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スコールだ。私はかの有名なサマーセット・モームの愛用していたラッフルズ・ホテルに面したビーチ・ロードにあるオフィスの窓から外をながめていた。私のオフィスは雑居ビルの 五階にあった。私の仕事は、東南アジア海外渡航者損害事務所の所長だった。所長と言ってもオフィスには私と秘書の女性が一人。近年とても数の増えた日本人の海外渡航者のトラブルを解決するコーディネイターの様な仕事をここ、シンガポールでしている。私の名はアリー・ヤマモト。父は日本人で母はプラナカンの混血児だった。プラナカンとは、明の時代に中国からマレー半島に渡って来て育った中国人とマレー人の混血の末裔たちの事で、ババ・ニョニャともマラッカ・チャイニーズとも言う。プラナカンは、およそ五百年の間、自分たちの祖国である中国の風習を未だに保ち続けながら、マレー系の生活習慣も併せ持つ独特の民族である。
私は生まれてからの九年間を、父の仕事上の都合でインドネシアのスラバヤとジャカルタで過ごし、その後の十一年間は母国であるシンガポールで過ごした。その後二十歳の時に父の母国である日本を初めて訪問し、日本の大学の経済学部に四年間通った。その後、語学の才能を買われて或る大手の損害保険会社のシンガポール支店に勤務していたが、五年後に独立して今の事務所を開くに至った。
シンガポールは複合民族国家である。中国系が人口の七割、マレー系が二割、インド系が一割である。国は英語を母国語としているが、北京語、マレー語、タミール語も公用語として認めている。従って私は英語と日本語とマレー語の三か国語をしゃべる事ができる。シンガポールの友人たちの影響で、北京語とタミール語も少しならわかる。
私が再び雨を見やるとスコールはやんでいた。シンガポールではスコールの事をshowerと呼ぶ。軒下で雨宿りしていた人達は、再び歩き始めた。空には再びギラつく太陽が顔を出し、青い空が広がっていく。私のオフィスの机の上の時計は一九八八年三月一日の午前十時五分を示していた。こちらの人間にとってはあたりまえの事だが、シンガポールやその近辺のマレーシア・インドネシアには四季が無い。一年中真夏の陽気である。気候の変化は、熱帯モンスーン気候による乾期と雨期だけである。シンガポールの雨期はだいたい十月から三月の間くらいで、今はちょうど雨期の終わりにさしかかってきた。雨期と言っても、日本の梅雨の様に一日中雨が降るわけではなく、三十分~一時間くらいのスコールが乾期より回数が多く降るというだけである。長くても一時間で終わってしまうスコールに対して、シンガポールの人達は傘を持ちたがらない。軒下で止むのを待てば良いのだ。
もうすぐ火炎樹の咲く頃だ。火炎樹は十月と三月の一年に二回、乾期と雨期の境目に真っ赤に咲く。その美しさは筆舌に尽くしがたい。ただし桜ほどではないにせよ短い期間で散ってしまう。
その時、私のオフィスに電話が鳴った。秘書のアルーア・グレイは二十五歳のインド系の可愛らしい女性で、英語、タミール語そして日本語を話せる私の唯一のパートナーだ。
「アリー。マラッカの日本人の女性からです」
アルーア・グレイは私をボスと呼ばずに、ファーストネームのアリーと呼ぶ。
「ありがとう。つないでくれ」
私は自分のオフィスを二つに仕切っていた。廊下に通じるドアから入った部屋はアルーア・グレイのいる場所で応接間になっていた。それから薄い壁で仕切った奥の部屋は、私専用の個室だった。
アルーア・グレイは内線で私の部屋に電話を回してくれた。
「はい。アリー・ヤマモトですが」
「ヤマモトさんね。わたし、岡野洋子と言います。ちょっとトラブルがありましてね。こちらの評判は大学時代の友人の井上京子から聞きました」
若い魅力的な女の声だった。井上京子というのは、何ヵ月前かに、ジャカルタでエメラルドを盗難された金持ちのお嬢さんだった。私がジャカルタまで出向き、何とかエメラルドを元に戻した事件だった。
私は東南アジアの日本人の行きそうな幾つもの場所に新聞広告を載せてあった。英語と日本語併記で。井上京子もジャカルタの新聞で私の事を知ったのだった。
「井上京子さんの事は良く覚えていますよ。それでどんなトラブルなんです?」
「父と二人でマレーシアを旅行していたの。クワラルンプール・ペナンに続いてマラッカに来たわ。だけど父がこのマラッカで行方不明になっちゃって……。警察は頼りにならないし。何とか助けてもらえないかしら」
「どういういきさつで行方不明になったか教えてもらえませんか?」
