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◆ カナヤマ日本の歴史ハンドブック。

     KANAYAMA’S JAPANESE HISTORY 

   HANDBOOK

 

 

 カナヤマ 日本歴史 辞典 

 日本語版 

 見出し語 『 み 』。

 No.2178。

 

 

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メ ニュー (目次)。  

 ■ 次の項目を選び、クリックして下さい。    

 □ 日本史 辞典 (総合)

 

□    ≪ 源 義経 

 

       ● 事柄順 。

 

〇 みな  源 義経

             (みなもとの よしつね) 。

          ○ 源頼朝の異母弟。

          ○ 戦いの天才。

                  (⇒ 河内源氏)。

                  (⇒ 清和源氏) (⇒ 源氏)。

          ○ 源 義経は、

           源頼朝の異母弟である。

               ■ 源 義経 (みなもとの よしつね、

             生没年:1159年〜1189年) は、

             源義朝(みなもとのよしとも)の九男で、 

             源頼朝の異母弟である。

              ■ 源 義経は、源頼朝の代官となって、

             源 範頼と共に、西方討伐軍を指揮し、

             源(木曽)義仲や伊勢平氏を討伐する。

              ■ 源 義経は、 1185年(元暦2年)

             10月に源頼朝に敵対したが、兵が集

             まらず、京都周辺で潜伏し、1187年

             (文治3年)2月に奥州・平泉に身を寄

             せる。 1189年(文治5年)閏4月に、

             源頼朝の圧力に屈した藤原泰衡(やす

             ひら)によって、奥州・平泉の衣川館(こ

             ろもがわのたて)で襲われ、自害する。 

 

〇 みな  源 義経 年表

       (簡略) 

             (みなもとのよりとも ねんぴょう

             (かんりゃく))。 

             (⇒ 日本史年表) 。

 

 

 

□ 日本史 辞典の 「み」 基本見出し語

   の先頭ページへ。  

 

■  『 現在は、過去の成果であり、

    未来は、現在の成果である。 

 

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◆ 日本史辞典。

 

● 見出し語はグリーンでマークされています

 

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□ 日本史 辞典の 「み」 基本見出し語

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#mi

 

#minamotonoyoshitsune

 

■ 源 義経  

   (みなもとの よしつね)。

 

■ 源 義経。 

■ 名称 : 源 義経 (みなもとの よしつね)。

  幼名は牛若丸(うしわかまる)。

■ 生没年 1159年〜1189年。 

■ 源 義経は、

   頼朝(みなもとの よりとも)の異母弟である。

■ 源 義経は、

  平安時代末期の河内源氏の武将 である。  

■ 源 義経は、 

   源頼朝の代官として、源範頼(みなもとののりよ

   り)と共に、源頼朝軍を率いて、源(木曽)義仲や

   平家(伊勢平氏)と戦い、勝利を得るが、命知ら

     ずの向こう見ずな戦いを行い、多くの東国武士

   たちの反感をかう。

■ 源 義経は、  平家(伊勢平氏)滅亡後、

   源 頼朝と不和になる。 奥州藤原氏の衣川館

   (ころもがわのたち)で自害する。

■ 源 義経の父は、

     源義朝(みなもとのよしとも)である。

■ 源 義経の生母は、

     常盤御前(ときわごぜん)である。

■ 義経の夫人には、

   側室夫人の舞(まい)の名手の静御前

  (しずかごぜん)がいる。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典 31425。

 

 

 □ 源 義経 年表 (簡略)

 

 □ 源 義経の一族

 

 □ 平安時代末期の日本の政権・

    政治実権者 変遷一覧表

 

 □ 源 義経が登場する、興味深い

    関連ドラマ、映画、ドキュメンタ

     リー。 

 

 

 ■ 源 義経。

 

   ■ 源 義経 (みなもとの よしつね、生没年:

     1159年〜1189年)は、 

     平安時代末期の河内源氏の武将であり、

     幼名を牛若丸(うしわかまる)と言い、

     源 頼朝(みなもとの よりとも)の異母弟で

     ある。

 

