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マラッカの虹(31-40)に戻る

41

私たちが降りていくと、ギャングたちは皆死んでいた。凄惨な有り様だった。
ロイが死んでいた。洋子は無事だった。岩陰にじっと伏せていた。
「洋子、もう大丈夫だ」
私が言った。
「アリー!!」
洋子は私の腕の中に飛び込んできた。長い恐怖から解放されたあまり、涙を流していた。
「ロイはどうしたんだ?」
「手を引っ張って岩陰に隠れたけど、撃ち合いが始まってから、怖くなったのか岩陰から飛び出したの。流れ弾に当たったみたいだわ」
洋子はしゃくり上げながらそう言った。
「ロイ……」
私がガイドに雇ったばかりに、命を失わせる羽目になってしまった。私はひどく胸が痛んだ。
「ガイドは気の毒だった。ギャングたちの弾が当たったらしい。冥福を祈ろう」
タイ少佐は神妙な表情で言った。
「しかし、これで山下の宝を見つけられる」
タイ少佐とスミトロ上等兵は、抱き合ってる私と洋子より先に鍾乳洞の方に歩きだした。
そこにパンパンと銃声が起こった。反対側の茂みに隠れていたギャングが発砲したのだった。
弾丸はタイ少佐とスミトロ上等兵に当たった。タイ少佐は倒れ際にギャングを撃ち殺した。
「少佐!スミトロ!」私は叫んで二人に駆け寄った。
スミトロ上等兵は頭を撃ち抜かれて即死していた。タイ少佐にはまだ息があった。
「ハシルの言う通りゲリラは八人だったな。反対側にもう一人見張りがいたとは……。油断したよ……」
私は少佐を抱え起こした。
「少佐、生きてくれ!」
私は弾丸が食い込んで血の溢れた少佐の胸を見ながら叫んだ。
タイ少佐は力無くニヤリと笑った。
「とうとうヤキがまわったのかな。私は死ぬ前にマルクス万歳なんて言わないぜ。アリー……」
タイ少佐はがくりと頭を下げて死んだ。
「少佐!!」
私は無念の余り絶叫した。
ロイにスミトロ上等兵にタイ少佐……。死ななくていい人間が皆死んでいった。
バリー・キャニオンの周りに静寂が訪れた。信条は違えども、私と理解し合えるタイ少佐が死んだのは、無念でしょうがなかった。寂寥感が私を包んだ。
結局、私と洋子の二人だけが生き残った。

