Cyber Japanesque 1999年8月〜1999年10月 日記帳


99/10/22

 またまた、昨日玉三郎さんを観に、一幕見席へ行ってまいりました。昨日は18:25開演のところ、18:10にはもう売り止めがかかっていて、盛況。寒い夜だったが、心はわくわく暖かい。700円を払い、4階まで苦も無く駆け上がる。ダイビングで潜ったサイパンのグロットの海中の光を思い出させるグラン・ブルーの光の中で、三味線の音が響き、いよいよ始まる。白無垢で、もったいぶった様に角隠しで顔を見せぬ鷺娘。引き抜きで紅色の町娘へ。そして衣装を替え、紫の服へ。ここの踊りが、大人っぽい風格と艶やかさがあり、私は好きだ。でも、何の描写なのだろうか?芸者、それとも女房?私は芸者かなとも思ったのだけれども、玉三郎のちょっとぶっきらぼうな演技、男を突き放したような演技が良い。彼(彼女)のクールな表情が似合う。そこから、ピンクの着物と傘の場面。玉三郎が傘を、右手から左手、左手から右手へひらりと持ちかえるときに、重力の法則を無視し、傘がふわりと浮き上がり、ゆるゆると降りてくるのである。無重力状態の様に、なぜか印象的。夢を見ている様。そして、一瞬傘の間から、真紅の衣装で袖を噛みながら、恨めしげな表情をする、迫力あるシーン。一瞬のシーンだが、なぜか心に突き刺さる。そして、いよいよまっしろな狂乱の雪の場面へ。前回書いたので割愛するが、最後の苦悩の表情でもがいていたのが、一瞬虚無・無常を悟った透明な表情になり、最後に静かに果てていく。その果てる際の、玉三郎の苦悩と達観と官能が入り混じった目が良いのだ。目の淵の紅色と黒い目が、女の情念を表している。

 ということで、玉三郎さんの鷺娘、何度観ても、思わず涙腺が緩んでしまうほどの感動です。

 (でも、玉三郎さんの舞台での顔って、坂本龍一に似ているとなんて思うのは、私だけだろうか・・・)


99/10/18

 ついに念願の、歌舞伎座 玉三郎 鷺娘(さぎむすめ)を観てまいりました。玉三郎さんは少々ふっくらとした印象でしたが、美しさは筆舌に尽くし難いものでした。「玉三郎ワールド」。一幕見席で、歌舞伎座の一番上で、オペラグラスを握り締め見ていたのですが、前のフランス人の一行なんかは、最初はがやがやとうるさかったのですが、引き抜きで白から艶やかな衣装になる頃から、シーンと無口になり、最後は「Bravo! Bravo!」と絶叫しておりました。やはり圧倒的に美しいものは、文化的背景を超え、共通のものなのですね。素直に、オペラのごとく、Bravoという賛辞を贈っていた姿にも好感が持てました。

 最初の、おどろおどろしい音楽をバックに、白無垢姿の玉三郎が登場する。相変わらず、機会仕掛けの人形の様に、スムーズでつなぎ目を感じさせない人間を超越した動作である。ほつれ毛も艶っぽく美しすぎる苦悩の表情。そして、鷺の足先を真似、そおっと片足ずつバレエダンサーの様につま先を深く折り曲げる姿が印象的。引き抜きで町娘になってからは、クールで清楚な感じで、現世の楽しさを無常勘を持ちながら表現する。そして、真紅の火焔の衣装ではっとさせ、また白無垢に帰っていく。苦悩と最後の生に向けたエネルギーを、舞台の上をくるくると何十回も、地面の桜吹雪を円状に巻き上げながら回るシーンが、あまりにも美しい。そして、瀕死の白鳥の様に、絶えて行く玉三郎の鷺。

 我を忘れ、超絶的な美しさの中で、時間と空間が止まった一瞬であった。


99/10/16

 地下鉄の駅や新聞(ex.10/16付 朝日新聞朝刊)に、ANAの「荒木経惟 * 松雪泰子 ANA九州日和 サブタイトル「晴れ ときどき 優しい雨」という広告が載っている。そのタイトルも、荒木が独特のニョロリとした筆のタッチで書いたものだ。JR東海の凛と緊張感のある京都シリーズとは対照的に、ANAの九州は、荒木の写真と文字で不思議な湿り気と仄かな色気がかもしだされている。