「わたしはマラッカに着いて風邪をこじらせてホテルの部屋で寝てたの。父はマラッカに着いた一日目にトライショーで市内観光をしたの。その時仲良くなったトライショーマンにジャングルツアーを持ちかけられて、宿に帰った時は『明日はオラン・アスリに会うぞ』ってとても陽気だったわ。しかし二日目にジャングルツアーに出掛けたきり帰ってこないのよ。そうしてもう三日になるわ」
トライショーと言うのは、自転車の横に客席を作って客を運ぶ人力車の事だ。昔はマレーシア人の重要な交通手段だったが、自動車の時代になり、今では観光用だ。オラン・アスリとは、マレーシアに住む身長がとても低く、ジャングルの中で狩猟・採集を生業としている原始的な種族の事だ。ジャングルツアーとはおそらく都市部のマラッカから森林部に入って、オラン・アスリに会わせる観光プランの事だろう。
「あなたと、お父さんのご職業は?」
「父は貿易商、わたしは父の手伝いをしてるわ。どう、助けてくださる?」
「料金は日本円で戴きます。一日当たり一万五千円。それに経費。それでよろしいですか?」
「結構よ。私は今、マラッカのラマダ・ルネッサンスに居るわ。いつ来られる?」
「今、十時を少し回ったところですから、車で五時間はかかります。午後四時にホテルのロビーで会いましょう」
「わかったわ。お待ちしています。それじゃ」
私は電話を切った。
私はアルーア・グレイのいる応接間に入った。
「アルーア。仕事だ。マラッカで日本人の女の父親が行方不明になった。何日かかるかわからない。時々電話を入れるから、しっかり番をしといてくれ」
「いつもの事ですよ。気を付けて行ってきてください。でも、また若い女ですね。最近増えてきましたね」
「何しろ日本は今バブル景気の真っ只中だからな。円高も進んでるし。若い女は海外旅行をしたがるのさ。日本では若い男より若い女の方が海外旅行に熱心なのさ」
「わたしだって、旅行に行きたいわ」
「そうかい。じゃ、今度の仕事でもうかったらボーナスでも出すか」
「本当?!それは楽しみだわ」
「それと日本の井上京子に電話して、岡野洋子について聞いておいてくれないか」
私はアルーアの額にキスをして、事務所を出た。階段を降り、駐車場に止めてある愛車ビュイックに乗って出発した。出張に必要な物はいつもビュイックに備えてあった。

シンガポール島の南にある私の事務所から、ちょうど島を横断する形で車を北上させた。
〃クリーン&グリーン〃の街……。道にツバを吐いても、ゴミを捨てても、数万円の罰金をとられる国。リー・クアンユー首相の超管理国家。韓国、台湾、香港と並んでNICSまたはNIESと呼ばれる新興工業国家……。
この街は確かに東南アジアではズバ抜けて綺麗だ。公衆衛生の感覚の乏しい東南アジアでは確かに、こういう管理型国家でなくては綺麗にならないだろう。そして人口二六〇万人の小国をコントロールするためには、リー・クアンユーの他の思想を禁ずる姿勢も必要な事もあるだろう。この国は確かに発展・成長してきた。
しかし何かが違うと思うシンガポール国籍を持った私がいる。
そんな事を思いつつ高層ビル街を抜け高速道路を一時間ほど走ると、もうシンガポール島とマレー半島をつなぐコーズウェイと言う橋に着いていた。しばらくシンガポール側の出国審査で待たされたがパスポートを見せてようやくコーズウェイの橋を渡る事が出来た。
コーズウェイを渡るとマレーシアの入国審査に荷物・トランクなどをチェックされる。もし麻薬を持っていようものなら外国人でも死刑だ。これはマレーシアのマハティール首相の禁麻薬政策だ。かつてあるオーストラリア人二人が麻薬を持ったままマレーシアに入国し逮捕された。オーストラリア政府はマレーシア政府に助命と減刑を嘆願したが、マレーシア政府はこれを断固としてつっぱね、二人を死刑にした。
しかしそういう政策の中でも、マレーシア人の十人に一人、即ち一六〇〇万人のうち推定一六〇万人が麻薬経験者だという現実がある。ルックイースト政策で新興工業国家をめざすマレーシアも、国民の中には麻薬でもやらなければやっていけないという逃避願望があるのだ。
シンガポールのリー・クアンユー、マレーシアのマハティール共に、インドネシアのスハルトの様な不正蓄財をする政治家ではないが独裁者である事には間違いない。
マレーシアもシンガポールと同じ複合民族国家だ。ただし人口比率はマレー系六割、中国系三割、インド系一割とマレー系が多い。元々シンガポールはマレーシアの一部だった。しかし一九六五年に人種間平等主義を唱えるシンガポールが、マレー系優先政策(プミプトラ政策)をとるマレーシアと対立して分離独立した。
車は入国審査のチェックをパスし、マレーシア国境の街ジョホール・バル市に入った。この街はマレーシア全十三州のうち最多の人口を持つジョホール州の州都だ。
マレーシアは立憲君主制で国王は全十三州のうちサルタンのいない四州を除いた九州のサルタンの互選で決められる。一九八八年時点の国王はこのジョホール州のサルタン・イスカンダーだ。
