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塾長、折々のつぶやき

ここは私(久保田實)のつぶやきのページです。
お暇な折りにちょいと覗いてみて下さい。


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2007年

◎12月3日(月)
分数について、割合としての意味合いから
まず、かけ算から教えるべきだとの意見を聞いた。
確かにその面もある。
だが、小数と共に、1より細かい大きさを表すという面も大事だ。
どちらも分数の大事な特徴で、どちらを先に学習するかは大きな問題ではない。
どちらを先に学習しても、大きな差はなかろう。
いや、割合についてしっかり学習する前に、かけ算として分数を教えるのは本末転倒ではないかと思う。

インド式速算についても、知っていて害はなかろうが、
知っていても大した益にもならないように感じる。
例えば、「和と差の積は平方の差になる」という決まりを
面積図の活用法として教えるのは面白いとは思うが。
ただ、この決まりを知っているからと言って、中学入試が飛躍的に楽になるとは思えない。
今の九九で充分だと思う。

以前いた塾で、3.14の九九に熱心な先生がいた。
3.14×2=6.28
3.14×3=9.42
(以下省略)
と、連綿と唱え続けるのだ。
私は大事な授業時間をそのような事に割く気持ちにはならなかった。
これなども、問題を解く課程で
3.14の計算が出てきた時に意識的に見ていれば
大事な数字は自然に身に付く。
そもそも、3.14絡みの筆算くらいサッサと処理出来なければ困る。
むしろ、3.14について言えば
分配法則をしっかり使えるようにするという方が大事だ。

この頃、どうでも良いことに無駄なエネルギーを使いすぎているように感じる。

民主党が、ある大臣が関連企業の役員と宴会で同席したかどうかについて大騒ぎしているのも無駄なことに感じる。
宴会で同席したかどうかではなく、その会社や関連団体とその大臣との具体的な利害関係を調査すべきと思う。
その大臣一人の問題ではないかもしれない。
ある省庁と、関連企業や団体と、もっと構造的な癒着があるのかもしれない。
そうした問題を調査して、ある確信が持てた上で
それを傍証していくために、宴席への出席といったことも問題となってくるのではないか。

本末転倒は、何事においても避けるべきと思うが
特に教育や政治においては最も気を付けるべき点だと思う。



◎11月6日(火)
今回の小沢氏の連立への色目は
まるで、合格の為なら手段を選ばない受験生のように思えた。

本来なら、もう11月だもの、受験について具体的に語るべきとは思うが
あまりにも劇的な事件なだけに、「小沢」の今回の行動についてつぶやきたい。

それに先立ち、一人の政治評論家に登場してもらう。
氏名の最後の「田実」の2文字が私と同じ
というだけではないが、政治評論家の森田実氏の意見は前からいつも参考とさせて頂いていた。
今回の「事」についても、ネットで見た森田氏の意見には得るところが大きかった。
なので、著作権の事がちょっと気になるが
リンクだと、いつか切れてしまう可能性もあるので、
あえて記事の一部を引用させて頂く。
もしこれが関係者の目にとまり、何か不都合を感じられたようなら
ご連絡頂ければ、ご迷惑、失礼のないように改善します。
これらの断りを入れた上で以下、引用です。

【引用開始】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071106-00000009-omn-pol
「Yahooニュース」より
森田実氏が斬る「小沢の二転三転」
11月6日21時58分配信 オーマイニュース


民主党の信用は失われたと語る森田氏、6日午前、東京都内で=撮影:軸丸靖子


 安倍首相の突然の辞任に日本中がひっくり返ってから1カ月半。今度はいよいよ政権奪取かと思われた民主党・小沢一郎代表が辞意を表明し、なんと、さらにそれを撤回し、政界は再び迷走を極めている。

 小沢抜きで選挙を戦えない民主党は幹部を中心に必死の慰留をしたが、中堅・若手議員らからは「民主党はまだ力量不足」などとした小沢氏の発言に対する不満・不信感も噴出した。一方、混迷の発端となった党首会談を成功させた福田首相は、飄々(ひょうひょう)と臨時国会のまとめ、そして衆院解散総選挙に取りかかっているという。

 参院選の大勝から辞表提出まで、自民・民主の二大政党に、そして小沢一郎氏に何があったのか。政治評論家・森田実氏に聞いた(敬称略、インタビューは11月6日午前)。

 以下は、インタビュー前半の森田氏の発言概略です。

■参院選からの小沢氏の変化──米国の圧力

 小沢は参院選が終わってから大きく変わった、と感じるところがあった。要素は2つ。

 1つは、あれだけ『政治は国民生活だ』と言っていたのに、インド洋沖給油活動をはじめとする安全保障問題にシフトし始めていたこと。

 もう1つは、米国の対日政策が日本尊重からアジア重視へと移行していること。その中で、小沢の言動に、『国連が決議すれば何でもやります』という、1992年以来の国連中心主義が現れ始めていたんですね。

 国連中心主義というのは、小沢が湾岸戦争のときに出した論理。批判を受けて封印していたんだが、小沢は時期が来たらやろうと思っていたのだと思う。また、来年の大統領選で政権をとるであろう米民主党は、イラクからは撤退するが、アフガンからは撤退しない方向だから、その流れもにらんでの動きかなと思っていた。

