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ハマオは逃げていた。真夏のうだる様な夜の中を走っていた。右腕には弾丸が一発撃ちこまれていた。息をハーハー言わせながら狂ったように逃げていた。
HAMATOWNの港の近くだった。ハマオは古い貨物列車の影にうずくまった。右腕が燃える様に痛かった。ハマオは全身から滝の様な汗を吹き出し、必死に痛みを堪えた。
やがて周りに人影が居ない事を確かめて、固いアスファルトの上にへたり込んだ。高い湿気を帯びた真夏の夜でも、アスファルトはひんやりとしていて気持ちが良かった。しかし流れる汗と喘ぐ息は暫く止まらなかった。
港の方角から汽笛がボーッと響いた。雲の全く無い空には満月がこうこうと光を放っていた。
15分位横になっただろうか。するとハマオが横たわっている足の方角にゴソッと音がした。反射的にハマオは身体を起こして身構えた。
ミャーンと鳴き声がした。白い猫だった。ハマオは安堵のため息を漏らし、再び横たわった。
「あんた、誰?」急に女の声が響いた。
ハマオは心臓が止まるかと思う程驚いて再び起き上がった。起き上がると若い白い服を着た女がこちらを睨んでいた。
「おまえこそ誰だ?!」ハマオは聞き返した。
女はこちらに拳銃を突きつけた。ハマオは観念した。しかし観念すると同時に、このままでは死なんぞとばかりに女ににじり寄った。
「近ずくと撃つよ!」
ハマオはもう撃たれる事を恐れてはいなかった。女の拳銃はカチッと音がして発射されなかった。弾丸は空だった。ハマオは拳銃を奪い取ると、遠くに捨て、女の頬を左手で思い切りはった。女はもんどりうって倒れた。
「こっちの質問に答えてもらおう。政府の者か?」
「政府?じゃ、あんたはアタシを追ってる訳じゃ無いの?」
「何の事を言ってるんだ?」
ハマオは女の顔をもう一度深く観察した。肌は浅黒く、髪はボブカットで東南アジア系の様だった。
「お互い敵同志じゃ無さそうね。」女は言った。
「おまえは誰だ?」
「タバコ持ってない?」
「質問に答えろ!」
「名前は・・・メルシよ。」
「何でこんな所をうろついている?」
「しくじったのよ。アタシ、ジャワから来てね。」
「逃げてるのか?」
「そうよ!」
女は半ばヤケクソぎみにそう言った。
ハマオは女が追手の敵じゃ無い事を知ると、その場にへたり込んだ。右腕の痛みが再び蘇って来た。
「撃たれてるの?」
女はハマオの右腕をさすった。
「おい。上着の右側のポケットをさぐってみろ。タバコがある。おまえにもやるから俺に一本吸わせてくれ。」
女は言われた通り、タバコとライターを上着のポケットから抜き取ると、ハマオに一本くわえさせてライターで火をつけた。女は自分でも一本吸った。
上手かった。こんなにタバコが上手いと思うのはいつ以来の事だろう?
「ガラムね。アタシの故郷のタバコよ。」
「ジャワか。かつてはインドネシアと呼ばれていた国・・・」
「そうよ。それをバラバラに壊したのが日本・・・。あなた、日本人?」
「俺は国籍不明の孤児だ。」
「孤児?そう・・・。どこで生まれたの?」
「生まれたのも育ったのもこのHAMATOWNだ。」
二人は冷たいアスファルトに並んで横たわっていた。
「この街、好き?」
「難しい質問だな。俺には選択の余地が無かった。好きでも嫌いでもある。」
「アタシは自分の生まれたジャワの街好きよ。スラバヤって言うの。」
「スラバヤ・・・。」
「私の父は平凡なサラリーマンでね。母も平凡だったわ。兄弟もアタシの他に5人いて、とても仲良く暮らしていたわ」
「大家族だな。」
「スラバヤは港町でね……HAMATOWNと一緒ね。アタシは潮の香りがとても好きで、港に船を見に行ってた。あの船、どこへ行くのかなあなんて思いながら、ライムジュースを飲むのが好きだったの。」
「……」
「それが何もかもぶち壊されたのが、アタシが14歳の時だったわ。日本の政財界がバックアップしていたインドネシア政府の横暴なやり方に、国民が蜂起したんだけど、政府は強権で抑えにかかったわ。日本政府は利権のからんだインドネシア政府に資金と武器を大量に与えて、ご存じの内戦が始まったわ。」
