Cyber Japanesque

Cyber 魯山人館

自由奔放なマルチメディア・アーティストであった、北大路魯山人について、記しています。

逸品シリーズ・・・           美人皿絵 李朝 石人 織部鉄絵桧垣紋壷 葡萄栗鼠透鉄行燈 瀬戸麦藁小向 五客

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2010/2/17〜23 日本橋高島屋: 魯山人の鎌倉 星岡窯で、今も作品を作られている 河村喜史氏の作陶展がありました


 
★★★★★ 鎌倉 長谷 鎌倉魯山人館  

土日祝日開館 鎌倉市長谷三丁目十-二十二 0467-25-6478 江ノ電長谷駅 徒歩2分 長谷寺入口横

開館日時:土日祝日の午前10時〜午後4時。平日もたまにやっています。 

入館料:200円也

★鎌倉 魯山人館は閉館をしたようです。残念です。(2006年)★


今月の逸品  刷毛目中鉢  

 

その薄く手に持った時の程よい重量感が想像できるような作品。そこに大胆に自由奔放に刷毛目をつけた粉引中鉢。

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館のオーナーである三堀さんの焼き物や魯山人に関する言葉。

「1. 焼き物は、質感だけでなく、手に持った時の重量感も想像しながら、観賞して欲しい

2. 魯山人は中国・韓国・日本と様々の古い作品も参考にしている。元の作品と魯山人が再現のみならず、加えたオリジナリティーも味わってほしい

3. 良い陶器というものは、柔らかそうに見えて、使用すると硬いものである」

 

館の写真紹介に関しては、オーナー 三堀太聖さんのご協力を得ております。多大なる感謝をしております。

三堀さんは、熹達(きたつ)という素敵な骨董屋さんを営まれています。関心のある方は、0544-26-1370へ。

 

長谷駅をおりて、大仏さんに向かって歩くと、交差点を過ぎるとすぐに、このユーモラスな「李朝石人」が迎えてくれる

入り口正面に、見応え有る織部の桧垣紋壷が目に飛び込む

適度な空間の中に、陶器と絵が配置される

たっぷりと釉を用いた織部の皿。すばらしい吸いこまれるような想いで見つめる。

魯山窯の丸皿。豪快なタイポグラフィーに、荒っぽい手書きの輪っかも味わいがある。

これもきりっと無駄が無いが、美しい赤呉須のお椀。炊き立ての白いご飯が映えそう。

黄瀬戸の花入れ。竹筒を模してあり、焼きむらが風雪に耐えてさらに伸びようという竹の勢いと心意気を表しているよう。

館内には茶室もあり、魯山人の花入れから掛軸までさりげなく飾ってあるのが心憎い。

魯山人作の行灯も、茶室横のほの薄暗い空間で、光を放つ

弟子達の作品を手に取り触れられるのも、とってもうれしい。気に入れば買う事もできるのだ。

 

 


★★★★☆ 「北大路魯山人展 世田谷美術館所蔵−塩田コレクション」 2000/11/10〜2000/12/27 千葉そごう

 千葉そごうはまだ営業していた!ということで、ほっと安心。10Fへ上り、ゆったり広めの空間をもつ美術館へ。

 書・陶器・絵に加え最後は篆刻まで、バランス良く網羅。しかし、広いがらんとした空間に、ガラスのショーケースの中に鎮座させられると、すました"作品"という色彩が強くなってしまいますね。食器自身は、"軽やか""当意即妙""自由奔放""豪放磊落"と見えるが、背後にしっかりとした"細やかなる心の行き届いた技術"があるように感じる。これは別に食器でなくても、何気なく当たり前に使いやすい、しっくりくる、レスポンス良く気持ち良く動く・・・ということは、実は繊細な配慮の行き届いた技術と、余裕のある力によるものなのだろう。彼のあの熊の様な身体と、厚いガラス瓶の底の様な眼鏡に見据えられ、芸術的な作品が生まれるのは、なんとも言えず微笑ましい。

 無機質なガラスに隔てられての観賞では、頭の中で食物が盛られている姿を想像しながら見ると、さらに彼の場合、面白さが増すようである。(空腹感も同時に増すが・・・笑。)これは新たな発見だ。本当に頭の中に、くっきりとした各種料理の映像と香りと音頭感が浮かび上がるぞ。