 ところが、ある時期から別の情報が流れ始めた。


 つまり、米国は日本がインド洋での給油活動をやめることにものすごく怒っている。日本の民主党にも猛烈な圧力がかかってきて、これは党として給油反対を貫けそうもない。小沢も動揺し始めている、というものです。

 そこで出てきたのが自民党との大連立構想です。小沢さんの国連中心主義を自民党も尊重する。ただし、これは大きな政策変更だから大連立でやろう、その上で給油活動を再開しよう、という話になります。

 この大きな枠組みの話がついたのではないかという情報が複数入ってきたところで、福田―小沢の党首会談が実現した。小沢が福田に協力することで新しい体制を作るという、もう拒否できない、いろんな圧力があるのだろうという情報が流れていた。

■背信行為の大連立、小沢氏の政治生命は

 党首会談の1度目(10月30日)はジャブの応酬みたいなもの。2度目(11月2日)で福田が大連立を提案し、小沢が持論を提案する。小沢のいまの指導力からすれば民主党はまとめられる。そうしておいて、結論は給油再開。大連立になったから民主党も方向転換して認めるのではないかと、そういうシナリオです。

 ですが、これは大いなる背信行為なんですよ。

 小沢はこの20年間、一貫して政権交代可能な二大政党制を作るといって行動してきた。それで小選挙区を導入して、宮沢政権が倒れ、細川政権が倒れ、羽田政権が倒れ、村山の自社さ政権が起こって、小沢自身も一度はあきらめて自自公連立に入ったが、今度は民主党に近づいて自由党と合併させ、民主党の主導権を握った。参院選で過半数を取り、いよいよ彼の政治人生の総決算、政権を奪取することになってきたなあと思っていた。

 しかし、今ここに来て自民党と民主党との大連立を模索したという。過去(自自連立)と同じ事を繰り返そうとしているが、連立は政権交代ではない。政権交代を事実上放棄して大連立に動くというのは、背信行為、選挙公約違反で、国民に対する裏切り行為です。それで私も先月(10月)来、小沢はもうダメだと、批判を強めてきた。

 ただ、この大きなシナリオの中で崩れた部分が1つある。

 それは、小沢が党首会談の内容を民主党役員会に持って帰れば、役員会は小沢に一任するだろう、という前提です。昔の自由党であれば周囲はみな思考を停止して小沢についていっただろう。ところが民主党はそうではなかった。それで、小沢は怒って部屋を飛び出して、辞表を提出した。

 小沢は慰留の条件として、今後の民主党の運営をすべて小沢に委ねる、それが保障されるなら受けても良い、と言っているという。かたや民主党は、小沢の条件を受け入れなければ、小沢が民主党を分裂させるという異常な恐怖心を抱いている。小沢が新党を作り自公に入っていって連立政権を作る、それで民主党は終わりじゃないかというこの分裂恐怖症が、『残ってください』『出て行ってもらっちゃ困ります』という政界としては異常な状況を作り出している。

 その空気をすべて分かっている自民党は、総選挙態勢に入れ、と号令した。一気に政局緊迫に動き始めているのがいまの状況です。

 民主党は絶体絶命のピンチに陥れられた。自民党にすれば、民主党には小沢が残っても勝てる、小沢がやめて分裂して出ればなお勝てる、小沢が出ずに第三者が党首として出てきても、これだけ信用を失った民主党になら勝てる、という状況です。

■民主党が勝ち残る道は

 その中で、民主党ができるのは1つしかない。党首選挙をやること。小沢さんを慰留してもう一度やったとしても、もう選挙で勝ったときの小沢さんではない。すでに、屈服して福田さんに負けちゃった小沢さん、国民に背信し、選挙公約も踏みにじった小沢さんでしかない。

 すでに、民主党に対する国民の信用はガタッと低下している。大多数の民主党に入れた人たちはもう失望してしまった。早く新しい党首の下で次の選挙に向かうというイメージチェンジをはかり、攻めていく。時間はかかるかもしれないけれど、民主党にはそれしかないという状況ですね。

(聞き手:オーマイニュース編集長 元木 昌彦)
【引用終わり】

この記事の中で、唯一、小沢氏へのあまりにも否定的過ぎる記述には少し違和感を覚える。
小沢が代表だったから安心して民主に投票した人も少なくないはずだ。
そういう人は、小沢のいない民主には、かつての日替わり党首のひ弱なイメージをよみがえらせてしまうだろう。
やはり、「腐っても小沢」だと思う。

私なりの「小沢」の行動原則の推測を語る。

非戦を貫こうとする日本国憲法下で、唯一の拠り所を国連とする小沢氏の意見を
私は正当なものと思う。
自民党はその点、あまりにもアメリカ寄りだ。
「国連=アメリカ」ではないと思う。
小沢氏は、現憲法の平和主義の根本精神を守ろうとするために
今回の「テロ特措法」に賛成しかねたのだと思う。
目先の利益より、国是を優先しようとする彼の姿勢を私は評価したい。
その点で言えば、彼の原則を通すには、
敢えて連立するのが早道だと思ったのも頷けなくはない。
ただし、森田氏の言うようなアメリカからの圧力に屈しての方針転換だとしたら情けないが。
ここはもうしばらく小沢の行動を見守るしかない。

