Top浮世絵文献資料館交遊編
交遊編 【い】大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔交遊編〕大田南畝関係
【紺屋町 一丸】(こんやちょう の いちまる)※◯は欠字、◎は表示不能文字
詞書・詩歌出典巻・頁年月日
「紺屋町一丸の屏風に職人尽の絵あり。畳刺の門にたがかけあり
 水桶の月やたがやにさしたゝみあふみおもてとみゆるさゞなみ」
万紫千紅①272文化11年
1814/07/
「一丸の姑君きさらぎ廿五日のよ身まかりしときゝ、むつきみそかにちかき夜酒くみかはせし事など思ひいでゝ>
 弥生をもまたぬ雛屋の酒盛りの夜半ぞ生死の堺町なる  むらさきの雲の上にやかへるらん十軒店の雛をみすてゝ」
紅梅集②327文化15年
1818/02/25
「ことし七月上旬、新吉原仲の町信濃屋善兵衛みせの灯籠を一丸のもとより贈しをみれば、小町のおしゑのうたかるたに下の句、わが身世にふるながめせしまに、と書て菊のつくり花あり。たはぶれに上の句をつけば
 花の雲はうつりにけりな菊の露(わが身世にふるながめせしまに)
紅梅集②350文政1年
1818/07/
「いにしはつき十九日に宰府のうそとりのかたを一丸のもて来て贈りしが、その夜よりの病にてうせしときく
 世の中の心づくしの死ぬ事はみなうそとりになすよしもがな」
紅梅集②353文政1年
1818/08/19
「長月廿三日、紺屋町一丸身まかりけるに
 まねけども魂帰りこんや町もがりにかけし染物の数  愛染の二十六夜のつぼの内になど丸薬の一つだになき
 たのまれてひかぬ男の七日にはたゞうちよりてなむあみ/\」

 いにしはつき十九日に宰府のうそとりのかたを一丸のもて来て贈りしが、その夜の病にてうせしときく
 世の中の心づくしの死ぬ事はみなうそとりになすよしもがな
紅梅集②353文政1年
1818/09/23
「一丸一周忌に 九月廿三日 さまさまに月日もゆかば一丸の丸一年もかへれなきたま」紅梅集②375文政2年
1819/09/23