42

私と洋子は、シャベルで穴を掘ってロイとスミトロ上等兵、タイ少佐を埋葬した。小さな石の墓標も三つ立てた。
時刻は午後一時になっていた。私と洋子はシャベルを持ったままバリー・キャニオンに入った。乾期のため、水門は開いていた。懐中電灯を頼りに暗い鍾乳洞の中へ進んだ。
それでも昼間でどこからか日の光が射しているらしく、ぼんやりと中の様子は見えた。
懐中電灯で前を照らしながらゆっくりと進んだ。幻想的で神秘的な細長い鍾乳洞が続いた。意外に長い鍾乳洞だった。
ゆっくり歩いたせいもあるが、三十分程も歩いて、行き止まった。
行き止まった鍾乳洞の壁にはオラン・アスリが描いたと思われる竜の大きな壁画があった。年季が入っていて数百年は経っていそうな壁画だった。
「さて、日本軍は宝を何処に隠したのかな。君ならどこに隠す?」
「さあ、皆目見当がつかないわ」
「バリー・キャニオンって〃竜の眼〃と言う意味だったよな」
私は壁画の竜の絵の、竜の眼あたりを懐中電灯で照らしてみた。私はじっくりと眺めた。
「あの竜の眼が、この岩を睨んでいる様には見えないか?」
壁画の手前に小さな五十センチくらいの高さの岩があった。
「ここでボーッと考えていてもしょうがない。とにかく信じてこの岩の下を掘ってみよう」
私と洋子はシャベルで岩の周りを掘ってみた。二十分近く掘ってみただろうか。
シャベルが何か固い物に当たった。
「何か固い物にシャベルが当たってるぞ。このまま掘り出してみよう」
暫く掘り続けると固い鉄の箱の上部が出てきた。
「やったぞ!ビンゴらしい」
「本当だ!」洋子も叫んだ。
私たちは鉄の箱を掘り出した。それはちょうど小さな岩の真下にあった。深さ約一・五メートル下に鉄の箱はあった。それも一つではなく四つの大きな鉄の箱と小さな箱一つだった。
私たちは汗だくになってこれらを掘り出した。箱にはそれぞれ鉄の鍵が付けてあったが、シャベルの先を思い切り叩きつけて壊して開けた。
「金塊よ!夢みたい」
洋子が興奮して叫んだ。
四つの大きな鉄の箱にはそれぞれ金塊が入っていた。金塊は溶かしてあって巨大な固まりになっていた。そして小さな箱を開けてみると、きらめくばかりに美しい〃マラッカのガルーダ〃があった。
「凄い。何て綺麗なの」
〃マラッカのガルーダ〃は両翼を拡げた長さ五十センチくらいの神の鳥の彫像に、ダイヤやエメラルド・ルビーなどがびっしりと埋め込められていた。それはこの世の物とは思えない様なきらめきを放っていた。
「この〃マラッカのガルーダ〃は、持って帰れるな。しかし金塊は重すぎる。僕たち二人で持って帰るのは無理だ。今度来る時に準備をして人数を揃えて持ち帰るしかないな」
「でも、この〃マラッカのガルーダ〃でけで、おそらく時価数百億円はするわ。夢みたい」
洋子は〃マラッカのガルーダ〃を持ち上げて、彫像にキスをした。
私たちは鉄の箱の蓋を閉じ、〃マラッカのガルーダ〃の入った小さな鉄の箱だけを取り出して、再び鉄の箱の上に土をかけて埋め直した。他の誰かにとられては困ると判断したからだった。小さな鉄の箱だけでも重さは十数キログラムはありそうだった。
私たちは鍾乳洞を出る事にした。

43

時刻は午後五時になっていた。
「さて、どうやってここから帰るか、だ。僕がガルーダを持ち帰るには重すぎて、ジャングルを抜けられそうにない」
「父と前に来た時のオラン・アスリからもらったカヌーがある筈よ。壊れていなければ」
私たちは川岸にカヌーを発見した。カヌー二つのうち、一つは壊れ、四本のパドルは無事だった。
「まだ完全に危険が去ったわけじゃない。君に〃パチンコ〃を返しておく。それから小銃も持っていこう」
私たちは少佐の小銃とギャングの小銃を取り上げ、首からぶら下げた。
「この川を下れば、東海岸のメルシンの近くに着く筈よ」
私たちは二人で一つのカヌーに乗ってみた。低身長のオラン・アスリ用のカヌーのため座り心地は狭かったが、乗れない事は無かった。
「さらば、バリー・キャニオンだな。そしてロイやタイ少佐、スミトロ上等兵にさよならだ」
私たちは三人を埋めた上の墓標に黙祷した。
そしてカヌーに乗り込み川下りを行った。カヌーの中央に小さな鉄の箱と二人のリュックサックを載せて私が下流側に座り、上流側に洋子が座り、二人でパドルを漕いだ。
慣れない私たちは、始めぎこちなかったが何とか進んでいった。流れが急じゃないのが救いだった。
「さあ、目指すはスイスだ」
私はおどけて言った。
「ヘミングウェイの『武器よさらば』ね。果してスイスまで着けるかしらね」
洋子も笑って言った。
二時間ばかり漕いでいると日が沈みかけてきた。私たちはカヌーを、川岸に寄せて降り、カヌーを岸に引っ張りあげた。そしてテントを張った。
荷物の中に食糧はまだ残っていた。私たちは火を起こし、ご飯とコンビーフの缶詰と粉末スープで夕食をとった。
夕食が終わると、私はガラムを吸い、洋子はマリファナ煙草を吸った。
洋子は私にもたれかかってきた。
「ギャングたちに捕らわれた四日間、とても辛くて怖い思いをしたわ」
「大変だったな」
「でもアリーが助けてくれたから、もう大丈夫。ありがとう」
「いいさ」
「ねえ」
「何だ?」
洋子は私の唇を求めてきた。今度は私も拒まなかった。洋子の唇に自分の唇を重ねた。そしてテントの中で何度も愛し合った。今日も満天の星空がきらめき、私たちに光を浴びせかけていた。

