Cyber Japanesque 1999年11月〜2000年1月 日記帳

 


 

2000/1/29

 先日鎌倉にて、元鎌倉の住人で現湘南住まいの先輩と飲む。Dという小町通りからちょっと入った所にある店。囲炉裏を囲みながら炭火であぶった魚や野菜などの食材を食べさせてくれる。店を囲炉裏の奥でしきっているおかみさん曰く、店を始めて37年。30年以上の馴染みのお客さんもいるらしい。この日も、旦那が紬の作務衣を召した夫妻もくつろいで談笑していた。この粋な旦那の作務衣は、奥様から贈られた紬のキモノを、少々ほころびてきたので作務衣に仕立てたとのこと。さすが紬だけあり、並みの作務衣とは生地の色合いが異なり、カッコ良い。さすが、なかなかDEEPな雰囲気。

 その先輩の鎌倉飲み屋に対する言葉として、

「・鎌倉は、大手企業が無いので、接待需要が少ない。故に、飲み屋やお食事どころは、ツーリスト相手となるか、地もティー相手に二分される。

・ガイドブックやインターネットで効率良くおいしい店を探すような事は、OFFタイムにはすべきでは無い。自分の足で一件一件見つけるべき。」というのが印象的。確かに、地元の人と食事&飲みに行く店は、ガイドブックに書いていないなぁ。

 私もあせらずに時間をかけて、鎌倉の地もティー御用達の、ゆったりとした地域コミュニティーが花開くお店を見つけて参ります。

Misiaの新しいアルバム「LOVE IS THE MESSAGE」は、凄いぞ。この人の「切なさ」を刺激する歌声とメロディーラインとグルーヴ感は、日本人の女性ボーカルもついにここまで到達したかと、感激させられる。「花/鳥/風/月」(これはタイトルに比し、歌詞は今ひとつ)「忘れない日々」「愛しい人」、そしてあの高音を駆使したミニー・リパードンの「Lovin' You」。感涙ものである。


2000/1/15

 歌舞伎座 寿新春大歌舞伎 夜の部の報告です。 今回は、1/11の四階一幕見席とは異なり、一階の上手真中位でした。

○「双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき) 角力場」:

 吉右衛門の人気力士と、富十郎の素人力士の、女性をめぐり勝ちを譲るやりとりの物語。富十郎が小柄で実直・元気な力士を、きびきびと小気味良く演じているのが好印象。

△「京鹿子娘道成寺」:

 勘九朗のこの演目に△をつけると、ファンから大いに怒られそうだが、期待が大きくかったことと、私の趣味嗜好により、敢えて辛い評価をさせていただきます。なお、私の頭のどこかに玉三郎の道成寺があり、それと比較している面もあります。

1.全体的に、キビキビしており、'おきゃんでちょっと恋を知って女になったばかりの町娘'、'ショムニ道成寺'、'新体操アクロバティック道成寺'という印象でした。身体に固定した鼓や、手持ち太鼓(?)を叩く所も非常に元気良く、手拭を振るところも、新体操の如く素早い動作でした。

2.最後の鐘の上での表情に、怨念・執念というものが感じられず、あっさりと終わった(籠釣瓶の次郎左衛門の狂気の表情のような凄みを期待していたのだが・・・)

3.体形的なものですが、手指と首の少々の短さ、手首の少々の太さ等、視覚面で。

 ただし、個性的という面では、元気と切れが良いので○だと思います。記憶には残るでしょう。

◎「阿古屋」:

 前回は良くない評価でしたが、今回は一転してBravoでした。一度音楽面を頭に入れておいたので余裕を持って音色を聞けたことと、玉三郎の演奏の表情が良く見えたことが大きいと思います。たしかに心地よい緊張感の続く、すばらしい作品です。

 最初は、「恋人の居場所を聞くためにまた拷問にかけるのね」という冷笑的な玉三郎の阿古屋が、楽器を演奏させるという意外な詮議の手法に、ほろりと心を開いていく、表情の変化。そして、透明な部分と、恋人への熱い想いの部分を交錯させながら響く、玉三郎の琴の音色と唄。これが、本当に微妙な強く触れれば崩壊するような、繊細な声で歌われると、心の琴線に触れるのですよ。

 階段での、身体を横たえて、客席に横顔を見せる見得も、背中がゾクゾクするような美しい見得なのですよ。(と、盛りあがっても、文字ではどうしようも無いが・・・苦笑)

