久保田塾
トップページへ









   

私(久保田實)の2004年のつぶやきです。
お暇な折りにちょいと覗いてみて下さい。
何か参考になるようなことでもあれば幸いです。


2003年のつぶやき   久保田塾トップページ

2004年  3月のつぶやき   6月のつぶやき   9月のつぶやき

◎12月13日(月)
子供の力は計り知れない。

この春にネットを通じお母様よりご相談いただいた小6生。
指導を開始した段階ではYTでの偏差値は40に近かったと思う。
しかし志望校は既に確定していた。
合不合の80%偏差値で言うと55前後の学校。
無謀とも思えたが、間際になれば現実的な選択をしてくれるだろうと思い
また、どこまで変われるかも未知数の子だったので
(そう、その子はとても素直だった。
だが、はっきり言って、ほとんど基礎は出来ていなかった。
小4の頃から塾に通い家庭教師もついていた。
それも最後はいわゆるプロ家庭教師。
なのに、何も身には付いていなかった。)
とりあえず私に出来る限りのことはしようと思った。

夏が終わりいよいよ過去問演習に入った。
点数を書くのもはばかられるほどの惨憺たる点数だった。
やはりいくら夏頑張ったとは言え、実戦にはまだ耐え得ないか。
しかしめげなかった。
ご両親も偉かったと思う。
授業時間を延長し、とことんの指導を希望された。
また、本人もその指導に耐えた。
(なぜ過去形なのだろう?)
試験直前は
(そう、もう彼女の受験は終了したのだ)
算数だけ、1日5時間の授業をした。
でも彼女はめげずに食いついてきた。
(ま、私の餌の出し方も決して悪くなかったのだとは思うが(笑))

そして、12月1日の試験。
見事に難関を突破してくれた。
正直言って、私も半信半疑だった。
よくぞ受かったと私自身もホントにホッとした。

そして、先週は一週間お休み。
ところが12月1日の試験はあくまで推薦試験ということで
1月に入っての本試験を一般の受験生とともに受けなくてはならない。
そこで今週から、また受験勉強の再開となった。

で、2週間ぶりに授業をして驚いた。
合格がよほど嬉しかったのか、
以前にはとうてい歯が立たなかったような問題を易々と解いているのだ。
何だか、顔つきまで2週間前に見たときに比べると引き締まったように感じる。

先日指定校推薦合格を決めてくれた高校生と言い、
今回の小6生と言い、
今年も私は生徒に恵まれたと感じる。
二人、よく努力してくれた。
とにかくまじめに、こちらの言うとおりに学習してくれた。
二人とも宿題が出来なかったことは多々あったが、
宿題を忘れたことは一度もなかった。

そして何より、
二人ともが、学ぶこと自体を楽しんでくれるようになったのが
本当に嬉しい。

合格の決まった高校生とは
合格確定後、 英語の小説を読んできた。
もうすぐそれも終わる。
今度はもう一度英文法を最初から復習するつもりだ。
実はもっと小説を読もうかと思ったのだが、
生徒自身が、もう一度英文法をさらい直したいと言ってくれたのだ。

彼への指導もまだ半年強だが、
当初は、中学時代の知識も一部おぼつかない所があったのに
今では逞しく、また油断することなく、英語に真摯に向かってくれている。

ホントに生徒に感謝だ。

小6生は本試験に備え
理科の学習も開始した。
理科についても、自分で調べられるところは自分でやってくれる。
理科を全くやっていなかったからだろうが、
こちらの解説の一々に深く感心してくれる。
まるでスポンジに水がしみ込むようだ。

いやー、それにしても二人とも
よく第一志望に合格したな〜。
そして、もっと嬉しいのは
二人とも全く伸び切っていないことだ。
未だにひたすら学びに貪欲でいてくれる。
ありがたきかな。

そして、そして、そして、
まさに、まさに、まさに

天晴れなり。

子供の力は計り知れない。

 

◎11月22日(月)
少し前、蛍光灯を買った。
突然切れたので近くの電気店で購入。
900円弱。
ところが今日ターミナル駅の大型量販店に行ったついでに
蛍光灯売り場にも行ってみてびっくり。
先日購入したのと同じものが2個で900円強で売られている。
これでは町の電気屋さんはやってられないだろうなと思った。

私のこの塾はまさに個人商店だ。
大量仕入れの大型塾とは単価では対抗できない。
だが、蛍光灯はどこの店で買っても同じ商品だろうが、
塾で売るものは参考書や問題集といった
モノではない。
技術やノウハウといった分かりやすいサービスでもない。
ましてや、単なる癒しや慰めといった文字通りの単純サービスなどでもない。

では何だろう。
私は最近、それは刺激ではないだろうかと思い始めた。
知恵を使いたくなるような刺激だ。
これは勉強嫌いな子には無縁だと思われるようだが
実は誰にも刺激されるポイントは必ずあるのだ。
そこを見極め、彼・彼女にちょうどの刺激を与えること
これは絶対に大量処理の大型塾には出来ないと思う。
個別指導とうたっているところでも
指導する側にそれなりの資質がないと無理だと思う。
この頃、どうしたら子供に良い刺激が与えられるか
前よりいっそうはっきりと見えてきたように感じる。

それを実感するのは子供の晴れ晴れした笑顔を見るときだ。
私が目安にしているのは実はそうした単純な反応だけなのかもしれない。
成績なんて、それに付随してくるだけのものじゃないのか?

私はのびのび笑う子が大好きだ。

 

◎11月10日(水)
久しぶりに打ちのめされるような良い言葉に出会いました。

  Live as if you were to die tomorrow.
  Learn as if you were to live forever.
                  -- Mahatma Gandhi (1869-1948)

これ以上の名言はないのではないか。
カーネギーとナポレオンヒルと松下幸之助とがタッグ組んでも
これ以上の名言を作れないのでは?
などといった馬鹿なことまで思ってしまいました。

噛みしめましょう、偉大なる先人の偉大なる言葉を。

 

◎10月19日(火)
高校での指定校推薦をめざして努力していた3年生が
無事第一志望校合格となりました。
その報告を聞いてとても嬉しかったのですが
もっと嬉しかったのは、
「英語が好きになったので
卒業までにもっとレベルを上げたいから
それまで通わせてください。」と言ってくれたことです。
文法の学習が一段落したら
一緒に軽い小説を読んでいこうかと思っています。

◎10月7日(木)
久しぶりに家族でランチに行きました。
前から気になっていたレストラン。
道路沿いのオープンスペースが気持ちよさそう。
で、昨日は見事な秋晴れだったのでいそいそと出かけました。
さすがにお昼は凄い混みよう。
それでも目指すオープンスペースにテーブルを確保しました。
ウェイターさんが細かく気配りをしてくれて快適な店でした。

ただし、それはあくまで店のこと。
客の中には・・・・・

比較的広い店のせいか
ベビーカーのまま来店してのママさん同士の語らいの場となっているらしく
店内はかなりの賑わい。
もちろん職場の同僚連れだってのランチ組みも少なくない。
そんな喧噪の中、ウェイターさんが八面六臂の活躍。
オーダー取り、配膳、片づけ、新規来店者への応対
私など、その活躍ぶりに見とれ
オーダー取りまでのしばしの間も感心しながらのひとときだった。
ところがそんな中、あり得ない光景を見てしまった。

