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マラッカの虹(21-30)に戻る

31

私たちはジャングルの来た方向を斜めに戻るような道を歩いた。ロイの案内して来た道から四十五度ずれて元の方向へ戻る様な感じだ。先導するのはスミトロ、続いて私、しんがりはタイ少佐だった。草木がふんだんに繁った密林を歩くので、歩くのにいつもより苦労した。
「ジョホール・ボロブって何だ?」
私は聞いた。
「まあ、ついてからのお楽しみといったところだ」
少佐は少しニヤッと笑った。
三十分ぐらい歩いただろうか。そこにはびっくりする様な建築物があった。
「何だ、これは!!」
私は叫んだ。
「まるでボロブドールだ!!」
私は続いて叫んだ。
それはまさしくインドネシア・ジャワ島のボロブドールの様な遺跡だった。密林のつたなどに覆われ、周りを高い木で覆われているので近寄らないとわからないが、すごい遺跡だった。大きさは本物のボロブドールの半分くらいだが、荘厳ですばらしい建築物だった。
「これがジョホール・ボロブ。ジョホール州のボロブドールと言う意味だ。我々マラヤ共産党しか知らない」
タイ少佐は言った。
「これはすごい。どうしてこれをマスコミや学会に発表しないんだ?こんな凄い物がジャングルに埋もれてるなんて、ノーベル賞ものだぞ」
「発表なんかしたら、我々マラヤ共産党の活動が狭まるじゃないか。そんな事なんかできっこない。だから君にも、このジャングルを出てもこの遺跡の事は決して口外しないでほしい。約束できるか?」
タイ少佐は複雑な表情をして言った。
私は少しの間をおいて答えた。
「約束しよう」
「私が思うに、これはシュリビジャヤ時代の仏教寺院でおそらく八世紀から十世紀のものだろう」
「僕も同感だ。仏像の頭が本物のボロブドールと違い、切り取られていない。イスラム教徒の手が及んでいない証拠だ」
私たちは遺跡に登ってみた。石の階段があり、つたをスミトロ上等兵がジャングル・ナイフで切り取りながら進んだ。黒と灰色の混じった様な石で作られた遺跡は、第一層から第三層まであるピラミッド型の仏跡で、段台には鐘の形をしたスツーバが沢山あり、その中に仏像が安置されている。壁画には仏陀の一生を描いた物語や、色々な神話を描いた美しい彫刻がほどこしてあった。
「スミトロ、ここで見張っててくれ」タイ少佐はそう言って、スミトロを第一層に残して、私を導いて第三層まで歩いた。
「素晴らしい遺跡だ。とても言葉では言い表せない」
私はレリーフを丹念に眺めながらそう言った。
「そうだろう。我々マレーシア人は、かつてこれほど偉大だったという証明が出来る。マハティールが急激な工業化を進めなくても、マレーシアは充分に偉大なんだ」
「そうだな」
「実はな」
タイ少佐は言葉を一端区切って続けた。
「君にだけ本当の事を言うが、私は共産主義なんて信用していない。コミュニズム革命を民主主義を勝ち取るための手段にしようとしているんだ」
「しかし世界の共産主義政権は、すべからく全体主義・独裁主義じゃないか」
「その通りだ。だから革命を果たした後で、私は共産党内の多くを敵にして闘う事になるだろう。そしてこの国をゆるやかな社会民主主義国家にソフトランディングさせたい。私はそのために命を懸けるつもりだ」
タイ少佐の表情は真剣そのものだった。そこには一人の男の揺るぎない理想に燃える姿があった。私は返す言葉を持たなかった。

