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俺は腹が減っていた。時刻は午後1時2分。ダウンタウンを歩いて、なじみの中華レストランを目指していた。春の暖かい日だった。日差しもポカポカして気持ちがよい。
レストランに近づくとガシャーンガシャーンとものすごい音がして、店内から3人の男が突き飛ばされてきた。3人とも地面に倒れて、痛みにうめいている。店内ではまだ物を壊す音と人の叫ぶ声がしている。周りの路地から見物人も集まってきた。次に店から外に放り出されたのは、レストランの主人の王さんだった。
「王さん、一体何事なんだ!?」俺は聞いた。
「ああハマオさん、良い所に来てくださった。助けてくださいよ。今、店の中で、2mはあるゴリラみたいな大男が酒を飲んで暴れているんですよ」
「大男?」
「そうです。それにあいつは何か格闘技やってますぜ。5人でかかっても、やられるくらいなんだ。お願いだ、ハマオさん。助けてください!!」
俺は王さんをそのままにして店の中に入った。なるほど、一人の男がテーブルやら椅子やらをあたり構わず投げつけて暴れ回っている。
「おいっ!!」俺はドスを利かせた声で叫んだ。すると大男はピタッと暴れるのをやめ、こっちをジロリとにらんだ。なるほど、身長2m、体重120kgといったところか、肌の黒い大男だ。顔は彫りが深く、アメリカ大陸に良くいる黒人と白人の混血のようだった。
「おい、でかいの。そんなところで暴れ回られちゃ、店は大迷惑だ。表へ出ろ!!」
俺がたたみかけると、大男は持っていた椅子を床に放り投げ、戸にいる俺の方へゆっくりとやってきた。俺は下がって表の通りで奴を待ち受けた。
通りで大男と俺は5mの距離で睨み合った。なるほどでかい。
181cmある俺より頭一つ分背の高い感じだ。男は「イヤーッ」と低いうなり声をあげ、俺に殴りかかってきた。俺はタッキングやヘッドスリップでよけるが、奴は俺に前蹴りや回し蹴りまで放ってきた。これだけ長いリーチだとすべてかわすわけにはいかない。
俺の脇腹めがけて奴の長くて太い足が飛んできた。俺はすかさず左足でスネ受けし、右手で蹴り足を払おうとした。ドスッと重い音がして、左足でブロックしたはずの俺は吹っ飛ばされて、尻餅をついた。桁外れのパワーだった。キックボクシングならこれでダウン1といったところだ。
それからも奴は重い突き蹴りを繰り出してきた。俺も額に冷や汗がにじんできた。
しかし2分もすると、奴はベタ足でフットワークを全く使わないこと、そして技が単調でパターンが読みやすく、ディフェンスががら空きであることがわかった。反対に体の小さい俺は、フットワークを使って奴の攻撃を、間合いを制してかわし、奴の左足の太股に右のローキックを何発か叩き込んだ。
さすがの奴も徐々に太股が痛くなりだして来るのが表情でわかった。奴は一か八かの大降りのスイングフックを撃ってきた。俺はダッキングして、続いてステップインして、奴の懐に入り、左膝で金的を思い切り蹴り上げた。
大男は悶絶の悲鳴を上げてひっくり返った。いただきだ。続いて、奴の仰向けの顔に靴の踵を蹴りおろしてフィニッシュしようとした時、奴がしゃべり出したので、俺は動きをピタッと止めた。
「マイリマシタ、マイリマシタ。ゴメンナサイ、ゴメンナサイ」
大男は巨体を震わせて苦しみ悶えながら泣いていた。それを見て俺は、とどめを刺すのをやめた。気がつくと通りに見物人が百人くらい取り囲んでいた。
「おい!見せ物は終わりだ。皆帰った!帰った!」俺は大声で言った。すると野次馬はぞろぞろと帰っていった。王さんが近づいてきて俺に言った。
「ありがとう、ハマオさん。さすがマーシャルアーツの先生だ。今度お礼をさせてもらいます」
「礼なんていらないよ。それより俺は腹が減っているんだ。台所が無事なら飲茶でも食わせてくれないかね。ちゃんと金は払うから」