ジョホール・バルに入るといかにも東南アジアという活気に満ちた混雑した街並みが広がる。〃クリーン&グリーン〃の街も綺麗だが、私はジョホール・バルの様な街に何か温かみの様なものを感じる。
道路の左側の小高い丘には、サルタン・イスカンダーの巨大な宮殿の敷地が広がる。宮殿は二つあり、敷地内にはサッカー場もある。このサルタン・イスカンダーも恐ろしい独裁者で、以前彼の非道ぶりを伝えるエピソードが残っている。昔、このサルタンの運転手がサルタンの母を交通事故で死なせてしまった。これに激怒したサルタンは、この運転手を撃ち殺してしまった。しかしサルタンは殺人罪にも問われなかった。もともとサルタンとは、イスラム教国家のマラッカ王朝時代からの王様の事なので、〃目には目を〃という考えで皆が黙認してるのだろう。
しかしマレーシアの人々はそんな首相やサルタンに関係なく、実に陽気で穏やかな人々だ。そうでなくては観光地にはなりえない。
また、あの宮殿の高塔から太平洋戦争中に日本陸軍の山下奉文将軍がシンガポール攻略の模様を双眼鏡で視察していたとも言う。山下奉文は開戦と同時にマレーシアを制圧し、シンガポールを陥落させ、〃YESかNOか〃とイギリス軍のパーシバル将軍に迫った、通称〃マレーの虎〃だ。
私はジョホール・バルを抜けマレーシア西海岸に位置するマラッカを目指した。道はガラガラに空いており、私はスピードを百キロ以上出してビュイックを走らせた。途中の道端には、森林が広がり、時折ゴム園や椰子畑やパイナップル畑などが目に入った。

私はオフィスから五時間かけてマラッカの街へ入った。マラッカは十五世紀~十六世紀にかけてマラッカ王朝の栄えた古都である。日本で言えば、奈良や鎌倉にあたるのだろうか。
このマレーシア半島の歴史を紐解くと、AD七五〇年~一二九〇年に栄えたシュリヴィジャヤ王国の存在が出てくる。シュリヴィジャヤ王国は、現インドネシア・スマトラ島を中心としたヒンズー・仏教国家であり、マレー半島の初めての統一王朝である。
続いて一二九〇年~一三九〇年に現インドネシア・ジャワ島を中心とした巨大なマジャパイト王国が興りマレー半島をも判図に収め、それに続いて一四〇三年にこのマラッカを首都にしたマラッカ王朝が誕生した。シュリヴィジャヤ王朝の末裔パラメスワラと言う王族の一人がスマトラを追われ、マレー半島を転々とした後、マラッカへ逃れてマラッカ王朝を築いたのだ。マレー半島初のイスラム国家だった。
しかしヨーロッパの大航海時代をを迎え、一五一一年にマラッカはポルトガルに占領された。続いて一六四〇年にオランダがマラッカを占領し、一八二四年にはイギリスがマラッカを占領し、その後現在のマレーシア全土を植民地にした。
つまりマレーシアは三つの強力な王朝が交代して支配した後、三つの列強による支配を受け、第二次大戦後に独立したわけだ。
久しぶりのマラッカだ。私にとっても関わりの多い街でもある。人口約百万。観光地でもあるから活気がある。昔は貿易都市として港も賑わっていたが、遠浅の海岸のため現在はほとんど港として使われていない。
私はマラッカ一番の高級ホテル、ラマダ・ルネッサンスに到着した。地上二十階建てクラスの高さのホテルは、なかなか洒落たホテルだった。私はフロントに行き、岡野洋子をロビーに呼ぶようにフロントマンに頼んだ。
私はロビーの深々としたソファーに座り、ガラムを吸った。約束の午後四時まであと十分程あった。
十分程してフロントマンにつきそって日本人らしき女性が現れた。その女性はピンクのブラウスと短いスカートを着ていた。年齢は二十五歳位、身長一六五センチ位、スタイル抜群の美人だった。
初めて見たとき、私はその美しさにしばし呆然とした。映画好きの私は四十年代の女優ローレン・バコールを思い出していた。ローレン・バコールは二十歳でハンフリー・ボガードと結婚した女優で、〃ザ・ルック〃と呼ばれた独特の上目遣いが特徴だった。
この岡野洋子もまさに〃ザ・ルック〃と言う上目遣いで私を見つめた。カールされた黒く美しい髪に魅力的な大きな眼と意志の強そうな唇、東洋人にしては珍しい彫りの深いはっきりとした顔だちをしている。
「岡野洋子です。あなたがアリー・ヤマモト?」
女が先に口を開いた。
「ヤマモトです。初めまして」
「ここでは何ですから、ホテルの庭に移りません?」
「いいでしょう」
そう言って私と岡野洋子はロビーから外へ出た。

ホテルの庭にはプールサイドに面したバルコニー風のバーがあり、私たちはそこから少し離れた椅子に座った。
女はウェイターにトロピカル・ドリンクを注文し、私はライムジュースを頼んだ。
プールには二、三十人の客が泳いでいた。子供たちの声が響いていた。プールサイドでは、かつてはナイスバディで鳴らしたであろう白人の老女性がビキニの水着を着てサングラスをかけデッキチェアーで体を焼いている姿が眼についた。
