Cyber Japanesque 2000年12月〜2001年9月 日記帳

2001/9/17

 いくら非現実の世界をこの世界で描き出していると言っても、先週からの現実世界の方が凄い事になっている。最近の出来事と"情報"に関する教訓を少々。

 まず、鎌倉に上陸し、東京を通過して行った台風15号。秘湯レポートにも書きましたが、この台風が来ている時に、信州の山の中の中房温泉という所に行っておりました。そして、雨量60ミリ超で、一本しかない道路は普通に。山の中なので、携帯もPHSも通じず、電話はなく、日本で最初という衛星の公衆電話があるのみでした。いやあ、通信手段を切断されるということは、携帯もPCもインターネットも使えず、つくづく"情報が無いと、判断すら難しい"ということを実感しました。イリジウムは買収され、アメリカ軍と契約してサービスを提供しているそうですが、どこでも通信可能な手段は重要です。コンセプトは良かったのだけれどね、モトローラさん。秘湯探検にはイリジウムは素晴らしい武器となったであろうに・・・。

 山から下る道と中央道のやっとの開通をまって深夜の高速を走っていると、FMからワールド・トレード・センターに飛行機が突っ込んだという、思わずエイプリルフールかと思った衝撃のニュース。家に着きテレビをつけると、衝撃映像が繰り返し流れる。そんな中でCNNは、同時通訳でニュースを流しつづけていたが、日本のチャンネルとの切り口に差があった。日本のチャンネルは突撃と崩落のシーンを繰り返し流し恐怖感を煽っていたが、CNNは非難するマンハッタンの人々を映し、意外に冷静に行動している姿をアピールしていた。情報はいろんな視点から判断しなくては・・・。

 "女殺油地獄"を、一幕見席に再度行って参りました。今回は、オペラグラスを持って行きました。とはいえ、三幕目狙いの私は、缶ビールを探して夜の銀座を彷徨して、入ったのは一幕目の最後。9/8と異なり9/14は四階も立ち見が5人位と、まあ賑わっておりました。関西弁は少々聞き取りにくいのですが、与兵衛の父親役の幸右衛門さんも演技は良いが、言葉が少々聞きとりにくいのが残念。しかし、この与兵衛は、妹を仮病でずっと伏せさせていたのですね。衝動的のみならず、計画的にも悪い奴か。その、与兵衛の染五郎であるが、頬のこけ方といい、こいつはカッコ良いぞ。オペラグラスで見ても、化粧のせいか、ニヤケた染五郎の面影無し。一方、孝太郎さんのお吉は、うーむ、もともとの顔があまり美しくない。玉三郎、福助、菊之助なんかと比べてはかわいそうかもしれないが、染五郎があまりにも端正なため、落差あり。仁左衛門さんと雀右衛門さんの組み合わせもあったとのことなので、孝太郎さんもさらに美しくなられるようがんばって下さいな。もちろん演技自身は、少々シナを作りすぎているきらいはあったが、悪くなかったですよ。あと課題は、やはり今回も三幕目の殺し殺される場面で、二回苦笑が起こったこと。いつこの壁を二人は越えられるかのか!?ということで、オペラグラスにて物事の表面の真実を見てしまうと、内容に対しての興味や判断にバイアスがかかるということもあるか・・・。


2001/9/8

 梅雨が実は7/1には終っていたという今年ですが、急激に秋が来て、昼間は過ごしやすい、そして夜は肌寒い季節となった。9/5に海に水中眼鏡をつけて入ってみたら、少し沖に歩いただけで、あんどんクラゲの大群が目に飛び込み、慌てて退散しました。しっかり背中はさされてしまったぜぃ。

 ★★★★☆ 女殺油地獄   at 歌舞伎座

 四階 一幕見席へ上がるが、四分の一位しか席が埋まっていない。三階席なんかも、空席がちらほらと目立つ。小泉首相の"米百俵"でもお客は満杯にならないか。少々安直な出し物企画か。

 さて、私は"近松もの"ということで、期待して女殺油地獄へ。タイトルも、なかなか淫靡な香りがする。

 幕があがって、ちょっと上方らしい柔らか味というかなよっとした、ボンボン風の染五郎 与兵衛。染五郎さんに限らないが、関西弁のセリフは、少々聞き取りにくい。耳をこらす。我侭な若者が芸者をめぐり、田舎の旦那と大喧嘩。川に落ち泥だらけの与兵衛を介抱する、人妻の孝太郎 お吉。お吉の旦那が二人の関係を疑う伏線が引かれる。

 二幕目は与兵衛が、家にて両親に立てつき、家庭内暴力を振るう場面。そして与兵衛は勘当される。 とはいえ、実は一幕目と二幕目は、こっくりこっくりしてしまったのでした。

 さて三幕目は、これは最初からドラマを期待させる舞台造り。油屋であるお吉の家の様子が、全体に深海の様な深い青い照明が仄かに照らされる。この青さが人工的にクールで印象的。お吉の旦那が商売で出かけて行った後に、与兵衛の父が息子が寄ったら助けてやってくれと、お吉を訪ねる。直後に今度は与兵衛の母親も訪ねてきて、鉢合わせをする。息子の前では厳しいことを言っていた母も、実は息子を助けたいと願っていた。二人ともまとまったお金を与えようとする。二人とも同じ気持ちで有る事を確認して抱き合い泣くシーン。甘やかしとみるか、夫婦の子供への愛情の強さとみるか。両親が出ていった後に、与兵衛がお吉を訪ねる。両親の気持ちをわかった上で、さらに金がたりないと、お吉にすがろうとする与兵衛。好いていたという甘い言葉。断られると泣きの言葉。そして、刃物をかざしての言葉。弱い男の三態。切りかかる与兵衛と逃げるお吉。油の壷がひっくり返り、油まみれの争い。二人とものた打ち回る。そうだ、人生を暗示しているのかもしれない。そして、最後はお吉を切り殺し、金を懐に、夜の道を駆けて行く所で終り。

 いや、こんなに不条理の話しで、凄絶な油まみれの殺しの場面を、公然の場で上演して良いのだろうかとまで感じてしまった。しかし、ストーリーは、役者の演技で、与兵衛の心情は様々に描けるだろう。親への人間味もあることにするのか、お吉への僅かでも好意を感じさせるのか、そして今回は全体が現代っ子のクールさを不気味に出している。村上龍の不条理な殺人を描いた小説"イン・ザ・ミソスープ"と、ロバートフィリップが率いたキングクリムゾンの"21世紀の精神異常者"の音が、なぜか終った後に私の心に浮かんできましたョ。

 今回はオペラグラス無しの為、細かい演技は見えませんが、染五郎 なかなか熱演です。あわよくば、油の中で大袈裟に転びながらの演技の時に、お客さんから少し笑いがあったので、なんとか千秋楽までに演技のパワーで無くせればさらに凄い。しかし、もしかするとあの笑いは、不条理の中で精神の平衡を保つ為の、観客の自然な笑いかもしれないが。

 ということで、次回はオペラグラスを持って、あと2回は観に行きたいぞ。美しい不条理なんて、滅多にないぜぇ。


2001/8/15

 話題の歌舞伎座 勘九郎&野田秀樹の"研辰"に行って参りました。

★★★☆☆ "野田版 研辰の討たれ" 

 4分遅れで歌舞伎座の幕見へ駆け上がる。四階で券を買う時に、「立ち見で少々混んでおります」と言われたが、中に入って唖然。私の経験で一番混んでいるかもしれない。奥の方から入ったが、既に台の上もあがるスペース無く、入口付近の人の頭の間より覗く。隣の人が、茶髪兄ちゃんなのが少々いつもと雰囲気が違う。なお、私は歌舞伎本来版の"研辰"は見た事がないので、今回は全く始めて。

 最初は道場で稽古をつけて欲しくて、悪態をつく勘九郎 辰次。赤穂浪士討ち入りと武士の世界を皮肉る皮肉る、既に場内は笑いの連続であった。勘九郎のふざけて首を反らせグラグラさせながら手をつき詫びるシーンなんか、頭蓋骨の中で脳が動きすぎ脳内の静脈が切れないかと、心配になるくらいの熱演である。イラついた演技の弥十郎さんが脇役で良い味。辰次を優しく扱う 福助 奥方さんも、「あっぱれー」と日の丸扇子をかざす姿は、悪乗りしているねぇ。二月の女暫の時に感じたが、福助さん ちょい三枚目的な女形もやる時にはなりきるんですね、と妙に感心。

 さて回り舞台を使って、からくりで自分をのした家老を辰次がやっつける場面。からくり人形役は亀蔵さんだったんですね。まるで、映画"ブレードランナー"に登場のレプリカント プリスの様であり、ギミックで迫力ある動きは、てっきりここだけは野田劇団の人の演技だと思いました。その後、家老の二人の息子が、敵討ちの旅に出る。おや、染五郎さん随分と顔が引き締まっているようで、演技も凛々しい。

