インド・アーリア語族という神話。
そして、シンハラ語。

シンハラ語私記① インド・アーリア語族という神話。そして、シンハラ語。
シンハラ語質問箱 Sinhala QA62-1

2006-2-07 2015-May-19 2019-Feb-19



 インド・アーリア語族であるシンハラ語はウラル・アルタイ語族、あるいは孤立語の日本語と共通性を持たない。このご指摘を常々、いただいております。
 2000年に『熱帯語の記憶、スリランカ』を発刊した折には…

 

シンハラ語と日本語はまったく所縁のない言語

 インド・アーリア語族であるシンハラ語はウラル・アルタイ語族、あるいは孤立語の日本語と共通性を持たない。このご指摘は常々、いただいております。
 2000年に『熱帯語の記憶、スリランカ』[注]を発刊した折、スリランカ大使館のフォーラムに呼ばれてシンハラ語と日本語の微妙な関係についてお話させていただいたところ、フォーラムに参加されたシンハラ語の研究者から、「シンハラ語を知らぬ輩が困った本を出したものだ」とのご叱責を戴きました。言語のことを何も知らない門外漢が何を言い出すか。君は料理を作っていればいい。シンハラ語に手を出すな。言語はそんなに甘いものではない。と、そう仰られたのです。
 辛口のご批判でした。まあ、私が手を出したスリランカ料理はもともと辛いのだし、誰かが口に入れたスリランカ料理が辛ければ、誰かの口から出る日本語の言葉も辛いものだ。この世の中、そう甘くない。

[注]
 『熱帯語の記憶、スリランカ』(2000年 南船北馬舎 廃刊)は現在、「熱帯語の記憶・キンドル版」として3部に分割、加筆されて、かしゃぐら通信KhasyaReportから2015年に再刊されました。「熱帯語の記憶・キンドル版」紹介ページ(サイト内)

 
 そんなやり取りが聴講された方との間にありましたが、日本語とシンハラ語の身体語彙の比較に触れた部分では、興味を抱かれた方がいらっしゃいました。フォーラムでお話した身体語彙の比較の部分は『シンハラ語の話し方』の前書きに掲載してあります。
 フォーラムの帰りに、フォーラムに参加されていたシンハラの方が私に声をかけて来て、面白い話だった、と笑顔を向けてくれました。以降、その方は四谷のトモカTOMOCAに度々足を運んでくれて、私のスリランカ料理を指食しながら、夜更けまで二人でスリランカの事情をあれこれ話し込んだことを思い出します。
 当時、スリランカは内戦状態。クレイモアが各地で爆発し、弾丸が街の中を飛び交うことすらありました。

 スリランカ料理トモカTOMOCAを始めた1983年、シンハラ語に関する本は日本にありませんでした。いえ、細かに言えばスリランカ南部のジャングルへ仏教古代遺跡の発掘に出かけた法政大学探検部の冒険家岡村隆氏が作ったシンハラ語会話メモが手書きのまま小冊子として発行されていました。それはスリランカ南部の村で採集した生き生きとしたシンハラ語を伝えていました。岡村氏の豪放で茶目っ気のある気質がその会話帳に覗いていてとても愉快でした。日本最初のシンハラ語言語資料として私は私家蔵書に収めています。
 当時はシンハラ語は屈折語であり、インド・アーリア語族に属するという「信念」がシンハラ語理解の100パーセントを占めていた時代でした。その「信念」の下にシンハラ語を読み解き、シンハラ語を話すのです。でも、それって、日本人にはややきつい作業です。
 カレーライスに魅せられてスリランカへ行き、シンハラ語を話さなくてはカレーのことが理解できないとなって、土間と市場でシンハラ語を自然学習する身となった私は、すぐに「信念」から開放されることになってゆきました。

