その7 (説明3 壁C、D


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 壁C 「今 昔」 の説明

■ 壁C の作品ページ →  

   「私は笑っているのか。私は泣いているのか。」

     どうしたら良いのか、本当に分かりません。


■ 作品番号 (C−1) →  
■ 冊子 「 今 昔 」  →  

    作品名:

    「 既に水に落ちた私は、水の底より、
      落ちていく彼らを見ていた。
      私は、笑っているのか、泣いているのか。 」


壁A壁Bでテーマとして取り上げた内容は、どこかで聞いた話というか、評論家的
というか、製造業の世界で生きる者としての実感はありますが、他人事めいた話です。

学歴的には機械工学しか学んでこなかった私にとって、経済学や金融、証券、株式の
話は、なんだか奇妙で、とっつき難く、議論が高度なものは数学的にも高度なので
更に難しく、正直、ちゃんと理解出来ていません。
けれども、十数年前から、通勤の電車の中で、東洋経済やダイヤモンド等の経済誌を
読んでました。理解も出来ずに、首をひねりながらも、週1冊か2冊。
何故、自分には縁遠い、経済の話なんかを読むのだろうと思いながら。
今、理由を考えてみるに、「自分を殺す者の顔が見たかった」のだと思います。

リーマンショックは様々な人々から仕事を奪いましたが、私自身も失業することに
なりました。20年近く続けてきた仕事でしたが、勤めていた工場ごと仕事は無く
なりました。
思い起こせば、リーマンショックの十数年前から、何とは無しに漂っていた、
きな臭いというか、何か不穏な、あの匂い。
(為替の極端な変動、それに伴う「生産性」国際比較の喧伝、現行通貨に対抗
 するかのような地域通貨の流行、情報技術に伴う株式や債権の超高速取引など。
 その頃から起きた様々なこと。)

あの匂いの本体が、やっぱり私の職場も私の仕事も生活の基盤も食べてしまいました。
経済誌を読み始めたのは、きっと、心の中でカナリヤが鳴いたからだと思います。
炭鉱ガスのきな臭い匂いを嗅いで。

会社員としての私を食べたリーマンショック。経済的な「大津波」。
そんな「大津波」を引き起こした「海」であるところの「貨幣経済」という化け物。
その化け物の顔が見たかったのかも知れません。
一種の「海のバカ野郎!」です。

壁Cのテーマは、「今の私と昔の私」。
私自身が最中(さなか)に在り、最中に在ったリストラについての物語です。

私は1991年に社会に出て、大手企業の子会社のそれなりの会社に就職し、
電子部品実装機の業界で開発設計の仕事をしてきました。( → 職歴 )
今の人から見れば、「甘ちゃん」でしょうが、一生の仕事のつもりでした。
その当時は、まだ、終身雇用が当たり前でした。

当時、私は会社員であり、会社組織と言う「舟」に仲間と共に乗っていました。
他の仕事でもそうですが、製造業の仕事でも「信用/信頼」はとても重要です。
私も、開発部門の同僚や他部署の社員の方々、関係会社の皆さん、などなど。
「お互いを信じて」、仕事をしていました。

「信じる」、「信頼」とか言うと今流行の「絆(キズナ)」みたいですが、
そんな仲間意識みたいな、人情の話ではありません。
経済用語で言う「信用」により近いものだと思います。

例えば、私が機械設計の仕事をする時には、関係者を以下の様に信じています。

 ・ きちんと部品の図面を描いて出図すれば、調達部門がちゃんと加工先を選んで
   発注してくれる。
 ・ 発注先工場には、加工する技術も設備もちゃんと有り、図面通りの部品を納品
   してくれる。
 ・ 一般的には難しいこの部品も、あの会社ならキチンと作ってくれる。
 ・ 発注先工場は適正な価格で見積書を提出し、調達部門もちゃんとお金を支払う。
 ・ 部品は正しく入荷検査を受け、納期通り手元に届く。
 ・ 組立工は十分な技能を持ち、組立図に従って正しく安全に機械の組み立てを行う。
 ・ 営業は顧客と正しい仕様を取り交わしており、仕様は正確に設計に伝えられて
   いる。
 ・ 仕様通り機械が製作され、規定の性能を満たせば、顧客はちゃんと検収してくれる。
 ・ こちらがちゃんと仕事をすれば、顧客はちゃんと代金を払ってくれる。

   などなどなど。

全て、「正しい入力を与えれば、正しい出力を返してくれる。」と言い換え出来る内容
です。私は「相手が正しく機能すること」を「信用/信頼」してました。
信じているからこそ、私は自分の担当範囲の仕事を実行できるのです。

失業で、私は、上記の意味の「信用」全てを、一度失いました。
「ものづくり」において必要な「信頼関係構築の場」を失いました。
( → 「当サイトについて」

「信用」が失われた環境では、図面一つまともに描けなくなります。

電子部品実装機は、高度高精度な生産設備の一つです。
それを開発設計製造する会社の社員や、部品加工を依頼する会社などは、かなり高度な
職人集団です。そんな職人たちが集まっていた職場環境から、マイクロ企業に転職した
私は、正に「図面が描けない」と言う事態に直面しました。

JIS(日本工業規格)にも規定されているような、一般的な加工精度の穴を図面指示
しても、就職したマイクロ企業先が発注した末端業者にはろくな加工が出来なかった
のです。以前の会社の請負先ではごく当たり前か、やや低レベルとみなされる加工精度
なのに、穴はまともに開いていませんでした。
(位置決めピン(木ダボの様な物)を嵌める穴でしたが、ガタガタでした。)

しょうがないので、部品精度が足りなくても組立て時に誤魔化せるように機械全体の
設計をやり直して、再度、部品を手配しました。
こんなやり方では当然、機械全体としての性能・品質も落ちてしまいます。

就職先のマイクロ企業は、どうしてまともな加工業者に発注出来ないのか?
このマイクロ企業には、発注先業者への未払い金が積み上がっていました。
当該企業には、「ちゃんと代金を払ってくれる会社」という「信用」が無かったのです。

世界シェアを争う様な機械は、このような環境では作れません。
高度、高品質な機械が開発され、設計され、製作されるには、その背景として、各分野
の担当者が十分な技術、技能、経験を持ち、互いの「信用」関係を場として構築して
いなければなりません。
「工業的信用関係」は、それぞれの技術者、担当者が、企業群が、互いの技術・技能を
信用し合い、また、互いに期待に応えて、「信用」を更に醸成する工業的生態系です。
「工業的信用関係」は一朝一夕には成立しません。
デジタル製品、コンシューマ向け量産品の製造は世界中あちこちに移転可能ですが、
高度な技術を要する精密機械製品は本来なかなか技術移転しません。
移転には「工業的信用関係」丸ごとに移転か、現地での再構築が必要で、これらが
ほとんど不可能だからです。

そんなのは社員丸ごと、請負先企業丸ごと転勤、移転させれば良いじゃないか。
世はグローバル化の時代だ。ビジネスマンとしては甘ったれだ。
とか何とか、色々、人はいいます。

しかし、そんなものなんです。
超高精度、超絶加工の精密機械、生産機械の職人というのは。
金属加工士であれ、金型職人であれ、射出成形、プレス加工の技術者であれ、
機構設計であれ、ハード設計/制御設計のエンジニアであれ、
設備、工場管理のSEであれ、営業であれ、調達であれ、生産管理であれ、
その職人的にして、極狭い専門性の領域でのみ成り立つ、超絶無二の技能や技術、
知識と経験は、一つのことをずっとやり続ける、こつこつとした努力と気力の果て
にしか生まれません。
そして、そんな風に「こつこつ、こつこつ」一つのことをやり続ける職人・技術者には、
雇用的流動性なんか無いのです。

