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俺は夢の中をさまよっていた。俺は小綺麗な新興住宅地の一角の庭の広い家に、両親と一緒にいる。俺は九、十歳の子供である。妹と二人でおもちゃの取り合いをしている。それをにこやかに見つめている両親。まだ若々しい両親だ。ところが突然父の顔が変わった。そのおもちゃをすぐに離しなさい、庭に放り投げるんだ、と血相を変えて父が駆け寄ってきた。おもちゃの取り合いに勝った俺は、折角妹から取ったおもちゃを手離す気はない。伏せろ、と父が叫び、母が絶叫して、おもちゃは大爆発した。
目が覚めた。ものすごい爆音と共に。爆音に、思わずベッドの奥へ身をふせた。そしてあたりを注意深くうかがって、ほっとため息をついた。爆音は、向かいの部屋の中国人たちの爆竹だった。そうか、今日は奴らの旧正月か、と思って時計を見た。午前十一時を指している。だいぶ深く眠ったな、と思ってぼんやりベッドから起き上がった。コーヒーの湯をわかしながら、トースターにパンを入れ、ベーコンと卵をいためた。全くこの街にはいろんな人種・民族が住んでいる。一、二ヵ月前はニッポン人が正月だといって近くの神社に大勢初詣に来ていた。これから数カ月するとラマダン明けだといって他の部屋のパキスタン人、イラン人、アラブ人といったモスレムたちが大騒ぎを始めるだろう。寒い、と思って体を縮み上がらせ、わいたお湯でコーヒーをすすった。そして俺は先日依頼人から受け取ったビデオテープを再生させた。依頼人は四十代くらいの豪奢な服装に身をつつんだ、ぞっとするような美人だった。顔の彫りが深く、コーカソイドの血を引いているのだろう。その女がニコリとした笑みを絶やさずに、語り始めた。
「こんにちは、ハマオ。Hamatownの住み心地はいかが?」

ハマオとは俺の名前だ。正確には名前でなく、あだ名だ。俺はいわゆる孤児で、生まれ育ったHamatownという街の名から、小さい頃に周りの大人に名付けられた。
「早速依頼の話になるけど・・・。あなたの探偵としての実績は調べたわ。とっても優秀じゃない。若いのに良くやってるわ。それで依頼だけど・・・・・・」
若いは余計だ。今年三十一歳になる俺は自分をそれほど若いとは思っていない。
「あなたの住んでいるHamatownにテロが起こるわ。ハンパなテロじゃなく、小型戦術核を使った爆弾テロよ。小型と言っても二十世紀に落ちたヒロシマ型の数百倍の威力があるのに、爆弾はスーツケース程度の大きさしかないの。それがやっかいなのよ。もうとっくに公安や警察は動いてるけど、知ってのとおりHamatownは、本当にいろんな人種が住んでいて、ほとんど警察は役に立たないわ。そこで生まれて三十年その街に住んでるあなたに依頼したという訳なのよ」
話してる話題はえらく物騒なのに、この女はずっと笑顔を絶やさない。
「テロを計画しているグループは白人や黒人じゃないわ。あなたとおなじアジア人だということはわかっている。動機は不明。手掛かりはMERSIというやはりアジア人の若い女よ。名前は本名かどうかはわからないわね。写真はこの後見られるわ。データはこれだけ。でもあなたなら何とかできると信じてるわ。報酬は前金で五万ドル。テロを計画してるグループをつきとめてくれれば五十万ドル、核爆弾を押収できたら倍の百万だすわ。それじゃ、何かわかったら連絡ちょうだいね」
女の顔が消えて、「2038年2月7日Aiko」とクレジットされた。つづいて「MERSI」という女の顔写真と最小限のデータが写し出された。肌は少し浅黒い。東南アジア系か西アジア系だろうか?映像はプツリと切れた。