数名のお母さん同士の語らい組の一人が突然立ち上がり
かのウェイターさんを呼びつけると
いきなり哺乳瓶を差し出し、
「この100の目盛りの所までお湯を入れてきた頂戴、
大至急ね!」
と、のたまわった。
もちろんウェイター氏、一切笑顔を絶やさず
「分かりました、で、この今入っている水は捨てても宜しいでしょうか」
母親
「ええ、良いわ、大至急ね」

その後やっと私のテーブルに
遅くなって申し訳ないと恐縮しながらオーダーを取りに来たとき
私は思わず「大変ですね」と言ってしまった。
「いえ、うちにも小さい子がいますから」と一言。

その小さい子の為、彼は稼ぐ。
出来る限りのサービスを客に与え
出来る限りの仕事をしているのだろう。
そして、客には、必要なサービスを店に求めることが認められている。

だが、果たして周囲への気配りというのは、客には必要のないことなのか。
お湯くらい、小さなポットに入れてくれば済むこと。
哺乳瓶を持参しているということはそれが必要になった時のことも承知しているはず。
そうしたら、何が必要になるか分かっているだろう。

そのお母さんもひょっとしたらこのつぶやきに目をとめているかも知れない。
あら、これってひょっとして私のこと?
と思っているかもしれない。

あえて言いたい。
こういう親に育てられた子供の面倒だけは見たくないなと。
そして、もしあのウェイター氏のお子さんが受験したいと思ったときには
何としても手助けしたいなと感じたと。

気配りは他者への想像力。
他者への想像は考えないと出来ない。
考える力は実は何も勉強だけのことではないのだ。

◎9月17日(金)
さすがに9月ともなると指導に力が入り、つい更新も間遠になってしまいます。
逆に、毎年この時期になると思うことですが、
そして、年を重ねるごとにいよいよその思いは強まるのですが、
「中学入試が出来るのは人生に一回きり。」ということ。
さらに加えて
「だからって、これに失敗したからって人生全て終わりじゃない!」ということ。

私の身近にある、いくつかの人生について語ります。

(ケース1)
彼は田舎の高校を喫煙を理由に退学となる。
田舎にいるとみっともないという理由でとりあえず東京に出る。
そして就職。
でも高卒の資格くらい取っておきたい。
そこで都立の定時制高校に通う。
その後、夜間大学にも進み
ある国家試験資格を取る。
今彼は、この不景気の時期に、転職を繰り返しては
悠々自適の暮らしをしている。
彼は、その資格取得者の中で、滅法腕が立つのだ。
だから、いつでも転職も出来るし、ランクアップも可能なのだ。
食べるに困ることもなく、二人の子供を立派に育てている。

(ケース2)
彼女は推薦で、ある大学の付属に進む。
親はそのまま大学までそこで終えることを希望していた。
だが、彼女は動物が好きで、動物と関わり続けられる仕事がしたくて
それにふさわしい専門学校に進む。
つまり付属の特権を捨てたのだ。
そして今、自分の店を持ち、社員を5人ほど使い
その分野で、同業者から一目置かれる存在となっている。

二人とも、中学受験や高校受験などとは無縁だった。
小学校の成績も、取り立てて言うほどのものでもない。
だが、自分が打ち込む職業を自分で選択し
積極的に学び自分で技を磨いた。
自分で見つけた道だから努力も苦ではなかったのだろう。

そう、要は、自分が心底打ち込めるものを見つけることなのだ。

ただし、小学生でもう私はこれを一生やりますと言い切れる人はまずいないだろう。
とりあえず中学受験という目標があるなら、自分が主役となって取り組むべきだ。
中学受験が出来る家庭に生まれたことに感謝しつつ努力して欲しい。
学びの場を選択できるのは誰でもが出来ることではない。
義務ではなく、特別の権利なのだ。

だからこそ、悔いのない挑戦をして欲しい。

どんな結果になろうと、必死に努力した人には
新たなポイント(地点)からまた新たなビジョン(視界)が開けてくる。

人生のゴール、目的って何なんだろう。
そろそろ、そうしたことまで真剣に考える時代になったのかもしれない。

◎9月4日(土)
いよいよ秋の気配がうっすらと漂い始めました。
受験生にとっては最後のまとめ、そして
過去問演習開始の時期となりました。
既に始めている人もいるでしょう。
とにかく過去問演習は受験の要です。
押さえも含め、受験する可能性のある学校のものは必ずやりましょう。
当然のことながら、受けっぱなしでは何も意味がありません。
きちんと解説を読み、解法まで含めたチェックをしましょう。
理社は調べる。そして覚える。それだけ。
解説を熟読することはそもそも国語の勉強になりますね。

◎9月3日(金)
私はこういうニュースが一番堪えられない。
読んでいるうちに涙が出てきてしまった。

今日のアサヒコムより引用。

小3女児死亡、胸に刺し傷 殺人容疑で捜査 岡山・津山

 3日午後3時35分ごろ、岡山県津山市総社、無職筒塩(つつしお)勝義さん(45)方で、次女の市立北小学校3年、侑子(ゆきこ)さん(9)が胸から血を流して倒れているのを、帰宅した高校1年の長女(15)が見つけた。自宅近くのパート勤務先にいた母親(39)が連絡を受け、119番通報。侑子さんは近くの病院に運ばれたが、間もなく死亡が確認された。胸にナイフで刺されたような傷が数カ所あり、岡山県警は殺人事件とみて捜査を始めた。

 調べによると、侑子さんは、2階建ての自宅1階の8畳の部屋で、うつぶせで倒れていたという。学校の標準服とみられる白のブラウスに紺のスカート姿で、白い靴下をはいていた。衣服に乱れはなく、室内が荒らされた様子もなかった。現場では、刃物などは見つかっていないという。

 侑子さんはこの日、授業を終えた後、午後2時45分すぎ、約1キロ離れた北小学校から、友人と2人で下校。同3時ごろ、友人宅近くで別れ、同3時15〜20分ごろ自宅についたらしい。

 筒塩さん方は、両親と侑子さん、長女と長男(13)、祖母(71)の6人家族。事件当時、両親は仕事で、長男は中学校の部活動で不在、祖母も外出しており、自宅には侑子さん1人だったとみられる。

 侑子さんが倒れていた部屋は、玄関から4畳半の部屋をはさんだ奥にあった。

 北小学校の玉木陽一校長(56)は、「ふだんから明るく活発で、運動会の係を引き受けるなどリーダーシップのある子だった。まだ信じられない」と話した。

 現場は中国自動車道・津山インターの西約8キロで、中国道の北側に広がる住宅地の一角。 (09/03 20:39)


◎9月2日(木)
同じものでも見せ方で受け入れられ方が変わる。

「甘栗むいちゃいました」という商品がある。
爆発的な売れ行きだそうだ。
最近聞いたのだが、「甘栗むいちゃいました」のアイデアは実はもっと前に別の会社が商品化していたらしい。
岡山市の名もない会社だが、優れた技術力で、甘栗の皮むきの自動化に成功した。
それを倉敷市の食品メーカーが商品化して市場に出したそうだ。
1998年のこと。
でもなかなか市場には受け入れられなかった。
それなのに2000年に発売された「甘栗むいちゃいました」はあっという間に人気商品に。