44

翌朝、私たちは午前六時に目を覚ました。二人とも、もう何日も体を洗っていなかった。二人は生まれたままの姿で川に入り、体を洗った。洋子がふざけて水を私にかけてきた。私もそれに応えて水を洋子にかけた。
まるで幼い子供の様に二人は水をかけ合い、腹の底から笑い合った。
川から上がり、服を着ると、朝食をとった。
朝食をとると私たちは再びカヌーに乗り、川下りを始めた。
「ねえ、アリー。このガルーダでわたしたちは億万長者よ。アリーは何処に住みたい?」
「さあね」
「わたしはニュージーランドの田舎町が良いわ。大きな家を建てて、大きな牧場を買い、羊を沢山買ってのんびりとした人生を過ごすの。都会はもう嫌よ。ジャングルも絶対、嫌」
「ニュージーランドか」
「わたしは毎日あなたのために一生懸命おいしい料理を作るの。もうこんな飯盒のご飯なんか二度と御免だわ。ねえ、私と結婚してくれる?」
「僕は独身主義者だぜ」
私は笑いながら、そう言った。
「うん、もう意地悪。でも良いわ。籍を入れるかどうかなんて大した問題じゃないわ」
洋子は宝を手に入れて、すっかり夢心地だった。私ももうすぐジャングルから抜けられると思うと辛いカヌー漕ぎも楽しく感じていた。
午前十二時になると川岸に降り、カヌーを引き上げ、昼食をとった。そして食事が終わるとまたカヌーを漕いだ。
川幅が段々広くなり、下流に向かっている事を感じていた。時折、急な流れがあり私たちは転覆しない様に必死でパドルを漕いでバランスをとった。しかし大体はゆるやかな流れで、私たちは無事にカヌーを漕いでいった。
午後七時になるとカヌーを降りて、カヌーを川岸に引き上げ、火を起こして夕食をとった。
夕食が終わると私たちはまたテントの中で何度も愛し合った。それはすばらしい営みだった。