「椰子・唐辛子・鰹節」

 下流役人をしていた時代にシンハラ人と知り合うことがあって、彼らの作る料理も食してはいましたが、日本で彼らが作るスリランカ料理は日本風のアレンジが効いていて、「いわゆるカレー」の範疇に入ります。「いわゆるカレー」をスプーンですくってべとべとのご飯で食する。何か違うかも。そう感じていました。
 私は本物のカレーライスを求めてスリランカへ旅立ちました。それは店を始める1年前でした。
 スリランカの田舎の村で日々、純朴な料理を作るおばあちゃんたちは誰も英語を話さなかったし、町外れで開かれる朝市へ出かければ売り手のお兄ちゃんたちもシンハラ語しか話さない。私の周囲はすべてシンハラ語で埋め尽くされていました。
 これはカレーライスどころじゃない。シンハラ語を使えなければカレーにも出会えない。食材も調理もシンハラ語を解さなければ「そのもの」には出会えない。最初は面食らいました。困りました。でも、カレーライスを我が物にしたい一心でそうしたシンハラ人の日常の中に居たら、いつの間にかシンハラ語のイロハを話すようになっていました。
 そのうちに山里や海辺の村で家庭料理の作り方を土間で習い、聞きかじりました。チャンドラ・ディサーナーヤカの『スリランカ料理』をコロンボのレイクハウス書店で買い求め、以前カンディの書店で買ったディリー・ニューズ社の『スリランカ料理』とレシピーを比較しだしたのは東京・四谷でスリランカ料理トモカTOMOCAを始めてからでしたが、そこからシンハラの古い料理へと視点が定まってきました。カレーライスの原点を探り出そうとひらめいたのです。そのあたりの事情は『南の島のカレーライス』でお話したとおりです。

 『南の島のカレーライス』は『椰子・唐辛子・鰹節』というタイトルで週刊誌の主催するノンフィクション公募に送った原稿が元になっています。公募の件は食材の仕入れに出かけるJRの車内広告で知りました。
 私が書いたものはカレーライスのことばかり。世相の事象を追い詰めるノンフィクションのスリルはない。ジャーナリスティックな冷めた作品でもない。それを、何を思ったか、週刊誌のノンフィクション公募に応募するなんて。
 当時、トモカTOMOCAの営業は夜の3時間だけにして、午前中は四谷から皇居のお堀沿いの小道を歩いて国会横の図書館へ出かけカレーライスの資料を集めていました。そして、ちょいちょい書き溜めた。
 書いた原稿が溜まって発表する場所を探したけど、適当な場所が見つからない。そこへ、ちょうど仕入れに行く途中だったけど、四谷駅に滑り込む電車の車内であの公募が始まったと知らせる吊り広告を目にした。とにかく原稿を送ってみました。
 JR中央線の中吊りで週刊ポストのノンフィクション大賞1回目公募の知らせを偶然、発見してしまったのが『南の島のカレーライス』誕生のきっかけです。

カレーライスは言語へと展開する

   ノンフィクションのテーマはシンハラ語とカレーライス。背景に私自身がシンハラ語とカレーライスにかかわった時代を記した。私のカレー体験をスリランカのその時代と風土とともに私の脳裏に刻み込むために。
 原稿のタイトルは「椰子・唐辛子・鰹節」だった。とてもへんてこなタイトル。だけど、これが週刊ポスト主催のノンフィクション賞の最終選考に残ってしまいました。
 原稿を週刊誌編集部に送った後も図書館がよいと店の切り盛りの二股で忙しく、選考の経過に注意を払う余裕がなかった。
 トモカTOMOCAの常連の方から相棒が「ご主人、ノンフィクションに応募したでしょう」と声をかけられました。それで「椰子・唐辛子・鰹節」が最終選考に残ったことを知らされました。店には出版に関連するお客さんが何人かおられてジャーナリスティックな噂が飛び込んで来たのです。
 「椰子・唐辛子・鰹節」は最終選考の5編には残りましたが、一席を外しました。一席には外れたのだけど、スリランカで活動するジャイカの隊員がコロンボでそのことを知って、アジアの本を出していた明石の地方出版・南船北馬舎に私のことを伝えました。
 南船北馬舎は私のところへ、ぜひとも刊行させてください、と申し出てこられました。「椰子・唐辛子・鰹節」の中身はご存じなかったのですが、週刊ポスト・ノンフィクションの最終選考残留作品ということで舎の主は一矢を放ったようです。たった一本の電話で出版が決まりました。

