エゾシカの  2002/02/01〜2002/02/28

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2002/02/28

短く、しかし激しく

 一年で最も短い筈の如月も、今年の私にとっては洗濯機の中に抛り込まれるかの如く、激しい出来事に直面しては心が揺さ振られ己の座標軸を何処に持って行けば良いのかを常に考えさせられる機会の多い一月であった。

 月初から其れを象徴する出来事があった。初めて訪れる街で初めて体験する音楽。抑もライヴハウスでの音楽鑑賞自体初めてという事で、刺激を求めて参加しようとした処、駅を降りて暫くして自分の居場所及び会場が全く分からなくなるという失態を犯した(2002/02/02参照)。此こそ正に「激しい出来事」を求め「己の座標軸」を失った結果と言えよう。

 己の座標軸は確固たるものであったが激しかった出来事としては、僅か一週間の間に真言密教の総本山に籠もると共に、別の仏教系宗教団体、否、宗教標榜団体から実力行使の勧誘を受けた事が挙げられる(2002/02/16参照)。或る意味両者とも激しいのだが、一気に或る激しさから似て非なる別の激しさに引っ張られた事自体が激しい出来事であったと言えよう。

 二人の同期が来月末退職する。一人は私が嘗てちゃきちゃきの江戸っ子時代に同じフロアで仕事をしていた。東京の文化になかなか慣れずにややもすれば職場で浮きそうになっていた私を、仲間同志でネタにして話題にする事で盛り立てて呉れた一人である。個人的には其れ以上に、極めて我儘な頼み事を誰にも口外する事無く「仕事だから」と嫌な顔一つせず度々受け容れて頂いた事でお世話になっていた。そしてもう一人は大学の同窓生であり入社前から懇意にしていた存在。昨年からは互いの職場が近くなり話す機会が増えた矢先であった。彼の退職理由は私にとっては非常に衝撃的であり、私が死の床に就く迄に為し得たいと考えている夢と酷似していたのだ。何時でも夢が実現出来る様数年前から密かに準備を進めていた私を差し置いて、全く我々の知らぬ内に夢の第一段階を実現させ後は退職迄勤続するのみという状況に居た彼が羨ましく、仄かに妬ましく思えると共に、私自身と重ね合わせ無事夢の最終段階迄辿り着ける様心から応援したくなったのだ。

 決して彼等の影響で己の座標軸を動かした訳では無く、己で激しく心を揺さ振り考え悩んで座標軸を動かす事となった。嘗て知り合った人間の中で五指に入る位私が受け容れる事を許さぬ存在の者との日々の仕事や会話。私の弱さに入り込む彼の存在で益々悪化の一途を辿る己の病。そして私の貫きたい夢。此の三つの理由の内、「病気」と「夢」とを理由として退職を申し出た次第。結局上司達や医師とも相談の上、当面の休職という事で決着した数日後、会社の魅力についてプレゼンテーションを行う(2002/02/21参照)とは何とも皮肉な事よ。

 そういえば嘗て、心を許し合える大切な人と半同棲生活を送る最中、肉親の中で唯一心を許していた祖母が死去するという激しい出来事で、人間として最高の部類に属する幸福と、人間として最悪の部類に属する不幸との間で我が心が激しく揺さ振られたのも、何時ぞやの如月の事であった。


2002/02/27

反ネチケット

 所謂「ネチケット」に於いては、メールをしたためる際には一行の文字数を予め決めておき、縦令単語の途中であろうがかっきり其の文字数の処で強制改行を行う事とされている様である。其の最大の目的は、若し一行に際限無くつらつらと文字を流したメールを送信した場合、相手のメーラーの設定に因っては非常に不細工な部分で改行されて非常に読み辛くなる事と思われる。

 処が私は敢えて此のネチケットを完全には守っていない。一行の文字数は決めているものの、かっきり其の文字数の処で改行するのでは無く、其の文字数以内で文章的に区切りの良い処で改行する事としているのだ。此の方法だと、ネチケットの最大の目的は果たしてはいるものの、各行の右端が全く揃わず若干不細工な形となる。

 別にメールの相手に対する嫌がらせの為に左様な行為を繰り返している訳では無い。実際問題として、メールをしたためようとしても送信直前になって何度も推敲する私の様な者にとっては、先ず一行の文字数を気にせず本文をベタ打ちし、其の後一行三十文字なら三十文字毎に改行を入れた処で、送信迄の間に気が変わり文章の再修正を行う機会が非常に多い為、再び改行作業を繰り返さねばならぬ。此が頗る面倒臭いのだ。

 そしてもう一つ大きな理由がある。文章を与えられた文字数以内で何処で改行すべきかを検討するのは、センテンスのセンスを磨く為に案外有益に思えるのだ。改行位置を少し変えたり読点と改行とを効果的に使い分けたりする事で文章にメリハリが生じたり、複数行に亘る文章をすらすら一文の様に読ませたり本来なら一気に読める文章をスローテンポでとくとくと頭に入れるかの如く読ませたり出来る一方、逆に下手をすれば如何にも「取り敢えず文字数が増えたので改行した」という、電子メールに相応しい無機質な文章になったりもするのだ。勿論此を検討する過程其の物が愉しいのも大きな理由なのだが。


2002/02/26

リンク集と日本経済新聞

 サイト及びサイト管理人の趣味嗜好を最も手っ取り早く知る方法は其のサイトのリンク集を観る事であると言われているが、「EZOSHIKA TOWN」を訪れた人は恐らく「リンク集」に多少の違和感を抱いているのでは無かろうか。とりわけ他方面の文章系サイトから「エゾシカの嘶き」に辿り着いた方が「リンク集」を眼にすれば「此奴自分の文章の宣伝はする癖に他人の文章全然読んでへんな」と訝る事必定であろう。確かに自分でも、他サイトに比べリンクを張っているサイトが比較的少ない、其の中でも文章系サイトへのリンクが非常に少ないばかりか文章系サイト管理人なら誰でも知っている様な「有名処」的サイトへのリンクが極めて少ない事は重々認識している。

 私がリンクを張る方針としては原則として、私が見付けたサイトである事、予めメールや掲示板を通じて単なる挨拶を超えた遣り取りのある方のサイトである事、或いは先方からリンクを張る様要請を受け受諾した場合に限定されている。無論全て自分にとって愉快なサイトである事は言う迄も無い。一方「巷で話題になっている」「第三者から勧められた(私の「リンク集」で紹介したサイトからリンクされているサイトも含む)などといった場合には縦令面白いサイトであろうが当方からリンクを張る事は稀である。

 さて、2/22付の日本経済新聞夕刊。「大人も子どももレッツクリック」なるサイト紹介コーナーにて、「EZOSHIKA TOWN」の「リンク集」に挙げた数少ないサイトの一つが採り上げられていたのだ。どうやら日本経済新聞の記者は「エゾシカの嘶き」のみならず「リンク集」迄チェックしていた模様である。其れにしてもどうせならば彼等がライヴァル視している「エゾシカの嘶き」なり「EZOSHIKA TOWN」なりを紹介すれば良いものを、敢えて其れを避けて「リンク集」から紹介サイトを選ぶという事は、普段記事(作品)を競い合っている「EZOSHIKA TOWN」を採り上げる事が余程「ライヴァルとして沽券に関わる問題」と考えているのであろう。彼等のライヴァル意識も此処に極まれりといった感すら覚えざるを得ぬ。


2002/02/25

続・博多の女

 最近愛聴している曲の一つであるモダンチョキチョキズの「博多の女(ひと)」(2002/02/15参照)、歌詞の概要は、主人公が博多土産に『博多の女』という饅頭を貰い、此とは別に横浜土産に『横浜の女』という饅頭を貰ったのだが、両者が包紙以外は味も形も同じであった為に呆れ嘆息し、饅頭にオリジナリティやアイデンティティやイマジネーションは不要なのかと問題提起する、というものである。

 さて、先日私が此の曲に言及した事が博多の饅頭業界に余計な影響を与えたのであろうか、本日付日本経済新聞夕刊の広告にでかでかと「傑作まんじゅう 博多通りもんは 博多でしか売っていません」なる見出しが踊っており、御丁寧にも「博多限定」なるロゴが其の横に打たれていた。

 此の時期敢えて斯様な大きい広告が掲載された理由としては主に二つ考えられよう。一つは、「博多の女」なる曲が今再び話題になる事で、博多の饅頭全てが他地区の饅頭と同一であるという誤解を解かねばと、「博多通りもん」のメーカーが焦ったのでは無いか、もう一つは「博多通りもん」のメーカーと「博多の女」のメーカーとが反目関係にあり、「博多の女」なる曲が話題になった事を契機に「博多通りもん」のメーカーが差別化を図る為に「うちはあのメーカーとは違って饅頭のオリジナリティを貫いている」と主張しているのでは無いか、といった理由が挙げられよう。

 何れにせよ広告媒体は「エゾシカの嘶き」のライヴァルを暗に自認する日本経済新聞。彼等が2/15付「エゾシカの嘶き」を眼にして「博多通りもん」のメーカーを教唆煽動し広告出稿に至らしめた事は疑い無かろう。只でさえ最近の日本経済新聞、余程広告不足なのか、本当の発行日が何曜日なのか分からない位毎日の様に週刊「日経ビジネス」の広告が所狭しと掲載されているのだ。


2002/02/24

合コンに於ける交渉術

 代表的な交渉術の一つとして、例えば或る要求を相手に呑ませたいが最初から其の要求を相手が受諾するとは到底思えぬ場合、其れより遙かにレヴェル(難易度)の高い要求を突き付け相手が極度の拒否反応を示した直後に当初のレヴェルの要求を行った場合、相手は「其れ位なら…」と受諾する可能性が高いとされている。