いったい何故か。
答は簡単だった。
先発のメーカーは「むき栗」という商品名で、お総菜として売り出したのに対し
「甘栗むいちゃいました」はお菓子として売り出されたのだ。
ネーミングに加え、新たな需要を提案して受け入れられたのだ。

こんな例は最近の出版界にもある。
どうでもいいような低学年向けの計算問題集レベルの本が
ボケ防止に効果ありとかのうたい文句で
名のある先生のお墨付きというだけで一躍ベストセラー入りだ。

私はこれらのアイデアに敬服する。
ありふれたモノを素晴らしいものと思わせる
そのやり方自体がアイデアという商品なのだ。
世の中、地道な努力だけではそこそこで終わってしまうこともあるのだ。

こういうことも是非子供たちにうまく伝えていきたいと思っている。

だが、反面、いやなこともある。
例えば昔、高利貸しと呼ばれ、やくざの次くらいに嫌われていた職業が
サラ金とか、消費者金融とか、○○リースなどと名前を変えただけで
世の中で大手を振っていることだ。
銀行までがこびを売っている始末だ。
銀行が住宅ローン1%とか言っている脇で
20%以上の金利のローンに甘い誘いを掛けている。
例えばそのテレビコマーシャルを見ると
彼女との旅行だとか、趣味への投資だとかで釣っている。
明らかに若者ねらいだ。

名前やイメージだけに踊らされるのは嫌だな。
このことも是非子供たちに伝えていきたい。

 

◎8月24日(火)
先日、問題文の読み間違えについて書きました。
それでだろうか、昨日の授業中ふと気づいたのですが
算数の問題文の中でも結構間違えが多いですね。
「ある小数を掛けるのを、間違えて小数点を見落として掛けてしまったり」
「途中で忘れ物に気づいて家に戻ったり」
「3を掛けてから5を足すのを3を足してから5を掛けてしまったり」

問題を作成する先生が、世の中には間違えが横行している。
間違えるのは結構よくあることだとの前提に立っている。
考えてみたら面白くありませんか。
ま、だから、その中で、ミスをしないしっかりした子を採りたいのだということなのでしょうが。

それにしても1:4が4:1になっていたり
男子と女子が入れ替わっていたり
追いかけるのを追いかけられると読んだり
何でわざわざ解きにくくなるように間違えるのでしょう。(笑)
「私の指導のどこがいけないのだ〜」と
思わず世界の中心に飛び出して叫びたくなってしまう。

いやいや、冷静になりましょう。
さあ間違えまくってくれ、直しまくってやる。
おっと、これも全然冷静な対応ではないですね。
さあ美味しいアイスコーヒーを飲んで、今日もバトル開始だ。

 

◎8月23日(月)
急に秋めいてきました。
この涼しくなりかける頃が、塾講師としては一番感慨深くなる時期です。

果たしてこの夏充分に力を伸ばすことが出来たろうか。
予定通りに課題はこなせたろうか。
まだ少し夏の時間も残っているだけに後の時間をどう使えばこの夏をそれなりのものに出来るか。

そうした思いが駆けめぐります。

 

◎8月21日(土)
夏であった。
2004年であった。4の倍数。
そうオリンピックイヤーであったのだ。
と言いつつ実はあまり見ていない。
ニュースで時々喜び金メダルをさり気なく見せている
柔道の選手を見る。
勉強だけが人生ではない。を地で行くような逞しい笑顔。

水泳の選手も素晴らしい。
北島に続き
かつてバルセロナで起きた一中学生の突然の快挙を彷彿とさせた
もう一人のアイちゃん。
ベストエイトにも入らない選手が
金メダルの選手を差し置いて
一人目のアイちゃんであるのも凄い。

などとほざいていたら
ソフトボールの名エースがテレビ取材で印象的な発言。
と思ったら、高校野球などでもう散々使われているらしい。

でも良い言葉だ、やはり。

「一戦必勝」

生徒には「一問必答」いや「一問必解」が良いか。

気が急くのだとは思うが
たった2行の問題文でも読み違える子が結構いる。
「お前、昔だったらそんなミスしたらハラキリだぞ」
男子生徒には思わずそんな発言までしてしまうこともある。

しかしそれにしても
日本人は(実は私も)本当に
四字熟語が好きだ。
英語でフォーレターワードは使用を憚るようなものが多いらしいが
日本語の四字熟語は格式豊かなものが多い。
いや、四字熟語だと格式豊かに見えるのか。

ではここで問題です。
一応、私のオリジナル(のつもり)の問題です。

問;究極の四字熟語ってなーんだ。

(さあ、考えましたか?)
(はい、準備はよろしいかな?)
(どんな答でも文句は言わないように!)
(良いですか?)
(では発表します!)

答;四字熟語

お後が宜しいようで。

 

◎8月19日(木)
さあいよいよ夏も終盤を迎えようとしていますね。
ここまでの進度を振り返ってみましょう。
例えば1学期の終わりの時期の自分を思いだし
今の自分と比べてみる。
どうでしょう、どこか進歩していますか?
一つでも二つでも進歩が確認できたら良いです。
もし何も無かったらどうしよう?
心配ない
夏はまだ10日以上もあります、今から頑張りましょう。
進歩が確認出来た人は
その数を増やしましょう。
その理解度を深めましょう。

一日は長く大きい、使い方さえ注意すれば。

今日一日をきっちり使えば
明日の自分は今日の自分より絶対パワーアップしています。

北島選手が為した偉業に比べれば
入試合格なんてチョロいもんだ。
彼がしてきた練習に比べたら、毎日の勉強なんて楽だ楽だ。
はい、今日も一日、しっかりトレーニングしましょうね。

◎8月8日(日)
夏期講習真っ盛り。
会うたびにたくましさが増しているような気がします。
1学期にあれほど苦戦していた問題をいともたやすくこなしてしまう君のことだよ。
  
早いね、もう夏休み半分近く終わりました。
今夕の風にはもう秋の気配が潜んでいたように感じました。
今日一日を大切にしましたか?

◎8月7日(土)
コンビニのお弁当がどんどん改善されているそうです。
他社に負けじと各社必死だそうです。
先日テレビでやっていました。
ローソンでは遠赤外線を使ったヒーターを活用して
焦げ目を付けずに、魚の切り身を芯まで焼ける機械を導入。
対するセブンイレブンでは備長炭を使って豚肉を焼く機械を導入。
どちらも凄いコストだそうです。
味が良くなる、ただその為に行った投資でしょう。
味をよくするのが最大のサービスなのです。
ただ、どんなにコストを掛けていると言っても
それは、街のできたての味を大量生産して、
システマティックに販売する為の戦略です。
街の定食屋のおじさんが注文を受けてから
一品一品、経験に基づく熟達の技術で作ってくれる料理
その味と比べるとどうなのでしょう。
当塾の近くにもフライが主ですが、
美味しい定食を出してくれる所があります。
おじさんが一人でやっています。

仕事柄どうしても塾と結びつけてしまいます。
ローソン、セブンイレブンのお弁当は
大手塾の授業に思えました。
私の授業は街の定食屋さんのできたて料理です。
うーん、オーナーシェフのコース料理といきたいですね。

こんな話をしていたらお腹が・・・・・

今日のランチは暑気払いも兼ね
一つイタリアンのコース料理でも頂きましょうか。
実は最近やはり近所に評判のお店を見つけてしまいました。
今日のお昼はもう予約してあります。(笑)
美味しい料理を頂いて、授業の質を更に磨いてまいります。(?)

