QアンドA62-4
シンハラ語私記 5
「ない」は「ある」の否定語として作られた、とパーリ語では言うけれど…


 シンハラ語では打消しの「ない」をナハと言う。では、シンハラ語の形成に大いに貢献したパーリ語では「ない」をどう言う?…


No-62-5 2006-2-11 2008-03-27 2009-Mar-09 2015-May-24
 シンハラ語では打消しの「ない」をナハnaehaeනැහැと言う。ではシンハラ語の形成に大いに貢献したパーリ語では「ない」をどう言う?
 残念ながらパーリ語には「ない」がない。文末に「ない」は置かれないし、非打消し語の直後に「ない」は置かれない。パーリ語にはシンハラ語のような、ということは日本語のような「ない」がないのです。
 パーリ語の「ない」は非打消し語の前に置いたり、非打消し語の語頭に被せて非打消し語とリエゾンさせて一語のように扱ってしまうのです。だから、語末に「ない」を探すと何処にも現れず、探せないのです。
 大体、パーリ語の教本には打ち消しの項目がありません。散々パーリ語の影響を受けてきたはずのシンハラ語なのに、仏教伝来二千五百年もの長きに亘ってシンハラ語はパーリ語の支配下にあるのに、シンハラ語の打消し語はまったくパーリ語化しなかったのです。
 
 こうまでパーリ語はシンハラ語と異なる面を持つのですが、面白い一致もあります。「ない」は「ある」の否定語として作られたとパーリ語は言う。その「ない」の派生の理由がシンハラ語にも、日本語にも通じるのです。
 パーリ語では「アッティatthi
ある(存在する)」という動詞を打ち消して生まれたのが「ない」だと言うのです。アッティの前に打ち消しの接頭辞(副詞のna(否定)」を被せてna-atthi→natthiナティという語を作る。「ないnatthi」は「あるatthi」の派生語であるとパーリ語は言うのです。

 このパーリ語に発する「ナティ」の語源論はそのままにスリランカに伝わっています。
 スリランカで私が「シンハラ語の’ナェハェ’は日本語の’ない’とよく似ている」などと言おうものなら、憤りの目線で「ナェー!」と打ち消されます。シンハラ人にとっては、高貴なアーリアンの言語パーリの血脈を引くシンハラ語が、なにやら得体の知れない極東の日本語と同じである訳がない。同じであってはいけないのです。日本語は高貴なシンハラ語と似ているはずがないのです。

 シンハラ語はパーリ語から多大な影響を受けています。パーリ文化は古代のスリランカに荘厳な仏教の花を咲かせました。
 「シンハラ人の最後の王朝カンディ (キャンディ) 朝が成立して以降、シンハラ人の言語はパーリ語から発達したシンハラ語が優勢になった」などという歴史解説も生まれて来たりしました。その真偽はどうあれ、パーリ語とその文化はシンハラ人のアイデンティティーを築いているのです。

 しかし、大航海時代を経て西欧人とその文化が島にやってくると、西欧との従属関係が生まれました。ポルトガル、オランダがセイロンを植民地にした時代にはそれらの国の言語と文化が根を張り、英国の支配が始まると英語がこの島では一流の言語となりました。シンハラ語は底辺に追いやられました。
 シンハラ語が息を吹き返すのは第2次世界大戦後の1950年代、バンダーラナーヤカ政権の時です。アーリア神話に基づきシンハラ民族をアーリアとし、パーリ語に起源を持つ尊大な言語シンハラを復活させました。
 シンハラ語の復権は、それがパーリ語へ遡及し、サンスクリットの源流につながり、さらにそれが古代のアーリア人へつながる栄光の道を再び切り拓いたことになります。この神話がスリランカという島国にとって輝ける財産となったか、不毛の争いにすさぶブラックボックスとなったか。「ない」と「ある」を言葉として考えるとき、アイデンティティーのかたくなな素顔を見せつけらます。
  

シンハラ語私記
目次
シンハラ語
私記1
シンハラ語
私記2
シンハラ語
私記3
シンハラ語
私記4
シンハラ語
私記5
シンハラ語
私記6