32

私たちはジョホール・ボロブを後にして、一時間近く経って地溝に戻っていった。時計を見ると午後二時になっていた。
地溝にたどり着いて、私たちは驚きの余り口も聞けなかった。そこは、阿鼻叫喚の有り様だった。兵士五人が撃ち殺されており、ハシル軍曹一人が生き残っていた。ハシル軍曹も腕を撃たれて負傷していた。
五人の死体は、見る者に吐き気をもよおさせる程、無残に銃弾の雨を浴び、ぐちゃぐちゃになっていた。
「どうしたんだ?!ハシル軍曹」タイ少佐があわてて訊ねた。
「は、はい」ハシル軍曹は苦しそうに答えた。
「工兵二人が吊り橋を向こうの崖に掛け終えて、少佐たちの帰りを待っていたところだったんです。自分は一人でここから少し離れた小川に顔を洗いに行っていたんです。すると突然銃声がしたんです。あわてて駆けつけるとインド系の奴らが十人近く現れて、兵士たちに機関銃をぶっぱなしたところだったんです。奴らの服装からして、政府の者ではなく、ギャングか何かだと思います。不意を突かれた兵士五人は即死し、ギャングたちは女とガイドを連れて橋の向こう側に渡ろうとしていました」
「ギャング?!それで軍曹はどうしたんだ?」
「はい。自分は携帯していたロケット砲を二発ぶっ放しました。生憎、奴らに命中しませんでしたが、奴らは機関銃をぶっ放して逃げて行きました。その時にこの左腕を撃たれてしまって……。奴らは吊り橋を渡りきると、また吊り橋を切っていきました。ご覧の通りです」
ハシル軍曹は撃たれた左腕の痛みを堪えながら、必死にここまでしゃべり終わった。スミトロが薬を付け包帯を巻いた。銃弾はかすっただけの様で、傷はそれ程深くなかった。
ハシル軍曹の言う通り吊り橋は反対の崖っぷちから切られて下に落ちていた。
「ギャングか何か知らぬが、私は決して許さぬぞ!すぐに後を追うぞ。それにしても気の毒なのは、この兵士たちだ。全く何の罪も無いのに……」
タイ少佐は涙を流していた。クールないつもの少佐が感情をあらわにするのは珍しい事だった。
「スミトロ。私と共に吊り橋を直そう。ハシルの腕ではこの地溝は渡れない。アリーとハシルは、その間に遺体を埋葬してくれ。早くギャングの奴らに復讐してやりたいが、遺体がこのままではあまりに可哀相だ。それにしても何故、女とガイドを連れて行ったのだろう?」
「おそらく、そいつらも山下財宝を探してたんじゃないですか」
普段は寡黙なスミトロ上等兵が口を開いた。
「何処からか情報を嗅ぎつけたんでしょう」
「そうとしか考えられんな。スミトロ、まず無線でアジトに連絡だ。それから吊り橋を直すぞ。アリーとハシルは遺体を頼む。良いな」
私は頷いた。

33

私と軍曹は工兵の装備の中のシャベルで穴を五つ掘った。男の兵士が三人、女の兵士が二人。皆二十代の様に見えた。ゲリラとは言え、この様な最期はあまりに気の毒に思えた。
遺体を五つの穴に埋めた頃には、スミトロ上等兵とタイ少佐は吊り橋を掛け終わっており、向こう側からこちらに渡って来た。
四人は遺体を埋めた穴の前に整列した。
「革命の志を持った君たちの事は忘れない。安らかに眠ってくれ。黙祷」
タイ少佐が言った。ゲリラたちは黙祷した。私も黙祷した。
そしてスミトロが空に向かって、追悼の射撃を行った。銃声が地溝にこだました。私とハシルが遺体に土を掛けて埋めた。
それから私たちは吊り橋を渡ってギャングたちの追跡を始めた。午後五時を過ぎており、夕陽が傾いていた。
「タイムラグは三時間くらいだ。それも草を切った跡や焚き火の跡を見つければ、追跡するのは可能だ。絶対に復讐するぞ」
タイ少佐が言った。

