和風空間"は、少しは深みが出るのであろうか・・・笑。

 冗談はさて置き、けっこう今月は空いているので、逆に一幕見でもゆっくり座って見られるので、一瞬の異次元を楽しんでお味わい下さいな!


2002/8/22

 8月だというのに、すっかりと夜の風は秋の風。ちなみに、この間の週末に近づいた台風で湘南の波は高かったが、波乗りをしたらリーシュが切れて溺れかけ、土左衛門になりかけました・・・笑。

 ★★★★☆ 八月納涼歌舞伎 第三部 怪談乳房桧

 第三部の後半を2回観ました。 しかし、一幕見席も入りが良いねぇ。前回も今回も、立ち見が20名以上いたし、外人も多いね。

 さて出し物は、夏らしい"怪談"で火の玉が飛び、そして滝に"本水"を使い水玉が飛ぶという趣向。勘九郎の気品・気弱・悪党という三役早替りが呼び物。橋之助が色悪の浪江という浪人役。師匠を殺して、福助の奥方を娶り手に入れ、そして子供を殺す算段をする。気弱な勘九郎 正助に、子供を無理やり押し付け、十二社の大滝に投げ込んで来いと命令。脅され賺され一度は滝に子供を放り込むが、現われた師匠の亡霊に改心。そして数年後、橋之助 浪江と福助 奥方は、奥方は不治の乳房の病を治しにお参りに来るが、浪江は師匠の亡霊と、生き返った子供に成敗をされてしまう。という勧善懲悪もの。

 勘九郎は、相変わらず上手い・・・がどうしても可愛らしさが残る。器用だが、顔がカワイイところが、良くもあるが・・・今回はちょっとマイナスかな。 

 私にとって良かったのは、橋之助の色悪ぶり。子供を里子に出そうとして勘九郎 正助に預け、奥方が悲しむ横で、柱に寄りかかりながクールに笑うニヒルさ。そして、最後に成敗をされ、苦しみながら、手足をバタバタもがきながら、宙乗りで消えていくシーンの虚無感。この対象が、演劇としてはいいんだよね。元々映える浮世絵のような顔立ちに、大きな目と口をカッと開きながら、意図的に肘や膝を突き出して苦しむさまは、悪の虚無さを表して良いんだよ。そういえば、忠臣蔵 五段目で新之助 定九郎が、悪行の末に鉄砲でイノシシと間違えられて撃たれて死ぬシーンも、手の虚空を掴むような動きと、その見開いた目の力は似ているかもしれない。

 ということで、暑くて疲れた夜の、ストレス解消にもってこいの小品である。お勧め。


2002/7/31

 そう、先週は月曜日に芝雀さんと会い、土曜日に玉三郎さんを観る、というまさに脂の乗り切った美形女形の2人を堪能できるという、夢のような週であった。

★★★★☆ 7/27 坂東玉三郎舞踊公演 at ル・テアトル銀座

この日は千秋楽。久しぶりとの玉三郎の対面にワクワク。喧騒の湘南の海を横目に、横須賀線に乗り有楽町まで来る。しかし、有楽町からの道のりは暑い!

ウッ、オペラグラスを忘れた・・・。ということで、今回はB席から肉眼報告。

ル テアトル銀座に入る。


"雪" : そう、最近の私の格闘作である。もう、見るのは3回目かな、4回目かな。本来はお茶屋さんで目の前で踊ってもらえると最高の作品なのだろうが・・・。だから、自分に引き付けて見るべくトライトライ。"鷺娘"なんかは美しさと動きの大きさにおいて分かりやすい作品なのだろうが、この"雪"は最小の動き心を表現する作品なのだろうが、正直まだ私はこの作品を完全に楽しめているわけではない。CDでは、結構BGMで流しながら聞いたりしているので、音は心に染み入ってくる。さあ、今回は如何に!
 会場が暗闇にすうっと包まれ、次の瞬間幕が開き暖かい蝋燭の光が会場に流れる。


 傘の向こうに白無垢の玉三郎さんが現れる。顔を隠しながらこちらへ向いてくる。


 "まるで深い谷に隔てられて、向こう側で愛しい女が悶え踊るような、De Ja Vu に思えてくる・・・。傘に雪が降り積もり、寒く凍てついた空気の中で、女の心が次第に熱を帯び光を放ち始める。昔の私との恋のことを思い出したのであろうか。私の心にも、なぜか熱い思い出で、心臓が強く鼓動を始める。そう、私はあの女の裾を直す仕草が好きだった。傘の柄をなでる、あの女の細くしなやかな手で、私の身体を弄るのが心地よかった。しんしんと降る雪の中を一緒に連れ立って歩く事が、外気が寒ければ寒いほど、私の右腕にそっと寄りかかる女の心と身体は熱く濡れるのであった。二人が生きていると、実存をまさに感じる瞬間であった・・・。そんな女が、また雪の向こうに消えていく。傘の中に顔を隠し、私の目の前に姿を現した時と同じように消えていく。しかし、谷の向こうの女を私は止めるすべを持たない。輪廻転生。そんな言葉が頭をよぎった、静かな夜の出来事であった。"

 舞台を観ながら、こんな夢を私は見ておりました・・・。

"鐘の岬" : さて、"雪"により焦らされた私の心をうまく捕まえるように、鐘の岬では、玉三郎は躍動する。同じ白の世界でも、が舞い散る春は、廓も華やぐ。楽しげに得意げに手毬で遊ぶ。
そうか、わかった、動きが全てスローモーションなんだ。まるで、ハイビジョンの映像の如く、動きが全てつながっていく。そして、そうだ、"岩井俊二"の映像に似ている。昔、中山美穂が北海道の小樽へ亡くなった彼氏を訪ねていく"Love Letter"という映画があった。そう彼の、画像の粒子が不思議につながりスローモーションの様な効果をもたらす雰囲気と似ているのだ。人の喜怒哀楽を淡々と描いていくあの撮り方。そしてこれは、もしかして小津の"東京物語"にもつながるのかな。 見ながら、映画"夢の女"の吉永小百合も思い出してしまった。運命に翻弄させる女と、そして最後に意思を示す女。そんな多様な女を次々に演じる玉三郎。でも、(オペラグラスが無いので表情が見えないのであったが、)舞う玉三郎の表情は、単に冷たい怨念に満ちた顔ではなく、吉永小百合の顔の様に優しげなものであったように受け取れた。

 そうそして、玉三郎の周りに桜の花びらが舞い散るシーンだけで、なぜか私の心は切なくときめくのであった。 人の心を、瞬時に恋心へと導く玉三郎・・・恐るべし。

"楊貴妃" : うーむ、どうも楊貴妃だけは、他の作品に比べて感じるものが今ひとつなのですよ。これは私が和風好きの故なのか、玉三郎が日本の作品の方が向いているからなのか、私は合理的な結論を下せないのであるが。はたまた、オペラの如くカーテンコールをするために、敢えて和物を最後にしないのか・・・カーテンコールで白い袖を風にたなびかせながら挨拶をする玉三郎は実に楽しげであったのだから・・・笑。 きらきら光り輝く頭のダイヤモンドか水晶のような装いも、周りの女性からは「きれい・・・」と嘆息が出ていたので、女性サービスの意図もあるかも(笑)。

 ということで、いつもながら短い時間ですが、楽しい創造的な時間でありました。 当日席が一時間前から売り出されるので、こちらを利用して何度も堪能するのもお勧め。来年にも期待!