 

◎8月4日(水)
この頃ちょっと夏バテかも。
でも、単に暑さのせいだけではないのです。

「夏の教室」では、生徒たちの学校が休みになった分、こちらでの授業時間は増え
それはそのまま、私の授業準備に掛ける時間も増えるということになります。
だから塾講師にとっては宿命ともいえる毎年のことなのです。

一般に、授業時間への時間単価で塾や家庭教師の比較がされますが、
実は授業以外の拘束時間も結構バカにはなりません。
すぐ浮かぶのは家庭教師の場合は往復の通いに掛かる時間ですね。
これは読書や教材研究など(最近は居眠りも)にも充てられますからまあ良いとして、
生徒の進捗状況をチェックしてその対応を考えたり
志望校の出題傾向を調べたり
志望校に似た傾向の入試問題を探したりと言ったことにもかなりの時間を割きます。
これは家庭教師でも教室に通う生徒でも同じです。
経験から大体のことは分かっていますが、
生徒毎に受験のパターンも変わりますし
古い問題などは全てが記憶にあるわけではないので
やはり生徒が増える毎に、また志望校が変更される毎にそうした作業をしなければなりません。
いやいや、今日は単に授業単価のことを言いたいのではありません。

受験生については、翌年の結果を大きく左右する夏の時期の学習について
実は一番心労が増す時期なのだと言いたいのです。
それが丁度、夏の暑い時期、体力的にも負担の増す時期と重なるのだと訴えたいのです。
訴えたいと言っても、だからどうしたってわけでもありませんが。
それこそ単にぼやきです。つぶやきです。

そりょそうですね、暑くて大変だから学校を休みにする
それが夏休みの意味でした。
ところが、受験の場合、往々にして学校での勉強では対応しきれない部分が多いので
学校の休みの時期に色々なことがまとめて出来るということなのです。
だから受験勉強にとっては、夏休みが格好の時期なんですね。
子どもたちの成長にとって、それが最良の形ではないと思いますが
日本の国全体が今そうしたシステムとなっているので
とりあえずはその中で最善を尽くしているということです。

それに、実は、学校以外の勉強って、色々な意味で面白いのです。
いわゆる独学と言われることの萌芽があると思います。
生涯教育といった事にもつながるかとも思います。
まあこのことはまた別の機会に。

さあ、今年もどこまで夏バテ出来るか、それが塾講師の宿命の喜び(?)です。
もっともこの論でいけば、冬バテこそが本領とも言えるのかもしれませんが。

◎7月29日(木)
夏期講習真っ盛り。
会うたびにたくましさが増しているような気がします。
1学期にあれほど苦戦していた問題をいともたやすくこなしてしまう君のことだよ。

一方で、疲れが出てしまってちょっとバテ気味の人もいますが。
でも授業中は集中しているのか、解説にも機敏に対応してくれます。
体調万全でないのに、無理して来てくれる生徒に接すると
私も一段身が引き締まります。

コツコツ解き直しをしていた生徒はやはり夏場に具体的に成果が出てきています。
エンジン全開まで時間が掛かる人も、そろそろペースを上げましょう。
既に夏期講習も1週間以上が過ぎ、進み具合のチェックと微調整の第一段階です。
今のところ、講習受講生全員が予定通りに進んでいます。
夏どこまで行けるか、楽しみです。旅行のことではありませんよ。

◎7月29日(木)
ブックオフも最近飽きてきました。
やはり人が捨ておいていく本て、どこか魅力に欠けているような気もします。
ただし、著者や編集者を始め、たくさんの人の労力で世に出たものだから
全く魅力のないものはないと思います。
中身を批判するのは楽ですが、ではお前ここまでの筆力あるのか
一語一語を推敲し、主張をまとめ上げることが出来るのかと問われれば
思わず下を向いてしまいます。
そうしたものが実に安価に所狭しと並んでいる。
辞書を墨で写していた頃の人たちからしたら、夢のような状態でしょう。
細書きのペンで自由に書き込みも出来、自分の思惟の伴走者とするだけでも価値大です。

一方で、偶に一般書店で、本当に魅力を感じて買う新本に
前には感じなかったほどの思い入れを感じるようになりました。
価格でいったら文字通り桁違いなのですが
それを納得させる刺激を与えてくれます。
ピンと張った背、キリッとめくれる各ページ
その凛とした佇まいの中から、著者独自の主張が無垢の香りのように立ち上ってくる。
何ものにも代え難い魅力です。
そして、その高価な新本に、ためらい無く書き込みをし出すとき、
なぜか思考回路が一層の刺激を受けます。
(絶対もと取ってやるぞ〜といったケチな根性なのでしょうか?)
そういう意味でもやはりブックオフには感謝です。

◎7月16日(金)
最近ブックオフによく行きます。
105円コーナーが好きです。
誰にも相手にされず、あわや裁断か
との運命から辛うじて逃れた新刊本たち。
かと思えば、大枚をはたいて購入してくれたかつての所有者たちから
「君は僕の手元に残っている必要はない、僕以外の誰かにきっともっと大事にしてもらえるよ」
と体よく始末されてしまった中古本たち。
彼らがじっと黙想しています。
中にはちらちらこちらの様子をうかがうような本もいます。
手にすると、ホッと彼の(彼女の)ため息が聞こえるような気もします。
でも中はズタズタに書き込みがあったり
コーヒーだか汗だかがシミを作っていたり
前の持ち主の刻印があまりにも色濃く残っていて思わず棚に戻してしまったりします。
それでも偶に
どうして君のような人がこんな所にいるのと思わず目を丸くしてしまうほど素敵な本があったりもします。
両手一杯に買っても1000円でおつりが来てしまいます。
缶コーヒー1本より安いのかと思うと、段落分けや要約や構成の分析など
何でもどんどん気兼ねなく書き込みも出来ます。
ある意味で本をモノとしてしか見ていない経営なのでしょう。
だから平気でこんな値段に出来るのだとも思います。
むしろそうした状況でも裁断の憂き目から逃してくれた店主に
本たちはやはり感謝しているのではないのかと思います。
そしてそれをまた本として遇するわが購入者たち読者たち。
現代に生まれた新たなビジネスが生む文化のリサイクル。
出版社にとっては好ましくない影響もあるのかもしれないけれど
読者にとってはやはりありがたいもののように思えます。

◎7月6日(火)
今日もラーメンの話です。
近くに3ヶ月で店を閉めた所があります。
サービス券を配っていたので開店早々に行きました。
帰りにまたサービス券をくれましたが、もう2度と行く気にはなりませんでした。
そうしたら、3ヶ月後に店を閉じていました。

また別の店ですが、やはり最近出来て一時ネットなどでも話題になりましたが
今はあまりお客が入っていない所があります。
その一方で、もっと地の利が悪いのに
わざわざバイクや車に乗ってでも食べに行く人がいる新規店もあります。
店の前には大抵行列が出来ています。