34

タイムラグは三時間だったが、ジャングルでギャングたちの跡を見つけて追跡するのは予想より大変だった。向こうのギャングたちもなるべく跡を残さぬ様にするかもしれないし、待ち伏せされる心配もあるので慎重に追跡しているうちに、タイムラグは少しずつ拡がる様に感じた。
先に進んだギャングたちがジャングル・ナイフで切り進んだ跡を見分けるのは、主にスミトロ上等兵の役目だった。しかしジャングルの草は沢山生い茂っており、時折どちらに進んだら良いのか判らなくなる事もしばしばだった。しかも、私たち四人の中でイポー村方面に行った経験のある者は、誰もいない。改めてガイド役のロイの貴重さを痛感させられた。
陽が沈み、夜になっても私たちは懐中電灯の灯をたよりに追跡を続けた。しかし私たちは沼地にさしかかった。
「沼地です。ここら辺はワニのいる可能性があります。夜ここを抜けるのは危険です」
スミトロ上等兵が言った。
「マレーガビアルか。確かに危険性は高いな。仕方ない。今日はここで休憩だ。明日から早く起きてピッチを上げて追跡しよう」
タイ少佐が言った。
時刻は午後九時だった。私たちはテントを二つ張った。沼地から離れたワニに襲われにくい場所を選んだ。ここから数時間行った先にギャングたちもテントを張っているのだろう。
私たちは火をおこし、スミトロ上等兵の捕まえた野鳥の毛をむしり、内臓をとって、野草を混ぜてシチューにして食べた。料理したのはスミトロ上等兵だった。なかなか上手なシチューで、とても美味しく食べられた。
私たちはギャングの襲撃を警戒して、シチューの入った鍋を炊いた火を消さずに燃やしたままにし、見張りを立てる事にした。