   ■ 源 義経は、  

     源 範頼(みなもとののりより)と共に、伊勢平氏

     を滅ぼす戦いに貢献し、 1185年(寿永4年、

     元暦2年)の伊勢平氏滅亡後、源 頼朝と不和

     になる。

        奥州藤原氏の衣川館(ころもがわのたて)

     で自害(自刃(じじん))する。

   ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

 ■ 源 義経。

 

   ■ 源 義経は、 

     1159年(平治元年)の平治の乱(へいじ

     のらん)後、 京(都)の鞍馬山(くらまやま)

     に入ったが、後に、奥州の藤原秀衡(ふじ

     わらのひでひら、生没年:生年不詳〜11

     87年)を頼る。 

 

   ■ 源 義経は、 奥州藤原氏を去り、 1180年

     (治承4年)から、異母兄 の源 頼朝(みなもと

     のよりとも)の挙兵に参加し、 以後、頼朝の

     の代官として、源範頼(みなもとののりより)と

     共に、源 義仲(よしなか、木曽義仲) を討(う)

     ち、 平氏を一ノ谷(いちのたに)の戦いで敗北

     させ、 屋島(やしま)の戦い (この戦いは源義

     経のみで実行)、 壇ノ浦(だんのうら)の戦い

     で平家を敗北させ、1185年(寿永4年、元暦

     2年)に、 伊勢平氏を滅ぼす。

        その後、源義経は、 後白河法皇(後白

     河上皇)に近づいたため、兄・源 頼朝と不和

     となり、 源頼朝に反旗をひるがえし挙兵する

     が兵が集まらず、 逃亡し、再び、奥州の藤原

     秀衡の保護を受けたが、 1187年(文治3

     年)の秀衡の死後、 源頼朝に圧迫された藤

     原泰衡(ふじわらのやすひら、生没年:1155

     年〜1189年)に攻(せ)められて、1189年

     (文治5年)に、奥州・平泉の衣川館(ころもが

     わのたて)で自害する。

   ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 ■ 源 義経。

 

   ■ 源 義経は、 1184年寿永3年、治承8 年)

     1月の宇治川の戦い から1185年(寿永4年、

     元暦2年)3月の壇の浦の戦いまで、

     源頼朝の代官として、戦いを見守る司令官な

     のに兵士のように現場の戦場に出て戦い多

     大な戦功をあげ、西国武士も率いて戦い、

     鎌倉方の東国武士たちの戦功の機会を奪い、

     また、梶原景時(かじわらかげとき)などの

     源頼朝の軍艦(ぐんかん)の意見を聞かず

     独断専行で事をすすめ、また、源 義経は、

     戦いの功績をたて名声をあげるため、鎌倉方

     の東国武士たちの犠牲を顧みず、命知らずの

     ような無茶な戦いを多く行ない、多くの鎌倉方

     の東国武士たちの反感をかう。 

   ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

 ■ 源 義経。

 

   ■ 源 義経は、 

     1185年3月の壇ノ浦の戦いでは、源範頼

     (みなもとののりより)と共に戦い、勝利を

     得て、伊勢平氏を滅ぼしたが、天皇や

     三種の神器(さんしゅのじんぎ)の奪還に

     失敗する。 幼い安徳天皇は、溺死し、三種

     の神器の2つは確保したが、草薙の剣(くさ

     なぎのつるぎ)が海中に沈み喪失する

     (『吾妻鏡』より)。

   ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

 ■ 源 義経。

 

    ■ 1185年(寿永4年、元暦2年)3月の壇ノ浦

      の戦いでは、 源 義経の性急な攻撃で、安徳

      天皇(あんとくてんのう)や二位尼(にいのあま、

      平時子)を自害に追い込み、 朝廷との取引

      材料と成り得た宝剣を紛失したことは源 頼朝

      の意に反することであった。

          壇ノ浦の戦いの京凱旋後、源 義経が、

      後白河院よって、院政の軍事的支柱である

      院御厩司(いののみまやつかさ)に補任され

      たのは、源 頼朝が容認できるものではなか

      った。 鎌倉軍の武士は、官位を源 頼朝の

      推挙を得て受けるという枠組みを否定し、

      また、源 義経は、 朝廷の後白河法王に 近

      づきすぎ、源 頼朝に 怒りと警戒心を抱かせ

      る。 

   ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

   ■ 源 義経は、源頼朝の代官なのに、身勝手

     な行動をとり、源頼朝は不信感を抱いてい

     ていたが、頼朝の不信感は敵対心に変わる。

 

