インド・アーリア語族という神話。
そして、ニパータのこと。

シンハラ語私記② インド・アーリア語族という神話。そして、ニパータのこと。
シンハラ語質問箱 Sinhala QA62-2

2006-2-07 2015-May-20 2019-Feb-21



 インド古代の呪文ウェーダvedas。戦いのときの呪いの言葉。あるいは、「神々の言語」。完成された齟齬のない言葉。それがサンスクリット…

 

シンハラ語と日本語はまったく所縁のない言語

 インド古代の呪文ウェーダvedas。戦いのときの呪いの言葉。あるいは、「神々の言語」。完成された齟齬のない言葉。それがサンスクリット。
 完璧な言葉サンスクリット。その言葉の中に文法を見出したのがパーニニ。呪文を唱えるときに用いる言語はサンスクリットと呼ばれ、パーニニによって文法が体系付けられ、古代インド国家の公用語、言い換えれば文語になってゆきます。
 サンスクリットは18世紀にギリシャ語、ラテン語との共通性が指摘されて、ここから欧州の諸言語の起源もサンスクリットに求められてゆきました。こうして欧州の諸語とインド諸語がインド・ヨーロッパ語族としてまとめられてゆきます。シンハラ語もそのインド・ヨーロッパ語族のひとつに数えられています。

 パーニニが確立したサンスクリット文法。インドに生まれた神々の聖なる言語は時代が下るとその文法ルールが緩み、文法の崩れを起こします。サンスクリット文法は変形し俗化してインド諸語に散らばり、それらの俗化したサンスクリットをプラークリットと呼びます。パーリ語、マーガディ語などがプラークリットの言語です。

 パーリ語は聖なる仏典に記された文語です。スリランカに伝えられた仏教はパーリ語で語られています。パーリ語がシンハラ語に与えた影響は計り知れないものがあります。
 パーリ語もサンスクリットと同じく「神々の言語」ですが、日常茶飯のシンハラ人の話す単語にもその影響があるように思えます。
 例えばパーリ語の動詞「行く」の語根ya-はシンハラ語のヤナワyanavaの語根ヤya-と同じです。こうした基本動詞にパーリ語との共通性が伺える例はありますが、明らかにパーリ語としてシンハラ語の世界に組み入れられたのは仏教用語か高級な文化語に限られます。

 四谷でスリランカ料理店を開いていた時、店名のTOMOCAトモカに「ボージャーナサーラーワභෝජනශාලාව 」と添え書きを加えたことがあります。そうしたら「そんな硬苦しい高級料理店の名よりホータレහෝටල」の方がいい、と食事にこられたシンハラ人に真顔で言われました。
 ボージャーナは食事のこと、サーラーワは堂のこと。どちらもパーリ語起源の単語です。一方のホータレは英語のホテルが語源で、スリランカでは「軽食と喫茶」を提供するお店のことです。
 ボージャーナ・サーラーワは高級料理店。そうか、トモカTOMOCAは高級じゃないか、とちょっぴり沈んだのですが、そもそも山里や漁村の土間で煮炊きする料理を皆さんに提供しているのだから「高級料理店」はおかしい。パーリ語は「実に高級であるぞ」というイメージを創出する単語の貯蔵庫なのです。

 「トモカの料理は田舎の人の普通の料理だからホータレがいい。店だって小さいし」
 英語のホテルがシンハラ語化したホータレの方が馴染みやすい。ホータレなら肩も張らずに右手の三本の指を使って飯が食える。常連のシンハラ人は「ホータレのトモカがいい」と何度も言うのです。パーリ語ってシンハラ人には敷居が高いよそ行き言葉だったんだと、この時、察しました。

 パーリ語は深くシンハラ語に浸透しているという常識も、シンハラ語の基礎はパーリ語にあるというシンハラ語教本の説明も、この時からうすっぺらに感じるようになりました。
 そういえば、パーリ文法はシンハラ語とぜんぜん馴染まない。そもそも、パーリ語は普通のシンハラ人には呪文としてしか聞こえていません。
 ブッダン・サラナン・ガッチャーミィ(私は仏に帰依します)のパーリ語帰依文は仏教徒のシンハラ人なら誰でも子供の時に覚えさせられますから、誰もが戦前の日本人が暗唱する教育勅語のようにすらすらとソラで読めます。ただし、シンハラ人にその帰依文を文法的に解釈してくださいと言ってもそれは無理。ジュゲム式に覚えているだけですから。
 
