聖書の福音

呪いに替えて祝福を


「キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである。」と書いてあるからです。

このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。」

ガラテヤ人への手紙3章13,14節

 神は人間に律法を与えら れました。その律法を守り行えば祝福を受け、守れなければ罰を受けるというものです。しかし、人間は誰もその律法を完全に守ることができませんでした。つ まり、律法によって呪いを受ける者となっていたのです。しかし、イエス・キリストが私たちの代わりにその呪いを受けてくださいました。

「木につるされた者は、神にのろわれた者だからである。」 申命記21章23節

神の御子であるお方が、罪人の代表として十字架にかかって死んでくださったのです。なんということでしょうか。本来私たちが受けなければならなかった神の恐ろしい呪いを身代わりとしてお1人で全て受けてくださったのです。

 そしてその結果、私たちは呪いを免れたばかりではなく、祝福が与えられました。かつて、アブラハムに対して約束された神の大いなる祝福を私たちに与えてくださったのです。

「アブラハムは必ず大いなる強い国民となり、地のすべての国々は、彼によって祝福される。」 創世記18章18節

私たちは神の前に罪に汚れた者であり、本来、呪いを免除してもらう資格も祝福を得る資格も無い者です。しかし、神は一方的な恵みによって私たちへの呪いを取り除き、その替わりに祝福を与えてくださいました。

 私たちはそのことを心から感謝して受け入れるべきではないてしょうか。

「何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、その信仰が義とみなされるのです。」 ローマ人への手紙4章5節