「まず私が伺いたいのは、この事件をどうして警察や大使館に届けなかったか、です。どうしてでしょうか?」
私が口を開くと、女はウェイターの運んで来たドリンクに口をつけながら言った。
「その質問には答える必要はないと思うわ。私は警察や大使館よりも、井上京子を救ったあなたに期待してるからとしか言えないわ。ねえ、ビジネスライクに行きましょう」
「ほう」
「とにかく父を探してもらいたいの。手掛かりは、知り合ったトライショーマンの行方。その男とジャングルツアーに行くと言って出掛けたきり父は帰って来ない」
「少ない手掛かりですね」
「もう一つ気になる事があるの。父が行方不明になってからこの二、三日誰かにつけられているような気がするの」
「つけられている?」
「そう。もしかしたら、そこに手掛かりがあるかもしれないわ」
「つけられていると言うのは、どうして感じるのですか?」
「なんとなくだけど……。若いマレー系の男がついて来る気がするの」
「おだやかじゃありませんな」
「どう?依頼を引き受けてくださる?」
「約束の料金、一日一万五千円と経費を今日から払って下されば、ひきうけますよ」
「じゃ、決まりね」
女はほっとした様子で大きく上体を反らした。女は香水をつけていた。私に香水の事はわからないが、気持ちの良い匂いが私の五感を刺激した。
「行方不明のお父さんを探すとなると一日や二日では到底無理でしょう。また誰かにつけられているとなると、私があなたと行動を共にしなければならない。あなたはこのホテルの何号室にお泊まりですか?」
「確か……四〇一号室よ」
「では、ボディーガードの意味も含めて隣の部屋に私も泊まる事にしましょう。それも経費のうちになりますが、宜しいですか?」
「お願いするわ」
「では、まず市庁舎に行って、トライショーマンの記録を調べる事にしましょう。面倒だと思いますがあなたもこれから私と行動を共にして下さい。そうすれば、つけてる奴も突き止められるかもしれない。いいですか?」
「もちろん、OKよ」
私たちはプールサイドを後にして、ホテルの駐車場に向かった。
私が薄茶色の愛車の女が乗る助手席のドアを開けると女が言った。
「これ、どこの車?アメ車じゃないの。もうガタが来そうな車ね」
「GMCビュイックGS四五五・ツードアクーペです。七十年代のタイプですが、けっこう頑丈で物持ちが良いんですよ。アメ車が駄目だと言うのは、必ずしも当たってるとは限りませんよ」
そうなの、と言って女はビュイックに乗った。私も運転席に乗った。私たちはラマダ・ルネッサンス・ホテルを後にした。

時刻は夜の七時になっていた。既に日は暮れかかってた。市庁舎に行ったが、収穫は無かった。当局の把握しているマラッカのトライショーマンは三百五十二人だった。しかし住所などは当局は犯罪歴でも無い限り知らない、と言われた。
結局、自分たちで片っ端からトライショーマンをチェックするしか無さそうだ。トライショーマンは夜は営業しない。明日の朝から探す事に決めた。
私と岡野洋子は、街のマレー料理店で夕食を共にしていた。
私たちはサテーという焼き鳥、ナシ・ゴレンという炒飯、オタオタという白身の魚をすりつぶした料理など、標準的なマレー料理を食べた。私にとっては小さい頃から親しみのある料理だが、岡野洋子にとっては新鮮らしく、ほとんど料理を残さなかった。
私たちはホテルに戻った。ホテルの地下にあるバーに行く事にした。女はシンガポール・スリングを注文し、私はワイルド・ターキーのダブルを注文した。
「あなたの言う通り、確かにマレー系の若い男がつけていますね」
「そうでしょ!で、どうするつもり?」
「しばらくは泳がせてみましょう。まだ何かのアクションを起こすとは考えられませんからね」
「そう」
女はそう言って、静かにシンガポール・スリングを飲んだ。顔にほんのり赤みがさし、女の美しさを一層引き立てている。今日、半日ばかり接しただけだが、この女には美貌だけでは無く品の良さと教養が備わっている。
「あなたの事を知りたいわ。アリー・ヤマモトさん、あなたハーフなんでしょ?」
「父が日本人で母がシンガポール人。もっとも母は中国人とマレー人の混血であるプラナカンです。マラッカ・チャイニーズともババ・ニョニャとも言いますが」
「ふーん。どおりで日本人の様な顔をしている訳ね。少し色が褐色だけど。学校はどうしたの?」
「私は生まれて九年間を父の仕事上の都合で、スラバヤとジャカルタで過ごしたんです。その後、シンガポールで十一年間過ごしました。だからハイスクールはシンガポールです。その後、日本の大学の経済学部に留学しました」
「へえー。日本の大学に来たの。どう、日本の大学生活は面白かった?」