 私は芸能界には全く疎いのだが、松雪泰子って確か結婚か婚約をしたのだっけ。そうすると、荒木流に言うと、人妻エロスというところか。湯布院あたりの温泉で、少々胸がはだけてはいるが服を着たまま露天風呂に立つ、まさに水もしたたるいい女のシーン。鬼の洗濯板で、ハイヒールを脱ぎはだしで岩に座るシーン。みんな、少しだけエロティックなのである。

 荒木の言葉(「天才になる」講談社現代新書)から抜くと、「女が相手だと、撮っているときが情事なの。乳首にちょっとツバつけたり、鼻の頭もつついたり、「あれ、今時ピアスあけてないの」って耳たぶ揉んだりできる。二人で過ごす時間があるんだよ」というのが、彼なりの撮影方法らしい。うらやましい気もするが(笑)

 欲を言えば、温泉に浴衣というショットもあれば良かったのに。でもそんな写真を荒木が撮ると、濃密すぎる写真になってしまうかも・・・。


99/10/4

 10/3(日)に、浅草公会堂でいお日本舞踊協会の「第二三回 城東ブロック舞踊会」の夜の部に行って参りました。途中から観たのですが、感想を少々。未熟者なのに、失礼な批評があればご容赦を。

 二人三番叟(花柳凰幸さん、花柳寿紫沖さん):日本舞踊の公演で、はじめて狂言系でかつ狂言師のかっこをした2人の踊りを観ました。男性と女性の演技者でした。途中興が乗ってきて面白かったのですが、最後の見得がちょっときまらなかったという気がしました。でも、狂言でも、表情でおかしみを出すのが大事ですね。

 新曲浦島(坂東 峰喜さん):うーん、サイボーグの様に完璧な踊りでした。体操の技術点10点満点とうところでしょうか。見得を切り、止まるシーンでも、踊りの後半ですら、ピタッと止まるのですよね。鍛錬をきちんとされているのでしょう。ここまですごいと、溜息ものです。

 お祭り(花柳基さん、坂東朋奈さん):かなり、歌舞伎色の強い演出でした。噂に聞く、花柳基さんの、緩急自在で、切れの良い演技。周囲からは、勘九郎さんに芸風が似ているとの声もありましたが、ううん、きっぷの良い縁起さすが。そして、お多福の面をつけた、おどけた仕草も堂に入ったもので、芸風の広さも感じさせました。しかし、坂東朋奈さんの美しさが、勝っていた。都はるみの若かりし頃(?)の様な潤いと憂いの有る顔立ちと、華奢な腕と、そして細やかで感情の入った動き。すばらしい!私が男で、女形を研究しているせいか、朋奈さんには見とれてしまいました(苦笑)。この演目は最高でした。

 河(坂東勝彦さん、花柳秀瞭さん、花柳勝伸さん、花柳沙世音さん):大和楽の演目。最初の出だしの、ハーモニックな響きと、4羽の鳥が飛ぶ様は、玉三郎とバリシニコフの演技を思い起こさせた。美しい。4人で踊ると、身体の動きもありますが、顔の表情を含めた表現力の優劣が出るような気がします。

 団子売り(花柳秀さん、坂東勝友さん):城東ブロックのドンのお二人の演技。楽しく軽快に、そして締めは団子を舞台からまき、パチパチ。余裕と貫禄のあるお二人の演技でした。

 というわけで、以前は眠くなった日本舞踊の公演会でも、上手い人達の演技をみると、はっとした感動と、心のリフレッシュをさせていただけるこの頃です。いやあ、浅草の雰囲気ともあいまって、楽しかったです。


99/9/25

 9/19(日)に、国立劇場 大劇場で開催された花柳流の「いづみ会 50周年記念公演」を観に行って参りました。時間の都合で一部しか見られませんでしたが、その中でも新たに名取りとなられた方の踊りが印象的でした。まず、「名披露目口上」ということで、お師匠さんと名取りとなられた方2名が壇上より挨拶をされました。ご本人の挨拶はシンプルなもので、名前と「よろしくお願い申し上げます」ということだったが、舞踊の会で見たのは始めてでした。以前、片岡孝夫が仁左衛門になる際の、20名位並んだものを観た事がありますが、役者として重々しく演じるという部分と、内容に微妙な本人との上下関係の駆け引きの様なものが感じられて興味深いものでした。でも、名取りまでに何年かかるかは個人差があるのでしょうが、国立の舞台で口上をできるというのも、稀有の良い経験となると思う一方、随分と気合が入らざるを得ないですね。