そんなタイプの職人・技術者を移動させよう、別な仕事をさせようとしたら、会社を
辞めてしまうか、死んでしまいます。
私の会社の名物職人さんは、工場移転で仕事をやめた後、すぐに、病気で死んでしまい
ました。頑固な人で、私ともよく喧嘩をしたけれど、今は懐かしく思い出します。
お酒と釣りが好きな人でした。

高精度な、職人的な能力を要する工業製品を作る技術環境の移転が困難です。
これは日本だけの話ではありません。
証拠に、このような工業製品を作っているのは、今でも古くからの工業国です。

例えば、古くからの工業国であるアメリカの場合。
コンシューマ向け量産品製造の衰退をもって、「アメリカの製造業は衰退した」的な
言説が多々有ります。しかしこれは間違いです。
発電所などで使う巨大高精度なタービン、天体望遠鏡で使う巨大な反射鏡の研磨、
ジェット機、ロケットなど航空宇宙技術、各種兵器など、アメリカでしか生産
できないものは沢山有ります。今でもアメリカの製造業は強大なのです。
強い製造業を持つアメリカだからこそ、あれほどの軍事力を維持できるのです。
アメリカのライバルだったソビエト/ロシアのソユーズは、国際宇宙ステーションに
人を運び、地球に帰すことの出来る現在唯一の宇宙船です。
いまだにロシアの企業が宇宙船、宇宙服などの宇宙産業を担っています。
同様に工業用刃物、高度な検査装置、産業用光学機器など、古い工業国であるドイツ
の製造業の強さは健在です。
日本も長い時間をかけて「工業的信用関係」の場を構築してきた国の一つです。
日本にしか作れない製品や部品、素材は実に沢山有ります。

簡単には他国に移転出来ない工業的信用関係。
馬鹿げた経営的判断を、これ以上繰り返さなければ、今ある信用は維持出来るはず
なのです。

壁Cのテーマは、「今の私と昔の私」。
私自身が最中に在り、最中に在ったリストラについての物語です。
私が最中にあった「工業的信用関係」崩壊の過程と、それに伴う人材、技術の海外流出。
会社に残っていた同僚(=昔の私と同じ)が、ヘッドハントされて流出していく有り様。
金色の鳥かごのような舟から墜落する太った鳥たち)

隣国企業で開発を続けているはずの彼らの名前が、特許の公開情報に現れなくなり、
隣国企業の現地人名義の特許出願が増えていること。
(仕事の主語のすり替え。顔のすり替え。名前を失うこと。ぶら下がる鳥の首)

「信用関係」を失った自分と言えば、何にも出来ず、口だけの営業をしているだけの
駄目人間。(手足の無い、口だけの「蛆虫」である自己認識)

けれども、個人事業主になって、他社との交わりの中で、「まだ希望はあるのかな。」
と、空を見上げる今の私。(上に伸び上がるい蛆虫)

壁Cでは、壁A壁Bよりも更に欲望のと絶望のを強めています。
しかし、それぞれの色を成すものたちの向きは壁A壁Bと逆向きにしています。
よりさを強めた鳥たちは下向きに首をうな垂れ、舟から落ちて行き、
よりざめた蛆虫はその身を持ち上げ、口先を空に伸ばします。

私の体験したリストラの経緯をまとめた文を冊子3ページ目に載せています。
下表でこの文の各文節ごとの意味を補足しました。



冊子3ページ目の文の各文節 意味
以前勤めた職場を失う直前、
大風の夜の後、
勤めていた会社が開発拠点であった鳥栖工場を閉鎖したのが、
2009年9月(退職日は7月)。
「大嵐」すなわちリーマンショックが起き、景気、生産設備の
急激な受注減少が起きたのが2008年9月。
親を名乗る男どもが降下してきました。 勤めていた会社の本社から、工場閉鎖/リストラ経験を積んだ
人事職員が移籍してきました。
既に前年より危機が叫ばれていたとはいえ、リーマンショックが起きる
一ヶ月も前の移籍です。
翌2009年1月、本社が本社生産技術部門の本社からの切り離し案
を公表。
同一月、社員投稿作文にて「勤めていた会社が本社生産技術部門の
傘下となり、社内設備管理、物流を担う事業体として貢献する」という
従属的プランが優秀賞をとる。本社生産技術部門の生き残りプラン?
同2月、鳥栖工場閉鎖が発表され、縮小するはずの事業体、撤退する
はずの工場に何故か本社生産技術部門の管理職が数多く天下り、
移転を実行する段階では部長職のほとんどの首がすげ変わっていた。
南に荷を運ぶ舟は、
何故だか北の山頂に居を移し、
勤めていた会社は、電子機器の基板実装を行う生産ロボットの
世界シェアトップ企業であり、当然顧客の多くはアジア圏に居た。
特に台湾系の大手EMSなどが主要顧客であって、顧客工場の多くは
中国沿海部、台湾、東南アジアなどにあった。
勤めていた会社のリストラプランは顧客に近く、福岡空港などへの
アクセスの良い、鳥栖工場(90年操業)を閉鎖し、古く、
どちらかと言えば国内関東東北方面の顧客をターゲットにしていた
甲府工場(85年操業)に集約すると言うもの。
同業のライバル社の方々からも「何考えてるの?」と言われた
疑問の多いプランであった。
舟からは歳を重ね過ぎた手練れどもと
つがいのもの、根のはえたものどもが
ぼろぼろと泥に落ちました。
先に述べたように、熟練的技能者、技術者の多くは雇用的流動性
が無い。しかも、勤めていた会社自身、土地柄から、東京大阪など
大都市圏からUターン転職してきた人材で技術を伸ばしてきた会社。
その社員は元々地元志向が強く、共働きや親の介護を抱えるものも
多く、退職者が多々出た。
甲府工場への移籍に応じたものも、多くが単身赴任を選択し、家族を
九州に残した。
舟には大きな古い木が生えており、
新しい作物を植える手練れはおらず、
勤めていた会社の主力商品は2003年に発売したCM402と
その後継シリーズ(CM602etc)。
ベーシックシステムは当時から形を変えておらず、次世代システムの
構築が急務であった。そんな折にリストラが実行され、人材が流出。
僅かに残った若い手練れも山頂より
南に逃げ出しました。
単身赴任で甲府に渡った開発メンバーのうち中心的人材の多くが
ヘッドハンティングにより九州に戻った。
戻った先とは?
南には
海の向こうよりやってきた男どもと
土地の名主が新しい港を作っており、
福岡市は同時期に工場閉鎖したT社の半導体技術者などの雇用先を
確保する名目で、隣国の巨大企業の横浜研究所分室を市内に誘致。
この横浜研究所は、2009年1月の頃より、電子部品実装機関連の
技術者募集をかけていた。
人材紹介会社を通し、会社名は隠して。
舟より落ちた者どもと
逃げ出した手練れは、
その港に泊められた
金ぴかの舟に乗り込みました。
この研究所分室はその後、巨大企業グループ内の所属を変え、
電子部品実装機や、カメラ、重機、兵器を作る隣国巨大企業の
子会社日本法人になりました。
工場閉鎖時に辞めたり、甲府からヘッドハントされたりした、
前社開発主要メンバーのかなりの人員がこの会社に終結。
舟に乗った者どもは金貨の替わりに
名前を奪われ、口を閉ざしました。
現在、上記日本法人での開発の主体は元同僚たち。
業界で話題をよんだ機種の開発にも成功した。
しかし、何故か、特許の公開情報には彼らの名前は出てこない。
代りに、隣国人の名前が発明者として表示されている状態。
これは一体??
私は舟に乗りませんでしたが、 私自身、日本法人への参加を要請されたが、
何となく嫌で断わった。
隣国巨大企業グループと日本法人の関係は、
勤めていた会社と大阪本社の関係と同じに思えた。
落ち方が悪かったのか、
罰を受けたのか、
手足を失って、口だけになりました。
もう少しまじめに再就職先を選べばよかったのかもしれませんが、
自分の専門分野自身に疲れていた私は、知り合いのマイクロ企業を
渡り歩いてしまいました。
良い経験をした、どういう風に企業が失敗するのかが良く分かったとは
思いますが、先に述べた「工業的信用関係」を失った私は、
「物を作って売る」と言う製造業として当たり前の機能/能力を失って
しまいました。
口ばかりでなく、
手を使って物を食べたいと望みますが、
未だかないません。
上述の通り、「商品が作りたい」と願いますが、なかなか叶いません。
個人事業主になって、最近やっと、
商品化に関わるチャンスが見えてはきました。でもまだまだ。
私も彼らも 私のような立場のものも、
海外の技術流出にかかわるなどした人も、
廃人になっちゃった元上司も、
他の企業に勤めて、頑張っている人たちも、
知り合いになった色んな会社の皆様方も、
奇妙で、愚かで、哀れですが、
一生懸命に幸せになろうと
しているだけでした。
なんか、やることずれてるし、ジタバタだし、滑稽だし、
情けないし、どうしようもないし、時々本当にすごいけど、
それは皆、一生懸命なだけ。
私は、笑っているのか。
私は、泣いているのか。
わたしはどうすれば良いのか?本当に分かりません。



