メニュー

 

俺の探偵事務所に初老の女性が訪れてきたのは、午前9時30分だった。初夏の陽ざしの気持ちの良い日だった。俺の事務所はHamatownのダウンタウンの非常に混雑した一角の15階建てのビルディングの7階の一室にあった。一室といっても、応接間と俺の個室の2部屋に仕切られている。
「ですから先程からお話ししているように、この仕事はお引き受けかねますよ」
俺はこの婦人が来てから3杯目のコーヒーをすすった。
「そうおっしゃらないでください。私はとにかく息子のことが心配なんです」
質素な身なりの60過ぎの小柄な女性だった。日本人で、名は宮村登志子といった。茶色のくすんだ色のワンピースに、地味な灰色のカーディガンを羽織っている。
「確かにウチは探偵事務所です。人捜しのような仕事は良くお受けしています。しかしカルト宗教に入信されたご子息を連れ戻すことなど不可能なことですよ」
「どうしてですか」
「ごく簡単に言えば、信仰の自由の問題ですよ。それを他人が無理矢理改心させること何てできません」
「あのカルトに信仰なんて言葉は当てはまりません。信者をマインドコントロールして悪事を働かせているのです」
「なんと言われても、無理なものは無理です。ご子息の自由意志に任せられるのが一番です」
もうこうして40分は話している。これ以上話を続けていると、俺の胃はコーヒーでガブガブになってしまう。
「それではどうですか。息子を連れ戻すのは無理としても、せめて所在や安否だけを調べられませんか。何しろもう5年も息子とは連絡していないのです。生きているのか、死んでいるのかすらわかりかねます。もし所在を突き止めて下されば10万ドルお払い致します。今ここに手付けとして2万ドル持ってきています」
そう言って婦人は2万ドルをバッグから出した。
俺は意表をつかれた。見た目が質素で地味なために、まさか10万ドルなんて金は想像だにしなかった。貧乏で、借金で首の回らない俺としては、10万ドルはものすごい魅力だった。しかも目の前に現金で2万ドルあるのである。話しの風向きが変わってきた。
「ちょっと待って下さい。もう一度うかがいますが、ご子息の所在と安否を確かめれば10万ドルいただけるのですか?」
「その通りです。私の家系は質素を信条としておりますので、こんな身なりでおりますが、10万ドルは必ずお支払いできます。お疑いでしたら、私の預金フロッピーをお見せしますが」
「いいえ、そこまでには及びません。では、もう一度ご子息の件を詳しく話して下さい」
「先程から申し上げておりますように、息子の名は宮村優。今年で23才になってるはずです。5年ほど前に大学に入学した直後にカルト宗教に入信して、消息不明になりました。カルトの名は拝蛇教」
「拝火教?ペルシャで興ったゾロアスター教のことですか?」
「いえ、拝火教ではなく、拝蛇教です。仏教を中心にイスラム、キリスト、ヒンズーなどの教えを混ぜていますが、中心思想となる信仰の対象は蛇です」
「蛇……ですか?!」
「そうです。インターネットでやっておりますので、後で見ていただければわかりますが、金色の蛇を御神体にしている狂信的なカルトです」
「わかりました。今インターネットにつないでみましょう。URLはご存じですか?」
初老の婦人はバッグに入っていたメモ帳からURLを読み上げ、俺はパソコンを使ってアクセスした。しばらくすると「拝蛇教」のホームページにアクセスした。まず金色の蛇のCGが蠢く画面がアップで現れ、続いて巨大な蛇の像の前で数百人の信者がひれ伏す画面、続いてひげもじゃの太めで大柄なインド系の40ぐらいの男が、金の衣をまとって画面に現れた。その男は語り始めた。
「ようこそ、私たち拝蛇教のホームページへ。このホームページを開いた瞬間から、あなたに幸運の福音は訪れるのです。私はマヘリシ・シッダールタ。インドの血を引く私は、約2500年前のゴータマ・シッダールタすなわち仏陀の生まれ変わりであります。ご存じの通り、1999年のノストラダムスは明らかに時間を予言し間違えた。しかし終末は必ずこの21世紀に訪れます。終末は今から11年後の2049年。あなたはまだ間に合う。まだ間に合うのです」
婦人は放送を遮った。
「この男が教祖のマヘリシ。言ってることは全てデタラメのペテン師です。この男の元に、信者は推定でおよそ5千人。そのほとんどが消息不明なのです」
「大体わかってきました。それではご子息の個人情報をわかる限りこの紙に書いて下さい」
婦人は紙に息子の生年月日から身長・体重・血液型・経歴・身体の特徴などを細々と書き始め、息子が高校生だった頃のビデオテープと写真を俺に渡した。
「結構です。では手付けの2万ドルを払っていただければ、何とかご子息の所在安否はつきとめてみましょう。しかし連れ戻したり改心させたりするのは僕には無理です。ご承知願えますか?」
「それで構いません。とにかく息子が生きているのか、どこにいるかだけでもつきとめて下さい。その時に残りの8万ドルをお払いいたします」
婦人は少し涙ぐみながら手付けの2万ドルを俺に渡した。
「では確かに2万ドル頂きます。連絡は定期的にできるとは限りませんが、なるべくそちらにしたいと思います。では、お気をつけてお帰り下さい」
俺は婦人を事務所のドアの外まで送り出し、自分一人になって、もう一度婦人の息子の個人情報を読んだ。
宮村優。2015年生まれの23才。身長173cm体重63kg前後の中肉中背。右の脇腹に盲腸の手術跡あり。ビデオを再生してみた。どこにでもいる健康的な若者だ。家族の向けるビデオカメラに明るく笑いかけ、時々おどけて見せたりしている。