フン、と俺はコーヒーを飲み終わって鼻をならした。Hamatownに核爆弾テロ、手掛かりはこのアジア人女性MERSIそれだけだって?バカにした話だ。いくら俺がこの街に長く住んでいて詳しくても、これだけの情報でどうやって見つけられるというんだ。しょせんは一人の探偵に過ぎない俺に何ができる?それにしてもあの女、と皿を洗いながら考えた。Aikoという名らしいが、あの彫りの深い四十女。何者だろう。前金でポンと五万ドル渡したり、依頼の内容からして、よほどの実力者なのだろうか?もう今の俺の住んでるニッポンという国は誰に権力があるのか全くわからない時代になってしまった。もはや議会も内閣も名目だけ。全世界から集まったエスノ・コミュニティーがそれぞれしのぎ合って、何人かのフィクサーがそれを影でコントロールしている。しかし今回の事件のように底辺では抑えきれないテロもおこる。核爆弾の売買などあたりまえになった現在だが、幸いヒロシマ、ナガサキ以来実際に人のいるところで爆発した例はない。むしろそっちの方が不思議なくらいだ。我々人類にも一つの種の本能として、核だけは使っては滅びるという共通の意志でもあるのだろうか。
俺は黒いコートをはおって部屋を出た。外は雪が降ってもおかしくない程に冷え込んでいた。俺の住んでいるのは七十階建ての二十四階である。二十世紀末に建てられた当時は高級ホテル兼オフィスビルだったらしいが、今はすっかりすさんであらゆる人種の大アパートになっている。エレベーターは一応あるにはあるが故障しやすいので、今はほとんど誰も使っていない。二十四階の部屋を歩いて階段を昇り降りするのは面倒と言えば面倒だが、部屋の家賃が安いので仕方ない。いつものように長い階段を降りていくと、沢山の部屋から二十世紀のジャズ、ロックから、インド、中国、アラビアなどの各国の音楽がうるさく鳴り響いている。人々の話す言葉もとても雑多だ。もはやこのHamatownでは、ニッポン語は共通語ではなく一つの公用語ぐらいの存在でしかない。この街で一番役に立つのは英語、北京語、次いでニッポン語、アラビア語などである。
階段を今では壊れている三階の人工歩道まで降りると、五・六人の男たちが何かはやし声をたてて一人の女を囲んで今にも襲いかからんと騒いでいる。こんなことはしょっちゅうだから黙ってやり過ごそうとしたところ、男たちに囲まれている女の顔が眼にとまった。その女は何とさっきAikoという依頼人のビデオにモンタージュ写真として紹介されていたMERSIのようであった。今まさにその男たちは、MERSIとおぼしき二十四・五歳の東南アジア系女性をレイプしかからんとしている。囲んでいるのは南アジア系と思われる肌の黒い二十代から三十代の男たちである。
「おいっ!おまえら、やめろ」と俺は言った。五人の男たちがこっちを振り返った。
みんな明らかにジャンキーで肌つやは悪いが眼だけが気持ち悪くギラギラ光っている。男たちは一斉に飛び出しナイフを出して、おいしい獲物を取り上げられた狼のように俺ににじりよってきた。俺はバッグの中からそっと電子トンファーを取り出してしのばせた。トンファーとは沖縄から発達したカラテの武器でこん棒のようなものであるが、電子トンファーは相手に触れただけで強い電気ショックを与えて気絶させてしまう護身具である。マーシャルアーツをやる人間にしか使われていない。一群の中の背の高い奴がナイフを突き刺そうとして、飛び掛かってきた。俺はすばやくトンファーをそいつの小手に当てた。男は悲鳴をあげてすぐに失神した。間髪を入れず、残りの四人を次々と電子トンファーで気絶させた。五人の男たちが皆気絶して倒れた真ん中で、MERSIとおぼしき女は震えていた。
