Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
交遊編大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔交遊編〕大田南畝関係
(大田南畝、あるいは大田直次郎として交遊のあった人)
【い】※◯は欠字、◎は表示不能文字
交遊詞書・漢詩・狂歌出典巻・頁年月日
いいだ
きんじゅうろう
飯田 金十郎
「市場村のやどのあるじ飯田氏の母八十二歳のよはひをことぶきて
 せんねんとかぎりつるみもまんぢうの米にひかれてよろづ代やへん」
玉川余波②142文化6年
1809/03/12
いいだ めいよう
飯田 茗陽
「冬夜、杉浦統総仲と飯田茗陽に過飲し、初めて大窪行天民を見る
 誤随塵俗把牙籌 已落人間第二流 燈火新知兼旧識 一宵歓謔散千憂」
南畝集16
漢詩番号2971
⑤42文化3年
1806/12/
「文化戊辰五月七日同飯田氏父子観〈鑑賞書画目録あり〉
戊辰五月廿七日重て青木氏久右衛門所蔵の古書画を見る事を得たり。谷文晁文五郎、飯田氏とゝもに(後略)」
一話一言
巻28~9
⑭59
⑭127
文化5年
1808/05/07
同05/27
「飯田政茗陽の席上、会々梅霖晴る 青苔蝕石緑陰濃 啜茗薫風勝酒錘 満目浮雲連日雨 総団天末作奇峰」南畝集16
漢詩番号3181
⑤105文化5年
1808/06/
「青木氏所蔵書画目 文化戊辰五月七日同飯田氏父子観〈鑑賞書画目録あり〉
同観者飯田茗陽、以今歳仲冬初四逝、亦是雲烟過眼 文化己巳季冬九日夜灯火書」
〈文化六年十二月四日逝去〉
一話一言
巻29
⑭142文化6年
1809/12/09
いいやまこう
飯山侯
本多豊後守助受
「立春、飯山侯の宴に侍す 瓊筵杯酒接芳塵 況復風光遇立春 帝鑑殿中端笏日 軒軒霞挙是何人」南畝集6
漢詩番号1231
③423天明4年
1784/12/25
「秋夜、観濤楼に飯山侯の浪華城に加衛するを送り奉る【侯邸在大樹王山南】
 千騎東方一使君 征途遥向浪華分 王山曙色辞朱邸 品海秋風送白雲 雄鎮時平人自化 高筵客満酒将醺
 今宵共餞観濤閣 把筆慙無七発文」
南畝集6
漢詩番号1282
③440天明5年
1785/07/
いかい
意戒(藤原豊季)
「讃岐意戒君より【讃岐意戒君 参議従三位兼右近衛権中将藤原豊季卿。字伯明、一字元腆、号楽志堂】 短冊をたまはりけるをみれば
「戯に蜀山道人ぇよせ侍る 元腆」
 みやこまで其名の高き不二の山ゆきみゆることならぬしむきさ
 御返し みやこまで蜀山兀(ゴツ)と安房〈アホウ〉なる名さへ高田の不二もはづかし
 又さぬきの意戒君のもとへ 玉藻よき讃岐円座をたまはりてうれしき嶋の道の面目」
六々集②236文化12年
1815/03/
いくの うんけい
生野 雲卿
「生野【世竜】雲卿の原韻を次せらるゝを畳和す
 二百年来四海閑 風波不起九州間 大邦藩任才賢足 神秀一鍾封内山
 其二 想見平居小隊閑 優游月下与花間 詠帰堂上多詩草 攬結雲霞処々山
 其三 客舎郷園如等閑 看過光景一年間 思帰函谷関中地 惜別瓊津浦上山」
南畝集15
漢詩番号2742
2743・2744
④404文化2年