2002/7/28

 すっかり月記と化しているこの徒然日記(笑)。最近は鎌倉で家のすぐ裏が由比ガ浜という地の利を活かし、ついに海のスポーツ ボディボードを始め、結構はまっているので、休日は海にたゆたうことが多い。もう少しボディボードが身についたら、"ボディボードと日本舞踊"なるテーマで、書けるでせうか(笑)。

 7/27、28の土日は逗子マリーナで恒例のユーミンのコンサート。海を隔てて、由比ガ浜まで、音が聞こえてきた。逗子マリーナでのコンサートも今年で25年目だそうです。逗子、葉山、鎌倉の地元住民にリハーサルを公開したそうですね。すっかり地元に根付いた湘南の一歳時記ですな。たまに聞くとあの"青春を思い出す切なさ"は、心地良いんだよね・・・ということで、今日はYumingの"時のないホテル"をBGMに書いております。

 ★★★★☆ 7/22 "歌舞伎の魅力と女形 中村芝雀の世界"  at 鎌倉プリンスホテル

 芝雀さん初のホテルでのイベントということで、工夫された演出でした。(とは言っても、私はホテルのディナーショーとかに行った事が無いので、他のその道に長けた方々がどの程度の内容かはわからんので、比較のしようが無いが・・・)。誠実そうな芝雀さんのお人柄もとても身近に感じられました。

  構成は、プロジェクタで映像を写しての紹介 → 芝雀さん挨拶 → 芝雀さんと松竹 竹中さんの対談&会場からの質問 → 静御前への化粧と着付け → 静の舞 → テーブルを廻っての記念撮影 → 希望者は2ショット撮影 と盛りだくさん。企画の方々も随分と考えられたのではないでしょうか。

 それでは、特にこのような時にしか知ることのできない話の一部を記しませう。

 対談編:

・歌舞伎には大人数が関わる。前日の鎌倉芸術座での歌舞伎公演は、出演者20数名であるのに、総勢95人が様々な担当を担う。

・お父さんからは、舞台で転んでもいいが、その時にも女形として転べと言われる。

・化粧については、昔は指一本で仕上げていたところも、今は各種の筆で緻密に描く。一番前からオペラグラスでご覧になる方もおられますので・・・と笑わす。

・女形としてやってく決心は18歳の時だそう。それから20キロもダイエットをしたとか・・・驚き!

・女形で大切な事は、1.声、2.姿、3.顔 だそうです。なるほど、四階席から顔は見えなくとも、声は聞こえますもね。

・お父さんから演技で言われるのは、「横に胸で八の字をかけ」。・・・・そうか、これが玉三郎さんのクール系とは正反対の、芝雀さんの女らしい女形の秘密だったのか!

 化粧編:

・13:14に浴衣姿で、頭に鬘の下用に帽子と呼ばれるものを付け始めてから、13:55に着付けまで完了しました。私たちにとっては41分間の大ドラマでございました。

・目はりと口紅をつける部分は、役者さんが化粧で最も集中する瞬間なので、話しかけては駄目だそうです。

・難しさでは、眉毛が一番難しいとおっしゃてました。

・私見ですが、紅で目はりをし、口紅をつけ、そして まゆを薄紅で書いた瞬間が、妖艶な女らしく変身をした瞬間だと感じました。美しひ・・・。

 ということで、テーブルに来られ一緒に写真も撮れたし、間近でも美しい姿を見られたし、ファンにはたまらない企画でしたでしょうし、それだけではなく、一般の方が歌舞伎に興味と理解を深めることにもとてもつながる企画だと感じました。やはり日本人だもの、こんな深くおもしろいものを、ほって置く手はないぜぃ!ということで、今後も期待。

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 2002/6/22

 ワールドカップも日本がトルコに負け、一旦クールダウン。後は、ブラジルとドイツが楽しみかな。

★★★★★ 六月大歌舞伎 蘭平物狂

 これは、完璧な出し物であった。辰之助と松緑を私は評価をしていなかったが、この"蘭平物狂"の出来と適役ぶりには脱帽。

 そう、私は松緑さんを、必ずしも美男子ではないし、演技が直球だし、艶に欠けるので、今までは評価はしていなかった。魚屋宗五郎の殿様もただ声が大きかっただけだし。

 ところが、まず今日は一幕見席でも立って観るほどの盛況ぶりだし、何よりも劇場の大向うの量が凄かった。"音羽屋"は当たり前として、"四代目"などの大向こうも、バシバシとロナウジージョのフリーキックの如く、鮮やかに舞台に投げ込まれる。いやぁ、見事だ。松緑の蘭平も、色艶は無いが、声は大きく、振りの切れはそれなりにある。口舌なんざぁ、ちょっと市川団十郎さんに似ていますね。(本人も意識をしているかも・・・三箇所くらい、口調がそっくりだった。新之助よりも団十郎に似ているのぅ・・・)

 そして、上手かったのは岡村研佑の繁蔵。ちょいと敵の首を取るには力不足で荒唐無稽だが、その一途な演技には大拍手。

 ということで、後半の大捕り物も、刀に梯子に大迫力であるが、蘭平と息子の繁蔵のやりとりもホロリとさせる。なかなか情感溢れて上手し。全体的に、大向うが華を醸し出し、この演目は大盛況、大満足である。


2002/6/8

 5月はなんと一度も歌舞伎座にいけなざんだ。千秋楽の日に友人と待ち合わせまでして世間はワールドカップで盛り上がっている。かく言う私も、イタリアの後方からFWに放り込むような一発のパスの華麗な弾道に歓声をあげ、ブラジルの何気ない瞬間的な足技に感嘆しております。一発パスは玉三郎が手を広げながら一回りをして空気をもコントロールした時の歓声に似ており、瞬間的な足技は玉三郎の手先の捌きへの歓声に似ているか・・・(この感覚わかるかな!?)

 さて、今月は万難を排して、最初の週末に向かいましたが、仕事が遅れ最後の25分間のみ観劇・・・トホホ。

★★☆☆☆ 六月大歌舞伎 魚屋宗五郎

 つい先日に、勘九郎さんの宗五郎を観た様な気がしましたが、実際には一昨年の九月の歌舞伎座でしたね。勘九郎の軽妙洒脱の宗五郎と、菊五郎さんのちょっと艶の漂う宗五郎。酔っ払い度は、勘九郎に軍配!