「今だ。行くぞ」と手を引っ張って、俺は彼女を連れて逃げだした。女は大切そうに大きなバッグを抱えている。三階の人工歩道を降りて、二人はダウンタウンの方角に向かって走った。女はハアハアと息を切らしていた。俺もかなり疲れを感じるぐらい走った。二、三十分走ったところでソープゾーンという所にたどりついた。ソープゾーンというのは、売春婦やヤクの売人などのたむろしている赤線地帯のようなところである。ソープゾーンという名の由来は、昔この街がまともだった頃に存在していた“ソープランド”から由来していると聞いたことがある。いろいろな人間の集まるこの界隈の方がかえって人目につかず、さっきの連中に追われる心配もない。俺は通りのベンチに彼女を座らせた。二人とも息が切れてしばらくハアハアしていた。俺は彼女に話しかけた。
「もう大丈夫だ。奴らはここまでは来ない」
女もだいぶ落ちついてきた。よく見ると目鼻だちのくっきりとしたなかなかの美人だ。
「ありがとう。あなたは・・・?」
「俺はハマオ。街でマーシャルアーツのインストラクターをしている」
俺は半分ウソを言った。
「私はメルシ。ウェイトレスよ」
俺がタバコを吸うかとさし出すと、メルシはうなずいて一本火をつけて吸い、大きく煙を吐いた。
「ガラムね。これは私の故郷のタバコよ」
「このきつさが好きでね。君はどこから?」
「ジャワのスラバヤ。一年前にここに来たのよ」
「こんな所に来て、ロクなことはなかったろ」
「そうね。でもロクなことがないのはジャワもHamatownも同じだわ。まだここの方が幾らか稼ぎが良いだけマシよ」
「さっきみたいな目に逢ってもかい?」
「ええ。今の時代を生き抜くには世界中どこの街でもこれくらいの覚悟は必要よ。でも・・・今日は油断したわ」
「ところで・・・君は何であんな物騒なアパートに来たんだ?もっとも俺も住んでるから他人のことは言えないが」
「故郷の友達に会いにいったのよ。でもいいわ、また別の安全な場所で会えば良い」
「君は、これから・・・?」
「今日はもう帰るわ」
「送っていくよ、家はどこだい?」
「コーナン・エリア。刑務所の近くよ」
「じゃ、行こうか」
二人は立ち上がった。メルシもすっかり落ち着きを取り戻していた。売春婦やポン引き、ヤクの売人などの人込みをくぐり抜け、二人は地下鉄の駅に向かって歩いた。ふざけた話だ。俺はアパートを出たとたんに、手掛かりのメルシと出会った。後は俺の目的を悟られぬようにして、この女から情報をつかめば良いのだ。しかし簡単に行き過ぎる時こそ、痛い目に会うという鉄則は探偵を始めて十数年身にしみている。二人は地下鉄の駅に降りていった。地下鉄も今では治安の悪い乗物だが、他の電車も治安の悪さは変わらず、渋滞のひどいこの街では今や車は全く役に立たない。まもなく電車がやって来て、二人は乗り込んだ。2010年頃を最後に造られた車両は、ペンキやスプレーで落書きだらけで、ゴミや猫の死骸がそこらじゅうに転がっている。乗客もまばらだ。汚い席に新聞紙を敷いて座った俺達の前に、アルコールの臭いと、何年も風呂に入っていない臭さを放った六十がらみの男がウイスキーの瓶を片手にこちらをぼんやりと見つめている。三十分程すると目的駅に着き、二人はそそくさと降り立った。階段を上がって地上に出ると、コーナン・エリアの廃墟のような街が目に飛び込んできた。コーナン・エリアは十年程前に住民と治安部隊の大規模な攻防戦があり、双方とも合わせて死者二千人を出した。それ以来当局の強力な住民の締め出しにより、唯一刑務所だけが存在するゴーストタウンのようになってしまった。