「作りますとも。店の中はあのゴリラのおかげで今ムチャクチャですけど、ぜひ食べていってください」
王さんは店の中に駆けていき、どうぞどうぞと俺を手招きした。だが俺は「できたら呼んでくれ」と言って、ひっくり返ったままの大男に歩み寄った。
「おい、でかいの。おまえは名は何て言うんだ。どこから来た」
「クラウベ・・・クラウベ・スギモト。リオデジャネイロから来た」
「リオからか。しかしおまえ今スギモトとか言ったな」
「そう、ワタシ日系人。日系6世ヨ」
「日系人だって?! 本当かよ。とてもそうは見えんぞ」
「ワタシのおじいちゃん、白人と結婚したネ。ワタシのお父さん、黒人と結婚したネ。だから日系人だけど色黒いネ」
このクラウベという男は、先ほどまでの凶暴さから一変して、猫のように大人しい男になっていた。俺は奴の目を見て、こいつは悪人ではないなと思った。
「それでクラウベ。いつ日本に来た?このHamatownに何の用があった?」
「ワタシ、リオに日本人の恋人いたネ。正真正銘の日本人ヨ。でも彼女3ヶ月前に日本に突然帰っちゃったネ。ワタシに置き手紙して」
「恋人、か。じゃあ、おまえ、日本までわざわざ恋人探しに来たのか」
「そういうことネ。でも日本の役人冷たいネ。ワタシの恋人・・・サクラ・・・どこにいるかわからないって言うネ。誰に聞いてもわからないネ。それでワタシ酒飲んでヤケ起こして暴れてしまったネ。ホント、ごめんなさい」
その時店の奥から王さんが呼んだ。
「ハマオさん、飲茶できましたよ。特製のやつね」
俺は腹が減っていたが、このクラウベという大男のことがなぜか気になりだしてきた。
「王さん、悪いけど店は壊れてるようだし、その飲茶をテイクアウトにしてくれないか。俺はこの大男ともう少し話をする」
OK、と指でサインをつくって、王さんはしばらくして飲茶の食べ物を袋に入れて包んでくれた。金を払おうとすると、王さんはかたくなに拒否した。
「おい、クラウベ。少し歩かないか。お前がいくらでかくても、いつまでもここにいちゃみんなに袋叩きの目にあうぞ」
俺とクラウベは通りを歩いていった。20分ぐらい歩いて、小さな児童用の公園に席をおろした。俺は王さんにもらった飲茶の包みを開いた。そしてその中の食べ物をクラウベに差し出した。
「食べろ。腹が減っているだろ」
「ワタシ、こんなもの食べたことないヨ。遠慮するネ」
「こいつは言ってみれば中国のハンバーガーだ。食って見ろよ」
はじめは警戒の目で見ていたクラウベは、恐る恐る肉まんに口を付けると、「オー、オイシイ」と感激してムシャムシャ食べ始めた。
「おい、俺の分はとっとけよ」
二人はすべての飲茶を平らげ、王さんの入れてくれた水筒の茶をすすった。陽ざしが気持ちよかった。「アナタ、とっても強いネ。ワタシもカラテで黒帯三段だけど、アナタ何段?」
「カラテは初段だ。日本では昇段審査に高い金がかかるんだ。カラテ以外にも、柔術・ムエタイなどを取り入れた格闘技(マーシャルアーツ)をやっている」
「スゴイネ!!今度ワタシに教えてください!!」
「それよりクラウベ。彼女を捜していると言ったが、もう一度名前を言ってくれ」
「サクラ」
「それだけか?姓は?」
「サクラ。ワタシ、それだけしか知らない」
「そんな名前は日本中に何万人といるし、姓がわからなければ役人にわかるはずがない。何か他に手がかりはないのか」
「サクラ1年前にリオに来たネ。とってもキレイだった。ワタシの3才年下の25才ネ。サクラ、ワタシに日本語や日本のこといっぱい教えてくれたネ。日本はとてもキレイで美しい国。人々は皆礼儀正しくて、街にはゴミもあまり落ちてない。経済とっても豊かネ。女の人はキモノ着て、男は皆サムライネ。それからフジヤマ、キョウト、ナラ・・・」