そのどちらにも行って来ました。
お客は正直だなーというのが感想です。
同じ値段で、得られる幸福感が全然違いました。
ただ腹がふくれただけの店と
感じたことのない至福(美味しいものを食べると感じる)を得られる店。

私も、答が分かるだけの塾で満足していてはいけないと思いました。
学ぶ楽しさ、考える面白さを感じさせられなければ意味がないと思いました。

先日、生徒の一人がオリジナルのなぞなぞを出してくれました。
問題はまあまあでしたが、
そうしたことを考えていること自体がとても嬉しかったです。
既成のもののパクリっぽい問題でしたが、物事の出発の殆どは模倣です。
一を聞いて十まで分からなくて良いけれど
二や三の事を考えるような姿勢は身につけて欲しいなと思います。

ラーメン屋さんも、自分が食べたラーメンの美味しいと感じた物を
さらに自分の感性で改善したものを、その店の味として提供しているのでしょう。
私も、これまでの塾講師時代に出会った様々な先生方の指導法を参考に
更に自分のなりの工夫を加えて今の指導法が生まれています。

そして、実は塾にとって一番大事なのは、
先生がいかに生徒を刺激出来るかだと思います。
思考の至福を与えたいというのが私の望みです。
その為には、私自身がいつもこの至福を感じていなければなりません。
自分が好きな事だから人にだって一所懸命に教えられるのです。
そう、私が伝えたいのは解法ではなくて、解こうと思考する事自体なんですね。
昨夜食べたラーメンの味を思い出しながら
今日は朝からたらふくつぶやいてしまいました。

 

◎6月30日(水)
私はラーメンが好きです。
「上手いラーメン屋情報を小耳にはさむとどうしても行ってしまう」タイプです。
出歩いていても行列の出来ている店があると気になってしまいます。
偶にバイクにも乗りますが、走っていてプーンと良いにおいがしてくると
思わず止まってどの店か確認してしまうこともあります。
洋食系の臭いではこんなことはありません。
ラーメンの臭いにだけ反応してしまいます。
小腹が空いていて時間のある時はそのまま入りますし、
忙しいときや、満腹時は
その近所に用のあるのを利用して、再訪問します。
(そういう点では、本当のラーメンフリークとは言えないかも知れません)

でも時々疑問を感じることもあります。
それは行列の出来ているお店のすぐ近くのガラガラのラーメン屋さんのことです。
このお店は食べていけているのだろうか。
このお店は混むことはあるのだろうか。
そして、究極の疑問。
このお店の主人は本当にラーメンが好きなのだろうか。

少なくとも近所の行列店の味はチェックしておくべきです。
そして、自店の味との比較を徹底的にやるべきです。
いや、遠くの繁盛店の味も知るべきです。
だって、プロじゃないラーメン好きがわざわざ食べに行くのに
なぜプロが注目の味を吟味しないのか。
自店の味が優ると思えば、その確認が出来て良かったと思えば良いし、
何か得るところがあれば、それもまた良しです。

これは実はラーメンだけのことではないですね。
自戒を込め、私もこの気持ちを大事にしていこうと思います。

◎6月15日(火)
「メディアの活用についても、指導の仕方でいくらでも上手く使いこなせるようにさせられると思います。」
と一昨日「つぶやき」ました。
ではどうしたら良いのでしょう。
そこまで考えないと意味がないですね。
そう、こればかりは識者の意見すら当てにならない。
とりあえずインターネットについて考えてみます。
私の子供にどう教えるかの想定にて。

1.一緒にネットサーフする。各サイトを見ながらのおしゃべりは楽しそう。
2.子供の方が長けてきたら、技を教わるというスタンスでいればやはり一緒に楽しめそう。
3.一番大事なのは調べるにしても楽しむにしても、「ネット」が数多い選択肢の一つに過ぎない事を伝える。

「3.」のメッセージを伝えるのには、ネットに対抗出来る選択肢をたくさん提示していく事が肝心ですね。
これは案外大変かも。でも、日頃から親が好奇心旺盛に日々を楽しんでいれば自然に伝わっていくような気もします。

映像メディアも同じですね。映画館では語り合いながら見るなんて出来ませんが、
DVDでの鑑賞なら、気づいたこと感じたことなど言い合いながら見る事も出来ます。
「今のシーン、意味が分からなかったからもう一度見よう」とか言いながらちょっと戻してみたり。

昔のテレビからだけの情報取得に比べたら、家庭内で出来る情報収集量は圧倒的に増えました。
またそのプロセス自体も双方向性が強まっています。
これは、絵本の読み聞かせに優るとも劣らない、親子での情操のやり取りの画期的な手段なのではないでしょうか。
でも、原点はまさに「読み聞かせ」だと思います。
やはり、読書、印刷媒体、そうしたものに慣れさせていくことから始めたいと思います。
その価値が充分認識出来た所に、実はこんなものもあるのさといったスタンスで
インターネットやDVDを提示する。
そして一緒に楽しむ。
とりあえず、そんなことを思いつきました。

◎6月13日(日)
重松清「さかあがりの神様」は入試にも使われた名作短編です。
大人と子供との心象の関わりに「さかあがり」を使うとは、流石人気作家だなと感心させられた作品です。

昨日テレビを見ていたら、埼玉県志木市に、さかあがりの神様が実在するのを知りました。
さかあがりが出来ない生徒の為の特別な指導法を編み出された先生が紹介されていました。
たった一本のヒモを活用するだけで、すいすいと補助が出来るのです。
また、逆さまになる事への恐怖感を取り除くための工夫も紹介されていました。
鉄棒に10秒しがみついていられるだけの力があれば必ず出来るとその先生は断言していました。
さかあがりが出来た事で、達成感をつかんで欲しいとも語っておられました。
何となく感動してしまいました。

テレビですから、実践の様子も映像で紹介されていました。
百聞は一見に如かず。
具体的手順も分かり、これなら運動音痴の私でも手助け出来そうです。
出来なかった子供がどのように達成するか。
そして、発言や表情がどのように変わるか、
そういうことも映像がありありと伝えてくれました。

すると、思ってしまいます。
残酷シーンのあるテレビドラマや映画も見せる映像メディアが、こんな働きもしてくれるんだよねと。
このような地味な内容の記事は、新聞で文字情報として見て果たしてどれだけのインパクトがあったかと思います。
仮に読んだだけだとしたら、感動するまで行っただろうか。

先日の事件をきっかけにして、
インターネットやビデオなどの映像メディアに対する批判的見方が強まっています。
精神的に成長するまで一切触れさせないのが良いと主張する人もいます。

しかしここまで発達した映像メディアを一切使わせないというのはナンセンスです。
特に今回の事件と密接なつながりがあるインターネットについても同じです。
私はどれだけの見聞をインターネットを通して広げたか分かりません。
また新しいご家庭との結びつきをたくさん与えてももらいました。
インターネットは上手く使えば確実に世界を広げてくれます。
それは子供にとっても同じでしょう。
昨日も生徒の一人が
「ハーブを育てたいから、家に帰ったらインターネットで調べてみよう」と言っていました。
テレビもビデオもインターネットも
とても便利な道具です。

