エゾシカの  1999/10/01〜1999/10/31

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1999/10/31

マークシート

 近年、大学入試をはじめとする各種試験で採用されているマークシート試験。選択肢の中から解答を選び、解答用紙にある番号の欄を鉛筆で塗りつぶすというものである。その解答用紙に光を当て、塗りつぶされたところを機械で読みとれば採点できるということで、採点者にとっては頗る評判が良い。各種試験の解答用紙には「塗りつぶし方の見本」ということで、欄からはみ出ることなく、欄を完全に満たすように塗りつぶすよう注意書きがあるのだが、実際にどの程度の精度があるのだろうか。

 同種のシステムで、我々が日常生活において頻繁に触れている勝馬投票券購入用紙。これも同様に希望の馬の番号欄を塗りつぶすのだが、かなりいい加減な塗り方をしてもしっかり読みとってくれる。欄がもともと狭いこともあるが、欄を塗りつぶすまでもなく、たとえはみ出ようが曲がろうが、欄に縦線一本をひくだけで機械に通せば正確に読みとるのだ。少なくとも私はその方法で正しい勝馬投票券が購入できなかったことはないし、競馬場でこれが原因の暴動を見ないことを考えると、他でもそういうケースはみられないようである。

 それくらいの精度があるのであれば、各種試験において、解答欄を塗りつぶす時間が多少短縮できるのだが。一度危険を承知で試してみるのも良かろう。


1999/10/30

旅・7

 旅で印象に残った事をつらつらと挙げてみることにより、自分が、旅の何に魅せられたのか、旅で何を感じようとしてきたのかを改めて浮き彫りにしてみることにする。

 高校卒業後、後に結局中退することになる大学への入学が決まり、喜び半分、悲しみ半分の気持ちで四国を一周した。列車の車内で向かいの人が窓を開けたが、まだ春風にはほど遠い空気が車内に入る。寒さに窓を閉めようかと思ったが、その人が風を受けながら四万十川の風景を楽しげに見ている様子を目にして、結局私も風景にのめり込んだ。

 学生時代の初めての野宿旅行。北陸の駅で知り合った少年のやる事考える事のスケールの大きさに感動し、相手が体調を崩しているのも忘れて徹夜で話し込んだ。そういえば彼がその時憧れていると語ってくれた大学に2年越しで入学したとき、引っ越して早々の彼の下宿にお祝いに行った時も徹夜で話し込んだっけ。

 同じく学生時代。JRの鉄道路線全てに乗ったお祝いということで、その最後の路線の駅に中学時代からの友人と先の少年とが駆けつけてくれた。嬉しさのあまり、この時に彼らと撮った写真を絵葉書にしてあちこちに送りつけた。これ、未だに持っている人っているのだろうか。

 冬の東北旅行、寒い夜に或る小駅で飲食店を探し求めて彷徨い、やっと見つけた店でいろいろとよくしてもらい、最も安いラーメンを注文した私に地元の名物である海産物をご馳走して下さった。

 ペーパードライバーの私が初めて本格的にハンドルを握った北海道旅行。何もない道をひたすら走っていたところ、出会ったのは人間でなくエゾシカ。偶然と偶然が産んだ暫くのアイコンタクト。一生忘れ得ぬ出会い。

 稚内で水平線に沈む太陽。太陽の美しさ、それが誰にも止められることなく沈んでいく切なさに、この時ばかりは「たとえ眼を痛めようが、この太陽の沈む様はしっかり見届けよう」と思った。

 海外旅行の機内で雲の上から見た星空。過去に観た星空の中で、一番近い場所から観たものだった。美しくないわけがない。

 1泊2日の下呂温泉。移動中はひたすら寝て、現地では食べて温泉という旅行であったのだが、2日間、同行者と共に旅をすることそのものが無上の幸福であった。


1999/10/29

旅・6

 今週当サイトで展開している「旅強化週間」の趣旨に大手マスコミも賛同・追随したようで、強化週間初日の10/24にはTV番組「あるある大辞典」で旅を採り上げ、その効能を紹介していた。

 旅をする事で「転地効果」が生じ、精神面のみならず肉体面でも健康になれるという内容であったのだが、少なくとも私が学生時代にしていた旅は、肉体的に不健康を求めるようなものであった。

 食べる物は大抵が駅の立ち食い蕎麦であった。経済的事情で、普段から自炊や学食等で食費を切り詰めていたため、1食に1000円近くかかるような現地の特産物や駅弁などを易々と口にできないのである。

 日中は殆ど鉄道やバスなどでの移動にあて、風景を味わいつつ、時には車内の人間を観察しては楽しんでいた。しかし自分では何もしていないようで、移動というのはかなり体に負担をかけるものである。前述の「あるある大辞典」でもこれを科学的に立証していた。

 そして夜は屋外で寝袋にくるまれ就寝。さすがに冬場や寒冷地では辛いので、夜行列車を用いたり、駅前サウナで寝たりしていたが。いずれにせよ、風邪をひくために寝ているようなものである。実際ひどい風邪をひいたりもしていたが、いかんせん旅先ということもあり、結局帰宅するまで風邪を引きっぱなしである。

 今から思えばよくここまでして旅をしていたものである。逆に言えば、そこまでして得たいものが、旅にはあったということなのだろうが。


1999/10/28

旅・5

 最近は必ずしもそうではないのだが、旅先から知人達に絵葉書を出す習慣がある。日常とは異なる環境を求めて旅に出るのに、何故日常の人間関係を繋ごうとしているのか。

 1999/10/27でも少し触れたように、確かに旅先でふと孤独感に襲われる事はある。しかし寂しいから絵葉書を書く訳ではないような気がする。寧ろ、旅先で得た喜びや感動を、リアルタイムで誰かに伝えたいという気持ちが強まるからであろう。絵葉書なら自分の言葉だけでなく、その土地の様子も同時に伝えることができる。

