その6 (説明2 壁A、B)


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 壁A 「みんな死んじゃえ。」 の説明

■ 壁A の作品ページ →  

   「なに?この無理ゲー。 みんな死んじゃえ。」

     経済、通貨、およびカリスマと取り巻きが織り成す社会組織のありさまに対する、
     一人のおっさんとしての「ご破算願望」。

■ 作品番号 (A−1) + (A−2) →  
■ 冊子 「 みんな死んじゃえ。 」   →  


2011年10月5日、スティーブ・ジョブズ死去の報道がありました。
その後、テレビ、ネット、出版の全メディアが、彼の功績とその生き様への礼賛を伝えました。
そのとき脳裏に浮かんだ「二つの言葉」と「印象」が本ペア作品の元になっています。

「二つの言葉」とは、下記2つです。

 「彼の玉座」 = ジョブズ/空海/イエスがついた死んだ者の玉座

 「信心」    = 信仰/カリスマに集う取り巻き/使徒/司祭/教団。
            中央の空白(死人)を取り囲む教会、信じることによって成り立つ大伽藍。

上記はそれぞれ作品A−1A−2の原型になりました。

「死者の玉座」と「信心を建材とする大伽藍」のイメージは、現在の経済状況の底流(アンダーカレント)である
金本位制から変動為替相場制への移行の歴史、通貨が実体経済との紐帯を失っていく物語を想起させました。

特に、以下の3点において、「死んだ王への信心の大伽藍」と、変動為替相場制の歴史との相似を感じました。

 (1) 信用創造(Money creation/Credit creation)という銀行貨幣経済における重要な機能の意味が、
     実体的経済活動における貨幣の意味と余りにもかけ離れていること。
    (給与と一定レートで交換される個人の労働時間や、食品などの実物は増やせないのに、
     銀行はその貸し出し機能によって資金/信用を数倍〜10倍に増やせる。)

       → 冊子 5、6ページ   →  

 (2) 「貨幣=maney=信用」であり、金兌換でない貨幣はそれ自身への信用、
     その発行者への信用によって価値を維持すること。

 (3) 金兌換の停止したことと、玉座の主が死んで空白であることの相似。

また、彼への熱狂的礼賛に対し浮かんだ「印象」とは、

弘法大師伝説みたい。」「キリスト(ナザレのイエス)みたい。」 と、いうもの。

コンピュータ/IT技術の発展に寄与した様々な人々の名前を、一人のカリスマの名に置き換えていく
礼賛報道の有り様は、宗教的偉人の伝説の数々を想起させました。

  「ジョブズがPCのマウスを発明したんだって。」 → 本当はベル研究所のダグラス・カール・エンゲルバート
  「ジョブズがパソコンを生み出した!!」    → インテルCPUのおおもとのアーキテクチャは日本のビジコン社
                              その他にも本当に様々な人が今のパソコンの成立に関わった。

価値ある仕事の主語を全て「ジョブズ」に付け替えていくことで、死んだ王たる「ジョブズ」の価値は更に倍化し、
本当に仕事をした様々な技術者の価値や、日々を生きる私やあなたの価値は無化されます。
生き方においても行き当たりバッタリであった本当のジョブズの生き様が絶対視され、こつこつと日々を生きる者の
価値は減価されます。

特異な、極端な、希少な成功を遂げた人物と、普通の仕事をしているあなたは比較されてしまい、
希少性の無さから、あなたは交換可能、価値無しの人材とされてしまいます。
本当は「誰でもやれる、沢山の人が同じことをしている」仕事こそが、社会により多く必要な仕事であり、
その価値は減価されるハズが無いのに。

しかも、彼の生き様はあまり褒められたものでは無かったと思います。

彼同様の生き方をした者、すなわち、コツコツとした努力をせず、行き当たりバッタリ、思い付きで生きた者の多くは、
失敗して野辺の飲んだくれ親父になったはずです。
彼は彼のように生きたから成功したのではありません。たまたま成功した彼の生き方がその様であっただけです。
崇拝者は、希少な成功例である彼一人のみに着目し、彼一人の生き方に成功の原因を遡って求めたのです。
同様の生き方をして失敗した多々ある事例を全て無視して。

ある神社にお参りに行ったら、宝くじが当たったという都市伝説は、
「宝くじ当選」と言う極めて希少な結果から、原因を遡って探した結果の誤謬です。
神社参拝をしたのに、宝くじが外れた多くの事例を無視しています。

彼の一度きりの人生のみが成功への道だとするならば、他の誰もその道を歩めず、すなわち成功できません。
彼自身も、もう一度同じ道を歩むことは出来ないと思います。
神社に参拝して宝くじに当たった人が、もう一度参拝しても、くじは外れるばかりです。

彼の生き方への絶対視、すなわち「信心」は、「彼以外は決して勝つことの出来ないルール」を我々に課します。

       → 冊子 7、8、9ページ   →  

カリスマの近傍、カリスマへの信用/信仰の場には、必ず使徒/司祭が居ます。
カリスマの絶対性、彼への信用/信仰によって利益を多く得るのは、死んだ王(カリスマ、ブランド、金(きん)、
実体経済)ではなく、死者の玉座近傍に集う彼ら、「死んだ王を礼賛する者」です。
「彼への信心」を、「彼以外は決して勝つことの出来ないルール」を、我々に課すのは「彼」自身ではなく、
彼ら、使徒/司祭です。

死んだジョブズであれ、弘法大師(空海)であれ、ナザレのイエスであれ、
また、兌換停止した金(きん)であれ、債権であれ、一発屋的成果をあげた新興企業の株式であれ、
実体が不在となった玉座、すなわち「空白の中心」に集う取り巻きどもが社会を組織し、
大伽藍を築く様は、「教団、宗教、教会」としか言い様がありません。