 合コンの場に於いて、関心のある女性に「交際している相手は居るのか」と尋ねた処適当にはぐらかされて終わり、というケースが散見される。尋ねる側としては、合コンの根幹を揺るがし兼ねぬ問題を解決する為に、話題を無理矢理好みのタイプだの過去の恋愛経験だのの話題に持って行くのに苦心し、一生懸命此等の話題を盛り上げた末に最重要の質問をした挙げ句失敗するという事で今後の対応に苦慮すると共に途轍も無い徒労感を抱く事となろう。

 此処では冒頭に述べた交渉術が効果的であろう。即ち徐々に質問レヴェルを上げていくのでは無く、逆に回答難易度の非常に高い質問レヴェルで回答拒否を誘い、遙かに程度の低い、本来の目的である質問で回答を得るという手法を用いるのだ。

 例えば最初の挨拶の後唐突に「膣で出されるのと口に出されるのとどっちがええ?」「バター犬って興味ある?なんか犬の舌触りがめっちゃ堪らんらしいやんか」「一番好きな体位は何?」「乳輪は大きい方?」あたりの順番で質問しては回答拒否を誘った後、「ところで彼氏はいるの?」と尋ねれば、女性側も「ああ、やっとまともな質問が来た。此ならまともに相手出来るわ」と気が緩み、正直に回答する事請け合いである。尤も、此処に至る迄の質問に正直に答えられては余りに回りくどいのだが、其れは其れで非常に愉しい会話となろう。個人的には其処迄明け透けな女性は苦手なのだが。


2002/02/23

京都市動物園

 スーツ姿で動物園に足を向けるのも珍しかろうと思って居たのだがよくよく考えてみればちゃきちゃきの江戸っ子になって暫くの間、月一度の夜勤を終え昼頃に帰宅出来る様な機会にはスーツ姿の儘其の足で上野動物園に赴き平日で人気の無い園内を悠々と闊歩していたものであった。当時は後輩から動物熱を伝染されて間も無い頃であり、喩えれば病気への免疫が十分に付いていない状態での罹患という事で、動物熱が私の中で猛威を奮っていた時期。高低差のある広い園内を革靴で歩く苦痛や、機能的とは言えず気候とも些かずれたスーツ姿、そして平日にスーツ姿で園内を嬉々として歩く人間に向けられる、動物に対する好奇を超えた周囲の眼、此等の逆風などものともせず、夜勤明けの動物園通いは暫し続いていた。

 其れから数年、動物熱自体はそう冷めぬものの自然と動物熱への抗体が体内に形成されてきたのであろう、夜勤明けの際にスーツ姿で動物園を愉しむ機会は減少してきた。そして昨年、動物熱の中でも特に強烈なヤブイヌ熱に罹患した際に、久し振りに出張がてらスーツ姿でズーラシア(横浜)に足を運んだ(2001/06/16参照)際、流石に梅雨の真っ直中、時折小雨すら降る高温多湿の園内をスーツ姿で歩いた時には、せめて出張がてらとは雖も動物園に行く際には普段着も準備しておくべしと悟った次第。

 しかし今回、京都出張の序でに京都市動物園に足を運ぶ際には、幸いにも此の時期はコートを羽織っている事、京都での宿泊を前提とした出張であった事からビジネス用鞄では無くデイパックを背負っていた事から、普段着など不要と判断した次第。尤も足下に目を遣り黒革靴を履いている事を意識する度に僅かな違和感を覚えずには居れぬが。

 さて、半年以上振りの京都市動物園には大きな変化があった。入口を入った処に動物の位置を示す指示板があり、虎や獅子やオランウータン等の人気者、狸や栗鼠や鹿など親しみ深い者達に加え、如何にも唐突の感を抱かせるかの如くヤブイヌが追加されていたのだ。恐らく園内を回り回って結局ヤブイヌに会えたのが最後になってしまった私(2001/03/03参照)の様な人達が途轍も無く大勢居たのであろう。而も彼等は私の様に己のサイトに公表するのとは異なり、動物園側に直接激しく言い寄ったのであろう。京都市動物園を訪れた人達の熱意の総体が動物園を揺るがした結果が此のヤブイヌ看板という訳であり、動物園の決断に感謝すると共に、訪問客の「熱意の総体」に加わる事の無かった自分に内心忸怩たるものを感じずには居れなかった。此処は一つ、園内のヤブイヌのチエコ嬢の婿探しに一肌脱ぎ、有り余る性欲と磨き抜かれたテクニックを持ったヤブイヌ似の後輩(2001/04/03参照)を婿としてチエコ嬢に捧げる位の熱意を示さねばならぬと感じ入った次第。

 今回は久方振りに極私的京都名所たるインクライン及び動物園に隣接する疎水記念館(2000/10/24参照)を訪れたかった為、園内での目的を唯一ヤブイヌのチエコ嬢に絞り、看板に従いヤブイヌ舎を訪れたのだが生憎時刻は午の刻過ぎ、彼女は横たわり微睡んでいた。好きな相手の寝姿を只ぼーっと見守るのも一つの幸せと考えている私は当然の如く、ヤブイヌ舎前の一人用ベンチに腰を下ろし、彼女の寝姿を見守りつつ一時間程読書に勤しんだ。どうでも良いのだが、ズーラシア、東山動物園、京都市動物園と、国内のヤブイヌ舎の前には全てベンチが置かれているのは正に私の様な人物を想定しているのであろうか。

 其の内チエコは恰も寝覚めの悪い人間の寝起きの様に、起きたり寝転んだりを繰り返し、立ち上がっても暫し欠伸を繰り返したりしていたのだが、突然何かに取り憑かれたかの如く、所狭しと恐ろしい勢いで舎内を左右に走り回ったのだ。此ではなかなか写真が撮れぬと思いつつも、彼女の若さや悪い寝覚めからの回復の早さが、もう若くも無く寝覚めも悪い儘気が付けば一日が過ぎている様な私にとって、非常に恨めしく思った次第。併せて、昨秋会った時には痛々しさすら感じさせた東山動物園のヤブイヌの事が再び心配された(2001/11/04参照)。チエコ嬢の御転婆振りに満足するだけでは無く、近々東山動物園にも足を運ばねばならぬ。


2002/02/22

天下一品本店

 午後京都に出張する事となり、翌日が休日なのを良い事に京都で一泊する事とした。一瞬京都在住の長妹と会うなりあわよくば長妹宅で宿泊もと考えようとしたのだが、どうやら長妹に非常にステディな彼氏が居り、彼女の親も二人に会い桃色交際を公認するばかりか愚息たる私に賢弟たる義弟が出来る事を喜ぶ位のレヴェルに迄至っている事を最近どういう訳か当の長妹以外のルートで把握した為、無闇矢鱈と長妹の時間を奪うばかりかましてや彼氏との桃色遊戯の機会を奪うなどという野暮な行為を取る訳にいかず、素直に宿を取った次第。

 京都で夜を過ごすからにはやらねばならぬ事が存在する。「天下一品」の本店に足を運ばねばならぬ。明日は京都市動物園でヤブイヌのチエコ嬢との密会を行う予定の為、別に天下一品本店は其の後でも良いのだが、どうも私の中では京都の天下一品と言えば、深夜に度々知人達と自転車を飛ばして足を運んでいた学生時代の体験の所為で、夜に食すべきものというイメージが醸成されてしまっており、矢張り今回も夜が良かろうと考えるに至った。

 天下一品マニアの間では夙に知られている通り、本店と各支店とではスープの味が微妙に異なるのだ。恐らく運搬に因るタイムラグの所為では無いかと思われるのだが、同じ京都市内でありながら「天下一品」の看板を掲げる事が不思議でならぬ位味の異なる店舗も存在する(1999/12/23参照)為、真相は謎に包まれた儘である。元々味音痴の私は、学生時代は左様な事も気にせず当時の寓居の最寄りの天下一品(其処は別段耐え難い味では無かった)に赴く機会が多かった為、実は本店に足を運んだ事は過去数回程度しか無く、而も其の内二回が京都を離れてからであり、更に出張の最中であった事から二回とも「大蒜抜き」を注文せねばならなかったのだ。

 処が今回は出張も終了し、後は翌日にチエコと会うのみ。肉食獣の彼女なら大蒜臭など嫌うばかりか寧ろ好むのでは無いかと、彼女と其処迄口や鼻を近付ける機会があるのかは別としてそういう考えに至り、思いっ切り「大蒜入り」を注文出来ると期待に胸を膨らませ、深夜にホテルからタクシーを飛ばして本店に向かった。

 嗚呼矢張り美味い。味音痴のレヴェルも学生時代よりは少しは改善された(と自分では勝手に思っている)今では明らかに他店舗との違いが判る。此の至福の時を少しでも長く過ごしたいと思いつつ身体が勝手に美味い美味いとどんどん食してしまう。本店ならではのスープを普段通り一滴も残さず平らげ、タクシーを拾ってホテルに戻った次第。