   ■ 1185年(寿永4年、元暦2年)3月の壇の

     浦の戦い後、源 義経は、 源頼朝に警戒さ

     れ、怒りをかい、 壇の浦の戦い後、源 義

     経は、平家(伊勢平氏)の捕虜を引き連れて、

     鎌倉の源頼朝に会いに行くが、源頼朝の本

     拠地の鎌倉に入れてもらえず、 1185年

     (元暦2年)5月に鎌倉の手前の腰越 (こし

     ごえ)で足止めされ)、源 義経は、源頼朝と

     面会できず、源頼朝が帰洛を命じると、

     頼朝を深く恨(うら)むと言い放ったため、

     源頼朝は、源 義経の所領をすべて没収す

     る。

   ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

   ■ 京(都)に戻った源義経に、 源頼朝は、1185

     年(文治元年)9月に、源行家(みなもとのゆき

     いえ)追討を命(めい)じるが、源義経は応じず、

     源頼朝は、10月に、源行家と同心していると

     判断し、遂に、源 義経の討伐を決める。

        1185年(元暦2年)10月に、源 義経は、 

     源頼朝に敵対するが、その後、兵が集まらず、 

     源氏軍に追討される身となり、11月に、源 義

     経は、九州に向かうが失敗する。

         その後、源 義経は、 京都の周辺に 

     潜伏し、1186年(文治2年)11月頃に奥州 

     (おうしゅう、現・福島・宮城・岩手・青森県)へ

     向かい、伊勢・美濃を経て、1187年(文治3

     年)2月に、奥州・平泉 (おうしゅう・ひらいず

     み、現・岩手県平泉町)に身を寄せる。

 

   ■ 1189年(文治5年)閏4月に、源頼朝の圧力

     に屈した藤原泰衡(やすひら)によって、源 義

     経は、奥州の平泉・高館(ひらいずみ・たかだ

     ち)の衣川館(ころもがわのたて)で襲われ、

     自害する。 数え年31歳であった。

   ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

#minamotonoyoshitsune-ta.2914

 

 

◆ 平安時代末期の日本の政権

   政治実権者の変遷一覧表。

 

   ● 当一覧表は、

     「平安時代後期の 日本の政権・政治実権者

      の変遷一覧表」 からの抜粋である。

 

 ■ 平安時代末期の日本の政権

    政治実権者の変遷簡略一覧表。

    

   ● 平安時代末期の日本の政権や政治実権

      保有者の変遷の一覧表。

   ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典 31421。

 

   ■ (6)〜(9)  《1165年〜1185年

               伊勢平氏政権期。

   ■ (10)     《1185年〜1192年

               河内源氏政権期。

 

   ■ (6) 《1165年〜1179年

          後白河上皇(法王)と平清盛の

          二頭政治・政権期。

 

   ■ (7) 《1179年〜1181年

          平清盛の武家政治・政権期。

 

   ■ (8) 《1181年〜1183年

         後白河法王と平宗盛の二頭政治・

                  政権期。

 

   ■ (9)  《1183年〜1185年

                   後白河法王、平宗盛、源頼朝の

          三頭政治・政権期。

         

   ■ (10) 《1185年〜1192年

          後白河法王と源頼朝の二頭政治・

          政権期。

           ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

 ■ 平安時代末期の日本の政権

    政治実権者の変遷詳細一覧表。

 

   ● 平安時代末期の日本の政権や政治実権

      保有者の変遷の一覧表。

   ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典 31426。

 

 

 ■ (6) 《1165年ー1179年

        後白河上皇(法王)と平清盛

                の二頭政治・政権期。

 

    1165年(永万元年)に、朝廷の後白河

      上皇と武家の伊勢平氏の平清盛が、

      日本の政治の実権を握り、

      院政・武家政治の二頭政治を始める。

 