一方、他にも、年金、消費税と言った、国民生活に、より直結する課題もある。
それらには目をつぶってしまって良いのか。
そこは納得できない。
連立して、より即効的に各問題に対処出来ると判断したのだろうか。
「自民じゃ対応できないだろうから民主に一票入れてみた」と言う投票行動をした国民には何と説明するのか。
「連立すれば、自民の勝手にはさせないで、より早く政策実現出来る」とでも説明するのだろうか。

だが、今回の連立を画策した人の頭には
いかにアメリカとの関係を良好に保つか
つまり「テロ特措法」をどうするか、
ただそれしか頭にはなかったように思う。
小沢氏はそれを敢えて利用しようとしたのか。

私にはあまりにも拙速稚拙に思える。
だって、彼が言っていたのは
「理想・主張を手段を選ばず迅速に実現する」
ではなく
「二大政党制の樹立によっての理想の具現化」だったのだから。
だから、あくまで小沢民主での政権樹立にこだわって欲しいと思う。

森田氏の意見を敢えて引用したのは
その点をわかりやすく語ってくれていると思ったからだ。

客観的解説ではないのかもしれないが、
事件についての、より深い本質を示唆してくれているとは思う。

私の好きなオペラの一つ「ボリス・ゴドノフ」に、
修道院の中で世の中の出来事を記述し続ける老修道士ピーメンが登場するが
彼の記述も決して「客観的」なものではない。
彼のフィルターを通しての記述だ。
だが、そうした語り部がいない限り
歴史は豊かな教訓を失ってしまうのではないか。

受験指導だって、私なりの主観で指導しているだ。
万人に合う最善の方法などあり得ない。
だから、これだけ塾や家庭教師が存在しているのだと思う。
そうした中で、私は私の信ずる解法を生徒に伝える。
だが、その解法を使わないと合格出来ない訳ではない。
どの方法だって、しっかりつかめていれば正解でき、合格できる。

森田氏と異なる感想を持った方も多いのかもしれない。
しかし、森田氏の意見に的確な反論ができるのか。

違和感を覚えた人が、その違和感の根拠を求めようとして森田氏の意見をさらに深く分析する。
あるいは、反論を組み立てながら、自説をより強固な論拠で固めていく。
そういう課程で、様々な意見が生まれてくるだろう。
それらの意見のどれか一つだけが正しいのではない。

でも、合格する為に必要なのは
どの解法でも良いから確実に筋道を通して説明出来るものを身につけることだ。

今回、「大連立」と呼ばれるものに乗ろうとした小沢氏の行動は
合格できるだけの学力を付けなくても
寄付金さえしっかり払ってくれれば合格させますよという誘いに乗った受験生に思えてしまう。

だから、入試の前に正気に戻った小沢氏を私はまだ見限る気にはならない。

 


◎10月2日(火)
「予習シリーズ」の算数が改訂になった。
5年下の新版を、生徒の希望で使い始めたが
正直言ってヒドい。
解法も首を傾げるものがあるが、それ以前の大問題がある。
何がヒドいって、ミスプリだらけなのである。
既に四谷大塚のホームページには正誤表が出ているが
そこに出ていない問題でもミスが出ている。
例えば第5回の練習問題の3番(1)。
解いていて、条件が抜け落ちているのにすぐに気付いたが
この問題を載せて、解答を書いた先生は気付かなかったのだろうか。
家庭でこの本だけを頼りに自習している親子には気の毒としか言いようがない。
この一問でどれだけ頭を悩ませたことか。
お粗末の極みである。

生徒はYTを受けるから、仕方なくこの教材を使っているが、
こうした問題に出会うと、さり気なく飛ばしている。
まさか生徒に、使いながら「この本はヒドいね」とも言えないから。
さり気なく「鵜呑みにしちゃダメだよ」という話はしている。

これを公然と販売しているのかと思うと、四谷大塚という塾の体質を疑ってしまう。
私もかつては系列の塾で講師をしていたが、当時はこれほど低レベルではなかった。
そもそも、参考書に正誤表があって良いのか。
しかもそこにまた漏れがあるとは。


もしこれが家電製品や車などなら、即刻リコール、全品回収交換だろう。
まだ塾という業界が未成熟だと思われているからこれで何の問題にもならないのだろうか。
それとも、命に関わるような問題じゃないからどうでも良いと思っているのだろうか。
いずれにしても、情けない話だ。

 


◎9月30日(日)
先日は生徒に久しぶりに驚かされた。
質問に対し、数学のポイントを話してあげたら
「ああ、そういう事だったのか、やっと分かったよ。」と言いつつ
その生徒はおもむろに携帯電話を取り出すのである。
何をするのかと思ったら
今話した内容を携帯電話にメモっているのである。
「だって、ノートだとすぐ出てこなかったり、なくしたりするけど
携帯ならいつでも見れるからね」とは生徒の弁。
なるほどね〜
私は感心してしまった。
なるほど、こういう風に携帯電話が「ケイタイ」に変わってきているのかと。

渋谷の街など歩いていてもびっくりしたり感心したり。
それは、あのトレーラートラックの広告塔だ。
大型のトレーラートラックの荷台に
でかでかと若手グループや歌手のニューアルバムの広告をディスプレイし
音楽を流しながら繁華街を走っているあのトラック。