 しかし其れにしても、拉麺の代金の十倍近くの交通費を払って僅か一杯の拉麺を愉しむとは、宿泊費を節約する為に長妹の処に宿泊しようと考える者の思考とはとても思えぬ。


2002/02/21

プレゼンテーション

 考えてみれば広告代理店時代を含め、百人の赤の他人から成る聴衆の前でのプレゼンテーションは初めてかも知れぬ。そう思いつつ本日のプレゼンテーションに向けて予め準備された資料を此処数日読み込んでいたのだが、読み込めば読み込む程「何で此を言わんねん」「何でこんなもん一々説明せないかんねん」等と怒りのツッコミが沸々と沸かざるを得なかったのだ。此の怒りを資料作成者にぶつけようとも元々私の元に三人程の手を経て回ってきた資料であり、どのセクションで作成した資料かは判明したのだが具体的に誰が作成したのかは判らず文句の言い様が無い。尤も此の資料、其のセクションに於いては十分に通用する資料であったのだが、其のセクションに於ける業務経験の無い私が其のセクションを代表するかの如く与えられた資料を用いて説明する事自体大いなる誤りと言えよう。結局私の事前準備は其の資料を説明する事に主眼を置くのでは無く、下手をすれば恰も此のプレゼン資料が不完全なものである事を証明するかの如く如何に効果的に適切なアドリヴを入れるかに主眼を置く事となった。

 そんな訳で会場に赴き、自分にしては珍しく非の打ち所が無いのでは無かろうかと思える位、時にはプレゼン画面から逸脱し、時にはプレゼン画面をすっ飛ばし、本来こういう説明をせねばならぬと言わんばかりのプレゼンを行う事が出来た様に思える。其の後聴衆からの質問等を受けたりプレゼンから離れたトークを展開し好き放題喋ったりと、つい先週迄己の身の振り様で周囲も含め自我が混乱していたとは思えぬ位心地良い半日を過ごす事が出来たのだ。

 さて、心地良い状態で打ち上げの席に赴き聴衆からのアンケートに目を通す内、心地良さも若干吹き飛ぶ事となった。曰く「プレゼン画面に比べ冗長な説明が目立った」など、所々に「冗長」なる単語が散見されたのだ。本来プレゼン資料に足りぬ、此では真のプレゼンたり得ぬと考えた末、プレゼンを聴衆にとって百パーセントの物に仕上げる為に補った言葉を「冗長」とは。彼等にとってはプレゼン画面と一言一句違わぬプレゼンこそ「優れたプレゼン」なのか。因みに斯様な指摘を行った聴衆は決まって大学生であった。決して彼等が将来就職先を選択するにあたり広告代理店だのシンクタンクだのに就職せぬ事を祈るばかりである。


2002/02/20

批評家

 此の歳になって未だに不思議でならぬのが「批評家」なる肩書きの存在。或る分野に於ける活動家の言動及び活動の成果に対し「此処が正しい」「此処はおかしい」などと論評する事を生業としている人間を指すものと私は解しているのだが、左様な論評を行うからには自分自身は当然其の分野に於いて絶対的な存在で無ければ務まらぬ筈。

 然すれば批評家とは少なくとも自分が批評の対象としている分野に於いて最高の立場に位置せねば批評など不可能では無いのか。小説界を例に挙げれば、最高の立場に居る小説家のみが小説界に於ける批評家たり得、逆に小説界に於ける最高の立場の批評家は必ず最高の立場に居る小説家であると言えよう。処が実際には「批評家」なる肩書きを名乗る者に限って小説を書かぬ、書いても大した小説でも無いが故批評の資格など無く、本来批評家の資格を十分に有する小説家は縦令小説批評を行う際にも「批評家」なる肩書きをわざわざ用いる必要は無かろう。

 そう考えれば「批評家」なる肩書きを殊更強調して名乗る者程其の批評の内容が胡散臭く感じられて然るべきなのだが、どうも世間では「批評」を強調して批評の対象以上の成果も期待出来ぬ輩が大した考察も加えず己の感情の赴く儘毒舌を吐けば吐く程、其の内容は二の次どころか三の次四の次で「此処迄言える人こそ真の批評家」などと有り難がられ人気が出る模様。


2002/02/19

指定席に於ける上座

 基本的にJRの駅に於いては、通常指定席の絡む切符を購入しようとすればわざわざ窓側の席になる様駅員が機械操作の際に尽力している模様である(私鉄の指定席は利用頻度が低い為良く判らぬ)。恐らく「上座」「下座」の概念が強く浸透しているのであろう、窓側の席が取れぬ場合、駅員は申し訳無さそうに「通路側でも宜しいでしょうか」と、恰も私が「下座」に就かざるを得ぬ事を詫びるかの如き態度で臨むのだ。

 時として荷物が余りに多い場合や着席後直ちに放尿で席を立ちたい時や比較的短時間の利用の際には寧ろ通路側を指定したいにも拘わらず、本来私は一人で乗車する際には「上座」「下座」の概念を持たぬにも拘わらず、何か自分から「下座」を希望するかの如き気分になり、己の要求が通った末には「はい、下座の切符をわざわざ御用意しました。其れにしても自ら下座を希望されるとは余程人間のレヴェルの低い方ですな」などと駅員に思われそうな気がして、己の気の弱さと内なる最低限の自尊心とが相俟って、結局は何も希望を口にせず「上座」の切符を手にする事となる。

 さて、先日切符の手配をした処、駅員は矢張り「上座」をわざわざ選んで機械操作を行ったのだが、其の結果車両の最前列という、前が壁で脚も伸ばせぬ席となってしまった。而も実際に其の席に座ってみて判明したのだが、丁度前の車両が排煙可能車であり、通路の扉が開閉する度に前の車両から煙草の排気が遠慮無しに飛び込んで来ては不愉快な思いをせざるを得なかったのだ。此では私にとっては「下下下下下座」位の席である。否、車両中程の網棚の上に寝転がる方がまだましかも知れぬ。

 「上座」「下座」の意識を駅員が持ちつつ切符を提供している事自体は素晴らしい事では無いかと思っている。ただ残念な事に此の場合、「上座」「下座」を決定する権利は本来客が有している筈。駅員が斯様な意識を抱くと共に、切符購入の際に「今日の俺の上座は、名古屋駅階段近くのグリーン車の隣の排煙禁止車両の中程で放送マイクの直下で無い窓側の席」などと言っても全く駅員がまごつく事無く機械操作で該当席の切符が出て来るという、夢の様な時代が早く来ないか、というか未だ来ないのか、と思って止まぬ。


2002/02/18

日本語感覚を磨く三冊

 日本語感覚を一層磨き精進せねばという飽く無き向上心故、先日三冊の書物を購入した。先ずは恐らく日本語学者として知名度日本一と思われる金田一春彦の「日本語を反省してみませんか」。最初の方の模擬テストで己の過ちを自覚し、其の過ちを正すという形式で始まり、日頃氏が(悪い意味で)気にしている日本語の用例の紹介、相手を意識した上での上手な日本語の使い方等について触れられている。無論私の場合、最初の方では己の過ちを自覚するというよりは、氏と共に(悪い意味で)気になる日本語の用法に嘆息していたのだが、より良い日本語の使い方、とりわけ其れが単なるテクニカルな部分だけで無く人間のメンタルな部分に働きかける使い方という点に非常に感心しつつ読み進めていった。

 もう一冊は町田康の「屈辱ポンチ」。彼の文章を昨冬日本経済新聞夕刊の週一コラムで熟読し、彼特有の、一文を読もうとしても途中で息が詰まりそうになる位に引っ張りつつどんどん其の一文の中でストーリーを進めて行ったり独特の宇宙を作ったりしながら最後にはしっかり読者に其の内容を恰も音楽を聴くかの如く頭に刻み込ませるという作風が私にとって非常に心地良いだけで無く正に私の目指そうとしている文体に極めて近い事から、「エゾシカの嘶き」執筆の教科書的存在としてページを繰りつつある。

 そしてもう一冊が「官能小説用語表現辞典」。女性器や男性器等肉体の部位や肉体からの派生物のみならず行為の際の声や擬態語や行為を描写する表現、果ては年齢別女性器描写に至る迄、見出し語二千三百語それぞれについて五百冊にも及ぶ官能小説の中から文例を付しているという辞書である。言う迄も無い事なのだが、私が此の書物を購入した動機は上述の二冊と全く同じく、己の日本語感覚(而も官能表現に限らぬ)を磨く為であり、決して書籍の帯にでかでかと書かれている「官能小説を書こう!」という目的でも無く、況や単に猥語を目にしてニヤニヤして興奮しては日常会話で用いるなどというオッサン臭い目的でも断じて無く、一種類の物事(而も比較的グロテスクな)を読者に脳外科手術を施すかの如く、当該物事であり乍ら其れを遙かに超える、読者にとってのブリリアントなヴィジョンを如何に日本語の力で見せるか、という日本語の可能性を、官能表現に見出した為である。其の切っ掛けとなったのが団鬼六の官能表現(2001/06/15参照)であった事は言う迄も無い。

 其れにしても「あとがき」を読んで編者にはほとほと感心した。「あとがき」に拠れば、元々彼が此の書物を編纂する動機が正に私が求める日本語の可能性を官能小説に於いて追究した記録として其れ等表現を遺しておきたいというものであり単なる己の淫心の発露や目立ちたがり精神に由来するものでは無い事、此に加え、「あとがき」執筆日が「2001年クリスマス前夜」という、正に日本人にとって最も官能に相応しい日である事から、編者の尋常成らざる拘りが感じられたのだ。

 然し大いに気になった点が一つ。先日(2002/02/15参照)話題になった、「チン汁」なのだが、「マン汁」が掲載されている一方で此方は掲載されていないのだ。其れだけでは無い。当該「チン汁」論議の中で争点の一つとなったカウパー腺液について、当該書物では一切官能表現が掲載されていないのだ。愛液についても精液についても数百語以上の官能表現が掲載されている一方、カウパー腺液については一切掲載されていないという事は、編者は所謂「少量或いは非分泌派」(2002/02/15参照)に属するのであろうか。何れにせよ、レンタルヴィデオ店のアダルトコーナーを一巡して縦令気に入ったヴィデオが無かろうと勃起した記憶すら無いのに知らぬ間に大量に分泌している様な「病的大量分泌派」の私にとっては幾分残念であるのだが。


