ダグラス・ハーディングが開発した自己探求の方法

ダグラス・ハーディングの長年の『見る」友人たちへのインタヴュー(日本語字幕つき)


「問題解決――選択しないというテクニック」(Douglas Harding)

「対立――自殺的ウソ」(Douglas Harding)

「自分とは本当に何かを見る結果」(Douglas Harding)

「他人によい印象を与えることについて」(Douglas Harding)

「ダグラスの詩」
(Douglas Harding)

「爆弾――世界と一つであるということ」(Alain Bayod)

「役に立つ道具であり、それ以上のことがある」(Nick Smith)

「天と地の階層」
(Richard Lang)

「個人的体験」(Richard Lang)


「盤珪の考え方」
(Colin Oliver)

「懐かしいIAMに捧げる」(David Lang)

「ダグラスの死」(David Lang)

「あがり症(舞台上であがること)を頭がない方法によって抜け出す」(Sam Blight)

「私にとっての『私とは何かを見る』とは」(大野武士)

「ハーディングの実験について」(赤嶺華奈)

「ハーディングの実験を続けてよかったこと」(赤嶺華奈)

「マイナス感情とハーディングの実験について」(赤嶺華奈)


「宗教と科学の融合」
(木悠鼓)

「ハーディング流成功哲学」
(木悠鼓)

「考えない練習」(木悠鼓)

*「ダグラスさんの本との出会い」 (大澤富士夫)

*「正直さを呼び戻す」 

(竹澤さちへ)


はい、これで、OKです!」 
(渡邉 直子)

頭はあるけど、頭はない、それが答えだ!」(匿名)

*「もし誰かが木さんの頭にピストルを突きつけたら……」(木悠鼓)





役に立つ道具であり、それ以上のことがある (Nick Smith)

私は1994年に、初めて「頭がないこと」を経験し、そのおかげで、それまでたくさんの文献の中で書かれてきて、納得いくように見えながら、実際は、遠くにあって、触れることができなかった多くの物事に直接触れることができるようになったのである。

そのワークショップは、私にきわめて強い印象を与え、私はそのことを考え続け、それを自分の人生に組み入れる作業を行った。紙袋の練習をしたとき、最初、私はただ向こう側を満たしている誰かの顔を覗き込むという経験をした。しかしこの実験の主眼は、相手を眺めることではなく、自分の側にもっと焦点を当てることだった。紙袋の私側は、広大に感じられ、私は、あえて言えば、非常に巨大な何かの最前線にいるような非常に深い感覚を経験した。それはちょうど、私には宇宙の支えがあるように実際感じられ、私が後ろに寄りかかったら、肉体的に支えられているという感覚だった。

長年私は、一つであることと、私たちの分離は幻想であると語るあらゆる宗派と哲学の文献を読んできたが、しかしどれも、私が「頭がないこと」を経験した以上の、明白で物理的な方法を与えてはくれなかった。私はまた、自分が物理的外見・自分の肉体以上の存在だと信じてきたが、「頭がないこと」のおかげで、言葉では適切に描写できないほど、私はこのことを経験することができた。私が経験した3つのこと――ワークショップでの2つのことと、数週間後のホテルでの体験を分かち合ってみよう。

最初は、ワークショップのある参加者の言葉で、彼女が「私は、これから虚空に水を注ぎ込みます」と宣言したとき、飲食に対する私の認識は劇的に変わったのである。そのことに対して、誰かが、「ただ神だけが味わい、匂いをかぎ、音を聞く」と付け加えた。

二番目のことは、実験の最中に起きたことで、そのとき、私たちが鏡で見る2つの目を通じて世界を認識する代わりに、私たちはまるで一つの目を通じて実際に眺め、私たちはただ部屋の幅によってのみ、自分のヴィジョンの幅を制限された。ことのとき誰かが、「星々を帽子としてかぶっている友人を知っている」と言い、これに対して私は大笑いをしたが、そのおかげで私は、実にシンプルだが、信じられないほど深遠に感じられる新しい気づきのレベルへと移ることができた。

三番目に経験したことは、それから数週間後のことで、それは「帽子としての星々」の例と似ていた。私は仕事の出張でホテルに滞在していて、朝の瞑想の準備をしているときのことだった。私は、いつもは部屋の真ん中にすわることを習慣としていたのに、部屋のレイアウトのせいで、それが不可能だとわかって、心配になったのである。しかしこのとき、私は自分自身を笑い始めたのだった。なぜなら、いったん私が目をつぶって瞑想してしまえば、私が部屋の中心にすわっていないという事実は、まったく何の関係もないし、私は自分自身をあらゆる認識的制限から解放することができると思ったからだ。

書きながら、こういう経験を伝えることは実に困難だと私は理解しているが、それでも私の文章が、皆さんを満足させないまでも、このワークに対する皆さんの興味を刺激してくれることを願っている。

終わりに、「頭がないこと」が、実に実用的に応用できる2つの方法を分かち合うことにしよう。

まず第一に、私は仕事の関係で、しばしば大勢の人たちの前で話さなければならないのだが、聴衆と顔を交換することで、私は困難に影響されないことに気づいた。

そして二番目のことは、私が「頭がないこと」を使うことを学んだ中で、今まで最も価値のあることである。それは、人々の言うことを聴くことができることであり、本当に自分自身を(文字通り)追い出して、批判することなく、分析することなく、彼らの言うことを聴くことができるということである。それは、私たちが自分たちの隣人のためにできる最大の奉仕であると、私は信じている。

原文A Useful Tool and Much Moreは、TheHeadless Way公式サイトに掲載されています)

「今ここに、死と不死を見る」

ダグラス・ハーディング著

マホロバアート発行


「顔があるもの顔がないもの」


ダグラス・ハーディング著

マホロバアート発行



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