 明石からやって来た南船北馬舎の代表が四谷のトモカTOMOCAの客席に腰掛けて私の手から原稿を受け取った際、「私はドン・キホーテと言われてます」とやわらかな関西弁を語尾上がりに言って、ご自身の無茶振りを自嘲しておられました。「椰子・唐辛子・鰹節」を私の希望で『南の島のカレーライス』と名を換えて、出版の運びとなりました。これが『あじまさの島見ゆ』、『熱帯語の記憶、スリランカ』というシンハラ語とシンハラ語の文化に関連する本の出版につながって、2005年、『シンハラ語の話し方』というシンハラ語の本の刊行に続きます。

そして、シンハラ語を日本語文法で覚える

 シンハラ語で書かれた料理本を読みふけりました。シンハラ人がトモカTOMOCAで働きたいとやって来る様になっていました。でも、日本に慣れたシンハラ人の方には遠慮していただきました。「日本人化」したシンハラ人と日本語で話してもスリランカへ行ったことにはならない。店のメニューはシンハラ語。ホールで相手をするのも日本語も日本の文化もよく知らないシンハラ人。その彼らの教育を私がやって、だから、シンハラ語を話す機会が滅法、増えて行きました。シンハラ語で日本語をシンハラ人に教えるというやむにやまれぬ事情。
 スリランカでのシンハラ語会話も、東京四谷のトモカTOMOCAでのシンハラ語事情も、実に面白い体験の連続でした。

 2005年という年。そして、その前後の年は日本語とシンハラ語の思いもよらぬ交流が始まるエポックだったようです。

「シンハラ語は印欧語族の言語」というロジック。これがシンハラ文語には適用できてもシンハラ口語には当てはまらない。2005年前後のシンハラ語に関する比較言語のさまざまなリポートに目を通すとそのことを痛感するようになります。
 「シンハラ語は印欧語族の言語」という鉄壁を揺さぶる事件がその鉄則を冒頭に掲げる「疑問文解析」[注]という論文の中で引き起こされるなどとは誰が想像したでしょう。

[注]
 「疑問文解析Decomposing Questions」はポール・アラン・ハグストロムPaul Alan Hagstromがマサチューセッツ工科大の言語哲学博士号を取得するために1998年に書いた論文です。202ページの本論で直接のテーマとされたのは日本語とシンハラ語の疑問接辞-日本語の「か?」とシンハラ語の「ダ?」の関係。P・A・ハグストロムはHagstrom両者が対応関係にあることをこの論文の中で検証しています。「疑問文解析Decomposing Questions」が解く日本語とシンハラ語の疑問接辞の一致

 
   「疑問文解析Decomposing Questions」はシンハラ語にも「係り結び」があるというのです。係り結びは助詞と動詞語尾の対応関係を論じます。それは、言い換えればシンハラ語には「係助詞」があり、その「係助詞」が動詞語尾を変形させるということです。印欧語族にそんなことは起こりえない。もっとはっきりといえば、名詞の語形は名詞そのものが屈折変化して「格」を成すもので、「助詞」を名詞の語尾に膠で貼り付けて「変化」したのではない。それなのに「疑問文解析Decomposing Questions」はシンハラ語の「助詞」が動詞の語形を変化させて―活用させて―「態」を作るとシンハラ語を読み解いているのです。