駅の近くには昔クヤクショと言われた政府の建物が、滅んだ中世の国の古城のように建っている。俺達は通りを南に歩いた。刑務所の方角からイチ、ニ、イチ、ニ、と受刑者たちの体操時の掛け声が聞こえてくる。俺が時計に目をやると午後三時を少し過ぎていた。しかし冬の空はどんよりとくもり、この寂しい街並みを見ている俺の心を余計に寒くした。メルシの案内で歩いてきた俺達は、古ぼけた十階建てくらいの赤茶っぽい建物にたどりついた。二十世紀に流行ったステレオタイプのマンションだ。もっとも今はすっかり廃屋といった方が正しい印象を与えるが。
「ここよ、私の部屋」
と言って、メルシはその赤茶色の建物に入り、階段を上がるように手招きした。やはりここでもエレベーターは使えないのだろう。三階まで歩いて、メルシは自分の部屋の暗証番号を押した。ドアは自動的に開いた。
「あがっていって。故郷のお茶でもごちそうするわ」
「ありがとう、そうさせてもらおう」
二人は部屋に入った。部屋の中は意外なほどきれいで、家具類や飾ってある絵や花に、この女のセンスの良さを感じた。メルシは応接間で待つように言って、自分はお茶を入れに台所に入っていった。俺は彼女の眼が届いていない事を確認して、超小型カメラで部屋を撮影した。これだけ立派な部屋を維持していくのは、ウェイトレスの収入だけで充分なのだろうか、という疑問がわいた。少なくとも俺の部屋より十倍は金がかかっているように思えた。
「スマトラティーいかが?」と女はカップを盆にのせて運んできた。
「トラジャのコーヒーが良かったかしら?」
「いや、コーヒーも好きだがスマトラティーなんて滅多に飲めない。いただくよ」
そう言って俺は紅茶をすすった。腹わたまでしみわたるほど美味かった。こんなまともなお茶を飲むのはいつ以来だろう。
「とても美味い。君にはセンスがあるな」
「どういたしまして。お茶の入れ方だけは母にうるさくしつけられの」
「それに良い部屋だ。君の両親は金持ちなのかな。それとも金持ちの恋人・・・?」
「両親はとっくに内戦で亡くなったわ。あなたは家族いる?」
「いや。・・・・・俺は孤児だ。両親の顔を見たことも無い」
「それは・・・・・。お気の毒に。悪い事聞いてしまったかしら」
「いや、事実は事実。何とも思ってない」
「あなたマーシャルアーツのインストラクターと言ってたけど、カラテそれともジュージュツ?」
「両方にYesだ。カラテ、ジュージュツ、ムエタイや君の国のシラットも混ぜた新しい格闘術を教えている」
教えているというのは、まるきしのウソでもない。俺の本業はあくまで探偵だが、ドージョウの一生徒だった俺も今はシハンの代わりに指導を時々している。
「さて、俺はそろそろ帰らないと」
「あら、そう。一つ聞いても良い?」
「いいよ」
「あなた恋人はいるの?」
「いないこともない」
そう、と言って女は席を立って俺の唇に自分の唇を重ねてきた。一瞬の出来事だったが、とても長い時間のようにも感じた。
「今日は助かったわ、ありがとう。また遊びに来てね。ハマオって良い名前だとおもうわ」
「ありがとう。それじゃ」
俺は席を立ち、彼女の見送りを受けて部屋を出た。階段を降りて、建物の彼女の部屋を見上げた。メルシの姿は見えなかった。さて、これから近くに身をかくしてあの女を尾行しなくちゃならない。あの女は必ずまた男たちに襲われた場所の方角に戻ってくる確信があった。