■ 冊子についての補足

本作の冊子について幾つか補足。
他の壁面A、B、D、E 等の冊子は、ギャラリーに来た幾人かに指摘されたように、かなり説明的です。
今回の展示は美術、美学の為では無く、「愚痴を言う」ためだったので当然です。
その5 (説明1 概要)

しかしながら、本作品C−1冊子については、意図的に説明を避けている部分が多々有ります。
具体的な話、用語の説明、読み解くためのヒント、固有名詞など、かなりぼかして説明を逃げています。
(「逃げている件」について、お客様の約一名から指摘が有りました。)

だって、おじさんにだって実生活とか、仕事上の付き合いとか、色々あるんだもん。
昔の同僚とかを、どうこう言うのは流石にどうかと。。。。。

でもまあ、勤めていた会社が何処なのかは開示しているし、
特許の公開情報に自分の名前と一緒に会社名が晒されているし、
2チャンネルのログには当時のゴタゴタが記録されているし、
当時国会で当該リストラについて共産党が質問したし、
隣国の巨大企業で横浜研究所があるところなんて、あの会社一つだし、
福岡市と合弁の研究所分室の話なんて、新聞に載った話だし、
勤めていた会社を辞めてもう5年も経つのだし。
もう、個人事業主だし。

まあ、いいや。と、いうことで上述のように冊子3ページの文も説明を加えました。
他のページについても少し説明。

 ■ 表紙

  表紙の葦原(あしはら)の写真は、故郷の川の写真です。
  大学の頃、この川で拾った動物の骨(猫や犬など)で良く作品を作っていました。
  舟に居たもの(会社員と言う鳥)が落ちた場所のイメージがこの川の葦原だったので
  表紙にしました。

 ■ 2ページ目

  タイトルです。
  背景写真は作品F−1の46ページ右の「怠惰が身に付く/泥濘の上の水溜り」

 ■ 3ページ目

  文章はタイトルを拡張した文です。
  内容については先述の通り

  写真は作品F−1の各ページより。

作品F−1、3ページ左
「風が吹き、目を覚ますと別の場所」
「故郷の川の泥に落ちた鳥の羽」


作品F−1、5ページ右
「あなたは要らない人間です。」
「あなたは要らない人間です。」


作品F−1、3ページ右
「風が吹き、目を覚ますと別の場所」
「荒波で打ち上げられた小さな鰯」


故郷の川の泥の上に落ちていた
鳥の羽。
元は「鳥」(「舟」に乗った会社員)で
あった私の墜落の痕跡。
作品C−1下側中央の蛆虫
周囲に鳥の羽が散らかっているのは、
蛆虫が元は舟に乗った「鳥」で
あり、墜落した結果、今の姿に変じた
ことを示す。
作品A−3の頃、
再就職を断わられた会社の
近くの川の捨てられた自転車。
大風の後、福岡の海岸に
打ち上げられた小さな鰯。
3ページ文中の「大風」に関連。


 ■ 4ページ目

  3ページ目の文中の「親を名乗る男どもが降下してきました。」に関連して、
  当時閉鎖前の工場の私のパソコンのスクリーンセイバーとして流していた詩。
  内容的には3ページ目の文と重なる。

  「手の無い鳥」のイラストも当時描いたもの。
  作品E−1の一部。

 ■ 5ページ目

  工業的信用関係を失って、商品開発に関われなくなった私の3年前の独白。
  イラストはその当時描いた本作C−1の構想図。(下図中央)
  その他の構想段階の図は下の通り。



 ■ 6ページ目

  故郷の川の葦原(あしはら)にて魚眼レンズで撮影。
  決して実行されることは無い、想定としての自殺願望の認識と、復活。
  葦(あし)原に墜落し、下から呆然と見上げ、また立ち上がる。
  中央の写真の放射状の葦が、作品C−1下側中央の蛆虫の下にある放射状の葦の茎の元々のイメージ。
  放射状の葦の茎は下中央の写真のイメージであるとともに、タイトルにある「水に落ちた」時の水しぶきでもある。
  どちらにしても、墜落の痕跡。



■ 実際の製作について

当初の構想では、上部の鳥も、下部の蛆虫も大学美術部時代に良く使っていた石膏を使うつもりでしたが、
下記の理由で止めにしました。

 ・ ギャラリーの天井(石膏ボード)があまり丈夫ではなく、重量物を吊るすのは危険。
 ・ 野天で作業出来た大学時代と違い、大きな石膏作品を作れる環境に無い。
 ・ ギャラリーまでの運送が大変。壊れる可能性もある。

よって、最終的に下記の工法を採用しました。
ともにヒモ状のものを巻き付ける方法ですが、作中のキャラクター「手の無い鳥」と「蛆虫」とも、がんじがらめの
状況の最中あるキャラクターなので、意味的にも良いかと。

手の無い鳥」の製作 (左下図参照)

 (1) 枯れ枝に麻糸を巻きつける。
 (2) 紡錘状に巻き上がったら表面を木工用接着剤で固め、ほどけるのを防止する。
 (3) 上下にヒートンを取り付ける。
 (4) アクリル絵具などで彩色。裁縫用のカラー糸を巻き付ける。
     アクリルメディウムとパールホワイトで半透明に薄めた黄色の絵具をかける。(精液、甘露、トリクルダウン
     鳥の羽を麻糸の間に差し込んで接着剤で固定。
 (5) 黒土にカップ状の凹みを作って、水で溶いた石膏を流し込む。
 (6) 石膏が固まる前にゴカイの巣を上に置く。(ゴカイの巣: 右下の写真、作品F−1、43ページ目、左)
 (7) 石膏硬化後、黒土から取り出して洗浄乾燥。鳥の骨をエポキシ接着剤で固定。
 (8) スプレー塗料で彩色。赤い刺繍用の糸を巻き付け、(4)にぶら下げるためのループを作っておく。
    接着剤で糸のほどけ防止処理をしておく。