・・・・・ 深い緑の織部の四角い皿には、これは豆腐屋の豆腐がどかっと載っているだけで良い。生姜とシソの葉が味に変化をつける。そして、私が豆腐を素材の味を味わいながら食べて行くと、皿の底から"寿"という文字があらわれる。私は、皿→食べ物→皿というように愛でて終わる。

 逆に白が基調の志野のお皿には、緑の濃い三つ葉のおひたしでも盛るとよさそうだ。これも箸でつまんで食べていくと、釉にかすれたススキがうっすらと姿をあらわす。風情の有る食である。

 そしてお酒は、赤呉須の徳利が良い。お燗の口の部分は白いが、他は真紅の大胆な色使いである。そしてその形が、ふくよかな女性の乳房の如く、微妙な丸みを帯びているところが良い。手に持った時に、しっくりと馴染みそうである。トクッ、トクッと良い音もしそうである。 ・・・・・

 皆さんも空想の世界で、食の悦楽と食器の美の快楽を味わっては如何・・・!?


★★★★★「 魯山人の世界」 とんぼの本 新潮社

 うーん、計算しつくされた写真と文章に圧倒される。美しいのだよ。まず、内表紙の緑の苔+紅く色づいた楓の落ち葉+色絵双魚文平鉢に、はっと目を奪われる。この鉢は、デザインが白磁の上に黄色い少々とぼけた魚が二匹描かれているシンプルだからこそ味わいのあるものだが、またその鉢の中に水を張り、黄色く黄葉した葉も浮かべているのですよ。この共に黄色い魚と葉が、呼応しあっているのだ。

 また全ての茶碗に、きちんと魚、煮物、豆腐、果物などの料理が盛りつけられている所に、""と""に対するポリシーを感じる。赤茶けた肌に白い線が入る紅志野の皿に、とげが鮮やかな毬栗(いがぐり)がアシンメトリーにのっているのも、何か不思議な宇宙を表わしているようだ。この器と家の所有者の梶川さんという方も、凄い感性の人ですね。

 陶芸以外に、絵画、書・篆刻(てんこく)に加え、写真を交えた魯山人の生活、加えて魯山人の食器の値段までバランス良く配置されている。書や篆刻に関しても、魯山人自身はこの道から美の世界に入っていったはずだが、なかなか作品の資料が見つからなかった。ということもあり、何度眺めても見飽きない書物である。皆様にも宇宙を感じて欲しい。


★★☆☆☆「 cover器・魯山人おじさんに学んだこと」 黒田草臣 晶文社

 親子二代にわたり陶磁器を商っている、黒田陶苑の社長が書いた本。先月出版された新しい本であるが、タイトルと中に挿入されている美しい陶器の写真に惹かれて読み始めた。写真も、陶器だけのものに加え、料理が美しく盛り付けされた写真がユニークですばらしい。これは、実際に器は用いられなくてはいけないと考え、湯呑ばかりを扱う店をだしたりした筆者のこだわりが強くでている。また「料理と器がぴたりとあてはまり、あたかもその器からダシがでるかのようだ。」という言葉も残している魯山人の考えにも沿っているだろう。志野のオレンジと肌色が混ざった色調の荒々しい鉢に、笹と筍の盛られた様が、美術品の如く美しいのである。

 魯山人との思い出も記されているが、それ以外の陶芸家との交流に多くのページが割かれている。ただし、まだ陶芸家の名前をそれほど知らず、かつその陶芸家の作品イメージが湧かない私にとっては、少々面白さが十分味わえなかった。陶器に深い造詣のある人には、歴史と人となりがわかり、おもしろい本なのだろうが・・・。

 あと今回認識したのは、陶器は化学の知識が重要であること。「織部釉の原料は土灰と二酸化銅の組み合わせで作られるが、これを還元炎で焼成すれば鮮やかな辰砂と言われるものになり、酸化焼成をすると緑釉となる。」と言われても、残念ながらピンと来ない。うーん高校で化学を選択しなかったせいか。生まれて初めて、そのことを後悔する(笑)。土と、釉薬と、窯の特性と、燃焼過程を組み合わせて、自分の作りたいイメージに対する確率を高めていくという、その職人的努力と芸術家的な追及は、少々わかったような気がするが・・・。


