(大田南畝、あるいは大田直次郎として交遊のあった人) |
交遊 | 詞書・漢詩・狂歌 | 出典 | 巻・頁 | 年月日 | |
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いいだ きんじゅうろう 飯田 金十郎 | 「市場村のやどのあるじ飯田氏の母八十二歳のよはひをことぶきて | 玉川余波 | ②142 | 文化6年 1809/03/12 | |
いいだ めいよう 飯田 茗陽 | 「冬夜、杉浦統総仲と飯田茗陽に過飲し、初めて大窪行天民を見る | 南畝集16 漢詩番号2971 | ⑤42 | 文化3年 1806/12/ | |
「文化戊辰五月七日同飯田氏父子観 戊辰五月廿七日重て青木氏久右衛門所蔵の古書画を見る事を得たり。谷文晁文五郎、飯田氏とゝもに(後略)」 | 一話一言 巻28~9 | ⑭59 ⑭127 | 文化5年 1808/05/07 同05/27 | ||
「飯田政茗陽の席上、会々梅霖晴る | 南畝集16 漢詩番号3181 | ⑤105 | 文化5年 1808/06/ | ||
「青木氏所蔵書画目 文化戊辰五月七日同飯田氏父子観 同観者飯田茗陽、以今歳仲冬初四逝、亦是雲烟過眼 文化己巳季冬九日夜灯火書」 | 一話一言 巻29 | ⑭142 | 文化6年 1809/12/09 | ||
いいやまこう 飯山侯 本多豊後守助受 | 「立春、飯山侯の宴に侍す | 南畝集6 漢詩番号1231 | ③423 | 天明4年 1784/12/25 | |
「秋夜、観濤楼に飯山侯の浪華城に加衛するを送り奉る【侯邸在大樹王山南】 今宵共餞観濤閣 把筆慙無七発文」 | 南畝集6 漢詩番号1282 | ③440 | 天明5年 1785/07/ | ||
いかい 意戒(藤原豊季) | 「讃岐意戒君より【讃岐意戒君 参議従三位兼右近衛権中将藤原豊季卿。字伯明、一字元腆、号楽志堂】 短冊をたまはりけるをみれば 「戯に蜀山道人ぇよせ侍る 元腆」 みやこまで其名の高き不二の山ゆきみゆることならぬしむきさ 御返し 又さぬきの意戒君のもとへ | 六々集 | ②236 | 文化12年 1815/03/ | |
いくの うんけい 生野 雲卿 | 「生野【世竜】雲卿の原韻を次せらるゝを畳和す 其二 其三 | 南畝集15 漢詩番号2742 2743・2744 | ④404 | 文化2年 1805/09/ | |
いけい 懿卿 | 「冬夜、安子潤宅に子穆・懿卿と同じく賦す。韻を限る | 南畝集4 漢詩番号0581 | ③204 | 安永7年 1778/10/ | |
いけがみ たろえもん 池上 太郎右衛門 | 「大師河原村の名主池上太郎右衛門が家にて蜂竜の盃をみる。折から庭に牡丹の花さけり あるじは水鳥記にみえし池上太郎右衛門尉底深が子孫なればなり。もし雅筵酔狂集の類ならば、花底山峰遠跈人の句にもかよふべし」 | 玉川余波 | ②141 | 文化6年 1809/03/10 | |
いけだ 池田君 | 「鳥越池田君の七十の賀に | 六々集 | ②223 | 文化12年 1815/01/ | |
いけだ 池田氏 | 「若狭小浜を領し給ふ讃岐のかうのとのゝみうちに池田氏に | 六々集 | ②224 | 文化12年 1815/01/ | |
いけだ かんざん 池田 冠山 | 「五日前一夕、蜷川君・伴君度と同じく松平君【縫殿頭】の閣に集ふ | 南畝集18 漢詩番号3631 | ⑤241 | 文化9年 1812/05/04 | |
「鉄砲洲松平縫殿頭のたかどのにて | 放歌集 | ②189 | |||