1805/09/
いけい
懿卿
「冬夜、安子潤宅に子穆・懿卿と同じく賦す。韻を限る
 閑庭猟猟晩風過 寒漏沈沈夜色多 秉燭同遊人所羨 樽前何処不高歌」
〈0582・0583省略、安子潤参照〉
南畝集4
漢詩番号0581
③204安永7年
1778/10/
いけがみ たろえもん
池上 太郎右衛門
「大師河原村の名主池上太郎右衛門が家にて蜂竜の盃をみる。折から庭に牡丹の花さけり
 蜂竜の盃とりて差向ふ庭にも花の底深み草
 あるじは水鳥記にみえし池上太郎右衛門尉底深が子孫なればなり。もし雅筵酔狂集の類ならば、花底山峰遠跈人の句にもかよふべし」
〈大師河原村名主、池上太郎右衛門幸広(大蛇丸底深)〉
玉川余波②141文化6年
1809/03/10
いけだ
池田君
「鳥越池田君の七十の賀に 万代の池田の亀に千年のつるの鳥越古来まれなり」
〈五代目鴨方藩主・池田政直。当時は隠居。浅草鳥越は上屋敷〉
六々集②223文化12年
1815/01/
いけだ
池田氏
「若狭小浜を領し給ふ讃岐のかうのとのゝみうちに池田氏に
 若狭路にあらねど年のよる事はのち瀬の山の酒をしゐ柴」
〈若狭小浜藩の家臣か〉
六々集②224文化12年
1815/01/
いけだ かんざん
池田 冠山
「五日前一夕、蜷川君・伴君度と同じく松平君【縫殿頭】の閣に集ふ
 滄海帆檣列若林 飛楼縹緲坐蒼陰 人間五日当明月 老大徒生競渡心」
〈鳥取藩の支藩・若桜藩の第五代藩主、松平縫殿頭定常、池田冠山〉
南畝集18
漢詩番号3631
⑤241文化9年
1812/05/04
「鉄砲洲松平縫殿頭のたかどのにて 鉄砲洲うちいでてみれば山の手のかくもはづれしたまたまの海」放歌集②189
「犀淵【冠山老侯の嘱の為にす】 欲探犀淵勝 行尋猪水頭 高田聴響入 曲岸激清流」
「吉原【同上】 路柳過三曲 墻花満五街 艶歌争媚態 私語寄幽懐 不解機関意 腐儒何所牽 寂々読書斎」
〈下落合の犀ヶ淵〉
南畝集20
漢詩番号4538-9
⑤501文政3年
1820/04/
いざわ らんけん
伊沢 蘭軒
 伊沢蘭軒 (別資料)
いしい
石井
「石井氏の会計の吏に擢んでらるるを賀す
 大府多年試吏才 今朝新見擢良材 与君昔日同行伍 更喜双飛集一台」
南畝集13
漢詩番号2393
④292享和3
1803/12/
「元日、石井氏に一鳬を寄す 葉県王喬舄 下従元日朝 賀君越階級 聊代裊羮調」南畝集14
漢詩番号2405
④301享和4年
1804/01/01
いしい いちろえもん
石居 市郎右衛門
(大蔵村)
「菅苅の庄鎌田村の地蔵寺の古瓦二ツまで、大蔵村のあるじの贈りければ
 真菅かる鎌田のさとの古寺の瓦しみればむかしおもほゆ」
〈大蔵村のあるじとは名主の石居市郎右衛門。東覚山地蔵寺吉祥院、当時は無住〉
玉川余波②138文化6年
1809/03/04
いしい しほう
石井子彭 (石井蠡)
「春日、岡田忠卿・伴忠順・石井子彭・赤松大経・磯田仲馨と同じく服右父の信古堂に集ふ
 (詩は省略、交遊編の「交遊」参照)」
南畝集6
漢詩番号1071
杏園詩集
③370

⑥65
天明2年
1782/02/23
いしい かくざん
石井 鶴山
 石井鶴山 (別資料)(石井仲車)
いしかわ たいろう