ただし、とてもフレキシブルなものだけに、その使い方をしっかりと把握する必要があります。
大人でもコントロールしきてれていない人がいます。
私も失敗したこともあります。
でもまだ大人は自力での修復も可能です。
ところが子供は突っ走ってしまう場合も多いでしょう。
それを制御できるようにする指導が必要だと思います。
指導するのは親、教師、いや大人全ての責任です。

危険な事につながる可能性があるからと排除するのではなく、
その可能性をいかに回避できるようにするかの智恵を付けさせれば良いのです。
肉体的能力に左右されるさかあがりだって、指導の仕方では出来ない子も出来るようになるのです。
メディアの活用についても、指導の仕方でいくらでも上手く使いこなせるようにさせられると思います。

 

◎6月8日(火)
やはり色々な情報が報道されていますね。
佐世保の小学生同士の殺人事件についてです。
中には小6ネット殺人事件などと名付けている番組もありました。
興味深いものもありますが、全貌はとうていつかめません。

私も自分の小学生時代の事をひとつ思い出しました。
小5の時のことです。

ある実力者の子供ばかりをひいきする先生がいました。
ある日、その子と私とが喧嘩になったのですが
その先生が偶々通りかかったのか、誰かに呼ばれたのか
突然やって来たなり、いきなり私の手だけをつかみ
「何してるの、止めなさい」と怒鳴るのです。
理由も何も尋ねません。私が一方的に悪者になっていました。
こっちも感情的に高ぶっていたこともあり上手く説明出来ません。
ただその友だちをにらみつけていただけだったような気がします。
そこらがおぼろげなのに、一つだけはっきり覚えていることがあります。

腕を捕まれ説教されている時、その先生のお腹がぷっくりふくれているのが印象的で
「あー、ここにナイフ刺したら気持ち良いだろうなー」と思いながら
その先生のお腹だけを見ていたことです。
特大のマシュマロに果物ナイフを突き立てるようなイメージが浮かびました。

ところがそれはあくまで頭の中で思うだけで、
そう頭の中で思うことで、その先生への憎しみが幾分か和らいでいたのです。
勿論、現実にそんな事をする訳がありません。
私は魚の解剖ですら苦手だったので、実際にそうしろと命じられたとしたって
絶対にそんな気持ちの悪いこと(そうです、実際には気持ちが良い訳がない)
やるはずがありません。

そんな事を思い出してまた今度の事件のことを思うと実に不可解です。
なぜ小6児童がそんな残酷なことを現実化出来たのか。
やはり人が傷つけられるということの実感がつかめていなかったのだろうと思うしかありません。
そうした、自然に体得できるような生理的感覚がなぜつかめていなかったのでしょう。
学校教育だけでなく、生活の周辺に
人間のことを何も学べる環境がなかったのでしょうか。
今の子供たちの環境、分かっているようで分かっていないのだなと痛感しました。

とりあえず私は決めました。
接する限りの子供たちに現実の世界を実感させようと。

その為に出来ることって、実は案外簡単なことなんです。
私たち大人が日々生き生きとしていることなんです。
「あー大人って良いなー、毎日自分の力で生きていけて」と
子供が憧れるような生活をすることです。
そして自分たち子供がいかに未熟かを実感して
より完成度の高い自分を目指そうという気持ちにさせることです。
これは実は大人自身にも突きつけられる課題でもありますね。
だって、何才になっても実は完成するということはあり得ないからです。

更なる高みを目指す、それが人生だと思います。
肉体的にとか技術的にとかはピークを過ぎたとしても
精神的な高みはいくらでも上を目指せます。
また感性を磨くというのも精神的な高みを目指すというのと少し違う視点かもしれません。
これまたいくらでも磨けます。

そうした気持ちを大人たちが持ち続けている限り
その周囲にいる子供たちに、
小さな自我だけでの行動がいかにつまらないものかを伝えられると思います。

あまりにも楽観的過ぎるでしょうか。
単純過ぎるでしょうか。

 

◎6月5日(土)
子供をめぐる事件の内容がどんどんエスカレートしています。
佐世保の小学生同士の殺人事件について、私にはまだ適切な言葉が見つかりません。
でも、何もしない訳にはいきません。
とりあえずネットから参考になる言葉を引用転載させてもらいます。

以下、「毎日教育メール」(毎日新聞発刊)からの引用です。

 【事件】長崎・佐世保の小6女児殺害事件 識者の意見
………………………………………………………………………………………

 「インターネットの掲示板に書き込みをされた」。長崎・佐世保の小6女児殺害事
件で、補導された女児は警察の調べにそう供述したという。専門家は、事件の背景を
どうみるのか。

 山岸治男・大分大教育福祉科学部教授(教育社会学専攻)は、インターネットが浸
透した現代社会について「児童生徒を取り巻く文化が10年前と比べて激変したのは
間違いない。インターネットはそれを象徴している」と指摘したうえで、「便利なコ
ミュニケーションの道具ではあるが、一方で表情のない文字と文字のやり取りであ
り、相手とのトラブルが生じると大人でも微修正が難しい。子供なら、なおさらだろ
う」として、動機の一端にネット社会と子供を取り巻く環境の変化があることを指摘
した。

 小木美代子・日本福祉大教授(子どもの社会教育専攻)は補導された女児の行動に
ついて「好きなホームページでのやりとりもうまくいかなくなり、不満のはけ口が、
頼りにしていた友人へ直接向かっていったのではないか。ネット社会は、ある意味で
現実とは離れた世界。そこで発生したいら立ちの感情が、最近の子供に見られるよう
にすぐに行動に移行してしまったのだろう」と語った。

 新倉修・青山学院大大学院法務研究科教授は「人間関係のエアポケットのようなと
ころで起きた事件と言える。児童にコミュニティーをもっと体験させ、さらに保護者
間が情報を共有するなど何らかのネットワーク、仕組みを作るべき時期に来ている」
と話した。

 川崎医科大(岡山県)の片岡直樹教授(小児科)はインターネットや携帯メールに
はまる子供の共通点として「他人との関係をうまく作れない」ことを挙げる。「こう
して育った子は直接的な人との関係を結ぶのが苦手なため、短絡的でキレやすくな
る」という。片岡さんによると、そうした子供の多くは2歳ごろまでテレビがつけっ
ぱなしの部屋で育ち、親との対話が少なかったことが特徴。現在、出生児の5人に1
人以上がテレビづけの環境で育っているといい、「2歳までに身についた習慣は、コ
ミュニケーション能力の不足という形で、人生に大きな影響を与える」と指摘する。

 「ネット依存の恐怖」などの著書があるNPO法人「教育研究所」の牟田武生理事
長(57)は「加害女児と怜美さんは、ひんぱんにチャットメールのやりとりをして
いたというが、加害女児は、メールのやりとりなどで“自分が大切にしているものを
汚された”というような感覚を持ったのではないか」と指摘する。さらに「最近は小
学生でも『おはよう』から『おやすみ』まで、メールをする子どもが多い。現実社会
で充足感が得られなくて、空虚な感じを持っていると、こうした関係や自分の内的世
界を聖域のようにとらえ、汚されたくない感覚を持つようになる。すると、相手を縛
り付けたいといった心理が出てきて“こんなことが”と思えるようなことでも過敏に
反応する傾向がある」と話す。

 

