聖書の語る罪について、簡単にご説明します。
的外れの罪
聖書の語る罪の根本は、人間が神から離れて自分勝手に生きるようになったことを示しています。
聖書の「罪」という言葉の原語には、「的外れ」という意味があります。
人間はもともと神によって造られ、神と交わる存在であったのに、
神の命令にそむき、神から離れて自分の思いのままに生きるようになってしまいました。
「神を求める人はいない。すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。」(ローマ人への手紙3章11,12節)
不完全な義
神は完全に義なる方であり、完全に正しい方です。
その方に認められるには、私たちも完全に正しくなければなりません。
99%正しくても、1%正しくなければ、神の前には罪人です。
人間でも、きれい好きな人ほど、少しでも汚れているものは気になるでしょう。
完全に聖い神の前には、一点の汚れも許されないのです。
旧約聖書の時代に、神はモーセを通して十戒を与えられました。
それを全て守れば神の祝福を得ることができましたが、
残念ながら、誰も完全に守り行うことはできませんでした。
「義人はいない。ひとりもいない。」(ローマ人への手紙3章10節)
罪の性質と罪の行い
人間には生まれながら罪の性質があります。
その性質のために罪を犯します。
人は罪を犯すから罪人なのではなく、罪人だから罪を犯すのです。
人間の社会では、罪を犯して始めて罰せられますが、
神は人間に対して、その罪の性質のゆえに裁かれます。
神の前における罪
聖書の語る罪は、人間同士の間の罪ではなく、人と神との関係における罪です。
人間間の罪の問題ならば、人間の仲裁者によって解決することができますが、
神と人との間の問題は、第3者の人間によって解決することはできません。
もちろん、自分で解決することもできません。