 あと、文楽人形のような動きで、阿古屋をいたぶる弥十郎が上手い。まさに、人形そっくり。そして弥十郎の言葉の部分を担当する浄瑠璃の方も、大いに熱の入った力強い語りで、素晴らしかった。

 しかし、三種の楽器と唄を主演女優に実際に演じさせる + 人形の如きの動きをさせる + 劇中にショッカー軍団の様な一団を登場させる 歌舞伎の荒唐無稽さって、凄し。


2000/1/11

 仕事の合間に少しの時間を見つけ、歌舞伎座へ阿古屋を一幕見席で観る為に、馳せ参じました。

△○「壇浦兜軍記 阿古屋」:

 評価の難しい作品だと思いました。背景には、1.三階四階辺りのお客さんの私語が数カ所で目立ち今一つ集中できなかった事、2.オペラグラスを持っていなかったので遥か遠くにしか舞台が見えなかった事、3.仕事のストレスフルな状態でそのまま行った事、はもちろんあります。しかし、この舞台を味わうには、琴・三味線・胡弓を舞台で役者自ら演奏するというという所が山場なので、踊りを鑑賞し味わうと同等の、楽器に対する鑑識眼が要求される。しかし、阿古屋の心中を楽器で表現されても、それらの日本の楽器を評価する耳を私は持ち合わせていなかった。音程、テンポ、音色等から構成される演奏に対して、阿古屋のどんな心が反映されているか、把握し難かった。ストーリーによると、邪心があると音色が狂うが、阿古屋にはそれが無かったというのである。フレットレスの各楽器が、全く音程の狂いが無かったかというとそんなことは無いと思うし、でもその微妙な音程を外すところも、メロディーかもしれないし・・・というところである。まあ、三種演奏できる女形がそうそういず、歌右衛門が昭和28年〜55年まで何回か演じて以来、玉三郎以外誰も演技者がいないというだけでも、玉三郎の素晴らしさを表しているのであろうが。新聞評が、皆激賞モードであり、期待が非常に大きかった故に、私の評価は△○となりました。

 しかし、改めて琴・三味線・胡弓という三種の和楽器を聞くと、ギター等と異なりフレットレスであるという面白さと難しさを感じますね。その昔、レッドツェペッリンのジミー・ペイジがギターをバイオリンの弓を用いてライブでは弾いていたり、ジャコ・パトリシアスがフレットレス・ベースを、左手の指の震えさせる事により音に艶を与えていた事を、なぜか思い出しました。玉三郎の、三種目の胡弓の演奏は、結構現代的な過激なフレーズがあり、ヴァン・ヘイレン真っ青の速弾きでした。音もバイオリンに通じる味わい深いものであり、胡弓が一番の盛りあがりです。

 という事で、次も行く予定がありますので、その時にはさらに深く阿古屋の世界を味わってみたいと思います。

*「矢の根」を高齢ながらがんばっていた羽左衛門さんは、病欠をされていました。はやい回復をお祈り致します。(前回の日記でも書きましたが、あの若若しい役は、少々辛かったか・・・!?)


2000/1/4

 会社に挨拶で立ち寄ってから、歌舞伎座へ。Yahoo掲示板の「着物で新春歌舞伎へ」という企画に便乗させていただいて、着物の女性達と歌舞伎見物に。キモノに興味が大いに沸いている私としては、キモノ&歌舞伎はまず一つ目の初夢実現で幸せです(笑)。

 三階席で前のほうだったのですが、背中のほうから「中村屋っ!」「大和屋っ!」「橘屋っ!」と威勢の良い大向うがバンバンかかり、非常に気持ちが良かったです。しかし、あの掛け声は、かなり腹に力を入れて怒鳴るように、かつ切れが良くないといけないですね。大向うの向上も、今年のOFFタイムの目標の一つでしょうか。

 演目とその感想。

△「廓三羽薮叟(くるわさんばそう)」:踊りでも三羽叟物ってありますが、どうもあの滑稽さの良さというのが私には今一つピンと来ません。江戸人の様に粋で洒脱な所まで達して無いせいかもしれませんが(苦笑)。三羽叟の太鼓持ちが、傾城の廓での諸行をからかう場面なども、言葉が聞き取れるとおかしみも沸くかもしれませんね。間夫(まぶ)との恋文のやりとりなんかも表されているそうですから、籠釣瓶を観た私としては興味があります。・・・ということで、豪華な傾城の着物を見ながら、徐々に気分を高めて行った、というところでしょうか。