◎5月27日(水)
ホームページを作ったお陰で遠方からご相談を受けることも多くなりました。
家庭教師をお受けする地域も広がりました。
移動の時間に結構掛かるお宅もあるのですが最近は電車内での読書が楽しみになっています。
昨日は行き帰りで一冊読めました。
その本に
「叱る」と「怒る」を混同するなとありました。
怒ると恨まれるが、叱ると感謝されるとありました。
成る程。
自分の感情の爆発が「怒る」で
相手の為にするのが「叱る」でしょうか。
作者の語り口が上手いせいか、スイスイ読めて
しかも印象に残った部分も多かったです。
永六輔さんの「学校ごっこ」(NHK出版)という本です。
片道90分、味のあるおじさんの話を脇でずっとフンフンうなずきながら聴いていたという感じです。
図書館で借りました。
書店で見かけてもきっと買わなかったでしょう。
図書館は思わぬ出会いを演出してくれます。

◎5月17日(月)
日本語は同音異義語が多いですね。
母音がアイウエオの5個しかないし、ダジャレが実に作りやすい言語です。
(と言って今日はダジャレの勧めではありませんからご安心を。)

以前にテレビで見たんだと思いますが
ある方が子育てについて
「教育」は実は「共育」だと仰っていました。
子育てしながら親自身も育つのだというお話しです。
成る程とうなずきました。

何で急にこんなこと思い出したかと言うと
先日授業中に「何で先生はどんな問題でもすぐに解けるの」と真顔で聞かれたからです。
何でだろうと考えました。
そしたら答は簡単なことでした。
たくさん教えてきたからです。
よく、学んだことを教えるとより一層理解が深まると言われますね。
塾の講師も同じだと思います。
教えながら実は自分自身も学び続けているのです。
だから年が経つにつれ、解法のストック
更に言えば、子供に対する姿勢のストックもどんどん増えてきたんでしょうね。
だからいきなり何か質問されても何らかのきっかけが見つけられのだと思います。
決して頭が良いからではなくて、単に持久力の問題なのです。

ではなぜ続けられるのか?
これまた答は簡単なことです。
好きだからです。

皆さんも是非自分の好きなことをみつけ、それを続けてください。
また、好きなことがみつからないと感じているなら
今やらなければならないことを好きになる努力をしてください。
そして、それを人にも教える場を作りましょう。
生涯共育です。
きっと自分の成長が自覚できますよ。

◎5月11日(火)
心地よきもの雨上がりの散策
日のいと近ふ差して心王まで暖めるもをかし

などと訳わからん古文を口ずさんでしまうほどの今朝の天気

こぬか雨の散歩も素敵ですが
雨上がりの空気の透明感は極上です。
ひとたび事が落ち着いて新たな動きを促す
といった気配すらあります。

さあまた今日から新たな課題に取り組みましょう。
そんな気にさせてくれませんか。

◎4月25日(月)
最近面白いパン屋さんをみつけました。
色々選んでレジに持っていったら、おばちゃんが
「あら美味しそうなパンばっかり選んで」と
我が子を見るような慈しみの目でそのパンを眺めるのです。
そして、これにはビール酵母が使ってあって、これには・・・・・・と
とうとうとパンへの蘊蓄を語るのです。
それだけでもうれしくなりましたが
家に帰って食べてみたら、予想以上の味。
焼きたてのパンは別の袋に入れてくれたり、細かい配慮に満ちていました。
で、それが商売上手の為のテクニックといったものではなく
本当にパンを大事に思って売っている現れなんです。
自分が最高の仕事をすることだけを考えているお店。
それが結果として顧客のためにもなっている。
学ぶこと大のお店でした。

◎4月8日(木)
凍り付くような事件が起こってしまいました。
イラクもパレスチナも大変なのは分かりますが
考えようによってはもっと大変な事件のようにも思います。
言うことを聞かない我が子を殺す親が出てしまったことです。
戦争で死者が出るのはある程度慣れてきてしまっていますが
平和な社会の平凡な家庭で、なぜ死者が出たのでしょう。

責任感の強い母親だった
子煩悩な人だった
などのコメントが出ていました。
苦労してあそこまで育てたんだと思います。
軽々に何かを語ることは出来ません。
ただ、どうしたら再発を防げるか
これは考えなければいけないと思います。

まず子は自分の所有物ではないと肝に銘じる。
これは是非覚えて欲しい。何度でも言いたい。

だって、意識してコントロールして彼彼女の肉体を大きくしていったのですか?
目や鼻や口や顔立ちや体型
私はこうしたいとか、僕はこうがいいなと思って
模型細工のように作っていったのですか?
違いますよね、オッパイあげたり、ミルクあげたり、離乳食あげたり
身体に良いとされるものあげたりしただけで
子の身体は誰の意志にもよらず自然に出来ていくのです。
親が出来るのは育つ元になるものを与えることだけです。
同じような食事をしていっても
様々な体型、色々な大きさの子が生まれます。
それは親のコントロールで決められることではないのです。
知育だって同じでしょう。

色々な教材を与えるのも良いでしょう。
塾に行かせるのも良いでしょう。
頭への様々な栄養です。

でもそれをどこまで受容し育つかは
与えた栄養の量や質によるのではなく
身体と同じで、誰の意志にもよらず自然に決まるものなのです。
それはまさに個人差があるのです。
普通以上の栄養を与えるのは子の状態を見て
それが効果を上げるのかどうかで決めるべき事です。
さらにはひとつの栄養が利かなかったといってそれが全てではないのですから
また違う栄養を、子にあった栄養を見つけてあげればよかったのです。
今回、子を見ずに、栄養価の説明ばかりに目がいってしまったのでしょうか。

今回の事件では小2で塾に通っていたようです。
それはいわば、
普通の子には食べられない特別の栄養食を用意してあげたのに似たことでしょう。
でも、だったら今食べないからというだけでなぜ叱るのでしょう。
普通なら、もう少し成長してから食べるものを
折角今用意したのだからという理由だけで
何故今受け付けない子を非難するのでしょう。
親の都合だけで判断しないでください。
もう少し育って
きちんと受け入れられるようになってから与えれば良いだけのことです。
それを、早くあげたのに受け付けないからという理由だけで
何故怒るのでしょう。
なぜ怒って・・・・・・・・・

やりきれません。

◎4月6日(火)
試験が終わりホッとしていたらいつの間にか花見の季節。
今年は去年より少し早いらしくもあり、ボッとしていたらもう4月も1週間が過ぎようとしています。
油断禁物です。
それにしてもこの春の空気の暖かさは格別ですね。
やはり4月新学期開始って素晴らしいと思います。

さて今日は日本語の面白さについて少しだけ。
と言っても大した話ではありません。
ある水産会社では、マグロなどを扱う部署を大物部と言うのだそうです。
そこの部長さんの名刺には「大物部長」とあるのでしょうか。
昔ドライブしていたら、信号で止まった交差点の案内板に
「大中小」とありました。
大島中央小学校前ということの略らしいです。

これとは話がずれますが生徒にダジャレ好きがいます。
スリッパを履きながら「スリッパワーで今日も快調」とか宣ってくれます。
(当塾は玄関で靴を脱いで教室に入ります。)
日本語は母音が5個しかないからダジャレにはうってつけですね。
掛詞なんて日本独自の技法ではないのでしょうか。