「犀淵【冠山老侯の嘱の為にす】 「吉原【同上】 | 南畝集20 漢詩番号4538-9 | ⑤501 | 文政3年 1820/04/ | ||
いざわ らんけん 伊沢 蘭軒 | | ||||
いしい 石井 | 「石井氏の会計の吏に擢んでらるるを賀す | 南畝集13 漢詩番号2393 | ④292 | 享和3 1803/12/ | |
「元日、石井氏に一鳬を寄す | 南畝集14 漢詩番号2405 | ④301 | 享和4年 1804/01/01 | ||
いしい いちろえもん 石居 市郎右衛門 (大蔵村) | 「菅苅の庄鎌田村の地蔵寺の古瓦二ツまで、大蔵村のあるじの贈りければ | 玉川余波 | ②138 | 文化6年 1809/03/04 | |
いしい しほう 石井子彭 (石井蠡) | 「春日、岡田忠卿・伴忠順・石井子彭・赤松大経・磯田仲馨と同じく服右父の信古堂に集ふ | 南畝集6 漢詩番号1071 杏園詩集 | ③370 ⑥65 | 天明2年 1782/02/23 | |
いしい かくざん 石井 鶴山 | | ||||
いしかわ たいろう 石川 大浪 | | ||||
いしかわ どうぜん 石川 道全 | 「石川◯道全の寄せらるるの韻を和答す | 南畝集15 漢詩番号2741 | ④401 | 文化2年 1805/閏08/ | |
いしかわ まさもち 石川 雅望 | | ||||
いしかわ りょうひつ 石川 良弼 | | ||||
いしざき ゆうし 石崎 融思 | 「石崎融思が山水を画けるに題す | 南畝集18 漢詩番号3705 | ⑤263 | 文化2年 1805/閏08/ | |
「崎陽の石崎融思の画梅を贈るに酬ゆ 【融思の庭前の梅、元日に一花を開くと聞く、故に爾云ふ】」 | 南畝集20 漢詩番号4364 | ⑤451 | 文化15年 1818/04/ | ||
いしい 石井 | 「石井氏の会計吏に擢んでらるゝを賀す | 南畝集13 漢詩番号2393 | ④292 | 享和3年 1803/12/ | |
「元日、石井氏に一鳧を寄す | 南畝集14 漢詩番号2405 | ④301 | 文化1年 1804/01/01 | ||
いしつくり しかん 石作 士幹 | 「尾陽の岡田挺之・磯谷正卿・石作士幹の「莫逆編」を読みて三君に呈す 精光互奪叢雲剣 不但双竜共一吟」 | 南畝集5 漢詩番号0905 | ③312 | 安永10年 1781/08/ | |
いしとく 伊子徳 | 「立春、伊予徳過らる。共に墨水の春を酌む | 南畝集7 漢詩番号1395 | ③481 | 天明7年 1787/12/29 | |
「春日、伊子徳と同じく郊行して一塾師に過る | 南畝集7 漢詩番号1440 | ③497 | 天明8年 1788/03/ | ||
「正月二日、伊子徳に過飲す 黄鳥出幽谷 早梅逐上春 春光及万物 吾自愛良辰 陶然醒復酔 疑是葛天民 | 南畝集8 漢詩番号1498 | ④3 | 寛政1年 1789/01/02 | ||
いしばし 石橋(石橋蘆州?) | 「春日、大橋・田中二子と同じく深川の養老亭に宴す。石橋生・狩探信・木芙蓉坐に在り。歌妓阿勝・阿琴酒を佐く」 | 南畝集19 漢詩番号3959 3960・3961 | ⑤337 | 文化12年 1815/01/ | |
「深川養老亭に酒のみけるにちかきわたりの石橋蘆州のもとへよみてつかはしける かくよみてつかはしければ発句、いざゝらば弥生かつをの箸とらん、やがて来て酒のみけり」 | 六々集 | ②234 | 文化12年 1815/03/ | ||