俺はマンションから百メートルくらい離れたあばら家に入り、マンションを見張った。俺はコートを裏返しにはおった。ボロボロの裏地はホームレスの服の様に見える。バッグから黒い帽子を取り出して被り、顔をそこらの土で泥まみれにした。お粗末な変装でプロには通じないが、素人には有効である。寒かった。俺の吐く息が白く、手がかじかんだ。今日も雪が降るのだろうか。俺は空を見上げてタバコを吸って待った。小一時間してやはりあの女が出てきた。さっき会った時と同じバッグを大切に持って。あのバッグが俺には引っ掛かってしょうがなかった。メルシはおそらくグループに、あのバッグを渡してどうにかするつもりだと思えた。メルシの後を酔っぱらったホームレスの様なふりをしてつけた。メルシは地下鉄の階段を降りていった。無人改札を抜けてホームに立つメルシに、離れて立った。ホームには客が十人もいない。だがメルシは幸いこちらには気づいていないようだ。電車が来た。この電車はダウンタウン行きだ。メルシの乗り込んだ車両の二つ後ろの車両に乗り込んだ。相変わらず地下鉄の異臭はすさまじいものがあった。三十分程乗って、やはりメルシはさっき乗ったダウンタウンの駅で降りた。この駅は程々に混んでいる。人込みにまぎれて駅の改札を抜けて、地下道を上がっていった。メルシはやはり、バッグを抱えて先程襲われた俺のアパートの方角に歩いていく。俺は三十メートルぐらい離れてメルシの後を追った。俺の高層アパートの近くを通り抜け、女は海の方角へと歩いていく。やがて女は船の形ををした建物に入っていった。二十世紀末に建てられた高級ホテルが、今は廃墟と化している。女は階段を降りていった。地下に向かっている。女は地下三階で降りて、広い駐車場跡を横切っていった。人一人おらずガランとしている。
車の鉄屑が重石の様に散らばっている。俺は自分の足音が響かぬ様に注意しながら後をつけていった。やがて女は駐車場の端にたどり着いた。反射的に俺は車の鉄屑の影に身を隠した。女は周りに人影の無い事を注意深く確かめ、壁のどこかにカードの様な物を差し込んだ。すると壁の一部が開いて、女は素早く部屋の様な所にすべりこんだ。俺は閉まった。部屋の入口の壁に駆け寄った。バッグからアキハバラで買った高性能盗聴器を取り出し、医者の使う聴診器の様にマイクを壁に当てて耳をすませた。部屋の中の声が聞こえてきた。メルシの他に男が三、四人いるようだ。俺の知らない言語でしゃべっているが、ムラーユ語ではないだろうか?聞き取れたのは“Saya”とか“Tida”とかいった単語だった。
その時だった。あまりにも唐突に、俺の真横をミサイルの様な物がかすめ、目の前の壁のコンクリートを貫通して中で爆発した!!俺はミサイルの爆風で三メートルは吹き飛ばされた。壁は直径一メートルくらいの穴があけられ、中の人間たちは皆、体を粉々にして死んでいた。東南アジア系の男が三人、そしてメルシが倒れている。後ろを振り返ると、いつやって来たのか特殊部隊と思われる連中が十人近く、ミサイルランチャーや巨大な銃を持って立っていた。呆気にとられ、身動きとれないでいる俺を尻目に、特殊部隊の連中はミサイルであいた穴から部屋に入っていった。そして何かガサガサと探す音が聞こえ、一人の隊員が「見つかりました。」と叫んだ。特殊部隊の連中がまた穴から出てきて一つの頑丈なスーツケース状の箱を持ってきた。するとコツ、コツと、女のハイヒールの音が背後からこだまして近づいてきた。何とその女は、俺の依頼人のAikoだった。豪華な毛皮の外套を着て、派手な化粧を顔にほどこしている。ビデオで見る以上にぞっとする程、綺麗だった。隊員の一人が女に、箱を開けて中身を見せた。女はうなずくと、隊員が箱を部屋の中に放り投げた。Aikoはまだ呆然としてうずくまっている俺に近づいて、しゃがみこんで話しかけた。
「あなたが、ハマオね」
ビデオと同じ微笑で、穏やかに話しかけて来る。