    1165年(永万元年)7月に、二条天皇

     が死去する。

        二条天皇を軍事面(武力面)で支え

     ていた伊勢平氏平清盛が、独立して、

          また、後白河上皇の院政も復活して、

     後白河上皇と平清盛が、 日本の政治の

     実権を握り、院政・武家政治の二頭政治

     を始める。

      ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

 ■ (7) 《1179年ー1181年

        平清盛の武家政治・政権期。

 

   ■ 1179年(治承3年)に、 武家の伊勢平氏

       の平清盛が、日本の政治の実権を握り、

       単独で、武家政治を始める。

    ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

   ■ 1179年(治承3年)11月に、平清盛が、

      治承三年の政変というクーデターを起こし、

      後白河院政は停止され、平清盛の意のま

      まの高倉天皇の公式命令により、朝廷の

      人事の除目(じもく)で、朝廷の中央官庁

      の公卿などの上級官職や諸国の受領(ず

      りょう、国司)の大幅な交代が行われ、

      武家の伊勢平氏は、朝廷の中央官庁

      中心勢力となり、また、大幅に全国に知行

      国を増やす。

 

 

 ■ (8) 《1181年ー1183年

        後白河法王と平宗盛の

        二頭政治・政権期。

 

   ■ 1181年(治承5年)に、 朝廷の後白河法王

     と武家の伊勢平氏の平宗盛 (たいらのむね

     もり)が、日本の政治の実権を握り、

     院政・武家政治の二頭政治を始める。

     ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

    1181年(治承5年)2月に、武家の伊勢

     平氏の平清盛が死去し、代わって、武家の

     伊勢平氏の平宗盛が 、平家を率い、朝廷の

     後白河法王の院政を復活させる。

 

 

 ■ (9) 《1183年ー1185年

        後白河法王、平宗盛、源

        頼朝の三頭政治・政権期。

 

   ■ 1183年(寿永2年治承7年)に、朝廷

     の後白河法王、武家の伊勢平氏の平宗 

          盛、 武家の河内源氏の源頼朝が、 

     日本の政治の実権を握り、

     院政・武家政治の三頭政治を始める。

     ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

   ■ 1183年(寿永2年治承7年)7月に、

     武家の伊勢平氏の平宗盛は、京(都)を

     追われ、都落ちし、東日本は源頼朝の

     河内源氏の勢力圏となり、 西日本は、

     平宗盛の伊勢平氏の勢力圏となる。

 

 

 ■ (10) 《1185年ー1192年

         後白河法王と源頼朝の

         二頭政治・政権期。

 

   ■ 1185年(元暦2年、文治元年;寿永4年)

     に、朝廷の後白河法王と武家の河内源氏

     の源頼朝が、

     日本の政治の実権を握り、

     院政・武家政治の二頭政治を始める。 

 

   ■ 1185年(元暦2年、寿永4年)3月に、

     に、平宗盛が率いる伊勢平氏は、壇ノ浦

     (だんのうら)の戦いで、源頼朝方の軍

     戦い、敗北し、滅亡する。

        また、1185年(文治元年)11月に、

     武家の河内源氏の源頼朝は、文治の勅

     許を得て、全国に守護・地頭を設置する

     ことを朝廷から認められる。

     ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

#minamotonoyoshitsune-hisfamily

 

 

◆ 源 義経の一族。

 

   ■ 源 義経の父母。

   ● 源 義経の父は、

     源義朝(みなもとのよしとも)であり、

   ● 源 義経の生母は、

     常盤御前(ときわごぜん)である。

 

   ■ 源 義経の兄弟。

   ● 源 義経の同父同母の兄弟には、

     義経の生母・常盤御前から生まれた、同母兄

     の、阿野全成(今若)、義円(乙若)がいる。

 

   ● 源 義経の異父同母の兄弟には、

     義経の生母・常盤御前が、源義朝敗死後再婚

     した一条長成との間に生まれた異父弟の

     一条能成がいる。

 

   ● 源 義経の同父異母の兄弟には、

     義経の異母兄の、源 義平(みなもとの よしひ

          ら)、 源頼朝みなもとのよりとも)、源 範頼

          (みなもとののりより)などがいる。

 