いしばし すけざえもん 石橋 助左衛門 | 「紅毛大通詞石橋氏餞別 | をみなへし | ②22 | 文化5年? 1808/03/? | |
いしばし ろしゅう 石橋 芦舟 | 「深川養老亭に酒のみけるにちかきわたりの石橋蘆州のもとへよみてつかはしける かくよみてつかはしければ発句、いざゝらば弥生かつをの箸とらん、やがて来て酒のみけり」 | 六々集 | ②234 | 文化12年 1815/03/ | |
いしはた しろべえ 石渡 四郎兵衛 | 「同じ村(稲荷新田)年寄四郎兵衛は、むかし水鳥記にみえし名も四郎兵衛の孫なり。かの松原にて盃を墨にそめて酒合戦せし事を思ふ | 玉川余波 | ②140 | 文化12年 1815/03/09 | |
いしはた まござえもん 石渡 孫左衛門 | 「稲荷新田の農家孫左衛門【石渡氏】が門に一本のまつあり。其木地に蟠りて竜のごとし。其祖父名づけて末広松といふ | 玉川余波 | ②127 | 文化6年 1809/02/04 | |
いずみ こうへい 泉 公平 | 「遙かに泉公平の清暉斎に題す | 南畝集13 漢詩番号2196 | ④237 | 享和2年 1802/11/ | |
「吉田駅に泉公平の韻を次ぐ | 南畝集15 漢詩番号2826 小春紀行附録 | ④427 ⑨98 | 文化2年 1805/11/11 | ||
いずみ ほうしゅう 泉 豊洲 | 「竹酔日、菊池元習博甫、邀へて舟を墨水に泛ぶ。泉長達・榊原敬文子礼・大沼典伯経と同じく賦す 百年歌詠百人妓 康海九原誰与帰」 | 南畝集16 漢詩番号3172 | ⑤102 | 文化5年 1808/05/13 | |
いずみや よしろう いずみや 与四郎 | 「いづみや与四郎浪花にかへる餞別 | 放歌集 | ②204 | 文化9年 1812/10/ | |
いせでん 伊勢伝 | 「新橋伊勢伝書画帖序 この比世に名だたる人々の書画のふたつもじ牛の角文字、いせ伝がふるきをたづねてあたらしき橋のたもとに、雨にきる合羽の袖たゝみかさねつゝ(中略) あたり近き薬品の味をなめて、柳原のいとぐちをとく事しかり」 | 七々集 | ②275 | 文化12年 1815/11/ | |
「伊勢伝のもとより鴨の毛をいれたる茵(シトネ)をおくりけるに 今ぞしる毳をきたる仙人の錦の茵いらぬものとは」 | 紅梅集 | ②354 | 文政1年 1818/10/ | ||
「神風のいせ伝は、はし鷹のゑとりやしきの、ふるきをたづねて、あたらし橋のほとりにすめり。つとにおき、よはにいね、その家の業におこたりなきをたゝえて | あやめ草 | ②93 | 文政4年 1821/12? | ||
「いせ伝のもとより、蕙斎が画がける料理通のさし画の賛をこふ | あやめ草 | ②100 | 文政5年 1822/03/ | ||
いせや きゅうえもん 伊勢屋 久右衛門 | 「浅草庵剃髪を祝して 〔欄外 浅草東仲町いせや久右衛門〕 | 七々集 万紫千紅 | ②249 ①284 | 文化12年 1815/08/ | |
いせや ちょうべえ 伊勢屋 長兵衛 | | ||||
いせん 伊川生 | 「春分節、馬田国瑞・順宣師と同じく円珠庵に集ふ。伊川生酒饌を携ふ【庵に契沖阿闍梨の墓あり】 | 南畝集12 漢詩番号2105 | ④203 | 享和2年 1802/02/20 | |
いそたに そうしゅう 磯谷 滄洲 | | ||||
いそだ しこう 磯田子光(仲馨) | 「春日、山田宗俊・服右父・田仲馨・伴忠順・木子荘・滕言卿と同じく岡田忠卿に集ふ | 南畝集6 漢詩番号1065 | ③368 | 天明2年 1782/01/29 | |