続いて拝蛇教のホームページにもう一度アクセスしてみた。あまりにばかばかしいカルト宗教ならではの教祖の講話や信者の修行風景を見終わった後、連絡先が日本各地十数カ所にあることがわかった。このHama-townにも1ヶ所あった。この事務所から電車で約40分離れた新本街の中にある。さて、と俺はガラムに火をつけ考えを巡らせた。連絡窓口がわかっても本拠地は警察も公安もつかめていないらしい。俺のような一匹の探偵にできることは……。
俺はなるべく地味な服装に着替えて事務所を後にした。

俺は事務所から歩いて7分の地下鉄の駅に降り立った。地下鉄も旧市街を走る車両と新市街へ向かう車両では清潔さがまるで違う。新市街に住めるのは、このHamatownの約2割の富裕層だけだから、当然新市街を走る車両はピカピカに清潔という訳だ。電車に乗り込む際も警備員が乗客の服装チェックをして、身なりの汚いものは電車に乗り込むことを許されない。俺は地味な服装ながら風呂に入ってひげも剃っていたので、かろうじて乗り込むことができた。車内には富裕層の客がまばらに座っている。前の金持ちそうな中年の婦人が、金ピカの眼鏡をかけてファッション雑誌を淑女然として読んでいる。俺のような旧市街の掃き溜めに住んでいる者にとっては、どうにも居心地の悪い空間だ。しかし何とか40分間、静寂な車内を乗り切り、新市街の中心コーホク・エリアに降り立った。
コーホク・エリアには地上30~50階建ての白亜の高級マンションが整然と並んでいる。駅のそばには巨大なショッピング・センターがあり、屋内にはジェットコースターをはじめとする遊園地設備から映画館まで備わっている。自動通路で表へ出る。あまり来ないところだが、旧市街の荒廃さとはまるで別世界だ。通路の周りには、人工的に整備された花や樹林が広がる。一体誰がHamatownを二分化した街に創ったのだろう?そんなことを考えながら、自動通路を降り、拝蛇教の連絡窓口を目指した。
拝蛇教の窓口は、駅から15分ほど離れた50階建ての白亜のマンションの46階にあった。受付には20代前半の青い衣を纏ったなかなか可愛い女性が5人ほど座っていた。入信希望者が俺の他に20人ばかりいて、受付に通されるまで数十分待たなくてはならなかった。
やがて俺の番が来て、青い衣の一人の女性と話しをすることができた。
「拝蛇教へようこそ。今日はどういう目的でいらっしゃいました?」
「入信を希望しています」
「お名前と住所、電話番号などをこの紙にお書き下さい」
俺は女に渡された紙に、丁寧に記入事項を書いていった。
「結構です。入信の動機が、今の人生に生きがいを感じられなくなったとお書きになってますが、詳しくは次の部屋で入会係のものにご相談なさって下さい」
俺は受付窓口を通され、中のいくつもある個室の一つに他の入信希望者と別に案内された。個室にはいるとそこは真っ白な部屋に机が一つ、椅子が向かい合わせに一つ、そしてパソコンがおいてあるだけの部屋だった。部屋の中には紫色の衣の30才くらいの男が待っており、俺に座るように促した。
「ようこそいらっしゃいました。今、あなたの記入した用紙を拝見していたところです」
「それはどうも」
「あなたの年齢は31才、職業は格闘技の指導員。生まれも住まいもHamatownの旧市街。入信の動機をもう一度詳しく話して下さい」
「私は生まれついての孤児です。父や母の顔も知りません。生存競争の激しいHamatownの旧市街で10年ばかり格闘技の指導員をやってきました。でも最近何かが私の心を掻き立てるのです。本当にこのままでよいのだろうか?このまま普通に生きて死んでそれで私の人生はよいのだろうか!と」
「なるほど。生活は安定しているのに、心の拠り所がなくて不安になるのですね。どうぞ続けて下さい」
「おっしゃるとおり、私には心の拠り所が無く、この半年心にポッカリと穴のあいたような気持ちで毎日を過ごしてきました。その時です。インターネットで拝蛇教を知ったのは……」
「ほう、インターネットを御覧になりましたか。あれを見て、どういうところに興味を持ちました?」
「私はこの30年全くの無宗教でした。孤児で国籍も不明のため、特定の宗教に帰依することはありませんでした。しかし私の黄色人種の血のせいでしょうか、仏教を基盤にイスラム、ヒンズー、キリストを見据え、さらに蛇という神聖な動物を御神体とする拝蛇教に、言葉では言い表せないインスピレーションとシンパシーを感じました。インターネットに映っていたマヘリシ様と信者の姿……」
俺はウソを吹きまくった。しかし向こうも抜かりがない。スパイ防止のためだろうか、俺の体にセンサーを通し、嘘発見器にかけてチェックしているのをはっきりと感じていた。俺はこのことを予期して、メンセロフィンという錠剤を飲んできた。この錠剤を飲めば、たいがいの嘘発見器はパスできるはずである。
俺の話を30分ほど聞いた紫色の衣の入会係は「しばらく待つように」といって部屋を出ていった。おそらく別室で嘘発見器の分析結果と俺の個人情報の分析結果の報告を確認にいったのだろう。しかし俺は孤児で国籍不明なので、個人情報を探るのはコンピューターぐらいではまず無理である。
15分程して、紫の衣を纏った入会係の男が戻ってきた。
「お待たせしました。あなたの入信を受理します。在家信者と出家信者のどちらを希望しますか?」
「ありがとうございます。感激です。ぜひ出家してマヘリシ様の教えを受けたいと思います」
「そうですか。ではハマオさん。出家信者として私たちはあなたを歓迎します。いつ出家なさいますか?こちらとしてはいつでも構いませんが……」
「今日すぐ出家するつもりで身の回りの物を持ってこちらにやってきました。ぜひとも今日から修行させて下さい」
「結構です。それでは、まず先に入信のお布施として8千ドル頂きます。出家信者の方は修行日数によってまた別にお布施をしていただくことになります」
