聖書の福音

パウロの弁明


「こうして、私はこの日に至るまで神の助けを受け、堅く立って、
小さい者にも大きい者にもあかしをしているのです。
そして、預言者たちやモーセが、後に起こるはずだと語ったこと以外は何も話しませんでした。
すなわち、キリストは苦しみを受けること、また、
死者の中からの復活によって、この民と異邦人とに最初に光を宣べ伝える、ということです。」
「ことばが少なかろうと、多かろうと、私が神に願うことは、
あなたばかりでなく、きょう私の話を聞いている人がみな、
この鎖は別として、私のようになってくださることです。」
(使徒の働き26章22〜23、29節)


これは、パウロという昔のクリスチャンが王の前で弁明をしているところです。

パウロは伝道者として多くの地域で人々に福音を語りましたが、

その内容は限られていました。

「預言者たちやモーセが、後に起こるはずだと語ったこと以外は何も話しませんでした。」

と彼は語っています。

預言者やモーセたちが語ったこととは、イエス・キリストが

救い主として十字架の上で死に、また、よみがえられたということです。

聖書はたいへんぶ厚い書物で、色々なことが書かれてありますが、

私たちが救われるために知らなければならないことはごくわずかです。

もし、聖書の隅から隅まで全て知らなければ救われないというのなら、

本当にわずかな人しか救われないでしょう。

しかし、福音の基本的かつ重要な部分は、イエス・キリストの十字架での死と復活です。

パウロは別の個所でも同じように


「私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、

私も受けたことであって、次のことです。

キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、

また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、

また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。」

(コリント人への手紙第一15章3〜5節)

と語っています。


また、パウロは「小さい者にも大きい者にもあかしをしている」と言いました。

神の救いは、全ての人に与えられています。

そこには、人種、年齢、性別、能力、一切の制限がありません。

信じるなら誰にでも救いは与えられます。


「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。 」

(テモテへの手紙第一2章4節)


そして、「私が神に願うことは、

あなたばかりでなく、きょう私の話を聞いている人がみな、

この鎖は別として、私のようになってくださることです。」

ともパウロは語りました。

このときのパウロは、クリスチャンという事で捕まえられ、

鎖につながれていました。

外見だけ見るなら、誰もパウロのようになりたいと思いはしなかったでしょう。

しかし、パウロは自分が持っている救いと、それによるすばらしい希望を

他の人にも持ってもらいたいという思いでこのように語ったのです。

「自分のようになってほしい」と、胸を張って言える人は少ないと思います。

私たちクリスチャンは、パウロと同じように、

外見では決して誇ることもできませんが、

内に持っている希望については、胸を張って誇ることができます。

そして、この希望と喜びを皆さんにも持ってもらいたいと望んでいます。

人がもしすばらしい情報を手に入れたとしたら、

親しい人にも教えてあげたくなるでしょう。

すばらしい物を手に入れて、それが分けられるものなら、

親しい人にも分けてあげたくなるでしょう。

私たちクリスチャンが皆さんに福音をお伝えするのは、

自分の利得のためではなく、

教会の拡大のためでもありません。

純粋に、自分が得たすばらしいものをともに分かち合いたいという思いから

お伝えしているのです。

どうぞ、このイエス・キリストによるすばらしい救いと希望を

ご自分のものとされますように。