 宿屋も回り舞台とその立体構造と垂れ幕を上手く活かしている。構造上おもしろいかもしれない。勘九郎 辰次が、宿代踏み倒しの嫌疑を受けて、自分が家老の二人息子に敵討ちを仕掛けているのだと実際とは逆の話しをする場面が、義太夫の語りの人もからみ、勘九郎の語り口調と相まって、この作品で一番歌舞伎らしいリズムのある所。もう少し、このような歌舞伎の手法を使って、リズムに変化を付けても良いのではと思う。

 さていよいよ辰次も追い込まれて、良寛和尚のいるお寺で、敵討ちと相成ります。さんざん辰次は、私は犬だ、死ぬのは嫌だ、云々と逃げをうつ。二人の息子だけではなく、それを見ている町の衆が敵討ちをしていることになるんだ、なんぞと辰次が言うので、チャップリンの"殺人狂時代"の如く、最後に本質を鋭くついたかとちと思いました。でも、おちは、生き延びたと辰次が喜び、町の衆が次の敵討ちに向かった後、あっさりばっさりと二人息子が辰次を切り捨てる。そして、弱い意気地なしの男を二年もかけて討った事に、釈然としないものを抱えつつ立ち去る。勘九郎 辰次に、枯葉が一枚はらりと落ち、オシマイ。 

 騒いで騒いで、ちょっと本質を言い当てかけ、でもシンミリと無常で終り・・・。歌舞伎座を出ると、野田ファンらしき人は、「この値段で、野田が見られるとは幸せだ。完全に野田の作品だ。」と大満足であった。しかし、私としては、確かに歌舞伎用の原作を使っているが、お客さんに見せる手法をもっと歌舞伎らしくして欲しい。野田ファンは良いが、どうも私には時間が均一に流れていたような気がする。確かにスピーディに展開しようとする場面はあるが、逆に凝縮する時間部分が無いので、均一に感じたのかもしれない。例えば、ツケで盛り上げた上での見得のシーンなんか欲しいねぇ。

 ということで、納涼 真夏の夜のひとときと割りきり、お馬鹿な時間でこの世を忘れる、なんていうのには最適か!


2001/7/27

 7/23(月)に有楽町の東京フォーラム Aホールに"井上陽水"を聞きに行く。たまたまチケットを譲り受け、平日夜ラッキーにも別世界に時間が持てましたのでメモメモでございます。

★★★★☆ 井上陽水コンサート '01

 はじめての東京フォーラム ホール体験ですが、まずホールの作りは銀色の円盤の如くの二階席、ステージの周囲は木製の凱旋門、そして高い高い屋根、とイメージは銀色基調のオープンカー Audi TT みたいだゾ。歌舞伎座通いの私にとっては、度肝をぬく大きさです。まるで、突然未来の世界にきてしまった"おじゃるまる"の気分でございました。思い起こせば、アンプやスピーカーを使ったコンサートや公演なんて、最後は6年位前のパット・メセニーが最後だゾ。どうなることやら。

 聴衆は30代後半〜50代前半の、夫婦 or カップルが多い。入場するとキリンビバレッジが作っている陽水の冊子をくれる。陽水が"聞茶"なら、新之助 "おーいお茶"も対抗して、新之助の公演で伊藤園の宣伝入り冊子なぞを配っても良いかもしれないナ。

 さて、いよいよ一曲め。私の知らない曲("青い闇の警告")であったが、いきなりガンガンロック調に飛ばす。うーむ、音が私には大きすぎて、音圧で心臓が痛くなった。本当だ。二曲目は"なぜか上海"だったが、これも声とギターとドラムとキーボードの音が交じり合い、音響が明確で無いのが残念。今一つである。

 と思っていたら、数曲目に"リバーサイドホテル"から良くなってきた。陽水の声に艶が出てきたのと、無駄な伴奏が無い為、音がくっきりと際立つ。畳みかけるように、耳慣れた曲を続ける。タイガースのリバイバル"花の首飾り"では、さすがに聞茶のCMソングらしく、バックのCGもフラクタルチックで凝っていた。

 そして、アンコールでは、ロックンロール調の"夢の中へ"。ここで盛り上げた後、最後は透明艶やかに"少年時代"。心に余韻の残る終り方で良し。最初は心配したが、さすが上手いねぇ。

 ところで、語りは人を食っておりとぼけたものだったが、その中で九州出身ということで"黒田節"をギター一本でしんみりと唄ったが、これも良かったぞ。こういう形で、昔の良い曲を再構成すると、新たなメロディーラインの美しさや、歌詞の強さがわかり、若者にもわかりやすいアプローチでGood。吉田兄弟や東儀秀樹のように邦楽会からのアプローチもあるが、逆にメジャーのアーティストが和風文化をどんどん取り上げてくれると、対象の客層が一挙に広がるので、今後も期待したい。


2001/7/22

 7/21(土)に待ちに待った歌舞伎 地方公演を相模原へ観に行く。うーむ、さすが銀座と違い、横浜線に揺られて、JR相模原駅からさらにバスで7分くらい、多少入口は閑散としているか。

★★★★★ 松竹大歌舞伎 東コース

 出し物は、「忠臣蔵 五段目、六段目」と新之助&芝雀さんの「男女(めおと)道成寺」だったのですが、これが非常におもしろかった。面白さが凝縮されており、歌舞伎座に一回行って三幕見るよりも、お薦めしたくなるぐらいです。なお、私の場所は、前より七列目ということで、良い場所でした。

 会場は舞台より遠い席が五分の一くらい空いていましたが、もったいない。

 さあ、いよいよということで、いきなり新之助 定九郎の五段目だ。幕が上がる。舞台は後方が黒い緞帳(どんちょう)なのが地方巡業らしく良いなぁ。團十郎 勘平が昔の同輩に会うシーンが終り、いよいよ私が待ちに待った場面である。お軽の父親が掛稲で雨宿りをしながら娘を売り五十両を得た事を語りながら、懐から五十両を取り出していると、稲の間からニュウッと腕が伸びる。観客がオオッとどよめく。素直な驚きの反応が観客から返される。稲の中に引き込まれ、そして刀を突き刺されたお軽の父の背後には、黒縮緬(ちりめん)の色悪 新之助 定九郎の登場だ!(以前歌舞伎座で通しで観たが、ここの掛稲に引き込まれ方、そして殺されての出て来方は、なにか以前の振りつけと違う様に感じたが真相は如何に!?) 刀の血をぬぐい、髪のほつれを直し、濡れた服を絞る、その姿を見た時に、背中にゾッという感動の電流が走りましたよ。一連の動作を行うときに、新之助は目を閉じながら行っているのですよね。クールな凄みに溢れています。五十両を懐に、花道で眼を剥く様も、相変わらず眼力すごし。

 しかし、今回新たに心に残ったのは、その後イノシシをやり過ごした後に、勘平の鉄砲を浴びのたうつシーンの虚無感の素晴らしさ。撃たれた後に、観客に顔を向け、手の平を上にして空を何度もつかもうとする。しかし、何も手に取る事はできないのだ。虚無と哀感に溢れた眼。そして唇からは白塗りの腿(もも)に、鮮血が滴り落ちる。ビトッ、ビトッと、血が白い肌の上に広がり、糸を引き垂れていく。・・・究極の悪の美しさである。定九郎は、虚空に何をつかもうとしたのか。塩治判官の家臣の息子だが、家を勘当され、その後も悪事を重ねた人生。そんな最期に、あがく理由は・・・。うーむ、新之助 主演で、定九郎の人生を描く芝居も観て見たいのぉ。そして、一度でも良いから、私も定九郎を舞台で演じてみたいなぁ。うーん、藤娘も良いですが、立役としては定九郎。もちろん、踊りのお師匠さんに、こんな願望は、めっそうもなくて口に出せないだろうが・・・(笑)

 さて、六段目に移り、團十郎さんの勘平は、誤ってお軽の父親を殺してしまったことを詰問されたときに、千崎と不破の二人の刀の鞘(さや)を掴み、申し開きを哀願する場面の語りが良かった。新之助に負けない、真っ直ぐな迫力に溢れていた。あと、浅葱色の着物を身につける際に、長刀を鏡に見立て、自分を映し髪のほつれを直すシーンは、定九郎のほつれ毛を直すシーンと呼応しているのですね。

 配役では、お軽の母親役の市川升寿さんという役者が、声は少々小さい場面もあったが、意外と上手かった。夫を殺され、娘が祗園に売られて行く切なさを、見せましたよ。お軽役の芝雀さんは、少々首の振りなど、女の動作を意識し過ぎかなぁ。お化粧等の外見と動作が少々合っていないか。

 