35

私は例によって手かせ足かせの状態で寝る事になった。見張りは、スミトロ上等兵とハシル軍曹が交代で行う事になった。午後十一時から午前二時まではハシル軍曹、午前二時から午前五時まではスミトロ上等兵が行う事に決まった。
私は疲れによって午後十一時にはたちまち眠りに入った。
私の意識は十五世紀のマラッカ王国に飛んでいた。マラッカ王国のサルタン・マンスール・シャーの家臣、ハン・トアはマレー人にとっては最も有名な英雄である。私がハン・トアに成り代わった。ハン・トアは絶世の美男子で、何処の妻も娘も彼に(私に)恋をした。また凄い剣の使い手でもあった。
しかし或る時、宮室の女官との密通でサルタンに死刑を宣告されてしまう。
その後にハン・トアのかつての友人でもあったサルタンの家来、ハン・カステリがやはり宮室の女官との密通を発見されて、宮殿に閉じ込められてしまう。ハン・カステリは名うての剣士であった。彼は包囲された宮殿の中で錯乱状態になり、自分と通じた女官の顔から切りまくり、衣服をはぎとった。もう誰もこの狂った剣士を手に負えない。
そこにひき出されたのがハン・トアである私だった。私は長い囚人生活で、体が弱っていた。私はかつての友人ハン・カステリと剣の闘いを始める。しかし、弱った私の体は上手く剣を運ぶ事が出来ない。再三の危機に見舞われて、ついに私の剣は壁に突き刺さってしまう。
もしお前が男だったら、この剣を抜かせてから闘うべきだとハン・カステリの名誉心に私は訴える。しかし錯乱状態にあるハン・カステリは私に向かって容赦なく剣をふりかける……。
私はハッと目覚めた。夢だったのだ。しかし目の前の剣を持ったハン・カステリは、ピストルを持ってまさにタイ少佐に撃ちかからんとするハシル軍曹の姿だった。
手かせ足かせ状態の私は、起き上がる事が出来ない。しかしまだ熱い野鳥のシチューの残った鍋を力一杯蹴飛ばした。鍋の御玉杓子からシチューの熱い汁が軍曹の顔にかかり、軍曹のピストルの発射した弾丸は、狙いを外れた。軍曹は熱さで悲鳴を上げた。
私は「少佐、起きるんだ!!」と大声で叫び、さらに両足を軍曹の脛めがけてキックして、足払いをかけ、軍曹を転倒させた。
次の瞬間には素早く目覚めたタイ少佐とスミトロ上等兵がピストルを持って身構えていた。
「ハシル、動くな。銃を下に置け」タイ少佐が迫力のある声で言った。
ハシル軍曹は顔を引きつらせて、今まで私にとっていた尊大な態度は何処に行ったのかと思うくらい、ビクビクしながらピストルとロケット砲を置いた。
「何か、お前の説明した事は怪しいと思っていたんだ。どういう事か素直に喋れ」
タイ少佐の声には、これまでには無い凄味があった。
「た、助けてください。誤解ですよ。私は……その……」
「誤魔化しはきかんぞ。どういう事か素直に喋れ」少佐がピストルの狙いを定めた。
ハシル軍曹はキンタマを縮ませて、震えていた。
「わ、わかりました。これはしょうがなかったんです。自分はインド系ギャングの奴らに強要されて……仕方無かったんです!」
「説明になってないぞ。地溝の出来事を喋れ」
「インド系の奴らも、じ、自分の情報で山下の財宝を知ったんです。そしてあの地溝の吊り橋を切って、隊に足止めをくらわせ、アリーと洋子とロイを除いて、殺すつもりだったんです」
「ところが私とアリーとスミトロが予定外にジョホール・ボロブに行ったんだな」
「そ、そうです。ですから五人を殺した後、ギャングたちと話し合いをしまして、少佐たちを隙を見つけて射殺する様に頼まれた訳です。頼まれたと言うより、強要されたんです」
軍曹は恐怖で涙を流していた。
「ギャングは何人いる?どういう奴らだ?」
「ギャングは全部で八人です。普段は都市部にいますが、ボスは何かの理由で街を歩けず、山がくれしているそうです」
「おまえはギャングと内通していて、手引きをして兵士たちを殺させた。腕の傷も自分でつけた傷だったんだろう。すべて狂言だった訳だ。そして追手である私たちをも殺そうとした。お前を処刑する」
タイ少佐は冷酷に言い放った。
「助けてくれ!!」
ハシル軍曹は暗闇の中を必死で走り出した。
十メートルくらい走ったが、スミトロ上等兵が狙撃銃で正確に一発で射殺した。
私たちは軍曹の死体を確かめに行った。弾丸は見事に後頭部から額を抜けていた。即死だった。
「見事な腕前だ。だが人が殺される現場を見るのは、あまり気色の良いものじゃないな。だが君は表情一つ変える事無くそれをやってのける」
私はスミトロ上等兵を見つめて言った。
「このスミトロは基地で一番の狙撃兵だ。洋子と一緒にいたトライショーマンも彼がしとめたと聞いている。罪を犯した者、先に発砲してきた者、こういう連中に我々は躊躇無く殺しをする」
少佐が言った。
「いずれにしても、君は私たちの命を助けてくれた。一つ借りが出来たな」
時刻は午前一時を過ぎていた。私たちはもう一眠りした。
私は眠る時も手かせ足かせを外されて眠った。この事件をきっかけに私とタイ少佐とスミトロ上等兵の間に信頼関係が生まれたのだった。タイ少佐がハシル軍曹の代わりに午前二時まで見張りにつく事になった。
午前五時になると私とタイ少佐は目を覚まし、簡単な朝食をとり、すぐさまギャング団の追跡を始める事にした。この際、一人でも味方が多ければ多い方が良いとの事で、私にも武器が初めて持たされた。軍曹の持っていたロケット砲とホイスター付きのピストル、それから洋子から没収した〃パチンコ〃と私の所有だったトカレフも持たされた。ジャングル・ナイフも渡された。
私はずしりと重いロケット砲をかつぎ、使い方をスミトロ上等兵に習ってから、歩き始めた。
ハシル軍曹の死体は埋められる事は無かった。朝には死体に虫がたかっていた。
私たちは昨日より歩を速くして進んだ。ワニのいる沼を迂回して抜け、追跡を続けた。ギャング団の通った跡を、スミトロが巧みに探し出し、獲物を追い詰めるハンターの様に追跡して行く。
スミトロの話では、タイムラグは一時、五時間くらいあったのが、徐々に狭まってくるようだと言う。ワニのいる沼あたりまではゲリラの活動範囲だったが、この先はゲリラにも良く判らず、ギャング団の先導を務めさせられているであろうロイの跡をつけるしかない。
昨晩ギャング団の泊まったと思われる火の跡を発見してからは、私たちは気分がずいぶんと楽になった。後はジャングル・ナイフの切り分けた跡をつけていけば良い。
こうして私たちは、一日中追跡を行った。しかし追いつくまでには至らず、夜の九時になって追跡をいったんストップし、テントを張る事にした。
夕食は私の持っていたコンビーフの缶詰と粉末スープをお湯で溶かしたものとご飯だった。
私はスミトロ上等兵に話しかけた。
「君が前にハシル軍曹らと共に洋子たちを襲ったと言ったが、その時はどんな様子だったんだ?何も宝の事を知っている洋子の父やトライショーマンを殺す事は無かったろう」
「あいつらを見つけたのは、ほんの偶然だったんだ。俺たちはパトロール中であいつらに気が付いた。何やら争う物音が聞こえ、駆けつけてみると女の父親が口径の小さい弾丸で殺されていたんだ。女とトライショーマンは俺たちの物音に気付き、逃げようとしていた。『待て』と叫んだが、止まらなかった。俺はトライショーマンの足を狙うつもりで狙撃銃を撃った。しかしあのトライショーマンはその時何かにつまずいて前のめりに倒れてしまったんだ。そうして弾丸が背中に当たってしまったんだ。あれは俺のミスと言うより不運だった。俺は射的をミスる事は、殆ど無いのだが、まさか転ぶとは」
「ちょっと待ってくれ。洋子の父は君たちに殺されたと洋子は言ったぞ」
「それは絶対にありえない。女の父親は口径の小さい弾丸で頭を撃ち抜かれて死んでいた。あの小さな弾丸で人を殺すには至近距離でないと無理だ。お前が預かっている〃パチンコ〃の様なピストルだ。きっと三人で仲間割れを起こしたに違いない」
「じゃ女の父は、洋子かトライショーマンが殺したと言うのか?」
「その二人が共謀したのかもしれないぞ」
それまで黙って私とスミトロのやりとりを聞いていたタイ少佐が言った。
「高価な宝の事となれば、人は変わる。スミトロの言う通り、仲間割れを起こしたとしても不思議はないぞ。その三人は我々の様な軍隊の規律の様なものは無い。それぞれが私利私欲に走っても全くおかしくない。もっともハシル軍曹の様な裏切り者を出した私の言えた事では無いかもしれないが」
「しかし、そんな?!」
私は釈然としなかった。しかしスミトロ上等兵は嘘をつく人間では無さそうだった。タイ少佐の言ってる事も筋が通っている。
私たちは話を終えて寝る事にした。見張りはスミトロ上等兵とタイ少佐が交代で受け持つ事になった。