教団/宗教/教会の外辺にいる衆生である私たち一般人は、基本的に労働対価の多くを吸い取られる
ばかりで、大した救済、ご利益を得られません。
教団内部に騒動が起きれば、振り回されて、ひどい目に遭うばかりです。

リーマンショックの後、私自身も、20年近く勤めていた会社を辞めることになりました。
リーマンショックは金融界の話で、製造業の開発設計者だった私には遠い国の遠い分野の話でしたが、
貨幣/信用/債権/金融の大津波は見事に私の職場にも襲い掛かり、私は職を失いました。

冊子の10ページ目にある最後の言葉、「なに?この無理ゲー。 みんな死んじゃえ。」は、
今の状況に対する私の正直な感想です。
私のような無力な個人には見事に組み上がったこの「大伽藍」をどうしようもありません。
ルール制定権を掌握する一部の者しか勝ち得ない「絶対無理なゲーム」を生き延びることは出来ません。

しかしながら、「みんな死んじゃえ」とは、50才前のオッサンとしては余りにも幼稚な物言いです。

けれども、ジョブズ死去のニュースに対し、「彼の玉座」「信仰」などという、卑屈な皮肉をつぶやいた自分、
無力で駄目な自分の立ち位置を示すにはこれが良いと思ったので、ペア、冊子、壁面のタイトルにしました。
幼稚な罵り(ののしり)声をあげた自分も辱めるために。


作品のタイトル、冊子などには明記していませんが、私自身を表すキャラクターである
蛆虫」も、作品A−1の男根状突起の下(壁側)に多数配置しています。
作品C−1の下側にある白い3つの造形のミニチュア版です。
左写真中の黄色い斑紋は男根の垂らした「精液」で、仏教で言うところの「甘露」、
経済論で言うところのトリクルダウン(滴り落ちるもの、富める者からのおこぼれ)です。

儲かっている企業/人のおこぼれをすするしかない、「作る」手段を失った自分の姿です。

私もいい年こいたオッサンです。社会批判をしても、実際には私自身もいやらしい形で、
その社会にどっぷり組み込まれていることは重々理解しているつもりです。


■ 冊子4ページ目の意味と作品の製作について

作品A−1A−2は構想初期には別々の作品でしたが、イメージと意味付けが固まるにつれて、
ペア作品としての性格を強めていきました。
また、上述の「物語」を作品に組み込むための一種の儀式として、製作も同時並行して行われました。

ペア作品としての意味合いを強めるため、それぞれには対称的な要素を組み込んでいます。

  作品A−1:  金色、陰陽の陽の形、勃起した男根のイメージ
  作品A−2:  銀色、陰陽の陰の形、精液を注がれた女陰のイメージ

冊子表紙の歪んだ陰陽の図は作品の大まかな形を組み合わせたものです。

上述の「物語(ペア作品の説明)」や、「儀式的製作作業」は、冊子の4ページ目記載の文章にまとめました。
この文章各文節の意味と儀式的製作作業の関係について、下表に示します。

冊子4ページ目文章の各文節 意味と製作作業
偶然にして、一本の道を辿った金色(こんじき)は、 この「金色」とは男根状の突起物にとまった金色のこと。
はジョブズ/弘法大師(空海)/キリスト(ナザレのイエス)。
偶然にも輝かしい成功を成し遂げた者を象徴。
「一本の道」は彼ら「死者の王」が通ってきた経歴。
冊子7ページ目の図ではオレンジ色の折れ線で示され、
作品A−1上では金色に塗られた一本の枝で示される。
経歴のマイルストーン(冊子の図の「阿呆」)は金色の葉で示す。



(阿呆=「Stay foolish.」、
     ジョブズの様々な失敗と成功、
     カリグラフィーの勉強、
     アタリ社でのこと、アップルの成功、アップルからの解任、
     日本のキャノン社も絡むNext社、アップルへの復帰、
     ipod、itunes、iphone等の成功、がん闘病の失敗など)

ちなみに同様の生き方をして失敗した人々の多々の事例は
い枝で示される。
偶然にして、金色の山と社(やしろ)を再び築く。
アップル社に復帰して、ipod、itunes、
iphone等の成功を収めたことを示す。
作品A−1上では金色
金色塊とピンクのヒダ」上に居る。
金色塊とピンク()のヒダ」は
作品A−2のミニチュアであり、
まだ小さいが実体の価値と熱意を
保持した小組織をであることを表す。

一本の道は金に染まり、彼は王となり、そそり立つ。 金色が通ってきた経歴は元々金色であったわけではなく、
蝉が成功した後で、金色に染まったということ。
カリスマが選んだ生き様は、
多くの人を成功させる正しい戦略であるわけではなく、
「成功者の生き方だから正しい。」という論理を遡った誤認で、
金色、すなわち、正しいとされたということ。
論理的、統計的に戦略の良否を判断して、
金色の道」になったわけではない。
よって、カリスマ自身しか「金色の道」を通れず、
カリスマは絶対視される。
金色は右の窪みで自らを鋳造するが失われる。 金色が練る金色人糞は元々は実体的価値をもつ
アイデア/技術/商品である。
ただし、価値の大きさは、作る人の大きさを超えることは無い。
「実物/実体経済はその量を倍化することは無い」ので、
金色金色人糞は同じ大きさにしています。

作品A−1上の金色の道の根元にある金色人糞状の物は、
作品A−2中央に「精液」を表すパールホワイトの白濁液を
注ぐ前に、中央の小山の凹みで型取りして作りました。
(トイレットペーパー基材の紙粘土。本物のウンコじゃないよ。)



金色が失われたこと」は、
金兌換の停止(ニクソンショック)と、
カリスマ(ジョブズ、空海、キリスト)の死のたとえ。
金色は昇天し、左の根本へ。
上記金色人糞は作品A−1
金色の道」の根元に配置。