 遅れ遅れて歌舞伎座の四階まで駆け上がり、20:30頃にやっと一幕観席へたどり着く。おっ、四回の席が少ないぞ。今まで一幕観席に通った中で、一番少ないかもしれない。これは、この六月歌舞伎の人気不足のせいか、6/7は運命のWCup イングランド vs アルゼンチン戦か!? でも辰之助 改め 松緑さんで2ヶ月の襲名披露は、少々辛いか。私自身は、まだ正直に言って、松緑さんの良さがわかりません。

 最後の25分間だけなので、入ったときには菊五郎の宗五郎が既に殿様宅の玄関で捕まえられ、女房の田之助 おはまも到着し旦那を制している場面。すぐにご家老さまも登場。勘九郎さんの時には、「ご家老さまのご苦労様」なんて駄洒落が飛び出し、勘九郎が言うとなぜか爆笑につつまれていたなぁ。勘九郎は、目まで据わって完全に酔っ払いだった。菊五郎さんの宗五郎は、まだ品があるね。己を捨て切れていないというか。でも、丹前の右肩をはだけていたのは、なぜか色気があるね。そして、声は良いねぇ。

 松緑さんのお殿様は、真っ直ぐ一直線に勢いよく、という感じで可もなく不可もなく。

 という訳で、昼の玉三郎さんの"其小唄夢廓"と、新之助さんの"鬼次拍子舞"を見に行きたい今日この頃・・・。


2002/4/29

 仕事が忙しく、しばらく行けなんざぁ。やっと千秋楽に行って参りました、歌舞伎座へ。

★★★☆☆ 四月大歌舞伎  ぢいざんばあさん

 玉三郎さんが一日の最後の演目に出るということで、会社帰りの歌舞伎座通いには格好であるはずだが、"ぢいさんばあさん"というタイトルに玉三郎の婆さん姿を観るに忍びなく、ずるずると行くのが延びておりました。しかし意を決して、最後の日に行ってまいりましたぁ!(笑)。

 結論。正統派の心温まる小品ですね。勘九郎さんと玉三郎さんが、スターウォーズにもディズニーのアニマトロニクスにも負けない老けぶりで、とてもかわいらいしい老夫婦を好演です。浮世の埃をはらい、ピュアな夫婦愛の世界に導いてくれます。

 勘九郎 美濃部と玉三郎 るんが若い頃の様子を描くシーンでは、彼らに絡む意地悪い役の橋之助 下嶋が、なかなか良い。豪快にネチネチといびる役がはまっている。

 そして、無念にも義理の弟の罪をかぶり愛する妻るんと離れ京都へ向かう美濃部。京都での鴨川の夏の納涼床のシーン。そもそも、この納涼床というのが良いねえ。あるのは、TVなんかでもチラッと見て知っていたが、この劇中で見て、無性に行ってみたくなりましたぜぃ。これは東京では味わえないからなぁ。というのは置いておいて、勘九郎 美濃部が、皆に余興をせがまれ、思わず懐から妻の手紙を取り出すシーン。手紙に挟まれていた桜の花びらを、勢い良く空に撒く。「月は京。花は江戸」という言葉と共に。この桜の花びらが舞う光景がきれいでしたよ。

 37年後に、下嶋を切ってしまった美濃部に許しがおり、いよいよ昔住んでいた家で再開する場面。勘九郎のおかしみのある、昔の家やすっかり太く育った桜の木を懐かしく愛でるほのぼのとした姿は、上手い。そして、籠に乗って玉三郎 るいの登場。黄金の打掛が素晴らしい。いやぁ、ため息がでますよ。さすが衣装にこだわる玉三郎さんです。37年離れ離れで過ごし、いざ会えるという場面ですが、品の良いお婆さまを演じています。かなり背を小さく見せようとして身体各所の関節を折っていますし、手をつくときの手の甲と指の表情も、普段とは異なり関節の節々が強調されていたような感じもする。

 ということで、実にかわいらしい微笑ましい玉三郎と勘九郎でした。


2002/3/30

 美しい映像に打ちのめされた・・・。

 ★★★★★ 映画 花様年華 

 とてもとても美しい映画を見た。ウォン・カーウェイ監督の"花様年華(in the mood for love)"。カンヌで3つの賞をとった映画とのことだが、以前から紅を基調としたポスターが気になっていたが、やっとVIDEOで見た。

 同じときに部屋を借りた2組の夫婦の話。トニー・レオンの1組目の夫と、マギー・チャンの2組目の妻は、夫々のパートナーが実は不倫をしていることに気づいてしまう。それを機に、惹かれあうトニー・レオンとマギー・チャン。でも、マギー・チャンは一線を越えることを拒み、濃密で切ない時間が続いていく。二人は、互いのパートナーを問い詰めるシーンを演じてみたり、やるせない遊戯が続く。そして、男は外国へ旅立ち、悲しいほどのすれ違い・・・そして、The end。

 部屋の揺れ動くカーテン、マギー・チャンのチャイナドレス等、映画全体が紅が印象的に使われる。じれったくなるほど、淡々と紡ぎ出されるストーリー。マギー・チャンという女性も、そのチャイナ・ドレスの完璧な着こなしといい、その後姿の柳腰といい、とても美しい人ですね。

 そして、音楽で印象的なのは、梅林茂さんの"夢二のテーマ"とナット・キングコール。この夢二の音楽が、まるで胡弓の如くにむせび泣くバイオリンの旋律が美しい。対照的に、リズミカルにメランコリックに流れるナット・キングコールの"キサス、キサス、キサス"等のラテン、ルンバ。

 うーむ、夢二以外は和風では無いが、完璧な美しさと官能という意味で、打ちのめされた作品。皆様もごらんあれ!ちなみに"花様年華"とは、満開の花のように、成熟した女性が一番輝いている時のことだそうだ。うーむ、大人の世界だぜぃ。

 

 ★★★★★ 三月大歌舞伎  十六夜清心 Vol.4

 さて先日 私自身初めての経験である同一作品4回目の観劇を実施。今回新たな気づきとしては以下の2シーン。

シーン4:仁左衛門 清心の帯の縦結び。彼はキモノの帯を、自分の前の部分で垂直になるように結んでいた。このような結び方は初めて見た。でも、それがすうっと一本芯が通っている様を表すようで、スマートなのである。盛り上がりも無いし、とてもきれいな結び方。背の高い仁左衛門には特に映える。

シーン5:一幕目の最後に、溺れた所を助けられた十六夜と白蓮と暗闇で出会っただんまりのシーンの後、さっそうと花道を去る仁左衛門 清心のニヒルな笑み。求女を殺し、悪の道への悟りを開いた後に、十六夜と闇の中でそれとわからずにすれ違う人生の不条理。最後に花道で、腕を大きく回しながら組み、頬かむりをして、月を見上げる清心。そして、その眼光はキラキラと光り、悪への決意と、自分の理性と運命への決別を胸に秘め、ニヒルに見得を切る。

 私の観た中での三大ニヒルなシーン。

1.忠臣蔵の五段目:新之助 定九郎が金を盗んだ後に、イノシシと誤られ鉄砲で撃たれて死ぬ際に、虚空を両手でつかもうとするしぐさと、新之助の鋭い悲しい眼光

2.籠釣瓶のラストシーン:勘九郎 佐野次郎左衛門が、自分を裏切り笑いものにした玉三郎 八つ橋を、刀で切り裂いた後。蝋燭の炎で刀を確認し、ニヤリと笑う勘九郎の狂気の眼

3.そして、この十六夜清心の一幕目最後の仁左衛門 清心の清々とした悪の眼光

 悪の華は、どれも美しい・・・。


 2002/3/21

 今月は仕事が一段落をしたので、多少自由な時間がとれるので(なぞと言い訳をしてみたりして・・・笑)、またまた歌舞伎座へ吸い寄せられる。定位置は、一幕見の四階、一番上手の通路の沿いのいずれかの席。ここだと、花道がちょっとだけ見やすいのですよね。まあ、そこらへんの席で黒いミッション・バッグ(要するにランドセルみたいなものか)を持った、クールな眼鏡をかけている仁左衛門さん似の男がいたら、それは私です(笑)。また吸い寄せられそうなので、見かけたら声をかけてやってくださいな。