  ■ 源 義経の夫人。

   ● 源 義経の正室夫人は、 

     郷御前 (河越重頼の娘、義経と共に衣川館

     で死去)である。

 

   ● 源 義経の側室夫人は、    

     静御前 ( しずかごぜん、義経の寵愛する白

     拍子)、 

     蕨姫 (わらびひめ、平時忠の娘、平時忠が

     保身のために差し出した) 

     などである。

 

   ● 源 義経の側室夫人には、

     舞(まい)の名手の静御前(しずかごぜん)が

     いる。  源 義経と静は、自由恋愛で 婚儀を

     結ぶ。

 

   ■ 源 義経の子。

   ● 源 義経の子は、 

 

   (1) 静御前が鎌倉方に捕縛され連行された鎌倉で

     出産後間もなく鎌倉で遺棄された静御前の男児、 

 

   (2) 源 義経の都落ち後の逃避行中に誕生し衣川

     館で義経と共に死去した女児 (「吾妻鏡」より)

 

     などである。

 

 

#minamotonoyoshitsune-appearingscenes

 

♪♪ 源 義経が登場する、興味深い関連

    ドラマ、映画、ドキュメンタリー。 

 

 ★ 源 義経が登場する、興味深い関

    ドキュメンタリー。 

 

 ■ 歴史秘話ヒストリア 

   『 源義経 vs.平家のプリンスたち

    〜最終決戦! 壇ノ浦への道〜 』 。  

    (NHKテレビの2012年(H24年)12月5日・

     本放送・ドキュメンタリー番組)。

 

  ■ 源 義経が登場する。

 

 ■ 歴史秘話ヒストリア 

   『 海の王者 平氏を打ち  

     倒せ〜決戦!壇ノ浦 

         義経の苦悩〜 』。 

    (NHKテレビの2012年(H24年)1月18日・

     本放送・ドキュメンタリー番組)。

 

  ■ 源 義経が登場する。

 

 ■ 歴史秘話ヒストリア 

   『 源義経 in the Dark 

    〜伝説のヒーローは闇から

     生まれた〜 』。 

     (NHKテレビの2010年9月1日本放送・

      ドキュメンタリー番組・第49回)。

 

  ■ 源 義経が登場する。

 

 ■ 歴史秘話ヒストリア 

   『 東北に輝け!幻の黄金都市

     〜世界遺産・平泉 奥州藤原

     氏100年の夢〜 』 

          (NHKテレビの2012年(H24年)3月

         14日 ・本放送・ドキュメンタリー番組)。

 

  ■ 源 義経が登場する。

 

 

 ★ 源 義経が登場する、興味深い関連

    ドラマ、映画。 

 

  ● (注意) ドラマ、映画は、 フィクションです。 

    歴史のドラマや映画は、史実(歴史上の事実) 

    と 架空の出来事が、 混じって描かれてい

    ます。 また、現代風にアレンジしてあります。

 

 ■ 『 平清盛 (たいらのきよもり) 』 。 

     (NHKテレビの2012年大河ドラマ)。

 

  ■ 源 義経が登場する

  ■ 平安時代末期を描いたドラマで、 当時

    活躍した人物や当時の時代状況を描く

  ■ 平清盛の生涯を描く

 

  ● 源 義朝を演じた俳優名 : 

    玉木 宏。

  ● 由良御前(ゆらごぜんを演じ た

    女優名 : 田中 麗奈。

  ● 常盤御前(ときわごぜん)を演じ た

    女優名 : 武井 咲。

  ● 平 清盛 を演じた俳優名 : 

    松山 ケンイチ。

 

 

 ■ 『 義経 (よしつね) 』 。 

     (NHKテレビの2005年大河ドラマ)。

 

  ■ 古代日本の平安時代末期を描いたドラマ

    で、 当時活躍した人物や当時の時代状

    況を描く

  ■ 源 義経 (みなもとのよしつね)の生涯を

    描く。

 

  ● 源 義経を演じた俳優名 : 

     滝沢 秀明 (たきざわ ひであき)。

 

  ● 静御前 (しずかごぜん)を演じた女優名: 