 次の、男女(めおと)道成寺が、初めて観たのですが、これがまた良かった良かった。ストーリーは、二人の白拍子が鐘を拝む為に舞うが、途中で白拍子の桜子(新之助)が実は狂言師の男であることがばれてしまい、それでも所化達にせがまれて二人で舞い、最後は二人で清姫の妄執に化けてしまう、というもの。

 新之助って、踊りも上手いですね。無駄な動きが無く、しかし狂言師の部分はおかしみも醸し出し、技の切れがあります。出だしの道成寺の艶やかな白拍子姿の女性舞いの部分では、芝雀さんとの対比でよくわかるのですが、高貴な表情で、最低限の動きで、玉三郎さんに少々似ているかな。狂言師の部分では、顔の表情も踊りも躍動感があるし、義経千本桜の狐の欄干歩きの様な動きもありますが、猿之助と比べても、新之助さんもイイ線いっています。クドキ以降なんかは、眼に二人の踊りが飛び込んできて、視覚的にも豪華でありました。一人での娘道成寺よりも、私はこちらの方が観客にとっては変化が大きく、二倍の刺激があり、楽しめました。

 ということで、この後この公演は埼玉から静岡に行き終わってしまうようですが、これは買いです。機会があれば、お見逃しないよう。昼と夜の部を続けて観る事を、お薦めしたいくらいです。


2001/7/15

 猿之助さんとさんの入籍話がちと話題になっているようですな。

 そんな中、7/15の昼の14時からフジテレビで「ザ・ノンフィクション 猿之助、素顔の400日 愛と反骨心」なる番組がありました。紫さんの話しが公になる前から、猿之助さんとカメラマンそしてそのアシスタントを追っていたようですね。話題なのでそっと付け足したというような、CM前の二人の静止写真しか、二人の話題はありませんでした。(それとも、放送タイミング位はずらしたのかなぁ)

 ドキュメンタリーなので、猿之助という人、そしてカメラマンと途中で挫折してしまうアシスタントというような、人間模様を横糸に組みたててありました。

 しかし私が感心したのは、あの一つの舞台を作って行くプロセス、そして運営して行くプロセスです。100人の役者陣、150人の裏方さんと、総勢250人が一つの舞台を仕上げているというのが、一部でも映像で感じ取れました。

1)猿之助が宙乗りの最後に入る四階の黒幕の小屋床の位置が低すぎることに対して、"誰が設計した""意識して設計してくれなくては困る"と、単に直せというのではなく、根本までズバッと指摘をしていたシーン

2)猿之助の顔形を取るデスマスク(ライブマスク!?)の作成に関して、"演出が変わってしまう可能性があるから、この稽古中に完成してくれなくては困る"とスケジュールを提示するシーン

3)休み時間まで芝居の話しをはずれないと猿之助の素顔を語る演出家。そして、"芝居は本業だし、趣味でもある。だから疲れもとれてしまう"と円助が語るシーン。

4)大水を使ったセットや、燃え盛る穀物倉庫での戦いセットなどを、本番中に裏方さんが大勢で動かし制御するシーン

5)秒単位で時間に追われている幕中でも、衣装写真を残す為に、カメラマンの注文に実に冷静に応える猿之助

こんな映像を諸々見ますと、舞台というのは一つの一大プロジェクトであり、ブロードウェイの基盤であるような立派な投資ビジネスであり、猿之助は非常に類稀な天才的なプレーイング・マネージャである、ということがヒシヒシと伝わってきます。今でも歌舞伎界では、團十郎さんとの競演なんかもありましたが、彼はやはり独特のポジションにいると思います。そして、彼の行っておりそして目指しているのは、""に留まらず、"総合芸術の舞台とそれを量産できる仕組み構築"ではないかと思います。

 三国志なんかを見て、彼の劇より"浪漫と志"のエネルギーをいつも得ていますが、一つの舞台作りのみならず私生活で紫さんとの関係も"浪漫と志"から成されたものでしょうか。型にはまらず、型破りであり、素晴らしいと思います。

 さて、今月の歌舞伎座に生猿之助さんを観に、行かなくては・・・行かなくては・・・。


2001/7/3

 以前より楽しみにしておりました、テアトル銀座へ行って参りました。玉三郎さんの公演初日観覧!

★★★★★ 坂東玉三郎 特別無踊公演 at ル・テアトル銀座

初日のせいか、始まり予告の拍子木が鳴ってもまだざわつくし、入場者が続く。シンと静まるのを待ち、満を持して幕が開く。

「雪」

 横に静々と幕が開くと、一本の蝋燭と傘の蔭に玉三郎。白い着物が、蝋燭と白熱灯色の照明に照らされ、妖しい夜の世界を作り出す。傘を持ちじっと音を聞いている玉三郎が、僅かばかり上半身を揺らせたのは、緊張のせいか、はたまた狂おしくなる前兆か。

 細かい表情や仕草まで見たかったのと、やはりこの作品は表現者と真っ直ぐに対峙して観るべきだと感じ、オペラグラスに眼を押し当てて見てしまった。本当は、お座敷に二人っきりで三メートルくらいの距離から、見てみたいのだけれども。舞台の玉三郎を観ていると、恋に狂おしくのたうつ女を、襖のすきまより覗き見る、イケナイ事をしている、でも目を放せない、という気分になりますね(少々危ないか・・・句苦笑)。

 全体の構成としては、出だしの暗闇に包まれる部分から蝋燭一本で踊る場面、そして着物の袖を噛み、浮世を断ち切りながら後ろ髪を引かれる所まで、私自身は"美に沈む"というような時間を過ごした。

 鷺娘を観た後に考えると、内に秘めた感情を表情にはまったく出していないクールさが、かえって昂ぶる心を表しているのが、後半のどこかで眉や視線だけでも良いので一瞬感情を出しそれを打ち消すと、もっと深みとおもしろさがでるかなと感じた。

「羽衣」

 すっきりとしてわかりやすい作品。前半の桃色の着物をきた天女の玉三郎は、ちょっとだけオデコのしわが目についた。この服装からするとこの天女は若そうであるが、もうすこしかわいらしい表情があっても良いか。

 このテアトル銀座のホールは、音響が抜群に良い。澄み渡る唄と、横笛の音色がストレートに飛んで来る。

「鷺娘」

 舞台はもう少し床が青味がかったほうが良し。舞い散る雪が、幻想的で撒き方が上手い。

 始まりの天から一条の光が指し一握りの粉雪がヒラヒラと舞い落ちる様は、潜水家のジャック・マイヨールを描いた映画"グランブルー"のエンディングの様。一条の光の中で、海底でイルカに会うシーン。そして、鷺娘は逆にそんな光景から始まる。

 前回も同様だが、町娘はちょっと冷静過ぎか。その次の紫の芸妓姿は、これは思わず惚れてしまうほど似合っている。そしてそして、傘の中で赤い着物に引抜で変化した瞬間からが、エンディングの畳み掛けるような美の洪水の始まりだ。紅いおべべの鷺娘が、一瞬射るような恨みの視線をする。ドキリ。そして白無垢に戻り、苦しみもがく。反り返る時にもしっかりと目を見開いている瞼の下の紅が、赤い瞳が恨みで充血した様を想像させる。表情が、苦悩と諦観と激しく交差する。地面に伏した直後、最後にもう一度目を開く。哀れみか、プライドか。そして、羽で顔を覆う。

 "鷺娘を観て、生きていて良かった" ではなく、" 鷺娘を観る為に生きているのだ"と、私は感じた。コギト・エルゴ・スム。本当はカーテンコールの時に、思いっきり"Bravo!"と大向うをかけたかったのだよ。


2001/6/25

 なんかすっかり日記ではなく、月記モードですね(笑)。でも、他のページを一所懸命更新しておりますので、お許しを。

★★★☆☆ 荒川の佐吉 at 歌舞伎座

 仁左衛門のいなせでちょと人が良いやくざ見習での登場が、うーん勘九郎さんライク。今まで仁左衛門さんというと、助六やかさねの与右衛門のような丹精でクールな役が頭にあるので、この背の高い勘九郎さんには、一瞬無理を感じてしまった。しかし、人助けの喧嘩をして"俺を好きにせい"と、道の真中に両手両足を伸ばして横たわる図は、四階の一幕見から見ても大きく迫力あり。そんな佐吉こと仁左衛門が、落ちぶれた親分から姉娘を押しつけられ、でも子供好きだとあやすさまは、微笑ましい。そして、落ちぶれた親分が博打のいかさまで差されて死んだ事を告げられ、その亡骸を引き取ることを瞬時に判断する頃から、子供を抱きながらとはいえ、徐々に表情にクールな凄みが含まれ始める。

