日本古代史
倭国と日本国の関係史
複数資料に整合する日本古代史を求めて
 
 
      By Isshun  
 
   News  Profile  Link Mail    Books 倭と山東・倭・日本 倭人と北東アジア系渡来人の歴史amazon kindle  
   【概論】
 はじめに
 日本古代史を科学する
 日本人の起源と系統について
 日本人の起源と系統について 2
 倭人の国について
 「やまと」について
 日本国について
 日本人誕生の意味
 九州の倭国と『日本書紀』の日本
 倭国と日本国-通史
 
 【随想 小論】
 日本古代史 随想 
 雑考ノート

 
【図解】
 古代船野生号 航行図 New
 
『魏志』と『隋書』の行路 比較図 New
 山東と山西 位置関係図 New
 倭国と日本国 関係図 New

 
【資料】
 中国・朝鮮史料の紹介
 中国史書の倭と日本(原文比較)
 日本の金石文
 百済三書
 任那加羅
 加耶

 翰苑(新羅 倭國)
 高句麗広開土王碑文
 元興寺伽藍縁起并流記資財帳
  任那加羅・加耶
 『日本書紀』の任那 要約版
 
年表 百済滅亡-白村江敗戦
    〈古鏡〉
 主要紀年・銘文鏡一覧
 九州北部-畿内 出土鏡比較

 干支早見表
 参考文献・図書

  【更新記録】
 
卑弥呼の国・邪馬臺国はどこにあったのか。それを解く鍵は『隋書』俀国伝行路記事の中にあった。「東」「海岸」「十日」である。これら三つの語句が持つ本当の意味とは。私の日本古代史探求のすべてはここから始まった。
『隋書』俀国伝と真摯に向き合うこと、それは一連の古代史資料に整合する、真実の歴史へ辿りつくための第一歩である、と私は確信している。

 
倭人・倭国の登場
弥生時代は水稲耕作と共に訪れた。
水稲が中国江南から伝わったルートは倭人の渡来ルートでもある。『漢書』地理志以来、中国史書は日本列島に倭人の国があったことを伝える。
57年倭奴国王は倭を代表する王として後漢光武帝から印綬を授かり、107年には帥升が倭国王としてはじめて後漢に遣使した。
倭国は九州島
『隋書』は俀国(倭国)は九州島であることを記し、俀国の都・邪靡堆(邪馬臺)を有明海北東部沿岸へと導く。『魏志』倭人伝からは卑弥呼の国には辿り着けないということは、『魏志』倭人伝自身そして邪馬国研究史が証明している。『魏志』倭人伝は我田引水の道具にされてしまったが、『隋書』と併せて考えるとその行程が見えてくる。
『旧唐書』と『新唐書』の「二つの小国日本」は、「畿内日本の成り立ち」と「九州倭国と畿内日本の関係」を映し出している。
「やまと」の語源は「山東」
「邪馬台」と書く国は史書には存在しない。「邪馬壹」「邪馬臺」あるいは「邪靡堆」である。「臺」と「台」は別字であり、「臺」を「台」に置き換えることはできない。
『日本書紀』は「臺」と「台」を使い分け、しかも「臺」を「ト」とは読まない。『万葉集』も「臺」を「ト」とは読まない。「邪馬臺→邪馬台→ヤマト」は成立しないことになる。
「元興寺伽藍縁起并流記資財帳」は「やまと」を「山東」と記す。
饒速日(ニギハヤヒ)が治めた河内の日下(ひのもと)とその「山の東」にあったことから「山東(やまと)」と呼ばれた地は、東進してきた別の倭種(彦火火出見=イワレヒコ=神武天皇)の治める国となり、その国はやがて倭人の国を意味する「倭」をもって「やまと」と呼ばれるようになった。
日本国と日本人の誕生
最新の遺伝子等の研究によれば、現代日本人は北東アジア系である。
「山東」にやってきて「やまと」となったもう一つの倭人の国は、北東アジア系渡来人の増加により、倭人の国から北東アジア系の血を濃く引く国となった。
九州倭国の白村江敗戦後、畿内の「倭(やまと)」は「倭」という字を避け、饒速日の国「小国日本(ひのもと)」の名(字)をとり「日本(やまと)」と改名(改字)し、ここに日本そして日本人が誕生した。
『日本書紀』は百済人が書いた
「上代特殊仮名遣い」という現象、百済滅亡、白村江敗戦、統一新羅誕生という半島情勢、日本人は北東アジア系であるという事実は、『日本書紀』が日本人となった亡国の民・百済人によって書かれたものであることを示唆する。
そうであれば、白村江敗戦の相手国・新羅より優位に立つ日本を描く『日本書紀』の目的も理解できる。