 踊りの方は、新しいお名前が花柳幸恵里香さんは惜しむ春は、ご本人の誠実な性格が踊りにも現れているようで好ましいものでした。もう一人 名取りとなられた花柳都寿京さんの「京鹿の子 娘道成寺」は、圧巻でした。15名のお坊さん(所化)を率いて登場し、嫉妬の道行から、白拍子、町娘、名前入りの手拭を壇上からばら撒き、そしてクライマックスの鐘の上での見得と、衣装が美しいばかりではなく、演出も本格的だと感じました。それに加え、踊りの表情と心のこもり方がすばらしいのである。女のほとばしる執心というか執念が、十分に目の表情からも感じられました。プロの演技を観ている様で、すばらしかったです。40代の方かと思いますが、人生経験と練習の賜物なのでしょう。

 振り返ってわが身を省みると、あのレベルの踊りを演じるのに、数十年いや一生かかっても到達できないかもしれないと、自分の練習不足と才能不足を棚に上げ、秋の夜長に、ため息をつくのであった・・・(苦笑)。


99/9/18

 松屋銀座の「歌舞伎衣装展」に9/15に行ってまいりました。衣装展よりも、それの特別イベントである女形の化粧実演の方に大いに興味をそそられました。良く考えると、女形の躍りはお稽古をつけていただいておりますが、お化粧は経験も指導されたことも、まだありません。松屋を16時過ぎに訪れると、1階のイベントスペースがおばさま達で一杯なのです。何事かと思って覗くと、華奢で色白の男性が一人 上半身裸で鏡に向かい実演中で、スーツを着た男性一人が マイクで化粧の方法を解説中でした。確かに歌舞伎のイベントではありますが、プロのお化粧の方法という意味では、女性全員にとって非常に興味のあるテーマであったこともあるでしょう。私が最初に見た場面は、顔に白い下地を作っている段階でした。そこから首の周囲にも下地をつけ、いよいよ顔の細部をつくっていきます。凄いと思ったのは、目に「めはり」をいれ、唇に紅をいれていく段階から、実演している方の集中そして陶酔の様子が一気に深まったことです。メバナを入れるのは、筆で入れるのが普通だが、人によってはこだわりを持って指で描くと解説していましたので、ここら辺から、女をの顔の作り方で、個々人の独自の技法が出るところなのでしょうか。細かく筆を用いるよりも、大雑把に指で描いた方が、近くで見ると変な場合もあるが、舞台として遠めに見ると素敵に見えるものとのことでした。その他テクニック的になるほどと思ったのは、眉毛を描く所は、黒一色で塗っているだけでなく、事前に下地として紅を塗り その上に黒を塗っていました。また、相手役の衣装や自分の鬘(かつら)に白粉(おしろい)がつかぬように、手を白く塗った後に、指の内側の部分の白粉を丁寧におとしていました。

 男が女形をやる場合に、どこのタイミングから女になっていくのかというのは、いろいろ議論があるところです。役者によっては、舞台の直前 端に立った時に一気になるそうです。この女形の化粧の実演を見て、30分〜1時間という集中の時間、そしてその中でも紅を入れて行く特に集中する場面で、ぐっと役に入り込んでいく凄みを感じました。あれを、他の人の手ではなく、自分の手で自ら行うところにも、より役の世界に陶酔できる理由があるのだろう。さすがプロの技であった。(女形の化粧の方法は、市村萬次郎さんのサイトに詳しいので、ご参照ください)


99/8/31

 最終日ではあったが8/29に、恵比寿「東京都写真美術館」での「10人の写真家たちの眼 〜20世紀日本の記憶」展に行ってきた。戦前の吉原や原爆投下直後の長崎などもあったが、1959年、すなわち今から40年前という年について考えさせられる写真が多かった様に思う。皆の顔からエネルギーの感じられる安保紛争の1年前。沖縄の沖永良部島の悠々とした風景、農村の貧しい貧しい風景、黒ぶち眼鏡の多さがちと目立つが今と似ている無機質な丸の内サラリーマンの風景。