信心(作品A−2)の中央からは
失われ、彼の伝説(作品A−1)の
最初の位置へ移動。

ちなみにこれ以外の人糞は全て
っぽい色(形骸化した状態)。

右の社は青ざめ、金色は白化した糞に変わる。 作品A−2のヒダ状の構造はい色をしており、
の示す熱意ではなく、
信仰/帰依/卑下/諦観を示す青に彩色。
中央の人糞の小山は、「以前は金色だった」ことを示す程度に
金色を残しているが、多くはく塗られ、
実体的価値の形骸化を示す。
金本位制から変動為替相場制への移行の有り様。
窪みには左が垂らす白濁液が注がれ、蠅どもが集う。 作品A−2中央に「精液」を表すパールホワイトの白濁液と
13匹のを配置。「13」はキリスト教の使徒の数。
作品A−1の男根から注がれた「精液」ということ。
精液」は仏教言うところの甘露のイメージ。
覇気ある男性の男根からほとばしるもの。
経済論で言うところのトリクルダウン(滴り落ちるもの)。

左写真は「精液」を注いだ直後。
くぼみの「精液」がまだ乾燥していない。

貝殻に隠れるものどもと、
土より生じる泡どもの肉と血と汗は、
共に蠅どもの神殿の壁の基礎を成し、
白化した糞を囲い込む。
作品A−2の中央の塊を取り囲むヒダヒダの数には、
信仰/宗教の伽藍であることを示すために、
仏教概念を示す数字を取り入れています。

 完全なヒダの数は5つ         = 五色
 不完全な一層を含むヒダの数は6つ = 六道

ヒダの奥には空蝉二枚貝の殻を
配置していますが、
これは作品B−1B−2
キャラクターと同じ。
バブルに載せられ、上昇志向を利用
される衆生と、
自己卑下して引きこもる下流の衆生
を示す。
ともに貨幣/カリスマへの信仰/宗教
/教団により搾取される。

蝿どもは卵を産み、神殿は倍加し、膨れ上がる。 作品A−1A−2の各所に塗りつけられた蝿の卵
=取り巻きの司祭の繁栄を表す。
「神殿は倍化し、膨れ上がる」とは銀行の信用創造と金融、
債権におけるレバレッジを示す。
それぞれの隙間に蝸牛は静かに卵を産み付ける。 蝸牛は過剰な男性性と女性性が織り成す経済社会構造に
抗う両性具有者を示す。
製造業における新しい動き、生産者でもある消費者の登場。
ITを背景とした新しい交換経済。互いを評価する経済。
作品A−1A−2の中央付近に蝸牛の殻を一つづつ配置。


 壁A  各作品の説明 (A-1、A-2、A-3)


■ 作品番号 A−1 →  

    作品名:

    「 栄光に至る王の道はただ一つであり、
      道をたどれるのは彼ただ一人である。

      彼の様に生きなければ、何事も成し遂げられないが、
      彼は何人にも真似し得ない、唯一無二の存在である。

      彼は有ると無しとで記述される全てのものを産み落とした。
      全ての鼠の父であり、全ての橋を渡し、全ての井戸を掘り、
      河原の柳の葉より魚を放った。

      彼が全てを形作り、他の誰も何一つ作らなかった。
      彼は全てを成し遂げた。あなたは何も果たさなかった。
      彼のみが価値ある存在である。あなたに何の価値もない。 」


作品A−2とペアの組作品です。
作品の意図についてはペア作品としての説明の欄に多く書いています。
(作品(A−1)+(A−2)の説明→ 

前述の様に、スティーブ・ジョブズ死去の報道に触れた私には、「彼の玉座」と言う言葉が浮かびました。
また、「彼の玉座」という言葉とともに下図のイラストを描き付けました。

分岐した多数の道、様々な生き様を示す、枯れ枝より成る男根にとまる短命なの姿。
は高らかに自分の男らしさ、愚かしいほどの熱意を叫ぶ。
("Stay hungry, stay foolish.")
叫ぶの胸は逞しい胸板を見せているが、中は空洞であり、
その大声ほどの実体が有る訳ではない。

イラストはプリンタで印刷した時刻表の裏紙に描き付けたもの。
この原型の段階では、色や各要素の細かい意味付けなどはされておらず、
男根状の突起の亀頭部分、枝の固定方法など、制作上の工法の確定は
出来ていない。
については実作品でもオスのクマゼミの死骸を使用している。
亀頭部分については最終的に木に生えるきのこの一種であるサルノコシカケ
イメージを使用しました。
サルノコシカケは立ち木や朽木に生えるキノコです。
街路樹など、かなり大きな木が突然枯れたと思ったら、このキノコが幹から噴出すように
生えてくることがあります。木材腐朽菌の一種であるこのキノコは木の傷口より入り込み、
最終的に木本体を枯らしてしまうのです。
死んだ木に生えるサルノコシカケは、時にはバラの花のような姿を成すので、
「死んだ王の玉座」にぴったりだと思いました。

左図は亀頭部分を製作するにあたって、工法を検討するための構想図です。
実は作品E−1の絵葉書作品の裏に描いています。

本作品A−1には、変に長いタイトル(ポエム)が付いています。
タイトル各文節の意味を下表に示します。
多くは「壁A 「みんな死んじゃえ。」 の説明」で既に語った話です。