ブッダン      サラナン       ガ-ッチャ-ミィ
 
仏陀を/男・単数・対格 庇護を/中性・単数・対格 我は行く/1人称単数動詞

 この帰依文はシンハラ人には明らかな外国語です。
 「仏を/帰依を/我は行く」とパーリ文に忠実に訳したら日本語では通じない。また、シンハラ語でも通じない。
 ガッチャーミィが一人称単数を表す動詞だから、その意味は「行く」ではなくて「私は行く」だとして、そして、これはシンハラ文語にも通じるとして、これを「私はブッダという帰依処に行きます」と文訳するのは苦しい。
 シンハラ語には対格主語と与格主語という変則的な文法現象があって、また、これこそがシンハラ語のシンハラ語たる所以、最もシンハラ語らしい言い回しを作ります。でも、この帰依文に見られる二重対格文はシンハラ語の文法力を越えています。シンハラ文法ではこのパーリ文が読めません。

手紙もメールも文語なんて使わない

 シンハラ語はパーリ語と同じ文法用語を使って文を説明します。
 例えばニパータ・パダというパーリ語の文法用語があります。この用語はシンハラ語にもあります。
 ニパータ・パダは「不変化語」という意味です。語形変化しない語(辞)ということです。
 ニパータ・パダは簡単に「ニパータ」と呼ばれます。シンハラ語はこのニパータと呼ぶ接尾辞を単語につけて単語をつなぎ、文を作ります。ニパータは日本語の助詞と同じ役割を果たしているのです。
 ところが、パーリ語の文法で扱うニパータは助詞とは別物です。接頭辞、副詞、接続詞などをまとめてニパータと呼びます。ニパータは語形変化しない単語や辞の総称ですが、そこに集められる単語と辞がシンハラ語とパーリ語ではちょっと異なっているのです。
 シンハラ語は日本語で言う助詞をニパータに含めています。しかし、パーリ語に助詞はありません。サンスクリットにもありません。

 シンハラ語はニパータと呼ばれる助詞を名詞の後に付けたり、活用させた動詞の後につけて単語をつなぎ文を作り膨らませていきます。名詞や動詞の単語そのものを語尾変化(屈折)させて文をつなぐパーリ語とはまったく異なる構文の方法です。
「文は単語の語尾変化によって構成される」と最初にサンスクリット構文を規定したパーニニの文法がその後のインド諸語の文法理論を決定づけました。
 単語の語尾を変化させて文をつなぐということは、言い換えれば「助詞の存在を認めない」ことです。シンハラ語もこの理論に従ってシンハラ文語を作りました。しかし、助詞を持つシンハラ語は、特に口語では、無理が生じてしまった。

 サンスクリットやパーリ語を学ぶと、名詞や動詞の語形が人称・数・性で変化(屈折)するのを丸暗記しなければならず、やたらに面妖な文語文法規則が立ちはだかり、随分と苦労させられるものです。これでシンハラ語学習の熱がいっぺんで冷めてしまいます。シンハラ語の学習も文語に偏ってしまえばそれと同じ苦労が強いられます。
 私はその苦労をまったく知らないでシンハラ語を覚えました。朝市と家の土間でシンハラ語を聴き、話して身についてしまったものだから、教科書と教師からシンハラ語を学ぶ皆さんの苦労が最初、とんと分かりませんでした。
 私のシンハラ語の先生は市場の兄ちゃんや土間で煮炊きするおばあちゃん。普通の人々が話すシンハラ語には文語的な名詞の屈折、動詞の変化などありはしない。
 シンハラ人でさえ、文語文法を学習するのは大学受験の生徒だけです。そんなの日常使わないとわかっていても受験科目だから勉強する。それだけです。私にしてみれば、話し言葉のシンハラ語は日常にあふれているので、殆ど日本語の感覚で身に付くものでした。