「もちろん喜んで」
そう言って俺は宮村という老婦人からもらった2万ドルの中から千ドル札を8枚差し出した。案内係は金を確かめると「次の部屋へお移り下さい」と言って俺を見送った。
部屋を出て廊下を抜けると、このフロアの中央付近に階段があり、そこを案内の紫色の若い女性と共に上がっていった。
上の階に上り、また長い廊下を先導されて、大きな広い部屋に通された。修行道場のようだった。白いカーペットで覆われた部屋の奥には、大きな金色の蛇の像と祭壇のような物があり、その周りに俺のような入信したての信者が10人余り座っている。紫色の若い男女が4人ほど前に立って、新しい信者を統率している。他の信者の隣に座った俺は、どうやら今日最後の入信者だったようだ。
そこに茶色の衣を着た40才ぐらいの、この教団では位のまあまあ高そうな男が現れた。
「それでは皆様全てお集まりのようですね。拝蛇教へようこそ。本日から約2週間、この道場であなた方は修行することになります。私は拝蛇教Hama-town新市街支部代表の崔と言います。皆さんは・・・」

後でわかったことだが、この教団では、偉い順に黒→茶→紫→青→白の衣を纏っていることがわかった。格闘技をやっている俺にとっては、空手や柔道の色帯みたいで何とも嫌な気分だった。
その日から2週間の修行生活が始まった。同じ新入りの入信者は俺を含めて12人。日本人、中国人、朝鮮人がほとんどのようだった。やはりイスラム教やヒンズー教が生活に密着した他のアジア人たちは新興宗教には向かないのだろうか。
朝は4時半に起床。体操と座禅を1時間半すると朝食。朝食は拝蛇食と言って、肉や魚や菓子類を禁じた野菜中心の質素な食事だった。朝食が終わると掃除。そして午前の教義学習。昼食は取らず、昼は体操とヨーガを1時間半。そして午後の教義と平行して個人面談。ここでは自分の生い立ちや今まで犯してきた罪をこれでもかと言うまでに懺悔させられる。そして夕食も野菜中心のメニュー。午後6時から8時は自由となっているが、ほとんどの信者は教壇の書物を読んだりビデオを観たりしている。8時から入浴して9時には就寝。これだけでも信者にマインドコントロールを与えるのは簡単に思えたが、教壇の連中は信者の頭にバイオセンサーをつけて、バーチャルリアリティでしつこく洗脳を行おうとした。加えて薬も押しつけられた。それはなんとLSDだった。LSDを使って信者をマインドコントロールしようとするのだ。俺は別のいくつかの薬を密かに服用してマインドコントロールを免れたが、2週間も経つと他の信者達は完全に洗脳されていた。
そして次の段階として、俺達信者は深夜突然たたき起こされ、バスに乗せられ目隠しをされて、本部道場へ移されることになった。深夜の3時間目隠しをされ、監視されていたので、どこへ向かったかははっきりわからなかった。しかし後半の1時間半は舗装されていないガタガタの山道を進むのがわかり、俺達がHamatownから郊外の山方面へ移されたことが推測できた。
俺達は3時間たってバスから降ろされた。目隠しを取ると、古い大きな工場の廃墟があり、紫の衣の連中に促されて工場内に入った。警備は厳重だった。するとどうだろう。工場の廃墟の中には金色に燦然と輝く高さ50mくらいのピラミッド型の建物がそびえ立っていた。
俺達は工場内にそびえ立つ金色のピラミッド型の建物に圧倒され、しばらく見つめて呆然とした。しかし紫色の衣の人間に促されてそのピラミッド型の建物の中に入っていった。建物内もピカピカの壁・天井・床でところどころに金色の蛇が彫り込まれていた。
俺達は一つの部屋に通され「そのまま待つように」と指示された。部屋には窓が無く、そろそろ朝日の昇る時間であるのに、それも良くわからなかった。小一時間程して、紫色の衣の人間が俺達を他の部屋に導いた。
そこは建物の中心にある大広間だった。広間の奥にHama-town新市街支部より何倍も巨大な金色の蛇の像があり、さながらジュラ紀の恐竜のようなスケールだった。大広間には新たに到着した俺達十数人を含めて千人くらいの信者が正座していた。インドの映画音楽に少し似た拝蛇教の曲が大音量で大広間一杯に流れて、祭壇からきつい香の匂いが立ちこめ、大広間は異様なカルト宗教の盛り上がりを見せていた。
壇上に黒い衣の男が現れマイクを取った。
「それでは皆さん。今から我が拝蛇教の尊師マヘリシ・シッダールタ様が、お現われになります。皆さん、拍手でお迎えしましょう。マヘリシ様です!」
熱狂的な拍手の中、祭壇の奧から教祖マヘリシは現れた。身長185cm体重120kgを越しそうな太った男だった。顔は彫りが深く、肌は浅黒くインド系のようだった。いかにも教祖と言った立派な口ひげ・あごひげを蓄えている。全身を金色の衣で包み、他の黒衣・茶衣・紫衣・青衣・そして俺達のような白衣の人間の中で立った一人の金色の衣を纏った姿は、嫌が上でも目立った。
マヘリシはソファのような大きな椅子にドカッと座った。すると正座していた信者の約千人が一斉に地面に顔をくっつけるばかりに深い礼をした。俺もあわててそれに習った。マヘリシが言葉を発し始めると、千人の信者はまた一斉に沈黙して教祖の言葉に聞き入った。
「諸君、終末の時は近づいている。だが我が拝蛇教に入った諸君は幸いである。諸君は必ずや天国へ行くことができる。それを導くのが御神体であらせられる黄金の蛇であり、ブッダの生まれ変わりである私、すなわちマヘリシ・シッダールタである。諸君、ゴールデンスネークに感謝を!!」
マヘリシが手を振り上げると、それまでじっと真剣に聞き入っていた信者達が教祖に一斉に応えた。
「ゴールデン・スネーク様に感謝いたします!!」
「神に感謝を!!」
「神に感謝いたします!!」
千人が一斉に応えた。
「信じぬものは地獄に堕ちる!!」