「ちょっと待て。悪いがそいつはとんでもないウソつきだ。サムライがいたのは19世紀、日本の経済がとても豊かだったのは20世紀だ」
「サクラ、ウソつき違うネ!!」
クラウベは怒って大声を上げた。そしてまた泣き出した。
「でも、この街、Hamatown、ワタシのイメージしてた日本と全然違うネ。街汚いネ。皆貧乏みたいネ。おまけに日本人より中国人とかアラブ人とかの外国人の方が多いネ。ハマオ、これどういうこと?」
「歴史的に言えば、21世紀の初頭に中国であの大きな内戦があった。朝鮮半島でも戦争があった。そして中国や朝鮮半島から大量の武装した難民が日本に押し寄せてきた。何しろ何百人という数だったから、海上保安庁も警察も何もできなかった。そうして何百万という中国・朝鮮人が流れ込んで、日本がムチャクチャになっている時に、日本は経済大国だということで、世界中からたくさんの移民が一気に押し寄せてきた。1.3億人だった人口が、難民や移民で、あっという間に2億人になり、日本の経済は完全にパンクした。それがこの街のありさまさ」
「中国で戦争?ワタシ知らない。ワタシ小学校も出てないから」
「でもCNNぐらい見られるだろう?」
「リオも経済は大不況ネ。街の3分の1は電気止まってる。だからワタシの家にテレビない」
「そうか」
二人はポカポカ陽気の中でお茶を飲み干した。
「クラウベ、俺は探偵やってるんだ。お前のサクラ探してやってもいいぜ」
「本当?! ハマオ、お願いするヨ。お願い!!」
「ただ条件がある。俺は探偵だから金を払わない客のためには動かない。だからお前は、俺が紹介する港の荷役の仕事に就け。その金で、まず王さんの壊れたレストランに弁償し、それから俺に500ドル払え。支払いは俺がサクラという女を見つけてからでよい!!」
「うれしい、ハマオ!!ありがとう。ありがとう」
そういってクラウベは、巨大な手で俺の手が壊れそうになるぐらい強く握った。
「じゃ、もう1回聞く。そのサクラという女の特徴と手がかりになりそうなことをすべて喋ってくれ」
「サクラは年は25才。とっても美人。髪は長くて黒い。眼も黒い。背は中くらい。どちらかといえば痩せた方。それから・・・。最後に手紙残していなくなったとき、日本のHamatownに帰ると書いてあった。後は鏡・・・」
「鏡?」
「そうこれネ」
そういってクラウベはジャンパーの内ポケットから、大切そうに半分に割れた鏡を差し出した。
「これ、サクラの大事なものだったネ。でもワタシある時これを間違って割ってしまった。ワタシとっても悪い気して、何度も何度も謝ったヨ。でもサクラ『気にしなくていい』って言って、割れた鏡の半分をワタシにくれたネ。だからこれ、ワタシの大切な宝物ネ」
俺は半分に割れた鏡を見た。確かに上等そうな鏡だ。俺は注意深く鏡を見た。すると、鏡の裏に見覚えのある蛇の頭の彫り物があるではないか。
「クラウベ、この蛇の頭の彫り物に見覚えは?」
「なんだかワタシわからないネ」
「そうか・・・。で、お前はサクラに何か頼まれたか?」
「サクラとても良い女ね。わがまま言わない女ネ。でも一度サクラにお願いされて、アマゾンの奥地から葉っぱをトラック一杯運んだネ」
「葉っぱ?何の葉っぱだ?」
「わからない。ただその沢山の葉っぱを工場に運んだだけネ」
「そうか、読めてきたぞ。クラウベ、サクラは俺が必ず見つけてやる。お前は今から教える場所に行って、さっき言った荷役の仕事をしてこい。力仕事ならお手の物だろ」
そういって俺は、港の荷役の作業場の位置を紙に地図で書いて渡した。そしてクラウベの泊まっているホテルの名と部屋を聞き、俺の部屋の電話番号を教えた。
「俺が荷役の頭に電話入れとくから。今度は暴れないで、しっかり働けよ。それから、この鏡をしばらく俺に預けてくれ。必ずまた返す。今晩また連絡する。それじゃ」
そういって二人は別れた。