2002/02/17

肉体関係に於ける相手の心境

 普段獣愛を広く此の場等で説いているのだが、偶には獣愛に於ける肉体関係に限定して話題にするのも良かろう。因みに言う迄も無い事だが、別に私が獣と肉体関係を持った事を機に作品化するという訳では無く、抑も私は此の歳にもなって未だに獣との肉体関係を持った事は無いのだ。

 其れはさておき、普段獣との肉体関係に於いて相手側の心情を考えている者は世間に如何程居ようか。折角の機会、相手側の立場になって獣との肉体関係を考えてみるのも読者にとって非常に有益なものとなろう。という訳で、世間で最も一般的に行われていると思われる、牡犬と女性(煩雑さを避ける為、人間については性別のみを記す事とする)との肉体関係について、牡犬の心情を検討する事とする。

 先ずは直接的に性器間結合は無いものの、所謂バター犬の心境を考えてみる。女性の股間に塗りたくられたバターの香りに魅了され先ずは一舐め。「うわっ!動いた!」「うわっ!今度は何やすげー声出してるぞ。俺襲われるんやろか」犬は若干驚きつつも其の味覚の虜となりせっせと舐め続ける。「其れにしても此の黒くて細いもじゃもじゃ、舐めるのにえらい邪魔やなぁ」バター犬を愉しむ女性は予め陰毛を剃っておいた方が良いのでは無いか。暫く舐め続け、女性も次第に満足すると共に犬にとっては行為の諸源となるバター自体が失われつつある。「あれ?此の味さっき迄と違うぞ。バターというよりチーズ、而も腐ってるんちゃうか」女性は己の快感のみを目指すばかりで無く、バターと愛液とのバランスに常に気を配り、犬に余計な気を掛けさせてはならぬ。

 そして牡犬と女性との性器間結合。先ずは牡犬を勃起させる為に手や口を用いる事になるのだが、人間相手に行っているのと同様の加減で行うと「うおおっ!こんな快感初めてや!陰茎の周囲に纏わり付いて扱いたり吸ったりされたらもう堪らんがな!」と、下手をすれば其の時点で射精に至りプレイ終了となる恐れがある。此処は自然に牡犬の発情期を待った方が正解では無かろうか。そして挿入。此処で女性が激しく動いたり大声を出したりすれば前述の通り犬は恐れを為す事となろう。彼にとっては黙って身を委ね微動だにせぬ女性の方が却って理想的なのかも知れぬ。

 両者の快楽あってこその肉体関係。日常獣愛に於いて肉体関係を愉しむ方々も、上述の例を問わず普段此処迄考えた上で肉体関係を嗜んで頂く事を祈念して止まぬ。

 因みに言う迄も無い事だが、私は牡犬と女性との肉体関係を目撃したり当事者にヒアリングを行ったりした訳で無く、極自然に牡犬の立場に立ち思索を巡らせたのであり、抑も私は此の歳にもなって未だに獣との肉体関係を持った事は無いのだ。


2002/02/16

宗教勧誘

 先月実家の親宛に、唐突に私の連絡先を教える様電話があり、流石に其の場では私の連絡先を相手に伝えず逆に相手の名前及び連絡先を確認したとの事なのだが、後で高校時代に寮で私の後輩であったという彼の名前を実家から聞いても噸と見当が付かぬ。幾ら記憶力の極めて弱い私ですら、縦令十年以上前ですら多少なりとも世話をしたり世話になったりした人間を記憶の彼方から抹消する事はまず有り得ぬ。

 丸一日記憶を辿っても想起出来ぬ為其の儘黙殺しようとも思ったのだが当方の勘違いという事も十分有り得る為に、想起出来ぬ非礼を詫びつつ彼に電話を入れた。本人曰く私の四年下であり、中高一貫の寮に於いては同じ屋根の下に居た期間は僅か二年。容姿は何とか想起出来たのだが彼と言葉を交わした記憶が全く存在せぬ。

 其処迄に関係の希薄な彼が何故十年以上振りに私の実家に電話を掛け私の居所を突き止めようとしたのか。単刀直入に尋ねようともしたのだが、彼の事が全く記憶に無かったという弱みもあり、彼此思案せず用件を尋ねてみた処、一度会いたいとの事。職に就かぬ儘埼玉県で一人暮らしをしている彼が何故名古屋を訪れるのかが全く理解出来ぬ。私以外にも関東地区に存在する筈の同窓に会ったのかと問うても殆ど会っていないとの事。職にも就かず自由気儘な時間を過ごしながら関東の知人とは疎遠な一方、私と会う目的で名古屋へ新幹線で飛んで来るという事から彼の目的が決して真っ当なものでは無いと心中で断定し、面会を拒否しようと思いつつも、一体どんな「真っ当なものでは無い」目的なのかを知りたいという欲望もあり、一ヶ月後の週末を指定する事とした。

 そして其の日が今日。昼に「エゾシカの嘶き」のコアな読者とパスタに舌鼓を打ちつつコアな議論を交わした後、其の「後輩」との待ち合わせに臨んだ。成る程外見は高校時代(彼は当時中学生だったが)と殆ど違わぬ。久方振りの再会を懐かしみつつ記憶に無かった非礼を詫び、駅構内にある小洒落乍らも味噌入りケーキや鯱型ケーキなどという極物商品を売りにしているケーキ店(2000/12/22参照)で談笑しようとした。暫し旧友の話題を振るも反応は今一つであり、私も愛馬が申の刻前に競馬に出走する事もあり、「ではそろそろ次の予定が」と話を切り上げようとした処彼は突然話題を想像も付かぬ方向に持っていった。「日本も海外から格下げの対象になってきてますよね」私が其の手の業務に就いている事を踏まえての話題かと思ったのだが余りに展開が唐突過ぎる。次いで「東海大地震は此処二年以内に必ず起きるという間違い無い調査結果が出ている」などとほざいた為「阪神淡路大震災の時にも予知調査して呉れれば良かったのに」と混ぜ返すと「あの時も必ず起きるという調査結果は出ていたのだ」と再度ほざいた為私は「へえ其れは初耳。其れが判って居ればあんなに悲惨な結果にはならなかったのに」と言ったのだがもう彼の頭には東海大地震の恐怖を口角泡飛ばして語る事しか存在せぬ。

 程無く彼は馬脚を現わし、今回名古屋に来た唯一かつ最大の目的を果たしに掛かった。「東海大地震が日中に発生したら一体どれ程の人が犠牲になるのか。日本経済が破綻したらどうなるのか。日本を救う方法を知っている人は日蓮様しか居らぬ。他の仏教は是異教哉」つい先日三日間雪に閉ざされた高野山に籠もり朝のお勤めから夜の説法迄真言宗に浸りまくってきた(2002/02/09参照)事を知っているかの如く私の逆鱗を敢えて突いて来るかの如き彼の論旨に私はすっかり話を聴く気が失せ、日蓮だの大石寺だの著作物一冊一冊の説明を余所に、店員に水の追加をしながら頭の中は京都第十競走・北山ステークスに出走する愛馬・カネツフルーヴで満たされていた。

 そろそろ競馬中継を観に帰宅せねばと話を打ち切り「幸せを追求する為に他人に全てを委ねる気など更々無い」「幸せなど人それぞれ異なって然るべき。一律に押しつける物では無い」との持論を捨て台詞として私は店を出ようとしたのだが後輩は私の腕に縋る縋る。彼の真の目的は有ろう事に、私を名古屋近郊の道場に連行する事だったのだ。己の迷惑さを十分に認識し、何処までも私に迷惑を掛けて連行するという決意の下、中学高校は柔道部、大学中退まではアメリカンフットボール部で鍛えた巨体で私を遮り大声で説法を続ける。「警察を呼ぶぞ」と携帯電話を構えても「呼ばれても構わぬ」と只管追い縋る。名古屋駅構内で定期券を持っていた事が幸いし、切符を購入する事無く改札を入る事で難無く相手を振り切る事が出来た。

 万が一に備え、駅のホームから自宅に一報を入れ、己の身に何かあった場合には先日の電話の主及び然るべき宗教団体が絡んでいる旨伝えていた正に其の時、私の視界には何時しか切符を購入した彼が入ったのだ。無視して逃げる私、追いかけて大声で私の名を連呼する彼。周囲の助けを借りても良いのだが其処が私の庭とも言える場所である事が災いし、事を荒立てぬ様、然りげ無く警察に近づく事とした。そして改札を出た瞬間、流石に彼は一度改札を出たら今度改札を入るのに再び切符を購入して難儀せねばならぬ事を悟ったのか、もうついてこなくなった。「仏法の罰は貴方の想像を遙かに超える位恐ろしいものだ。今後如何なる不幸があっても知らぬ」なる捨て台詞を投げつつ、彼は私の周囲から姿を消した。

 何時彼と遭遇するか判らぬ。其れ以上に、此の儘彼等の只ならぬ組織力を以て自宅迄尾行されては堪らぬ。そう思った私は、定期券の範囲内で数時間に亘り列車の乗降を繰り返して居たのだ。普段買い物をするスーパーは生憎彼等の道場の最寄駅。買い物にも立ち寄れずに通常人の考えられぬ方法で寓居に戻った次第。当然競馬どころか陽も暮れていた。更に悲しい事に、愛馬・カネツフルーヴの応援に携わる事が出来なかったばかりか彼が北山ステークスを見事制し一年振りの勝利の美酒を味わう瞬間を観る事が出来なかったのだ。