37

ジャングルに入って十日目。ギャングを追いかけて三日目。私たちは午前五時に起きた。簡単な朝食を済ませ、私たち三人は追跡を始めた。この山岳地帯で一番高いプサール山が間近に見える。標高は一四六二メートルある。私たちの歩いてる所も海抜千メートルを越えているだろう。昼でもだいぶ涼しくなってきた。
やはり朝十時くらいに、ギャングたちの残したと思われる焚き火の跡を見つけた。
スミトロ上等兵がジャングルナイフでギャングたちの切り分けた跡を見つけて進んでいく。私は重いロケット砲を持って歩くのは辛かったが、必死にスミトロ上等兵とタイ少佐について行った。
「ギャングたちは、僕たちが追跡をしているのに気が付いてるのだろうか?」
私が口を開いた。
「気が付いてはいないだろう。ハシルが私たちを始末してしまったものと思っているのじゃないか。しかし始末した後に、ギャングたちと無線で連絡するか、合流して報告するかの約束はしていた筈だから、気が付いている可能性もある」
タイ少佐が答えた。
「少佐、あれを見て下さい」
スミトロ上等兵が言った。
そこには、小さな小屋があった。木の枝と葉っぱで組み合わせて作った、簡単な小屋だった。人は誰もいなかった。私がマラヤ共産党に捕らわれた小屋よりはるかに小さい。
「これは低身長の人間の使う小屋だ。どうやらオラン・アスリの小屋らしい。我々はオラン・アスリの生活領域に入ったという事か」
タイ少佐が言った。
私たちは夜の九時まで追跡したが、ギャングたちに追いつく事はなく、テントを張る事にした。
「もう一息です。タイムラグは二時間も無いでしょう。明日には追いつきますよ」
スミトロ上等兵が言った。
私たちは夕食を終え、眠った。夜の見張りには、またスミトロ上等兵とタイ少佐が立つ事になった。