作品A−1タイトルの各文節 意味
栄光に至る王の道はただ一つであり、
道をたどれるのは彼ただ一人である。
王はカリスマ(ジョブズ、空海、ナザレのイエス)。
成功するためには、彼のように生きなければならないが、
彼のように生きれるのは彼自身だけというルール。
彼の様に生きなければ、
何事も成し遂げられないが、
彼は何人にも真似し得ない、
唯一無二の存在である。
上述の通りのルールなので、
彼以外の誰も成功出来るはずが無い。
他の誰にもどうしようもない形で
カリスマ(ジョブズ、空海、ナザレのイエス)の絶対性が確保される。
彼は有ると無しとで記述される
全てのものを産み落とした。
「有ると無し」、すなわち、数字の「0と1」。
デジタルデータのビット。
文はコンピュータ/情報技術の全てのものを
一人のカリスマが生み出したことを表す。
実際にはアメリカだけではなく、日本も含め多くの国、人、会社
が関わってパーソナルコンピュータは登場した。
全ての鼠の父であり、 「鼠」、すなわち、コンピュータで使う入力機器のマウス。
ジョブズが死亡した頃、彼を礼賛する番組や、書籍、
ネット上の情報などで、「マウスの発明者はジョブズ」との
誤情報が流された。
本当の発明者はベル研究所のダグラス・カール・エンゲルバート
全ての橋を渡し、全ての井戸を掘り、
河原の柳の葉より魚を放った。
弘法大師(空海)伝説
「河原の柳の葉の魚」とは筑後川固有種の魚、エツの話。
他に「各所温泉」、「ひらがなを作った。」、「瀬戸大橋」など。
彼が全てを形作り、他の誰も何一つ作らなかった。 彼、カリスマ(ジョブズ、空海、ナザレのイエス)に
全ての功績を集約すること。
「良いことは全て彼がやった」とすること。
意図的な主語の差し替え。
これにより、他の者の社会的貢献、努力は無化される。

このようなことのミニチュア版は産業界でもよくあることで、
序文に書いた私の体験した事件もその一つ。
発明者、開発者の名前のすり替え。
ペットボトルキャップ色分別装置
彼は全てを成し遂げた。
あなたは何も果たさなかった。
絶対的な成功者、絶対的な貢献者であるカリスマと
あなたの仕事ぶりとの比較。
彼のみが価値ある存在である。
あなたに何の価値もない。
上記の無理なゲームルールに基く、絶対者との比較により、
あなたや私の存在、やったこと、やることは、
著しく減価、無価値化される。
「あなたは要らない人間」と宣言され、
低賃金長時間労働を要求される。
(血と肉と気を請求される。作品A−2のタイトルと関係。)
冊子の7ページ目)



■ 作品番号 A−2 →  

    作品名:

    「 中央の金色は失われたが、
      我らは再びここに集う
      我らの血と彼らの肉を塗り込めて、
      我らの気をもて社を築く

      金色を称える我らの信心は、
      喪失以前より遙かに倍加し、
      我ら血と肉と気の神殿は、
      彼らを梃子に膨れあがる

      金色の実体は喪失したが、
      その気は遙か巨大に膨れ、
      信徒の口のみに甘露を与え、
      我らと彼ら、全ての者どもに君臨する 」

作品A−1とペアの組作品です。
作品の意図についてはペア作品としての説明の欄に多く書いています。
(作品(A−1)+(A−2)の説明→ 

前述の様に、死去したスティーブ・ジョブズへの熱狂的礼賛に触れた私には、「信心」と言う言葉が浮かびました。
また、「信心」という言葉とともに下図のイラストを描き付けました。

当初のイメージは塊に集うたちと、塊を幾十にも包み込むトイレットペーパー。
全体として、キリスト教や仏教の尼僧の姿。

最終的には、観音菩薩の印象としてよく使われる、合わせた手、拝む手、女陰の形が
全体形状として採用されるが、本構想段階では上記は明確ではない。

「トイレットペーパー」については実際には本作のみならず、壁Dを除くほとんどの作品の
主要素材として採用しました。
木工用ボンドをバインダ(糊)として使った自作紙粘土の基材として使用。
自作紙粘土、結構硬いし、割れにくい丈夫な素材です。

自己紹介文では、本展示が作者の「愚痴」=吐瀉物(ゲロ)、排泄物(糞)であると
主張しているので、トイレットペーパーの使用は「意味」があると考えました。

入り口の自己紹介文にある通り、(「入り口、自己紹介文」→


本作品A−2には、変に長いタイトル(ポエム)が付いています。
タイトル各文節の意味を下表に示します。
多くは「壁A 「みんな死んじゃえ。」 の説明」で既に語った話です。

作品A−2タイトルの各文節 意味
中央の金色は失われたが、 カリスマ(ジョブズ、空海、ナザレのイエス)の死。
または、ニクソンショックすなわちドル金兌換の停止。
金本位制から変動為替相場制へ移行したこと。
我らは再びここに集う 死んだ王たるカリスマへの信心/礼賛と
取り巻き(我ら、使徒、司祭)による教団/教会の成立。
変動為替相場制下でのマネーゲームの始まり。