 ★★★★★  三月大歌舞伎  十六夜清心 Vol.3

 さて、前回見たときにあるように、仁左衛門さんのファンになることを誓い、仁左衛門さんのような"色悪"になることを誓った私なので、今回は仁左衛門 清心のディティールに迫る。

 幾つか仁左衛門 清心の印象的な演技を記す。

 シーン1:勘太郎 求女(実は十六夜の弟)が大金を持っているのに気付き、そして介抱をしている時に、求女がお金の由来を語る間に、清心が濡れたキモノの袖や裾を絞り水を取るシーンがある。この袖を絞る時の手つき、仁左衛門は両手とも、人差し指をピンと立て、中指をゆるく曲げ、薬指と小指は固く握る、という手の形をしている。これをさりげなくやると、手がきれいに見える。

 シーン2:清心が、求女を殺してしまってから後悔の念にかられ、目と額や口を右手で覆う仕草を何度かする。まず、仁左衛門は手が大きく、そして指が長いのが、非常に効果的。そして、この時の右手の甲の形は、柔らかく少しだけ丸めるが、第三関節(指の付け根の所)がきれいにくっきりと盛り上がるようにする。これが、苦悩とと色気を出す。

 シーン3:清心が、求女を殺した後、短刀で切腹を何度もしようとして、腹に傷をつけ「アイタタッ」とおどけてみせた後、最後に片膝をつけながらの見得を切りながら、「しかしぃ、待てよっ」と心変わりし、「待ってました!」と大向こうがかかる場面。右足を思いっきり投げ出し、足を長く見せつけ、短刀を持った両手、特に左手も思いっきり身体から離し、大きさを見せる。そして、ちょっと潤んで光る眼で、斜め上に月を見上げる。ここの、ぶっきらぼうに投げ出したような姿により現実や俗世と瞬間的に離れた気持ちを見せ、その直後に月を見上げる眼光で、ベクトルを悪へ変えながらしっかりと意識が戻り場が締まる。

 この後はおなじみのセリフ。下品にならぬよう、ぎりぎりの所で声を鼻にかけ、思いっきり悪ぶって語る。

 「今日、十六夜が身を投げたのも、またこの若衆の金を取り、殺したことを知ったのは、お月様と俺ばかり。

  人間わずか五十年・・・同じことならあのように騒いで暮らすが人の徳。

  一人殺すも、千人殺すも取られる首はたった一つ・・・・こいつは滅多に死なれぬわい

以上、男のあなたも、女のあなたも、仁左衛門の色悪に迫ってみてくださいな。


2002/3/16

 今日は晴天。おだやかな日。鎌倉では、枝垂桜も八重桜もいきなり満開です。

 サイトにご訪問いただいた方から教えていただいた、雑誌"婦人画報"のなかにし礼の短編"さくら伝説"が、とても美しくエロティックな小説で、つい ちょっと辺りを憚りながら立ち読みを二度もしてしまいました(笑)。

 ある女性が、不安げに彫師の所にやってくる。最初は腿の付け根の部分に小さい桜の花びらを彫ってもらう。そして、それに満足した彼女は、背中全体に満開の桜を彫ってもらう。そんな彼女が桜を背負う理由は・・・・不治の病におかされているはずの夫が、実は、妻である彼女には秘密の逢瀬を重ねていた・・・。そして、最後の章で 彼女がつぶやく「桜の刺青はある私を、妻だとは思わなければいい。・・・私は"桜の精"よ」という言葉がいい。

 桜とエロス、刺青とタナトス。普通の女性に潜む、女のぞっとする怖さ、ううむ、美しすぎる・・・。 お勧めですぜぃ。

 

 さて、歌舞伎の十六夜清心へまたまた木曜日に行って参りました。今回はオペラグラスを持っていったので、"十六夜清心 観劇記 ディティール版"ということでご報告します。

★★★★★  三月大歌舞伎  十六夜清心 Vol.2

 今回はオペラグラスを忘れずに、四階へ上がる。

 まず、一番お勧めの、そして定番の"序幕"。郭から逃げ出してきた玉三郎演ずる 遊女 十六夜。水色の羽織をとると、上は真紅、そして下は水色というキモノ。燃えるような真の色と、唇をく、目元も仄かに仄かにくしている姿が、艶っぽいだけでなく、そして会えなくなる清心に心底追いすがりたいという悲壮な決意が表されているように思い、印象的。鏑木清方の日本画の遊女のように、正統派な美しさである。

 そんな十六夜が清心とであい、実はお腹に子供がいると告げ、二人で徐々に入水に向かって盛り上がっていく場面。清心が十六夜を抱きしめるように後ろに立っていると、十六夜が清心の腕をとり、自分の胸の前に彼の拳を持ってくる。そこで、握り締められている清心の拳の指を、一本一本いとおしそうに開いていくシーンは、艶かしく美しい。こういう表現の方法があったのかと感心。

 二人が美しく稲瀬川に飛び込むシーンも、まさに飛び込む途中の瞬間に、ハラッと幕がおり、そのストップモーションのような映像がよろしい。

 さて、死に切れなかった仁左衛門 清心であるが、大金を懐に持つ勘太郎 求女を介抱しつつ、最後に殺して金を奪うシーン。勘太郎は美しく通る声がなかなか良い。

 そして、私はあまり今まで集中的に見ていなかった仁左衛門さんである。以前 確か東京銀行の宣伝に娘さんと出ていて、銀縁の眼鏡に、幸せそうに微笑んでいるその"正しい家族"姿が頭にこびりついており、舞台での"色悪"姿とのギャップに、ちょっと今までファンになるのをためらっていたのだが・・・。そして、今回の清心姿はほんのちょっとだけ、肌に張りが無くなってきているようにも感じるが・・・。 But しかし、2月の菅原伝授での道明寺や昨年10月の伽羅先代萩での仁木弾正を見て、語らぬ存在感が良いと思っていたのだが、今回の清心のように語らせても良いことをあらためて認識した。そうそう、以前にTVで、玉三郎との"かさね"を見ても、その凄絶な美しさとカッコよさは凄かったね。ということで、正式に仁左衛門さんのファンになることを、ここに宣言しよう!笑)。猿之助から始まった私の歌舞伎ライフであるが、猿之助、勘九郎を押しのけ、新之助、玉三郎と仁左衛門が私の中で現在のベスト3役者となった。新之助はちょっと年齢的とあのエキセントリックな面で真似は難しいから、妻子家庭持ちの私は、仁左衛門さんのような"色悪"を目指すことにしよう・・・(笑)。

 二幕目の十六夜が出家する場面。玉三郎さんの剃髪姿。妙にそり後がつるっとしていたなぁ。大詰めは、乞食姿の玉三郎と仁左衛門。ううむ、ザンバラ髪の玉三郎は、どこかミュージッシャンの坂本龍一を思い出させるのも、一興か。二人の軽妙な語り口、玉三郎のかわいらしいが自由自在な悪女役、見せますねぇ。そして、最後は兄弟だとわかり、追っ手に皆で立ち向かう大団円。満足、満足。

こんなおもしろい作品に、一幕見席も座って見られるということで、今回は五つ星。昼の仁玉の"二人椀久"も見たいことよのぅ・・・。


2002/3/10

 この間出た、MISIAのベスト版"MISIA GREATEST HITS"の中の"果てなく続くストーリー"(NHKの冬季オリンピックの曲)に聞き惚れている。埼玉アリーナでのライブの録音なのだが、これだけ唄えるって凄いねぇ。