38

翌朝いつもより早く午前四時に私たちは目覚め、朝食をとって追跡を始めた。前日の晩までにかなり詰め寄ったので、テントを畳んでから二時間もしないうちにギャングたちのものと思われる焚き火の跡を見つけた。
「もう奴らの尻尾を捕まえました。テール・ゾーンみたいなものです。いつでも追いつけます」
スミトロ上等兵が言った。
焚き火の跡はまだ温かく、ギャングたちが先程までここにいたのは明白だった。
我々はそれからすぐ後に集落に出くわした。昨日見たのと同じ小さな小屋が十数軒並んでおり、オラン・アスリと思われる低身長の半ば白骨化した死体が何十体も転がっていた。
そこはまさに死の村であった。私は何か見てはならないものを、見てしまった様な気がした。
「ここがイポー村の志願兵ダフランが語った、疫病の蔓延して全滅したオラン・アスリの村だな」
タイ少佐がポツリと言った。
「何の疫病か判りませんが、自分たちに移ってはかないません。早く行きましょう、少佐」
スミトロ上等兵が少佐を促した。
私たちは複雑な思いをそれぞれに持ちながら、この村を後にした。
「もうアスリの村に着いたのだから、宝の在り処は遠くはないだろう。つかずはなれず追跡するんだ。そして今日中にカタをつける」
タイ少佐が言った。
私たちは午前七時、細長い湖に出くわした。瓢箪の様な形をした湖だった。
「これがロイの言ってたタマン・ミニ……竜の家と言う意味だが……に違いない。奴らもここを通ったに違いない」
私が言った。
「ここからは洋子がバリー・キャニオンまで案内するという訳だな。アリー、バリー・キャニオンとはどんなところだ?」
タイ少佐が聞いた。
「洋子の話によれば、切り立った崖に三方を挟まれ、小川の注ぐ水門を持った鍾乳洞の洞窟だそうだ」
私が答えた。
「もう少しだな。二人とも、いつでも闘う心構えでいるように」
少佐が命じた。
それから私たちは湖に沿って歩いた。もう昇り坂では無い。平坦な道を歩いた。敵が近づいていると思うと私のアドレナリンも次第に高くなっていった。
午前十二時、スミトロが私たちを制した。
「静かに!!」
私たち三人は止まって耳を澄ました。
「あいつらの声が聞こえます。もう奴らの後ろに来ています」
そして私たちは静かに悟られない様に後をつけていった。
私たちは崖の上にぶちあたっていた。その下は三方を切り立った崖に挟まれた小川の注ぐ水門を持った鍾乳洞、バリー・キャニオンであると思われた。なるほど、辺りには幾つもの鍾乳洞が並んでいる。
崖の下には、一足早くたどり着いたインド系のギャングたちが、下の窪地から、鍾乳洞へ入ろうとしているところだった。水門は開いていた。私たちは頭を低くして、ギャングたちを見下ろした。ついにギャングたちに追いついたのだった。