 私が彼に述べた通り、幸せの追求方法なんて人それぞれなのだから、彼が如何なる宗教(其れが宗教なのかどうか私には極めて疑わしいのだが)に手を染めようが認めぬ訳にはいかぬ。しかし良く考えてみよ。他人を欺罔して接触し、騙し討ちで其の思想を植え付けようとした時点で、其の思想が通常受け容れられぬものと己で認めて敗北の意を示した事に他ならぬでは無いか。宗教に限らず、自分でも他人に受容されるか否か自信の無い思想など、他人に受け入れさせようなど笑止千万である。大体、布教のしつこさで歴史に名を刻んだ彼の「師」ですら、強固な信念の下、時には命を賭して迄正攻法で布教するのが信条だったでは無いか。


2002/02/15

博多の女

 最近愛聴している曲の一つに「博多の女(ひと)」なるものが存在する。最近私がすっかり嵌ってしまっているモダンチョキチョキズ(2002/01/30参照)の名曲の一つであり、アップテンポの演歌調で男女のデュエット曲とくればもうカラオケで歌えば人気独占間違い無い曲である。但し活動休止中の音楽集団の十年近く前の曲がカラオケ屋に入っている可能性は極めて低いと思われるが。

 此の曲では男女が頻りに「饅頭」を歌詞に盛り込み、最後に二人で締める言葉も「饅頭!」なのだが、只でさえ「饅頭」が連呼される此の曲を暇さえ有れば耳にしている所為に相違有るまい、耳で「饅頭」と聞く度に思わず頭の中で「マン汁」と変換される様になってしまったのだ。其の都度私は「『マン汁』は『まんじる』と読むのが正当であり『まんじゅう』とは読まぬ」と自分に言い聞かせ、念の為広辞苑にて「まんじゅう」を繙き「マン汁」なる表記が無い事を確認して、饅頭とマン汁が私の頭の中で金輪際関係を持たぬ様努力していたのだが、どうやら努力すればする程両者の関係は日に日に強くなりつつあるという困った事態を惹起しつつある。

 そんな悩みを抱きつつある今日此の頃、ふと新たな悩みが私を襲った。「マン汁」(どうでも良いのだが「まんじる」と打って変換させる度に一発で「マン汁」が登場するのは喜ぶべきなのか悲しむべきなのか)という表現は日常会話で老若男女を問わず親しまれ日々用いられているのだが、此に対して「チン汁」なる表現は生まれて此の方目にした事も口にした事も、更には耳にした事すら無いのだ。全国を隈無く調べれば「チン汁」なる表現を用いている地区も存在するのかも知れぬが流石に旅行好きの私も全てを擲って「チン汁」を目的とした全国行脚を行う程の暇も金も熱意も存在せぬ。縦しんば或る地方で「チン汁」なる表現を耳にした処で、只単に通常愛玩犬として飼育される狆を、其の外見の模様から牛の代用として食する風習のある地方に於ける、狆を用いた汁物料理であったとあれば、其処に至る迄の徒労が私の生気を一切奪い去る事であろう。

 尤も此の疑問は小考の後解決する事となった。即ち「マン汁」が通常一種類の液体(化学的には複数の分泌液の混合と捉えるべきかも知れず、其の混合の度合いが人それぞれの味香の違いを醸し出しているのであろうが、此処はあくまで生物学的に所謂「バルトリン腺液」を一種類と解する)を指すのに対し、「チン汁」は所謂カウパー腺液と精液との二種類の何れを指すのか、或いは此等の総称を指すのか、言葉だけでは判別し兼ねる点から、此の定義付けが明確に成される迄は世間に流布せぬと言明する事が出来よう。

 今頃広辞苑編纂者達は、カウパー腺液大量分泌派、少量或いは非分泌派、精液同時分泌派、女性編纂者の四派に分かれ、「チン汁は男性から先ず最初に放たれる汁であるカウパー腺液を指すのだ」「否其れでは我々は『チン汁』を分泌出来ない事になってしまい、或る意味男性として屈辱的であるが故、精液を以て『チン汁』とすべし」「否、一々射精後に其の都度『どの部分がカウパー腺液でどの部分が精液か』などと確認し、放出された液体の一部のみを『チン汁』とするのも煩わしい。興奮の極致に放出される分泌物は全て『チン汁』とすべし」「『チン汁』を掲載するので在れば併せて『マン汁』も掲載すべし」などと日夜を問わず日々口角泡飛ばしながら議論を深度化させているに相違在るまい。折角の議論を無にする事無く、広辞苑第六版の付録に於いて此処等辺の議論及び編集者の所属派閥を明確にすれば売れ行きも数倍伸びるのでは無かろうか。広辞苑編纂者及び岩波書店に是非検討をお願いしたいものである。日本を代表する国語事典の編纂過程を人々に遍く知って頂くという趣旨に於いて、屹度新村出先生も草葉の陰でお慶びになる事であろう。


2002/02/14

署名

 川獺似の妻からのプレゼントであった書籍を全く気付かず古本屋に売ろうとして妻から激怒された栗鼠似の知人の話(2002/02/07参照)を聞いた際、私は自己の経験から川獺妻に、書籍にはサインや一言を記すなどすれば安易に第三者に渡せぬ為効果的である旨アドヴァイスを行った。

 中学生・高校生が寮生活で同居する環境に於いて、高校三年生が卒業する直前ともなると彼等の部屋には付き合いの深浅を問わず後輩達が日々押し寄せていた。卒業に伴い不要となった参考書をはじめ様々な日用品等を譲って貰うのが其の目的である。

 私の卒業前も事情は同じであり、「お前誰や、というか何かあげる義理でもあったっけ」と思えるような後輩を含め、少なからぬ後輩が押し掛ける事となったのだが私は予め手を打っており、寮生活で付き合いの深かった者には予めこそっと相手の希望に添った「形見分け」を行い、残り物を浅い付き合いの後輩に宛う事としていたのだ。

 私の場合、学業成績が優秀であった、否、日頃馬鹿な事を行い部活に現を抜かし寮では読書に勤しむか惰眠を貪るなどで学業に取り組む素振りを見せぬ割には其れ相応以上の学業成績を遺していた(実際には私が学業に取り組む様子を周囲が認知していないだけであり、自分では「己の学業への取り組み具合を遙かに下回る成績」と認識していたのだが)為、いわば「お守り」気分で参考書の類を所望する輩が多かったのだ。大体文系の後輩が何故理系の私も理解出来ぬ位の物理の参考書を欲しがろうとしていたのだ。

 其れはさておき、私は書物をはじめとして後輩への「形見分け」の際には必ず相手の名前、日付、署名、サインを記して渡していた。此こそ正に「俺からお前に『一子相伝』の如く此を差し上げるのだ。心して受け取るように」という意思の表れであり、後輩に対し私の存在を記憶に留めておくと共に、其の品を安易に捨てたり第三者に譲渡したりするのを防止する、という目的を含んでいた。

 処で此を手にする後輩側の心境は如何様な物であったのであろうか。見る限りでは「何でもええから貰えたからええわ」位にしか思えなかったのだが、実際には「おお!サインまで頂いた!此は嬉しい!」と思ったのか「恥ずかしい…自分の名前書くとこ無いし、書いても其れより大きい字で他人の名前が書いてあるし」と思ったのか。

 答えは程無く自分自身の体験から判明した。大学入学後応援団に入団し、団の制服たる学ランを先輩から譲渡された時。服の裏面には龍や虎のリアルなイラストに加え、先代から三代程前迄の着用者の学校名(他校から譲渡されるケースもあるのだ)及び氏名が所狭しと刺繍されていたのだ。当該学ランの歴史、過去の先輩達の重みを感じると共に、「此処に俺の名前入れても一体誰の服か第三者からは誰が真の持ち主なのか判別が付かんやろうし、大体何処に刺繍したらええねん」とやや悩む事となったのだ。


2002/02/13

梅田界隈に於ける「点」

 昔から両親に連れられて歩いていた所為か、予備校の講習会で大阪に通っていた時代に知人に適当に案内される儘歩いていた所為か、大阪駅から徒歩僅か十数分の処で半年程居を構え通勤していながら、梅田界隈の地理はまともに調べた事も無く身体に覚え込ませている。具体的には梅田界隈を歩く際、嘗て歩いた時に目にした光景を点と線に分類し脳で変換させ脚に送るという、非人間的且つ果たして其の行動が正解なのか否かが確認出来ぬという方法を採っている。極端な話、大阪駅の東海道線下りホームから紀伊國屋書店の洋書コーナーに直行する際、私の身体が目指すルートが最短最速で合理性を有する物か否か未だに自信が無いし、大阪駅の環状線ホームから最も近いラーメン店「天下一品」が、北新地店なのか堂山店なのか福島店なのか未だに判らず、取り敢えずは北新地店若しくは堂山店を用いているのだがひょっとすると福島店が最も近いのでは無いかという疑念もうっすらと抱きつつある。

 さて本題に戻り、私が身体に覚え込ませている「点」の光景の一つに、「大関将棋道場」なる大看板がある。JR大阪駅北口の跨線橋の麓に存在する其の看板、米長邦雄永世棋聖の全身イラストに加え彼の出題する二問の詰将棋が定期的に差し替えられつつ掲げられ、脇に応募用紙が備え付けられているというものであり、個人的には、此程迄に人通りの激しい地に於いて私の趣味である将棋がでかでかと広告になっている事、而も広告の中心が私の敬愛する棋士である事から、印象に残らずには居られないのだ。