"夜の露を払って 花は咲いていくもの、

 涙を払って 人は行くもの

 過ぎた思い出達が 優しく呼び止めても

 私はあなたの戸を叩いた "    作詞 by MISIA

 うーん、切なさとPositiveさが入り交じり、全ての思い出がスローモーションになり、そして明日への仄かな活力が生まれる。

 

 さて、3月歌舞伎座に行って参りました。

★★★★☆  三月大歌舞伎  十六夜清心 Vol.1

 これが、客の入りは今一つですが、オペレッタの様で良いのですよ。お勧め、お勧め。十六夜清心は、善と悪の転換が見せ場の序幕だけで上演されることも多いですが、今回は通しで見られるのが良い。しっとりとした二幕目、そして展開のはやいどんでん返しの明るい大詰めと、全ての要素が盛り込まれています。オペレッタの"こうもり"を見るが如く、確かに軽さは否めないですが、ちょっとした心地よい充実感が得られます。通しで初めて見ましたが、ストーリーがおもしろかった。それに今回は、仁玉コンビですしね。

 場所は鎌倉極楽寺の僧 清心が、郭の女性 十六夜と交わってしまい女犯(にょぼん)の罪を犯す。その二人が川端で出会い、稲瀬川に二人で身を投げる・・・。(という我が家の横の稲瀬川での話ですが、今の稲瀬川では底が浅く、身投げは無理ですな・・・・笑。)そして、十六夜は俳諧師、実は大泥棒の白蓮に助けられ、囲われる。清心は自力で這い上がるが、その後寺小姓の金をつい殺して奪ってしまう。そこで、数々の罪を犯した末に、清心は豹変するのだ。仁左衛門さんの一番の見せ場。

 そんな十六夜が、白蓮のもとから、清心を供養するために、剃髪をして父親と旅立つ。慈悲深く太っ腹の白蓮。玉三郎の剃髪姿は珍しいので!?

 大詰めでは、箱根で出会ってしまった二人が、悪の道に入り、白蓮の家にゆすりに乗り込む。小汚い姿の玉三郎と仁左衛門。玉三郎が小悪党ぶり、まるで勘九郎さんの様な言い回しで、洒脱に語る様も、これも珍しい。さて、その後の展開は・・・・見てのお楽しみ!

 今回は、オペラグラスを持っていかなかったので、仁玉のディティールは見られなかったが、逆にこの意外な展開が堪能できた。わかりやすいストーリーなので、初心者の方にもお勧め。四階席も、席がまばらに空いていたので、ゆったりと見られる。

 さて、今月はオペラグラス片手に、あと二回は十六夜清心を見に行きたいのぉ・・・。


2002/3/7

 最近読んだ雑誌から、日本の特質と方向性について感じたことを記す。

 まず、BRUTUSの3/15号の「あなたが乗っても いいクルマ!ダメなクルマ!」から。私は結構マイナーな外車に乗っているのだが、そのメーカーが「誰にも教えたくなかった小料理屋」というタイトルでよい点:「奥ゆかしくも芯の強い女将のごとき深い乗り味」と評されている。「小料理屋」なんて和風の評をされていたのは、このクルマだけであった。ちょっとうれしい。決してかっこいいクルマではないが、ちょっと不細工な所もあきが来ないし、モデルチェンジは少ないし、すぐわかるし、オリジナリティと安全性という点で結構気に入っているのである。

 なんていう話は本論ではなかった。BRUTUSの120ページに「それでもやっぱり日本車はカッコ悪い?」という問に、色々な立場の四氏がこたえる。

 まず、軟派社会学者の宮台真司は、「テイスト」という言葉を持ち出し、「私達はこれを提案したい。こういう伝統を作ろうとしている。こういうテイストを作ろうとしている」というコミュニケーションを今の消費者は必要としている、と述べる。そして、「機能は、スペックは入れ替え可能であるが、テイストは伝統が無いと作れない」という。この指摘はあたっているね。今までも日本の経済構造や真似や追い付きを基本とした製造業などに関して、似たような指摘はあったが、「テイスト」という言葉を使ったのは初めて聞いたが、いい表現だと思う。

 次にNIKEや公文の広告を手がけるディレクターの佐藤澄子さんは、日本車がカッコ悪く見えるのは、「作りたくて作っているクルマだという意思や情熱やこだわりが見えにくい」からだと指摘する。広告やブランディングの観点でいうと、「どういう気持ちで、どんな価値観のもとで作られたか」ということがはっきりしていることが重要で、メッセージはシンプルなほど伝わりやすいという。そして、日本車でもプリウスを評価し、ホンダがアメリカで評価の高いのは、会社のストーリー性が見えるからだとのこと。うーむ、猿之助さんのスーパー歌舞伎の事を、価値観やメッセージのシンプルさとして思い出すのぉ。

 最後に、最近スカイライン等の日産CMにも出ている髭のデザイン本部長 中村史郎さん。「クルマからネガティブなものを排除していくと、どうしてもジェネラルになる。そうして一貫した姿勢、個性がなくなっていくと、結果的に失うものがある」と述べ、アウディのどのランクのクルマも一貫性あるデザインを褒める。

 ということで、日本のみならずアメリカでも市場シェアが向上中で売れているから勝ちであるという見方も一方であるが、日本車のおかれた状況はしょせん真似事にしか過ぎない欧米文化や娯楽に走りがちな日本の状況にも、結構当てはまるかもしれない。日本文化の将来を考えると、自動車に関してもオリジナリティと利益率を一定達成している欧州の自動車業界とデザインが参考になるのでしょうか。

歌舞伎は、老若男女が楽しめて超高級車から2シーターオープンまで揃えるダイムラー・ベンツ

お能は、ターゲットは狭いが高いが良い無駄の少ないクルマを出すマセラッティ。(マセラッティは乗ったことがないので、推測・・・笑)

狂言は、一貫性を持ちつつヤンチャなホンダ!? 

あなたなら、どう当てはめる!?

*もう一つ凄い迫力のある含蓄を含んだ言葉を紹介する。月刊"現代"3月号の大リーグ ピッチャーの野茂英雄に対するインタビュー。

「Q.最後に今シーズンの目標を?

A.ここまでやってきて今のスタイルを変えたくないんですよね。自分のスタイルを貫くために努力をしてきたわけですから。今を維持しようではなく、このフォームを、あるいは野球に対する僕の考え方が今よりももっと通じるためにはどうすればよいか、ということを追求していきたい。要するに自分を変えなくていいように努力をしていきたい。」

 自分のスタイルを変えないために、外界が変わることに対して、自分が努力をして自分を貫けるようにする。うーむ、生きた伝統を継承する時にも、同じことが言えるし、日本の各文化も大リーグと同じような努力をしていかなくてはいけないんだろう。野茂、本質をつかんでいる。凄し!