39

崖の上からギャングたちを少佐が小さな双眼鏡で見渡した。
「ついに追いついたな。だが、向こうは洋子、ロイの他に六人いる。そのうち三人は機関銃、残りの三人は小銃を持っているぞ。奇襲をかけようにも三対六では不利だ。ハシル軍曹はギャングは八人いると言っていたがな」
私は少佐に双眼鏡を借りた。ギャングたちに命じられてバリー・キャニオンへ案内する少しやつれた洋子とおびえた様子のロイが見えた。そしてギャング団の一人に目が行った。それは見覚えのある顔だった。眼鏡を掛けたチビのインド系の五十代の男……。
「おい、あの親玉はラジャハバじゃないか。ハッハッハ。僕の顔見知りだよ」
ラジャハバとは私が数年前にマラッカ郊外で日本人大物俳優ナカムラに扮して、麻薬取引の現場をおさえた時のギャング団のボスだった。マラッカを逃げ失せたとは聞いていたが、こんな所で会うとは。私はこの四日、ラジャハバを追っていたとは思いも寄らなかった。
「少佐、僕に考えがある。僕が近くの岩まで忍び寄って、奴らに岩陰から話しかけてハッタリをかけて、僕がおとりになる。何か煙幕の張れる様な物はないか?」
私が言った。
「隊長用の催涙銃がある。しかし射程は短いぞ」
「充分だ。それを持って、近くからあいつらを引きつけたら催涙弾をぶっぱなす。その前に何とか洋子とロイをあいつらから引き離そう。そうしたら煙に巻かれたギャングたちをロケット砲とスミトロ上等兵の狙撃銃で七面鳥撃ちして片づけてくれ」
「自信はあるのか?」
「日本で昔見た『ハリマオ』というテレビドラマでは上手くいってた」
タイ少佐は少し考えて、決断した。
「よし、一つ君にまかせてみるか」
私たち三人は簡単な打ち合わせをした。
私はタイ少佐にロケット砲を預け、代わりに催涙銃・手榴弾二つをもらい、岩下の方へ降りていった。