 その子供が盲目ながらも少年になった頃、子供のできない姉娘夫婦がやくざを介して、子を取り返しに来る。そこでたまたま襲ってくるやくざを殺してしまったことから、自分に秘められたパワーに目覚める佐吉。そんな佐吉が、長剣を振り回して自分の元親分をおとしめたやくざを討つシーンは、手足が長いから映えるねぇ。"強いものが勝つんではない、勝つものが強いんだ"なんていうセリフに痺れるねぇ。思わず私の生業での最近のECの世界をふと思ったねぇ。"勝つものが強い"。当たり前のことであるが、生き方として胆に命じなければ。歌舞伎も疲れた頭をリフレッシュさせると共に、仁左衛門さんに言われると、モチベーションとして身体にすり込まれるねぇ。

 そして、懸命に育てた子を産みの親に返して、組みを継げという団十郎こと政五郎の勧めを振り切っての旅立ち。ちなみに團十郎さんは、少々無理に低い声を出し過ぎか。ちょっと不自然。佐吉の旅立ちも清々しい。でも「自分は多くの人をしきる組織の長の器では無い」なぞと言われると、またまた仕事の事が脳裏に浮かんでしまう。ここで組頭になる翻意があっても良いのでは、とストーリー的には考えてしまう。組織とお金をマネージメントするのは非常に自分の意に添わない雑務も多いし、意思決定も重責だし、そりゃ一人で放浪の旅をするのはのんきで良いが・・・とわが身を振りかえってしまいました。

 ということで、暫くぶりの歌舞伎座で、頭が仕事モードと佐吉をいったりきたりではありましたが、仁左衛門さんの新たな一面を見て清々しく帰途につきました。

 

 別件ですが、6/25の日経夕刊の人間発見に吉右衛門さんが載っているのですが、今年四月に初めて千本桜で、知盛、忠信、権太をやったとのことですが、「こうした役は若いうちにやっておくべきだと痛感しました。どんどんやって自分の中に、手に入ってしまえば、年で身体的な制限が出てきてもいろいろ補いながら見せる事ができるんですね。忠信なんかは動きが激しいので初役で演じるのは20代が理想ですね。」との言葉あり。うーむ、ECの世界でも、若いうちに経営の一角をにない、経営感覚を身につけるべきなんだろうなぁ。と、またまた歌舞伎からビジネスでのあり方を考えさせられました。


2001/5/15

★★★★★ 新之助 源氏物語 at 歌舞伎座

 幕切れで、新之助源氏が明石の方との間だの娘を抱きながら雪の上を歩き去り、福助明石の君が雪の中に悲しみに崩れさるシーンが、究極の美しさでありました。粉雪が後から後から舞い落ちる中、廻り舞台が少しずつ反転しながら遠ざかっていく演出は、このシーンを効果的に描写します。(ここは演舞場忠臣蔵でも見られたテクニック。最近になって2回続けて見たが、昔からあるのかしらん?)いやあ、このシーンは、この源氏物語の中で語られていた、男と女、母と娘、父と娘、そして男と女と女(不倫)等の全ての人間関係の不可解さと面白さそしてあじわい深さが、一挙に凝縮されていたのであります。映像で言うとカメラがゆっくりと引きながら、まるで映画の"アラビアのロレンス"で荒涼とした砂漠を表す圧倒的なカメラワークの如く、舞台は究極の美を映し出すのです。私の記憶だと、玉三郎の鷺娘の終わりにも勝るとも劣らない美しさです。新之助又は福助ファン以外も、この三幕は必見であります。ここのシーンだけで、星1.5個分に値します。

 さて時計を戻しましょう。時間が偶然できて10:30に歌舞伎座に到着したものの、その周囲を取り巻く熱気に私は思わず後ずさりしたのでした。熱気というよりは殺気か。当日券売場に並んだものの、5人ほど手前で当日券は終わり。Oh、god!すかさず得意の幕見席に移るが、列は長い。あれは既に次の幕の列だったらしく、立ち見で良いならば四階へ行けと告げられる。とことこと上がり昼の部の件を無事買う。既に椅子はなく上手側の前の通路に腰掛ける。階段であるが、狭い席よりは脚を伸ばせて、実は快適かもしれないと感じる。良かった、階段であるが一幕見席の一番前に座れる。

 内容は、一言で言うと、美しくパワフルに"陰陽師"、又は劇画を見ているようでありました。東儀さんの音楽も、決めの男と女のシーンでは、北野武の"あの夏、一番静かな海"の久石譲の様な叙情的な音楽でありました。聞こえるか聞こえないかというような少音量にすると、スピーカーでも違和感ありませんね。見得らしきものは、光源氏と紫の上が踊る"春鶯でん"の中の雅楽系舞における膝を曲げる決めのポーズだけ。大向うをかける人も、間の取り方に苦労していました。舞台も暗転を頻繁にし、セットとシーンを変えてスピーディですし、言葉もこなれた日本語です。これは、スーパー歌舞伎以上に 歌舞伎ではなく、一つの叙情的な絵巻物の世界構築だと思いました。"愛しい""あなたをきっと迎えに来る"という言葉が新之助から幾度もほとばしり出ると、女性は自己暗示にかかっていくのでしょうか。それは観客も同じかな。

 さて、一幕見席 上手階段の私の横に座っていた素敵な女性二人組みが楽しそうに歌舞伎のお喋りをしており、「オペラグラスを持って来れば良かった」というのが耳に入ったので、舞台中に何度かそっと貸してあげました。なかなか華のある人達でしたので私も会話をしてみたかったのですが、ちょっと恥らってしまい声をかけられませんでした。なかなか、光の君の様にはいかないもので(苦笑)。

 定九郎も凄みがありすばらしいが、このクールで一途な光源氏も、確かに舞台後半に新之助の顔を見ると、やつれたほつれ毛も哀愁をおび、かっこ良いですね。母性本能を確実にくすぐるでしょう。そして、一幕見席でも良いですから第三幕をお見逃し無く。目を閉じるとまだあの美しいシーンが瞼に浮かぶのでした。


2001/4/19

 疾風怒涛の怒りとストレスを抱えて、いざ歌舞伎座!

 ★★★★☆ "鷺娘" by 福助

 階段を上がり四階の席に腰を落とす。"鷺娘"と聞くと、どうしても玉三郎さんの舞台が脳裏をよぎる。あの完璧なる妖艶な鷺娘を。しかし、福助さんは福助さん。新たな気持ちで観なければと自らを戒める。

 幕が上がる。舞台は、玉三郎さんのウォーターワールドの様な青ではなく、明るく始まる。しかし、さわさわと粉雪ならぬ紙ふぶきが間断無く舞い落ちる。なかなか良いぞ。白無垢の鷺娘が現れる。うーむ、福助さんの鷺娘は少々きびきびし過ぎか。メリハリが効き過ぎて、思い出に耽っている雰囲気が無い。

 町娘姿になってからは、活き活きとする。首の振り方が素敵だ。福助さんの首は長いし、しなるぞ。さわやかな仄かな色気もある。

 しばらく踊りを堪能していると、いよいよ怒涛の最終章へ。その前に傘の間から、真紅のキモノ姿に。現世を表す明るい照明から、徐々に薄暗くなり、紅色が目に妖しく映る。うーん、だんだん私の心も没入してきた。そして、引き抜きでまた白無垢姿へ。膝でまわると、紙ふぶきが舞いあがる。そして最後は白い羽を広げて終わる。紙ふぶきがひらひら、ひらひらとたくさん舞い落ちる姿が、一瞬気が遠くなるほど美しい。幻惑される。

 ということで、ストレスはすっかり解放された。アドレナリンが身体中を駆け巡り、頭に血が昇っているところに、歌舞伎座で美の世界にいきなり入るのは、サウナで冷水に飛び込むが如く、脳髄に効きますね。このジェットコースターの様な落差による快感は、止みつきになるかも。

 しかし玉三郎さんの鷺娘との違いは、一言で言うと、"ノリウツッテイル"かどうかだ。福助さんはきびきびあっさりしており、人間が鷺娘を踊っている。玉三郎さんは、鷺が乗移り憑かれたように踊る。とは言え、この福助さんの鷺娘、もう2度位観ねばなるまい。こんなに美しいものは、眼と心に焼き付けねば・・・。


2001/4/14

 新たな温泉を開拓。

 ★★★★☆ 東丹沢温泉郷 "かぶと湯温泉 山水楼"

 事前に山水楼に電話して日帰り入浴を確認すると、泊まりのお客さんがいるから入浴は15時までとのこと。快晴の空、適度な波、という日であったので、思わず鎌倉から平塚へシーサイドドライビングし始めたのだが、渋滞にハマル。進まない。やはりこれからの季節、晴れた日はR134は避けるべきと再度胆に命じる。北上し始めてからは快調に進む。R16号線の様な事はないので安心。伊勢原を過ぎてから"七沢温泉"への道路標識が表れ誘導してくれる。七沢温泉を越してしばらく行くと、"かぶと湯"への標識有り、左折。