石川 大浪
 石川大浪 (別資料)
いしかわ どうぜん
石川 道全
「石川◯道全の寄せらるるの韻を和答す
 我於千古得三人 屈指蒙恬与蔡倫 更有杜康交不浅 宦遊聊寄百年身」
南畝集15
漢詩番号2741
④401文化2年
1805/閏08/
いしかわ まさもち
石川 雅望
 石川雅望 (別資料) (宿屋飯盛・六樹園・子相)
いしかわ りょうひつ
石川 良弼
 石川良弼 (別資料)
いしざき ゆうし
石崎 融思
「石崎融思が山水を画けるに題す 風帆帰去入冥々 廻合江天列翠屛 樹背寒鴉千万点 波心落日一孤亭」南畝集18
漢詩番号3705
⑤263文化2年
1805/閏08/
「崎陽の石崎融思の画梅を贈るに酬ゆ
 三元風色絶紛華 日観嶺西隠士家 未折一枝労駅使
【融思の庭前の梅、元日に一花を開くと聞く、故に爾云ふ】」
南畝集20
漢詩番号4364
⑤451文化15年
1818/04/
いしい
石井
「石井氏の会計吏に擢んでらるゝを賀す
 大府多年試吏才 今朝新見擢良材 与君昔日同行伍 更喜双飛集一台」
南畝集13
漢詩番号2393
④292享和3年
1803/12/
「元日、石井氏に一鳧を寄す 葉県王喬舄 下従元日朝 賀君越階級 柳代裊羮調」南畝集14
漢詩番号2405
④301文化1年
1804/01/01
いしつくり しかん
石作 士幹
「尾陽の岡田挺之・磯谷正卿・石作士幹の「莫逆編」を読みて三君に呈す
 上国詞臣鬱若林 就中芳躅有誰尋 三人共作同盟約 千里遙知莫逆心 欲和高歌慚下調 時将佳句写鳴琴
 精光互奪叢雲剣 不但双竜共一吟」
南畝集5
漢詩番号0905
③312安永10年
1781/08/
いしとく
伊子徳
「立春、伊予徳過らる。共に墨水の春を酌む
 酔裏清談対故人 風光更入旧年新 非関太史伝時令 別有青樽墨水春」 〈墨水春は酒名〉
南畝集7
漢詩番号1395
③481天明7年
1787/12/29
「春日、伊子徳と同じく郊行して一塾師に過る 草青青甸外 花白白山間 中有幽棲士 児童日往還」南畝集7
漢詩番号1440
③497天明8年
1788/03/
「正月二日、伊子徳に過飲す
 率意携児女 閑行訪主人 主人未帰舎 家人留客頻 焚魚且勧酒 児女亦能馴 主人従外来 相対共欣欣
 黄鳥出幽谷 早梅逐上春 春光及万物 吾自愛良辰 陶然醒復酔 疑是葛天民
南畝集8
漢詩番号1498
④3寛政1年
1789/01/02
いしばし
石橋(石橋蘆州?)
「春日、大橋・田中二子と同じく深川の養老亭に宴す。石橋生・狩探信・木芙蓉坐に在り。歌妓阿勝・阿琴酒を佐く」 〈詩は「養老亭」参照〉南畝集19
漢詩番号3959
3960・3961
⑤337文化12年
1815/01/
「深川養老亭に酒のみけるにちかきわたりの石橋蘆州のもとへよみてつかはしける
 あらかねの土橋にきても石橋のはしをわたせし人ぞ恋しき
かくよみてつかはしければ発句、いざゝらば弥生かつをの箸とらん、やがて来て酒のみけり」
六々集②234文化12年
1815/03/
いしばし
すけざえもん
石橋 助左衛門
「紅毛大通詞石橋氏餞別 阿蘭陀も花に来にけり馬に鞍をきなの句にもみえし道中」をみなへし②22文化5年?
1808/03/?