 実際には大阪に足を運ぶ都度何度其処を通ってもあくまで其れは私にとって「点」であり、一度たりとも詰将棋の解答を寄せた事など無かったのだが、昨年11月27日付毎日新聞大阪版を目にしてえも言われぬ寂寥感に襲われる事となった。広告主の費用節減の一環として、此の看板が昨年末限りで姿を消す事が判明したのだ。結局其れ以降大阪に足を運ぶ機会が無い儘、最後の供養代わりに詰将棋の解答を寄せる事も無く、米長邦雄の看板は姿を消してしまい、私にとっての「点」が一つ失われたのだ。

 先日偶々其の場所を通り掛かった処、中山美穂が新たな「顔」となっていた。新たに此を「点」と考えれば良いでは無いかと思われようが、別段彼女が其の場所でしか有り得ぬ格好をしている訳でも無く、其の看板から場所の特定は非常に困難である。大体私の身体のみならず、大阪人との共通の話題として、「大阪駅の詰将棋看板」なら待ち合わせにも使えようが、「大阪駅の中山美穂の看板」では恐らく待ち合わせは疎か会話すら成立すまい。単なる寂寥感だけでは無い。梅田界隈を散策する際の移動或いは梅田界隈に於ける待ち合わせにも多大な支障が発生するという、実害すら存在するのだ。今更看板を戻せとは言わぬ。せめて中山美穂に詰将棋を出題させたりタイガースの法被を着用させたりユニヴァーサル・スタジオ・ジャパンの絶叫マシンに載せて思いっ切り顔を引き攣らせたり等、其の場所でしか有り得ぬ格好をさせて頂けないものか。

追記(04/12):本題とは全く関係無いとは認識しつつ、念の為に天下一品の店舗名を確認しようとした処、「堂山店」或いは其の場所に位置していた店舗は現存せぬ事が判明。此の店は焼豚をフレーク状にして居り、肉欲の薄い私でも其れが肉である事を意識させずに食する事が出来たと云うのに。


2002/02/12

重い選択

 振り返れば人生に於ける選択の内容が重ければ重い程あっけらかんと迷い無く選択していたように思える。

 中学進学を前に、地元を離れ私立中学への進学を勧められた際に「受験に合格すれば鉄道模型を買ってやる」との親の言葉に一も二も無く乗ってしまった事を皮切りに、大学受験の進路指導に於いて、私が長年熱望していた進路を、私の受験に於ける実力のみならず家庭の特殊事情等も含め、担任から私及び親に罵倒にも近い言葉を浴びせられたショックで翌日には進路をあっさりと変更し、何とか其の大学への進学が決定したものの初志を貫徹すべく高校時代にお世話になった予備校講師や大学の学生相談室の意見を聞いた程度であっさりと大学中退を決意し、再受験勉強を進める内に「己の『初志』は別の方面でも達成出来るのでは無かろうか」と考え直し受験一月前には全く考えもしなかった進路を選択した。恐らく結婚なんぞの時には「旅行中に隣に居た女性」だの「東山動物園でヤブイヌ舎の前で嬌声を挙げていた女性」だのにほいほい求婚するのでは無かろうかという懸念があったのだが幸い現時点に於いては左様な暴挙には至って居ない。

 而るに今回、此処暫く私の中で沸々と生じつつある人生に於ける選択(2002/02/09参照)について、日々悩み続け、挙げ句の果てには山籠りによって其の悩みを断ち切る迄に至る事となった。山籠りの三日間で結論を出し、後は関係者に報告するのみといった処に迄至り乍ら、今朝から一日中其の関係者と顔を合わせていながら、報告に至ったのは夜になり、其の人が外套を着用し鞄を持ち、正に私の前から退出しようとした寸前の事であった。私も歳をとり若い頃とは考え方が異なってきたのであろうか、其れとも只単に優柔不断になったのであろうか、或いは今回に限っては自分の出した結論に心の何処かで未だに自信が持てないのであろうか。


2002/02/11

特殊な旅欲・3

 旅館で言えば「賄いさん」という立場なのであろう、此の三日間を過ごした宿坊に於いて、上げ膳据え膳や布団の上げ下げに加え伝令としてお世話になったのは、くりっとした見るからに純粋無垢な眼を持った少年僧(高校生であり修行中との事だが)であった。余りに丁寧且つ一生懸命な其の姿に私は彼と接する度に凛とした気分になり、別に特別な意味で無く、彼が部屋に来る度に、此の儘共に居て共に思索に耽れば屹度私にとってプラスになるのに、などと思ったりしたものであった。

 途中からは余裕も出てきて、名前を尋ねたり高校生活との両立について伺ったりなど雑談もしていたのだが、如何せん相手は他の客の対応に加え僧としての修行や学業(丁度試験前との事であった)もあり、私が独占する訳にも行かぬ為深い話には至らなかったのだが。無論帰宅後早々に、寺院に対し電子メール乍ら彼の応対だけで無く当方の気分にも少なからず影響を与えた点について思いっ切り謝意を表したメールをお送りした事は言う迄も無い。

 其れにしても何時も思うのだが、非常に丁寧且つ一生懸命な態度の人物はサーヴィス業等に於いて時として眼にする事があり、自分自身他人と接する際には少しでも其の域に達する事が出来る様密かに心掛けようとしているのだが、彼程迄に純粋無垢な眼を持ち他人に接する人間は日常生活に於いて滅多にお目に掛からぬし、自分自身でも此ばかり不可能と割り切ってしまっている。「目は心の鏡」「目は口程に物を言い」などといった古来よりの諺を身に染みて感じ入った次第。


2002/02/10

続・特殊な旅欲

 昨日の身を切る風に加えて中庭が綺麗に雪化粧している光景を横目に朝の勤行に参加する。其れにしても以前に比べ正座が辛くなったものである。嘗ては中学高校時代の体罰として屡々数時間の正座を命じられていたり、其の後も将棋を嗜んでいた関係で、然るべき場所及び相手に対して正座で臨んだりする機会が存在していた。当時も正座は苦手な方だったのだが、久々の正座で味わった苦痛は己の太股に付着した贅肉を意識させるに十分であった。「三国志」の劉備では無いが、正に「髀肉の嘆」とは此の事である。

 朝食後朝風呂で身を清め、愈愈山中を周回しつつ思索に耽る事とした。雪降る中傘も持たず、聖地なるが故コートのフードを易々と被る訳にも行かず、雪に覆われる儘数キロに亘り奥之院を通り開祖たる弘法大師の廟に参詣。流石に雪にはほとほと困り果て、土産屋にて雪が小降りになるのを待ち、山上に於いて奥之院とは反対側に位置する大門(高野山全体の正門に該当)迄向かい金剛峰寺をはじめとする各種建造物や展示館を巡ると共に、真言宗と共に生きる街全体を、店舗や街を歩く人物達から一頻り感じ取ろうとした。一昔前の祇園(京都)を舞妓が闊歩していたのを彷彿させるかの如く、僧達が寒い中薄い法衣で闊歩していた事、スーパーでは高野山の学生には所謂生臭物を始め販売罷らぬ物品が多数存在する事、所謂商業・工業地区は殆ど眼に入らぬ一方で高野山上全体が一つの自治区の如く、全ての自治機能が存在している点等が、私の普段の「旅の眼」には新鮮であった。

 朝から如何程歩き回った事であろうか。当初は寒さに耐えて山中を巡る間で思索など出来るかよと思いつつ、各種建造物を巡り高野山全体の思想等を僅かなりとも肌身を以て感じ取る事により、敬虔というか、無垢というか、人間が思索に耽る際に用いる「脳内の筆記用具」や、過去の経験等に基づく「脳内の事典類」が通常とは全く異なる物になり、宿坊の一室で通常とは異なる不思議な感覚で思索に耽っていた次第。


2002/02/09

特殊な旅欲

 先月の三連休(2002/1/12参照)に引き続き此の三連休についても事前に彼此思索を巡らし通常通りの「旅欲の行方」を記す事を行わなかった。思う処在り、此の三連休は敢えて厳寒の折に密かに寺に籠もる事としていたのだ。

 実家が真言宗という消極的な理由ではあるのだが、山籠り先を選ぶとすれば矢張り高野山になろう。名古屋を出る時点では少し暖か目の格好をしていた筈なのだが、高野山に向かう電車の中で既に寒い思いをしていた。駅に着く度に開閉する扉からは木枯らしが吹き荒び、一旦脱いでいたコートを車内で再び着用する事になろうとは思わなかった。

 電車は山中辺りで終着を迎え、ケーブルカーに乗り換え標高千米程度の山上駅に向かうのだが、此の乗り換えの寸暇ですら既に着用すべきコートを誤ったと感じる位寒かったのだ。ケーブルカーの車窓からは只ならぬ量の残雪が目に入る。先述の通り実家の関係もあり過去二三度足を踏み入れているが当然一年で最も寒い此の時期に訪れた事など無く、其の点が私の服装判断を誤らせたのかも知れぬ。尤も此だけ彼方此方旅行しているので在れば其れ位推測するなり事前に調べるなりしろよとも思うのだが。

 山上駅より身を切る風から逃げるかの如く慌ててバスに乗り込み三日間を過ごす寺院に向かう。宿坊は離れにあり、吹き抜けの通路を通る度に趣深い中庭が臨めるのと引替に身を震わせるのだが、八畳程の部屋には既に暖房が入って居り適度に暖を取る。なかなか部屋全体に暖気が行き渡らぬが此の際此も亦善し。テレヴィも存在するには存在するが特に映りが良い訳でも無ければ携帯電話も通じずインターネットにも繋がらぬ。当然市街地や繁華街や夜遊びスポットなど存在する訳でも無く、此ぞ私が三日間思索に耽るに相応しい場所。加えて、昼下がりですら寒さに難儀したのだが、早朝勤行があり最も寒い卯の刻過ぎには起床して御堂に向かい、夜は大広間にてヴィデオによる説法があるとの事。