     石原 さとみ。

  ● 源 義朝を演じた俳優名 : 加藤 雅也。

  ● 常盤御前(ときわごぜん)を演じた  

     女優名 :稲森 いずみ。

  ● 平 清盛を演じた俳優名 : 渡 哲也。  

  ● 源 行家(新宮十郎義盛)を演じた

     俳優名 : 大杉 漣。

 

  ■ 義経主従。

  ● 武蔵坊弁慶 を演じた俳優名 : 松平 健。

  ● 伊勢三郎 を演じた俳優名 : 南原 清隆。

  ● 駿河次郎を演じた俳優名 : うじき つよし。

  ● 喜三太を演じた俳優名 : 伊藤淳史。

  ● 佐藤忠信(たたのぶ) を演じた俳優名 : 

     海東 健。

  ● 佐藤継信 を演じた俳優名 : 宮内 敦士。

  ● 鷲尾三郎(義久) を演じた俳優名 : 

     長谷川朝。

 

 

   

   (ドラマ「義経」関連の書籍の販促のPRフォト)

 

 

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■ 源 義経 簡略年表 

    (みなもとのよしつね かんりゃくねんぴょう)。

 

   ■ より理解を深めるために、 当年表と近い時期の

     日本史辞典の年表の、 『 平清盛年表 、 源頼朝 年、  

     平安時代末期年表 』 も参照して下さい。

 

 

◆ 源 義経 簡略年表。

 

 ■ 1159年   ● 源 義経 (みなもとのよしつね)が、河内

             源氏 (かわちげんじ)の義朝(みなもとの

             よしとも)の 子として、誕生する。 義経の生

             母は、常盤御前(ときわごぜん) である。

             ● 12月、義経の父・源 義朝は、平治の乱

             (へいじのらん)では、 子・源 頼朝と共に、

             藤原信頼(ふじわらののぶより)方で参戦

             する。  しかし、藤原信頼方は、敗戦する。

 

 ■ 1160年   ● 義経の父・源 義朝は、敗死する。京(都)

  (平治 2   より尾張へ敗走し、そこで、義朝の家人(け

  (永暦 元年    にん、家臣)の裏切りで、殺される (義経、

             数え年2歳)。

               源義朝(みなもとのよしとも)は、東国

             に逃れる途中、1160年(平治2年)1月4日

             頃に、尾張国野間(おわりのくに・のま、現・

             愛知県西部・美浜町野間)で殺害される。

            ● 1160年(永暦元年)2月に、義経の兄・

             源 頼朝は、落ちのびる途中で捕えられ、

             京(都)の六波羅(ろくはら)へ送られる。

               1160年(永暦元年)3月、源 頼朝は、

             伊豆国(いずのくに)本土(現・静岡県東部)

             へ流される(流刑となる)。

 

 ■ 1162年頃  ● 義経の母・常盤御前が、一条長成と再婚

             する。

 

 ■ 1174年頃  ● 義経は、 京(都)の鞍馬寺(くらまでら)を

             出奔(しゅっぽん)し、 奥州(おうしゅう、東

             北地方)の平泉(ひらいずみ)へ下る(義経、

             16歳頃)。

 

 ■ 1177年頃  ● 義経の兄・源 頼朝が、自由恋愛で、北条

              政子と婚儀 を結び、正室夫人に迎える。

 

 ■ 1180年   ● 8月、義経の兄・源 頼朝が、挙兵する。

              石橋山(いしばしやま)の戦いで敗北する。

              房総半島に逃れ、再軍備を図る。

             ● 10月、源 頼朝が、鎌倉入りする。鎌倉

              の大蔵御所を政治の拠点とする。

             ● 10月、 源 頼朝が、平氏軍に対し富士

              川の戦いに勝利する。 

               以後、源 頼朝は、西上(せいじょう)せ

             ず、東国の安定確保に専念する。

                       ● 10月、義経が、源 頼朝の黄瀬川の陣

             (静岡県清水町)で異母兄の源 頼朝と会

             う(涙の対面を果たす) (義経22歳)。

 

 ■ 1183年   ● 11月、義経が、源頼朝の代官として、西

             上を開始する。

 