荷物より稼げる、情報を積んで走っているのだ。
しかもこれなら、渋滞大歓迎だろう。
なぜなら、交通渋滞が起こるような繁華街なら
通行人も多く、ゆっくり止まっていれば宣伝効果が増すからだ。
脇のビルの屋上より、脇の道路の方がずっと視線も集まりやすい。
こういう事を考えつく人は凄いと思う。
まさに発想の転換だ。

ケイタイに学習のポイントをメモる中学生も凄いと思う。

当塾の近くには小田急線という私鉄が走っている。
ここの有料特急はロマンスカーと呼ばれている。
かつて、終点の箱根が新婚旅行のメッカで
たくさんの新婚カップルを乗せて走っていたからだ。

ところが、今は通勤に使われている。
なるほど、必ず座れて、しかも速いときたら遠距離通勤の人には魅力だろう。
今や、ロマンスカーではなく、ホームライナーだ。
鉄道会社が考えたのか、通勤客が考えたのか知らないが
この発想の転換にも感心する。

そう、算数で一番大事なのは、発想の転換なのだ。

算数だけではなかろう。
学問、ビジネス、全て発想の転換が大きくものを言う。

子供達には、人生に於ける発想転換の達人になってもらいたい。
その為には、やはり引き出しをたくさん作っていくのが大事なのだろうか。
そして、考え続ける持久力を育てることだろう。

今度はロマンスカーが、通勤に特化した新型車両を作り、千代田線も走るらしい。
こういうニュースにワクワクしてしまう。

 


◎8月1日(水)
もう一人のイチローも頑張ったね。

今回の参議院議員選挙戦に於ける小沢一郎のことだ。

言い続ける事の大事さを教わった気がする。
1年前の民主党を見ても、
「何が二大政党制だよ」と鼻で笑うしかなかったのに。

敵失(相手のエラー)での勝利との声もあるが
例えば入試に於いても
他の受験生が急に顔におできが出来ての失敗だろうが
面接で病気の人を馬鹿にするような発言をしての失敗だろうが
受験料をごまかしたからの失敗だろうが
とにかく他の受験生が何らかの失策をやらかして転がり込んだ合格でも
合格であることに変わりはない。
その時、自分は失策をしなかったというのは大した事なのだ。
株価にも極端な影響は出ず、日本社会の健全化の為には良い結果のような気がする。
まさに小沢氏の前からの持論、日本にも二大政党制を!というのが具現化されつつある兆しを感じる。
美しい国より、健全な国にしていきたい。

先日つぶやいた5年生君、毎日の宿題は家でお母さんのサポートも在ったらしく
連日、一応正解は出していた。
だが、ちょっと突っ込むとしどろもどろになってしまったりで、
本当に本質まで理解出来たとは言えない状況が続いた。
その度に、もう一度ポイントを説明し、思い出させた。

その甲斐あってか、昨日やっと
「100の倍数で、約数が18個ある最小の数はいくつですか?」の質問に
自力で正解することが出来た。
一番の弱点が克服出来たことになる。
ただ、小沢氏も言う通り、これからが勝負だ。
油断すればまた解けなくなってしまう。

言い続ける事の大事さはまさにその通りなのだが、
実は言い続けるという事は、それを意識し続け
何らかのアプローチをやり続けていくことの確認でもあるのだ。

 

 

◎7月26日(木)
学校が夏休みになった。
夏休みは私にも嬉しい。
いつも夜ばかりの授業なのが
朝から授業が出来たり、連日の授業が出来るからだ。
普段は、もう一押し出来ればと思いつつ、時間の壁で微々たる歩みで終わるしかない時もある。
それが、夏休みは、徹底的とことん説明し尽くす、考えさせ尽くすというレベルまで進められる。
時間を置かず来てもらえるとなると、じっくり考えさせる授業がしやすくなる。
普段もその点を考えてはいるが、限られた回数の授業だと、他にこなさなければならない課題もある。

今週も5年生の一人が連日通ってくれている。
旧シリーズ5下第3回(新シリーズ5下第7回)
整数の分解と構成について、
彼はなかなか意味をつかめなかった。
説明したその日は色々な問題を解けるが
意味を本質から理解していないからか、宿題になると難儀していた。

この夏、とにかくこれをまずマスターさせようと思った。
夏休み初回授業、課題として出しておいた旧シリーズ5下P.29大問6をチェックした。
ダメだ、全く本質を理解していない。
素数と素数でない数の違いをもう一度説明する。
素因数分解したときの構成と約数の関係について、表を書きながら説明する。

そんなこんなの授業を続けつつ
シリーズ5上の復習もしていく。
でも、宿題はいつも素因数分解と約数の個数に関するものばかり。
オリジナルの問題をノートに書き、その下に解法の全てを記してきてもらう。

昨日の宿題。
「(1)128の約数は何個ですか?」
「(2)約数がその個数の数の中で、128は小さい方から何番目の数ですか?」

今日これが両方とも完全に正解できていた。
多分ご家族の協力もあったのだろう。
だが、今日説明させた限り、彼はついに本質を理解していた。
こうした発見に勝る喜びはない。

そして今日も、授業ではシリーズ5上の復習をしつつ
宿題は次のような問題だった。
「0が3つ続く数(1000の倍数)の中で、約数の個数が32個である一番小さい数はいくつですか。」

さあ、明日彼はどんな答えを持ってきてくれるのであろう。
私自身がワクワクする。
だから私は夏休みが大好きだ。

 

 