 一方、現代を代表するのが荒木経惟篠山紀信の2人。奇しくも(あるいは意図的に)2人とも「TOKYO NUDE」という同一テーマの写真。確かどちらが先に命名したかで、2人の間で議論になったいわく付の写真。荒木は白黒で、左に女性のヌードと右に東京のビルの風景を、バッハの無伴奏ソナタの様に、抑制の効いたハーモニーをかもし出している。対して篠山は、全面カラーで映画「ブラックレイン」の様な、サイバーパンク的な、ネオンのともる場末の居酒屋横丁やシルバーのパイプの巡る廃ビルのなかに、全裸の無表情の女性(ほんの一部申し訳なさそうに局部を葉っぱで隠した男性が2人だけいた)を立たせたカラフルな作品。日本は40年間で東南アジアの未開地状態から、ついにミレニアム前に脅威の進展を遂げたが、結局は女性のヌードにしか表現を込められなかったのか。まだ、荒木の作品には、表現しようという意図が感じられたが、篠山の作品には、SF通りのお決まりの世紀末TOKYO表現しかなく残念。結局、40年かかっても、少なくても日本から文化を生み出すことはできず、ブラックホールの様に無秩序に吸収するしかなかったのか・・・。


99/8/17

 8/15に東京湾大華火祭に行って参りました。今まで私が見た中で、一番美しく印象的な花火大会でした。元々特別会場への抽選に応募し、当選しましたので、出かけました。毎年4枚ほど応募し、2勝1敗という成績です。豊洲の駅から晴海までのバスに乗り、昔の晴海見本市会場へ。降りてからとことこと歩き、竹芝桟橋行きの船乗り場近くの花火会場の一番前に陣取る事ができた。東京で開催される花火大会で唯一 尺玉があがる大会なのだが、頭上135°に展開する花火は迫力があった。たまに、花火の燃えかすが降ってくる場合もあった。また、グランドフィナーレの、これでもかというスターマインも、間近で火柱を上げられると、光の滝のようで筆舌にあらわし難い。いやあ、真夏の夜の夢であり、大満足であった。日本人であることと、日本の夏に感謝!感謝!

 今年の花火でのノウハウ:

1. 花火には座布団を持って行くべし(嵩張っても、硬いアスファルトやコンクリートの上に長時間座る際に快適)

2. 座る場所を確保でき、かつオペレーション(人のさばき方、交通機関の準備の仕方等)の良い花火大会をなるべき選ぶべし(それから言うと、東京湾◎、日和田○、江ノ島△)

3. 間近に見られる花火は、何物にも替え難い(腹に響く太い音、目に飛び込む光の量、鼻に心地よい火薬の香り、どれもマルチモーダルインターフェースの極地である)


99/8/11

 夏休みを取り、木曾 御嶽山(おんたけさん)の麓の親戚の別荘へ行ってきた。御嶽山というのは3,067mの周りよりすくっと立ちあがっている独立峰なのだが、山岳宗教のメッカとしても有名である。実際に訪れるまで、これほどまでに盛んだと思わなかったのだが、日本の地域毎に「講」という信者の集まりを作り、そこがまとまって白い法被(はっぴ)をまとい、御嶽山への登山を繰り返している様である。私が登山道の入り口を訪れた日にも、200名近くの登山を終えた信者とすれちがった。又、死後は、荒削りの石を用いて、加えて独自の戒名をつけ、御嶽山の麓にお墓を立てている。奈良時代に建立された神社に加え、江戸時代なかばに覚明行者という人により、簡易な信仰形式が打ち立てられ、非常にポピュラーになったそうだが、現代でも脈々と受け継がれている山岳信仰は、非常に興味深い。私が見るに、各地の「講」や「教会」と呼ばれる信者の組織があり、それが独自の発展を遂げており、非中央集権的であり自律分散ネットワークとして機能している非常に珍しい組織らしい。

 やはり御嶽山の麓で8/7に、「日本一かがり火まつり」というのをやっていたのが印象的であった。日和田高原とう所で、10年以上の歴史があるそうで、岐阜県高根村の村長が「命をかけて」やっているらしい。最初はそんな言葉にも大した期待をせずに行ったのであるが、背丈ほどの松明(たいまつ)が会場はるか手前から並び、会場では背丈ほどの松明が50本ほどと高さ5m以上はある大松明が3本並び、壮観な眺めであった。夜 松明をバックに、龍の舞い・各種民謡・大太鼓演奏・花火と続いたのであるが、特に大太鼓の通奏低音と高く燃え上がる炎が、不思議な高揚感を会場にもたらしていた。火と音楽というシンプルな構成ではあるが、逆に素朴なエネルギーに血が騒ぐ。来年は8月5日らしいので、よろしければ訪れてみてください。


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