 山水楼はかぶと湯で一軒の宿。良い感じでくずれている"山水楼"ののれんをくぐる。ダルマ、剥製の鹿、鎧兜などがいきなり入り口に飾られている。このタイムトリップ感ある怪しさが良い。宿の人に案内されお風呂に。温泉といっても、タタミ1.5畳程度の浴槽一つである。誰も入っておらず、透明な浴槽に、きれいに陽光がさし込んでいる。露天風呂と広い浴槽と整備された温泉も良いが、この様にシンプルで他の人がいないひなびた温泉も良い。ガラスに貼ってある"泉質が強いので滑りますから注意"というコメントも、期待感をそそる。

 いざ浴槽につかると、心なしかピリッとした刺激があったようにも感じる。もしかしたら熱さのせいやもしれぬ。わからん。しかし、たしかに底はヌルッとしていますね。かぶとを形どった岩からお湯と水がコンコンとでる様は、なかなかしゃれている。他に人がいないと、思う存分ゆったりとつかれる。身体をあらうが、おそらく温泉の湯をそのまま使っているのだろう、石鹸が落ちているのかどうかがわからん。

 上がってから、確かに肌はスベスベになりますね。強アルカリ泉は、"美人の湯"と言われるそうであるが、その通りである。箱根湯元の温泉より、肌に対する効果は強力である。気に入った。また他の湯も含めて、東丹沢温泉に来たいと思う。

   

 


2001/4/8 

 久々に堪能しました、猿之助ワールド。

★★★★☆ 新・三国志U

まず手始めに、

「夢は 信ずれば いつかきっと 実現できる」 (これを口の中でゆっくりと3回復唱してください)

 うーむ、もはや歌舞伎とか演劇とかいう基準を超えた猿之助ワールドでありました。思わず途中、本当に感涙にむせてしまいましたぜぃ。今日は一人で行って良かった。それでも涙をこらえていたのですがねぇ。私は、""とか""とか"浪漫"とか、こういう言葉に弱いのでした。これでもかこれでもかと、私の急所を押されてしまった。歌舞伎を観ながら涙を流したのは、始めてかもしれません。

 いやあ、しかし猿之助さんは、Asianスタンダードな芝居をスーパー歌舞伎では目指しているのかもしれませんねぇ。ストーリーも中国の史実をアレンジしておりますし、なんといっても度肝を抜くのは、一幕目から炸裂する京劇俳優人のアクロバティックな動きであります。同じ場所でバック転でクルクルと回り続ける技術と、槍を自由自在に操るさまは、日本の歌舞伎の三階さんももっともっと精進をしなければいけないと感じさせます。日本のプロ野球と大リーグぐらい、いやもっと日本選手権とオリンピックくらいにレベルが違うのです。あの京劇のパフォーマンスを見てしまうと、スピード感が3倍くらい速く感じますよ。

 そして、なんと言っても、明確なストーリーとスピーディな展開です。「孟獲を七度捕らえて七度放つ」「空城の計」「上方谷の火の闘い」「五丈原天昇」そして、「泣いて馬しょくの首を斬る」等々、間断無く印象的な物語が続きます。

 天水城での大瀧の闘いの時の亀治郎扮する安仁改め関平の、

 「私はみなしごだけれども 夢を母に 志を父に 育ってきた・・・」

 という花道の上で、水を全身から滴らせながらのセリフ回しもパワフルで悲痛で良かったです。右近さんも得意の凛々しい役だし、笑也もかわいらしい役柄で、大満足。

 あとは、スピーカーから流れる音楽の扱いが、少々ぶつぶつ切れて聞こえるので、その処理の改善と、大向うを上手く取り込める工夫が改善点か。とにかく、猿之助ワールドは感涙ものです。いやあ、凄い!


2001/4/2

 少々前のネタですが、3月の土曜日に歌舞伎座の忠臣蔵八段目、九段目に行って参りました。

★★★★☆ 「仮名手本忠臣蔵 八段目、九段目」

 演舞場に続き、演舞場では上演されない由良之助と加古川本蔵の子供達の物語、忠臣蔵の八段目、九段目を歌舞伎座の一幕見席で観ました。ここでは、本蔵の後妻である玉三郎が娘の勘太郎と旅に出かける八段目と、由良之助家での九段目にわかれますが、圧倒的に九段目の見応えがありました。許婚(いいなずけ)にこだわり、娘の想いを遂げさせたい真紅の着物の玉三郎の凄みが度肝を抜かれます。勘九郎演じる由良之助の妻に、武士のプライドからつれなくされ娘をばっさりと切ろうとする際の迫真せまる母心は、鬼気迫り、観るものの目を見開かせます。いやあ、玉三郎さん、すばらしい演技でした。きれいな役のみならず、複雑な母親役も、玉三郎さん、板についてきましたね。仁左衛門さんの虚無僧姿の本蔵も、単なる二枚目ではなく、多少世を達観した味わいが、なかなか良かったです。本蔵が由良之助の息子に討ち取られ、腹を押さえながらの最期のシーンも、仁左衛門という単なるハンサムな役では無いところが、新たな発見でしょうか。

 ということで、演舞場と歌舞伎座で忠臣蔵を見終えました。生粋の日本人の仲間入りができた、というところでしょうか。


2001/3/25

 通し狂言 忠臣蔵を、先日20日の一日通しで見る観賞日に行って参りました。

★★★★★ 「忠臣蔵300年 通し狂言 仮名手本忠臣蔵

 通しで観るのは初めてですが、歌舞伎にしては驚くほど筋がわかりやすく合理的な事と、舞台が太平記の鎌倉ということもあり、大いに大いに楽しめました。しかし、通常の昼の部と夜の部の合間にも、山川静夫アナウンサーの歌舞伎解説が入るので、マラソン歌舞伎 体力的に集中力を保つのは辛かったッス。

 大序・三段目:今も健在の鎌倉 鶴岡八幡宮の大銀杏横が舞台。左団次と辰之助の眉対決、この二人のアクの強さが良いのお。浄瑠璃の太三味線と左団次との挨拶で見せる人間模様。やはストーリーがあるものは細部まで読もうとするので楽しい。しかし最初から飛ばして集中すると後が続かないかも。

 四段目:切腹シーンは、少々長いか。丁寧に丁寧に判官の亡骸に羽織袴をかける由良之助が印象的。そして、最後に由良之助が、一人門を振り返るシーンで 周り舞台と共に館が少しずつ遠ざかっていく。この周り舞台の使い方は新鮮。花道のスッポンに立つ由良之助に対して、実際に館が角度を変えながら斜めに見えるのですよ。最近話題のガラス張りの建築物であるsmt(仙台メディアテーク)をなぜか思い出してしまいました。

 道行:菊之助と新之助が、お互いに間を計っている。菊之助は上下動少ない。もっとメリハリを。

 五段目・六段目: 新之助の定九郎★★★★★。テレビの仲蔵狂乱の通り。あの新之助眼をぎょろりと剥き出しの眼力はすざましい。そして、かわいいいのししが飛び込んでくるのはご愛嬌。いのししを避けた後に鉄砲で撃たれて、白い腿にかかる口からデロリと流れる紅い血。凄みの有る美しさ。今回は少々血が水っぽかった気もする。腿に懸かった血がもう少しくっきりと赤い筋を一本一本描いた方が美しいかも。歌舞伎座で一幕見があれば、なんどでもこの段のみ通うのだがなぁ・・・(溜息)。

 七段目:菊之助演じる祗園のおかる、声良し。顔は母親似。女形の声質としては当代一だと思う。通る美しい声質に驚き。玉三郎もきれいだが、より若い女性的な声。

 十一段目:お決まりの討ち入り。やはりここに至るまでのドラマの方がおもしろい。歌舞伎にしては、リアルなチャンバラか。最後の両国橋の馬にまたがる新之助が清々しい。

 うーむ、全体を通してですが、まさに官能と浪漫。由良之助にはリーダーシップを感じました。詳しくは5/21付の私のメルマガ参照。ちなみにオペラだと、銃で撃たれるシーンはあるが、赤い鮮血が流れ出るようなシーンって無いような気がするが。日本人って、血が好きなのね。いや、私も歌舞伎では好きだということが良くわかりましたが(笑)。

 昼夜の合間の山川静夫&こぶ平トーク


2001/3/13

 最近訪れた箱根の温泉2つ。(そろそろ、温泉コーナーを独立させる日も間近か・・・!?とにかく、最近はまっています。心と身体の癒しです)