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私たちはカヌーで帰り始めて五日目になっていた。三日目も四日目も、一生懸命カヌーを漕ぎ、夜になるとテントで愛し合った。
五日目になって川幅がだいぶ広くなり、下流に向かっている事を感じていた。岩が多くなり、流れが急な場所が増えてきた。
時刻は午前十一時になっていた。流れがあまりに急なため、私たちは仕方なくカヌーを川岸に引っ張り上げた。
「これでは、カヌー下りは難しいな」
私が言った。
「そうね。どうしたら良いかしらね」
洋子が答えた。
「少し早いが昼食をとろう。少し様子を見てみよう」
私たちは火を起こし、昼食の準備を始めた。
昼食を終えて、私はガラムを吸い、洋子はマリファナ煙草を吸っていた。
そこに川岸の奥のジャングルの方から、私たちを見つめる視線を感じた。
「アリー」
「わかってる」
私は洋子に小銃を構える様に無言で促し、静かに煙草を地面に捨てた。私たちの中に緊張感が走った。
「誰だ!出てこい!」
私はマレー語で叫んだ。
しかしジャングルの茂みの中からは何の反応も無い。
「出てこないと発砲するぞ!!」
私はすごんだ。
すると茂みの中から二人の男の子供が出てきた。たぶん原マレー人の子供だろう。年齢は五~六歳といったところか。
「撃たないで。僕たち何もしないから」
男の子の背の高い方が言った。男の子たちは、怯えた様子も無く半袖半ズボンの姿でこちらに歩み寄って来た。
「それ、鉄砲?僕、初めて見た」
背の高い方の子が言った。私たちの緊張はほぐれ、銃口を下げた。
「僕たちは、何処から来た?」
「村だよ。ポンドック村」
「ここから歩いてどのくらいかかる?」
「三十分ぐらい」
「メルシンまで行った事あるか?」
「僕は無い。でもお父さんたちはたまに行くよ」
「どうしよう、洋子」
「川は流れが急だし、その村まで行って、陸から行く事を考えた方が良いんじゃないかしら」
私は少し考えた。
「そうしてみるか」
「僕たち、そのポンドック村まで案内してくれるかい?」
「いいよ」
男の子たちは愛くるしい表情を浮かべた。
「それじゃ、これをあげるから」
私はリュックサックから氷砂糖を取り出し、二人にあげた。
二人は注意深くもらった氷砂糖を眺めていたが、食べた。
「甘い。おいしい」
「それじゃ、連れて行ってくれ」
私と洋子はカヌーとパドルを川岸から離れたジャングルの中まで移動させ、二人の子供とジャングルに入った。
ガルーダの入った鉄の箱を運ぶのはとても重かった。しかしリュックの食糧がだいぶ減っており、何とか運べそうだった。
三十分程歩くと、子供たちのカンポン(村)に着いた。村人たちは、私と洋子の武装した姿を見てびっくりしていたが、危害を加えるつもりは無い、礼をするから道を教えてくれと頼むと、話に応じてくれた。
話を聞くと、やはりここから先は川の流れが急でカヌーでは無理だと言う。歩くのがベストだと言って来た。メルシン市の近くの町までの道を地図に書いてもらう事にした。徒歩五日程かかると言う。
けもの道があるので、ガイドを雇う必要は無さそうだった。私たちにしても鉄の箱に入ったガルーダを他者に知られたくなかった。
金を渡して礼を言い、子供たちにさよならを言い、ポンドック村を後にした。

46

ポンドック村を後にしたのは午後四時だった。ジャングル内には確かにけもの道があり、もうガイドの先導の必要は無かった。歩くのにも不自由はあまり無く、ジャングルナイフを使う必要は無かった。
私たちは鉄の箱からガルーダを出し、私のリュックの備品を洋子のリュックに入れ、重いガルーダを私のリュックに入れた。鉄の箱は捨てた。これでどうにか持ち運ぶ事が出来る。
夜になるとテントをはり、夕食をとってテントの中で愛し合った。
次の日もその次の日も同じ事の繰り返しだった。一度、原マレー人とすれ違い、恐れられたが、怪しい者では無いと説明してやり過ごした。
その後に小銃を捨てる事にした。マレー東海岸のメルシン市まで後三日。もうゲリラやギャングに会う事は無いだろう。かえって小銃を持って原住民たちに怪しまれて、山賊と思われて噂がたつ事を恐れた。それに二人にはピストルがある。万が一の時には自分を守る事が出来る。
気候はもう涼しくは無く、とても暑くなっていた。涼しい高原地帯をとっくに抜け、平地に到ったのだった。やはりガルーダの入ったリュックは重い。何度も小休止をはさんで、歩き続けた。
夜になってテントをはり、夕食が終わると、二人はテントに潜り込んだ。
「あのポンドック村の子供たち、可愛かったわね。あなたにもあんな少年時代があったんでしょ」
「少年時代か……。僕はスラバヤとジャカルタで過ごした。日本人とシンガポール人の混血という事で、インドネシア人の子供にずいぶんいじめられたもしたよ。でも空手を習ってからは、ケンカでは誰にも負けなくなっていった。気が付くとインドネシア人の子供たちの中のガキ大将さ」
「そうだったの」
洋子は私の唇にキスした。
「私たちも、ああいう可愛い子供を今から作りましょうよ」
洋子は私の胸に体を預けて来た。二人は心行くまで愛し合った。