「大変退屈でした。私が日本の大学に入ったのは一九七二年の時で、もう学生運動の時代は過ぎていました。当時の学生は七〇年安保で目標を失い、学園には三無主義がはびこっていました。無気力・無関心・無責任と言うやつです。日本の大学は入る事はとても難しいが、出るのは簡単です。ですから、日本の大学の授業に真剣な学究態度を見つける事は出来ず、私にとっては退屈な四年間でした。もっとも他の留学生たちも決まって同じ事を言いますがね」
「あら、あなた意外に真面目なのね。私の大学生活は八〇年代だけど、大学は完全にレジャーランド化していたわ。『何となくクリスタル』や『オールナイトフジ』が流行って、学生たちはブランド商品を買いあさり、海外旅行に出たり、サーフィンやスキーに夢中になってね」
「あなたはどんな学生でした?」
「さあ、どうかしらね。大学時代から貿易商の父を手伝ってたから、あんまり遊ぶ暇も無かったわね」
「岡野さんのお父さんはどんな方だったのですか?」
「うーん。一言で言うのは難しいわね。ただとても仕事熱心とは言えるわね。ところで私は依頼人とは言え、あなたより十才ぐらい年下よ。敬語を使うのはやめて。それから私の事を洋子と呼んで。私もあなたをアリーと呼ぶわ。ファースト・ネーム同志で気軽でしょ」
「わかった。洋子と呼ばせてもらうよ」
私はふと不思議に思う事があった。洋子は、自分の父が行方不明なのに、悲しそうだったり落ち込んでいたりという感じを全く見せない。これは彼女の気丈さから来るものなのだろうか、それとも……。
二人はバーを後にしてエレベーターで四階に向かった。洋子の四〇一号室の隣の四〇二号室に私が泊まる事にしていた。おやすみ、と言い合って二人はそれぞれの部屋に戻った。

翌日、六時に待ち合わせていた私たちはマラッカ市内のトライショーマンの集まりそうな観光スポットを廻る事にしていた。
マラッカの観光スポットには、マレーシア・オリジナルのマラッカ王朝時代の遺跡はほとんど残っていない。ポルトガル・オランダ・イギリスの三カ国もが交代して統治していたためだ。
まず観光のメインスポット、ダッチ・スクウェアに徒歩で向かった。ダッチ・スクウェアとはオランダ広場と言う意味だ。オランダ総督の邸宅として使用されていたスタダイスを中心に、マラッカ博物館、キリスト教会といった建物が、広場の中央の時計台の周りにずらっと並んでいる。これらの建物の壁の色は黒だったが、後にイギリス人がマラッカを占領した際に今日の鮮やかなサーモン・ピンクに塗り変えた。
トライショーは既に数十台が観光客目当てに待機していた。私と洋子は、洋子の父・岡野雄三の写真を持って四日程前にジャングル・ツアーに行ったトライショーマンはいないかどうか聞いて廻った。陽気なトライショーマンたちは、一斉に興味を示して集まって来てくれたが、誰も知っている者は無かった。
続いて近くのサンチャゴ砦に向かった。サンチャゴ砦は、一五一一年に旧ポルトガル軍が築き上げた堅固な要塞の門である。ここにも十数台のトライショーが待機していたが、やはり誰も知らないと言ってきた。
その後、サンチャゴ砦の門を抜け元要塞の部分に当たる小高い丘に建てられたセント・ポール教会に登った。ここも有名な観光スポットで、観光客を目当てに誘いを掛けるトライショーマンが多いからだ。
日本にキリスト教を伝来させたフランシスコ・ザビエルはスペインを出た後、インドのゴアにとどまり、その後にここマラッカに来て、黄金の国ジパングについて研究していたという。
ここにはフランシスコ・ザビエルの右腕の欠けた白い銅像が立っている。教会と言っても現在は使用されておらず、壁だけ残った教会跡の事で、観光客が自由に出入りできるようになっている。
教会の表には土産物を売ろうとする若者たちが忙しく準備をしていた。このセント・ポール教会からは、マラッカ海峡が一望できる。
「見ろよ。あのタンカー。中東からこのマラッカ海峡を抜けて日本に向かうタンカーだ。ここは知っての通り日本の生命線なんだ。宝の海峡だよ」
「どうしてこんな狭い海峡を通るのかしらね。海賊だっているらしいじゃない」
「クタ地峡の計画があった事を知ってるかい?どうやらオクラ入りしたみたいだが、恐ろしい計画だよ。核爆発を使ってマレー半島の一番くびれたタイの領域に長い運河を作って、新しい海峡にしようとしたんだ。全くクレージーだよ」
そんな会話をしながらトライショーマンたちに岡野雄三とジャングルツアーについて聞いて回ったが、やはり収穫は無かった。
その後、ハン・カステリの墓、マラッカ・チャイニーズ博物館、サルタンの井戸、チェン・フーン・テン寺院、トランクエラ・モスク、セント・ジョンの砦など有名な観光スポットをひと回りしたが、どこのトライショーマンも心当たりは無いと言って来た。