 カレーライスがシンハラ語に結びつくのは、私にとっては、まあ必然だったとしてもシンハラ語が日本語で読み解けるだなんてことを呟くのはバイアスのかかったやぶにらみか。戯言か。ブログでそう指摘する日本の読書家が居たけれど、比較言語学の世界では米国人の研究者が「シンハラ語にも係り結びがある」と指摘するようになっていたのです。

 シンハラ語は展開し不思議な変幻を見せるようになってきた。シンハラ語のある言い回しが「係り結び」として言語学の流儀で証明される。スリランカで日本語文法を意識しながらシンハラ語を話す私にとっては、こうしたタイプの言語研究が私流のシンハラ会話に随分と役立ってしまうのです。「シンハラ語は印欧語族の言語」などと題目を唱えていたらシンハラ語を話すことなんて私にはとても叶わなかった。印欧語族の文語文法でシンハラ語を使おうとしたらシンハラ語が難しすぎて学ぶ気なんてなくなります。でも、「係り結び」の日本語文法でシンハラ語を読み込むならやすやすと話せるようになってしまいます。

 最近は「シンハラ語って日本語と似ているんぢゃない?」という日本の人がぽちぽち現れて、批判精神旺盛な2チャンネルでさえ、揶揄まじりながらもシンハラ語と日本語の関連に話が飛び、シンハラ語は「印欧語の屈折が磨耗しまくり、かわりに日本語ばりの助詞助動詞が完備されて、なんと係り結びのようなものまである」なんて噂を振り回すようにもなりました。[注]2チャンが振りまくこの噂話はかかり結びを「おそらくタミル語起源」としているのですけど、それはそれで置いといて、ここまでシンハラ語に目を注いでくださると、嗚呼、信じられない。ホント、うれしい。

[注]2007/12/19(水) 23:53:49 0


 

 2005年前後からのシンハラ語論にはある方向性が定められるようになりました。日本語版ウィキペディアは以前、「日本語との関係は見とめられていない」という書き込みがあれていましたが、何時の間にか書き換えられて「言語体系が日本語に類似するとされている」に格上げ(?)されています。シンハラ語はウィキ的な庶民の味。シンハラ語のテイストは星一つ半ってところまで来たでしょうか。

 確かにこのところのシンハラ語熱は高くて、「シンハラ語」で検索する日本語サイトには6万に昇るホームページが紹介されています。
 スリランカではお隣同士の間柄だからここでタミル語の例を挙げるのですが、タミル語ヒットはGoogle検索で8万件ほど。高名な国語学者や、進歩的な大新聞や、日本の有料半国営テレビ局が総力を挙げてタミル語と日本語の関係を喧伝しまくったのに、たった「8万件!」なのです。
 シンハラ語は、残念だけど、そうした大手ジャーナリズムが手を出さず、輝かしいスポットライトに照らされるチャンスに恵まれなかった。それにもかかわらず、日本では地道に熱い目が注がれて、昨年からは広島の安田女子大学で正規の科目としてシンハラ語が扱われています。
 KhasyaReportで言えば『シンハラ語の話し方』(2005)は現在、『シンハラ語の話し方・増補改定』(2011)という新版になっています。このシンハラ語テキストの後に発刊された『日本語=シンハラ語小辞典』も非常に小部数ながら版を重ねて今もって取り扱い中です。
 なぜ、これらのシンハラ語本が長く売れ続けるのか。それはシンハラ語を日本語で覚えてしまうというこれまでにありえなかったシンハラ語のテキストだったからです。そして、それがなぜか、使えてしまうからです。


シンハラ語私記 目次

シンハラ語私記① インド・アーリア語族という神話。そして、シンハラ語。
シンハラ語私記② インド・アーリア語族という神話。そして、ニパータのこと。
シンハラ語私記③ 蓮の花を手に取って -シーギリの落書き-
シンハラ語私記④
シンハラ語私記⑤
シンハラ語私記⑥