プログラム

 プログラムとは、本来英語で「予定」や「計画」を意味する言葉である。学校の運動会の競技予定などをプログラムと呼ぶのはそのためである。コンピュータが登場すると、コンピュータに特定の演算の予定を与える事や、そのためのソフトウェアを指すようになる。ファイナルフュージョン・プログラムなどはその典型と言えよう。コンピュータの演算速度は人間を遥かに凌駕する。よって人間が随時指令を出すよりも、一定の手順、特定の決められた作法に従って自動的にコンピュータに演算を指令するプログラムの存在は、今や人間とコンピュータにとって無くてはならないものになっている。
 本来人工物は全て何らかの目的遂行のために造られる。古くは、人間の能力の延長や、高度化のために、数々の「道具」が創造された。より時代が進むと、それらは人間の負担をより軽減するために自動化が図られる。それはコンピュータの登場と、その急速な進歩に伴って、爆発的に進行した。現在の我々の生活は幾多のコンピュータの幾重ものオートメーションによって機能しているといっても過言ではない。そして三重連太陽系において、プログラムはより目的遂行を効率化し、かつ安全性を獲得するために、遂に知性を与えられるに至った。三重連太陽系では、プログラムとはもはや、特定の目的を自律的に遂行する、人工的に創造された知性体一般を指す言葉となっているのである。
 最も端的な例は、ジェイアークに集った戦士たち、ずなわち「対機界31原種戦用生体兵器」であるアルマこと戒道幾巳少年、アルマの護衛兼対機界31原種実働行使力たるソルダートJ、そして彼らの拠点であり、最大の戦力であるジェイアークの全運行を管理運営する生体コンピュータたるトモロ0117であろう。彼らには確固とした人格もあり、時に人間以上に人間的な感情を覗かせる事さえあるものの、その出自は紛れも無く人工知性体であり、ただ機界31原種を殲滅し、マスタープログラムを浄解する事で、ひいては三重連太陽系を護る事のみを目的としたプログラムなのである。また、ギャレオンジェネシックマシンもまた、本来的にソール11遊星種に対抗する目的で建造され、自律行動を行いうるAIを搭載されたプログラムである。一方ゾンダーメタルは、本来は知的生命体に蓄積される精神的負荷、すなわちストレスを物理的に除去するために構築されたシステムであるが、重金属によって構成されたウィルスのような特性を有してはいるものの、知性体ではないために、純粋にプログラムと呼ぶには微妙な立ち位置にあるだろう。むしろそれらを統括する機界31原種こそ、全宇宙の知性体を機界昇華するという目的遂行のためのプログラムと言えよう。地球においても、超AIを有するロボットたちも一種のプログラムといえるかもしれない。
 GGGと共に機界31原種と戦い、またソール11遊星種の脅威からも宇宙を護ったギャレオンやジェイアークの戦士たちを無味乾燥に「プログラム」と呼称する事に、我々は戸惑うだろう。彼らは目的遂行のみの存在とするには、あまりに我々とのシンパシーが強すぎる、つまり感情移入できてしまいやすいのである。繰り返すが目的のない人工物は、基本的に存在しない。そして多くの人工物はその目的を達成するためだけに存在している。言い換えれば、その目的が達成されたとき、その人工物は存在意義を失う。つまり必要でなくなるのである。特に特定の勢力の撲滅という、特殊な目的を持った人工物であればなおの事だ。いつかまた使う可能性がある、例えば鋏などとはレヴェルが違う。ギャレオンや戒道少年たちは、自分たちが必要とされなくなる日を、自分たち以外の人々にもたらすために、その生命をかけて戦う事を生まれながらに義務付けられている。いつか誰からも必要とされなくなるために戦う者たちが、いわゆる「心」を持っている事が、ある意味では極めて残酷な事のように我々には思えてならない。なぜ彼らに人格、ひいては心が必要だったのか。目的のない人工物が存在しない以上、人工物が目的も無くその能力や機能を与えられる事もまたありえない。彼らを創造した者は、なんのために彼らにそれを与え、そして何をさせようとしていたのか。答えを知る者は最早いない。
 現実的な理由として、GストーンやJジュエルが知性体の感情に反応して、エネルギィを増減させる特性を持っていたため、それを動力源とするプログラムにも感情を与えざるを得なかった、という事が考えられる。実際に、不屈の闘志を有していたソルダートJは、本来31体で対抗するはずだった機界31原種に対して、殆ど単艦で戦いを挑み続け、最終的にはGGGとの協力を経て、Zマスター浄解に成功している。
 しかし、プログラムたちが三重連太陽系において、どのような社会的地位を有していたのかはまったく不明である。というのも、彼らは人間とほぼ同様の姿と人格を持っていても、能力は遥かに人間を凌駕している。それゆえに多くの制約を課せられていた事は間違いない。彼らに一般の人間と同じ権利を与えれば、社会を支える第一線はすべてプログラムが占めることとなり、大きな社会的混乱を招く事は必定だからである。彼らはその強力な能力と引き換えに、特定目的に努めることのみを許された者たちだったのだろうか。あるいは、彼らが社会の第一線を支えたとしても、それはあくまで作業としてであって、そこに彼らの自由意志はなかったのかもしれない。三重連太陽系の科学ならば、彼らに自身の役目を果たす事こそが最も喜ばしいのだと思い込ませる事さえ出来るのかもしれないし、そうであるならば彼らは「幸福」であると言えなくもない。しかし、それは力ある「奴隷」でしかないのではないか。そんな疑問が拭い去れない。彼らが、たとえば「Jジュエル凍結コマンドは、我々と人間との信頼関係を損ねるものだから除去して欲しい」と訴えても、それが容れられるとは到底思えない。危険度が大きすぎるからだ。戒道少年が自身を「破壊マシン」と称したように、彼ら自身が、自分たちは人間ではないと「わきまえる」ことによって初めて安定的に運営される、それが三重連太陽系の社会だったのだろうか。もちろん三重連太陽系に住む人々の社会感覚を我々の尺度で一方的に断じることはできないし、するべきではない。またプログラムたちも、こうした人間の過度な自己投影を迷惑と感じるかもしれない。それにしても、と思わざるを得ないのは、役目を終えた彼らに何が残されるのだろうか、ということに思いを致さざるを得ないからだ。ソルダート・J−019は、役目を失った絶望ゆえに、自らゾンダーメタルを受け入れた。そうした大小の悲劇を飲み込んでまで、彼らに人格が与えられた理由とは何だったのか。それはやはり、機界31原種の台頭による三重連太陽系の危機と無関係ではないのだろう。GストーンやJジュエルを運用するに当たり、これこそが有効なのだと緊急避難的に人格を持ったプログラムたちが導入されたのではないだろうか。
 そして青の星で、その有効性は見事に立証された。そしてプログラムたちの前には、自分たちを必要としない世界と時間が茫洋と広がっている。彼らの真価が問われるのは、これからかもしれない。何を目指し、何をなし、そして何をしないのか。決めるのは彼ら自身だ。その権利も能力も、彼らにはある。だから我々に出来るのは、彼らの意志を支え、見守る事だけ。つまりは、人間と同じ、ということなのかもしれない。