「信じぬものは地獄に堕ちる!!」
「信じる諸君は天国へ行ける!!」
「信じる私たちは天国へ行けます!!」
こうした黒人教会のコール・アンド・レスポンスを趣味悪くした形式の、教祖と千人の信者の掛け合いが20分近く続いた。俺は周りの信者に合わせながら、それとなく信者達を観察した。皆やはり日本人・中国人・朝鮮人などの北東アジア人が多く、ほとんどが20代の若い男女である。たちの悪いロックコンサートのようなノリで、若い信者達は皆目がイッていた。中には涙をこぼすものもいれば、興奮して失神するものまでいた。
この朝の儀式は1時間ほどで終わった。すると俺達はピラミッド型の建物の外にある工場群の中の宿舎へ預けられた。宿舎と言っても質素なもので、20人の相部屋がたくさんあり、そこで床の上にザコ寝である。

そして初めて本部道場に訪れてから1週間が立った。生活はHamatown新市街支部と大きな違いはなかった。違いは、朝のマヘリシによる儀式、そして青衣以上の位階にある人間が昼夜を問わずシフト制で「労働」と称される作業に出かけてゆくことであった。俺は宿舎と修業場の往復だけで、しかもまだどこかに監視の目が届いており、千人の信者の中からお目当ての宮村優らしき人物を捜すのはとても困難であった。
俺は昼の修業の時に一緒になる一人の若い女と親しくなった。女は名をカリーナと言い、中国系だった。髪をショートカットにしたスリムな女で、意志の強そうな瞳と唇を持った美しい女だった。カリーナと仲良くなったのは、彼女がどこか他の信者と違ったからである。彼女も熱心に教義を実践し、修業場では優等性的であったが、俺にはカリーナの瞳がマインドコントロールを受けた者の瞳には見えなかった。
しかし教壇内の男女交際は、教義で厳しく禁じられていたため、あまり表立って話しをすることができなかった。もっとも茶衣以上の位階の信者は交際が許されているのだが・・・。このように衣の色が変わって位階が上がって行くに連れ、生活全ての面で下の信者より良い暮らしができるシステムになっていた。こうして信者同士の競争心をあおり、同時に信者をより信心深くさせる仕組みになっているのである。
カリーナも俺の目に他の信者とは違う物を感じていたようだった。ある時、修業に必要な道具を運搬する役目に俺とカリーナが当たった。
俺は廊下で道具を運びながら小声で話しかけた。
「カリーナ、君はどこから来た。俺はHamatownだ」
「私はオダワラシティーから。ハマオはいつ入信したの」
「3週間前だ。君は?」
「私は4週間前」
その時廊下に立っていた青衣の男に、喋っているのを見とがめられた。
「そこの二人!!必要なこと意外は、男と女は口を利いてはならないだろっ!!」
「申し訳ありませんでした。以後気をつけます」
二人は同時に頭を下げた。
俺はこの本部道場に来てから10日余り、警備の仕組みについてずっと研究してきた。基本的にはあらゆる場所に監視カメラが回っており、24時間モニターしている。警備役の青衣、紫衣の人間も3交代制で、やはり24時間各所を見張っている。
だが俺は深夜に内偵を決行することにした。俺はこっそり部屋を抜け出してトイレに向かった。すると部屋付きの警備役の青衣の男が近づいてきた。
「こらっ!こんな時間になんだ!!」
「す、すみません。実は腹を下しておりまして・・。ところで今トイレで変な音が・・・」
「何?変な音だと?」
青衣の警備役はトイレの中に入っていった。俺も後からトイレに入り、そっと戸を閉めた。
「おいっ!どこで変な音がしたんだ!!」
問いつめる警備役の男のノドに手刀を打ち込み、続いて掌底で男の後頭部を打って気絶させた。そして眉間の烏兎とノドの村雨という秘孔を人差し指一本拳で突いた。これをやるとこの男は2~3日の間、一時的に視力と声を失うことになる。俺はすぐ自分の白衣を脱ぎ男の青衣を纏った。青衣の肩には警備役の印、警のマークが大きく付いている。
俺は何食わぬ顔で宿舎を出て、ピラミッド型の建物に向かった。何度か他の警備役とすれ違ったが、黙礼するだけでやり過ごすことができた。
俺はずっとピラミッド型の建物の地下が気にかかっていた。宿舎の青衣の人間達は、この建物に入り、「労働」を行ってまた宿舎に帰ってくる。しかし地上には数百人の青衣が労働するだけのスペースは大広間以外にない。ところが競技の用具を運搬する際に昼に大広間が使われていないことは確認している。だとすれば地下しか考えられなかった。どこに地下の入り口があるのかわからなかった。それを探していては警備役達に怪しまれてしまう。さて、どうすれば・・・。
俺が思案して廊下を歩いているときに茶衣の警備役が通ってきた。おそらく警備役の位階の高い人間だと察した。俺は賭に出た。
「すみません!」
「何だ?」
「今、地下で騒ぎが起きているというのですぐに駆けつけろと言う指示を受けました」
「何?地下で騒ぎ!?」
「ハイ」
「よし、ついて来い!!」
うまくいった。茶衣の男は俺を引き連れて地下への入り口へと向かっていった。そこは一見何の変哲もない床だったが、男が壁の小さなスイッチを押すと床が開き、階段へ通じていた。二人は階段を降りた。
「どこだ、騒ぎのあった場所は!!」
男が尋ねてきたとき、さっきの青衣の男と同じようにノドと後頭部を打ち失神させた。また同じく秘孔をついて視力と声を奪った。

男を近くの物置部屋に隠して、男の茶衣を奪って纏い、俺は地下の廊下を歩いていった。まもなくすると地下の広い空間が現れた。何かの工場のように青衣の信者達が黙々と製造作業に従事している。俺は茶衣を就けた偉い人物のように振る舞って、製造作業をさりげなく見て回った。その時、青衣の信者達の中に依頼人から捜索を頼まれた宮村優らしき男が目に入った・・・!!