★★★★☆「 カラーブックス 北大路魯山人」 保育社

 多くの陶磁器をカラーとモノクロの写真と解説文で構成した本。700円と手ごろなのもGood。備前、伊賀、織部、信楽、赤呉須etcと自由奔放に、絵に文字に釉薬の用い方に腕をふるう様が画面から溢れ出る。それにしても風雅さと気品を感じられる作品から、ざらざらした野獣の様な肌と絵付けの作品から、その表現方法の多様さには驚かされる。

 私自身なぜか陶磁器に惹かれる理由に、三次元の芸術だからというものがあると感じる。平面での表現よりも、立体の造形に加え、そこに二次元の絵や書などの二次元の表現が加わる事により、非常に多様性が生まれる。そして、味わい方も、上下裏側と構造的になり、さらに触れて触感を楽しむ事ができる。理解するほうも、結構多数の感覚を用いるので、格闘的な要素が多くなる。料理道や香道そして舞踊などは、さらに味覚、嗅覚、スピードが加わるので、さらに味わい方が抽象的で、鍛錬に時間がかかるのであろうが。

 備前や伊賀の桧垣文壷の荒削りの味わい(p4、12)、伊賀の竹筒花入れの微妙な肌と釉薬の豪華な光具合(p48)、雲錦手鉢のシンプルな中にも秋の紅葉の枯れた味わいと金色の中の桜の豪華さの対比(表紙)等が特に印象に残っている。

 ちなみに、枯れが若い時版下職人の弟子入りをした先がなんと岡本太郎の祖父にあたる、岡本可亭だというのも、豪放磊落な二人の芸術家の不思議な縁である。

 手にしやすいビジュアル入門書として最適な本である。


★★★★☆ cover北大路魯山人 人と芸術」 長浜 功  ふたばらいふ新書

 魯山人を名前だけ知り、鎌倉の魯山人の陶器記念館を訪れ興味を抱き、さて何から彼を知れば良いかと思案していた時に出会った本。タイミング良く、今年に入って出版された最新本です。魯山人の本を購入しようとしてInternet上で書籍DBを検索しても、彼の守備範囲があまりにも広いため、陶器・料理・書の何れか一つにテーマ設定されている本が殆どである。その中でこの本は、生立ちから彼の言葉まで、彼を尊びかつ真実の姿を伝えたいという意図が達せられているように感じられ、入門本としては良く出来ていると感じた。

 いやあ、それにしても魯山人というのは、自由奔放な傑物ですね。背景には、天賦の才能に加えて、資産家が芸術家を居候させて暫く面倒をみてあげ、またそこで芸術家同士のネットワークが広がるというような、現代では殆ど無いであろう擬似パトロンのシステム等が、彼の才能の開花にはあったのだろうが。タイプとしては、岡本太郎なんかに似ているのかな?それとも最近流行の白州正子か?

「どんな素材でもそれぞれの持味というものを持っている。料理はどの一つ一つの味を活かさなければならないんや。」

「一流という料亭ほど同じ料理を出して満足してしまっている。料理も刻々と変化していくもんや。いや、変化しなければあかん。ちっとも進歩がありゃせん。」

「時と場合、人柄と嗜好を考えて、臨機応変の料理をこしらえる。」

「料理の道は芸術や。それを創る者の個性と素材のたたかいとちがうか」

料理と器の関係:「女性の魅力は着物によって増すものだ。似合わない着物を着ている女性を見て、魅力を感じるかね」

「すべての芸術は元をただせば皆 自然から感受したもので、これ以外に道はないのであります」

 他にも、経験と信念から出てくる本質を突く言葉が、ちりばめられている。凄い人である。また、狂言「食道楽」の抜粋が、164ページから10ページ程あるが、これだけでも立ち読みをお勧めする。洒脱だが、料理の本質を思い起こさせるすばらしい作品である。こんな狂言を是非見てみたくなる。

 いやあ、私も仕事も私生活も、彼のように自由奔放に行きたいものだ・・・。真っ白なキャンパスに、臨機応変に自分のコンセプトを描くコンサルティングをして行きたいと、強く思うのであった。

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