「覚えてるよ。」
「元々何百という民族が集まっていた国だから、内戦が民衆に勝利をもたらしても、自由を得たそれぞれの民族は国を四分五裂させてしまったわ。」
「その件に関しては、日本政府の利己主義・ご都合主義に俺も心底腹を立てたよ。」
「だからアタシは日本という国が憎いの。そもそも前世紀の大戦の反省すら無い様な国……アタシは許せなかった」
「そうして君はテロリストになったという訳か」
「えっ?!」メルシは驚いてはね起きた。
「驚く事は無いよ。俺の職業は探偵だ。俺は君達・・・日本に核爆弾テロを起こそうとした連中・・・を調べる様に言われて調査してきた。しかし俺が途中で政府のやり方に逆らったら、今度は俺もお尋ね者だ。」
「・・・・・。」
「メルシだったよな。君を探す様に最初に言われたんだ。」
「・・・・・!!」
「そして君は恐らく、テロリスト達と仲間割れして追われている。そうだろう。?」
「・・・どうするつもり?」
「どうもせんさ。お互いお尋ね者だ。仲良くやろうじゃないか。」
メルシはあきらめた様なため息を漏らしてうなだれて言った。
「そうよ。アタシは仲間から追われてるわ。ドジっちゃってね。・・・」
二人の間に沈黙が流れた。遠くでまた汽笛の音がした。犬が遠吠えする声も聞こえた。
「あなたの話が聞きたいわ。あなたは孤児なんでしょ?この日本という国をどう思ってるの?このHAMATOWNという街は・・・?」
ハマオはメルシにまたタバコをポケットから抜き取ってもらって火をつけてもらった。
「日本はそりゃ汚いやり方の国さ。今や誰がこの国を操っているのか皆目見当がつかんが、この国は一言で言えばクソだ。」
「クソ?」
「そうだ。そしてこのHAMATOWNもクソだまりだ。何をやるにも規制でがんじがらめで全くの閉塞状況だ。どうにもならん。」
「でもあなたはさっきこの街を好きでも嫌いでもあるって言ったわね。どういう所が好きで嫌い?」
ハマオはタバコの煙を大きく吐いた。
「嫌いな所は・・・そうだな・・・皆がお互いに無関心だという事だ。隣の部屋の奴が死んでも、街に行き倒れの人間がいても、誰も興味を示さない。」
「好きなところは・・・?」
「君は何でも遠慮無く聞いてくるんだな。好きなところか・・・俺には良くわからない。そんな事今まで真剣に一度も考えた事は無い。君はどうだ?君は自分のスラバヤのどこが好きで嫌いか本気で考えた事あるのか?」
「そうね。そう言われると弱いわね。」
メルシは目をつぶって深く考えている様な表情を暫く続けた。
「あなたと似ているかもしれない。スラバヤで嫌な事は、みんながそれぞれ心の壁を築いている所だったわ。」
「心の壁?」
「そう。21世紀になってとても豊になったスラバヤの中産階級は、経済的な点に置いてはとても満ち足りていたわ。でもね、皆が何を買うかと言ったら、テレビ・ビデオ・ヘッドフォンステレオ・携帯電話・インターネットのためのパソコン・・・。」
「それが?」
「皆独りで楽しめる物だわ。人々は自分の殻に閉じこもり、心の周りに巨大な城壁を張りめぐらせて生活している・・・。そして他人に干渉しない代わりに、自分にも干渉させない・・・。傷つくのが恐い、臆病者のひよわな羊の集団になってしまったわ。それもとても不気味な羊ね。」
「・・・・・。」
「あなたはどう?家族がいないんでしょう?友達や恋人はいるの?」
「友達はいる。女もいない事は無い。しかし・・・君の言った通り本当に心に壁を作らないで付き合っているかと考えると・・・自信無い。」
「女って、どんな女?」
「どんなって言われてもな・・・。平凡な女だ。まあ平凡という定義は難しいけど。会社に勤めるOLで、良く笑うし、そこそこ美人だし、たまには俺のために飯を作ってくれる事もある・・・。」
「へえ。意外ね。あなたがかたぎの女の人と付き合っている様には思えないよ。」
「悪かったな。」
「それでその恋人に満足してる?結婚でもするの?」
「どうかな・・・。君の聞き方には本当に遠慮が無いな。結婚する気は無いな。その娘とこのまま一緒になっても退屈なだけって感じがする。」