いしばし ろしゅう
石橋 芦舟
「深川養老亭に酒のみけるにちかきわたりの石橋蘆州のもとへよみてつかはしける
 あらかねの土橋にきても石橋のはしをわたせし人ぞ恋しき
かくよみてつかはしければ発句、いざゝらば弥生かつをの箸とらん、やがて来て酒のみけり」
六々集②234文化12年
1815/03/
いしはた しろべえ
石渡 四郎兵衛
「同じ村(稲荷新田)年寄四郎兵衛は、むかし水鳥記にみえし名も四郎兵衛の孫なり。かの松原にて盃を墨にそめて酒合戦せし事を思ふ
 四郎兵衛がくろく染たる盃もながれてはやき春の水鳥」
玉川余波②140文化12年
1815/03/09
いしはた
まござえもん
石渡 孫左衛門
「稲荷新田の農家孫左衛門【石渡氏】が門に一本のまつあり。其木地に蟠りて竜のごとし。其祖父名づけて末広松といふ
 春ごとに一しほふかき色そへてさかゆく末もひろき松陰」
〈『調布日記』文化六年一月十日記事に「稲荷新田の百姓代石渡(ハタ)孫左衛門」とあり〉
玉川余波②127文化6年
1809/02/04
いずみ こうへい
泉 公平
「遙かに泉公平の清暉斎に題す 元暉山水含清暉 流蕩清暉映翠微 客歳曾過東海道 三河風色記依稀」南畝集13
漢詩番号2196
④237享和2年
1802/11/
「吉田駅に泉公平の韻を次ぐ 宦遊千里向東回 旧友迎人勧一盃 野店山橋催短景 暫時懐抱為君開」南畝集15
漢詩番号2826
小春紀行附録
④427
⑨98
文化2年
1805/11/11
いずみ ほうしゅう
泉 豊洲
「竹酔日、菊池元習博甫、邀へて舟を墨水に泛ぶ。泉長達・榊原敬文子礼・大沼典伯経と同じく賦す
 竹酔薫風粉欲飛 飄然一葉向臨圻 杖響鴬谷牛門外 艤棹竜山墨水磯 酒饌尋常逢著喫 生涯六十看来稀
 百年歌詠百人妓 康海九原誰与帰」
南畝集16
漢詩番号3172
⑤102文化5年
1808/05/13
いずみや よしろう
いずみや 与四郎
「いづみや与四郎浪花にかへる餞別
 なには江のあしたはよしやよしさんの声のみ耳にのこる秋風」
放歌集②204文化9年
1812/10/
いせでん
伊勢伝
「新橋伊勢伝書画帖序
 この比世に名だたる人々の書画のふたつもじ牛の角文字、いせ伝がふるきをたづねてあたらしき橋のたもとに、雨にきる合羽の袖たゝみかさねつゝ(中略)
 あたり近き薬品の味をなめて、柳原のいとぐちをとく事しかり」
七々集②275文化12年
1815/11/
「伊勢伝のもとより鴨の毛をいれたる茵(シトネ)をおくりけるに
 へりとりのみつ蒲団より水とりの鴨の毳(ニコゲ)にしくものぞなき
 今ぞしる毳をきたる仙人の錦の茵いらぬものとは」
紅梅集②354文政1年
1818/10/
「神風のいせ伝は、はし鷹のゑとりやしきの、ふるきをたづねて、あたらし橋のほとりにすめり。つとにおき、よはにいね、その家の業におこたりなきをたゝえて
 ざうしがやせんだ木のむら雀すずめの千声鷹の一こゑ」
あやめ草②93文政4年
1821/12?
「いせ伝のもとより、蕙斎が画がける料理通のさし画の賛をこふ
 蝶や夢鴬いかが八百善が料理通にてみたやうな顔」
あやめ草②100文政5年
1822/03/
いせや きゅうえもん
伊勢屋 久右衛門
「浅草庵剃髪を祝して 〔欄外 浅草東仲町いせや久右衛門〕
 あらためて浅草のりの道にいる東仲町もとの市人」
七々集
万紫千紅
②249
①284
文化12年
1815/08/
いせや ちょうべえ
伊勢屋 長兵衛