◎5月13日(日)
4月29日実施の日能研カリテの5番はなかなか面白かった。
先週の授業で、日能研に通っている生徒から質問された。
彼は特に真面目な子なので、相当頑張って間違え直しをしたのだろう。
だがよく分からなかったということだ。
塾から配布されている解答の解説はよくまとめられていたが
面積図の濃度表示に分数を使うということ自体が飲み込めなかったようだ。
そこを解説してあげたら、やっと全貌が理解できたようだ。
これまで見たことのない新鮮な問題だった。
(ひょっとしたら、サピックスの生徒からこのような問題について質問されたことがあったかもしれないが、忘れてしまった。)

その他、応用の9番、11番についても質問されたが、
この2題は、どの参考書や塾テキストにでも載っているような類型的なものだった。
解答の解説があまりにも簡便なものだったので、考え方が理解できなかったようだ。
確かに、答えを知っている側が書けば、
これだけの説明で論を通したということになろうが、
どう答えまでの道筋を付けていくかの説明にはなっていない。
そこを説明してあげた。

9番については、面積図を使う前に、チャート(流れ図)を作れば良い。
やりとりの問題では、チャートを使った解説もよくなされるが、
チャートで解くのと、面積図で解くのを区別してしまって
それらを併用するということにまで考えが及ばないようだ。
「知っている知識は総動員するんだよ」と言ったら
生徒はキョトンとしていた。
塾の授業で、先生がそうした姿勢を貫いていないのだろう。
そもそも、日能研が、解説に面積図しか載せていないのだから。

11番も、配布の解説では2段階に分けて説明していたが、
これも、面積図の利点を生かしきれていない解説だ。
生徒の反応からも、
面積図にすべて書き込んで
割合の考え方を使って、いっぺんに解くという
私の解法の方が理解しやすかったようだ。

その他、今年もサピックスや四谷大塚に通っている生徒のフォローもしているので
各塾のテキスト・プリントや、指導内容を見るけれど、どこもまだまだ不完全な印象だ。
集団塾の限界かもしれない。
だからこそ、私を頼ってくる生徒が今年も何人もいるということなのだろう。

なんだか下品な自塾の宣伝めいてしまったが、率直なつぶやきとして読み流して欲しい。
そもそも、私の指導も、端の目には不完全なものと映るのかもしれない。

私の塾だけで受験準備をしている生徒もいて、
その子はわり算の筆算の中で、60−56を6としてしまっていて正解できずにオロオロしていた。
自力で気づくのに期待したが、無理なようなので「なんかその計算、変だよ」と言ったら
今度は16に直していた。
この程度の計算については、学校授業でしっかり体得させておいて欲しいところだが、
式の立て方は理解できたのに、正解に至れないのでは、
傍目には私の指導力不足と映ろう。

その子を見ていて、算数にはいくつかの山があるのだと感じ始めた。
そのことについては、またいつか改めて。

 

 

◎4月20日(金)
アメリカでの殺戮。
長崎や三重での銃撃。
どれも単なる私憤
もっとはっきり言えば金銭的な不満が主な理由のようだ。
たったそれだけのことでなぜここまで残虐なことができるのか。

身近に拳銃があったのは言うまでもない。
日常接するものの影響は大きいと思う。
朱に交われば赤くなる。

身近に何を置くか。
子育ての原点だと思う。
教育の原点でもあろう。
と同時に、社会そのものの責任
すなわち成人全体の責任でもある。

私塾とは言え、私もいわゆる「先生」の一人として
特に重い責任を課せられている気がする。

私が常々思っているのは、子供の自発性を伸ばしたいということだが、
そのために圧力のようなものを加えることもある。
引っ張るだけが指導ではなく、押したり見守ることも大事だ。

その子の成長のプラス要因になっているか?
そのことを絶えず検証しながら指導することの重要さを再認識した。
単なる合格より、より大きな目標だと思う。
結果としての合格、それが理想だと思う。





◎4月8日(日)
やっと春休みが終わった。
我が塾では、「春の教室」と称して、通常授業とは違う枠組みで学習予定を立てる。
二日間の骨休め旅行の為の休みをもらってせいで、今回は午前中から授業の日も少なくなく
かなりきつい日程だった。
一番長い日は、午前9時30分から午後10時まで授業をした。
だが、前向きな生徒たちに恵まれて、あまり苦ではなかった。

最近特に印象的なのは、低学年でもきちんと学習できるというのを知ったことだ。
昨年から、低学年生についてのご相談が増え、驚いていたのだが
何人か実際に指導してみて、2時間しっかりと集中できる子がいるのを知った。
この春は、在塾生が、小2の妹も連れてきて、なんと2コマ連続、3時間の授業をしていった。
本人とお母様の話から、学校授業で病欠した単元と3年生の予習単元を授業したが
3時間飽くことなく黙々と課題に取り組み続けていた。
三角定規やコンパスの使い方など、学校でまだやっていない実技についても
個別の利点を活かし、どんどん取り組ませたが、案外苦もなくマスターしていった。
この生徒は、私立小生なので中学受験するのか未定らしいが、
受験の先取りということではなしに、低学年でもしっかりと学べるのだということを
こちらが教わった感じだ。
本人が望んでさえいれば、年令に関係なく力を伸ばせるのだと実感した。