×「矢の根」:これは始めて見るし、歌舞伎十八番なので大いに期待をしたのだが、少々がっかり。五郎が出てきた瞬間の異様な髪型と隈取(髪の毛がクモの足の様に逆立っている、歌舞伎の紹介でよく写真で出てくるあれです)は、気分を盛り上げたのだが、羽左衛門さんは郷友無双の五郎には少々歳をとりすぎている。豪快な動作の切れが、やはり齢八十歳近くでは、表現されていなかった。年長者が若者を一生懸命表現する所に良さを見出すのが通なのしれないが、残念ながら私はそれを良いとは思わない。ストーリーもひねったところがあるわけではないので、楽しくなかった。(こういう大胆な事をきっぱりと言えるのも、ネットの良さなので、羽左衛門さんのファンの方、ご容赦を)

◎「義経千本桜 吉野山」:全編すばらしく、今月一幕見席に行く方は、大いにお勧めします。今までも、猿之助で二回ほど観ているのですが、勘九郎と玉三郎の吉野山も、同じ位、いやそれ以上にすばらしかったです。

 勘九朗さんの忠信は、先月の籠釣瓶でのあばた顔と、紅白歌合戦での司会の少々緊張したぎこちない(!?)姿がまだ脳裏にあり、最初にスッポンから登場した時の、まるで右近さんのように凛々しい姿に、少々頭は混乱(笑)。玉三郎さんも籠釣瓶に続き、1月2日のNHK教育夜の放送での藤娘で会った(!?)ばかりなのですが、こちらはいつも美しくしっくり〈笑)。

 まず、玉三郎さんの静御前の踊りにうっとり。しかし、玉三郎さんの指と手の動きの美しさは、筆舌に尽くし難いですね。あのしなやかな動きを見ていると、エクスタシーを感じますね。(うーん、玉三郎にするモードに入ってきている、かなり危ない私です・・・苦笑。)次に勘九朗さんが平家との戦いを身振りを交え話して聞かせる所が、芸達者の本領発揮!。キビキビと身体が動き、顔の表情もクルクル変わる。オペラグラスで拡大して見ていても、その上手さに唖然。猿之助の、本当は狐であるというやましさと貫禄を秘めた忠信と、今日の凛々しくさわやかで身軽な忠信と、どちらが良いかは意見の分かれるところでしょう。

 最後に、猿弥さんの籐太も、大いに笑わせてくれて○。猿之助一座も、こういう若い役者が育っているところがすばらしいですね。今月は、分散してあちこちの劇場で活躍していますが。

○「松浦の太鼓」:吉右衛門さんの鬼平ばりの時代物。11月の壷坂霊験紀と二作見て、彼って独特の世界を持っていますね。彼独特のやや大げさな芝居がかった前半の演技と、最後の畳み掛けるようなクライマックスによるカタルシスの開放が、好きな人にはこたえられないのでしょうね。私にとっては、別に水戸黄門の世界が特に好きなわけではないので感動まではいかないのですが、役者の持ち味の認識を新たにしました。

 以上、今年のお正月は鎌倉探索もありましたし、充実したものでした。この勢いを借り、今年もOFFタイムは和風探求の旅を続けたいと思います。


99/12/29

 ほんとうに通勤電車も人がまばらになり、そして東京駅前の夜行バス乗り場には広島・高知等々へ旅立つ人がたくさん並び、年の暮れという雰囲気になってきましたね。個人的OFFタイムは、年賀状も書き終わりほっとした所です。今年初めにいただいた年賀状を見返していると、いろいろな人とのつながりを改めて思い返します。

 さて、最近籠釣瓶を着物を着た女性と見に行った事&お正月も近いこともあり、「きもの」に興味が行っています。

 「きものレッスン」 森 荷葉著  筑摩書房

 まず、女性の着物を理解してみようと思い、書店で適当に購入したのですが、現代の若い人で振袖以上に興味を持っている女性向に書かれています。きものをワードローブと捉え、その組み立て方から手に入れ方、手に入れ方、その他ちょっとした工夫まで、実利に基づいて書いてあり親しみが持てます。私にとっては、1.紬〜小紋〜訪問着〜色留袖・・・という種類と役割の違いを把握でき、女性が夫々の着物を選ぶ際の様々な配慮を味わえるようになったこと、2.半衿(はんえり)を付替えることや手入れに関して、簡単だとは書いているが、私にとってはそれなりの手間に思え、やはり粋の裏の精進・努力を感じられたこと、がポイントでしょうか。