蛆虫」の製作 (左下図参照)

 (1) 巻いたままのトイレットペーパーを縦に積み上げ接着剤で固定する。
    最上段の1ロールは円錐台状に巻きほどいておく。
    また、中央に芯となる樹脂パイプを差し入れて、上下を紙粘土で固定する。
 (2) ほどけない様に表面に薄めた木工用接着剤を塗る。
 (3) ネジってひも状にしたトイレットペーパーを巻き付けていく。
    一層巻くごとに、薄めた木工用接着剤を塗布。
 (4) 一輪挿しの壷状に巻き上がったら、表面を均し、
    アクリル絵具などで彩色。裁縫用のカラー糸を巻き付ける。
    アクリルメディウムとパールホワイトで半透明に薄めた黄色の絵具をかける。(精液、甘露、トリクルダウン
 (5) 百合の花の、種を落とした鞘の部分を軸を残して切り取る。
    (「百合の口先」: 右下の写真、作品F−1、11ページ目、左)
 (6)紙粘土で、鞘の補強と(4)の接続部を作る。
   乾燥後スプレー塗料で彩色し、(4)に装着。
   つなぎ目を隠し固定するために、接続部のあたりに青い刺繍用の糸を巻きつけ接着剤で固定する。



 壁D 「もしも愛があるならば」 の説明

■ 壁D の作品ページ →  

   「とても、うつくしい
    とても、あたたかい
    とても、やさしい
    どこか、なつかしい
    けれど、どこか、脆弱 」


     わたしはそこにはいけない。でも、これからを生きるあなたがたならば。

     ふと私は思い出す。
     片方の乳房を喪失しながら呵々と笑っていた祖母と祖父の、
     なんや、かんやで、しゃんとしとった百姓たちの生き様。

■ 作品番号 (D−1) + (D−2)  →  
■ 冊子 「 もしも愛があるならば 」   →  


壁A壁B壁Cと、世の中に絶望したり、薄ら笑いしたり、めそめそしたり、
自分の就業的状況へのゲンナリした気分を提示してきました。

では、どうするのか?

いい年した、おっさんなのだから、ちゃんと自分で考えなければいけません。
文句と愚痴ばかりでは駄目人間です。
でも、どうやったらこの先、幸せに生きていけるのでしょう。
自分だけの話ではなく、皆にかかわる一般的な問題として考え直してみます。

まず、壁A壁B壁Cと、その説明において述べた「痛い状況」について
原因は何かをもう一度考えます。
私個人の意見ですが、問題の原因は以下の2つにまとめられると思います。

 (原因1)
     貨幣を対価として、仕事を命じる側に対し、
     本当に仕事をした者が、仕事の成果とともに、
     名前、すなわち、仕事という行為の主語をも引き渡すこと。

 (原因2)
     実体からの乖離が進んでしまった現行の通貨は、
     仕事の価値を計量する単位としては、陳腐化したこと。

それぞれもう少し説明を加えます。

(原因1)の「主語を引き渡す」とは何か?
それは、ある仕事を人にさせるために金を払った者が、その仕事の実行者になり、
実際に仕事をした人の名前は忘れられるということです。

例えば以下のようなことです。

ある会社、「ぽにぽに社」の工場であなたが働いているとします。
あなたは、本日ある製品「ぷにぷに」を10個作りました。

あなたの課長は、その製品「ぷにぷに」を作る作業をあなたに命じました。
課長自身はその製品を作る具体的な作業をしていません。
作業計画を立て、マニュアルを整備し、人員を配置し、
あなたを含む課員に指示を出すという一段抽象的な作業をしました。

部長は、製品「ぷにぷに」の月ごとの生産計画を元に課長に指示をしました。
日毎の作業、マニュアル、人員配置を具体的に用意することを課長に命じました。
現場関連の具体的な指示はしていません。
部に課せられた通年の生産計画を月次計画に落とし込み、課長を人選し、
部内の課長たちにに指示を出すという一段抽象的な作業をしました。

経営幹部たちは、部長に年次計画を命じ、具体的な月毎の生産計画、体制を作らせ、
社長は経営方針を作って、経営幹部に年次計画を作らせました。

さて、「製品」は大ヒット。世間の話題になります。
評価はどんな風にされるのか?対価はどう支払われるのか?
製品「ぷにぷに」を作ったあなたは褒められるのか?

世間から見て、製品「ぷにぷに」を作ったのは「ぽにぽに社」です。
具体的に製造作業を行ったあなたではありません。
あなたは上司の指示に基いた労働を行い、対価として給与を受け取っただけで、
製品「ぷにぷに」を作ったのではないとされます。

その日、あなたと同僚9名が製品「ぷにぷに」を100個作ったとすると、
その日、「課」は製品「ぷにぷに」を100個作ったとされ、
その成果によって課長は評価されます。
作業者10人分の名前は消され、「100個作った」行為の主語は
「課」や課長に引き渡されます。

その月、あなたのいる課を含む部内の4つ課が10000個
(=100個×4課×25日)の製品「ぷにぷに」を作ったとすると、
その月、「部」は製品「ぷにぷに」を1万個作ったとされ、
その成果によって部長は評価されます。

経営幹部、社長はそれぞれ指示を下したり、方向付けをしたり、許可をしたり、
数段抽象性の高い仕事をして、部下の成果の総計によって評価を得ます。

「ぽにぽに社が製品ぷにぷにを作って、ヒットさせた。」
「社長がぷにぷにを作ってヒットさせた。」

結果として、
製品「ぷにぷに」を作ったあなたの名前は世に出て評価されることはありません。
命令を順に遡っていた先の、いわば、「命令の階梯(かいてい、はしご)」の
先端にいる代表者の名前が評価の対象になります。

「会社/社長 → 経営幹部 → 部長 → 課長 → あなた」という様に、
命令が下っていくに従って、命令には具体的内容が実装されて行きます。
逆に、「あなた → 課長 → 部長 → 経営幹部 → 会社/社長」
という様に、仕事の実行者の主語/名前/評価は仕事を命じた者に集約されて
行きます。

壁Aおよびその説明で述べたカリスマ/ブランド(作中ではジョブズなど)への
価値のある仕事の「主語」の集約は、上述の「主語の上向きの引渡し」の一例です。

権威/評価/主語の集約が極端にならず、労働に対して十分な対価が支払われるなら、
別に世間からの特別な評価が無くとも私もあなたも幸せに暮らせます。
個人情報も露(あらわ)にならず、ハッピーです。
暮らしが満足なら、名前を出すのは社長で結構。

しかしながら、世間の評価は「仕事をした者の名前」に対してです。
仕事をした者としての名前を獲得した会社や社長は世間から高い評価を受け、
株式の上昇等の形で高い報酬を受け取りますが、本当に仕事をしたあなたは
評価されません。「命じられてしただけ。金は払った。」と言われてしまいます。
あなたは既に名前を引き渡してしまっているからです。