「岡田忠卿の詩会なり。服右父・磯田子光・山田宗俊・(中神)忠順と同に詩を賦す」 | 三春行楽記 | ⑧34 | |||
「春日、岡田忠卿・伴忠順・石井子彭・赤松大経・磯田仲馨と同じく服右父の信古堂に集ふ | 南畝集6 杏園詩集巻2 三春行楽記 漢詩番号1071 | ③36 ⑥65 ⑧36 | 天明2年 1782/02/23 | ||
いそうろう 渭滄浪 | 「渭滄浪の京に入るを送る | 壇那山人藝舎集 | ①472 | 天明4年 1784/ | |
いちあどうじん 一阿道人 (岡部四溟)参照 | 「春日、一阿道人の懐ひを見はすを和す【岡公修、披剃して一阿道人と号し、入間郡水子邑の禅住庵に住す】 | 南畝集6 漢詩番号1256 | ③433 | 天明5年 1785/03/ | |
いちかわ かんさい 市河 寛斎 | | ||||
いちかわ べいあん 市河 米庵 | 「八月十四夜、河 世寧 寛斎・三亥 米庵・冢 遜 印南・木 万彦 花禅・藤 守重 正斎・楽閑叟・井 玖 子瓊・西 瑚 子璉・建 広載 釣伯、過りて集ふ | 南畝集18 漢詩番号3663 | ⑤250 | 文化9年 1812/08/14 11 | |
「市河 三亥 米庵の新居の宴集 | 南畝集19 漢詩番号4094 | ⑤373 | |||
いちじくし 一熟師 | 「春日、伊子徳と同じく郊行して一塾師に過る | 南畝集7 漢詩番号1440 | ③479 | 天明5年 1785/03/ | |
いちた 市田 | 「市田氏の藝州に還るを送り、兼ねて頼千秋、千祺に呈す | 南畝集19 漢詩番号4037 | ⑤358 | 文化12年 1815/04/ | |
いちはし ながあき 市橋 長昭 (仁正寺藩主) | | ||||
いちまる こんやちょう 紺屋町 一丸 | | ||||
いっこてい 一壺亭 | | ||||
いつさい 逸斎 | 「観蓮節。逸斎、諸子を邀へて篠池の酒楼に宴す 白頭計吏偸余暇 共倚旗亭一放歌」 「篠池の酒楼 | 南畝集18 漢詩番号3902-3 | ⑤317 | 文化11年 1814/06/24 | |
いっしそう 一枝巣 (吉見儀助・紀定丸) | 「吉義方の一枝巣に題す 此地当年棲道士 煙霞好結列仙交」 | 南畝集8 漢詩番号1706 | ④74 | 寛政2年 1790/09/ | |
いっちゅうかん 一柱館 | | ||||
いとう 伊東(三河・吉田) | 「(吉田駅に)伊東生に和す | 南畝集15 漢詩番号2827 小春紀行附録 | ④428 ⑨98 | 文化2年 1805/11/11 | |
いとう 伊藤 | 「上巳後一日、布施・伊藤諸子過らる | 南畝集16 漢詩番号3047 | ⑤65 | 文化4年 1807/03/04 | |
いとう 伊藤 | 「十月初三、伊藤氏(二字欠)の約有り。風雨に果さず。此を賦して附寄す | 南畝集17 漢詩番号3423 | ⑤179 | 文化7年 1810/10/03 | |
いながき けいめい 稲垣 恵明 | 「十日、岡公修・稲垣恵明・大久君節・井伯秀と同じく竜隠庵に集ふ。歓字を得たり | 南畝集1 漢詩番号0125 | ③41 | 明和9年 1780/09/10 | |
「春日、石仲車、邀へて麹坊の鶴巣楼に飲す。赤崎彦礼・稲垣恵明・爽鳩子允・萩野求之・馬景徳・辺道壱・岡故完・原子文・井子瓊・鈴一貫・春菶仲と同じく賦して佳字を得たり(南畝集7) 天明八年戊申二月廿一日、鶴巣亭に集ひ、韻を分かつ(遊娯詩草) 四愁曾擬張平子 此日偏堪慰所懐」 | 南畝集7 遊娯詩草 漢詩番号1417 | ⑥295 ③491 | 天明8年 1788/02/21 | ||