俺はまた歩いて地下鉄の駅に向かった。地下鉄に乗って15分。そこを降りてまた15分歩くと、21世紀の九龍城と呼ばれるコガネチョー・キャッスルにたどり着いた。
別名阿片城とも呼ばれる。20世紀から麻薬でも有名だったこのエリアは、21世紀に入ってビルを継ぎ建て継ぎ建て、まさに巨大な城のようになっている。俺がコガネチョー・キャッスルの巨大なビルに入ってゆくと、そこには外界とは全く別世界が存在していた。
ビルの中には沢山の雑多な人種が阿片を吸ってうずくまっている。すでに廃人となってぽかんと虚ろな目でこちらを見る老女がいれば、喧嘩をしている入れ墨の若い男連中も、花札をやっている中年の男達もいた。何ともいえない危険な雰囲気、そして独特の臭気と喧噪・・・。ビルにはほとんど窓がなく、暗い闇にうごめく人々は、まさにゴキブリのようだった。
俺は万一のためにバッグから電子トンファーをいつでも取り出せるようにして、ビルの階段を最上階の12階まで上っていった。
12階には、11階以下とは全く違った空間があった。きれいなオフィスビルのワンフロアといった雰囲気だ。ここはコガネチョー・キャッスルの阿片いっさいを取り仕切るチャイニーズ・マフィア“スネーク・ヘッド”の事務所なのだ。
“スネークヘッド”は20世紀末に香港で生まれ、大陸から日本への不法移民を斡旋することでのし上がってきた暴力団だ。移民のこなくなった現在は、主に麻薬の売買でもうけている。その構成員は日本全国で3万人。Hamatownだけでも2千人はいた。
俺が中に入ろうとすると、すかさず銃を構えたボディーガード達7~8人が、俺を取り押さえようとした。
「俺は怪しいもんじゃない。ボスの黄心揚と話がしたい。奴は俺の知り合いだ。内線を使って聞いて見ろ」
そう言って俺は黄心揚の名刺を奴らに渡した。ボディーガードの一人が中に入って、内線で確認をとっていた。その後、俺はボディーチェックを受け、電子トンファーを取り上げられ、中に通された。
通されたのはとても豪華な部屋だった。高価な絵や家具、そして足首まで埋まる絨毯・・・。
俺はソファに深々と座り、タバコを吸って待った。やがて20分位して黄心揚がやってきた。
黄心揚は俺と同じ31~32才で、180cmを少し越したぐらいの痩身のハンサムな男で、真っ白いスーツに髪をオールバックにしていた。
「ハマオか、久しぶりだな。前の一件では世話になった」
「皮肉かい。あんたにゃ似合わないな」
「いや、お互い過去のことは水に流そうと言うことだ。どうだ葉巻は?」
「俺はこのガラムで結構だ」
黄心揚は日焼けして、いかにも精力的な顔つきをしていた。さんざん奴に被害を与えてきた俺に対しても、余裕たっぷりの態度だ。
「ところで用件は何だ?ハマオ」
「黄、サクラというリオに3ヶ月前までいた日本人の女の居場所を知りたい」
「サクラ?ありふれた日本人の名前だが、特に心当たりはないな」
黄は葉巻に火をつけ、表情を変えずに言った。
「リオで麻薬の葉っぱを買い付けに行ったサクラと言ってもかい」
「知らんものは知らん」
「じゃ、こいつは何だ?」
俺はクラウベから預かった鏡を出して見せた。
「この割れた鏡の裏側を見て見ろ。蛇の頭の彫り物がしてある。つまり蛇の頭・・・。こんな鏡を持ち歩くのは、そこら辺のケチなブローカーじゃないはずだぜ。黄、お前はこの鏡を20人と渡してはいまい」
「その女を見つけてどうする」
静かに黄は聞いてきた。
「俺はいまさら、お前らの麻薬の商売を荒そうなんて思っちゃいない。ただサクラって女に心底惚れてるリオから来た男が、一目会いたいといってるから、そいつを手助けしようというだけなんだよ」
突然黄は声を立てて笑い出した。
「相変わらず良い度胸だよ、ハマオ。だが、こっちもお前のような一匹の探偵に商売を荒らされるなんて思っちゃいない。サクラ、か。確かにリオでその名を使っていた部下の女がいる」