「仕事は終わったわ。これが報酬の百万ドル」と言って、隊員の一人から手渡されたボストンバッグを開けた。ドル札がぎっしり詰まっていた。
「あなたは優秀な探偵ね。こんなに簡単に見つけられるとは思っていなかったわ」
「俺を・・・・・つけていたのか?」
「そうよ。それが私たちにとっては手っ取り早かったわけ」
「核爆弾をどうするんだ?」
「爆弾はあのジャワ人四人組によって一時間後に爆発されるわ」
「何だって!!あいつらはもう死んだじゃないか」
「でもそうする必要があるのよ」
「必要、だと!?」
「そう。私たちにとって、人種のるつぼならぬゴキブリのるつぼとなったHamatownはもう必要ないの。なくなってほしいのよ」
「なくなってほしい・・・・・!?」
「そこにタイミング良く、ジャワの民族主義者達が来てくれたのよ。彼らのデータは集まってるんだけど、彼らは自分たちの国に内戦が起こって祖国が四分五裂したのは、旧体制とつるんでいたニッポンの責任だと思っているのよ。狂信的なテロリストね」
「それは事実だろうが!!」
「でも、その狂ったテロリストたちの目的と私たちの目的が見事に合致したのよ。お互いにとってもうこのHamatownは必要ないわ。私たちはまた新しい綺麗な街をよそに造れば良い話だもの」
「狂ってるのは貴様らだ!!」
「何でも結構よ。とにかくもう数十分でこの街は無くなるわ。ハマオ、使い道は無いかもしれないけど、あなたもこの百万ドルと一緒に死んで頂戴ね。さようなら」
女は動けない俺の頬に軽く触れると、特殊部隊と共に早々に帰っていく。
「待て、この売女!」
立ち上がって追いかけようとしたが、先程の爆発の破片が俺の腹と太股に深く突き刺さり、立ち上がる事が出来なかった。Aiko達は駐車場跡を出ていった。俺は行き場の無い憤りと悔しさで、思いきり壁を何度も殴りつけた。するとしばらくして、穴の向こうの部屋から小さな声が聞こえてきた。良く耳を澄ましてみると、女の声が「ハマオ、ハマオ・・・」と呼んでいる。
「メルシ!!」
俺は叫んだ。そして渾身の力で何とか立ち上がった。腹に強烈な痛みが走った。しかし持てる力を総てふりしぼって、部屋に通じるミサイルの貫通した穴にもぐりこんだ。アオムシのように体をくねらせ、向こうの部屋に転がり落ちた。「ハマオ」とつぶやくメルシは、片足をもぎ取られながらも生きていた。俺は這いずりながらメルシの横にたどり着き、あおむけに横たわった。
「メルシ、こんなことになってすまない」
「いいの・・・・・ハマオ。私たちはこのテロを起こしておいて、生き延びるつもりはなかったわ」
カチカチと核爆弾入りの箱が時限タイマーを刻んでいた。二十八分五十三秒、五十二秒、五十一秒・・・。
「ハマオ。あなたは自分を捨てた両親を憎んでる?」
「相手を覚えてないんだから、憎みようがないさ」
お互いにゼエゼエと息を切らしながら、一言一言しぼり出すようにしゃべった。
「ハマオ、こっちへ来て」
「ああ」
俺は彼女の胸の乳房のあたりに顔を埋めた。メルシが微かな声で唄を歌い始めた。
「ナイク、ナイク、プンチャック・グヌン。ティンギ、ティンギ、スカリ・・・・・」
童謡のようだった。メルシが歌うと胸が海のさざ波のように動き、痛みで意識が朦朧としている俺は、次第に心地よくまどろんで来た・・・。

広い庭付きの綺麗な新興住宅。俺は妹とおもちゃを取り合っている。妹の顔はメルシにそっくりだ。親が「離しなさい!」と叫ぶと、おもちゃが転がった。
その時、この国に史上三度目の巨大なキノコ雲が上がり、Hamatownという一つの街は消滅した。

(了)

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