★★★☆☆ 勘太郎の湯

 箱根登山鉄道のスイッチバックに身を任せ終点 強羅へ。まず、箱根餃子センターで昼食。いきなりずばりの店名の勝利か、店の外に待ち行列。寒さに震えながら待つこと暫し、拡声器で名前を呼ばれ入店し2階へ。納豆餃子、サラダ水餃子など変わり餃子に舌鼓を打つ。腹を満たして宮城野へ下る。国道沿いをとぼとぼと歩くと、温泉へ。外見は箱根湯本の達磨の湯のよう。中は、屋内は屋根も一部ガラス張りのテラスになっており外光サンサン。外には東屋造りの露天風呂。そして、露天大理石風呂。この日は、突如雪がちらついたのですが、大理石風呂に行った際の白い明るい輝きが印象的でした。泉質は、塩化物・硫酸塩泉とのこと。いわれは、勘太郎というおじいさんは、夢枕に現れた不動明王にお告げを受け御湯を掘り当てたとのこと。入浴料は730円とリーズナブルだが、休憩料を830円取られるのは少々せこい印象。

 帰りには大文字橋という工事中の橋を渡り、"花詩"という和菓子屋さんの所から延々と続く急階段を登り、強羅駅の裏に着きました。花詩さんで、柚子の香りのする御餅の和菓子が美味でありました。そして、小学生が普段登下校に使っているという階段ではありましたが、その急さに足に心地よい負担がありました。

★☆☆☆☆ カッパ天国

 箱根湯元の駅裏にありますが、バラックの様な脱衣所、そして少々清潔感に欠ける湯船&洗い場ということで、駅近くという事以外はお勧めできません。ここならば、ひめしゃらに行くべきであります。

 なお、ひめしゃらの湯は、16:30以降は安くなり、また会員証を発行しており5回行くと記念品をくれるそう。

*勘太郎の湯もひめしゃらの湯も、インターネットの割引券がありました。


2001/3/11

 久しぶりの日記でございます。今日は日経新聞の話しでございます。

 本日3/11日曜日の日経はなかなか充実しておりました。

 31面:列島プラザ 「美しい村」軽井沢 異変

  避暑地 軽井沢に異変が起きているという。直接の原因は大きく2つ。一つは西武が作ったアウトレットモールの出現で、静かな冬でも人波が絶えなくなった。もう一つはマンションブーム。由緒ある別荘や保養地の跡地がマンションに変わり、それも自然保護対策要綱を越える三階建てとのこと。なぜ二階だてまでのはずなのに三階建てになるかというと、要綱は法的な拘束力を持たないことと、二階建てで敷地一杯建てられるよりも植栽をしたうえ三階にした方が良いと言う行政判断の、二つの理由。なるほど、どこまで植栽面積の可能性を確認したかは分からぬが、そのような判断もあるのですね。鎌倉も五階建てマンションがあるのはそんな理由か!? 町の将来像を地元の若手企業経営者の会が検討し始めていると言うが。出てきたキーワードの例は、堀辰雄の「美しい村」。コンセプトを具現化する方策やルールがうまくできるか注目。

 18面:21世紀の経営者像を求めて 一橋大教授 米倉誠一郎

  日本のトム・ピータースというと言い過ぎか。読み手を元気にしてくれる人である。21世紀のリーダー像として、三つあげている。一つは数字がわかり財務戦略が策定できる人。次に、人にその組織にいたいとか、そこにいると面白い事が起こると思わせる構想力。三つ目に、社会に対してソリューションを提供しているという信念を与え、そしてそれが成功すれば大きな報酬が得られるようにする力。

  そしてリーダーを生み出すためには、危機をばねにするか、世界で一番興奮する人を集める磁石がある地域であること。最後の言葉がおもしろいのだが、精神論以外でリーダーに何を求めているか、明確にすることが重要とし、「つつがなく四年を過ごしたい」と言うよりも、「何年何月までにシェア、資本利益率、時価総額をXXにする」ことが大切と説く。

 27面:アート お家芸に歓声わく 忠臣蔵300年 2劇場で競演

  新橋演舞場と歌舞伎座の三月公演に一面を割いている。「公演には梅幸七回忌、松緑十三回忌追善と銘打つ。そうすることで、過去の俳優をしのび、自覚的に芸を伝承していく。それが歌舞伎の知恵なのだ。」という言葉が印象的。そういう芸に対する自覚を促して向上させる方法もあるのですね。記事では具体的に、状況や心情と具体的な演技の結びつきが語られる。

 ということで、"和風とか日本文化を継承&発展させる"ことに対しても、もっと戦略的にアプローチできるのではないかと感じることが多々有る。まず数値目標を明確にすること。(まあ、この基準作りが難しいが、コンセプトを上手くブレイクダウンでき目標を明確にできれば、それだけで成功率は6割くらいあるだろう。)鎌倉などの地域的なものであれば緑化率や瓦屋根率になり、歌舞伎なんかで言えば若年観劇人数なんかになるのかなぁ。加えて、家という考え方で伝承される部分だけではなく、歌舞伎などの三階さんや裏方さんでもきちんと評価されるインセンティブシステムを作ること。と、こんな手法で、さらに和風を盛り上げていくのは如何かな!?


2001/2/18

 踊りのお師匠さんに誘われまして、すっかり練習ご無沙汰の私も、他のお弟子さんに混ぜていただき、歌舞伎座 夜の公演に行って参りました。数ヶ月ぶりの歌舞伎座一階ですが、万年四回一幕見席の私にとって、一階三扉から足を踏み入れた瞬間に、「オオッ」っと、普段テレビでしか海を見ていない人が、初めて岬の先端に立ち波しぶきを肌で感じた時の様な感動を覚えました。(ちょっと、大袈裟か・・・笑。)やはり、一階からの緞帳の大きさや花道の近さ、そしてキモノを着て歩く多くの女性達は、迫力万点であります。いくらTVゲーム趨勢の世代でも、本物のライブは力があります。

 さて、前回の二月大歌舞伎レポートは、一幕見席より、後半のめ組の喧嘩と越後獅子をお送りしたので、今回は前半を中心に。

 ★★★★☆ 二月大歌舞伎(特に"女暫")

 うーむ、二月大歌舞伎の夜の部は、この"女暫"が一番良いと感じました。(ごめんなさい、三津五郎さん)

"暫"の持つ様式美と、"ご祝儀物"らしいからっとした明るさが溶け合い独特の世界を形作っておりました。最初に勢ぞろいする段上に居並ぶ派手な隈取のやからの中でも、赤い奴姿の五人衆が良い。特に坂東弥十郎が良い。阿古屋の操り人形もどきの時にも思ったが大柄な身体と明確な動き、くっきりとした口跡が芝居を引き締める。

 そして玉三郎。言葉と表情だけで演技を完結させる。「暫く、暫く・・・」の時の表情が冷たく凄みがあるのだ。孤高の王女の顔だ。よどみの無い言葉の流れも、凛とした演技を形作る。対する福助のなよなよとしたいかにも女との対比が、さらに女の幅広さを際だたせる。玉三郎の新しい一面を見た。

 最後の花道での吉右衛門との軽妙なやりとりも見応えあり。ほっとしおらしい女に変身し、また"暫"の飛び六法に挑戦していく対比。玉三郎かわいい!!

 なお、いかがわしい僧の雲斎を演じる辰之助も演技が大きく、今までで一番。

 女性が活躍する時代にふさわしい、楽しめる一作品。いやあ、おもしろかった、満足満足!


2001/2/13

 玉三郎さんが横浜21世紀座の芸術監督を辞められましたね。私も観に行って騒音のひどさについては記したが、でも辞めてしまうとね、元横浜市民としては淋しいです。ワールドカップに来る世界中のお客様に、日本の伝統文化の良さを知ってもらおう、というコンセプトは良いのだから、横浜能楽堂なぞを有効利用する等の策を練って欲しかったです。うーむ、これを教訓に、玉三郎さんにはこれからも色々と意欲的にチャレンジして欲しいのお。

★★★☆☆ 二月大歌舞伎

 祝日も仕事だったが、夜の後半"め組の喧嘩"に、15分遅れの一幕見に飛び込む。眼鏡を新調したので、いつもの0.4ではなく視力0.8で四階席より臨みます。

 まずは相撲取り vs 火消衆という威勢の良い"め組"は、相撲取り 四つ車大八の富十郎さんが上手いねえ。以前の"双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)でも、正義感溢れる放駒長吉を小さい身体に肉襦袢で奮闘していたが、こんかいも力士衆の親分をかわいらしさもある憎めぬ演技で奮闘しておりました。三津五郎演じるめ組辰五郎の女房役時蔵さんも、勝負をつけるのを冷静に渋る夫を、じわじわと仕返しに持っていくあたりは、そのいやらしさが好演でした。火消し衆"め組"のキモノも、大勢の衆が着ると、紺地にシンプルな縦横の格子状の模様も引締って良かったです。うーむ、ちょっとがっかりだったのは、ストーリーのあまりのたわい無さかなぁ。途中に加え、最後も菊五郎さんが出てきて、「この喧嘩俺に預けてくれぃ」で終わりですものね。そういうカラリとした演目だということで、一先ず了解。