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バリー・キャニオンを出て八日目。私たちがジャングルに入って十八日目。ポンドック村で書いてもらった地図によると、メルシンの近くの町には後二日程で着くはずだった。
私たちの足も心持ち軽やかになったみたいだった。
或る時、崖沿いを歩いた。私はガルーダを入れたリュックを置いて、手ぶらで道を確かめようとした。崖の高さは五十メートルぐらいはあるだろう。下を見るのも怖い様な道だった。
それでも道を確かめるために下を見ていた私が、後ろを振り向くと洋子が抱きついて来た。
私は慌てて洋子を抱き留めた。恐怖で冷や汗をかいた。一歩間違えれば私は崖の下に真っ逆様に落ちるところだったからだ。
「おいおい、どうしたんだ?!」
「いや……、怖かったのよ」
洋子は私の胸に顔を埋めた。
「かわいい女だ」
私は洋子を抱きしめた。
そして二人は崖沿いの細い道を注意しながら歩いて行った。

48

次の日もひたすらメルシンに向かって歩いた。
夜になって私たちはテントをはり、火を炊き、夕食をとった。
「明日、地図によるといよいよ町に出られる。良かったな。良くここまで来れた」
「本当ね。乾杯しましょう」
洋子はウイスキーの小瓶を取り出して、二つのカップに注いだ。
「乾杯!!」
二人はカチリと音をたて、カップをはち合わせて一気に飲み干した。ウイスキーは本来私の苦手なスコッチだったが、ジャングルを出られるという達成感から、すごく美味に感じていた。
洋子は私にキスしようともたれかかってきた。一度口づけを交わして、私は仰向けに横になった。
その時だった。洋子は私に対してピストルを向けた。二十八口径の通称〃パチンコ〃だった。
洋子は微笑んでいた。魔性の女の微笑だった。
〃パチンコ〃がカチッと音をたてた。弾丸は発射されなかった。洋子は二回、三回と引き金をひいた。しかしいずれも無駄な試みだった。
「どうして?!」
「弾丸は抜いておいたよ」
私は起き上がって言った。
「ええっ?!」
「ある時から君に対する疑念が僕の頭に浮かんで来た。そして昨日の昼の崖での出来事以来それは確信に代わった。いつかは君が僕を殺そうとチャンスを窺っていることをね。君はあの崖で僕を突き落とそうとしたんだ。宝を独り占めするために」
洋子の顔には微笑が消えていた。
「君はまずお父さんを、今の僕に対する様なタイミングで殺した。ジャングルを抜ける手前で、邪魔者を殺そうとしたんだ。あの時はトライショーマンのアブドールがいたから、お父さんは宝の分け前を考えると不要の存在だった。それにあのお父さんは、君の本当の父親じゃない。僕にトカレフを売ったマラッカの小悪党リー・フーチェンは君と君の言うところのお父さんを見ている。だが二人の雰囲気はとても親子の関係じゃ無かったと言っている。べたべたして、中年のパトロンと愛人といった関係だったと言っている」
洋子は〃ザ・ルック〃の表情で、顔に脅えの色を出さない様にしていた。
「スミトロ上等兵がお父さん……岡野雄三の死体を確認していた。雄三の頭は口径の小さい弾丸で撃ち抜かれていた。君の持っている〃パチンコ〃みたいなね。そして宝を取り出したらアブドールもまた別の時に殺すつもりでいたのだろう。だが許せないのは、君が罪の無いオラン・アスリの部落を全滅させた事だ。マリファナ常用者の多くがそうである様に、君が良く咳き込み、風邪を引きやすい体質である事を僕は知っている。君はオラン・アスリにインフルエンザを移したんだ。その後、免疫の無いアスリの部落は全滅した。ついでにマラヤ共産党の志願兵ダフランと連れの兵士二人が、疫病を移されたと勘違いされ、アスリの若者に毒矢で殺された。君のせいで多くの人間が死んだんだ」
洋子は表情を硬くして言った。
「わたしをどうするつもり?お願い、許して。宝はどうするの?」
私は静かに話を続けた。
「宝はクアラルンプールの博物館に贈る事にする。そもそもこの〃マラッカのガルーダ〃は、マレーシア人の物なんだ。イギリス人の物でも日本軍の物でも僕たちの物でもない。それからマラッカのパレスホテルに預けた君の荷物の中にマリファナ煙草がある。マレーシアでは、麻薬所持は外国人でも極刑だ。それが君にふさわしい罰なんだ」
洋子の表情が鬼の様に険しくなった。
「畜生!!」
「そのもともと美しい顔が、欲で恐ろしく醜くなっている。鏡を見てみるんだな」
私はポケットからトカレフを取り出して、洋子に突きつけた。