その男は依頼人である婦人からもらったビデオの顔より生気がなく、体も痩せていたが、間違いなく宮村優に違いなかった。俺は自然な素振りを装って男に近づいていった。
「やっているか?」俺は偉そうに尋ねた。
「ハイ、御陰様で順調に働いております」
男は俺を位階が上の茶衣の人物と思って直立不動に向き直ってそう言った。
「君の働きぶりは聞いている。確かマサル・・・とか言ったな!」
「ハイ!!私は宮村優と言います」
一か八かのブラッフだったが、ビンゴだった。俺は目的の宮村優を一ヶ月教団に潜入して発見した。「念のために確認するが、君のID番号と宿舎は?」
「ID番号5411028。宿舎はA24棟の7号室です」
「うん、よろしい。そのまま神のために働き続けるように」
そう言って俺は製造現場を離れた。俺は地上への出口へと向かった。
するといきなり廊下で後ろから後頭部を強く殴られてしまった。幸い急所をはずしたので倒れはしなかった。振り向きざまに後ろから殴った奴にバック・ハンド・ブローをたたき込んだ。俺の裏拳は当たりが浅かったが、しかし相手は仰向けに倒れた。
とどめを刺そうと歩み寄ったとき、俺を殴った相手が知っている青衣の人間だと言うことがわかってビックリした。
「カリーナ・・・か?!何をしている?」
「あんたこそ、何してるのよ!」
「そっちが先に答えろ。何をしている?」
俺はカリーナの体に馬乗りになって、いつでもマウントパンチを打てる体制を取った。
「わかったわ。私はここに捜し物に来たのよ。殴ったのは悪かったわ。茶衣なんか来てるから、ハマオとはわからなかったのよ」
「そう言うそっちも青衣を来ている。何を探しに来た?お前は誰だ!」
「私は私。カリーナよ」
俺はカリーナの顔を思い切りひっぱたいた。
「なめるな!こっちがお前を殺すことは簡単なんだ」
「何も答えることはないわ」
「そうか」そう言って俺はカリーナの首を両手で絞めにかかった。カリーナは苦悶の表情を浮かべ、すぐにも失神しそうだった。カリーナは30秒もすると床を三回タップした。
「喋る。だからその手をどけて!!」
俺は締めている両手をゆるめた。
「私は政府の情報部員よ。このカルト教団を探りに来た・・・」
「何を探りに来た?!」
「あなたも知っているでしょうけど、この教団は地下に巨大な麻薬製造工場を持っているわ。それをこの目で探るために私は・・・」
「麻薬だと?!」俺は少し意表をつかれた。
「知らなかったの?この教団は宗教を隠れ蓑として、犯罪集団に麻薬を売って巨大な利益を上げているわ。だけど下の位階の信者達は、それを<聖なる労働>と信じてるわ」
「そう言うことか」
「こっちは喋ったわ。ハマオ、あなたは何者なの?」
「フム。俺は探偵だ。人を捜すためにこの教団に潜入してきた」
「誰を?」
「言っても知らないような普通の青年さ。さっき見つけて会ってきたばかりだ」
「そう、わかったけど、そろそろ私の上からどいてくれない?」
俺は馬乗りから立ち上がった。カリーナも絞められた首を痛そうにさすって起きあがった。
「私たちは敵じゃないみたいね」カリーナは言った。
そのとき廊下のあちこちで非常ベルが鳴り出した。俺達二人が見つかったのだろうか。警備役達がドタドタと地下一杯に駆け回る音がした。
「まずいな。俺は宿舎と地下の入り口で二人を失神させてきたんだ。それが見つかったのかもしれない」
「こっちへ来て」カリーナは俺を促して歩き出した。棒を持った5~6人の青衣の警備役がこっちへ走ってきた。
「どうした?!何事だ?」俺は自然を装って尋ねた。
「地下室の入り口付近で警備役が失神したのが見つかったのです。怪しい物が潜入した可能性があります」
「そうか。お前らは入り口を当たれ。俺達は別の方面を探ってみる」
「ハイ!」
茶衣の威力はすごいらしく、奴らは俺達を何も疑うことなく、入り口方面へ駆けていった。
俺はカリーナの後ろをなるべく自然な駆け足で追った。途中、他の紫色の警備役とすれ違ったが、「早く探せ」とか適当な言葉をかけてカリーナの目指す方向へ走った。
やがてカリーナは廊下の突き当たりに来て止まった。俺も止まった。カリーナが壁のある箇所にふれると、突き当たりからエレベーターが現れた。素早く二人は乗り込むと、壁になっているエレベーターのドアを閉めた。カリーナのボタン操作で、エレベーターは上に上がって止まった。ドアが開いて俺達は外へ出た。

そこはなんと大広間の祭壇の巨大な金色の蛇の像の背後に当たった。
「こんな仕掛けをどうやって見つけた?」
「私はプロよ」
二人は今度はゆっくりとした歩みで地上階を歩き、ピラミッド型の建物から出た。やはり茶衣の威力はすごく、誰にも怪しまれることはなかった。
「じゃ、今日はここで。明日の教義でまた会いましょう」
カリーナはそう言うと自分の宿舎に戻っていった。
俺も自分の宿舎に戻り、青衣の男を失神させたトイレに入った。男は失神したままだった。俺は茶衣を脱ぎ、失神した男に無理矢理着せた。自分はトイレの用具箱に入れておいた白衣を着て、こっそり自分の部屋に戻った。部屋の物は皆眠っており、ピラミッド型の建物の騒ぎは伝わっていないようだった。
やがて俺も眠りにつき、朝が来た。俺達はいつもの朝の儀式のために大広間に集まった。そこには、いつもの朝の儀式とは違う緊張感がみなぎっていた。そしていつものように教祖のマヘリシが壇上に現れた。
「諸君、おはよう。今日は残念な知らせがある。昨晩スパイが我が教団に紛れ込んできた」