「我ら」は本作品A−2上では13匹の「」。
我らの血と彼らの肉を塗り込めて、 死んだ王の玉座近傍にいる取り巻く者(我ら)の血統と、
外辺にいる一般の人々の実体的労働の集約によって、
我らの気をもて社を築く 信心/信用創造/貨幣(変動為替相場制下での貨幣)の
大伽藍を築く。
現行の通貨体制、経済システムや、
死んだカリスマの権威(空白)を中央に置くブランド企業。
金色を称える我らの信心は、 信用の根幹(金本位制における金(きん))、
カリスマ(ジョブズ、空海、ナザレのイエス)が
それぞれ金兌換の停止や死去により失われ、
その玉座が空白になったとしても、
我ら(玉座近傍の使徒、司祭)の経済学的「信用」を
維持しようとする心は、
喪失以前より遙かに倍加し、 カリスマ存命中や、金本位制下よりも遥かに大きくなった。
信用創造(Money creation)によって、
貨幣量は数倍〜十倍に増えることのたとえ。
我ら血と肉と気の神殿は、
彼らを梃子に膨れあがる
株式、金融、債権などによる仮想経済が実体経済より、
遥かに大きな規模になっていくこと。
彼ら、すなわち外辺にいる実体経済の担い手の
成果/失敗を梃子(てこ)の力点として、
作用点である仮想経済は大きく変動する。
梃子(てこ)=レバレッジは資本取引等に関する経済用語。
金色の実体は喪失したが、 最初の行の繰り返し。
その気は遙か巨大に膨れ、 信心/信用/仮想経済の巨大化。
信徒の口のみに甘露を与え、 この経済システムを受け入れる者だけに利益をもたらす。
この経済システムを否定する者には、
トリクルダウン(滴り落ちるもの、作中では「精液」)は与えられない。
我らと彼ら、全ての者どもに君臨する 既に経済的、実体的に世界の全てを支配している。
利益を享受する側も、吸い取られる側も逃れられない。



■ 作品番号 A−3 (追加作品)  →  

    作品名:

    「 種子を胎む。土は無い。 」

本ホームページでは既出の作品です。( 既出の掲載ページへ →  )

壁Aに倉庫の入り口のドアが有った為、ドア開き時に作品A−1とドアが衝突することを
恐れて急遽追加出展しました。
よって冊子および企画書に本作品についての記載はありません。

本作を描いていた頃、私はある企業に求職中でしたが、3.11の大地震により、
その会社の求人も硬直。再就職は流れてしまいました。

色々やってみたい技術的アイデアや商品企画(「種子」)は有ったのですが、
就職できる企業も、独立する勇気もなかなか無く。(「土は無い。」)
そうです。私に甲斐性」が無いだけです。。。。。

本個展で語られる物語りの一つの区切りとして、このエピソードも意味を持つと考えます。

元々の原型となった落書きの一つです。
以下の他の二つのイメージと併せて三幅対の作品にしようと思っていました、
 「死んだ雛をくちばしでくわえる太った鳥」、
 「水の無い場所に卵を産む目の沢山ある/乱視の魚」
 (以上は作品E−1の一部になっています。)

三幅対の仮のタイトルとしては「マージナル」(不妊のこと)と呼んでいました。
萩尾望都の漫画のタイトルから流用。

上記落書きの別バージョンです。
少し、実際の作品に似てきました。


 壁B 「浮いたり沈んだり」 の説明

■ 壁B の作品ページ →  

   「わたしの働きと同じだけのタロイモはどこ?」

     本来は、働いた分、暮らすのに十分なだけ、支払われ、
     普通にしていたら普通に暮らせるはず。
     畑仕事をした労力に応じた作物が手に入ったはず。
     差分はどこへいったのか?

■ 作品番号 (B−1) + (B−2) + (B−3) →  
■ 冊子 「 浮いたり 沈んだり 」           →  


本作品では壁Aのペア作品「みんな死んじゃえ。」にも登場する空蝉二枚貝
上昇志向を利用される者と、引きこもる下流の者。
組織の外辺に居て、中央にいる取り巻きたち(使徒、司祭、)には成れず、
労力を収奪される者を取り上げます。

少し前に、法定を越える無理な長時間運転で長距離輸送を行ったとして、
中高年のトラック運転手と、運転手に指示した20歳そこそこの正社員が
責任を問われた事件がありました。
無理なノルマを会社に課された若い正社員が、無理を承知でお願いをし、
コンビを組んでいた運転手のおっちゃんも、「しょうがねぇなあ。俺も立場弱いし。」と
無理を承知で受けちゃったというお話でした。

この件は、何となく、悪気の無い人情話のようですが、
上位志向の者と下流のものが、
それぞれ更なる頑張りと、諦めと言う無理を強いられて、事件化した事例で、
かつ、二者に無理なノルマを課した会社側は大した責任を問われないという
実に嫌な側面も持った事件です。
「若いの」と「おっさん」、二人だけの責任にされてしまったのです。

若い正社員は、もっと出来るはず、上を目指せるはず、ちょっと無理なぐらいがちょうど良いと
過重なノルマを課せられ、断わる要領も無く、それを受けてしまい、
おっさんは、仕事を請け負う弱い立場から、体が辛くても断わることが出来ず、
結果、「無理は無理」で事件化したのだと思います。
きっと、二人とも二人が負ったリスク、労力に見合う給与、対価は受け取っていません。

本件は上流志向のものと下流のものが、二者セットでひどい目に遭うという多少珍しいケースですが、
下流だけが罪を問われる事例なら、多々あります。

それぞれに患者を乗せた2つベッドを、大型エレベータで、一人きりで運ぼうとして事故を起こした
看護婦の事件しかり。
巨大踏み切りの人間コントローラだったおじさんが、遂に疲労の末、見逃しをして、
死亡事故を起こした事件しかり。

無理を命じた側の責任は大して問われていません。

「名ばかり店長」や、「名ばかり管理職」の問題は上昇志向を持つ者が無理を課された事例
と言えると思います。

と、いうことで、本3点組みの作品は、上昇志向、下流志向(自己卑下?)のどちらもが、
結局のところ収奪の装置に利用されるということがテーマです。

また、株式や金融、債権などの市場において、
上げ相場(強気)と下げ相場(弱気)が、ともに利益を生み出す経済的仕組みと、
上述した雇用上の給与対価収奪の仕組みの相似を述べ、
これらのことに感じる私自身の「ゲンナリ感」を作品で表現しようと思いました。

実は、作品B−1B−2は、元々はペアとして構想され、製作も同時並行して行われました。
B−3は元々は製作を予定されておらず、企画書中には記載がありません。
作品B−3はペア作品の意味を説明するための追加的作品です。