時刻は午後四時を回っていた。私たちは最後にブキット・チナに行った。ここにも数台のトライショーがあり、トライショーマンに聞いて回ったが、誰もが知らないと言う。
ブキット・チナは一四五九年に、マラッカ王朝に嫁いだ中国の明皇帝の王女ハン・リー・ポーと侍女五〇〇人のために当時のマラッカ皇帝が、彼女らの居住地として与えたのがこの丘である。現在、この丘には一万二千人に及ぶ中国人の御霊が眠る墓所となった。
私たちはブキット・チナの丘を登っていった。先程のセント・ポールの丘よりも高い丘で階段も長い。頂上からはほぼ三六〇度のパノラマが楽しめた。西側にはマラッカ海峡、東側には住宅地やそれに続く畑やジャングルが見えた。頂上には、夕方のせいかほとんど人はいなかった。
「さて、なかなか手掛かりを見つけるのは難しいな。あのジャングルの中にお父さんはいるのだろうか」
「そうね。わたし、歩き続けてくたびれちゃったわ」
「僕の母方の祖先もこの墓所のどこかに眠ってるはずなんだ」
「明の時代でしょ。そんな昔によくこんな遠いマラッカに嫁ぐ気になったわね」
「ああ。でもそのおかげで今の僕があるわけだからね」
「あの丘のふもとの男、見える?」
「見えるよ。尾行も大変だったろう。今日一日あいつも歩きっぱなしでくたびれただろうな」
「まだ泳がせておくつもり?」
「そうだな。トライショーマンにはあんまり手掛かりが無さそうだし、後でとっちめてやるとするか」
「これからどうする?わたしたち昼食もとってないのよ」
「そうだな。少し早いが夕食とするか。面白い所に案内するよ」
私はそう言って洋子と二人でブキット・チナの丘を降りた。マラッカ海峡の方に沈む夕陽は、例えようの無い程綺麗に輝いていた。

私たちはトライショーに乗ってマラッカの中心街から南東へ八キロのポチギス・ビレッジの商店街に着いた。ここは四百年以上前のポルトガル統治の名残の村である。一部のポルトガル人がここに住み着き、中には混血になった者もいるが、ポルトガルの血を守った数百人が今でも暮らしている。
私の母の祖先プラナカンといい、このポルトガル人といい、このマラッカには時を止めてしまった人々がいるのだ。彼らも四百年の間、ポルトガルの風習をかたくなに守り、ほんの三百人くらいの小さなコミュニティを作っていた。彼らは漁業を生業としていたが、最近観光客用に屋外レストランを経営し始めたようだ。
コの字型に小さな商店街を作り、中央に屋外レストランがあり海に面している。自分たちで収穫したシーフードをそのまま料理にして出している。既に日は暮れかかっていた。
私たちは、レストランの椅子に腰を下ろし、シーフードやビールをたのんだ。
生バンドの演奏が始まった。やはりポルトガル系のヴォーカル・ギター・ベース・ドラムス・パーカッションの五人組である。曲の演目は無茶苦茶だった。〃昴〃〃オンリー・ユー〃〃ラ・バンバ〃〃チンタ〃など世界各地の多様な曲を演奏し、歌っていく。
「このバンドにはおよそポリシーというものが無いらしい」
「でも演奏は上手いじゃない。わたしギターを世界に広めたのはポルトガル人だと言う話を聞いた事がある。ハワイのウクレレやインドネシアのクロンチョン・ギターが代表的な例でしょう」
「詳しいね」
料理とビールが運ばれてきた。まず、アンカーと言う名の現地のビールで乾杯した。料理は海老の炒め物やチリ・クラブと言う蟹の辛く味付けしたもの、チリ・カンコンと言う辛く味付けした野菜やスープと言った類だった。料理には中国料理のレパートリーも加えられている様だった。
私たちが夕食をとる横でポルトガル系の子供たちが犬と一緒にボール遊びをしていた。私は食後ビールからバーボン・ソーダに切替え、洋子はまたシンガポール・スリングを頼んだ。
「さてそろそろ本当のビジネスの依頼の内容を打ち明けてくれてもいいんじゃないか。君は今まで僕をテストした。だがもう僕はパスしたはずだ」
私は洋子を見つめて言った。洋子は例のローレン・バコールばりの〃ザ・ルック〃と言う上目遣いで私を見つめた。酒の心地よい酔いも加わって、私は洋子に引きつけられそうになる自分を必死に抑え、冷静さを保とうと懸命に努力した。
「わかったわ。あなたの言う通り、あなたはテストにパスした。本当の事を話すわ」
洋子はバッグから、象牙で作られたシガレット・ケースを取り出し、スリムな煙草に火をつけ、大きく煙を吐き出した。
「わたしがこの二日あなたを相手にした事は、あなたが頼りになるかどうかを確かめるためだったの。あなたなら本当の事を話しても頼りになりそうだわ」
洋子は煙草の灰を灰皿に落として続けた。