 2002/2/12

 ソルトレークの冬季オリンピックが行われている。なんと言っても、背筋がゾクゾクしたのは、フリースタイルの里谷多絵さんが、銅メダルをとった滑り。最初の出だしはちょっと暴走気味だが、すぐに修正し彼女得意の正確で速いターンを展開。一回目のジャンプはダブルで、そして難関の中盤もきちんとスキーをコントロールして、二回目のトリプルジャンプへ。その後のすざましいスピードで小さいターンを描きながらゴールに飛び込んで来たときには、まるでオペラのすばらしいアリアを聴き終わった時のように、感動のゾクゾク感が走った。私も学生時代に少々スキーをやっていたが、破綻しながらギリギリでそれをコントロールできた時の快感は、言い尽くせぬものがある。歌舞伎でも、"異形の美"とか、"破格"とか、同じような感覚があるのかなと思う。

★★★★☆ 菅原伝授手習鑑 三幕目 道明寺

評価は星4.5個というところか。 見ごたえあり。

寺子屋の黒い留袖とはうって変わって、玉三郎 刈屋姫が、真紅の着物で登場。鮮やかなり。その刈屋姫が、芝翫さんの母 覚寿に折檻される。芝翫さんは、正直言って美しい女は顔型より似合っていないと感じるが、こういう枯れたお婆さん役は似合っているねぇ。そこへ、道真の木像から、折檻を止める声がした。

 左団次 宿弥太郎が、謀略を知られ妻の立田を惨殺する姿も、なかなか妻がだまされれたという驚きと恨みと、それが愛していたから故の心の増幅もあらわされ美し。立田は秀太郎さんかな。夫に惨殺される無念の一瞬の表情が、美しかった。


 仁左衛門の道真、ちょっと言葉を述べる声が小さいところが改善の余地があるが、うーんクールでかっこ良い。また、全身をゆったりとくるむ、ちょっとドレープのある服は、仁左衛門の顔の小ささと相まって、非常に未来的な服である。今の私達が着ている服よりも、ちょっとダボッとしたグランジ系の雰囲気もあり、いとカッコよろし。三宅一生なんかの布をうまく使ったデザインでありそうだな。ということで、深緑と白の衣装を変えながら、実物と木像を使い分けながら、謀略を乗り切る道真。悪の宿弥太郎とその父も、めでたく成敗される。

そして、道真が最後に九州へ落ちていく場面での、玉三郎 刈屋姫と仁左衛門 少将の別れのシーンは、なぜか背筋がゾクゾク、ゾクゾクした。美しい・・・。

 仁左衛門はしゃべらなくともカッコよいねぇ。少し野蛮さというか、狂気を秘めている美しさの新之助に対して、仁左衛門はもう少し丹精だが、もしかするとゾッとするような危険さを秘めている美しさ。以前見た仁木弾正役も、ゆっくりと裾を引きながら歩くだけで、空気を自分のものにしていたしなぁ。

 私も、新之助を目指すのは年齢的にちょっと辛いから、クールな仁左衛門を目指そうかぃ・・・(笑)。


2002/2/4

 2/3の二月歌舞伎座初日に、雨の中を行ってまいりました。

★★★★☆ 菅原伝授手習鑑 五幕目 賀の祝

 いままで菅原伝授は寺子屋と車引きは観た事はあったが、この「賀の祝い」は見るのは初めて。

 おっといきなり、玉三郎 松王丸の妻と、芝雀さん 梅王丸の妻が仲良く二人で登場。玉三郎が鶯色で、芝雀さんが深い紺と、派手ではないが落ち着いたきれいな色。そんな二人に、吉右衛門 松王丸と、団十郎 梅王丸が登場。二人のにらみ合い、蹴飛ばしあい、米俵の投げあいも、いかにも様式美でよろし。団十郎の通る威勢の良い声に対して、吉右衛門もなかなか張り合っている。剛勇無双で、大向こうにも力が入る。

 さて、福助さん 桜丸の妻と、左団次さんの三人兄弟の父親が登場。ちょっと最初は左団次さん きびきびしすぎだったが、語りから観衆をひきつける。剛勇無双の松王丸と梅王丸を叱り付けるが怒りが収まらない。そこへ、梅玉さんの桜丸が悲壮に登場。加茂堤の責任を取り自害をするという。驚きおののく福助。しかし、桜丸は、腹に刀を突きつける。白い顔に、ほつれ毛が美しい。

 玉三郎、芝雀さん、福助と三人の今をときめく美しい女形。見ていての違いは、身体の動かし方が、玉三郎はツゥー、芝雀さんはツ、ツゥー、福助さんはトゥーンという感じでしょうか。(ううむ、あまりわからないか・・・)。あと、福助さんだけは、手指の形が人差し指を少しだけ中指よりも立てるシーンが多かったか。剛勇無双と、三人の美と、はかなく散ってゆく男の美、というものを堪能できる盛りだくさんの作品です。

 

★★★★☆ 菅原伝授手習鑑 六幕目 寺子屋

 こちらは、定番ですね。富十郎さんが、寺子屋の先生 武部源蔵を演じているのですが、富十郎さんがとても人間臭くて良いですね。前の幕の、団十郎、吉右衛門、玉三郎、福助・・・・と良くできすぎている異次元空間に対して、急に普通のそこら辺にいそうなおじさんが出てきたという感じか(笑)。

 黒留袖(?)の玉三郎さん 松王丸の妻が、自分の息子を連れて寺子屋に来て、死するかもしれない我がことの戸を間にはさんだ別れの場面が名演です。クールな中に、そこはかとなく漂う辛さ悲しみが出ています。

 途中の玉三郎さんと息子の別れのシーンを、物まねで笑わせるシーンがいとおかし。上手いぞっ!

 最後の無念の松王丸と妻 玉三郎が寺子屋を訪れて、武部源蔵夫婦と語り合うシーンは、もう少しスピーディでも良いかも。孝太郎さんは、もう少し化粧を上手くする必要あり。

 でも、吉右衛門の松王丸と、悲しみのアダージオ 玉三郎が良い。いやあ、久しぶりに、玉三郎の抑えた悲しみの姿を見た。美しかった・・・。


2002/1/27

 この週末に見たTVの話題を。

★★★★☆ NHK芸能花舞台 1/26 − 伝説の至芸・武原はん 

 非常に良かったのが、地唄の名曲""を、武原はんさんが、54歳から88歳までの舞台を次々につなぎながら一曲通しで流したこと。例えば歌舞伎でも日本舞踊でも、30歳40歳はまだ子供、50歳からがやっと一人前みたいな風潮も一部ある。この考え方に、私は封建的なにおいを感じて反対なのであるが、そうは言っても実際に年齢何歳の時に最高潮が来るかというのは、私の中で実証されていなかった。もちろん人によって違うであろうが、実際に同じ曲を同じ人により年代別に見るというのは、TVやビデオならではの企画である。私が一番上手くて気に入ったのは、74歳の武原はんさんの舞である。一番"切れ"と"艶"の絶妙なバランスが良いような気がした。

 もちろん88歳まで、きちんと見ごたえのある舞台ができるのは、解説でもあった印象的な言葉であるが、武原はんさんは"プロポーションが良い"のである。日本舞踊を評するのに、「プロポーション」という言葉を使うことは意外であったが、たしかにバランスの良いスタイルとしっかりとした筋肉が欠かせない。かつ、武原はんさんは、普段も舞台も"男顔"かなとも思った。だから歳を重ねても、舞台でくっきりとした顔で、見栄えがするのであろう。

 いやあ、以前玉三郎の"雪"も観ましたが、この地唄は良いねぇ。出だしの高いトーンが胸に突き刺さるねぇ。(私の心も恋に焦がれているせいであろうか・・・笑)


 

2002/1/21

 先日本屋にて「痛快 オペラ学」(小学館インターナショナル)を読んでいたら、いきなり「サッカーとはまさに"戦争"の代わりであり、オペラは"愛"と"SEX"の代わりである」と冒頭から書いてある。絵は池田理代子さんか。オペラが"愛"と"SEX"の化身ならば、我らが"歌舞伎"は何も化身か? "粋"と"華"と"官能"か!?

