正直さを呼び戻す (竹澤さちへ)
ダグラス・ハーディング氏の本に出会うまでは、自分の力で何かをやりぬくこと、何かを得ること、そしてそのために頑張ること、が自分のベースに強くありました。A Course In Miracles(奇跡のコース)を読み、実践の毎日で、そのベースは必要ないと身にしみてきてはいたものの、どうしてもこの部分が自分なりに打破できず、すっきりしないままでいた、というのが本音でした。
そんなときに、ダグラス・ハーディング氏の本、そのシンプルでパワフルな実験に出会い、ものすごい衝撃を受けたのです。「ああ!こんなに目の前にある真実を見ていなかったとは!」と。どれだけ思いこみというものを使って生きていたのだろうと、今この瞬間、頭がない、バーンと拡がっている自分を正直に認めながら思ったのです。
子どもの頃、いやもっと昔からの(?)感覚が、だーっと呼び起こされたような衝撃もありました。象徴的なことの一つは、外を歩いていて、道行く人たちをすれ違いざまに見ながら、「自分はあのひとでもあるし、このひとでもあるから、自分(個人的な私)は無い。これっていい感じ。なのに、なんで自分(個人)っていうのが決まっているのだろう。」と、悶々と思っていたことを思い出したり、大人になってからは、オートバイを運転している時ずっと、自分が動いておらず、目に映る景色がやってきてくれている感覚があったのですが、そんな奇妙な感覚は(周りの環境に馴染むためにも)、改善しなくてはいけないものだと、ひそかに肩身狭く思っていたこと。
他にもたくさんありますが、こみ上げる喜びと衝撃と感謝で、とにかく涙が止まらない。おそらく今までこんなに心痺れることは無かったように思います。そんな数日を、ダグラス・ハーディング氏は本を通して与えてくれました。はじめから与えられ、恵まれているとは、こういうことか。と。また、こうした一過性の体験にとらわれすぎないということも、『完全なる明け渡しとは注意である』という氏の言葉に深く頷いています。
A Course In Miraclesの一節、「喜びなどないところに喜びを見いだすには、自分がそこには居ないと悟る以外に、どうすれば見いだせるだろうか。」が、本当に本当に、腑に落ちたのです。ダグラス・ハーディング氏の本に出会ってから、A Course In Miraclesを読む自分が大きく変わり、読む人が変わったといいますか、拡がりが持てたことが本当にありがたいと思います。
そして、実験にある「第一人称から見た世界」は、"遊び心"と同時に、"こだわらない優しさ"も呼び起こしてくれました。どんな状況、どんな自分であろうと、ぜんぶ提供されている遊びだと実験を通して認識できるのは幸いなことです。
物事や状況にどっぷりのまれること無く、今までは不満に思えた出来事が、違った見方(不満の入る余地がないもの)のほうに、自分の「目線」が行く余裕が自然と生まれるので、楽しく生きることの定義が自分の中で大きく変化しました。
『自分とは何か』は、とてつもない強さ&軽やかさで、元々私たちに備わっているものを発見させてくれる恵みの質問です。私たちが自分とは何かを見たとき、自分は世界すべてなのだと気づいて、「自分」に固執することの必要がないと、信頼する心持ちを呼び起こしてくれます。
静謐さという、本来の自分のあるところをシンプルに思い出すきっかけをくださったダグラス・ハーディング氏と、とても親切で気さくに、継続は力なりのエピソードをくださる訳者の高木悠鼓さんに心から感謝をこめて。