元々ペア作品のB−1B−2は、ペア作品としての意味合いを強めるため、
それぞれには対称的な要素を組み込んでいます。

  作品B−1:  金色、勃起した男根のイメージ、上向きの矢印
  作品B−2:  銀色、垂れた男根のイメージ、下向きの矢印


左は上向き矢印だけの「勃起した男根」の図形。
作品B−1を示します。

右は下向き矢印だけの「垂れた男根」の図形。
作品B−2を示します。

左右を合体させると中央の上下の矢印を持つ
冊子表紙の図形になります。
これは作品B−3の形と同じです。


色の強さについては壁Aよりも強くしています。
これで、「の熱意、欲望」と「の諦観、自己卑下」の分化がより進んだ様を示しました。

作品B−1B−2はともに中央に割れ目があり、そこに空蝉二枚貝が詰まっています。
男根の形をした外周の形ではなく、割れ目部分の形に着目すると、それぞれ女陰の形でもあります。

空蝉も、二枚貝も、外辺の衆生を表すキャラクターです。
ともに壁Aのペア作品「みんな死んじゃえ。」のカリスマの強烈な男性性と使徒、司祭の強烈な女性性の
作り出し世界の主人公にはなりきれません。
よって男根とも女陰とも、どちらとも取れる形にしてみました。

冊子表紙の図形は「勃起した男根」と「垂れた男根」を示す図形を組み合わせたものであるとともに、
2つのラックギアと平歯車を組み合わせた機構を表します。
上を目指したいと言う意欲も、下流に沈む気持ちの落ち込みも、ともに中央の歯車を回転させます。

冊子表紙の記号は、作品B−3を意味し、衆生の上下に向かうどちらの運動をも動力に変え、
利益を得る装置を表しました。


上記中央の図形は2つのラックギアと平歯車を組み合わせた
左図の機構を意味しています。

赤いラックギアを上に引くと
中央の黄色い平歯車は矢印の方向に回転し、
青いラックギアは下に押し下げられます。

青いラックギアを下に押し下げると
中央の黄色い平歯車は矢印の方向に回転し、
赤いいラックギアは上に押し上げられます。

赤青どちらを操作しても中央の黄色い歯車を回す機構です。


作品B−3のタイトルにある「1949」と言う数字は、アルフレッド・ジョーンズ博士が起こした世界初の
ヘッジファンドの成立年です。
ヘッジファンドは、上げ相場でも下げ相場でも利益を上げる投資戦略を取ります。
株式等の有価証券のロング(買い持ち)とショート(売り持ち)の双方のポジションを同時に取ることなどが
代表的な戦略です。
当然ですが、ヘッジファンドは、取引が活発で上げ下げの激しい市場環境を望みます。
「上げ相場(ブル、雄牛)」と「下げ相場(ベア、熊)」のことを、別の言葉では「強気」、「弱気」とも言うので、
ヘッジファンドは、「強気」、「弱気」変動が激しい状況を望む」という言い方も出来ます。

このように、ヘッジファンドは、
上昇志向を利用される者(空蝉)に更に熱意/意欲()を求め、
引きこもる下流の者(二枚貝)には更に諦観/自己卑下()を求める、
格差社会、勝/負の構図を望む雇用戦略にそっくりです。

衆生の上下に向かう「強気()」と「弱気()」、
どちらの運動をも動力に変換し、利益を得る装置である
作品B−3の機構(2つのラックギアと平歯車)の両端、
く、金色の左ラックギアが、空蝉で駆動する作品B−1であり、
く、銀色の右ラックギアが、二枚貝で駆動する作品B−2です。


作品B−1B−2B−3のタイトルページ以外の冊子各ページについて、説明を加えます。

冊子5ページ目では経済用語である「労働生産性」の一般的な説明を載せています。
(私の専門分野でも無く、一般的な内容に過ぎませんが、老婆心として載せました。)

しばらく前から、主に経営サイドの評論家が「日本人の生産性は低い!」「日本人は働かない!」
と言い立ててきました。本当でしょうか?
最近ではこれらの主張に対し、反論も多く見かけますが、私には数字のトリックにしか思えません。
付記した説明や容易にネット上で見つかる反論の通り、ここで言う「労働生産性」の計算式の分子は
「人件費、利子、利潤」等の総和です。分母は投下した労働時間です。
すなわち、長時間余計に働かせても、人件費を抑える、給与の支払い総額を抑えれば、
「労働生産性」は低くなります。
同じ名前ですが「時間当たり何個の製品を作れるか」などで計算される実体的な「生産性」とは
定義が異なります。
これでは、数字のトリックによる詐欺行為、更に低い対価で利用されよという脅迫です。

冊子6ページ目では株式などの価格を予想したり、結果として市場価格を決めてしまう「マインド」と
言う経済用語についての説明を載せています。
(私の専門分野でも無く、一般的な内容に過ぎませんが、老婆心として載せました。)

相場の上げ下げの傾向のことを「強気」「弱気」と呼びますが「マインド」は言葉通り、まさに「気分」です。
代表的な消費者マインドの指数である「消費者態度指数」にしても、企業マインドの指数「業況判断DI」
にしても、ようはアンケート的手法による気分の総和に過ぎません。
「バーチャル経済の規模は実体経済の○○倍!!」とか良く聞く話ですが、
気分で決まっているのです。とんでもない金額の取引が。
しかも、強気、弱気、どちらの気分でも利益を生むのです。
金融、債権、株式、証券市場の世界では。
機械設計の世界では、10円、1円のコストダウンに必死に取り組むのですが、我々の足し算的、
算術的努力に対し、倍率いくらで、幾何級数的に収益を持って行っちゃう訳ですよ。彼ら。