 伊勢屋長兵衛 (別資料) (糟丘亭・佐脇長兵衛)
いせん
伊川生
「春分節、馬田国瑞・順宣師と同じく円珠庵に集ふ。伊川生酒饌を携ふ【庵に契沖阿闍梨の墓あり】
 客舎辞塵境 円珠訪草庵 桃花連郭外 苔逕入城南 景美春分節 心清酔後談 沖公碑自古 欽慕望煙嵐」
南畝集12
漢詩番号2105
④203享和2年
1802/02/20
いそたに そうしゅう
磯谷 滄洲
 磯谷滄洲 (別資料) (正卿)
いそだ しこう
磯田子光(仲馨)
「春日、山田宗俊・服右父・田仲馨・伴忠順・木子荘・滕言卿と同じく岡田忠卿に集ふ
 (詩は省略、交遊編の「交遊」参照)」
南畝集6
漢詩番号1065
③368天明2年
1782/01/29
「岡田忠卿の詩会なり。服右父・磯田子光・山田宗俊・(中神)忠順と同に詩を賦す」三春行楽記⑧34
「春日、岡田忠卿・伴忠順・石井子彭・赤松大経・磯田仲馨と同じく服右父の信古堂に集ふ
 (詩は省略、交遊編の「交遊」参照)」
南畝集6
杏園詩集巻2
三春行楽記
漢詩番号1071
③36
⑥65
⑧36
天明2年
1782/02/23
いそうろう
渭滄浪
「渭滄浪の京に入るを送る
 渭滄浪の客京都に向ふ 通者青々月代(サカヤキ)殊なり 君に勧む能く一杯の贅(ムダ)を謂へ 西の方箱根を出ては野暮多からん」
壇那山人藝舎集①472天明4年
1784/
いちあどうじん
一阿道人
(岡部四溟)参照
「春日、一阿道人の懐ひを見はすを和す【岡公修、披剃して一阿道人と号し、入間郡水子邑の禅住庵に住す】
 牛門盃酒旧相携 処々春風桃李蹊 愧我折腰甘薄宦 羨君逃世在幽棲」
〈『半日閑話』巻9に岡公修の伝記「素観道人伝」(⑪267)有り〉
南畝集6
漢詩番号1256
③433天明5年
1785/03/
いちかわ かんさい
市河 寛斎
 市河寛斎 (別資料) (河世寧)
いちかわ べいあん
市河 米庵
「八月十四夜、河 世寧 寛斎・三亥 米庵・冢 遜 印南・木 万彦 花禅・藤 守重 正斎・楽閑叟・井 玖 子瓊・西 瑚 子璉・建 広載 釣伯、過りて集ふ
 林霏乍散雨余雲 予卜中秋酒半醺 莫道桂花開未満 々楼華月為諸君」
南畝集18
漢詩番号3663
⑤250文化9年
1812/08/14 11
「市河 三亥 米庵の新居の宴集 即是米家書画船 先移拝石立堦前 小春時節好天気 煖屋宜開詩酒筵」南畝集19
漢詩番号4094
⑤373
いちじくし
一熟師
「春日、伊子徳と同じく郊行して一塾師に過る
 草青青甸外 花白白山間 中有幽棲士 児童日往還」
南畝集7
漢詩番号1440
③479天明5年
1785/03/
いちた
市田
「市田氏の藝州に還るを送り、兼ねて頼千秋、千祺に呈す
 海天厳島彩雲高 帰去郷園万里涛 伝語頼家二兄弟 十年猶似酔醇醪」
南畝集19
漢詩番号4037
⑤358文化12年
1815/04/
いちはし ながあき
市橋 長昭
(仁正寺藩主)
 市橋長昭 (別資料)
いちまる
こんやちょう
紺屋町 一丸
 紺屋町一丸 (別資料)
いっこてい
一壺亭
 一壷亭 (別資料) (安子潤)
いつさい
逸斎
「観蓮節。逸斎、諸子を邀へて篠池の酒楼に宴す
 十里香風聴芰荷 紅衣緑篠媚清波 卯時豪飲期辰会 丙穴嘉名去乙多 小葉屈茎亀出曝 軽糸雪藕鳥来和
 白頭計吏偸余暇 共倚旗亭一放歌」

「篠池の酒楼 飯将荷葉換胡麻 即是仙家即酒家 十里芙蓉五里霧 軒々一作天台霞」
南畝集18
漢詩番号3902-3
⑤317文化11年