それから黄は部下の一人を呼び寄せた。
「おい、すぐに調べて住所を教えてやれ」
そういって黄は傍らの部下に指示して、俺に住所を書いたメモを渡させた。
「借りができたな、黄」
「なーに、お前にはいろんな意味で世話になってるからな。たまにゃ、こちらも恩返しをしないとな」
黄に挨拶し、そのメモを握って俺はこの場を後にした。ボディーガードに電子トンファーを返され、階下に降りた。うっとおしいコガネチョーキャッスルの階段を下り、長い廊下を抜けて外へ出た。

メモによると、女はここから歩いて20分したマンションに住んでいるらしい。
俺は慢性渋滞で全く動かなくなった車道の横の歩道を歩いていった。そして、メモの地図にあったマンションに着いた。この街では珍しくきれいな高級マンションだ。
俺はエレベーターを使って7Fに上った。そして706号室の前に立った。表札には篠原礼子と出ている。俺はベルを鳴らした。インターフォンで応答があった。
「ハイ、どちらさま?」女の声だ。
「黄心揚の友達だ」今度は応答がなかった。
「ウソじゃない、ウソだと思ったら黄にかけて見ろ。俺は外で待っている」
5分ほどして電子ロックがはずれてドアは開いた。中から出てきた女はなかなかの美人だった。年頃は20台半ば、背丈は中ぐらいで痩身である。ただ、髪を真っ赤に染め上げている。これではクラウベの探しているサクラかどうかわからない。
「黄さんにかけたわ。そうしたら大切な友達だから、よくおもてなしするようにって。あがってください」
俺は部屋にあがった。部屋の中は女の髪の色と同じで壁も床も天井も家具も、すべて赤一色で統一されていた。俺は巨大なトマトの中に入ってしまったアリのような気分で、少し気持ち悪かった。
「何か飲む?お酒が良いかしら?」
「いや、水で結構だ」
女はよく冷やしたペリエを2本テーブルに運んできた。
「それで、ご用件は?」
「黄に聞かなかったか?」
「いいえ、何も」
「そうか・・・。実はお前に会いたがってる男がいる。そいつはリオから来た。名前はクラウベ杉本。大男だ」
「さあ?リオはおろか、私は外国へ行ったことがないのよ」
女は表情を変えずにいった。
「じゃ、これに見覚えは?」
俺は例の蛇の頭の半分割れた鏡を取り出した。あまりに不躾でストレートなやり方だったが、逆に効果的だった。
「知らないわ」
女の表情がウソをついていることを物語っていた。
「用件はそれだけ?だったら、水を飲んだら帰ってちょうだい」
俺は女の胸ぐらをつかんで立ち上がらせ、壁にたたきつけた。
「いいかい、ねえちゃん。クラウベはお前が麻薬の材料を探すために利用されたことも知らずに、まだあんたのことを思って、はるばるこのHamatownまでやってきたんだ。それに対してシラを切ったりするのは気にいらねえな」
俺が胸ぐらをつかんで、服でのどを圧迫したので、女はせき込んだ。
「放してよ、人を呼ぶわよ!!」
「呼べるもんなら呼んでみな。クラウベはお前にどうしようってわけじゃねえんだ。ただ一度だけでも会ってやったらどうなんだ」
俺は女に強引にキスをした。キスは約30秒続いた。胸ぐらをつかんでいた俺の手はゆるみ、女も抵抗をやめてきた。
「あなた、何人?中国人?日本人?」
「俺は自分が何人だか知らん。孤児だからな。ただ黄色人種で、その中でも色の白い方だから、中国人か日本人か朝鮮人である可能性が一番高い。でもベトナム人やタイ人にも色の白い奴はいる。マレーシアやシンガポールの、中国系の子供かもしれん。俺はこのHamatownに生まれた。国籍もない。だから、強いていえばHamatown人だ」
「そう・・・。それでクラウベは今どこに!」
「今、港で荷役の仕事をさせている。お前が見つからないんで、奴さんヤケを起こしてな。酔っぱらってレストランを一つぶっ壊しやがった。だから弁償するために働いてもらわなきゃならない」