◎3月20日(土)
今年もまた新しい生徒さんを何人かお預かりできました。
最近つくづく思います。
「教えるということにパターンはないんだな」と言うことを。
どういうことかと言いますと、子供を幾つかのパターンに類別して
このタイプの子にはこの指導法
このタイプの子にはこの指導法
と言った話を時々本などで目にするのですが、
私はあまり参考にしません。
(昔は結構そういう記事を気にして読んだりしてました)

だって、やっぱり一人ひとり違うんですよ、子供って。
無意識のうちに、過去に教えた誰かを想起しているかというと
決してそんなこともありません。

やはり今日なら今日
初めて会う生徒には、その日の彼または彼女から
まず何かを感じ取り、それが授業の出発点となります。

例えば、「この子は凄く甘えん坊なので、お手数掛けると思いますが
呆れずに宜しくお願いします。」と
初めての相談の席で仰るお母さんがいらっしゃいますが
子供に会ってみると
あるいは実際に授業してみると
案外頑張り屋だったりする。
確かに甘える部分もあるが、学習の内容や、問いかけ方によっては
凄い意地を見せてくれたりする。
こういう多面性は、実はどの子にもあります。
そして、その現れ方は、それこそ、十人十色です。
子供の中に秘められているものは分からないのです。
それを引き出すのが指導の基本で
まさに私の「仕事」である訳ですが、
やっぱり私にとって、実は大きな楽しみでもあるのです。

よく子供をお預かりするという言い方をする先生がいますが
(私も無意識に使っているかもしれません)
私は、最近、
一定の期間ではあるし、
受験なり、成績向上なり、具体的な目的が在っての出会いではあっても、
一人ひとりの子を
預かっているというより
授かっているという気持ちになることがあります。

逆に、世の親御さん方にあえて言いたいのは
我が子を全て意のままにしようと思ってきたら
「子供は授かったのではなく、預かったのだ」と思ったら?
と言うことです。
大事に思われているということを、子供が素直に実感できる環境を!
と言うことです。

不登校(最後まで殆ど学校には行かず仕舞い)の子の指導もしましたが、
そういう子も含め、向上心のない子は一人もいませんでした。
安心して自己実現に打ち込める場が必要なだけです。
やっぱり、ご家庭がまずそういう雰囲気になって欲しいですね。

◎3月1日(月)
幸いトラタヌにはなりませんでした。
皆が新たな記念日を作ってくれました。
ありがとう。
風邪もひかず努力も(大体は)怠らず(もう今更何も言わないよ)
今日という日までよく来てくれました。
今はスヤスヤ夢の中かな?
肩の荷がおり、心からの笑顔で寝ていてくれ

今日のビールはまた違った味だった。

◎2月23日(月)
こんな拙いサイトですが、
気が付けば、カウンター設置(2003年9月)から
もうのべ1800人以上の方に覗いて頂きました。
直接顔を合わせるどころか、言葉さえ交わしたことのない方が大半だと思いますが
少しは何かのお役に立てたなら幸いです。
いやいや、もっと多くの人が直接にメッセージを送ってくれるような
そんなページを目指して、更に研鑽を積みましょう。
でも、明日の都立校の受験まで
やはり生徒の指導が最優先でした。(ホントです)
今日の授業が済んで、私としてはホッとしています。
なぜなら、やりたいと思っていたことの殆どが出来たからです。
そりゃ欲を言えば切りがありません。
私の力の及ばぬこともあったかもしれません。
でも生徒の自信は、私との出会いで、より強いものになったと思います。
今は夢の中でしょうか。
あるいはヒョッとして、悶々と眠れぬ夜を過ごしているのでしょうか。
願わくば、どうぞ明日の試験で最高の力が発揮できますように。
私は誰へという宛てもなく、ただ無垢なる祈りを唱えるのみです。

君のその腕に微笑みの宿り
ただひたすら智恵の木の花々よ咲き踊れ
この夜の明けし時、答は全て君の胸と額とに
そして、満面の微笑みで君の朝が
ただ輝くにまかせ、新たな記念日を作り上げんことを。

◎2月6日(金)
気が付けば、もう今年の中学入試も終わってしまいました。
今はインターネットを通じてすぐに主要校の入試問題が手に入るので本当に便利です。
早々に入試問題をお送り頂いた学校もあり、主な学校の問題を解いてみました。

今年は算数の面白い問題が多かったです。
麻布のは全てが良問だと思いました。
武蔵の2番も面白いです。
桜蔭の3番と女子学院の5番
一見似たような問題ですが、アプローチが全く異なります。
それぞれの学校がどういう子供に来て欲しいかがはっきり問題に表れています。
麻布と桜蔭と女子学院の今年の算数は
どの志望校の子供にもいつか挑戦してもらいたい問題ばかりでした。

国語は、武蔵、麻布、駒場東邦が子供向けの物語による
長文1題という形式が全く同じでした。
長文1題ということだけで言えば開成も同じです。
やはりどの学校も、読書好きな少年に来て欲しいのでしょうね。
記述に加え、書取が重視されていたのも印象的です。
ただし、似てはいても、題材の選び方で、麻布が一頭抜きん出ている気もします。
入試問題なのに、読み終わったら感動していました。
このように、読む楽しみに満ちた入試問題が増えると良いなと思ってしまいました。
開成も、ありがた迷惑な注釈を入れなければ面白い文章だったのに。

◎1月18日(日)
2月1日まであと2週間となりました。
これまでにいた受験生の話をしましょう。

一人、1月31日に自宅が火事になってしまい、焼け跡から受験した子がいました。
2月1日の試験、第一志望でしたが、合格でした。
なぜだか知らないけれど、あまりのことにキョトンとしてしまって
却って、当日落ち着いて受験出来たと言っていました。
入学試験なんてごく些細なことだと思えたのかもしれません。

別の子。
1月25日から30日まで風邪で寝込んでしまいました。
31日は起きられたのですが、ホントに基礎的な暗記だけをザッと復習しただけで試験へ。
結果、やはり第一志望合格でした。
たっぷり休息出来たので、当日、頭が冴えていたとのことでした。
力の全部を出し切れたのでしょう。

さあ、もし試験どうしようと悩んでいる受験生がこれを読んでくれていたら
いったいどう思いましたか?
いくら不安だと言っても、今お話しした二人の受験生よりは恵まれていませんか。
不安を感じている暇があったら過去問を見るでもよし、
理社の基礎事項を見るでもよし、
国語の問題文を音読するでもよし、
とにかく体を動かしましょう。
何しろ、まだ2週間、14日、336時間もあるんだから。
寝る時間や食事とか風呂の時間を引いてもきっと半分は勉強に使えます。
336時間÷2=168時間。
さあ、これだけの時間で何をしたら良いでしょう。
一つの手は、参考書の索引を見て、
それぞれの言葉が何を言っているのか説明してみるという勉強です。
もし分からなくても安心して!
だって、そのページを開けて読めば良いだけだから。
どうです、良い勉強法でしょ?
私が中学受験したときに私の先生が教えてくれたやり方です。

模試の合格率に100%や0%はありません。
合格率20%とは、その点数だった人は
100人のうち、20人は合格しますよと言うことです。
5%でも、5人は合格するんです。
当日最良の状態で受験出来れば必ず合格の方に入ります。