 "越後獅子"は、坂東の持ち芸なのでしょうが、踊りのカッコやコンセプトは正直私はそれほど好きではありません。ちょっと中途半端に映るのです。しかし、三津五郎さんの踊り自身は、やわらかみ初々しい仄かな色気が漂い、さすがに上手いですな。観ていて思ったのだけれど、身体を動かす時に、各パーツの動きを細かい部分ほどスローに動かす、という事がやわらかみを生んでいるのかもしれませんね。例えば、身体をひねる時に、まず腰をグィっと動かし、そして少し遅れて腹をひねり、胸をひねり、最後に肩と腕をゆったりと連動させていく。こういう細かいテクニックの積み重ねが、素晴らしい踊りを作っているのでしょう。

 ううむ、三津五郎と勘九郎の素踊りでの"三社祭"か"棒縛り"をみたいのぉ。そうだ、今度玉さんの"女暫"も観なくては・・・。


2001/1/22

 仕事をはやく切り上げることができたので、一目散に逃げるように(笑)歌舞伎座 一幕見席へ。コンタクトもオペラグラスも準備してこなかったので、視力は両目で0.5位。これで四階からは、辛いぜよ。贅沢も言っていられないので、四階へ駆けあがり、曽我の対面に7分ほど遅れで飛び込む。

★★★★☆ 一月大歌舞伎

 おお意外や、一幕見席に席は空いているぞ。一等〜三等の席の料金が高い事が敷居を高くしているのだろうかと、ちと心配にはなったが、疲れた身体には空き席はラッキーと、手摺のある一幕見席の一番前の席に身体を滑り込ませる。

 "寿曽我対面"は、これは超豪華な布陣ではないか。貫禄ある祐経の團十郎に、女形陣が、芝かんさん・芝雀さん、そして雀右衛門さん。いならぶ家来に、新之助菊之助辰之助。曽我十郎が菊五郎さんで、五郎が三津五郎さん。眼が悪いので、一生懸命声で判断しておりましたが、豪華過ぎて・・・オペラグラス欲しい・・・。三津五郎さんは、熱演のし過ぎか、声が少々ガラッとしている部分があるように感じました。あと、迫力ある流れが、一瞬途切れる部分が三箇所くらいあったのも残念です。大向うは気持ち良くあちこちからかかっていました。新春に相応しい。まあ、いでたち隈取からして、歌舞伎におけるウルトラマンという演目でしょうか。

 "団子売"は絶品でした。三津五郎勘九郎というコンビは、"切れのある軽妙洒脱さ"では当代一ですな。団子を臼と杵で作るところから、夫婦で売るところまで、息がピタリと会い、実に楽しそうな演技です。特にオカメ等のお面をつけてからの切れは、スザマシイものがあります。それを何気なくすることろも凄い。指の端まで神経が行き届いていて、手を横にスウッと動かす際も、スピードを急−緩−急−止と微妙に変えることにより、よりスピード感を出しているように感じる。この二人のコンビでの、素踊りの"三社祭"なんかもまた見たいなあ。

 ということで、団子売だけでも必見です。粋な感じで幸せな気分で、歌舞伎座を出て、銀座に行けますよ。


2001/1/11

 今年に入っての過ごした事を記す。

 まず1/5(金)に東京ディズニーランドに出かける。1/8までミッキ−がキモノを着ているとの情報をつかむ。まだ休みの人が多かったせいか舞浜を下りるまでは渋滞無し。ところが高速を下りてから駐車場まで1時間、入場券を買うので30分と格闘する。有名アトラクションにFASTパス制度という予約制度が導入されているのがすばらしい。あるアトラクションに予約すると、その予約時間が終了しないと、次ぎのアトラクションが予約できないという仕組みは良く考えられている。私は、ミクロアドベンチャーとスペースマウンテンで使用しました。スペースマウンテンは、2度目である。以前乗った時には、真っ暗な中を疾走するため、次ぎにどちらの方向にまがるかわからず、非常にスリリングな思いをした。今回は少し余裕。そうすると、真っ暗ではなく、実は星雲の中を疾走していることに気づいた。瞬く星の間を駆け抜ける。例えば雪がしんしんと降る中で一人きりになるのとは対極で、スピード感溢れる中の孤独を感じた。一瞬何か悟りをひらけそうな気もしたのだが。踊り念仏の時宗のように長時間ハイの状態が続くと、脳の中に閃光が光るかもしれないなぞとも思った。立花隆の"宇宙からの帰還"にあったように宇宙飛行士は牧師になる確率が高いというのも、頷ける気がした。スペースマウンテンは、21世紀のハイテク解脱サポートマシンとなるかも(笑)。

 昼にはシンデレラ城の前でお待ちかねのニューイヤースペシャルのショー開催。中華風の赤系統の色使いの服に身をつつんだ人達が、カラフルな旗を持ち登場。アメリカ人の考える日本イメージを再現か。獅子舞も登場。そして満を持して羽織袴のミッキ−と、振袖姿のミニーが登場。他にも私は名前がわからないが、多数キャラクターが登場。舞台下の客席内も駆け抜ける。おお、コクーン歌舞伎の様ではないか。でもさすがにミッキ−は見得は切りませんでした(笑)。迎春と記された凧がせり上がってくる。景気良く火花があがり、煙が舞台をつつむ・・・。ということで、遠くから背伸びをして多数の人の頭の間より見ていた為、部分的にしか見ていませんが、まあミッキ−が仮装すれば全てがおめでたくなるのですね。恐るべし柔軟性あるキャラクターである。

 夜はファンテイリュージョンの光りの行進を見て、帰途につく。

 しかし、ディスに−ランドという所はおもしろいのだが、帰りに澱が溜まる様な疲労感が残るのはなぜだろう。混んでいる、待たされる、という理由だけでは無く、人工的なものしかないことも原因の一つだと思う。地面には土が無く、色のついたアスファルトしか無い。建物もすべてがイミテーション。やはりディズニーランドは年に一度位行けば十分で、緑と水の豊かな田舎の方が落ちつきリフレッシュするなあ、と思うのであった。

 ちなみに1/7は、箱根へ半日帰り温泉旅行。これも混んでいる。なおかつ夕方温泉に到達する前に、小雪がちらつき始める。またまた"天山"へ行った。この日は温泉の音頭が高い。湯船につかっていると、空から小雪が舞うのですよ。そして湯煙が充満し、幻想的な風景が生まれる。これで雪見酒でもできれば最高だが、車を飛ばして帰るので我慢我慢と。ディズニーランドとは逆で、行き帰りで3時間近く車を運転しても、温泉に1時間ゆったりとつかると、帰ってからも、翌日も体調が良いのですよね。温泉マジック、源泉マジックか。うーん、やめられまへんな!

  


2001/1/1

 年越しは会社で迎え、夜通し動いている混んでいる横須賀線と江ノ電に揺られ帰宅し、由比ガ浜で初日の出を拝み、長谷寺に初詣した。そして午後は、先日骨董屋の喜達さんで買ったリサイクルの着流しのキモノを着て、楽しみにしていた21世紀座 玉三郎公演へ。ああ、エキサイティング!

 ★★☆☆☆ 21世紀座 1/1 坂東玉三郎・21世紀歌舞伎組公演

 うーん、期待があまりにも大きかったせいか、結論としては少々残念な結果でありました。

 残念1:小屋の環境

 確かに建物等のハード投資先行の日本の文化行政の中で、まずソフトありきということで内容優先してプロジェクトを進めたということは評価できますが、周囲の車の通る音が間断無く聞こえるということは、不幸であります。特に今回の舞踊公演の様に、ストーリー性が高い踊りではなく、""の様に座敷舞の本当に微妙なところを読み取るような繊細な演目の場合は、それをさらに感じてしまいます。場所は、横浜としては良いのだから、せめて計画段階で配慮するか、または防音機構を改善することを望みます。あと、小屋のセンスも、劇場名やのぼりの旗がピンク色をしているのは、うーん子供っぽいか。例えば新たに小屋を一からつくると大変でしょうが、既存の施設を再利用するというようなやり方もあるのではと思います。

 残念2:楊貴妃

 トリの演目の"楊貴妃"であるが、やはり和ものをやって欲しかったですね。玉三郎の綺麗さは出るのだが、観るほうの問題かもしれないが、深みが足りないような気もする。そこで理由を考えていみた。

1)中華風の音楽はずうっと同じテンポで続くので、日本舞踊や歌舞伎の音楽の様に緩急+停止というメリハリがあった方が締まりがあり心地よい。

2)後半楊貴妃として腕をヒラヒラさせて表現するシーンが長く続いたし、中華風の衣装も手の先にも長い布がついているのだが、どうも単調に感じる面もあり。指での演技が無いので、いつもの感動がなかったのだろうか。