 評判が高いので、今月歌舞伎座二回目で、勘九郎の"鏡獅子"を見に参る。

 ★★★★★ 歌舞伎座 "春興鏡獅子" 

 いやあ、後半の疾走感、ドライブ感が凄い!身震いが三度くらいしたぞ。オペラのソプラノの搾り出す声の快楽も良いが、股の下で荒ぶるリッターバイクを操り、きれいにカーブを切って曲がって行った時の様な高揚感だ。研辰は今一つだったが、今回はBravo!

 前半の女小姓での踊りは、美貌も背も女らしさも中庸の勘九郎が、少々足がきちっと踊りすぎている様に感じた。四階席から見ているのであるが、妙に片足がきちんとぴょこんと上がる感じと、摺り足も元気が感じられてしまった。さっそうとした感じを出しているのかもしれないが。

 一挙に本領を見せたのが、飾ってあった獅子頭を右手に持ち、獅子頭の口が"カチッ、カチッ、カチカチ"と鳴り出すシーン。身体のスローなスピードと獅子頭のはやいスピードが非現実感と緊張感を高める。ここで一気に魅入ってしまった。あのアンバランスさと怯えてでも没入していく表情も良し。

 後半の獅子になってからも、切れの良い動きは非の打ち所が無い。片方の膝を曲げたまま床に落ちる見得の部分も、痛いであろうに果敢に挑戦し、素晴らしいきっぱりとした音が心地よい。普段大向こうをかける時に恥じらいが残るShyな私も、最高潮の部分で自然に"中村屋!"と腹から声を出していました。その瞬間、勘九郎と共にエクスタシーを感じていました(笑)。

 一幕見席で立っている人が5、6人という状態であるが、この演目は玉三郎の鷺娘並みの価値のある作品だ。なお、怪しげに不饗和音を作り出す横笛の演者が上手い。存在感のある伸びのある音を聞かせてくれる。 さあ、皆で歌舞伎座へ急げ!私ももう一度見ることにチャレンジするぜぃ。


2002/1/7

 新年早々、江ノ島に不振侵入者が出現とネットで昼間ニュースが流れたが、結局"狂言"とのこと。江ノ島神社も良い迷惑か、それともひょんな所でのグローバル化かいな!?

 1/4に仕事帰りに歌舞伎座によりましたので、報告します。

 ★★☆☆☆ 歌舞伎座 人情噺文七元結(にんじょうばなし ぶんしちもとゆい)

 左官で博打打と酒を止められない吉右衛門 長兵衛であったが、見るに見かねて娘が吉原に身を売りに行く。玉三郎 吉原の角海老女房がこんこんと諭し、長兵衛が借りている50両を持たせて返す。ところが、50両を無くして身投げをしようとしている染五郎 文七を見て、「命は金じゃあ、買えねぇ」と渡してしまう長兵衛。翌日 実は置き忘れただけだと文七とその主人が謝りに来て、50両は元にもどるわ、文七と娘の婚姻も決まるわ、という落語が元ネタのおめでたい世話物。

 まあ正月にはぴったりだが、私の趣味とは異なるし、少々芝居が一本調子か。吉原の女主人を演ずる玉三郎の話し方が、わざと演じているのだろうが、ちょっと話し方に間があり、人情味はあり人は良さそうであるが、決して頭が切れるタイプではない役柄を出しているのであろうか。こういう玉三郎の役柄は珍しいと思う。しかし本当は、もっとクールで性を超越した美しさを見たかったが・・・。

 ということで、顔見世の街のホッとステーション話という所か。温かいふくよかな熱燗を一口飲み、銀座の寒空に出る私達へのエールか。軽い気持ちで見るとよろし。


2001/12/1

 ところで、この"Cyber Japanesque 電脳和風空間"というサイトは、今年の春から"インパク"に出ている。出ているといっても、表面上は以前からやっているこのサイトの右上にインパクマーク(インパクへのリンク)を貼っているだけなのだが。それでも、政府が堺屋太一と糸井重里をたてた、このちょっとくだけた"インパク"なる催しを、きちんと予算を投じて行う、ということに興味があり、舞台裏も覘きたくての参加である。今年の12月末でこのイベントが終わるに際して、このたび11/30に"インパクミーティング2001"なるディスカッションとパーティがあったので参加してみました。

 ここから先は、一市民参加者としての意見です。

 新宿区の旧淀橋第三小学校という廃校を利用しての集まりは、糸井重里さんらしい、ひねった掴みでOK。パネルディスカッションのひな壇に、安田火災大阪府新潟市民のサイト代表と、糸井重里、荒俣宏、浜野助教授、政府代表藤岡さんと並ぶ。官・自治体・企業・民間人が対応にしゃべる所もOK。以下におもしろく参考になる話を記す。やはり、糸井さんの話が上手いし、真実を定性的にではあるがついている。

・「顔の見えるサイトが少ない」という藤岡さんの指摘もあったが、官民市民の中では、圧倒的に新潟市民 野内さんの「なじらね新潟下町おもっしょいところ」がおもしろいのである。画像が派手に動かなくとも、一つの対象をじっくりと多方面からの切口で、一人の人間が中心となりここまでできるのかという見本。資本や組織と個人が対等に戦いえるインターネット世界の見本である。

・作っているうちに、見ることよりも、表現する方が楽しい事に気づく、という指摘もその通り。そして、インターネットは、人間に決してゆとりをもたらすわけではなく、「忙しくなる、それで困っている。どう休むのかが大切。クリエイティブな休みの提案がほしい」と苦笑していた糸井さんの指摘はその通り。実感としてわかる。(と書いている今は朝5:00・・・苦笑)

・インパク=インターネットの博覧会という理解より、パリや大阪のような工業製品の見本市が頭にあったので当初は上手くいかなかった。新しいメディアも古いメディアの枠組みを真似するが、それでは本当には成功しない。そこから脱却して新しいモノを見つけ出して成功する。という主張もなるほどであるが、インパクでは新しいモノは出なかった。数少ない新しいモノというと、iモードの松永真里さんが頭に浮かぶが・・・・。

・ディスカッションでは、「インパクは成功であった」という意見が無かった。"始まりだ""ISDNからADSLへの変化の様に世の中の進歩がはやかった"、加えて糸井さんの"もう官がやるものとは、距離を置きたい"という本音もおもしろい。その中でこれも糸井さんがほぼ日刊イトイ新聞を例にひき、"インターネットはお金よりも、見えないポテンシャルができるんだ"というのは鋭い。その"見えないポテンシャル"を獲得するために、企業も個人もしのぎを削るのだろうが。ちなみに、メディア論の浜野助教諭曰く、"あたらしい""あやしい""あぶない"の3Aが、新しいメディアで成功する秘訣であるとまとめる。

 ということで、インパクが終わっても、私はこの"電脳和風空間"を今まで通りに淡々と楽しみながら続けますのでご安心を。もう少し、妖し・アブナイ面を出すと読者が増えるか!?皆さんそうしても良いですかぃな・・・?