 ■ 1184年   ● 1月、京(都)方面へ派遣された義経 と

             源範頼(のりより、義経の異母兄)は、源義

             (よしなか、木曽義仲)を討伐し、京(都)

             へ入京する。

            ● 1月、 後白河法皇(ごしらかわほうお

             う)が、平氏討伐を源頼朝に要請する。 見

             返りに平氏没官領(もっかんりょう)支配権

             を、源頼朝に与える。

            ● 2月、摂津(せっつ)の一の谷(いちのた

             に)の合戦が源平間で起こる。 源義経が

             活躍し、義経の奇襲で、源氏軍が勝利する。 

               その後、義経が、平氏追討と畿内近国

             の行政・軍政を担(にな)う。

            ● 8月、後白河法皇が、源頼朝(鎌倉殿)

             推挙なしに、源義経を叙任する。 義経は、

             左衛門尉・検非違使に任官する。

               以後、源頼朝と源義経が対立する。

            ● 9月、義経は、河越重頼の娘、郷御前と

             婚儀を結ぶ(結婚する)。

 

 ■ 1185年   ● 1月、義経は、平氏追討のため、西国

             (さいごく)へ出陣する。

             ● 2月、讃岐(さぬき、四国の香川県)で、

             屋島(やしま)の合戦が源平間で起こる。  

             源義経が活躍し、源氏軍が勝利する。

             ● 3月、壇ノ浦(だんのうら)の戦いが源平

             間で起こり、源義経が活躍し、源氏軍が勝利

             し、伊勢平氏が滅亡する。

             ● 4月、義経が、京(都)へ凱旋する。

             ● 5月、義経が、平宗盛(むねもり)親子

             を鎌倉へ護送する。

               義経は、源頼朝に鎌倉入りを拒否される。

             腰越状を頼朝へ送る。

             ● 6月、義経は、京(都)へ戻る。

             ● 8月、義経は、後白河法皇より、伊予守

              (いよのかみ)に任官される。検非違使を

              兼任。

             ● 10月、後白河法皇が、源義経に源頼朝

             追討の院宣(いんぜん)を発給する。 後に

             取り消す。

                10月、義経は、後白河法皇に源頼朝

             追討の院宣(いんぜん)を要請し、源頼朝

             追討の宣旨(せんじ)が下る。 

             しかし、 義経の元に兵が集まらず、挙

             兵に失敗する。 

               その後、義経は 、最終的に、奥州・平泉

             (おうしゅう・ひらいずみ)へ逃亡する。

             ● 11月、義経は、京(都)を落ちる。 その

             後、解官される。 

             ● 11月、源頼朝が、後白河法皇に、源義経

             追討の院宣(いんぜん)を要求し、認められ

                        る。

              ● 12月、 源頼朝が、後白河法皇に守護・

             地頭(しゅご・じとう)の設置の許可を要求

             し、認められる。 

               頼朝は、1185年以後、職制として、地

             方各地に、守護や地頭をおく。

 

 ■ 1186年   ● 義経は、逃避行をする。

 

 ■ 1187年   ● 2月、義経は、奥州(おうしゅう、東北地方)

             へ落ち延びる (吾妻鏡では)。 義経は、

             正室夫人の郷御前や逃避行中に生まれた

             娘(女児)と共に、奥州に入る。

 

 ■ 1189年   ● (うるう)4月に、源頼朝は、奥州藤原氏

             の藤原泰衡(ふじわらのやすひら)に源義経

             追討を要求する。

            ● (うるう)4月に、  藤原泰衡は、衣川(こ

             ろもがわ)の戦いで、源義経を自害に追い込

             む。 

               義経は、衣川館(ころもがわやかた)で自

             害する(義経、享年31歳)。 義経は、郷御前

             や女児と共に死去する (吾妻鏡では)。

            ● 7月、源頼朝は、後白河法皇に奥州藤 原氏

             追討の院宣を要求する。

            ● 9月、源頼朝は、奥州を平定し、奥州 藤原

             氏が滅亡する。

 

 

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  『 あなたのハートには 

    何が残りましたか? 』

 

 

 

以  上。