冊子7ページ目は、上昇志向を利用される者(空蝉)に投げ付けられた言葉などです。
主に大手居酒チェーン経営の有名人さんの発言からとっています。
レバレッジ(梃子)」は資本取引等に関する経済用語、ヘッジファンドが良く使う手法です。

冊子8ページ目は、引きこもり、正当な報酬諦め、文句を言わない下流の者(二枚貝)に
投げ付けられた言葉や、下流の者(二枚貝)自身のネット上のつぶやきなどです。
投げ付けた言葉は主に日本を代表するカジュアル衣料製造販売の経営者さんの発言から
とっています。
「ショート」は資本取引等に関する経済用語、弱気相場の際にヘッジファンドが良く使う手法です。

冊子9ページ目の 「わたしの働きと同じだけのタロイモはどこ?」 との問い掛けは、
本来は、働いた分、暮らすのに十分なだけ、支払われ、普通にしていたら普通に暮らせるはず。
との当然の疑問です。

南方の島で、原始的な暮らし、焼き畑農業などをしていれば、畑仕事をした労力に応じた作物が
手に入ったはず。足りない分の「タロイモ」はどこへいったのか?という問い掛けです。

作品の流れ、冊子の文脈からいって、タロイモやそれが代表する原始的焼き畑農業を話題に
出すのは、あまりにも唐突ですが、意図的に入れた言葉です。

展示ギャラリー対面の壁Dでは、
原始的理想経済の題材として「江戸時代の日本の長屋=東南アジアのロングハウス」を取り上げています。
タロイモ」は壁Dの示す在り方、生き方に対し、答えを求める語として使っています。
(さすがに分かり辛いとは思います。。。。。。。)

 壁B  各作品の説明 (B-1、B-2、B-3)


■ 作品番号 B−1 →  

    作品名:

    「 私たちは上昇する。
      まぐわいたいから。 」

作品B−2B−3との三点組みの作品です。
作品の意図については組作品としての説明の欄に多く書いています。
(作品(B−1)+(B−2)+(B−3)の説明→ 

本作品を考えていた頃、私は退職と就職の狭間にあって、無職でした。
いわゆる職業安定所、ハローワーク通いの日々です。
夏の頃で、道すがらの街路樹や、ちょっと寂れた住宅街の生垣には沢山の蝉の抜け殻がありました。

蝉は7日しか生きないと言いますが、本当でしょうか?
実際にはアブラゼミなら6年、クマゼミなら8年、幼虫の形で土中で過ごします。
彼らの生活の本体は土中の幼虫期間にこそあると言えます。

では、成虫は?

成虫の実際の生存期間は2週間ほど、「7日」に比べれば長いですが、
長い幼虫時代に比べれば、無いも同じです。
「蝉の本体は幼虫である」と考えると、「蝉の本体」は土から出た後、空には飛んでいけず、
空を飛ぶ「何か」を背中の割れ目から産み落とした様に思えます。
その身は空白の空蝉に変じて、背中には女陰のような割れ目をぱっくり空けて。
空ろになった身は、抜け出た成虫が死んだ後も遥かに長い間、生垣に残ります。
上を目指しましたが、空には行けずに、空っぽのまま。

幼虫こそが蝉という生物の「本体」ならば、蝉の成虫とは何か?
私にはそれは精子や卵子、または精子を詰めた精嚢(せいのう)や卵嚢(らんのう)に思えます。

海に棲む環形動物のゴカイやイソメゴカイの一種は、一年に一度、体の三分の一ほどを自ら切り離します。
切り離された体節に精子や卵を一杯に詰めて。切り離された体節は大潮の夜に泳ぎだします。
これらは「ウキコ」、「イトメ」、「バチ」、「ヒル」などと呼ばれます。(サモア諸島では「パロロ」)
元の個体からは分離独立して遊泳しますが、これは「遊泳する生殖器」であって、
すなわち泳ぐ「男根」、泳ぐ「女陰」です。これらは目的の生殖を果たすと、短い運動期間を終えます。

ゴカイのライフサイクルにおける「ウキコ」の機能は、蝉の成虫の機能となんら違いはありません。
「蝉」の成虫は空飛ぶ「男根」、空飛ぶ「女陰」に過ぎません。
「蝉」という生き物のライフサイクルにおける本体は、「幼虫」です。
「蝉」という生き物の本体であった者、すなわち空蝉は、
男根/女陰、自らの欲望の化体を産み落としたその場所よりも上には行けず、それ自身は交接せず、
身を空ろにし、地面から噴出した「土の泡」の様になって、生垣に残っているのです。

と、いうことで、
強い上昇志向に駆られる、またはそれを煽られる者ども。
上げ潮に乗せられた者。バブル=泡沫。
もっと出来るはず、もっと上に行けるとおだてられるが、
労働に見合った報酬を受け取れない者/会社/株式/技術。
もっと良い食べ物を、もっと良い配偶者をと望んだ末、
疲れ果てて、ろくな食事も出来ず、暖かい交わり、子作りもしない者。

そういう者の象徴として、空蝉は実にぴったりだと私には思えました。
いわゆる職業安定所、ハローワーク通いの、人生に疲れた中年の私には。
そういうわけで私は集め始めました。
ハロワに通う、道筋の街路樹や生垣に残った空蝉たちを。
10リットルバケツ一杯分くらい。
(作品では半分くらいしか使わなかったので、まだ半分、家に残っています。。。。。)

ペア作品として同時に構想した作品B−1B−2のポンチ絵です。
実際に製作するための工法や寸法などは決め切れていませんが、
ほぼ最終形態と同様な構造になっています。

タイトルはまだ言葉を整理できておらず、実際のタイトルとは違っています。

実作品は、作品B−1B−2共通の形状の骨材を使って作成。
メインの躯体は杉の板材で、その上に釘などで固定されたステンレス
金網を使って、盛り上げ形状を成形。
その上に薄めた木工用ボンドでトイレットペーパーを貼り付けました。
人糞状の形態は作品A−1A−2と同様にトイレットペーパーを
基材とする自作紙粘土製。