 一年で最も寒い時期に、快楽を求めた旅行を斯様な形では行わぬ。今回の山籠りの目的は大きく分けて二つ。一つは思索に耽り己の考えを一つに纏める事、そしてもう一つは其の結論を己の中で聢と強固な物にする事。初日より正に其の目的に誂えられたかの如き環境に囲まれ、此の三日間が少しでも己にとってプラスになる事を期待し切望つつ、戌の刻辺りのヴィデオ説法が終了次第、入浴で身を清め、散ら付く雪を眺めつつ早々に床に就く次第。


2002/02/08

失われた宝物

 2月5日付産経新聞の大阪版に二〇行にも満たぬ非常に地味な放火事件の記事が掲載されていた。因みに死傷者も延焼も無かった模様。

 学生時代の事、丁度野宿旅行に嵌っていた頃であった。寝袋に包まり駅の待合室で寝るというスタイルの旅行を始めて二度目の経験に於いて、初日に宿泊した駅で最終列車が出発した後寝袋を取り出し待合室のベンチで寝ようとした処駅員から厳重注意を受け、駅近辺から追放される事となった(1999/10/25参照)。其れ迄たった一回の野宿旅行経験から、駅の待合室では確実に野宿出来るものと思い込んでいた私にとっては非常に衝撃的な出来事であった。

 処が其の翌日、最終列車の終着駅に於いて、数人の駅員は何れも快く私を受け容れて下さり、「此処で良ければ…」と待合室を提供して下さった。前日に辛い思いをしただけに、此等駅員の態度が非常に嬉しく感じられたものであった。其れだけでは無い。朝私が目覚めたら其れを待っていたかの様なタイミングで、然し待っていた素振りなど微塵も感じさせずに駅員達が声を掛けて下さり、「良かったら顔でも洗ったら?」と、洗面場を提供して下さったのだ。単なる駅員と旅客、サーヴィス提供者と受容者との関係を超えた其れ等の行為について、見知らぬ人間に対して至極自然に振る舞う彼等の姿、否、人間性が純粋に嬉しくて堪らなかったのだ。御陰で此の旅行、前夜には駅を追放されて野宿していた際酔った女性に只管絡まれたり翌日には矢張り駅を追い出されて野宿した結果珍走団のバイクの輪に囲まれたりなどという、野宿旅行ならではの激烈な体験を味わったにも拘わらず、其れをも上回る野宿旅行の喜びを須佐駅(山口県)の駅員達から教えて頂いたのだ。

 其れ以来の月日を考えれば、彼等が未だ須佐駅に勤務しているとは思えぬ。然し乍ら、私にとって、旅行の喜び、正確には旅行を通じて道中様々な形で係わる人間との出会いによる喜びを深めてくれた舞台である其の駅が、其の待合室に置かれた傘に放たれたライターの炎で全焼したという報道を目にし、或る意味に於いて私の宝物が放火により奪われた事で私は心中大きく涙し怒りを禁じざるを得ず、何をする訳でも無く、失われた宝物が取り戻せる訳でも無いのだが、直ぐにでも現地に飛んで行きたい心境に陥った次第。


2002/02/07

栗鼠の習性

 栗鼠に川獺にサルという、私の知人の中でも極めて獣度の高い超豪華メンバーと共に酒食を嗜む事が出来たのだが、其の中で栗鼠と川獺の夫妻から驚嘆すべき話題を伺う事となった。読書家の栗鼠似の知人に対し、川獺似の妻が或る日プレゼントとして書籍を贈った処、読後栗鼠が其の書物がプレゼントである事をすっかり忘れて古本屋に出そうとして川獺が激怒したとの事。

 最初其の話を耳にした私は川獺の激怒に理解を示し、栗鼠の愚かさを詰ったのだが、よくよく考えてみれば此は或る意味自然の摂理として当然の事と言えよう。一般に栗鼠は自分で探し求めた団栗の内、食べ切れない分を今度お腹が空いた時に食べる為に、誰にも悟られぬ様地中に埋めて貯蔵するのだが、何と団栗を埋めた栗鼠自身が何処に埋めたのか、抑も団栗を埋めたという事実すらすっかり忘れてしまうという習性が夙に知られている。此の習性は決して栗鼠という動物が馬鹿である事を示すものでは無く、栗鼠が団栗を全て食べ尽くさず適度に埋めた儘にしておく(無論彼等は意識して埋めた儘にしている訳では無いのだが)事により、適度な量の団栗が芽を出し更なる実を付けて栗鼠の食糧になり栗鼠自体も繁栄するという、絶妙な自然のバランスを保っているのである。

 同様に、栗鼠似の知人は川獺似の妻からのプレゼントの書籍を古本屋に出す事により、優れた書物をより安価に市場に供出する事により、己と同種の人物の知的好奇心を安価に満たしてあげる事、同様に其の逆が期待出来るのだ。此は此で素晴らしい事では無かろうか。彼が栗鼠に似ていたのは外見だけでは無かったのだ。因みに若し私が川獺似の妻の立場であり、プレゼントした書籍を古本屋に出されようものなら、矢張り理由を問わず激怒するであろうが。


2002/02/06

香港のNHK

 年末年始の香港滞在中に嬉しかったサーヴィスの一つに、ホテルに於いて香港及び中国のテレヴィ番組はもとより、主要国の国営放送や此に準じる放送(録画を含む)に加え24時間報道チャンネル、株価動向チャンネルと、言語こそ全く理解出来ぬものの各国の動向やゴールデンタイムの人気番組が把握出来るという愉しみが存在した。

 そうは言っても私が主に観ていたのは香港の深夜番組。競馬番組の異常な程の充実振りはもとより、日本の「ニュースステーション」や「筑紫哲也NEWS23」の類の番組が深夜に各局で放送されており、此等をはしごする事により香港自体がどういった事件に関心を持っており其等事象に対してどの様に考えているのか、字幕とキャスターの剣幕とで朧気乍ら雰囲気を感じ取り愉しんでいたのだ。

 どうやら香港に於いては、死傷事故の場合どういう訳か必ず被害者が担架で搬出される際の酸素マスクを着用した顔を映し出す事になっている事が判明したのだが、理由はもとより誰がどうやって彼程のベストポジションで各局同一の映像を用いるのかが未だに判らぬ(因みに同様の傾向は新聞や香港マスコミのサイトでも観られる)。後は香港の経済情勢が極めて良くない事、一方で香港と隣接する中国の深セン地区が非常に脚光を浴びている事、他には時節柄、聖誕快楽及び新年快楽(2001/12/31参照)に纏わる話題が連日報道されていた。

 そんな中、不味い年越し蕎麦を食して(2002/01/01参照)ホテルに戻った後、矢張り此処は内容に関心は全く無くても日本の紅白歌合戦でも目にしようかとNHKにチャンネルを合わせた処、どういう訳か2001年最後のNHKの番組は、恐らく録画版だと思われるのだが、紅白歌合戦では無く「週刊こどもニュース」の年末スペシャルであり、其の偉大なるセンスに大いに驚嘆しつつ年末を過ごした次第。


2002/02/05

内閣支持率

 各マスコミの世論調査に拠る内閣支持率が異常な程迄に低下した事を受け、党の有力者から「我々は支持率の為に政治を行っている訳では無い」なる意見が報道を通じて頻見され、政府関係者からも「此だけ落ちても他党の支持率よりは高い」「今迄の高支持率が異常であった」など、内閣支持率の低下を気に留めぬ声が存在する。

 確かに何れも正論であると言えよう。但しあくまで従来型内閣に於いては、という条件付きだが。抑も抽象的な言葉乍ら就任当初、否其れ以前から、我々に痛みを感じさせる事により初めて将来我々に幸福が訪れる政治を行うと宣言した宰相が、本当に「我々に痛みを感じさせる」施策(時が経つに連れ其の意味合いが不明確になってきた「構造改革」なる単語は敢えて使わぬ)を行う積もりで在れば、国民が其れにより本当に将来幸福が訪れる事を説いて支持を得る事が肝要な行為の一つでは無いのか。斯様な改革など「痛み」を感じる国民のほぼ全ての支持を得られねばそうそう実現出来まい。そう考えれば此迄の内閣支持率の高さは異常でも何でも無く、百に近くて当然であると考える。

 そう考えると、支持率低下の原因が只単に人気大臣の更迭のみであれば兎も角、政策自体に対する支持の落ち込みも少なからぬ調査結果を鑑みるに、此の内閣支持率の激烈な低下を目の当たりにして無視を決め込んだり平静を装ったりする政府関係者というものは、此等が所謂「抵抗勢力」の立場であれば内閣の失政を期待する存在であると言わざるを得ぬ。又、所謂「改革勢力」の立場であれば余程鈍感であるか、国民に当面の痛みを与えつつも将来の幸福を与えようとする施策を検討し取り組む積もりが端から存在せぬかの何れかと断じざるを得ぬ。