千人の信者達は一斉にどよめいた。やがて、俺が昨日失神させた青衣の男と茶衣の男が、他の信者によって壇上に引っぱり出された。
「この二人は、昨晩スパイの進入を許したバカどもだ。しかも、めくらとおしになって、スパイについて説明することもできない。全くの愚か者達だ」
青衣と茶衣の二人は恐怖で顔が引きつっている。
「よって、私は神の名において、この二人に罰を与えることにする」
マヘリシは「やれ」と首を振って他の信者を促した。二人の信者は刃渡り1mはある分厚い刀を持ち出し、押さえつけられた青衣と茶衣の男達の首を叩き切った。生首が壇上から前の方の信者の群に落ち、悲鳴が起こった。一同の信者は恐怖の掟を理解した。すなわちこの教団では失敗することは死によってその罪があがなわれることを・・・。
「まだスパイは諸君の中に紛れ込んでいる。諸君は一刻も早くこのスパイを発見し、我らの聖なる拝蛇教を守らねばならない。以上だ」
マヘリシは去り、朝の儀式は終わった。信者は大広間を去るとき、普段よりも数段イッた目つきでお互いを疑い深く見ていた。
俺はいったん宿舎に戻り、また午前中の教義のためピラミッド型の建物へ入った。教義の部屋には、カリーナも来ていた。俺の顔を見ないように平然としたたたずまいを見せている。そしてまた、俺とカリーナの二人が教義学習の用具を運搬に行かされることになった。二人は用具室に行く廊下で全く言葉を交わさなかった。二人は大広間へ通じるドアの前にさしかかった。するとカリーナは俺の手を引いた。
「今よ。来て」
俺はカリーナに手を引かれるままに、先程処罰のあった大広間に入っていった。大広間には人影がなかった。それでも目立たぬように祭壇の後ろを通り、巨大な金色の蛇の後ろのエレベーターの前へ来た。
「いずれ私たちが発見されるのは時間の問題よ。今から武装警察に強行突入の信号を送るわ」
そう言ってカリーナは、ポケットからマッチ箱大のポケベルのスイッチを操作した。
「これで武装警察は3時間以内に来てくれるわ。私には任務がある。それは突入前に麻薬製造の物証をつかむこと。昨日はそれができなかったわ」
「しかし、俺の仕事は依頼された信者の所在をつきとめるだけだ。それは昨日終わった。後はいかにここから脱出するかだけだ」
「あなた探偵よね。今回の調査でいくらもらったの?」
「成功すれば10万ドルだ」
「じゃあ協力してくれれば、こっちも10万ドル出すわ」
俺は少し考えを巡らせた。いずれにしても容易には単独で脱出できない。武装警察の突入してくる際に脱出するのが一番手っ取り早い。しかもカリーナはもう呼んでしまった。10万ドルさらにもらうのも悪くないかもしれない。
「わかった。組ませてもらうよ。俺は何をすればよい?」
「私が麻薬を押収する際に、警備役から目をそらしてくれればよいわ」
「よし」
「さあ、これに着替えて」
カリーナはどこで調達したのか、青衣と警備役長クラスの黒衣をエレベーターの近くの隅から取り出してきた。カリーナが青衣を纏い、俺は黒衣を纏うことになった。
見るつもりはなかったが、偶然目に入ってしまった着替えるカリーナの肌は白く柔らかそうで美しかった。
着替え終わった二人は秘密のエレベーターで地下に下りた。
地下は昨晩と変わらず青衣の信者達の「労働」・・・麻薬の製造が行われていた。カリーナは小声でささやいた。
「私は信者たちに紛れて麻薬を押収するわ。あなたは西側に向かって。底には閉じこめられた元信者達がいるの。彼らを解放して騒ぎを起こしてちょうだい」
カリーナはそう言って製造部門に向かって行った。俺は想像以上にやっかいな任務を押しつけられたと思いながらも、10万ドルのために西側へ向かった。
西側の端にさしかかった。カリーナの言う通り、留置場のような格子の門にたどり着いた。
「お役目ご苦労。どうだ奴らは」
私が上司のように振る舞うと、彼らは直立不動になった。
「ハイ。いつも通り留置しております」責任者らしき茶衣の男が行った。
「私は今、導師のご命令で視察に来た」
「ハッ?そうでありますか・・・。しかしそのような連絡は入っておりませんが」
「連絡など無い。私がマヘリシ様から直々にご命令を受けたのだ。早く門を開けんか!」
マヘリシという名を強調したのと、俺の黒衣が効いたようだ。
「ハ、ハイ。それでは念のためにお名前を」
「李だ」俺は中国系でもっともありふれた名前を名乗った。
「それではお入り下さい」

門は開けられた。廊下を進むと奥の方には留置場が広がっていた。そこにはネズミ色の衣を着た囚人達・・・元信者達が200~300人留置されていた。皆目は虚ろで、一目で重傷の麻薬患者だとわかった。看守役の男に俺は言った。
「導師のご命令だ。この者達を全て解放しろ」
「ハ、ハイ?!しかしそんなことをしたら・・・」紫衣の看守役がうろたえた。
「いいからやるんだ!」俺はきつい口調で言った。
「ハイ!!」看守役は電子ロックのパスワードを押し始めた。その時、門から先程の警備役の茶衣の男が駆けつけてきて叫んだ。
「その黒衣の男はスパイだ!!とっ捕まえろ!!」
しかしもう遅かった。電子ロックは解除され、ネズミ色の衣の囚人達が一斉に格子から飛び出し留置場は大混乱になった。茶衣の警備役は門を閉めるように叫んだが、それも間に合わなかった。
狂ったような囚人達の大脱走で、警備役も看守役も、もみくちゃにされた。俺も囚人達に紛れて門の外へ出た。館内に非常ベルが鳴り響いた。囚人達は麻薬の製造部門の方角に殺到した。彼らは麻薬を求めているのだ。