1814/06/24
いっしそう 一枝巣
(吉見儀助・紀定丸)
「吉義方の一枝巣に題す
 小楼新築近西郊 風竹雲松払露梢 鴻鵠寧無千里志 鷦鷯応託一枝巣 赤根坂上思丹竈 清泰原頭望白茅
 此地当年棲道士 煙霞好結列仙交」

〈南畝の甥・吉見儀助、狂歌名・紀定丸〉
南畝集8
漢詩番号1706
④74寛政2年
1790/09/
いっちゅうかん
一柱館
 一柱館 (間島守雌) (別資料)
いとう
伊東(三河・吉田)
「(吉田駅に)伊東生に和す 政理曾伝有美声 今年一過吉田城 淳樸可称郷里俗 正観十五国風清」南畝集15
漢詩番号2827
小春紀行附録
④428
⑨98
文化2年
1805/11/11
いとう
伊藤
「上巳後一日、布施・伊藤諸子過らる
 昨日流觴終曲水 今宵秉燭酔貧家 主人已入華胥去 佳客吹簫鳥弄花」〈華胥は昼寝〉
南畝集16
漢詩番号3047
⑤65文化4年
1807/03/04
いとう
伊藤
「十月初三、伊藤氏(二字欠)の約有り。風雨に果さず。此を賦して附寄す
 深巷幽居探韻期 満天風雨漲蓮池 籃輿欲学陶家趣 無一門生与二児」
南畝集17
漢詩番号3423
⑤179文化7年
1810/10/03
いながき けいめい
稲垣 恵明
「十日、岡公修・稲垣恵明・大久君節・井伯秀と同じく竜隠庵に集ふ。歓字を得たり
 (詩は省略、交遊編の「交遊」参照)」)
南畝集1
漢詩番号0125
③41明和9年
1780/09/10
「春日、石仲車、邀へて麹坊の鶴巣楼に飲す。赤崎彦礼・稲垣恵明・爽鳩子允・萩野求之・馬景徳・辺道壱・岡故完・原子文・井子瓊・鈴一貫・春菶仲と同じく賦して佳字を得たり(南畝集7)
天明八年戊申二月廿一日、鶴巣亭に集ひ、韻を分かつ(遊娯詩草)
 共酔城西第一街 旗亭春色興愈佳 鶴巣自倚青松樹 魚藻誰歌碧水涯 坐上真遊無俗物 杯中勝地引吾儕
 四愁曾擬張平子 此日偏堪慰所懐」
南畝集7
遊娯詩草
漢詩番号1417
⑥295
③491
天明8年
1788/02/21
「春雪、佐賀書記石井仲車、麹街の鶴巣楼に邀飲す。頼千秋・樺公礼・関叔成・爽鳩子胤・稲垣恵明・西川子璉・井子瓊・源博甫・馬景徳と同じく賦す
 千里山河淡水交 東西未必歎懸匏 斗間神物高竜気 松下仙遊倚鶴巣 道送麹車多美酒 楼移厨伝命嘉肴
 酔来極目城門外 春雪霏霏散近郊」
南畝集8
杏園詩集続編
漢詩番号1591
④36
⑥91
寛政2年
1790/02/
いなげ おくざん
稲毛 屋山
「万八楼の宴集。稲毛屋山翁の六十を寿す 九老群仙共拍肩 添籌海屋屋山前 此楼別有嘉名在 何啻霊椿万八千」南畝集19
漢詩番号4055
⑤362文化12年
1815/05/
いなば
稲葉 (御徒頭)
「冬日、元帥稲葉君に侍して坐して経を講ず
 明時何必問升沈 為感元戎眷遇深 一道紅塵通虎観 高堂瑞気満鳥林 賦詩唯慕国風美 講易寧知天地心
 二十七年充隊伍 差将華髪学青衿」
南畝集9
漢詩番号1775
④101寛政3年
1791/12/
「歩兵帥稲葉公の挽詞
 出身中直列群仙 更帥徒兵十七年 令熟三申明約束 時平一隊共周旋 浮雲惨憺旄頭落 冷露依稀薤上偏
 相馬旧曾忝顧眄 欲歌哀挽不成篇」

〈⑳131「御徒頭稲葉通済三月二十八日没『寛政譜』」〉
南畝集9
漢詩番号1786
④105寛政4年
1792/03/28
いぬづか いんなん
犬塚 印南
 犬塚 印南 (別資料) (冢印南)
いのうえ
井上
「井上氏の手づからつくれる菊を贈らる