「そんな!クラウベは体は大きいけど、他人に暴力を振るう人じゃなかったのに」
「そうさせたのは誰のせいか、よく考えるんだな。今電話でクラウベを呼ぶ。後は二人っきりでよく話し合うんだな」
俺は部屋の電話で港の荷役の頭を呼びだし、クラウベが働いていることを確認し、今日は早退させて、女のマンションまで来させるように頼み、マンションの場所を伝えた。
「今から1時間以内にクラウベは来るだろう。俺はそれまでここで待たせてもらうぜ」
俺は女に言った。
わかったわ、といって女はCDプレーヤーに向かった。スピーカーから音楽が流れてきた。20世紀の音楽のようだった。とても軽快で洒落た、気持ちのいい音楽だった。
「これは何て言う音楽だ?」
「ボサノヴァっていうの。20世紀中盤に流行した、リオで誕生した音楽よ。今流れているのは『チザフィナード』という曲。私の尊敬するトム・ジョビンという人が作ったの」
本当に気持ちの良い音楽だ。時刻は午後5時を過ぎ、陽は沈みかけていた。
「お前、クラウベをどう思っていた?」
「サクラという偽名を使って利用していたのは事実よ。でも確かにあの人を・・・愛していたわ」 二人は小1時間ボサノヴァという音楽を聴きながら、水を飲んだり煙草を吸ったりして時間をつぶした。

午後6時になった。陽はとうに暮れていた。ベルのチャイムが鳴った。女がインターフォンに出て、「どなた?」と聞くと、「ワタシ、クラウベです」という声が聞こえた。女は電子ロックをはずしてクラウベを中に招き入れた。
「サクラ!!」
クラウベは感激して女を強く抱きしめた。クラウベはまた涙を流していた。どこまでも激情家なのだろう。
「クラウベ。私・・・ごめんなさい。黙って日本へ帰ってしまって」
「OK、OK。こうしてまた逢えたしネ」
俺は二人の抱擁を横目で見ながら言った。「二人っきりでよく話し合うんだな。クラウベ、俺は外で待ってる」
「ハマオ、ありがとう!本当にありがとう!」
そう言って今度もまた例の万力のようなグリップで俺の手を握りしめてきた。
俺は外へ出た。廊下の突き当たりに煙草と缶ジュースの自動販売機がある。そこへ向かって歩いた。すると廊下の背後から現れた二人の若い男によって、背中に銃を突きつけられた。
「動くな。気の毒だがお前には死んでもらう」
一人の男が言った。
「それが黄の指令か。相変わらずあいつらしいセコイやり方だ」
俺が言った。
「黙れ!ボスの悪口を言うな!」
もう一人の男が言った。
「わかった。ところで死ぬ前に聞きたいんだが、俺は何口径のピストルでやられるんだい?38口径なんていやだぜ。どうせなら44口径でどかんと殺って欲しいな」
「余計な口を利くな」
「黄が前に行っていたぜ。ウチの部下に44口径を持たせると、あまりの衝撃でてめえの足を打つ馬鹿野郎が多いってな」
「この野郎、黙りやがれ!!」
一人の男がかっとして俺を蹴りつけようとした。その隙に俺は、バッグから電子トンファーを抜き出し、あっという間に奴らに当てて地面にひれ伏させた。
一人の男の方が、当たりが軽かったのか、失神しないでもがいていた。俺はそいつともう一人のケツの穴めがけてズボンの上から電子トンファーを突き刺した。二人の男は脱糞して失神した。ケツの穴に突っ込まれた人間は、3ヶ月は起き上がれなくなるものだ。
これこそまさにファッキング・アースホールだ。
その後、女の部屋で絶叫する声が聞こえた。あわてて駆けつけると、クラウベが腹にナイフを突き刺されていた。女は真向かいでブルブル震えている。
「どうしたクラウベ!!大丈夫か?!」
俺はクラウベを見やった。ナイフが柄の近くまで右の脇腹に刺さっている。
「ナイフを抜くなよ!!今抜いたら出血が止まらなくなるからな。すぐ病院へ連れて行ってやる」と俺は言って女をキッとにらんだ。