勢いと集積がメインの作品なので、構成要素は多くありません。
幾重にも積み重なる空蝉の群れと空蝉が押し分ける人糞(熱意に満ちた貨幣=ホットマネー)だけが登場します。

よって、タイトルの構造も単純です。

 「私たちは上昇する。」 = 上を目指す。上流を目指す。正社員待遇を目指す。勃起する。

 「まぐわいたいから。」  =  欲望があるから。



■ 作品番号 B−2 →  

    作品名:

    「 殻を重ねて私を隠す。
      その肉は既に硬さを失う。 」

作品B−1B−3との三点組みの作品です。
作品の意図については組作品としての説明の欄に多く書いています。
(作品(B−1)+(B−2)+(B−3)の説明→ 

本作品のキャラクター、二枚貝を「引きこもり」にたとえるのは元々一般的です。
(日本映画、テレビドラマの名作「私は貝になりたい」など)
よって、この「比喩」についての説明は特に不要だと思います。

偏執的集積がメインの作品なので、構成要素は多くありません。
幾重にも積み重なる二枚貝の群れと
二枚貝の殻が、その肉を過剰に隠した結果、はみ出してしまったい柔らかい肉、
本来は生気や欲望が宿るべき貨幣状に潰れた柔らかい肉(消沈した債権=ジャンク債)。

二枚貝の殻と、潰れた肉の二つだけが登場します。

よって、タイトルの構造も単純です。

 「殻を重ねて私を隠す。」    = 本来受けるべき正当な労働対価を請求せずに、
                       自己卑下して引き篭った結果、

 「その肉は既に硬さを失う。」  = その心は、貝の肉のように柔らかくなり、
                       その男根は生殖不可能なほど垂れ下がる。
                       (「下流」に落ちる。)

構想段階のポンチ絵については上述の作品B−1の解説を参照。

製作に使った二枚貝の殻は、福岡市の百道浜(ももちはま)という人工海岸で集めました。
バケツ一杯分。。。
当時、前職を退職する原因になった、ペットボトルキャップ色分別装置の開発に絡み始めてました。
「この仕事に巻き込まれると職を失う様な酷い羽目になるぞ。。。」
とブツブツ独り言を言いながら、長い海岸を二往復。。。。

ところで、い柔らかい肉の部分は本当に柔らかい素材で作っています。
建築用の変成シリコンシーリング材を使用。
白および透明のシーリング材と、少量の青のアクリル絵具をマーブル状に混ぜて、一枚ずつ硬化(ゴム化)。
作品筐体への貼付けにもシーリング材を使っています。


■ 作品番号 B−3 (追加作品) →  

    作品名:

    「 Mind drived benefit generator (Prototype 1949) 」


作品B−1B−2との三点組みの作品です。
作品の意図については組作品としての説明の欄に多く書いています。
(作品(B−1)+(B−2)+(B−3)の説明→ 

展示会期ギリギリまで、本作品を作る予定はありませんでした。よって、企画書にも本作の記載はありません。
作品添付の冊子を作るにあたって、作品B−1B−2を説明するために必要になった作品です。
作品B−1B−2をつなぐものと言うか、
作品B−1B−2で示す「上流志向」と「下流志向」をともに利用するしくみの模型であって、
意味としては前述の説明図(2つのラックギアと平歯車)と役割上の違いはありません。

冊子に図を載せて説明するか、それとも説明用の作品を作るか迷ったのですが、図を描くのが何だかとても
面倒くさくなって、手持ちの素材で作品を作ってしまいました。

作品を貼り付けている、ボードは作品D−3に使用した板と同時期に作ったもので、手遊びに絵を描く前の
背景マチエールだけを作ったものです。結局、絵は描かず保管していたもの。
中央の小山状の筐体は、石膏製で、作品C−1を作った時に余りの石膏で作ったもの。
空蝉二枚貝は、作品B−1B−2と作品A−2の製作時の残り物です。
中央の腕時計のムーブメント(内部機構)は20年ぐらい前に大宰府の骨董市で100円くらいで買ったもの。

素材があったので製作はごく短時間で行いました。作業の延べ時間としては1時間ぐらい?
接着剤などの硬化時間を入れれば半日程度でしょうか。

タイトルについてもほぼ、前述の通り。

 Mind drived benefit generator = 気分で駆動する利益発生機
                         (気分: 経済用語の「マインド」、労働者の気分)

 Prototype 1949   =         試作。1949年製。
                         業界初の仕組みで儲ける会社。
                         1949年にアルフレッド・ジョーンズ博士が
                         世界初のヘッジファンドを起業。

 壁隅 AB 「すみっこで死んでいるよ。」 の説明

■ 壁隅AB/作品AB の作品ページ →  

   「すみっこで死んでいるよ。」

     毎年、毎日、経済産業社会のすみっこでは、沢山の本当に沢山の企業が倒産しています。
     だぁれも気にかけはしないけれど。
     死ぬ側にとってはそれなりの重みを持って。
     一緒に仕事をしていたあの運送会社も、知り合いのあの企業も、大家さんだったあの会社も
     つぶれてしまいました。

      東経ニュース

      JC−NET 九州倒産情報


は、人糞(紙粘土)は作品A−1A−2と作品B−1製作時の残り物です。

壁A壁Bという「人生もう駄目。。。」の極北の片隅に、倒産中小企業の墓標として置きました。
ここ4年間の間に、本当にまあ、沢山の法人の皆様が。。。。。。。
会社員では無くなった自分も含めて合掌。。。。。


その7 (説明3 壁C、D)     →  
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