 「男のきもの 雑学ノート」 塙 ちと著  ダイヤモンド社

 次に自分が着る為に本を探したのですが、さすがにほとんど無いですね。これ以外に、写真が豊富な「男のキモノ」というもう一冊だけ。雑学ノートの方は、男のきもの大全HPの作者 早坂伊織さんが協力しています。最初に女性のキモノで感触をつかんでいたので、内容はすんなりと理解できます。雑学ノートの方が、粋やおしゃれに関して、独自のこだわりをもっており、また巻末の振り仮名付きの索引も重宝します。

 雑学ノートの方は、まだ読んでいる途中です。そしてお正月に読めるように、季刊の「美しいキモノ」婦人画報社という雑誌も買いこみました。これは女性向に写真紹介がほとんどなのですが、さすがにぱらぱらと捲ると、女性の着物の色とりどりの美しさにめまいがしますね。

 という事で、お正月に自分でも着て鎌倉を散策しようも思っていますので、またキモノ関連の報告を致します。

 それでは、皆様 良い御年をお迎えください。


99/12/22

 またまた籠釣瓶を観て参りました。美と狂気と官能の世界を堪能です。

 あらすじ解説を今日は買ってみたのだが、それによると、勘九郎は次郎左衛門を初めて演じ、玉三郎は八つ橋を93年3月の歌舞伎座で幸四郎と共演して以来の2度目ということ。ということは、私がCATVで見て12/12に日記に書いた舞台が、その初めての舞台だったわけだ。テレビと生で観るのでは大いに異なるが、私の印象としては、幸四郎よりも勘九郎の次郎左衛門の方がこなれていて優れている。幸四郎は元々が美男子の故か、あばた面の醜男を演じてもどこか固さとわざとらしさ(これも演技か?)が漂うよう。対して勘九郎は、田舎者で醜いが商売には誠実に取り組んできた人物が、乗移っている。中村屋には、父の勘三郎さんからあばた様の印が伝わっているらしいが、この演目のためだけかと思うと、そのこだわりも凄い。

 今日観ての気付き。

 今まで大詰の籠釣瓶で一刀両断に切り捨てるクライマックスにばかり目がいっていたが、今回はその前の場の、皆のいる前で縁きりを申し渡される場のしっとりとした素晴らしさを感じた。

 「ぬしと口をきく度に 病が起こる」と冷たく、でも少々切なさを交えながら「・・・でありんす」という独特の言葉で、微妙に抑揚をつけながら語るのが上手い。聞き入ってしまう。そして、勘九郎が「花魁、そりゃあんまり袖なかろうぜ・・・」と語る有名な場面。むせび泣きたい気持ちと、プライドを保たねばという気持ちが交叉した口調。

 そして次郎左衛門は戸口から覗く色男の姿に気付く。八つ橋に対して「間夫(まぶ)か?」という問いをし、間夫ですと答えるところ、「ま・ぶ」という響きが、髪結い亭主・ひも・色男等様々な要素が混じった意味深な言葉として耳に残った。「まぶだち=親友」という言葉もここから来たのかな?

 言い放って部屋を出て行く八つ橋。戸の外に出たところで流れるのは、以前踊りでお稽古をした「松の緑」のゆったりとした唄ではないか。それが、戸の外でしなだれる八つ橋の複雑な感情に見事に合っている。そして次の瞬間、キッと上半身を立て、毅然として、裾をさばいて去って行くのだ。この瞬間、背中に鳥肌が立った。哀愁・後悔から、人生を「まぶ」に賭けようと判断した潔いカッコ良さ! 凄絶な美しさである。

 ちなみにちょっと気になったのは、ストーリーとしては完璧な作品だけれども、八つ橋に復讐する時の次郎左衛門の心についてである。彼は、人前で恥をかかされた事の対しての恨みを述べるが、それが彼の主な理由だったのだろうか?八つ橋への愛ではなかったのか? ここは疑問が残る。

 ちなみに、今回は大向うを初めてかけてみたのだが、ただ声をかけたのでは通る声は出ませんね。通の人達から比べると、かすれた様な声しかでませんでした。これも修行が必要ですね。