 霜月の下着の黄菊白菊ははや諸太夫のしるしなるべし」
あやめ草②93文政4年
1821/11/
いのうえ きんが
井上 金峨
「芙蓉館に井金峨先生の詩を講ずるを聞く
 十年離索憶当時 儒雅名流復有誰 躋寿館中曾奪席 忘帰亭上数題詩 風移北海諸侯国 誉起東方一世師
 今日聞君論四始 非唯匡鼎解人頤

【金峨曾て書を神田躋寿館に講ず、又東叡王門に遊びて教を奉じ、忘帰亭の記を作る】」
南畝集5
漢詩番号0913
杏園詩集二
③314
⑥61
安永10年
1781/02/
「夏日、芙蓉館に過りて金峨山人と同じく賦して涼字を得たり
 積雨新晴晩気涼 談清玉露灑華堂 階前坐挙杯中物 忽吐松間月出光」
南畝集5
漢詩番号0947
③324天明1年
1781/05/
「芙蓉館に金峨上人に贈る 春風吹雨送軽雷 堂上高歓尽酒杯 酔後論文移白日 満天雲霧為君開」南畝集6
漢詩番号1090
③376天明2年
1782/03/
いのうえ げんり
井上玄里
 井上玄里 (別資料) (井玄里)
いのうえ さたゆう
井上 左大夫
「初冬、井上氏に宴す 赤坂風霜楓葉丹 老来聊尽片時歓 主人火器伝家伎 四海安危在一丸」南畝集16
漢詩番号3100
⑤82文化4年
1807/10/
「先鋒兼火器長井上氏の海辺を巡視するを送る
 知君逸気最称奇 不似文恬与武煕 沿海議論紆画策 能将肝胆報明時」
南畝集16
漢詩番号3106
⑤82
いのうえ しぞん
井上 子存
「早春、芙蓉館に井子存の寄せらるるを和す。子存、故金峨先生の義子なり
 観梅春早未全開 華館清樽共把杯 旧識井家千載実 紛綸経術擅詞才」
南畝集8
漢詩番号1501
④4寛政1年
1789/01/
「徐徳卿・井子存・鈴猶人と同じく不忍池の生地院に遊ぶ
 宿霧纔晴歩浅沙 度橋深院入荷花 池頭欲泛扁舟去 不忍明珠砕露華」
〈『俗耳鼓吹』⑩32「寛政二年甲戌六月七日の朝、徐徳卿、鈴一貫、井上子存(岩次郎と文右衛門同道といふ)などゝ蓮見にいき侍りしに(云々)」〉
南畝集8
漢詩番号1651
④55寛政2年
1790/06/07
いのうえ しめい
井上 四明
「佩絃堂の宴集に井 潜 四明先生の八十五才して致仕するを賀し奉る
 青衿曾上佩絃堂 弦筈参差隔霽光 歳歴八旬初致仕 座迎諸彦各称觴 常珍競致侯鯖饌 冷蕊先飛郢雪香 経術紛綸君所業 児孫共唱九如章」
南畝集18
漢詩番号3938
⑤327文化11年
1814/11/
「井上四明先生の八十八の寿詞
 八十八翁号稗村 手書米字与児孫 々々尽是豊年玉 羅列階庭献寿樽」
南畝集20
漢詩番号4316
⑤437文化14年
1817/10/
いのうえ へきかい
井上碧海(井子瓊)
 井上碧海 (別資料) (井子瓊)
いまい しせん
今井 子潜
「夏日、今井子潜の邸舎の集ひ
 行過白魚肆 更尋朱邸門 薫風吹密坐 細雨対酒樽 新作同姻約 曾通一晤言 老来唯慕旧 自是数談論」
〈大田家の誰が今井家の誰と婚姻の約を交わしたのであろうか〉
南畝集13
漢詩番号2118
④212享和2年
1802/05/
いわもと
巌本
「秋日、少府郎鈴木・本多君・三上君・巌本君・中野君に陪して徐君の芙蓉館に集ふ
 芙蓉高館小河浜 蘭署仙郎中貴人 更喜新知今日楽 偏将濁水接清塵」
南畝集6
漢詩番号1130
③389天明2年
1782/08/
いんじゃ
隠者
 隠者 (別資料)
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