3)白一色の衣装が変化に乏しい。家に帰るとNHK教育で"鷺娘"をやっていましたが、白・赤・紫などの色の変化も視覚的美につながると思う。

 ちなみに真中の演目の"連獅子"は、素晴らしかったです。能舞台の四角い舞台がエネルギーの凝縮を導いていましたし、右近さんの大きな演技、弘太郎さんの若若しい躍動感あり演技、いずれもすばらしかったです。猿弥さんも、相変わらずお惚けぶりが上手い。正月らしいお目出たい気分を満喫できましたし、子供を厳しくしつける様は日本の甘い教育問題に対する警告にも見えました(大袈裟!?)。

 "雪"に関しては、まだまだ私の理解の域では、動きの極端に少ない上方舞・座敷舞の世界は十分わかったとは言えません。お茶屋さんあたりで至近距離から見ると、感じ方が変わるのでしょう。しかし、最初に真っ暗で蝋燭一本ともる中から、白無垢の玉三郎さんが現れた瞬間の美しさは、この世のものとは思えないほど衝撃的に美しかったのでした。

 ということで辛らつな表現にもなりましたが、キモノの女性も多く、勢いのある連獅子にパワーを授けられましたし、玉三郎さんの演技も拝めましたし、それなりには楽しめました。

  

 

(上の2枚は、きちんと演目終了後のカーテンコール時の写真です。念の為・・・)


2000/12/26

 まだまだ運がついているか、今年の歌舞伎座の千秋楽に、仕事の打合せがはやく終わったので、最後の"蘭蝶"に10分遅れで飛び込む。いきなり行ったので、オペラグラスも無く、両眼で0.4位の視力にて四階の一幕見席から眺める。遠い。イメージ処理を脳内で行うが、表情なんかは全く見えず。

 宗十郎さんと芝雀さんの物語。ピンク色の芝雀さんに、大向うがどんどんかかる。ぼやっとしているが、普段玉三郎さんにばかり目が行く私にとって、京屋さん系をしっかりと見るのは初めて。身体が柔らかく"しな"をつくる様に、相手役の男性に対して動く。要するに首の傾きと腕の動きなど、同時に二つ以上の動きが柔らかく行なわれているということで、上手くつたわるであろうか。これは、男から見ると可愛い女の人の演技としてはすばらしいと思う。しばらく、玉三郎の高貴・幽玄・クールでも切ない哀しさも時には感じさせる演技ばかり見てきたので、新鮮。普段の仕事を離れホッと一息つき、女性と楽しい一時を過ごすのならば、この芝雀さんの演じる此糸さんのように、お酒を女らしく可愛くついでもらうのも良いですね。同じ芸者でも、玉三郎演じる八つ橋は、つれない奴だと嫌うか、相手にのめり込んでしまうかで、ひとときの息抜きは難しいかもしれない・・・なぞと、玉三郎さんと芝雀さんを比較し、自分が御茶屋遊びをした時のことを考えてしまいました。まあ、これも叶わぬ夢だろうが(笑)。

 千秋楽のせいか、12月は毎日やっていたかは定かではないが、最後の挨拶で宗十郎さんが、八十助さんに襲名予行演習という名目で挨拶をさせていたのは微笑ましかったです。しかし、八十助さんの台詞回しは、立て板に水の如く、メリハリが効き上手いものですな。思わず「大和屋!」と声をかけてしまいました。まあ、これもストレス解消に楽し。

 というわけで、師走の一時の夢の様な異次元でありました。


2000/12/23

 先日見たTV 新之助「仲蔵狂乱」を、またまたビデオで観返す。うーん、あの眼光の鋭さと吊り上り気味の目は、ウルトラマンに似ていると思う。水も滴るいい男だぜぃ。

 今月箱根へ2回 日帰り温泉旅行に行っている。旅行と言うより、"ちょっとそこの銭湯へ行ってくらぁ"というところであろうか。日も傾く午後3時過ぎに鎌倉を出発。江ノ島先まで少々込んでいるが、沈み行く陽光を浴びる海を左手に眺めながらなので苦にならない。西湘バイパスに入ってしまえば、気持ち良くアクセルを踏める。そして、湯船に一時間以上つかる。首から上は夜風が心地よいので、漬かっていてものぼせる事は無い。そして、軽く食事をして下山。夜の7時を過ぎれば、全く渋滞無く鎌倉まで1時間で到着。この位のドライブだと、翌日疲れも残らないし、ストレス解消クルージングというところ。うーん、極楽じゃ極楽じゃ。

 ★★★☆☆ ひめしゃらの湯 

箱根湯元の駅を右手に入り、北原さんのおもちゃ博物館の先。比較的すいている。

 ★★★★☆ 天山  (写真は借り物です。本当は撮影禁止とのこと)

 いやあ、良く出来ています。ほぼ完璧でしょうか。誰がプロデュースしたのか、優秀なコンサルタントでも入ったか(笑)というくらい、考えられています。湯船が男の方で7つあります。そして全て源泉とのこと。専用3本、共用2本の計5本の源泉を引き、全く水の追加をしていないとのこと。入ると左手に雰囲気の良さそうなコーヒーショップが目に入ります。まだ新しい木造の建物。廊下を進むと、広い畳みの休息所。ここは、なぜか皆横になっていて、昔の青函連絡線で、皆四角いスペースにきれいに縦になり横になって眠っている姿を思い出してしまった。箱根登山・散策帰りのせいか!?階段を下りて、温泉の入り口へ。浴衣も貸し出しているらしい。脱衣所から既に外に向けて解放されている。ガラスの仕切りも無い。2ヶ所ある洗い場も、壁無しで、開放感あり。浴槽の温度は様々。岩の階段を登って行くお風呂もあり。湯船が多く、変化に富んでいるので、熱くなれば別の浴槽へと、順順に入っているだけで時が自然にたつ。ただし、熱すぎて私には入れない湯船も有り。

 凄いと思ったのは、建物、温泉、そのパンフレットも素晴らしいが、"はごろも"という宿泊施設も始めたらしいのだが、一泊目:8000円、二泊目:5500円、三泊目:4500円という料金が低下して行く点。連泊を勧める点、そして実際には一泊の方が多いのだろうし、この価格設定の合理さにはまいってしまいました。是非、使われない地方高速を安く、永遠の低速道路である首都高を高く、というように無駄が多く硬直化している公共事業系にも、この柔軟性と合理性を見習って欲しいものである。

 洗い場の桶が懐かしい"ケロリン"で、お土産売り場に7000円の檜の桶が売っていたのは、ご愛嬌か!?


2000/12/3

 おお、なんと11月は日記を記していなかったぞ。11月は、法界坊、桜姫のみならず、歌舞伎座にもいけずじまい。仕事がピークで忙しかったからなぁ。でも、プロジェクトの結果も日経に載ったし、一段落か?それともさらなる地獄への1合目か・・・(笑)。まあ久々に徒然なるままに。

 最近仕事をしていて思うのは、ハリウッド流アメリカ流の組織と、歌舞伎の組織との違い。あちらは、企業組織でも、CEO、CIO、CFO・・・と責任は明確だし、各々のプロフェッショナリズムはもちろん重要である。こちらを見てみると、歌舞伎界の猿之助さんの様に、座頭・演出・主演・複数役・・・(ここには明確な呼び名はなくとも、他にも様々なアイディア出しと判断が存在するのでしょう)とこなす、スーパー・プレーィング・マネージャーがりっぱにいるということ。最近はナスダックも苦戦し、はやりはゲノムに移りつつありますが、まだまだはやりの"IT"や"EC"の世界。(いまさら"IT革命"が森首相の影響か流行語大賞になっていたのには苦笑したけれども)。資本規模小さく、なおかつ顧客に直結し統合したセンスが求められ、とにかくスピーディな分野には、歌舞伎のようなオールマイティな組織論も参考になりそう。そして、私もEC界の猿之助を目指しますか。(三階さんで終われば、無念か・・・笑)

 と日本の伝統組織の良さも持ち上げた所で、和風のよさを上手くコマーシャルの世界で使っているのは、外資系の方ですね。UBSウォーバーグは侍(サムライ)に、VRの機器を装着したりして、三分の一面位の大きい広告を日経に何回か打っていますよね。Rolexは以前から猿之助を載せているし。ネスレ ネスカフェゴールドブレンドは、和泉さん他で品良く少しスノッブな"違いのわかる男"シリーズがあるし。日本では、新之助の"お〜い、お茶"が最近目立っていたり、実は地味に新之助の消防ポスターがあったりするが、まだまだアピール足りなし。

 海外からの目で見たほうが、異文化はなんでも新鮮でおもしろく見えるかもしれないが、私達日本人も日本文化の良さを客観的に見つめなおす時間を持つべし!

 と気合を入れたところで、師走の今月こそ、歌舞伎座他へ赴き、溜まったストレスとワーカーズ・ハイ状態の脳を解放するぞっと。


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