 それでは、また。


99/12/17

 頭を金槌で叩かれたようなインパクトと感動です。勘九郎と玉三郎の籠釣瓶花街酔醒(かごつるべ さとの えいざめ)」を歌舞伎座で観て参りました。世話物であそこまで感動を覚えるとは・・・凄いです。

 観ていて気づいたのは、確かに玉三郎は息を飲むような美しさだし、手の端々まで優雅さが宿っていました。最後に次郎左衛門と八つ橋が二人きりになり、八つ橋が階下の様子を確認すべく広間を歩くさまは、まるで上村松園の日本画がそのまま動いているかのような、美しい一枚の絵でした。仄かに見える赤い襦袢が八つ橋の秘めたる情熱と苦悩を表しているのでしょう。しかしです、今回私が感情移入をしていたのは、次郎左衛門でした。今まで他の人が誉めるほどには感じていなかった、勘九郎さんのすさましいまでの演技の上手さを見た思いがします。

 花魁の八つ橋が付き合ってくれ、友人達を同伴しての遊びでも、八つ橋のみならず周囲の人々へも愚鈍なまでの優しさをにじませる次郎左衛門。罠にはまった八つ橋に、冷たく罵倒されている時にも、一言も発せず、身体でショックを滲ませる次郎左衛門。そして、有名な啖呵を切る。「おいらん、そりゃ ちとそでなかろうぜ・・・。夜毎に変わる枕の数、浮川竹(うきかわたけ)の勤めの身では、きのうに勝るきょうの花と、心変わりがしたかは知らねど、・・・・」愛想尽かしを言い捨てて、部屋の外へ出る八つ橋。しかし、一歩出た八つ橋が、後悔と心の緊張が解けたせいか、襖の外でしなだれてしまうのだ。そこの色っぽいこと。次郎左衛門の、無念さと恨みを通り越した狂気の片鱗を残し、幕は下りる。勘九郎の顔は、恥と怒りの汗でぐっしょりだ。

 最終幕。お茶屋の人々に妙に愛想の良い次郎左衛門。でも、八つ橋と二人っきりになると、顔に狂気への凄みが滲んでくる。目が座っている。それに気づかず、酌をしに、なつかしい次郎左衛門に寄り添って行く八つ橋。そのおずおずと近づいて、しなだれかかっていく彼女の喜びの心と、さらに狂気に向かって行く彼の心の交差が、ますます観客を虜にしていく。そしてそして、クライマックスへ。

 「この世の別れだぁ、(盃を)飲んでくりゃれ・・・」じわっと握りしめる。そして狂気に気づいた玉三郎の、美しい恐怖の顔。

 逃げようとする八つ橋を、次郎左衛門は裾を膝で押さえる。そして、後ろから籠釣瓶を振り下ろす。瞬間的に動きが止まり、後ろに弓なりに反り返り息絶える八つ橋。死までもが、玉三郎は美しい。

 入ってきた女中までも、一振りで切り倒す次郎左衛門。蝋燭の火に映し出された籠釣瓶を見ながら、狂気に顔をゆがめる勘九郎。

 玉三郎の美と勘九郎の狂気。狂気までもが美しく昇華される瞬間。いやあ、二人とも凄いというのにつきます。プロ中のプロですね。

 今日の舞台では、大向うに声の艶のある方がいて、さらに盛りあがる。そして、廓独特のリズミカルな三味線の音楽が、切なさを煽る。

 今月、なんとしてももう一度行かねば!


 99/12/12

 鎌倉に引っ越して大きく変った環境の一つに、CATVを入れ「伝統文化放送」を見られるようになったことがあります。今までNHKの教育放送や衛星放送でたまにしか観られなかった歌舞伎〜舞踊〜落語・講談まで、一日中放送されているので十分堪能できます。朝8:00〜夜23:00までなのでなかなか実際には見られないのですが、早く会社から帰れば和風文化に触れられるかもしれないと思うと、帰る楽しみが一つ増えます。◎です。

 今日は午前中に、今月の歌舞伎座でもかかっている「籠釣瓶花街酔醒(かごつるべ さとの えいざめ)」をON AIRしていました。平成3年歌舞伎座収録の様ですが、佐野次郎左衛門:松本幸四郎と八つ橋:玉三郎の主演でした。