49

その夜は洋子を後ろから手と足を紐で縛り、眠った。次の日は洋子に後ろからトカレフを突きつけて町へ向かった。
はたして私たちは町に着いた。町に着くと公衆電話で、マラッカの刑事スパルノを呼び出した。パレスホテルの洋子の荷物を洗う様に言った。私と洋子はメルシンまでタクシーで向かい、ホテルに宿をとった。
スパルノから電話があり、洋子の荷物の中にマリファナ煙草を発見したと言ってきた。
翌日、スパルノが同僚の刑事を一人連れてジョホール州メルシンまで車で赴き、洋子を逮捕した。洋子は、洋子が父と呼んでいた岡野雄三と一緒に長い間、麻薬の取引に携わっており、その容疑でも逮捕できた。
私と洋子はスパルノの車でマラッカに戻った。洋子はマラッカ州警察に拘置された。
洋子は車の中でも私たちに一言も口をきかなかった。最後に警察署に入っていく洋子は私を呪詛に満ちた眼で睨んでいた。
夜はパレスホテルに戻り、フロント員のクマに挨拶して、ぐっすり眠った。
久しぶりに心安らかに眠れた。シンガポールのオフィスで洋子に依頼を受けてから二十四日。ジャングルに入ってから二十一日が経っていた。

50

翌日、私の連絡を受けた秘書アルーア・グレイが電車とバスで心配して駆けつけてきた。
二人はマラッカの中心にあるセント・ポールの丘に登って行った。相変わらず右腕の欠けたフランシスコ・ザビエルの白い銅像が立っている。丘から一望できるマラッカ海峡には、ゆっくりとタンカーが行き来していた。
「アリー、知ってます?今朝の朝刊の見出しに、クアラルンプール博物館に時価五百億円相当の〃マラッカのガルーダ〃差出人不明で贈られる、という記事が大々的に出ていましたよ」
「そうか。知らなかった」
私はとぼけた。
「時価五百億円なんて、夢みたいな額ですね。それだけあれば一生贅沢に遊んで暮らせますね」
「そうだな」
「ところで岡野洋子の仕事はどうなったんですか?」
「仕事は無事解決した。洋子もしかるべき所に行ったよ」
「そうですか、良かった。本当に無事で良かったですわ」
その直後にいきなりスコールが降って来た。私たちは壁だけ残ったセント・ポール教会跡の壁の軒下に逃れた。
十分程激しく降ったスコールは止んだ。表へ出てみるとマラッカ海峡に虹が出ていた。
「まあ、綺麗な虹」
「本当だ」
マラッカ海峡にはまたタンカーが行き来していた。
「またタンカー。あのタンカーが日本にオイルという宝を運んでいくんですね」
「アルーアはどう思う?宝なんて今の虹みたいなものじゃないか。ひとときそれは眩しくきらびやかに輝くが、所詮は幻だ」
アルーアは少し考えてから言った。
「そうかもしれませんね」
「今回の仕事も疲れた。早くシンガポールのアパートのベッドで休みたい。君のポーク・ソテイも久しぶりに食べてみたい気がするよ」
「いいですよ。その代わり今月はちゃんと給料払ってくださいね。ボーナスも忘れずに。仕事が一つ片づいたんでしょうから」
私は「わかったよ」と苦笑しながら、アルーアと一緒に丘を降り、愛車ビュイックに向かった。

(了)

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