現在の日本の場合、社長と一般社員の所得格差は平均で20倍程度だそうですが、
「集約」が更に進んだアメリカでは平均275倍。トップクラスの経営者は
数十億円レベル。日本も給与格差を拡大する方向にあります。
「命令の階梯」の最上位に例では社長/会社を置きましたが、株式会社の場合には
社長/会社の上に、株主が来ます。
「会社は株主のもの」
「会社は出資した、金を出した株主のもの」
「会社は従業員や社長、顧客のものではない。
 それらを満足させるのは会社の目的ではない。
 会社は株主のものである。株主の利益を第一に考えるべきだ。」
という言い方を、所謂「上げ潮派」の面々がよくしますが、この株主至上主義こそ
「名前の集約」の最たるものに思えます。

「名前の集約」が進むと、末端の我々自身の評価は無化され、対価は当然減価され、
色々痛い悲喜劇が発生します。
壁Aの「無理ゲー」なり、壁Bの過労働と低賃金なり、壁Cのリストラ劇なり、
様々な悲喜劇が。

愚痴の一つも言いたくなります。

では(原因2)。

「仕事を計量する単位として、通貨が陳腐化した」こと。

壁A冊子の6ページ目にリストしたように、具体的な製品や素材、労働時間などの
物理的な事物の価値は「円」や「ドル」、「ユーロ」など現行の通貨を単位として
計量されます。
一方で、金本位制から変動為替相場制へ移行した通貨は、壁B冊子の6ページ目
で説明した経済学的「マインド」のようなフワフワしたもの、抽象的な指標によって
大きく為替変動します。
更にローン(借金)債権の多段証券化など、高度に抽象化した金融商品や、株式なども、
同じ通貨で計量され、通貨の価値に結び付けられています。
これにより、経済的気分、国際為替、金融商品、株式、企業評価のふわふわした変動
に引き摺られて、通貨自身の価値がふわふわと変動。
具体的な製品や素材、労働時間の価値を計量する単位自身が、その大きさを変え、
具体的な事物の量は変わらなくても、計量結果の金額は大きく変動してしまいます。
伸び縮みするゴム袋で、水の量を量るようなものです。

為替変動で120円/ドルだった為替相場が急に70円/ドルになったとしても
労働者の能力が急に増減できる訳ではありません。
「日本人の生産性は低い。中国人なら同じ仕事を○○ドルでやる。」とか言われても
労働者にはどうしようもありません。

wikipediaの説明「貨幣経済」の述べる通り、本来通貨は物やサービスなどを交換する
権利を担保したものです。
いわば、「食堂の食券」や「子供の肩叩き券」みたいな物です。
「食券」や「肩叩き券」から具体的交換対象を消し、何にでも交換出来る「貨幣」に
置き換えるという、「モノやサービスの引き換え券」の抽象化です。
抽象化は更に進展します。
為替という仕組みで異なる国の貨幣を交換可能にし、国内限定の制約も解除しました。
それでも金本位制下では、通貨は金という物理的存在にひも付けられていました。
しかし、ニクソンショックにより、金本位制から変動為替相場制へ移行し、通貨の
抽象化は更に進み、変動の振れ幅も大きくなりました。
為替の市場化、情報技術、金融工学、グローバル化などの影響なのか、通貨の価値は
まるで集団の気分の統計値みたいです。
(投資市場の経済指標として「恐怖指数」というのがあったりします。)
結果として、米FRB等、一国の中央銀行トップの発言一つでフラフラと変動する
不安定なものに成り果てました。
主人のつぶやき一つで、食券を買った後でも出てくる蕎麦の盛りが大きく変わる様な
立ち食いソバ屋にあなたは入るでしょうか?

こんなもので、日々を暮らす私やあなたの労働の価値が正確に計量され、正しく対価
が支払われるわけはありません。
昨日と今日、働いた労力は同じなのに、給与として受け取った日本円の価値はフラフラ
変動しちゃうのです。
暴落して、明後日には紙くずになるかも?
買える米の量は同じなのに、給与を貰い過ぎだと罵られるかも?

こんな状況では、以下の様につぶやく他ありません。

 「わたしの働きと同じだけのタロイモはどこ?」(壁B冊子9ページ目)

以上の二つ、「(原因1): 主語の上への引渡し」と、
「(原因2): 労働価値計量の単位として、通貨が陳腐化」は、
それぞれ過度な抽象化、具体性の喪失が不幸の原因だと私は思います。

本当の仕事の実行者がその名を渡して、顔を失っていくこと。
通貨自身が実体経済との紐帯を失っていくこと。

過度な抽象化、具体性の喪失が問題の本質ならば、
解決策は、「抽象」とは反対の向きの「具体化」なのでしょうか。
もしかして、「物々交換経済」が幸せへの道?

物々交換といえば、原始社会。
土人さんだー。やっほー。ジャングルでの幸せな共同生活だー。
古(いにしえ)の暮らしの知恵と心のキズナを取り戻すんだー。やっほー。

物々交換であるならば、交換する者同士のお互いの顔は見えています。
交換する物、サービスは、受け取る者それぞれに、その時まさに必要なものであって、
お互い納得ずくの等価交換です。
しかも交換時には笑顔/評価/信用を取り交わし合います。
仕事をした者としての「主語」を奪われることも無く、不必要に働かされることも無く、
お互い必要十分な物、サービスを得て、ハッピーです。

ここではお互いが生産者であって、お互いが消費者です。
物々交換する者それぞれが、生産者と消費者という二つの性質をともに保有しています。

この解決策のイメージを模して作った作品が本作品D−1D−2です。
キャラクターとしては両性具有、雌雄同体の生き物である蝸牛を用いました。
( 蝸牛の両性具有、雌雄同体については冊子5ページ目を参照 )

作品D−1は蝸牛1匹対1匹の愛の交換です。
蝸牛は精子を収めた精莢(せいきょう)または恋矢の交換によって互いに懐胎し、
お互いの子を産みます。
物々交換の最小のモデルです。

作品D−2は蝸牛N匹対N匹の愛の交換です。
一種の物々交換市場、コミューン。愛のネットワーク。
古(いにしえ)の愛ある暮らしと、心のキズナ。

そんな、物々交換経済が暮らしに生きている土人さんの暮らし。
働いたらちゃんとタロイモが食える暮らし。

タロイモの産地、東南アジアの原住民のなかには、ロングハウスという長大な住居に
複数の家族が一緒に暮らす生活形態をとるものがいます。
ロングハウス的生活においては、個人が物を占有することはあまりありません。
物は共有(シェア)し合って暮らします。また、人間の関係もある程度の共有されます。
ロングハウスで一緒に住む老人は、「わたしの家のおじいちゃん、おばあさん」です。
隣室の夫婦の子供も「私の家の子」であり、私は「この子のお父さん」です。
中国南部、東南アジア北部の風習として、歌垣という祭りがありますが、一種の乱交
乱婚パーティーです。
ここでは、性的ペア/夫婦関係も一定の範囲で共有されます。

南方的ロマン?ゴーギャン的ユートピア?ここは日本だよ??