 最後の殺し場。狂気が宿った次郎左衛門が、自分に衆人の前で恥をかかせた八つ橋に、じわりじわりと恨みを伝えていく場面。

 「この世の別れだぁ、(盃を)飲んでくりゃれ・・・」と意味深な言葉を吐きつつ、八つ橋の盃を持った手を強く強く握り締め、打ち放すシーン。

 そして、黒い上着に真紅の襦袢の八つ橋を、妖艶な名刀 村正の籠釣瓶で切りつける。ばっさりと一刀両断のうちに、倒れる八つ橋。凄絶なシーン。

 「籠釣瓶は良く切れるなぁ・・・」と次郎左衛門は空ろな眼でにやりと不敵に笑い、幕は下りる。

 これほど緊迫してドラマティックで完璧な幕切れを見て、以前NHKで見たホセ・カレーラスがアルフレードを演じた、ヴェルディの「ラ・トロヴィアータ(椿姫)」の第三幕目の幕切れを思い出した。この物語もヴィオレッタという高級娼婦を中心に話しが展開するが、椿姫のアルフレードと誤解が解けた時には肺病に侵され死を迎える劇的なラストシーンをビデオで何度も見直した記憶がある。

 純朴な青年と、美しいが毒のある女性。そして、死という形での恋の成就。音を極力削ぎ さびの世界を構築し凄絶さを演出する「籠釣瓶」と、弦の音色でこれでもかと美しいフレーズで悲劇を演出する「椿姫」。どちらも、官能的に美しい・・・。

 ということで、今月歌舞伎座の玉三郎と勘九郎「籠釣瓶」、ますます期待に胸が膨らみます。


99/11/30

 和風好きが昂じてきたこともあり、横浜から鎌倉へ居を移しました。大仏さんで有名な長谷寺と海の間です。

 今まで横浜の住宅地に住んでいたのですが、鎌倉という所はタイムスリップした感覚をもたらしてくれます。朝 仕事に出かける時に、なんとお寺の澄んだ鐘の音が聞こえてくるのです。そして、あちこちにある踏切のカンコンいう音がかわいらしい江ノ電にのります。これが、浅草 花やしきのジェットコースターよろしく家の軒先をゆったりと駆け抜けて行くのです。仕事が遅くなり江ノ電も無くなり、海沿いを歩いて帰れば、さすがにこの寒い季節では、犬と少年が堤防に向けて暗い中でサッカーの練習にいそしんでいました。

 仕事柄 インターネットを用いたEC(電子商取引)の企画・設計に携わっているのですが、ドッグイヤーの中で過ごす仕事時の非日常的スピード感と、鎌倉での江ノ電に代表されるゆったりとした非日常性を、一日の内で行き来すると、身体に刺激的で心地よいものがあります。サウナで、高温のサウナ室から、冷水に跳びこむときのキュンと血が駆け巡り、頭がくらくらとする快感でしょうか。

 それでは、これから鎌倉発の和風Japanesque追求・報告の旅が始まります。請うご期待! ぼちぼちと行ってみます。


99/11/16

 最近贔屓(ひいき)にしている、歌舞伎座 一幕見席にて今月の演目を観て参りました。

 まず、吉右衛門と芝翫さんの「壷坂霊験紀」。鬼平さんで有名な吉右衛門さんですが、私は彼が主役の舞台を見るのは初めてです。確かに、4階からオペラグラスで見ると、顔の表情、身体のちょっと芝居がかった仕草といい、上手いと感じますね。最初は、大げさに妻の不実をなじりながらヨヨと泣くシーンなどは、少々大げさだなと思いましたが、後半の盲目が直って妻と喜びを表現する場面などは、思わず引き込まれました。私が残念なのは、美しい妻という設定なのだから、(申し訳無いけれども老いており必ずしも美形ではない)芝翫さんは今一つ見ている側の感情移入ができなかった。確かに昔で歌舞伎独自のルールに暗黙の了解で慣れ親しんでいるときは良いのだろうが、テレビやゲームからゲームまでリアリズムが当たり前の世界で生きている私達にとっては、性差は気にしないが、美しくあるべきものは美しくあって欲しい。もちろん、外見だけではなく、演技も美しくあって欲しいが・・・。

 次に期待の八十助と染五郎の「竜虎」。染五郎って、きりっとした浮世絵の様な隈取が似合いますね。地顔も二枚目だが、歌舞伎顔でも歌舞伎の二枚目でした。カッコ良い!以前、三田寛子の横でデレッとしている橋の助は虫が好かなかったのだが、コクーン歌舞伎の「かみかけて三五大切」(ちょっと違ったかな?)の時に、唇の端が下がる歌舞伎顔の彼のカッコ良い変貌ぶりに感心した記憶があるが、染五郎はそれを超えているかもしれない。

