Top浮世絵文献資料館交遊編
 
交遊編 【い】大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔交遊編〕大田南畝関係
【犬塚印南】(いぬづかいなみ)※◯は欠字、◎は表示不能文字
詞書・詩歌出典巻・頁年月日
「三日、姫路侯の園庭の宴集。長島老侯【増山河内守殿御隠居】・烏山世子【大久保佐渡守殿】・犬塚 遜 印南(唯助)・画人辺 映 玄対〈一字欠〉雪渓。坐に在り
 (詩は省略、交遊編の「交遊」参照)
南畝集13
漢詩番号2255-6
細推物理
④254
⑧356
享和3年
1803/03/03
「犬冢印南の書堂に尾藤二洲と対酌す 印南盃酒心先酔 々与二州相対睡 肩昇扶人夢裏帰 不知寒月満平地」南畝集13
漢詩番号2364
④284享和3年
1803/10/
「冬日、犬塚印南の木王園に宴す
 衙退辞金馬 園居訪木王 扁伝清客字 材取漢時章 初雪花千朶 懸河酒数行 新知兼旧識 良会自茲長」
南畝集16
漢詩番号3018
⑤84文化4年
1807/11/
「西原の牡丹。冢 遜 印南と同じく句を聯ぬ
 折巾携手訪名花 覃 春住北郊野老家 遜 雨打小園香浥露  煙篭近砌錦栽霞
 姚黄醜紫皆殊種 遜 蝶夢蜂遊自有涯 髪髭杜鵑猶未聴(ママ) 帰来余湿取途斜 遜」
南畝集16
漢詩番号3160
⑤98文化5年
1808/04/
「閏六月朔、朝白園の約有り。会々芙蓉館主人と同じく仙鶴園に過り、溜飲して約を失す。此を賦して謝し奉り、兼ねて万彦・印南二子に寄す
 礫水違茶水 白園為鶴園 留連金谷酒 辜負玉崑崙 刻燭催聯句 臨風想永言 荳棚花底坐 重共二君諭」
南畝集16
漢詩番号3190
⑤107文化5年
1808閏06/01
「己巳中秋、大草 公弼 篤夫・花禅翁 万彦・鈴木 恭 士敬・犬冢 遜 印南・井上 玖 子瓊・鈴木 文 猶人・中邨 亮 子寅・植木(三字欠)諸子と同じく建部君の朝白園に集ふ (詩は省略、交遊編の「交遊」参照)」南畝集17
漢詩番号3257
⑤129文化6年
1809/08/15
「中秋月無し。冢 遜 印南・鈴 恭 白藤・諸子と同じく建部君 広順 の釣伯園に集ふ。露字を得たり
 三五約佳期 年々此相遇 簷回水上煙 怪滴松間露 自有宿雲銜 更無明月吐 光消已満蟾 影隠長生兎
 芳桂黯難攀 秋毫茫失数 声扶勧酒歌 色入催詩句 不著謝荘篇 唯裁神女賦 徒将雨与風 抹却中秋趣」
南畝集17
漢詩番号3391
⑤169文化7年
1810/08/15
「冢 遜 印南の不俗庵に題す 山為仕途求捷径 波揚濁水混清塵 一庵浄几明窓外 誰是標奇抜俗人
「其の二 神農七十二鞭揚 扁鵲見人垣一方 起死回生皆薬物 難医気持入膏肓
「其の三 逸議誰伝経史笥 緒言曾著昌平志 人間野馬与塵埃 不到隠居方寸地」
南畝集17
漢詩番号3409
10-11
⑤174文化7年
1810/09/09
「八月十四夜、河 世寧 寛斎・三亥 米庵・冢 遜 印南・木 万彦 花禅・藤 守重 正斎・楽閑叟・井 玖 子瓊・西 瑚 子璉・建 広載 釣伯、過りて集ふ
 林霏乍散雨余雲 予卜中秋酒半醺 莫道桂花開未満 々楼華月為諸君」
「十四夜の集ひ。印南翁の韻を和す
 老来何事最相宜 詩酒無如約会期 豈有鳳凰千仞下 唯同燕雀一枝移 東軒月送将盈色 北海尊余未罄資
 逢此白飛黄落候 清吟可比秋風辞」

「其の二
 少小曾将賦遂初 居諸荏苒夙心殊 金門出処甘沈陸 玉兎陰晴笑守株 君自結庵称不俗 人言逃跡謝鳴騶
 盈々一水移家近 咫尺扁舟自可呼」
南畝集18
漢詩番号3665
⑤251文化9年
1812/08/14