ロングハウスという言葉を直訳すると「長屋」。そういう生き方は日本にも多々在った
のです。日本人の庶民の生き方の規範は儒教的でも、キリスト教的でも、仏教的でも
ありません。本来は、かなり南方的です。
常陸筑波山などおいて、歌垣の風習が存在したことが「万葉集」などにも記録されて
います。盆踊り夜這いなど、村など特定の集団内における性の共有の事例は多々
あります。実はかなり最近まで、記録では昭和初期ぐらいまで、こんな風習が暮らしの中
にありました。昭和40年代ぐらいまであったという話もあります。
家族共有についても、取上げ親、拾い親、乳付け親、名付け親、褌親、腰巻親など
村社会における親子関係共有の事例は多々あります。
これは遅れた農村地帯に限ったことではありません。
江戸など都市圏おいても長屋の子供の通う寺子屋に、子供のいない者も連れ立って、
お祭り気分で大人みんなで見に行くなど、家族共有の事例は多々あります。
妻の貸し借りなど、性的な共有の事例もあるそうです。

私たちが子供の頃を考えても、近所のおじさんやおばさんが親のように接してくれたり、
怒ってくれたり、親のように見守ってくれることは、別に珍しいことではありませんでした。
または、物の貸し借りも。味噌を借りたり、醤油を借りたり、
作りすぎたおかずをおすそ分けしたり。
今でも「日本の米の流通量の4分の1は無料で流通している。親戚や友達の間で。」
という話もあります。
今でも地方では、今日釣れた魚とか、畑で取れた野菜とか、かなりの物が経済統計に
載らない形で流通しており、それでお金を使わずに暮らしているおじいちゃんとかおばあさん
とか沢山いると思います。

 「今日はいっぱい釣れた。あんた、黒鯛一匹、要らんね?」
 「ありがとうな。お礼にかぼちゃ一個持って帰らんね?」

シェアハウスであるとか、カーシェアリングであるとか、こじゃれた言葉が流行っていますが、
これらの到達点はロングハウス長屋的生き方の回復ではないでしょうか?
何となく、個人所有権/貨幣経済をベースとした現代経済社会に対するカウンター
のような気がします。

では、ロングハウス長屋的生き方、蝸牛N匹対N匹の愛の交換的コミューン
物々交換経済、互いを評価する経済なら、ばら色の未来なのでしょうか?

物々交換では、ある物が欲しいとき、リアルタイムに、交換するものを持った相手が
現れなければなりません。
実際にはある程度待つことをしなければ物・サービスの交換は出来ません。
交換者が現れないなら、代わりに引き渡す商品をこれ以上作っても仕方が無いので、
あなたは生産を止めます。
あなたが作っている物を欲しい人はいますが、あなたが欲しい物は作れず、別の物
しか作れないので、この人も交換できない自分の商品の生産を止めます。

誰が何を欲しがっているという情報がうまく共有されて、順繰りに生産と交換を
行えるように計画できれば良いのですがなかなか難しく、結局コミュニティー全体
として物が不足し、交換が滞留する状況が続きます。
南方のジャングルの様に自然の産品が豊富で、人間の数に比べて十分な自然産品が
得られるならば、物々交換でもそれほど待たずに必要な物を入手できるのですが、
砂漠や草原地帯などではそうはいきません。

お互いを信用して、とりあえず今出来る生産をし、交換する権利を担保するならば、
リアルタイム交換にまつわる問題は軽減されます。
でも、この「交換権の担保」とは、すなわち、信用すなわち貨幣です。
結局、問題を解決するには貨幣経済に戻らざるを得ないのでしょうか?

これについては、技術の発展、特に情報技術の発展や世界を覆う情報ネットワーク
が問題解決の助けになるかもしれません。何かが欲しいときに交換できる相手が
すぐに見つかる状況は、情報ネットワークが提供できるでしょう。
あなたが寝ている間にして欲しいサービスについては、地球の反対側の人が解決
してくれるかも知れません。
生産設備を大きな会社が独占するのではなくて、個人単位で持つことの出来る社会は、
オライリー社のデール・ダハティが言う様に、すぐにやって来るのかもしれません。
冊子6ページ目を参照)

では、心の問題は、性や家族の共有、物の所有の放棄、すなわちシェアリングに
ついては?

ロングハウス長屋的生き方、南方的生き方は、現代の私たちから見ると余りにも
能天気です。歌垣盆踊り夜這いなど、あんまりにも「おおらか」過ぎます。
乱交ヒャッハー。絶倫です。
キリスト教的、または儒教的戒律の倫理観から見たときには人倫から外れ過ぎている
ように思えます。
しかしこれらの倫理観は、明治時代以降に一般化したものです。
西洋列強と渡り合うための明治政府の施策と、百姓、農民であった日本人が国民国家
の国民になる過程において。
(全国民のサムライ化。ほとんどの人は元は百姓であったはず。)

キリスト教、または儒教、はたまたユダヤ教、イスラム教など、性的制約の強い、
父権的戒律の倫理は、自然の資産、自然の産品が少なく、人口の制限、所有物の管理
が必要な環境で発生した倫理観です。このような環境では、子作りのための性交や、
個人所有の資産の引継ぎ(出自)をキチンと管理しなければ集団は生きていけません。
日本や、中国南部、東南アジアなど、自然資産、自然産品が十分で、子供を十分に
養える環境の倫理観とは異なります。

南方的倫理観の発生した自然環境は、自然の資産は十分ですが、豊か過ぎる自然環境
が子供の命を奪うリスクが多々あります。
細菌や寄生虫等による疾病、野生動物による怪我などなど。

江戸時代は乳幼児死亡率がとても高く、14歳まで子供が育つ確率は4分の1程度。
人口を維持、すなわち親世代と同じ人数の子供を残すのは大変です。
2人の子供を残すには、8人の子供が必要。8人の子供がいても、6人は死にます。
夫婦が子供1人を作るのに要する時間は2年。子供8人なら16年必要です。
(女性の排卵時に性交しても人間の妊娠確率は1/6。よって妊娠に平均6ヶ月必要。)
(妊娠期間10ヶ月。産後ケア/授乳期間に平均8ヶ月として、全部合わせて2年。)

人口を維持できる数の子供らを残すためには16年間子作りをし続けることが必要。
昔は30歳を超えたら高齢出産ですから、30歳から16年を引くと14歳。
14歳から子作りしないと集団の人口は維持できません。

しかも、長い妊娠出産で早死にする女性も多々。
生める女、まぐわえる男はともかく頑張れです。
キリスト教的、儒教的な性倫理観で生きるなんて、絶滅への道です。
歌垣、盆踊り、夜這いなど、何でもやって子供を作り、生き残った子供を大切に育て
なければなりません。それぞれの大人が、死んでしまった我が子の想い出を抱えつつ。

すなわち、歌垣盆踊り夜這いなどや、家族の共有、取上げ親、拾い親、乳付け親、
名付け親、褌親、腰巻親などの仕組みは、人口の維持と、子や親、配偶者を失った者
への補填です。共有の仕組みを介して、誰もが配偶者、大勢の子ら、親を得るのです。

キリスト教/儒教的性倫理も、我々本来の南方的性倫理も、それぞれが生きる自然環境
に適応したものです。
集団が生き残るための選択であって、厳格でも、おおらかでもありません。
人倫から外れるどころか、生きるための道のど真ん中です。

新しい経済学的生態系、新しい技術的環境に合わせて、再びロングハウス長屋
生き方、シェアに基く新しい家族観、性倫理、シェアに基く新しい家計システムの
再構築は、やってやれないことは無いし、やるべきです。
今の規範感覚から見てどうであれ、時代に合わせた生き方の選択は人倫に外れるもの
ではありません。