2001/11/25

 今月は、団十郎、勘九郎、猿之助の三名人が、別々の舞台にて"義経千本桜"を通して上演するということで話題になっていました。私の方は、11/23に国立劇場の団十郎さんの千本桜を観て参りました。

 ★★★☆☆ 通し狂言 義経千本桜 国立劇場

 国立劇場 開場35周年の記念興行とのことであるが、国立劇場の周りにアメリカのデータベースソフト会社であるORACLEのロゴが入った鮮やかな緋色ののぼりが立っているのが、まず目を引く。歌舞伎座や新国立劇場はあるものの、ここ皇居横の国立劇場も独自の企画でがんばってもらいたいもの。それと、日替わりで一部と二部を上演し、週に1回通しで上演するというのも変則スタイル。通し上演は土日に集中させるほうがお客さんは集まるような気がするが、基本平日に通しているのは、お客の流れが実は平日のほうが多いからかな?
 
 今回は前から9列目の上手と、非常に席の場所は良かった。序幕 "堀川御所の場"では、義経 新之助とちょっと顔の大きい川越太郎の我當が良く見える。新之助はこういう丹精で静かな役だと、まだ存在感が今一つか。我當の演技が光っていました。この公演のちらし写真の雀右衛門 静御前があまりにも若いもので、てっきりこの幕に出てきた芝雀さんの静御前も雀右衛門さんと勘違いし、「若い、肌の艶が良い、首の動きがかわいらしい・・・」と私はうめいておりました(笑)。四幕目の"道行"のみ、静御前を雀右衛門がおやりになるそうで。しかし、芝雀さんの、あの首と歩くときの腰の、かわいらしい女を意識させる、しなを作る小刻みな動きは、彼の芸風ですね。芝雀さんも良いのであるが、対照的な中性的かつ手などの詳細部分で女らしい玉三郎さんのことが脳裏をよぎる。そういえば最近見ていないので、玉三郎禁断症状か・・・。

 "伏見稲荷鳥居前の場"では、シンプルで一本調子上り調子の役柄は、団十郎さんにぴったりか。各見得の決まり方の美しさ、見得と見得のつながりが決して軽くなく重みがあるが、スゥーという動きは見事。見ているだけで気持ちよし。赤いウルトラマンの原型のような紋様を施しているが、指の先までの着ぐるみを着用しているのを確認。腕や指も太く見え、骨太の忠信となっている。

 "渡海屋・大物浦"では、団十郎 知盛がドラマチックで良し。以前に猿之助の知盛を見たときには"凄絶"という印象であったが、今回は"ドラマチック"である。団十郎の語りも場内がシーンとなるほど、強弱がついて聞かせる。(団十郎さんにしては、珍しい・・・と言っては失礼か!?)

 "道行"の雀右衛門さんは、八十一歳だと聞くと、そのことが頭の中から離れない。したがって、純粋な踊りとしてみることができない。しかし、"踊りを見ることにより快楽を得る"というのが目的であれば、例えば肉体的な制約を乗り越えて素晴らしい演技をすることにより感動を得たり、自分の長年応援してきた人が舞台で脚光を浴び感動を得る、というのも快楽という点ではあるのか。年齢を感じさせない踊りではあるが、立ち上がりと座る場面が少々痛々しい。

 新之助ファンの私としては、矢が突き刺さり血だらけの団十郎 知盛に対して、若々しく輝くばかりの新之助 義経の、この対比の瞬間が一番の収穫か。新之助は、もっと異形の方が光る。色悪なんてやって欲しいな・・・。


2001/10/13

 いやあ、最近忙しかった。上司がここ2週間入院してしまい、私はてんてこ舞いであった。そんなストレスフルな自分へのご褒美として、土曜日の一仕事の後、ふらっと歌舞伎座へ。ええぃと奮発し、16:25にまだ残っていた二等席を購入し、念願の玉さん、新さん見物へ。(結局、なんか言い訳をしながら、歌舞伎の世界に浸りたかっただけなのであるが・・・笑)

 ★★★☆☆ 芸術祭十月大歌舞伎

 結果的に見終わった後に振り返ると、それぞれ光るシーンは幾つもあるものの、全体的には散漫な印象を持ってしまった。期待が大きすぎたかもしれない。実際には、★3.5個かな。

 "相生獅子":これは、Bravo!でした。福助さん、最近オーラが出始めているね。前半の芸者舞の時には艶っぽく、そして鬣(たてがみ)をつけた後半はきりっとして、顔の表情から踊りわけから、メリハリがついていました。手のひらを美しく柔らかく見せるのに、右手の中指はまっすぐに、薬指と小指は少々曲げている形が、Sexy! これはすばらしいテクニック。

 ちなみに、前半と後半の間に、長唄社中の人たちで演奏される音楽を聴いていて、三味線と太鼓と横笛がなんて前衛的なんだと思ってしまいました。トヨタのヴェロッサのCMで使われていたキングクリムゾンの"21世紀の精神異常者"(最近は、この語感が良くないのを避けるためか、"21世紀のシゾイドマン"と称するらしい)が、ストレスが溜まった脳の中で鳴り出すことがあるのだが、この連獅子の音楽も十分アバンギャルドだプログレッシブだ。素晴らしい。(こんな事を考えながら歌舞伎を観ている人は、私ぐらいのものであろうが・・・笑)

 "伽羅先代萩":ううーむ、四幕通しであり、私は有名な政岡を見るのが初めての為、大いに期待したのだが・・・少々期待はずれか。理由は二つある。

理由1.大詰の仁左衛門の仁木弾正と、団十郎の勝元の対決は盛り上がるのだが、どうも"大岡越前の守"よろしく語る団十郎のせりふまわしが薄っぺらく感じる。調子は良いのであるが、一本調子で魂がこもっていないのである。

理由2.玉三郎の政岡が、我が子千松と若君にご飯を作るシーン"飯炊"のテンポが今の時代には遅すぎるように感じた。茶の湯の作法を取り入れ、見る人が見ると趣き深いのであろうが、少々だれているように見えてしまう。玉さんの政岡も、もう少し化粧が血の気の通った雰囲気の方がベターか。

 などと言っているが、見所も多い。我が子千松を、団十郎 八汐に無残に殺されてしまい、気丈に栄御前が去るまで耐え忍び、最後にその栄御前が帰るのを見送る花道での玉三郎。その不条理を心に抱えながらの気高い姿は、シェークスピア劇にも世界水準で通用する姿ではないか。背筋がゾクッとしたぞ。また、床下のネズミを成敗する新之助 男之助の姿も短いながらカッコ良し。全身を赤い奴(やっこ)のメイクをしているので、最初はわからなかったが、あのギラギラと光る視線はまさしく新之助のもの。声はいつもに比べ、今ひとつ伸びに欠けていたが、腹の底から振り絞る声も良い。いやぁ、あの眼光は、"巨人の星"の星飛馬や花形 満の如く、目からが出ていましたよ。他にも、仁左衛門さんの弾正も、メイクも雰囲気も完璧にカッコ良し。口許の不敵な笑みが良いぞ。

ということで、それぞれは良いのだが、各幕がバラバラ。こういう通し演目は、統一の演出家がいた方が良いのかもしれない。まあでも久しぶりの下界(三階以下)の歌舞伎座を大いに楽しみました。 


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