もうひとつ面白いことがあった。
普段宿題忘れやプリント忘れが多いお兄ちゃんが
妹と来たこの春休みは、なぜかバリバリと勉強してくれたことだ。
妹の前で格好悪いところは見せられないということだろうか。
嬉しい相乗効果だった。

他にも、高校受験で健闘した子が、春もだらけることなく高校分野の予習に励んだり
私立補習生が、やっとトンチンカンなミスをしなくなったり
小6になった受験生たちが、自発的に冬期講習の復習をしてきたり
指導して欲しい問題を自分から選んでくるようになったり
どの子供もみな積極的になってきて、嬉しい「春の教室」であった。

そうだ、昔の生徒たちが、大学合格の報告に来てくれたのもとても嬉しかった。

醍醐寺の桜も生まれて初めて見られたし、今年は春から縁起が良いな〜。

 


◎3月4日(日)
うろ覚えで書いたら、前回のつぶやきの「論語」の引用は全く違っていた。
ふと気になって、久々に「論語」を読み返し、やっと気付いた。
今日慌てて直した。
恥ずかしい限りだ。
この一週間に、このつぶやきを読んで、
こいつは当てにならない奴だと思われた方も少なくなかったろう。

「論語」と言えば、私は私立中に進んだので、中学時代から漢文の授業が在った(ような気がする)。
でも今思うと、あのころは「論語」からは何も感じ取っていなかった。
何十年も経ち、今やっと少しは読めるようになった気がする。
と言って、中学時代の学習が無駄であったかと言うと、そうも言えない。
何も感じ取っていなかったという記憶ははっきりあるからだ。
その記憶があるから、今「論語」を読むことが楽しいのかもしれない。
当時、コゲンチとあだ名された、当時からしても遺物の様だった先生の発していた声もまざまざとよみがえってくる。
これらの記憶は大事な財産だという気がする。
また、早熟な友もいて、彼は、卒業文集に、漢文で思いを述べていた。
彼にとっては、漢文の授業は、その場で血肉となっていたのだろう。

だから今の中学生も漢文を学べ。
とも言えない。
だって、あのころは、例えばパソコンや情報などと言った授業はなかった。
当たり前だ、その対象自体がなかったのだから。
だから、今は漢文の学習を少なくして、その分、新しい単元を増やすのも仕方がないのだと思う。
でも、コゲンチのワケの分からない音読を倣って
拙く読んだ自らの音読経験が今の自分のどこかに力となって残っている気もする。
中学時代にパソコンを習った生徒は、何十年も経った時、やはりまた別の何かの力を感じ取れるのだろう。

教育とは不思議だと思う。
習った当時には何も効果がなかったのに、何十年も経って、ふとした弾みにそれが表に出てきたりするのだから。
そして、そこには実は、人物がいたから
という気がする。

私が尊敬する大村はま先生の著作の中に
「卒業したら、もう私の事なんか忘れてしまって構わないの、習った事だけ覚えてくれていれば」
と言った言葉があったような気がする。

でもやはり教育は人間がやることだから、先生の記憶も大事だと思う。
もう亡くなられたが、私の小学生時代の担任の先生
小1から小4までが関根軍三先生
小5小6が渡辺三義先生
今は、先生方から指導していただいた事より、先生方そのものの存在がありありとよみがえる。
エピソードがない訳でもないが、そんなものより、先生方の在りし日の姿そのものが懐かしい。
そして、先生方を思い出せるということは、そこで習っていた事どもも、しっかりこちらに伝わっていたということなのだと思う。

今も、学校、塾を問わず
あちらの教室、こちらの教室で
しっかりとした先生方がしっかりと授業されているのだろう。
世に名の出た先生は当然として、無名の先生にも優秀な方は少なくないと思う。
当時だって今だって、やはり問題のある先生はいた。

教える側も教わる側も、迷いなく打ち込める環境
それさえ備えられれば、実は教育なんて簡単なことのような気がする。

 

 

◎2月27日(火)

先週のつぶやきで、鉄緑会のことにふれたが
鉄緑会のことは実はよく知らない。
よく知りもしないで、否定的な言い方をしたのはよくないと思い始めた。
かつて家庭教師に伺っていたお宅では、
私の指導生のお兄さんが御三家在籍で、鉄緑会に通っていた。
その時、指導後の談笑時に、お兄さんが脇で鉄緑のテキストをむさぼり読んでいた姿を思い出す。
英語だったが、覗かせてもらったら、かなり高度な内容であったのを記憶している。
そのお兄さんは、悲壮感もなく、当然のように勉強していた。
そう、本人にとって自然な姿なら、どんな学習もありなのだ。
とりあえず東大目指そうというのは健全な動機かもしれない。
私も、中高を見るとき、最近の年度の進学実績も見る。
当然、東大進学者数も意識する。
「ドラゴン桜」も肯定的に読んだ。

「本人にとって自然な姿なら、どんな学習もありなのだ」
というのは、私なりの宣長からの影響だと思う。
宣長の主張自体、すべてに納得ができたわけではないが
(そもそも理解ができていないかもしれない)
著述や、解説書を読んで感じるのは、「学ぶ」ということ自体の意味だ。
学びに対し、真摯としか言いようがない。
さぞ宣長の講義は面白かったろうと思う。
いや、刺激的と言った方が合うかもしれない。
だから、あの当時、遠路をはるばる何百人もの生徒が彼の下を訪ねたのだろう。
書籍を通じ、定食並の値段で、彼の講義を「読める」今の時代はありがたい。
デカルトの履歴も面白い。
私のような凡人に彼らのまねはできないが
「学び」を業とする者の一人として、彼らの生き方は参考になる。