「退屈?でも良い娘なんでしょ。何が不満なの。あなたは何を求めてるの。」
「難しい事ばかり聞くなあ。そうだな・・・その娘とは、こう・・・燃え上がるものが無いんだよ。」
「燃え上がるもの・・・。」
「理由はわからない。俺が女を上手に愛せないからかもしれない。でも何か違う気がするんだな。俺にばっかり聞いてどうなんだ。君には燃え上がる男がいたか?」
「アタシに?」
「そう。」
「私は燃え上がってたわ。スラバヤで一緒に革命に立ち上がってくれた男性がいたわ。本当にお互い燃え上がっていたと自信を持って言えるわ。」
「その人は今?」
「死んだわ。内戦の途中でね。アタシが唯一、心の壁を作らないで付き合っていけた男性だった・・・。」
「そういう相手がいたって言うのは、心底うらやましい気がするな。」
その時、上空にヘリの音が響いた。ヘリは真っ暗なハマオ達のいる港の貨物列車をサーチライトで照らして、暫く上空にとどまった。ハマオとメルシは近くにあった木材の影に身体をぴったりとくっつけて隠れた。重武装のヘリだった。武装警察の物だろう。ハマオを探しているに違い無かった。ハマオ達の仲間は、そのヘリコプターの景観と太いバルカン砲から、そのヘリをスズメバチと呼んでいた。
ヘリは5分位、上空からサーチライトで地面を照らしていたが、上手くハマオには気づかず去っていった。
「畜生、スズメバチめ。びっくりさせやがる。」
「スズメバチ・・・。あなたはあんな敵と闘って恐くは無いの?」
「恐いさ。俺がこの生き馬の眼を抜くHAMATOWNで31年生き残れたのは、臆病だったからさ。」
二人はまだ身体をぴったりとくっつけていた。
「こんな街で独りで生き抜いていて寂しくは無いの。」
メルシはハマオの唇に軽く、そして再び強く自分の唇を合わせた。
「俺が孤児で良かった事は、人間は皆本質的に孤独だと言うことを早いうちに理解した事だ。人間は孤独である事を逃れるために、仲間を作り、その群れの中で安心を得ようとする。またパートナーを得て、それを愛と言う言葉に置き換えて孤独をごまかそうとしている。
でも人間はいつも仲間や恋人に恵まれているとは限らない。基本的に人間は生まれるのも独り、死ぬのも独りと言う事は紛れもない事実だ。俺は孤独を事実として受け入れている。だから寂しいと言う事は無い・・・と自分に言い聞かせている。」
「アタシはまだ孤独と言う事実が、受け入れられないのかもしれない。故郷の同志であり恋人であった男性を失った事は、未だにアタシの心に深い傷を残しているし・・・。今アタシはとても淋しいわ。だからこうしてあなたの胸に抱かれている・・・。」
メルシはハマオの胸に顔をうずめた。ハマオも強くメルシを抱きしめた。
「傷、痛む?」
「ああ。弾丸は貫通している。ハンカチで止血しているから大丈夫だろう。利き腕が不自由になると右腕の有り難みもわかるし、左腕の有り難みもわかるね。」
「そう。」メルシはつぶやいて、ハマオの右腕をさすった。
「眠くなってきたわ。」
「俺もだ。このまま少し眠ろう。」
二人は木材の影で寄り添い合いながら眠りにおちた。真夏の狂った様な夜の暑さも、二人の身体からほとばしる汗も、全く二人には気にならなかった。それは、追われたケモノが二匹身を寄り合う姿の様であった。

一時間位経っただろうか。メルシは目を覚ました。
「ハマオ。」
「・・・・・。」
「ハマオ、起きて。」
「何だ。」眠い目をこすってハマオも目を覚ました。
「始まるわ。」
「始まるって、何が?」
「アタシ達の仕掛けた爆弾テロよ。今、午前三時二十分だわ。あと四十分経った午前四時にドカン、よ。」
「ドカン、って、核爆弾か?!」ハマオはびっくりして身を起こした。
「違うの。」
「違うってどういう事だ?!」
「アタシ達は本当は核は持っていないの。爆発するのは通常爆弾。仕掛けたのは市庁舎。死ぬのはせいぜい警備員の二、三十人よ。」
「何だって?!」
「これは心理的な威嚇を狙ったテロよ。次は核もあるんだぞ、と言う・・・。」
ハマオは舌打ちした。
「持っていなかったとすると、やばい事になるぞ。」
「どうして?」