確かに、ロングハウス長屋的生き方の時代には高い乳幼児死亡率という今とは違う
環境的負荷が有りました。
昔と同じように子作りに励んでいたら、人口の調整は困難になるし、生物学的父親が
不明確になることによる近親交配のリスクを無視できません。
しかし、人口調整ついては現代の避妊手段を用いれば制御可能です。
また、近親交配の管理についても、生物学的父親が不明でも、遺伝子工学の発達により、
それぞれの男女の遺伝的距離を調べることは可能です。
予め、子を作るペア、避妊するペアを定めることは難しいことではなくなります。

恋愛至上主義という無駄に高い心理的ハードル、キリスト教的貞操観念。
大人は独立して生きるべきだという観念、立法福祉の場で語られる「標準家庭」のイメージ。
様々な近現代の概念が大家族で住むこと、大勢で生活を共有することを妨げていますが、
人間が作ったものは人間の都合に合わせて作り変えればよいのです。

共有、共生によって、誰もが配偶者を得、親を得、子を得、老人は孫を得、働いている間に
子の面倒を見てくれる安心を得、生物としてのまともな生活を取り戻すのです。
お互いを喪失するリスクもヘッジしながら。

「物々交換経済」も、ロングハウス長屋的生き方、新しい家族間に基く家計経営も、
今の時代に適合させるためには、それぞれ固有の問題があります。
しかし、それらの問題は新しい技術的環境下で解決可能です。

生きるため、幸せになるためならば、やってやれないことは無いのです。
我々が経済、生き方の方向転換を出来さえすれば。

ならば、私自身頑張れ!!コミューン作るんだ。わし!!!

無理です。
そんな夢。そんな未来を信じ切れません。
長々書いてきましたが、私はここでヘコタレてしまいます。

昭和40年生まれ。個展開催時48歳。
もうすぐ50歳に手が届く私には、そんな在り方が将来あり得るとは思えても、
自分をそんな社会の一員として見なすことは困難です。
蝶や蛾のように、この身を一度溶融解体して、別な姿に化体しなければ無理。
すなわち、一度自分を辞めてしまわなければ無理。
シェア経済の有り様も、カウンターカルチャーめいた愛の共有、コミューン
とても美しく、暖かく、心優しく、はたまたどこか懐かしい生き方に思えます。
でも、私自身はそんな、祝祭的平和の中では生きて行けそうにありません。
私の人生の数少ないの宝物である妻や子供との生活を他者と共有することも無理。

美しい生き方だとは思いますが、自然保護区の生態系のように力強いようでいて、
どこか脆弱にしか感じられません。美しい石膏の作り物の様に。
冊子6ページ目にあるデール・ダハティの文にしても、何となく70年代のヒッピー文化、
カウンターカルチャー(対抗文化)の香りを感じます。
彼の言う「モノづくりテクノロジーの個人所有」は確かに起こり始めていますが、
それとても、多くの巨大産業をバックボーンにして始めて実現するものに過ぎません。
Arduinoなどに代表されるオープンアーキテクチャーハードウェアにしても、個人が
手にするのは使いやすくパッケージされた応用製品です。
ハードウェアの核となるマイコンはAtmel社という半導体メーカーが製造しています。
個人が片手間に各家庭で製造できるものではありません。
Arduino等の登場で個人が自由にモノづくりが出来るようになったといっても、
その核となるチップは工場のおっさんやおばさん達の不断の努力で作られたものです。
工程改善達成の喜び、上司との軋轢、同僚との協力、リストラの憂鬱、工場閉鎖の悲哀。
悲喜コモゴモの工場の中で作られたのです。

個人がその手にテクノロジーを手にしたと言っても、それは産業界が必死の努力で
生み出した様々な技術を応用出来るようになっただけです。
個人がそれらの技術を生み出せるようになった訳ではありません。

最近注目されているHDビデオカメラGOproシリーズは、個人がファブレスで
作り上げたものですが、それとても、産業的、技術的な環境を応用したものであって、
本当に技術をイチから作ったわけではありません。
CCDデバイスの工場の人たち、電子部品工場の人たち、基板実装工場の人たち、
レンズ工場の研磨職人、組立工場の工員のおばちゃんと生産技術員。
様々な人たちが不断の努力で積み上げた技術、技能、工場設備、物流を個人が利用
出来るという状況をうまく利用しただけです。

自分が使うものを自ら物を作る、作家としての個人製造業者ですが、同様の個人作家の
集団のみで物を作り上げることは困難です。
個人作家は、それなりの工場、長年コツコツやってきた熟練の職人が存在するという
技術的状況が有って初めて成立する存在です。
産業全体で見ればニッチな存在でしかありません。

作品A−1A−2の世界に巣食う蝸牛は教団的世界を破壊し、自らが主流に立つ訳
ではありません。
結局のところ、産業界が生み出した技術的トリクルダウン(滴り落ちるもの)を啜る(すする)
存在である様にしか思えません。

では、どうするのか?
この解決策、生き方も棄却するのか?
結局のところ、私自身はこのような生き方、蝸牛としての生き方を完全に採用すること
は困難です。

けれど、私は昭和40年生まれの、50歳を前にしたおっさんです。
おそらく日本の中では製造業的価値観、職業倫理観を持つ最後の世代の人間です。
古い人間なのです。どうしたって、私に出来る判断は古臭いのです。

スペインの産業界のトップにモンドラゴングループがありますが、いわゆる株式会社
ではなく、社員それぞれが出資運営する協同組合型の会社だそうです。
そのような緩やかな組織構築など、様々な現実的手段が有り得るのかもしれません。
私にはどうにも出来ないだけで。

これからの若い人々、人と広く交わえる人々。
コツコツと引き篭もることでしか何かを生み出すことの出来ない私の様な者ではなく、
協業によって何かを生み出し、協同で巨大工場も運営できる人々。

そういう人たちならば、選び採り得る未来なのかも知れません。
独立した個人の緩やかな連合で、フラットなアメーバの様な組織によって、
応用ではないコア技術自身を生み出すことも可能になるのかもしれません。

冊子9ページ目には自分への諦めも込めて、下記のように記しました。

「わたしはそこにはいけない。でも、あなたがたならば。」

この道は、先に進める人々に託して、自分は別の道を考えようと思います。


■ 作品番号 (D−3) →  
■ 冊子 (D−3)    →  

    冊子および作品名:

    「 肺と肋骨と大胸筋ごと
      切り取られた祖母の右の乳房と
      残りの肺より呵々と
      吐き出される彼女の笑い声と
      風呂場にて大声で吟じられる
      彼女の詩について。      」


作品D−1D−2の愛ある未来を選択できない、ヘタレであるところの私は、
これからどうすれば良いのか分からなくなりました。
愚痴愚痴と卑屈な文句のみを結論として、考えを終えるべきなのか。

2012年の9月に個人事業主として再出発した私は、新潟のある企業と組んで、製造
設備用設備のコアユニットの開発を始めました。
しかし、初号機の開発を終えた段階でその企業から設計ストップが指示され、仕事の
無い状態に陥りました。その年の11月のことでした。
他の会社と別の商談は進めていたものの不安な状態は続き、1ヶ月経った冬の頃、
色々が嫌になった私は、小雨と大風の日に、冬の海へ自転車を走らせました。

作品D−3の中央のつめた貝の殻は、そのときに冬の海岸で拾ったものです。

仕事の無い1ヶ月の間、不安なまま、何もすることが無いまま、
ベニア板に幾層も色を塗って、絵の下地なんぞを作って過ごしたのですが、
その下地の上に貝殻を置いたのです。