40

大きな岩の後ろに隠れた。岩の正面三十メートルくらいの所にギャングたちがおり、その向こうにバリー・キャニオンと思われる鍾乳洞がある。鍾乳洞からは小川が注いでいる。
私の前方、右方、左方には切り立った崖がそびえ立ち、左方の崖の上にはタイ少佐とスミトロ上等兵がいる。
私はマレー語で大声を出して言った。
「よう、ラジャハバ!ひさしぶりだな」
私の声は三方の切り立った崖に大きくこだまして響いた。
私の声にびっくりしてギャングたちはとたんに静まった。その後、タミール語で何事かを話し合い、辺りを窺っている様子だった。
「俺だよ、忘れたかラジャハバ。二年前にヤクを受け取りそこなった日本の芸能人ナカムラだ」
「何だと!!」ラジャハバの懐かしい声が響いた。
「ひどいじゃないか。ヤクを渡さないで他の日本人に間違えて渡すなんて」
私はクックッと笑いを交えながら言った。
暫く間があった。
「おまえ、ナカムラだと。嘘だ。何でお前がこんな所にいる?何か変だ。お前の声には聞き覚えがあるぞ。お前は誰だ?!」
「あのタンピンのパサールのあんたの物々しい様子が今でも目に浮かぶぜ。あんたはあの時、屋外レストランでアンカーのビールを頼んで、女給の前でひっくり返したんだったな」
私は笑いを堪えきれずに言った。
「何でお前がそんな事を知っていやがる?!」
また暫く間があった。
「あっ!!お前はあの時のデカだな。日本人のナカムラになりすまして俺をハメたデカだな。そうか、畜生!!」
「そうだ。良く覚えてるな」
「忘れるもんか畜生!!」
部下が制するのを振り切って、ラジャハバは続けた。
「俺はあの取引で十億円ものヤクを失ったんだ。しかもおかげであれからアシがついて、ほとぼりが冷めるまで一年以上スマトラにいなきゃならなかったんだぞ、この野郎!!」
「熱くなるなよ、おチビのギャングさん」
「何だと!!やかましい」
ラジャハバはついに堪えきれなくなって、私の隠れている岩めがけてマシンガンを乱射した。
私は射撃が収まるのを待って言った。
「そんな事をしても無駄だぜ、ラジャハバ。おまえはもう袋の鼠だ。お前の仲間の裏切り者ハシルは何もかも吐いたよ。それに奴は死んだ。おまえらはこの谷で俺たちマラヤ共産党に包囲されてるんだ!」
ギャング団に一斉に緊張感が走った様子だった。
「何っ?!おめえはデカじゃねえのか。何でゲリラがおめえと一緒に……」
「俺はデカでは無く、探偵だ。訳あって今はゲリラと組んでおまえらを追い詰めた」
洋子が日本語で叫んだ。
「アリー、あなたなのね!!」
「そうだ。もう心配する必要は無い、洋子」私も日本語で返した。
「今、女と日本語かなんかで、何か喋りやがったな。何て言ったんだ?!」
ラジャハバが言った。
「お喋りはおしまいだぜ、おチビさん。まわりを見ろ。茂みに隠れているが皆機関銃とロケット砲を持ってお前らを囲んでいる。武器を捨てろ。おとなしく降伏しろ!」
また暫く間があった。
「ハッタリかもしれねえ」
「そうか、そう思いたければ勝手に自分たちの未来と安全を有り難くお祈りしとくんだな。だが劇はもう終わりに近づいている。お前さんは、またしてもこの俺様によって、ヤクと同じ様に山下将軍の宝を取り上げられる事になるんだ」
ボソボソとギャングたちの喋り声が聞こえた。ギャングたちは本当に脅え始めた様子だった。
「信じられねえ。それよりおめえが俺たちにわかるように顔を見せてみろ」
私は手榴弾を投げた。手榴弾は私とラジャハバの間の真ん中辺りで爆発した。
「これは、ほんの挨拶だ。次はお前らにロケット砲と機関銃をくらわす事になるぞ。いいか、十数えるうちにおとなしく武器を捨てろ」
ゲリラたちはタミール語で言い合って動揺している。
「わかったな。今から十数える」
そして日本語で洋子に言った。
「洋子、今から撃ち合いが始まる。十数えるから五まで数えたら、催涙弾を撃つ。その煙に乗じて、ロイと一緒にあの川べりの岩陰の向こうにずっと身を伏せてろ。目を手で隠すんだ」
「今、何て言いやがった?!」
ラジャハバが言ったが、無視してマレー語でカウントを始めた。
「数えるぞ。いいな!!十、九、八、七、六、五!!」
私は催涙弾を三発撃ち込んだ。谷は煙でもうもうとして何が何だか辺りが見えなくなった。
ゲリラたちは目をやられ、大きく咳き込んだ。そこに狙い撃ちしたタイ少佐のロケット砲がヒューッと音を立てて飛んだ。スミトロ上等兵の狙撃銃の正確な音も響いた。ギャングたちは無茶苦茶に機関銃と小銃をけたたましく撃ちまくった。
「よし、これで良いぞ」
独り言を言った私の後ろから、一人の男に小銃を突きつけられた。インド系だ。ギャングたちの見張りかもしれなかった。私はしまったと思った。
「洒落た真似をしてくれるじゃねえか、このジャップ!!」
男は迫力のある声で言った。私は背中に冷や汗をかいた。
「武器を捨てて、手を上げろ。ゆっくりとだ」
私は仕方無く催涙銃と手榴弾と腰に下げてた拳銃を足元に置いた。
だが一か八かで私は後ろ蹴りを放った。小銃を狙ったが、狙いが外れて男のみぞおちにヒットした。しかしその衝撃で見張りの男も小銃を首から紐ごと落とした。
二人はもみ合い、くんずほぐれつになった。私が馬乗りになろうとすると男が馬乗りになろうとして、体勢が入れ替わった。私は何発かのパンチを男にくらわせたが、自分も何発かのパンチをもらった。
なかなか手強い男だった。ガッチリとした体格でアメリカン・フットボールのラインバッカーが勤まる様な体格とパワーを持っていた。
二人で銃を取り合おうとしたが、一つの小銃はもみ合いの途中に岩の下に落ち、もう一つの私の拳銃を奪い合うため格闘は続いた。
男が私を打ち負かし、拳銃を手にしてニヤリとした時、私はもうおしまいだと思った。
しかしそこにスミトロ上等兵が現れて、見張りの男を撃ち殺した。スミトロ上等兵は戦い終わって、私を心配して駆けつけてくれたのだった。
「戦いは終わったよ。ギャングの奴らは六人とも片づけた」
スミトロは続いて大声を出した。
「少佐、こっちも大丈夫です。見張りが一人いて、アリーともみ合っていましたが、自分が片づけました。もう降りても大丈夫な様です」
「わかった」タイ少佐も大声で答えた。

(つづく)

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