 シンハラ語の手紙文は文語規則で書かれるのだそうです。でも、私の場合、殆ど口語のままでシンハラ語を書くシンハラ人ばかりから手紙をもらっていました。せいぜい、手紙文の最後で「敬具」にあたるような定例の言い回しを書き添えるとき「オバ・ヒタワミඔබ හිතවමි 」のように動詞ヒタナワ හිතනවා の語尾が「ナワ/-නවා 」から「ミ/-මි 」に転じるという文語ルールが現れます。そこにどんな文法ルールがあるかといえば何も意味はない。単に決まり文句の習慣です。それより、話しているときには「ママ(私)」なんて一人称を使ったことのない人が手紙ではやたらと「ママ(私)」を使う、なんでだろ?という印象が残ってしまいます。

 動詞語尾を[i]音で終わらせるとその文の主語は一人称であるという文語文法ルールを後でシンハラ語教本(スリランカの大学受験用参考書)で知った時、それなら主語に「ママ」を入れなくてもいいのに、と理屈っぽく考えるようになったのは受験参考書のせいです。
 パーリ語では動詞語尾が主語の人称を決定するので主語は要らない。ブッダン・サラナン・ガッチャ-ミィに主語の「私」がないのはそうした理由です。それなのにシンハラ人は動詞語尾に主語の人称を表して尚、文の先頭に「ママ」を駄目押しで書き入れる。

 マーティン・ウィクラマシンハの『マドゥル・ドゥワ(泥の島)』という子供向けの小説は一人称口語体の語りです。文末の動詞は活用部分が「イ/-yi」音で終わります。これ、何か文語っぽいかも。
 同じ作家の『ウィーラガヤ(無欲という欲望)』という難解小説(と友人のシンハラ人たちはこぞって言う)でも一人称口語体のような文が、形式だけの文語体で書かれています。
 

どうしてもパーリ語的になれない

 こうしてパーリ語を装ってみたシンハラ語なのですが、どうしてもパーリ語になれない。名詞の屈折や動詞の語尾変化のことではありません。先に触れたニパータが存在するからです。
 日本語でシンハラ語を学ばれた方はニパータのことを御存知ないでしょう。シンハラ語で書かれたシンハラ語教科書にはニパータが紹介されているのですが、日本のシンハラ語学習書には2005年6月に至るまでニパータが登場しなかったからです。

 なぜかニパータが外れている。なぜかニパータが外された? どうして?
 次のことが考えられます。
 英語で書かれたシンハラ語教本にはニパータが紹介されていないのです。だから、英語でシンハラ語文法を学んだらニパータを知りません。
 シンハラ語で書かれたシンハラ語教科書にはニパータの一群が紹介されて、その使い方が事細かに例示されているのに英語で書かれた教科書にはそれがない。

[注]
   英語で書かれたグナセーナ社のシンハラ語テキストではニパータをPreposition前置詞として紹介して、そこに小さくニパータ・パダとシンハラ文字を入れたものがあります。でも、これは例外中の例外です。英語で書かれたシンハラ語テキストですが、その読者はシンハラ語のできないシンハラ人でした。
 そのテキストが発行されたのは、例の悪法名高いシンハラ・オンリー政策が施行され、シンハラ語が出来なければ公務員に登用されない時代でした。英語で暮らしてきたシンハラ人はあわててシンハラ語を学びだし、タミル人は公職から追放される危ない時代でした。第2次大戦後に独立して8年後の1956年、シンハラ語公用語化政策をSWRDバンダーラナーヤカが推し進めたときのことです。

 

 名詞が語形変化して格を作り主格や対格を作る。動詞も主語に合わせて語形変化する。そういう文法構造を持たなくてはシンハラ語がインド・アーリア語族に加われない。延いてはシンハラ人がアーリア人の仲間に入れない。シンハラ語にあるシンハラ語特有のニパータ、助詞の役割を果たすニパータの存在がシンハラ人の自己同一性を壊し、民族の神話を瓦解させてしまうのです。小さな蟻が象を倒すように。
 アーリア神話に今もこだわり続けるならば、パーニニの文語文法の魔力に今も絡まれているなら、むしろそのことが生き生きとした現代のシンハラ語を瓦解させてしまいかねないのかも。
  


シンハラ語私記 目次

シンハラ語私記1
シンハラ語私記2
シンハラ語私記3
シンハラ語私記4
シンハラ語私記5
シンハラ語私記6