聖書の福音

牢屋番の救い


この命令を受けた看守は、ふたりを奥の牢に入れ、足に足かせを掛けた。
真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。
ところが突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまちとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまった。
目をさました看守は、見ると、牢のとびらがあいているので、囚人たちが逃げてしまったものと思い、剣を抜いて自殺しようとした。
そこでパウロは大声で、「自害してはいけない。私たちはみなここにいる。」と叫んだ。
看守はあかりを取り、駆け込んで来て、パウロとシラスとの前に震えながらひれ伏した。
そして、ふたりを外に連れ出して「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか。」と言った。
ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」と言った。
そして、彼とその家の者全部に主のことばを語った。
看守は、その夜、時を移さず、ふたりを引き取り、その打ち傷を洗った。
そして、そのあとですぐ、彼とその家の者全部がバプテスマを受けた。
それから、ふたりをその家に案内して、食事のもてなしをし、全家族そろって神を信じたことを心から喜んだ。
(使徒の働き16章24〜34節)


今から約2千年前、イエス・キリストが十字架の死からよみがえられた後の事です。
パウロとシラスという、2人のクリスチャンが伝道旅行の途中で、不当に逮捕されました。
そのときの看守(牢屋番)とその家族が救われたお話です。

ある夜、突然地震が起こり、牢屋の扉が全部開いてしまいました。
しかし、パウロたちは逃げませんでした。
それを見た看守は、この人たちが本当に神を信じ、神が2人を守っておられることを悟り、
「救われるためには何をしなければなりませんか。」と尋ねました。
看守という職業上、人が罪を犯したならその報いを受けなければならないことがよくわかっていたのでしょう。

人間の法律では、その罪が明らかになった時にしか裁かれませんが、
神の前には、全ての罪が明らかにされています。
聖書の示す「救い」とは、罪とその裁きからの救いです。
人間は皆生まれながらに罪の性質を持っており、その結果として罪を犯します。
つまり、罪を犯すから罪人なのではなく、罪人だから罪を犯すのです。

また、神は義なる神、正しい神であり、人間の罪をそのまま見過ごすことはおできになりません。
ですから、全ての人にとって「救い」が必要であり、
「救われるためには何をしなければなりませんか。」と問う必要があります。
そしてその問いに対する答えは、「主イエスを信じなさい。」です。
イエス・キリストは、神が私たちに与えてくださった唯一の救い主であり、
私たちが救われるためにしなければならないことは、
良い行いや多くの捧げ物をすることではなく、この方を信じることです。
良い行いで救われようとするなら、神の前に完全に清く正しく歩まなければなりません。
また、捧げ物によって救われようとしても、全てのものは神が造られたものであり、神の所有物ですから、
神に受け入れられる捧げ物を私たち人間は持っていません。

私たちが救われるには、イエス・キリストを信じるしかないのです。

イエス・キリストを信じるとは、キリストの全てを受け入れることです。
キリストが神の子であり、神の全ての性質を持っておられること、
人間の姿を取ってこの世に来られ、
私たちの身代わりとして十字架にかかって死に、そしてよみがえられたこと、
すなわち、キリストの性質、力、歩み、言葉、その全てを疑わず受け入れることです。
それによって神はあなたを裁くことをやめ、逆に神の子として受け入れてくださるのです。


「そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」とパウロたちが言ったように、
信じる者は誰でも救われます。貧しい者も、弱い者も、年老いた者も、
どのような者でも、イエス・キリストを救い主と信じるなら、救われます。
どうぞ、このすばらしい救いをご自分のものとしてください。