「俺が政府に追われる羽目になったのは、奴らが喜んで君らの核爆弾テロを起こさせようともくろんでいると知った時だった。君らが持っていなければ、奴らは自分達の核爆弾を自分の国に爆発させる事になる。」
「何故?!政府の狙いは何?」
「君達エスノ・ナショナリストの危険性をアピールし、日本から他民族を排除しようという訳だ。同時に必要の無くなった人種のるつぼ・・・奴らに言わせれば掃き溜めだが・・・HAMATOWNを消滅させる。」
「じゃ、アタシ達は利用されたって訳?」
「そういう事になるな。」
「畜生!!日本政府の奴ら!!」
メルシは貨物列車に木材を叩きつけて怒った。
その時、ハマオの頭の中で閃くものがあった。
「待て。一つだけ手があるぞ。」
「何?」
「君を証人にするんだ。」
「証人って・・・?」
「まだ三十分あるな。今から海へ逃げよう。逃げきれるかどうか判らないが、もし逃げきれたら、HAMATOWN消滅の真相を全世界に公表できる。」
「でも三十分しか無いのよ!!」
「やってみるさ。」ハマオはそう言ってニヤリと笑った。
その時だった。ハマオは周りを海に向かって人間がぐるりと潜んでいるのに気がついた。武装警察だった。十人程はいるだろう。皆それぞれの手に銃を持っていた。サーチライトが一斉に照らされた。ハマオとメルシは明かりの中に浮かび上がった。
「ハマオ!もう逃げられんぞ!!」警察のリーダー格が叫んだ。
メルシは怯えてハマオにしがみついた。
「どうかな。日本政府の汚い諸君。」
ハマオは左手でポケットの中から煙玉を投げつけた。ただでさえ暗い夜の闇が煙で全く視界が効かなくなった。
「メルシ、走るぞ。」ハマオはメルシの手を取って走った。
警察はめくら滅法に銃を乱射した。ハマオとメルシはとにかく海めがけて港を走った。
走りまくった。警察も咳込みながら銃を撃って追いかけてくる。海が迫ってきた。
「飛び込むぞ!!」ハマオは叫んでいた。
二人は桟橋から数m下の夏の海に飛び込んだ。そして泳いだ。ハマオは撃たれた右手をも使って必死で泳いだ。
桟橋から警察の連中は容赦無く弾丸の雨を降らせた。弾丸がハマオの身体のどこかに当たった。ハマオは強烈な痛みを感じながらも、鉄の意志で泳いだ。
百m程泳ぎきってボロいモーターボートにたどり着いた。二人は、這い上がった。這い上がるとメルシも腹の辺りを撃たれているのに、ハマオは気が付いた。
ハマオはボートのエンジンをかけた。エンジンは運良く動いた。しかしかかりは遅かった。
「たのむ、かかってくれよ。」ハマオは歯ぎしりした。
「メルシ、大丈夫か?!」
メルシはうずくまっていた。
「大丈夫な訳ないじゃない!あなたもお尻を撃たれてるじゃない!」
「そのとうりだ。しかしこいつがかかってくれれば・・・!」
「畜生、かかれこの野郎!」ハマオはボートを思い切り蹴飛ばした。
すると奇蹟的にエンジンはかかった。モーターボートは夜の海面を滑り出した。そしてハマオはボートを太平洋に向かってひたすら走らせた。
二人は撃たれた痛みを必死にこらえていた。二十分程経った時、メルシが叫んだ。
「ハマオ!」
「何だ?!」
「午前四時よ!」
その瞬間、背後のHAMATOWNが巨大な光と炎につつまれた。一つの街が消滅して
いく。しかしその風景はメルシには不思議なくらい綺麗に映った。
「あなたのHAMATOWNが消えて行くわ!!どういう気分?!」
ハマオは呆然としていた。返す言葉が無かった。ハンドルから手を放した。モーターボートは操縦者を失ってコースをジグザグに進んだ。
メルシが立ち上がった。そしてハンドルを握った。
「歴史によると、そのうち黒い雨が降る筈よ。それまでに何とか逃げなきゃ。あの街も、そしてアタシの国も、日本政府に潰されたわね。どうしてこんな政府が出来たのかしらね?!」
ハマオはしゃがみ込んでいた。もはや撃たれた弾丸の痛みも気にならなくなっていた。
「それは・・・ヒロシマの意味が日本人にはたぶん理解できなかったのさ。」
ハマオはそう言った。「馬鹿野郎。」そう小さく呟いた。
ボートはひたすら太平洋をめざして走って行った。

(了)

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