「父は単なる貿易商じゃ無いわ。父はマリファナ専門の麻薬ブローカーで、頻繁に東南アジアと日本の間の運び屋をやっていた。だが日本のヤクザともめて、雲隠れする事になった。ニュージーランド辺りにわたしと高飛びするつもりだったのだけれど、最後の大仕事にとマラッカに立ち寄ったの。取引場所はジョホール州東部の山中でわたしもそのジャングルに詳しいトライショーマンと父との三人で行く事にしたの。わざわざそんな奥地に行ったのは、都市部では警察の目が厳しくなってきた事、東部の山中のマリファナ栽培は一部の原マレー人が最近始めたもので、他にはほとんど知られていない事が理由よ」
「マリファナか。それ以外はやっていないのか?マリファナだけでもこの国では死刑だぞ」
「マリファナだけよ。死刑になる事を承知の上、危険な賭けだった。そうしてわたしたち三人は片道二週間かけて現地へ行ったんだけど、父が原マレーシア人をナメて安く買い取ろうとして話がこじれた。父は原マレーシア人たちに人質にとられ、わたしに小切手でもう一千万円、山中に持ってくるよう命じた。仕方なく私とトライショーマンは二週間かけてマラッカに帰ったんだけど、ジャングルを出るなりトライショーマンは怖がってどこかへ逃げ出してしまったわ」
「それじゃ、ジャングルツアーのトライショーマンが見つからないのも当然だ。それで僕にどうしてもらいたいんだ?」
「あなたに父を連れ戻しに一緒にジャングルへ行ってほしいのよ。道案内は出来ないけど、もう一人東部の山中に詳しい人間を探せば行けるわ。ねえ、力になってくれないかしら?」
「話が唐突だな。僕に犯罪の片棒を担がせようというのか」
「犯罪と言ってもマリファナだけよ。あなたはマリファナに反対なわけ?そんな青臭い正義感の持ち主には見えないわよ」
ウェイターが皿を下げに来た。私たちは黙った。日本語で喋ってるから聞かれても心配は無いのだが。
「僕の麻薬に関する考え方を言おうか。僕自身は麻薬は一切やらないが、他人がマリファナを吸う事に関しては、賛成も反対もしない。何故ならこの急激な工業化に夢中になっているマハティールのもとではマリファナを吸う事は止むを得ないと考えられるからだ。マリファナには禁断症状が無い。だが、ヘロイン、コカイン、覚醒剤は駄目だ。常用性があり、禁断症状があるこれらのドラッグは人間を確実に破壊する。だから君がマリファナ以外にもドラッグを扱っているなら、僕は降りる」
「誓ってマリファナだけよ」
「本当か?」
「本当よ」
洋子は〃ザ・ルック〃の視線で私を見つめた。私は心を動かされそうだった。この事件はキナ臭い……と心の警報装置が鳴っていた。しかし同時にこの事件に対して私の興味は次第に強くなってきた。
「わかった。引き受けよう。しかしジャングル行きとなると料金は倍の一日三万円だ。無事にお父さんを連れ帰ったらボーナス三百万円も戴きたい。それでどうだ」
「問題無いわ。やってくれるのね」
「ああ」洋子は私を見つめたまま私の右手を両手で握ってきた。
「では少し待っててくれ。席を外すから」
「どこへ?」
「商店街の外で僕たちをつけてる、例の彼に挨拶してくる」

商店街の外には例の若い男が立っていた。暗くなった路地には他に誰もいなかった。
「やあ、兄弟。スラマット・マラム」と私は話しかけた。
男は押し黙ったまま私の事を無視しようと努めた。
私は男の背後にまわり、背広の中から指を突き出して男を脅した。
「動くな。動くと背中に穴が開くぜ」
男は暫く観念した様に手を上げたが、突然振り返って私に殴りかかって来た。私はピストルなどは持っていなかった。
「ハッタリか。こん畜生!」ピストルが無い事に気づいて怒りをあらわにした男は、私に飛び掛かって来た。
暫くもみ合った。だが私の右の回し蹴りが上手く男の腿の外側に当たった。男が低く呻いて屈んだところに、顔面めがけて素早く強烈な右フックを叩きつけた。
男はもんどりうって倒れた。倒れた男の腹を私が上から蹴り、続いて顎を蹴った。男は口から血を出した。私は男に馬乗りになると、男の上着の中から素早く本物のピストルを抜き取り、それを男に向けて私は言った。
「おまえは誰だ?!どこから来た?!」
男は何も答えなかった。
「答えないと殺すぞ。それでもいいのかね?」
男の眼は冷えきっていた。この男の眼を見たとき、私はこれ以上何を聞いても無駄だと思った。
私はピストルの台尻で男を殴った。男は気絶した。私は男の持ち物をくまなく探った。私はピストルをじっくり眺めた。中国製の五四式の拳銃のように思えた。
私は気絶した男を置いて、また女のいる屋外レストランに戻った。
「さあ。そろそろお休みの時間だよ。もう僕等は宿に帰った方が良い。僕たちは宿を変える必要があるな」
私は電話で、友人でマラッカ州の刑事のマレー系のスパルノに連絡し、拳銃不法所持のかどで、気絶させた男をしばらくあずかってもらう様に頼んだ。
スパルノは二十分程経って車で警官二人と共にやって来た。
私はスパルノに尾行してきた男を引き渡し、洋子と共にポチギス・ビレッジを出た。