 踊りの方は、荒ぶる魂とパワーの対決を踊りで表現しており、見ていて楽しめた。連獅子のように地面まで届いている髪を、ぐるんぐるんと二人とも廻すのだが、髪の色が紅白ではなく、竜が真っ黒、虎が黄と黒ということで、髪のパワーのインパクトが増していた。長い髪で相手を打ち据える動作、床をドンドンと響く音で踏み鳴らすシーン、そして舞台を上下左右に掛けまわる演技、脂の乗っている二人であった。

ああ私も、藤娘をはやく終えて、カッコの良い見得をたくさん切りたいものである。そしていつか、獅子の頭を舞台の上で豪快に振ってみたいものである・・・。


99/11/9

 最新号のananは、写真を撮ろう特集。うーん最近はやっているとは思っていたが・・・。内容を立ち読みする。いきなり、ライカだ!福山君と(確か)観月さんによるライカでのポートレートの写し合い。さすが直球というか、ひねってあるというか。ライカは所有するだけで雰囲気有りますし、ステイタスですからね。次に、PETAX MZ-7のCMにも出ている川原亜矢子さんらの、タレント達のカメラウーマンライフ。その後、興味深い企画が幾つか。

 まず初めに、「写真の撮られ方」。男の雑誌だとこういう視点は無いですね。立ち姿の場合も、上半身の場合も、斜めに身体を向ける事です。これは、以前(少々体格の良い)市川猿之助さんも女形の心得として言っておりました。他に、光のあたり方と化粧によるテカリの防ぎ方や、階段等に登りカメラよりも高い位置に立つと足が長く見える(なるほど!)など、非常に実用的だが重要なアドバイスです。

 次に、セルフポートレイトによるセルフヌードの写し方。さすが、anan。男性だと、もっくん並で無いと、撮る自信はありませんし、撮っても他の人が見たくないでしょう(笑)。現像してくれるラボに関する注意と紹介が載っているのが本格的です。

 3つめに、御大 篠山紀信先生による写真の講義。「大切なのは、動き、光・・・そして愛だ!」。プロと素人のモデルを実際に撮影。光の重要性は私も認識しているのですが、「動き」というモデルの表情や躍動感の引き出し方は、さすがさすが。例えば荒木経惟さんが市川染五郎を撮るようなプロの役者やモデルを撮る場合には、彼ら自身がオーラを発しているから良いだろうが、素人のモデルから相手を気持ち良く刺激をしながら最高の表情を引き出すのは、カメラマン側のパワーとかオーラが必要な気がします。私もいつか、和服の女性を、思いっきりその人と着物の美しさを引き出すべく、渾身の力をこめ激写してみたいものですね。逆に写される側に回ると、私の場合は写してもらうときにテレがどうしてもありますよね。先日の後見の際にも、舞台が終わった後、羽織袴の姿を撮ってくださったのですが、本当は「普通のポーズではなくて、軽く見得を切ってみると写真としてはおもしろいのでは・・・」と心の中で思っていても、さすがに回りに普通の人が通りすぎる中でいきなり見得を切るのはためらわれました。ここが役者ではなく凡人なのか、それとも、ここで見得をしらないうちに切らせるように持って行くのが優れたカメラマンなのか・・・今度は思いきって自分でポーズを取ってみようか(苦笑)

 以上、なかなかユニークな内容だったので、お暇でしたら目を通してみては、いかがかなっ!


99/11/7

 今日、川崎市の宮前区文化祭(場所:宮前文化会館)という行事において、日本舞踊の「手習子」の後見を務めました。今日は芸能部ということで、新舞踊、民謡唄、お琴、そして日本舞踊と様々な内容が並びました。

