盤珪禅師(1622−1693)は、偉大な日本の禅の先生で、彼は経典からではなく、直接人々に話をした。彼は特定の教派に偏らず、彼の教えは、きわめて個人的で、野生的で、禅の真髄であった。彼の関心は、遠い目標への系統だった方法論ではなく、直接経験としての真実であった。
盤珪の人生の話は、彼の偉大な性格を示していた。彼は武士の家に生まれ、父親は儒者で、彼が幼い頃に亡くなった。子供の頃、彼は死について関心をもち、死という言葉を聞いただけで、彼のかんしゃくが静まるほどだった。彼は学校嫌いで、しばしばさぼった。彼の帰宅途中に川があり、渡舟夫は、学校が終わるまで、盤珪を船に乗せて川を渡らないように指示されていた。しかし、盤珪は川に飛び込んで、泳いで渡った。彼は手がつけられない子供であり、不良のリーダーだった。長兄としばしばケンカしたせいで、彼は深い挫折感をいだき、落ち込み、自殺を試みた。毒があると思った大量の蜘蛛を飲み込んで、彼は死を待って寺院ですわっていた。しかし、何も起こらなかったので、彼は心を入れ替えることにした。
青年になって、盤珪は中国人の先生のところへ送られた。儒教の古典を学んでいる間、彼は、「大学の道は、明徳を明らかにするにあり」という一節に強烈に心打たれた。不思議に思い、その教えを理解したいと願って、彼は儒教の何人かの先生に尋ねた。彼らは、自分たちには深い知識がないことを認めたため、彼は失望し、それから盤珪は、仏教に近づき、説教や講話に参加し、母親に報告した。彼は、「明徳」の意味について、彼女が死ぬ前に、彼女に教えたいと決意した。仏教徒たちもまた彼を失望させた。
最後に彼は禅の師を探すことにした。ある師を見つけたとき、その師は、「明徳」の直接的知識を得るために、座禅を修行するように指示した。彼は、彼特有の確固たる意志をもって、座禅に向かった。彼は足を組んで、洞穴で、何時間もずっとすわり続け、1週間も何も食べなかった。しかし、疲労のあまり、体が倒れた以外に、何も起こらなかった。それから彼は自分の村の小屋で、念仏を唱える努力をした。体の痛みにもかかわらず、彼は休むことを拒否し、座布団の上ですわり続けた。長い間、瞑想の人生を続け、そしてついに、病気になってしまったのである。盤珪の友人たちは、心配して、彼の世話をするための使用人を提供したが、彼は自分が死ぬだろうと思っていた。彼のたった一つの悔いは、明徳の問題が未解決なことだった。
しかし死の淵にあったそのとき、盤珪は、自分が決して生まれたことがなかったことを理解するようになった。彼はあらゆる物事の輝ける源泉を見たのである。あらゆるものはその源泉によって、よく管理されていた。盤珪は、自分が不生(生まれたことがないもの)から生きることができると確信した。それは人生を一変する洞察であった。彼はすぐに元気になり、驚く使用人に食事の準備を頼んだ。
完全に回復すると、盤珪は母親に自分の発見を報告し、そのおかげで彼女は幸福に死んでいった。彼は自分の洞察を確認することができる師を見つけるのが大変だったが、ついに、彼を励ましてくれる師に出会い、この真実を分かち合い、人々を助けるために自分の人生を捧げる決心をした。
盤珪は、大衆のための人となった。彼は、禅の生徒だけではなく、普通の田舎の人たちからなる大勢の人たちに話をした。彼の言葉はシンプルで、直接的で、人々は彼の誠実さに感銘を受けた。ある逸話が彼の愛嬌のある様子を物語っている。ある僧侶が、彼自身の教派の多くの者たちが禅について聞きに行ったことに、怒っていた。そこで、盤珪と論争するために、彼自身も会に参加した。
「私のような人間は、あなたを尊敬することはできない」と彼は盤珪に告げた。「あなたは私を従わせることができるのか?」
盤珪は、その僧侶に前に来るように頼むと、彼は誇らしげに人々を押し分けて来た。それから盤珪は、自分の横に坐るように頼み、それから席を自分と替えるように頼んだ。その僧侶は盤珪の場所へ上がった。「ほら、ごらんなさい」と盤珪は観察して言った。「あなたは私の言うことに従っています。あなたは非常に心優しい人だと私は思いますよ。では、すわって話を聞いてください」。
また、ある僧侶が盤珪に近づいたときの別の逸話も残っている。その僧侶は、自分の師が奇跡を起こすパワーをもっていることを誇っていた。彼の師は、筆をとって、空中で阿弥陀を描き、すると、遠くにある一枚の紙の上に言葉が現れるのだった。これと同じことができるかとその僧侶に尋ねられた盤珪は、「私の奇跡は、空腹のときに私は食べ、喉が渇いたときに、飲み物を飲むことです」と答えた。
盤珪の教えは、禅の公案のシステムとはまったく異なるものだった。公案に対する瞑想は、長期間にわたる蓄積された緊張をもたらし、あとで悟りにおける解放を生み出す。真実は、得ることが困難で、それゆえ非常に価値あるものとされている。盤珪はまったく自分自身の確信に頼り、自分の弟子たちにそのシンプルな真実を直接的に、自然に経験するように、そしてその価値に納得するように奨励した。
盤珪自身の長く困難な道は、彼が真実を発見し、それの価値を理解するために必要であったという議論もあるかもしれないが、盤珪自身はそういった過程が必要であることを否定し、真実は、簡単に手に入るものだと主張した。不生から生きられた人生は、観察眼を深め、注意力を集中するための経験をもたらすのだった。
彼の弟子たちの中には、瞑想は注意を集中するために適切なものだと感じる人たちもいた。盤珪は、床にすわって、生きた仏陀になるだけで、十分だと言った。彼の最大の強調は、行動中の瞑想、日々の生活における瞑想であった。彼の一般的指針は、見事なまでにシンプルだった。「ただ、仏陀の心ですわり、ただ仏陀の心で存在し、ただ仏陀の心で眠って起き、ただ仏陀の心で生きなさい」
(原文は、http://www.headless.org のarticleのコーナーに掲載されています)
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