2002/02/04

現代教育論に於ける知識の位置付け

 幼少の頃に実家から程近い場所に掛り付けの医者があった。旧家に其の儘医院の看板を掲げたかの如き其の医者、入口には小さな池、離れのトイレが有り、ガラス戸をくぐり靴を脱げば待合室は畳の間。而も八畳程度の待合室の真ん中には火鉢がでんと置いてあり、私が幼少の頃ですら「此処は一体何時の時代なのか」と訝らざるを得ぬ位であった。診察室は其の奥の間(此は流石にピータイル敷きであった)にあり、待合室とはガラスの引き戸で仕切られていた。従って、検尿を命じられようものならカップを手に畳敷きの待合室を通り靴を履き直し、離れのトイレでカップに程良く放尿し、其の尿を手にした儘再び靴を脱ぎ待合室で皆の待つ場所を横切り医師に渡す事になっていたのだ。尚私は別に私は尿に纏わる恥ずかしさ、ましてや尿其の物や待合室の皆が尿カップに向ける反応、況や飲尿の効用について述べようとしている訳では決して無い。あくまで此の医院から戦前の家庭の如き建物の造りについて述べようとしているに過ぎぬ。

 中学生以降は実家を出た為足を運ぶ機会も失せたのだが、高校時代に偶々実家に居た処私の顔色の悪さを目にした親が「此は屹度何か在るに相違在るまい」と判断し私を即其の医院に連れて行った処、極度の貧血で血圧が異常に下降しており、有無を言わせず其の場で、人々がSM行為の際、或いはSMヴィデオや書物に於いて屡々手にしたり目にしたりする極太浣腸の如き注射器でアドレナリンを数十分腕の血管に投与された事、此に加え、注射中に医師に対して私の母が、私の妹に未だ初潮が訪れぬ事を嘆いていた事が、現時点に於いて其の医院に足を運んだ最後の思い出となっている。

 此の医院には調剤室も有り、其の場で投薬を受ける事が出来たのだが、最後迄謎だったのが、袋の上部に「りすぐみの」と記載されていた事であった。幼少の頃は「おれりすぐみとちゃうもん、にねんたけぐみやもん」などと反発感すら覚えていたり、物心付いてからは「医師或いは薬の世界には様々なクラス分けがあり、偶々此の医院或いは此の医院の供出する薬が『栗鼠組』に属するに相違在るまい」と考えていた。最終的には、調剤室が患者に投与する薬の包みを誤らぬ様に、相手の年齢に応じて「栗鼠組」「犬組」「熊組」「象組」などと袋に記載しているのであろう、という結論に達した。自分で言うのも何なのだが、高校生の割には非常に論理的且つ柔軟性のある思考を発揮していたものである。

 二十世紀半ば頃迄横書きの日本語は右から表記する事など小学生の頃から知っていた。此の知識を上記の疑問と関連付ける事が出来、「りすぐみの」が「飲み薬」の事だと悟ったのは二十歳前の事であった。幾ら論理性、柔軟性が在ろうが既存知識との関連付けという能力が無ければ全く意味が無いと気付いて顔から火の出る思いをしたのだが、昨今、教育論に於いて「論理性」「柔軟性」の重要性だけが独り歩きして力説され、一方で知識については抑も「詰め込み」なる旨批判され、実生活との関連付けの重要性などについては非常に軽んじられている傾向にあるように思われる。無論、「りすぐみの」を目にして「犬組」」「熊組」「象組」を想像する高校生が居ても其れは其れで個人的には非常に愉快なのだが、現代教育は斯様な状況を肯定する方向に進む積もりなのか。


2002/02/03

瑞兆動物

 先日「EZOSHIKA BBS」に於ける議論の中で気付いたのだが、俗に瑞兆をもたらす動物とされるものは「麒麟」にせよ「鳳凰」にせよ、字面其れ自体が有難味を含んでいる事に気付いた。「大熊猫」や「四不像」等が、珍獣ではあれど瑞兆など一切感じられぬ理由は其処等辺にあるのでは無かろうか。ましてや「オカピ」や「バビルサ」など、誰が見ても一目で「珍獣」と判断するにも拘わらず、余程然るべき漢字による命名がされぬ限り永遠に瑞兆をもたらす存在とは認められぬであろう。

 さて此処で悩ましいのがヤブイヌ。「藪犬」と表記した場合、「藪」は十分に有難味のある字体なのだが「犬」が余りにポピュラー過ぎる。ヤブイヌを瑞兆をもたらす動物と解する為には、「犬」に代わる有難味溢れる表記を、中国四千年の歴史と知恵を総動員させて考える必要が有ろう。無論、誰しも考え付く「狛」「狗」は「麒」「麟」「鳳」「凰」に比べて見劣りする事は明白である。


2002/02/02

代官山クラシックス

 最近私が頓に嵌っている「モダンチョキチョキズ」なる音楽集団(2002/01/30参照)の残党達が東京にてライヴを行うとの事で、足を運ぶ事とした。ライヴ参加者本人のサイトで事前予約を行っており、申し込んだ結果受付番号は十五番。ライヴの僅か五日前に申し込んで「十五」とは、余程参加者が少ないのか、其れとも密かに百辺りから番号を逆順に付与しているのか、其れとも籤引の如く適当に番号を振っているだけなのか、非常に悩ましい番号であった。

 さて開催場所は「代官山クラシックス」なるライヴハウス。九十年代前半のミュージックシーンを或る意味散々掻き回していた彼等のライヴという事で、余程立派な会場なのであろうと想像を膨らませていた。実は私、此程のお洒落な好青年でありながら、ちゃきちゃきの江戸っ子であった六年間の内、代官山なる地に足を運んだ経験が無いのだ。尤も隣街の渋谷が嫌い(1999/06/19参照)であれば代官山に足を運ぶ機会などある筈が無いのだが。

 さて、開場三十分程前に代官山駅に着き、「代官山クラシックス」を探す事にし、先ずはコンヴィニに入って店員に尋ねたのだが幾ら地図を確認しても「判らぬ」との事。次いで書店で代官山関連の地図を確認するも一切掲載されていないうえ、電話帳にも記載されていない。

 「確かホームページで確認した際には此方の方向だったよなぁ」と何気無く足を向けつつ沿道のお洒落な店の店員に尋ねるも、何れも返事は「知らない」。嗚呼、せめてパソコンの地図画面位は印刷して持参すべきだったと後悔しつつ、私に妙案が浮かんだ。確か以前お世話になった漁色家(1999/07/23等参照)が、嘗て休日に此の界隈で音楽活動を行っていた事を想い出したのだ。早速其の漁色家に連絡を付けようとしたのだが、ダイヤルを回そうとした直前に大変な事に気付いた。縦令道順を御教示頂いた処で、現在私が何処に居るのかが自分自身判らぬ状況では全く意味が無い。結局私はライヴ不参加も止む無しと思い、「受付番号十五」と書かれたメールのコピーを手にして「道に迷った時の連絡先くらいメールに記載してくれれば良いのに」と思いつつ、とぼとぼ街を歩いていた。

 程無くして珍妙な光景を目にした。細い路上に一際目立つ提灯の前に、私と同様明らかに「受付番号」の記載されたメールのコピーを手にしつつ「此処で良いのだろうか」と不安げにしている集団に遭遇したのだ。其の場所が代官山クラシックスであるかどうかは定かでは無いが、此の集団が私と同じライヴに参加する人間である事は、其のコスプレ風容姿等からも容易に推測出来た。待つ事十分程度、主催者らしき人物が一人一人「受付番号」を読み上げ、其の場所が「代官山クラシックス」である事が判明したのだ。

 参考迄に、会場の建物の写真を公開しておく。此の写真から此の建物が代官山クラシックスである事は疎か、ライヴハウスである事に見当が付いた方は、恐らく此の日に私と同じくライヴに参加していた方では無かろうか。


2002/02/01

検索エンジン・2002/01

 年も変わり、月初に集計を行っている検索語ランキングにも若干の変化があったかと思ったのだが、相も変わらず一着はぶっちぎりで御馴染みの「包茎写真」であった。処が今年の検索語ランキングは此処からが従来と若干異なる。二着に入ったのは僅差で「バビルサ」。嘗て一度だけ、後輩からの情報で作品化した(2001/11/09参照)だけの動物なのだが、其の珍奇性が余程世間にバビルサマニアを蔓延らせているのであろう。実は此処だけの話、或る検索エンジンで「ヤブイヌ」と「バビルサ」とでヒット数を比較した処、後者の方が圧倒的に多い事が判明し、ヤブイヌ派の私は愕然とした事があったのだ。そして三着には「おめこしたい」。そんなにしたいのならパソコン片手に検索エンジンを弄くっている暇を別の事に宛えよとも思うのだが。

 後は四着に同着で「やりちん」「ペガサスの絵」「強姦小説」「エゾシカの嘶き」が登場する。此の中で初登場は「やりちん」。女性がやりちんの男性を捜そうとしているのであろうか、其れとも男性が自慢のやりちんを上回る程のやりちんが存在するのかを追求し存在するとすればやりちん勝負を申入れる積もりなのか、何れかは判明せぬのだが、若し前者で有れば、私自身は断じてやりちんでは無いものの、斯様な女性のニーズには誠実に応えたいと思っている為、其の旨御一報頂きたい。おっと、下位に目を転じれば「やりまん」も存在した。其れにしても私が「やりちん」だの「やりまん」だのを作品にしたのは饂飩の話(2001/10/15参照)では無いか。

 他に下位で気になったのは、相変わらず牡蠣関係の単語が目についた事、ガオレンジャー関連の単語が様々な形で登場していた事、そして「中年 画像 陰茎」だの「中年 汁 咥 犯」だのといった中年物。「中年」の一語さえ無ければ検索する側の立場も全く理解出来なくも無いのだが、何故其処迄中年に拘らねばならぬのか。そして何時もの疑問なのだが、何故其の結果として私のサイトが登場せねばならぬのだ。


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