青く、少しざらざらした下地は着物の様に見え、貝殻は乳房の様に見えました。
そして、祖母と、祖母の失われた乳房と、祖父母夫婦の生き様を思い起こしました。

冊子4ページ目に記した通り、私の祖母は乳がんで片方の乳房を失っています。
片方の肋骨ごと、肺臓とも。
片方の胸は膨らみどころか、肋骨の為す円筒面も失い、逆に凹んだ円筒面を為して
いました。50歳の頃。私の年よりも少し上の年の頃。

乳房は女性の、母性の象徴で、大事なものの筈ですが、その喪失も大して気にせず、
孫の私に傷跡を見せてくれました。

 「すごかろうが。つついてみるか。ほれほれ。」

乳房の、肋骨の、肺の喪失は一つの武勇伝であって、
人生の物語をへし折る様なものでは無く、
逆にその喪失と生き残りの物語は人生の勇ましい大枝であって、
残りの肺で、彼女は呵々(かか)と笑い、詩吟を唸り、
老後の手習いで俳画(冊子3ページ目)を描き、
当時はハイテクのテープレコーダーにまで手を出し、
明るく、ごつく、逞しく生きていました。

祖母と祖父は、洋裁家であり、桶職人であり、林業を営み、不動産に手を出し、
米作りに励み、出来ること、出来そうなことは何でもやった「百姓」でした。

百姓」とは農民のことではありません。
百の「姓」すなわち百の職業であって、なんでも出来ることをやる者のことです。
彼らは、大正デモクラシー大正モダンボーイ、モダンガール冊子2ページ目)の時代から、
太平洋戦争、戦後復興に至る時代を、身一つ、自らの腕力のみで生き抜きました。

子供の頃、西郷輝彦主演の「どてらい男(どてらいやつ)」というテレビドラマ
ありました。祖母、祖父が生きたのと同じ時代を描いたドラマでした。
祖父母の人生と同様に、荒々しく、痛く、甘く、苦い、逞しい人生の物語です。
ドラマの主人公は奉公先でいじめられたり、戦争に行ったり、七転八倒しますが、
その度に立ち上がり、成り上がります。
妻の祖父母の物語も似たような彩りに満ちているので、あの時代の日本人の生き様の
一つの典型なののかも知れません。

祖父も祖母も色々な仕事をしましたが、色々なものを喪失しています。

祖父は新兵検査で体格不足の判定を受けて男子として否定され、
頑張って建てた家の金具一式を戦時の物資徴収で持って行かれ、
林業で儲けた財産をタバコの不始末で灰塵にしてしまい、
祖母は幼い子を病で、乳房を癌で失いました。

彼らは泣き叫びこそすれ、動くことは止めず、喪失も人生の武勇伝として受け入れ、
呵々(かか)と笑って生き抜きました。

私も確かに一生の仕事と思っていた仕事を失いました。祖母の乳房喪失と同じ年の頃に。
だけれど幸いに、私には出来ることがまだ多々あります。
作品D−1D−2で述べた蝸牛の様な生き方は選びとれなくても、
祖父母の様に、百姓の様に、自分に出来ることをして、生業を一つに拘らずに生きる
ことは出来ます。今回の個展にしても、自分に出来ることの一つとして行った次第です。
収益化はナカナカ難しいものの。

出来ることがあるなら、拘らずにしてみよう。
ただし、自分の名前を失わずに。人を縛る悪意には関わらずに。
動いていれば、生きては行けるかも。駄目なら、どうせ駄目。
人と関わるのが苦手でも、作るものを通じて世界と関わることは出来る。

歩けるうちは、歩いて行こう。とぼとぼ、ぐつぐつだけど、まあ良いや。

これがとりあえずの本個展の感情的結論です。

 壁D  各作品の説明 (D-1、D-2、D-3)


■ 作品番号 (D−1) →  

    作品名:

    「 わたしがあなたを食べるのならば、
      あなたはわたしを食べて良い。
      あなたがわたしを食べるのならば、
      わたしはあなたを食べて良い。  (1+1) 」


タイトルは両性具有、雌雄同体の者の交尾を示します。
お互いを食べて食べられるのが性交であるとして、あなたとわたしの入れ替えで
精子の交換を表しています。あなたとわたし、1対1の交換関係です。

作品は上記を比喩として、生産者/消費者同体の者同士の物々交換を示します。

左図は製作前のイメージ図です。
この段階では工法等の詳細は未定。
タイトルはほぼ確定していました。
実際の製作前の試作。
愛を交わす触手は川原で取った草の根を使っています。
最終的には、もう少し太さのある木の根を使いました。

また、この段階では作品の筐体に石膏を使用しておらず、
はかない、壊れやすいものという印象を組み込みきれていません。


■ 作品番号 (D−2) →  

    作品名:

    「 わたし達があなた達を食べるのならば、
      あなた達はわたし達を食べて良い。
      あなた達がわたし達を食べるのならば、
      わたし達はあなた達を食べて良い。
      わたしの雫を受け取るならば、
      あなたの雫を受け取ろう。
      あなたが卵を生む様に、
      わたしも卵を産むでしょう。
      長雨が降る。日が照り映える。
      葉裏で、皆で、眠りましょう。
      そのようにして、長いしとねのその内に、
      子らの園は広がる。           (nxn) 」


タイトルは作品D−1のタイトルを単純複数形に拡張したものです。
実作品も複数の交わり(乱婚、シェア)と子らの増殖を表現した、作品D−1の拡張版。

生産者/消費者同体の世界の物々交換市場。

左図は作品D−1の試作画像を処理して作ったテスト画像。

実作品は、10匹の蝸牛が触手を交し合っています。
冊子7ページ目の生産者消費者同体の世界の図と同一。


■ 作品番号 (D−3) →  
■ 冊子 (D−3)    →  

    冊子および作品名:

    「 肺と肋骨と大胸筋ごと
      切り取られた祖母の右の乳房と
      残りの肺より呵々と
      吐き出される彼女の笑い声と
      風呂場にて大声で吟じられる
      彼女の詩について。      」


祖母が良く風呂場で詩吟を唸っていたので、つめた貝の乳房の入れ物は風呂桶の様に
しました。彼女の乳房を風呂に入れてあげたかったので。

箱の表面を覆うタイル状の構造は、アクリルのモデリングペーストを厚塗りしたものを
カッターナイフで切り出したものです。
彩色してから透明なグロスメディウムを重ねています。
青くザラザラした板は着物の布地のつもり、ベンガラを塗った赤茶色の板は、着物の帯
のつもりです。
箱の内側を青く塗っているのは風呂桶にはった湯のつもりです。
貝殻とともに乳房を造形しているピンク色の素材は、ガラスビーズを混ぜたメディウム
です。ビーズでデコボコさせたのは、祖母の乳房が癌で失われたということ。

 壁隅 CD 「すみっこで生きていくよ。」 の説明

■ 壁隅CD/作品CD の作品ページ →  

   「すみっこで生きていくよ。」

     毎年、毎日、経済産業社会のすみっこでは、沢山の本当に沢山の中小企業が頑張っています。
     だぁれも気にかけはしないけれど。
     小さな企業なのに、びっくりするほどの成果をあげ、シェアと、利益を確保して。
     大学先輩の勤めるコンクリート離型剤の会社も、大人のおもちゃと米スマホ関連のあの会社も、
     しっかり生き抜いています。


その8 (説明4 壁E、F)     →  
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