私たちはバスでラマダ・ルネッサンスに戻り、荷物をまとめチェックアウトし、ビュイックで街の外れのさびれたパレスホテルへ移った。このパレスホテルは、私の馴染みのホテルである。フロントマンは、私の顔を見ると笑顔を見せた。
「久しぶりだな、クマ」
フロントマンはクマと言い、インド系の痩せた三十代半ばの男である。
「ヤマモトさん、ようこそいらっしゃいました。二年前の一件はお見事でした」
「ラジャハバはどうしてる?」
「あの事件以来、行方をくらましています」
二年前の一件とは、こういう事件だった。二年前に日本の四十代の大物俳優・中村が麻薬所持でマラッカ州警察に捕まった。捕まえたのは、私の友人の刑事スパルノ。マレーシアでは麻薬は死刑だ。
そこで中村は自分の延命のために拘置所から私を呼び出した。私はマラッカに赴き、中村と話した。
中村は自分を釈放してくれるなら、大きな麻薬取引を教えると言った。
私は警察との仲介人になり、私が中村の案どおり、大きな麻薬取引を教える代わりに中村を釈放する様に警察に頼んだ。警察は、麻薬取引をさし押さえる事が出来たならと条件をつけて、私の言い分を認めた。
麻薬取引はマラッカから車で一~二時間離れたタンピンと言う街で行われる事になっていた。
私は中村の供述どおり、中村のふりをしてタンピン市内のパサールに行った。現れたのは、インド系ギャングのボス、ラジャハバとその手下三人。そして連絡係の中国系の小悪党リー・フーチェン。
私は金を掴ませて、十億円相当の麻薬を受け取り、立ち去った。警察が包囲していたので麻薬を押収し、金も取り返したが、ラジャハバは逃げ失せた。リー・フーチェンは単なる連絡係という事で、懲役一年で済んだ。ラジャハバの手下は死刑になった。
中村は約束どおり、釈放されて、喜んで日本に帰って行った。
「ラジャハバはヤマモトさんの名前は知りませんが、あの一件でカンカンに怒ってあなたの行方を探していると言う噂がありますよ」
「勝手に怒らしときゃ良いんだ。それより、訳あってこの女性と続き部屋に泊まりたい」
「お安い御用です」
「それから怪しい人物が、僕たちに関わってくるようだったらいつでも知らせてくれ」
「はい」
クマは自らキーを持って、二階の二〇一号室と二〇二号室に案内してくれた。

10

二〇一号室と二〇二号室は仕切る壁にドアがあり、相互に行き来が可能であった。二人は二〇二号室のベッドと椅子にそれぞれ腰を下ろした。
「さて、これからどうするか決めよう。尾行した男を逮捕したスパルノと言う刑事は僕の知り合いだ。取り調べを受ければ何か喋るかもしれない。問題はどうやってジャングルを抜けて山中へたどり着くかだ」
「場所はオラン・アスリの言葉でタマン・ミニと言う湖で〃竜の家〃と言う意味なの。誰かジャングルに詳しい者がガイドに必要ね。あなた、探せる?」
オラン・アスリとは、マレー半島に住む低身長の狩猟採集を生業とするジャングルの民だ。良くアフリカのピグミー族と比較されたりする。
「何とかやってみよう。それより君を信用するために。一千万円はどうする予定か聞いておきたいな」
「一千万円はこれよ」
女はバッグの中から、一千万円の小切手を出して私に見せた。それから拳銃も出して見せた。
「これは護身用よ。使った事はあまり無いけど」
洋子の出した拳銃は二八口径の通称〃パチンコ〃だった。
「確かにギャングとジャングルの中で落ち合うのだったら銃も必要だな。それからジャングルへ行く装備も、ガタ道を走る車もいる。君は前に行った時の装備や車はどうしたんだ?」
「装備はジャングルを抜ける時に捨てたわ。車は父が何処かから借りた物で、ジープだったわ。私とトライショーマンがジャングルを抜けた時、ジープは無くなってたわ。私はヒッチハイクしてマラッカまで帰って来たのよ」
私は椅子に斜めに座り直し、ガラムをポケットから出して吸った。
「いずれにしても僕は大きな仕事を引き受けたな」
私は大きく煙を吐いた。ガラムのきつい刺激が私の肺を刺激し、私はようやくリラックスしてきた。
女はベッドから腰を上げ、唐突に私に深くもたれかかりキスをしてきた。長いキスだった。
「今はあなただけが頼りよ。宜しく頼むわ」
私は洋子の魅力に自制心を失いそうだったが、何とか踏みとどまった。アリー、これは仕事なのだ。それも相当にヤバイ仕事。今、洋子に籠絡されては私は自分を見失ってしまう……。
私は洋子を体から離した。
「わかった。今日はもう疲れた。お互い眠る事にしよう。隣の部屋とのドアは鍵を掛けておかない。何かあったら遠慮無く僕を起こしてくれ。それじゃ、おやすみ」
私は部屋を出てドアを閉めて二〇一号室に戻った。自分でも顔が火照っているのがわかった。

(つづく)

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