東大を目指す
これもまた良し。

「古(いにしえ)の学者は己の為にす。」
宣長さんだって、孔子様のこの言葉自体は否定なさらないだろう。

 

 

◎2月21日(水)
今日は久々に酩酊してのつぶやきである。

都立受験生の最後の授業があった。
9月にご相談を受け、週1回3時間の家庭教師に伺った。
当初は英語に不安がとのことで、英語のみの指導であった。
実際、無料体験授業では
be動詞と一般動詞の区別も定かならぬ状態であった。

とにもかくにも受験は間近。
都合が調い、お断りする理由もないので引き受けた。

苦しいのは多分彼も同じであったろう。
要は、学ぶべき授業を授からぬままに来ていたから
知らぬことばかりの中3の晩夏だったのだ。

やがて、英語はまずまずの成果を見、
何気なくチェックした数学の脆弱さ。
今度は英語に並行して数学の指導に入った。

確率では積の公式も知らず、ひたすら樹形図。
小6でさえ知る知識の、未だ聞かずの中3生。

だが、スポンジに水の浸み入る如くの学び様。
すぐに数学も何とかの形を見る。

ところが、今度は国語。
志望校対策の為の過去問演習ながら、
志望校には過去問の市販がなく
手作り模範(?)解答。

それより驚いたのは、文章の読み取り方の稚拙さ。
要は、手段・方法を習っていなかったのだ。

過年度入試の、俵万智の文章を、じっくりと読みとった。
と言うより、どのように読みとるかの、その様を示した。
一を知りて十を知るとは斯くのごとき童に言うとや。
その後の彼の国語の得点力アップはいと甚だしき。

そんなこんなで今日が(受験前の)最終授業でした。
思えば、よくぞここまで成長してくれたものよ。
既にして、私立の志望校は合格を勝ち取り
後は都立の志望校に向かうのみ。

既に3教科に不安なく
今日の授業の大半は、理科対策だった。
3時間でやれる事は限られてはいたが、
有効に使えば、有効な3時間なのだ。
BTBを何に使うか、石灰水を何に使うか、
そんな基本すら「ど忘れ」してしまう状態であったが、肝を押さえることはできた。
やる事はやった。やれる事はやれた。

帰宅後、うまい酒を呑ませてもらった。

以上が、久々につぶやきたくなった次第である。

いや、もう一つ嬉しい事があった。

夕刻の通塾生への授業。
私立に通う某中2女子。
数学が苦手で、今日も三平方の応用問題と格闘。

何を思ったのか、突然つぶやいた。
「先生すごいの、私の周りには鉄緑行って東大行くって言って頑張ってる子が結構いるの。」

私「ふーん、そうなんだ。よっぽど夢がないんだね。」
(いや、こりゃ失礼だったかな。勉強好きで、野球少年が甲子園やジャイアンツを目指して猛練習するのと同じように、東大を目指して猛勉強しているのかもしれない。)
(そう、勉強にもいろいろなスタイルがあって良いのだ。)

生徒キョトン。

私「だって、東大に行くのは手段だと思うんだよね、それが目的なのは、なんか寂しくないか?」
(何となく、優秀な同級生に気後れしているように感じたので、あえてこの様な言い方をした。)

生徒、相変わらず半信半疑。

で、しばしのやり取りの後、ふと思い立って、デカルトの生涯について語った。
要は、20才までは書物の世界を極め、その後は世界という書物を極め
最終的には己のみしか頼る術なしと思い至ったという話。
(もっとも、若きデカルトだって、特訓授業で猛勉強した時期もあったのかもしれないけれど。)

実は、私事になるが、
独学という事を考えていたら
武満氏を通り越して、宣長とデカルトに同時に興味を覚えてしまった昨今だったのだ。
で、さすがに宣長の話はしづらくて、とりあえずデカルトに及んだ次第だ。
幸い彼女も御三家に通うだけはあって、「我思う、ゆえに我あり」という言葉には聞き覚えあると言ってくれた。
また、つい先日まで座標問題をやっていたから、それとの絡みの話も興味を抱かせたようだ。

5分ほどそんな話をした後、
私「ゴメンね、試験前の大事な時に無駄話してしまって」
すると彼女すかさず
「ううん、今の話、すんごく為になった」
と言ってくれたのだ。
そして、バリバリと次々と問題に挑んでくれたのだ。

以上が、うまい酒のもう一つの理由。

宣長の次の言葉に背押されて、我も一首ものほしたき。

宣長曰く
「ただ、善悪教戒のことにかかはらず、一時の意(おもい)をのぶる歌多きは、世人の情、楽しみをばねがひ、苦しみをばいとひ、おもしろきことはたれもおもしろく、かなしきことはたれもかなしきことなれば、只その意にしたがふてよむが歌の道なり。」

我が拙き歌を詠まんとす。

この年も我が生きてしとうぞこの子らに教わり記憶の日だ折り重なりぬ

 