「貴様、クラウベに何てことしやがったんだ!!」
女はブルブル震えたまま涙をこぼしてしゃくり上げながら言った。
「仕方なかったのよ。私はクラウベを愛してたわ。でも私は黄の愛人なのよ。あの人に逆らうことはできないわ。絶対に!」
「このくそ女!!愛してる人間に、どうしてナイフが刺せるんだ。ふざけるな!!」
興奮してまくし立てる俺は、倒れているクラウベが何か言っているのに気がついた。
「どうした?クラウベ」
「いいヨ、ハマオ。いいヨ、いいんだヨ」
クラウベは泣きながら絞り出すような声でいった。
「何がいいものか!!」俺は叫んで女に言った。
「いいかクソ女。俺は絶対にクラウベを死なせやしない。それからおれとクラウベを消そうとした黄の野郎も絶対に許さんからな。そう伝えとけ」
俺はクラウベの巨体を抱え上げた。なまじ体がでかい上に、腹を刺されて脱力しているので余計に重かった。俺はクラウベの肩を抱える格好でエレベーターの方へ向かった。その時クラウベは女に言った。
「サクラ。ワタシどんなことされても、サクラを愛しているヨ。本当ヨ」
「もういい!クラウベ、喋るな」
俺はエレベーターに乗り込み下まで降りた。この街の慢性交通渋滞では救急車は使えない。救急ヘリも金持ちのためにしか動かない。マンションの外に出ると、大八車で果物を運ぶ東南アジア系の中年女性がいた。「おばさん、ちょっと借りるぜ」と言って俺は、クラウベを大八車に注意深く横たえ、近くの知っている医者まで大八車を引っ張っていった・・・。

あれから2週間が経った。クラウベは死ななかった。体が大きいために短いナイフでは急所に到達しなかったこと。ナイフを抜かないまま病院へ行ったので出血を最小限にくい止められたこと。そしてクラウベの驚異的な回復力。これらの要因によって、クラウベは退院することになった。
今俺はクラウベに肩を貸しながら、坂道を上っていた。坂道を上りきったところは公園になっており、Hamatownの港を一望できた。
「クラウベ、ここは俺の生まれたというか拾われた場所だ。カモンヤマ・パークって言うんだ」俺は言った。
「カモンヤマ・パーク?」
「そう、今から200年前まで日本は鎖国していたんだ。もちろん外国人はこの日本に一人もいなかった。その時日本を開国させ、外国人を入れることにしたサムライが井伊直弼、この銅像のオッサンだ」
「へえ、サムライ!」公園の中央には井伊直弼の銅像が港の方角を向いて建っていた。
「ハマオ、あそこに沢山咲いている花は何て言うんだ?」
「お前知らなかったのか?あれが桜。日本の花だよ」
「桜。オーッ!サクラと同じ名前の花ネ」公園の中に咲いている桜がちょうど満開だった。
「クラウベ、これからどうする?」俺は聞いた。
「ワタシ、リオに帰る」
「あの女のことはいいのか?」
「うん。サクラには逢えただけで良かった。それにナイフで刺されても、サクラ、ワタシのこと愛してる気持ちわかったから」
「そうか」
「金はリオで働いて必ず返すよ。ハマオ、本当にありがとう」
「気にするなよ」
「ハマオ」
「何だ?」
「ワタシ、この街とこの国、日本じゃないみたいって言ったネ。でも違ったネ。ワタシ、ハマオの中に日本人見たネ」
「俺が・・・日本人?!」
「そう。ハマオは間違いなく日本人ヨ」
俺は黙って桜の木々とその向こうのHamatownの港を見つめた。そもそも非情と言われ続けたこの俺が、どうしてこんな見知らぬ外国人を助けたのだろう。その外国人に国籍不明の俺は今確かに日本人だと言われた。俺は本当はどこから来て、これからどこへ行くんだろう。
そんなことを考えているとき、強い風が吹いて桜の花びらが俺達二人に舞った。花びらだらけになった二人は、お互いを見て大笑いし合うのだった。

(了)

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