「春雪、佐賀書記石井仲車、麹街の鶴巣楼に邀飲す。頼千秋・樺公礼・関叔成・爽鳩子胤・稲垣恵明・西川子璉・井子瓊・源博甫・馬景徳と同じく賦す 酔来極目城門外 春雪霏霏散近郊」 | 南畝集8 杏園詩集続編 漢詩番号1591 | ④36 ⑥91 | 寛政2年 1790/02/ | ||
いなげ おくざん 稲毛 屋山 | 「万八楼の宴集。稲毛屋山翁の六十を寿す | 南畝集19 漢詩番号4055 | ⑤362 | 文化12年 1815/05/ | |
いなば 稲葉 (御徒頭) | 「冬日、元帥稲葉君に侍して坐して経を講ず 二十七年充隊伍 差将華髪学青衿」 | 南畝集9 漢詩番号1775 | ④101 | 寛政3年 1791/12/ | |
「歩兵帥稲葉公の挽詞 相馬旧曾忝顧眄 欲歌哀挽不成篇」 | 南畝集9 漢詩番号1786 | ④105 | 寛政4年 1792/03/28 | ||
いぬづか いんなん 犬塚 印南 | | ||||
いのうえ 井上 | 「井上氏の手づからつくれる菊を贈らる | あやめ草 | ②93 | 文政4年 1821/11/ | |
いのうえ きんが 井上 金峨 | 「芙蓉館に井金峨先生の詩を講ずるを聞く 今日聞君論四始 非唯匡鼎解人頤 【金峨曾て書を神田躋寿館に講ず、又東叡王門に遊びて教を奉じ、忘帰亭の記を作る】」 | 南畝集5 漢詩番号0913 杏園詩集二 | ③314 ⑥61 | 安永10年 1781/02/ | |
「夏日、芙蓉館に過りて金峨山人と同じく賦して涼字を得たり | 南畝集5 漢詩番号0947 | ③324 | 天明1年 1781/05/ | ||
「芙蓉館に金峨上人に贈る | 南畝集6 漢詩番号1090 | ③376 | 天明2年 1782/03/ | ||
いのうえ げんり 井上玄里 | | ||||
いのうえ さたゆう 井上 左大夫 | 「初冬、井上氏に宴す | 南畝集16 漢詩番号3100 | ⑤82 | 文化4年 1807/10/ | |
「先鋒兼火器長井上氏の海辺を巡視するを送る | 南畝集16 漢詩番号3106 | ⑤82 | |||
いのうえ しぞん 井上 子存 | 「早春、芙蓉館に井子存の寄せらるるを和す。子存、故金峨先生の義子なり | 南畝集8 漢詩番号1501 | ④4 | 寛政1年 1789/01/ | |
「徐徳卿・井子存・鈴猶人と同じく不忍池の生地院に遊ぶ | 南畝集8 漢詩番号1651 | ④55 | 寛政2年 1790/06/07 | ||
いのうえ しめい 井上 四明 | 「佩絃堂の宴集に井 潜 四明先生の八十五才して致仕するを賀し奉る | 南畝集18 漢詩番号3938 | ⑤327 | 文化11年 1814/11/ | |
「井上四明先生の八十八の寿詞 | 南畝集20 漢詩番号4316 | ⑤437 | 文化14年 1817/10/ |
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いのうえ へきかい 井上碧海(井子瓊) | | ||||
いまい しせん 今井 子潜 | 「夏日、今井子潜の邸舎の集ひ | 南畝集13 漢詩番号2118 | ④212 | 享和2年 1802/05/ | |
いわもと 巌本 | 「秋日、少府郎鈴木・本多君・三上君・巌本君・中野君に陪して徐君の芙蓉館に集ふ | 南畝集6 漢詩番号1130 | ③389 | 天明2年 1782/08/ | |
いんじゃ 隠者 | |