任那加羅・加耶


この表は『日本書紀』・朝鮮史料・中国史料に基づき作成した。

史料 国名 国名(十国) 県・邑・他 特記事項
日本書紀 任那 「去筑紫國二千餘里 北阻海以在鷄林之西南」「武哿左屨樓 以祇能和駄唎鳴 梅豆羅古枳駄樓」
任那は、筑紫から二千里、壱岐の海峡を渡ったところにあり、北には海があり、鷄林の西南にあった。
加羅 新羅平定により任那となる。百済と新羅に隣接している。
多沙津 当初日本府があった。百済に下賜される。
刀伽(城) 新羅に取られる。
古跛(城) 新羅に取られる。
布那牟羅(城) 新羅に取られる。
安羅 新羅平定により任那となる。加羅の次に日本府が置かれた。日本府は562年新羅によって滅亡する。新羅との国境には大きな川がある。以下の縣・村・邑・城は毛野臣の行動から安羅にあったと推測される。
下韓(南韓) 北は高麗に接し、新羅にも近い。百済の郡令が置かれていた。
多々羅(村) 毛野臣の失策により新羅に取られるが、600年に戻される。
須那羅(村) 同上
和多(委陀)(村) 同上
費智(弗知鬼)(村) 同上
久斯牟羅
己叱己利(城)
背評(能備己富里)
伊斯枳牟羅(城)
久禮牟羅(城)
騰利枳牟羅(城) 毛野臣の悪政により、百済と新羅に落とされる。
布那牟羅(城) 同上
牟雌枳牟羅(城) 同上
阿夫羅(城) 同上
久知波多枳(城) 同上
斯二岐
多羅 新羅平定により任那となる。
卒麻
古嵯
子他
散半下
乞飡
稔禮
その他の任那 南加羅 新羅平定により任那となるが再び新羅となる。
[口彔]己呑 新羅平定により任那となるが再び新羅となる。
卓淳 新羅平定により任那となるが再び新羅となる。
比自[火本] 新羅平定のときの一国であるが、任那十国には含まれていない。
下哆呼唎(縣)
久麻那利(邑) 百済に下賜される。
上哆唎(縣) 百済の国境に近いところにあった。百済に下賜される。
下哆唎(縣) 百済の国境に近いところにあった。百済に下賜される。
娑陀(縣) 百済の国境に近いところにあった。百済に下賜される。
牟婁(縣) 百済の国境に近いところにあった。百済に下賜される。
己汶 百済に下賜される。百済と伴跛に挟まった地のようである。
帶沙 百済に下賜される。小呑に隣接し海に面している(帶沙江)。
小呑 伴跛に隣接しているようである。
伴跛 任那に属しているのかどうかも不明である。
朝鮮史料 六加耶 金官(駕洛、加耶) 金海。海に近い。
五伽耶 阿羅(耶、那)伽耶 咸安。海に近い。
古寧伽耶 咸寧。
大加耶
(加耶、加羅、加良)
高霊。内陸部で、新羅の南に位置する。
星山伽耶 京山あるいは碧珍。
小伽耶 固城。海に近い。
比自火(比斯伐) 昌寧(火王)。『三国遺事』「五伽耶」で誤りとされている非火のこと。『日本書紀』に似た国名があるが、同一国とは思われない。
任那加羅(加良) 中国資料の任那加羅と同じ。
多婆那(龍城) 倭国の東北一千里のところにある。
中国史料 加羅(『南齊書』) 三韓種。朝鮮史料の高霊の大加耶(加耶、加羅、加良)。
任那加羅(『翰苑』) 新羅の南7、8百里のところに並んである二つの国。任那は『日本書紀』の任那と同じ。加羅は朝鮮史料の「任那加羅(加良)」の加羅(加良)であり加耶ではなく、『日本書紀』の加羅でもない。


※一部表現を変更するとともに、『日本書紀』その他の任那に下哆呼唎縣を追加した。2007.06.01
※『日本書紀』は、任那は対馬であるかのような表現をしている。しかし、任那は646年に新羅領となるが、対馬にはそのような歴史はない。なぜこのような表現になったのかについては、『日本書紀10の秘密』で私見を述べさせてもらった。2019.07.04


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