地下はまさに修羅場となった。警備役で青衣の麻薬製造者と、麻薬づけにされた元信者の囚人達との乱闘になった。
警備役の一群が俺を見つけ、棒を振りかざして俺を倒しにかかってきた。俺は先頭の男の棒の一振りをタッキングでかわし、腹に強烈な前蹴りを入れて棒を奪い取った。そして続けざまに襲ってくる警備役を棒術を用いて次々となぎ倒していった。7~8人倒したところにカリーナが駆けつけてきた。
「良くやってくれたわ。武装警察は後2時間で来る。私は麻薬の現物を押収したわ」
「これからどうする?」
「マヘリシをとっ捕まえるのよ!」
カリーナは俺の手を引いて、再び秘密のエレベーターまで駆けていった。
「このエレベーターは7Fまで行けるの。7Fはマヘリシの個室よ」
俺とカリーナはエレベーターを上昇させ、ドアの両側にそれぞれ棒を持って潜み、マヘリシの部屋への突入を待った。
7Fに着きドアは開いた。俺達は外へ出なかった。マヘリシの護衛と思われる茶衣の男が、「誰だ!!」と言って中に入ってきた。俺は棒で思いっきり男の後頭部を殴り、倒した。二人はエレベーターから飛び出した。もう一人の茶衣の護衛を今度はカリーナが棒を額に叩きつけて倒した。二人はマヘリシの部屋を目指して急いだ。
部屋の前にまたしても護衛と思われる二人の茶衣の男が棒を持って俺達を防ごうとした。俺が右側の男の顎を棒でかちあげて倒し、カリーナは左側の男の金的を棒で突いて倒した。二人は部屋のドアを蹴破った。
部屋の中は黄金で、壁も床も天井もピカピカだった。部屋は広く、部屋の中にいくつかの狭い穴のようなドアがあり、迷路のようになっていた。俺とカリーナは目で合図して違うドアを進んでいった。ものすごく強い香りときらめく黄金の壁で気持ち悪くなりそうだった。俺は慎重に狭い穴のようなドアをくぐり抜けていった。
あるドアをくぐり抜けた直後に、真剣が棒に向かって飛んできた。真剣を振るったのは黒衣の教団No.2の中国系の男だった。
No.2の男の剣さばきはうまかった。こちらは木の棒で全くと言っていいほど不利だった。それでも何とか紙一重で見切って防衛した。気がつくと左の頬から血が流れていた。その時違う部屋からカリーナの声が響いた。
「見つけたわ!マヘリシよ!」
その声を聞いて、俺を追いつめていたNo.2の男は声のするドアから去っていった。
「待て!」と言って俺も後を追った。迷路のような部屋を抜けながら、この構造は巨大な蛇の体内をモチーフにしたものだと気がついた。ピラミッド型の建物の特徴から考えて、おそらくこの金色の蛇の形の部屋は、とぐろを巻いている形に違いない。マヘリシは蛇の頭の部分の部屋、すなわち頂上を目指したところにいるに違いない。俺は上に向かっているドアを見つけて、頂上部を目指してひたすら上り続けた。
そして頂上の部屋に昇り着いた。そこはとても豪奢な部屋だった。そこではマヘリシとNo.2の黒衣の男がそれぞれ真剣を持って、棒を持ったカリーナと睨み合っていた。俺が部屋に入ったことがわかると、3人の目はこちらに注がれた。これで2対2だ。しかし真剣と木の棒ではこちらは全く不利だった。
「貴様らはどこのスパイだ?!」
マヘリシが真剣を構えながらコーカソイド独特の鋭い目つきで尋ねてきた。
「俺は一介の探偵だ。お前らに洗脳された信者の所在をつかみに来た。だがこちらの女性は政府の人間だぜ。もう数十分すれば武装警察がやってくる」
「でまかせを言うな」
「なんと思ってもいいさ。どうせお前らはすぐにお縄だぜ」
マヘリシとNo.2の男に少し動揺が走った。しかしNo.2の男が言い返してきた。
「何はともあれ、スパイは殺す。それが教団の掟だ」
「やってみるんだな」
俺も負けずに言い返した。
No.2の男が俺に斬りつけてきた。俺の棒はあっけなく二つに折れた。しかし、折れた棒の片方の長さがちょうど俺の得意なトンファーのサイズになった。
もう一度斬りつけてきたNo.2の男の顔めがけて折れた片割れの棒を投げつけると、男の顔にストライクで命中した。男が一瞬ひるんだ隙に、トンファー代わりのもう片方の棒の片割れで、男の真剣を持った手をたたいた。真剣は床に落ちた。俺は折れた棒の切れ先で男の腹を指した。男は悶絶し動かなくなった。俺は男の真剣を拾って手にした。
形勢逆転だ。これで俺とカリーナ対マヘリシの2対1でこっちが有利だ<。
「貴様ら、わしを誰だと思っている。わしはブッダの生まれ変わり、マヘリシ・シッダールタだぞ」マヘリシは追いつめられて精一杯の強がりを言ってきた。
「笑わせるんじゃないよ。お前のやってることは、若い信者に麻薬を使ってマインド・コントロールし、その信者に麻薬を作らせ、犯罪組織に売り渡すインチキ教団じゃないか。ブッダの生まれ変わりを騙るなんて、ふざけるんじゃないよ!」
カリーナが厳しく言った。
「お前ら、わしを殺したら必ず天罰が下るぞ。私は神の蛇の使いなのだ」
「私たちが殺さなくても、武装警察か、お前らが麻薬付けにして閉じこめた重傷のジャンキー達がお前を八つ裂きにするだろうよ」
マヘリシはそれまで強がって尊大な態度をとっていたが、二人に追いつめられて急に逃げ出した。部屋の中央には天井に届く階段があった。俺とカリーナが「待て!」と追いかけたが、マヘリシは逃げ足早く階段を上っていった。
バーン、と拳銃の音が響いた。拳銃の音は天井の方から響いた。俺とカリーナは反射的に身をすくめた。