 その中で興味深かったのは、着物の着付&新作着物ショーでした。スモークマシーンによるドライアイスの煙の中からの登場というオープニングといい、宇多田ヒカルの音楽にのせての着物ショーによるエンディングまで、なかなか度肝を抜く内容でした。そうそう、着物のモデルに、金髪白人の美しい女性もおりました。そのプログラムの時に私は、自分の出番が近かったものですから、羽織袴のいでたちで舞台裏より観ていたのですが、自分が和服を着ているときにウタダの曲を聴くというのも不思議な甘酸っぱい気持ちでした。私自身普段、MisiaやBirdという和製R&Bの曲は好きなのですが、羽織袴で身体に一本芯が通っている感覚と、宇多田のちょっと切ないがうねって腹に響くグルーヴ感と、非常に異質な二者が心の中で交じり合い反発しながら交じり合うのです。心の表面ではイケナイと思いながら、身体が反応してしまう快感・・・(笑)。きっとロックやジャズやだと固すぎたりアバンギャルドすぎたりするのでしょうが、R&Bは不思議と和服にあっているかもしれないと認識させられました。この演目の次が、北島三郎の曲による新舞踊というのも、なかなかシュールな世界でしたが・・・(苦笑)。

 さて、私が後見(こうけん)として羽織袴で蝶々を飛ばす役を務めた「手習子」ですが、意外に本番中は緊張したのですが、無事そそう無く終わりました。高校生のお弟子さんがピンクの着物で可愛らしく寺子屋帰りに恋に胸をときめかす役を躍る晴れの舞台だったものですから、蝶々の私が失敗する事は許されませんでした。本番前までは、自分が主役で踊るときに比べリラックスでき、他の人の躍りを舞台裏から眺める余裕もあったのです。しかし本番では、やはり強いスポットライトを浴びたことと、舞台上手より静々と出ていって蝶のついた棒を持ち、腰を落としつま先で歩きかけた時に袴のすそを踏んでしまい、瞬間的に転ぶかとあせったこともあり、意外にも緊張をして汗をかいてしまいました。当初は舞台の上から観客席を見てやるぞと思っていたのですが、あっという間に終わってしまいました。それでも表面上は何も無く、りっぱに躍りを蝶々でサポートでき、良かったですよ。女子高生の晴れの舞台を、後見の私が転んで台無しにしてしまったら、その子の明るい未来に汚点を残す事になってしまいますから・・・(笑)。

 ということで、後見として躍り手をたてる役も、舞台に参加するという面と、舞台裏で様々な人と演目との生の係わり合いが見られるという面では、なかなか良い経験でした。自分として初めて花道にも立ちましたし(と言っても、蝶々をひらひらさせながら腰を落とし後ろ向きに通過しただけですが)。後見や黒子が日本舞踊の際に必要な方は、どうぞ私目にお声をかけてください。内容の保証はできませんが、男のほうが見栄えがするとう話もありますので・・・(苦笑)。


99/11/3

 本屋でぶらぶらと立ち読みをしていると、ある写真集が目に飛び込んだ。「アラーキーのTARO愛 THE TRIP TO TARO OKAMOTO――岡本太郎への旅」(光文社 1999.10.25発売)。すぐ隣に、「岡本太郎の世界」(小学館 1999.10.26発売)という凄みの有る岡本太郎の顔が前面に出ている超硬派そうな写真評論集があったにもかかわらず、TAROのエロスと裸身のエロス。天才が天才に挑むスパークアート!」という帯につい惹かれてしまったのであった。ではなく、以前よりこのサイトでも注目している、荒木経惟と岡本太郎のコラボレーションに惹かれたのであった(笑)。

 原色が多くあの独特の丸みを帯びてかつ特徴のある岡本太郎の彫刻と、和服だったり白塗りのヌードだったり通常のヌードだったりを絡める荒木経惟。その中でも、和服の少々ポチャッとした女性が、彫刻と身体を合わせながら、和服がだんだん崩れて行き、ヌードになっていくのが、彫刻と彼女の微妙な関係が印象的だった。ぽたっとした顔と身体の女性の丸みと、彫刻の母性を感じさせる丸みのリズムが良かったのかもしれない。

 微笑んでしまったのが、岡本太郎の奥さんに写真集にヌードの女性が出る事を認めさせた一幕。彼女は荒木にヌードを登場させることは遠慮するよう求めていたのに、最初の撮影を彼女立会いの下で行った時に、いきなり荒木は山海塾ばりの白塗りの裸の女性を登場させ、叱責されると、「あれはヌードではなく、幽界から太郎の彫刻に会いに来たんだよ」なぞと煙に巻き、既成の事実を作ってしまった事。自分の表現の為には、とことん主義を愛嬌を持って貫く姿勢は、尊敬すべき。

 でも、和服の女性(すこし着崩している女性も)って、やっぱり溜息が出るほど美しく、艶かしいなあ


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