◎2月4日(日)
今年は当塾では、中学受験生が少なく
高校受験生がいるので、昨年ほど気負わずに中学入試問題を見ることができた。
概して易化している感じだ。
中学校も、「ゆとり教育」に配慮しているのだろうか。
それとも、真の接戦を望んで、あえてボーダーを上げようとしているのだろうか。
基礎の徹底が一層必要となってきた。
パターンではなく、概念の伝授。

今年嬉しかったのは
12月末に、通う時間が惜しいといって退塾し、家庭で過去問演習に徹した子が
見事第一志望に合格したことだ。
その子は、弟も通っているので、お母様からは折々の学習ぶりを報告いただいた。
何しろ、模試で寝てしまうという、前代未聞の強者だったが
指導当初は、計算問題1題解くのに10分以上掛かっていたことを思い出すと
よく頑張ったと言うしか思いつかない。
彼にも、基礎を徹底的に叩き込んだ。

新6年生の授業が明日から再開だ。
基礎の充実に徹しよう。

 

 

◎1月17日(水)
今年もついに中学入試が始まった。
すでに何校か実際の入試問題が手に入り
いま必死に解いている。
今年もよく工夫された力作が多く、子供たちにどんどん挑戦させたいと思っている。

このサイトでも紹介していきたいのだが、図形や表を伴ったものは紹介しづらくて困っている。
解き方も載せたいのだが、鉛筆で書くようにはスラスラと行かず難儀している。

2007にからめた出題もあちこちで見かけた。
近々アップするので楽しみにしていてほしい。



◎1月2日(木)
最近、ちまたでは様々な教育論が展開されている。
算数については、陰山先生や宮本先生が独自の論を展開し、
実績に裏打ちされた話が世の親たちの大きな共感を呼んでいる。
私も算数指導を中心とした塾を営む以上、これらの先生の話を無視するわけにはいかなかった。

だが、100マス計算にしろ算数パズルにしろ、それぞれが優れたものでないとは言えないが
それぞれの先生のノウハウや哲学までをしっかりと理解することができず
自分では使う気持ちにはならなかった。

ところが、宮本先生は、パズルに加え、表を使った書き出しによる解法という本まで出版してきた。
作業を通し、根気よく難問を解きほぐしていく力を育てるという趣旨のようだ。
最近の中学入試上位校の問題を解くには、このような力が必要なのだということのようだ。
面積図や線分図などの解法をうわべのテクニックであるかのようにとらえ
それを使うことが、思考力を育てることの妨げになるかのように言う人までいるようだ。

「ようだ」「ようだ」と甚だ心許ない表現が続いたが
実際、誰かから直接に面積図や線分図を使わない方が
思考力養成に役立つといった言い方をされたわけではないので
推量、伝聞の表現とした次第だ。

上位校入試は、単なるテクニックでは無理で、
作業や試行錯誤を続けられる持久力が必要であるというのは
何も最近だけのことではない。
10年前、15年前の入試問題をみても、一筋縄で解けないものが少なくない。

とは言いつつ、実は、私はもうかれこれ20年以上、塾で教えてきているが
思考力を育てると言った視点で授業をした記憶がない。
私がしてきたのは、いかに短時間で効率よく正解できる力を育てられるかだった。
結果として、それが考える力を育てることになっていると思っていた。
いや、今も思っている。
だから、「考える力を育てます」とホームページに謳っている。

ところが、宮本先生は、受験対策より思考力養成が大事だと仰っているかのようだ。
でも、先生のお作りになるパズルも確かにおもしろいのだが
実際の入試問題も同じくらいおもしろいのだ。
だから、どちらを解くことでも考える力は育つと思う。
では、3年生や4年生に何をやらせれば良いか。
ここは確かに先生のパズルは有効かもしれない。
それでも、5年以降の指導に、表による書き出しを優先するのはどうなのだろう。
この解法の後に、図による解法も指導しているのだろうか。
それとも、それは生徒が通う、他の集団塾で教わるから良いということなのだろうか。

大ベストセラーの教育法と、私の指導法とどちらが良いかと言っても簡単に結論は出ないと思うが、
どちらが世に受け入れられているかならすぐに言える。
世間的には、大ベストセラーが圧倒的に優位だ。
だから、実は、私も少しは悩んだ。
このままで良いのかと。

でも、偶然なのだが、
今年は、かつての教え子からの、久々の連絡が多かった。
私が最後に勤めていた集団塾の生徒が、ちょうど高校3年生だったのだ。
その中の何人かが、まだ私のことを覚えてくれていて
卒業後の進路について報告してきてくれたのだ。
その内容をみて、私は自分の指導に誤りがなかったと確信を持てた。

算数がおぼつかなかった生徒たちが
ある者は「歯学部に推薦が決まりました」
ある者は「文系に進みますが、未だに数学が好きです」
などと書いてきてくれた。
指定校推薦は、学内でそこそこの成績を取っていないともらえないと思う。
彼ら彼女らが進んだ中学は、決して楽勝で進んだ学校ではない。
苦労に苦労を重ね、ギリギリで入った学校だ。
そこで歯学部や名門私大への推薦を決めるのは並大抵のことではなかったと思う。
その学習姿勢を培うことができた。
それだけは自負して良いと思う。

そこでは、特別のことは何もしなかった。
ただひたすら入試問題を解かせた。
つまるとヒントを出し、とちると叱り、できると誉めた。

今年もやはり、私はこのスタイルだ。

考える力を育てます。
さあ、一緒にのびのび学びましょう。