だが撃たれたのはマヘリシだった。左胸を打ち抜かれて、階段をゴロゴロと転がってきた。マヘリシは死んでいた。マヘリシと共に転がってきた真剣をカリーナが素早く拾った。
拳銃を撃った男はマヘリシが脱出しようとした天窓から降りてきた。それはなじみのある顔、極東屈指の麻薬組織<スネーク・ヘッド>日本地区のボス、黄心揚だった・・・。
黄はいつものように端正なマスクに髪をオールバックになでつけ、真っ白なスーツで痩身を包みながら階段を下りてきた。
「また会ったな、ハマオ」
黄は拳銃をこちらに向けたまま静かに、そしてクールに言った。
「そう言うことか。拝蛇教と蛇頭・・・。蛇のつながりでお前らスネーク・ヘッドが麻薬を扱っていた訳か」
俺は言った。
「そう言うことだ。お前は今日何をしにここへ来た」
「探偵の人捜しだよ。何でマヘリシを殺した?」
「武装警察にとらえられちゃ、こいつに喋って欲しくないことがいろいろあるものでな」
「なるほど、利用価値が無くなった物を『死人に口無し』にした訳か」
「その通りだ」
黄は左手で拳銃を構えると、余裕たっぷりに右手でポケットから葉巻を取り出し、器用に右手だけで火をつけて吸った。そして大きく息を吐き出しながら言った。
「そしてお前らも気の毒だが死んでもらう」
今、階段の上で拳銃を構えている黄と、真剣に持ち替えた俺とカリーナが1対2で対峙している。
「撃って見ろ、黄。だがお前が俺を撃った瞬間に、カリーナの剣がお前の体を貫くぜ」
「フム、どうなるかな」
黄は言い、葉巻を下に投げ捨てた。その瞬間だった。カリーナの投げつけた真剣が黄の左肩に突き刺さり、黄はそのゼロコンマ何秒か前にカリーナの腹に弾丸を命中させた。カリーナは床にぶっ倒れ、黄の拳銃も階段の下に転がり落ちた。
俺は真剣を構えて階段を駆け上がった。しかし左手を押さえたまま黄も駆け上がり、天窓を抜けていった。俺が天窓にたどり着くと、そこはピラミッド型の建物の頂上と、それを覆う古い大きな工場の天井と接していた。黄は上空から降下したヘリコプターの救命用ホイスト装置のサバイバー・スリングという輪に体を通して引っ張り上げられ、去って行くところだった。
「勝負はまたお預けだな、ハマオ!!」
黄はヘリのホイストで引っ張り上げられながら言った。
「待て!!待たないか、黄!!」
俺は叫んだが、ヘリコプターは遙か彼方に飛び去ってしまった。俺は悔しかったが、すぐに階段を下り、カリーナの容体を見に行った。黄の弾丸はカリーナの腹に当たっていたが、まだ息はあった。
「残念ね、ハマオ。もう一歩だったのに」
喘ぐようにカリーナは言った。
「馬鹿野郎、あきらめるんじゃない。お前は死なないぞ。絶対に!!」
その時催涙ガスが部屋に充満し、外から銃を撃つ音や怒声や、人々の混乱した声が響いてきた。ようやく武装警察が到着したのだった。俺は催涙ガスで激しく痛む目をこらえながら、撃たれたカリーナの体をじっと抱きしめていた・・・。

あれから3週間が経った。
拝蛇教の総本山は武装警察によって完全に制圧され、信者は皆保護監察され、教団は解体された。カリーナの押収した物証で、麻薬製造の事実とスネーク・ヘッドとの関わりが明らかにされ、教団の上層部は逮捕され裁判にかけられることになった。ただ黄心揚はスネーク・ヘッドの事務所のあるコガネチョー・キャッスル、通称阿片城から姿を消しており、その消息は全くつかめなかった。
俺の依頼人の老婦人、宮村登志子は、警察の保護施設で息子、宮村優と再会した。彼のマインド・コントロールと薬物依存を解くには、数年のリハビリが必要だとのことだった。老婦人は俺の事務所を訪れ、これ以上ない謝意を表して、残りの8万ドルに加えて5万ドルのボーナスを払っていった。俺も警察でいろいろと職務質問されたが、カリーナの約束通り政府から10万ドルを与えられることになった。俺はにわか成金になったかのようだった。だが今までにためた借金を返して、事務所にエアコンを入れたら、すぐに25万ドルも吹っ飛ぶだろう。
俺はHamatownの新市街にある警察病院に向かった。門をくぐり建物に入り、エレベーターで14Fまで昇った。そしてある病室へ向かった。病室の前には護衛の警官が一人付いていた。
俺はハマオと名乗り、まもなく病室へ通された。そこにはベッドに横たわったカリーナがいた。
「思ったより元気そうだな」
「弾丸が急所をはずれてうまく貫通してくれてね。私はきっと不死身だわ」
「それくらい言えれば、もう大丈夫だ」
俺は見舞いの花を水差しに入れ、ベッドの横の椅子に座った。
「あなたが花なんてね。一度私を絞め殺そうとした男なのにね」
カリーナは悪戯っぽく笑って見せた。
「俺もね、あんたみたいに棒や剣を振り回す物騒な女に花を贈るなんて思っても見なかったよ」
二人は顔を見合わせて笑った。
「暑くなった。もうすぐ真夏だな」
「そうね」
二人は病室から外の青空を眺めた。
「ハマオ」
「何だ」
「ありがとう」
「ああ」
俺はカリーナのさし出した手を強く握った。そして俺は外の青空とHamatownの新市街を眺めた。一見平和に見えるこの街にも、マヘリシや黄のような悪党に苦しめられている麻薬中毒者達がいる。今度という今度は黄と決着をつけてやる。そう一人で思っていたら、手を握っていたカリーナはすやすやと寝息を立てながら眠りに入っていた。俺はそっと病室を出て、護衛の警官に挨拶をして、俺の街へ戻っていった。Hamatownの旧市街へ。

(了)

このページの最初へ戻る

著者別メニュー