 だから私は絵葉書を書くとき、必ず自分にも1通送る事にしている。旅から帰ってきてその絵葉書を手にし、旅先での喜びや感動を改めて味わうことができるのだ。伝える喜びと伝わる喜びとを味わうという贅沢。

 今更になってよく考えてみれば、このサイトを立ち上げた時も、私の意識の出発点は正にここであったではないか。


1999/10/27

旅・4

 旅で知り合った人とはその場でいきなり精神的に深い関係になることが多い。理由は3つ考えられる。

 一つは、一言で表せば「一期一会」ということになろう。即ち、旅先で出会った人とは必ずしも次に会えるとは限らない。従って、今後のつきあいなどを考えた結果、良く思われたり好かれたりするために、妙にカッコつけたり逆に卑下したりなど、意識的・無意識的に自分を繕う必要がないのである。お互いが初対面で真の自分を語ることができるから、精神的な距離をさほど感じなくて済むのではないか。

 次に、旅先での心理状況が影響していると考えられる。一人旅の時なぞ、ふと孤独であることを強く認識する瞬間がある。そういう場面で他の人と出会うと無意識のうちに連帯感を求めてしまっているのだ。

 そして3つ目は、「旅行好きに悪い奴はいない」という一般的格言。そうであれば知り合った人と仲良くならない筈がない。しかしこれ、何の科学的根拠も持たない格言ではあるのだが…。


1999/10/26

旅・3

 初めて一人旅を楽しんだのは小学校の頃だった。広島の親戚を訪ねに兵庫の山奥から訪ねることにした。時刻を調べ、親に切符を頼み、数時間かけて広島に向かった。

 周囲は相当心配していたようであり、私が道中無事に往復できるかなど気にかけていたようである。しかし私にとっては非常に気楽な旅で、寧ろ親戚宅での気遣いの方が大変だったくらいであった。初めての土地、しかも自宅近辺と比べたらとんでもない都会の街でも迷ったり怖くなったりすることなく、2泊3日の旅行を楽しんだ。

 それから経ること10年余り、北陸旅行の際、現地で上り列車と下り列車とを間違えたり、知人との九州旅行の出発の朝、寝過ごし慌てて飛行機で追いかけたり、長谷の大仏を観に行こうとして間違って長谷観音を拝んでいたり…。小学生以下かよ俺は。


1999/10/25

続・旅

 旅の怖かった想い出。初めての野宿旅行から数ヶ月後、また野宿に出かけることにした。駅で寝られる事がさも当たり前の事だと思っていた当時、初めて駅を追い出されて屋外で寝ることになった。駅前のベンチの上に寝転び、暫く寝袋の中でうとうとしてきたら、すぐ近くに人の気配。どうやら自分より少し年上の女性らしい雰囲気。おまけに酒に酔ってる様子。馴れ馴れしく話しかけてきては、寝袋の上から私の体を触ってくる。時と場合次第では旅行どころではないシチュエーションなのかも知れないが、私はその時至って冷静であった。寝袋の中に閉じこもったまま、適当に話を合わせていたのだ。

 女性はなおも執拗に絡んできた挙げ句、「あなたって女性に興味あるの?」と詰られる始末。それでもここで手を出すと何かありそうだと感じた私はなおもじっとしていた。暫く後に男がやってきて、その女性を連れて帰った。見知らぬ女性に絡まれていた恐怖もさることながら、もしあの場面で何かあったらその男にどんな目に遭わされていたかを想像して、一層怖くなってしまった。

 そんな目に遭いながらも、その数ヶ月後、駅を追い出されて駅前で寝ていて、暴走族のバイクの輪に囲まれるという恐ろしい目に遭ってしまうのだった。懲りない奴である。


1999/10/24

 先日当サイトの見直しを図ろうとして気づいたのだが、「旅と獣のサイト」と謳っている割にはどうやら「旅のサイト」としての位置づけが些か不明確になりつつあるようである。元々当サイトが旅行記からスタートしたこともあり、「獣のポータルサイト」「世界初の獣愛サイト」としての地位を確立した今、暫く旅にも力を入れていこうと思う。その一環として、今週を「旅強化週間」とし、旅について述べていくことにする。いつものことであるが、飽きれば止める。

 幼い頃から旅行欲は旺盛であった。いや、正確には「旅行欲」というより「乗物欲」であったのだが。これが本当に「旅行欲」と感じられるようになったのは、大学に入って暫く後のことであった。

 経済的に困窮を極めていた当時、偶々実家からリュックサックと寝袋とが送られてきた。その時に、寝袋を用いれば、旅行費用というのは結局交通費だけになるのではないかということに気づき、或る日寝袋と「青春18きっぷ」とを持って2泊3日ぶらぶらすることにした。旅行に行こうが行くまいがかかる食費は別にして、旅行費は占めて6000円あまり。旅先で有料施設を訪れる積もりもなく、これ以外の費用もそうかかるまいと思った。

 旅行2日目の事である。福井駅で寝ることになったのだが、ここでは同じ事を考えている人間が他にもおり、同世代の人間と、中学を卒業したての人間との3人で話が盛り上がり、中学生とは結局徹夜で話し込んでしまった。

 今まで同世代で環境の似た人間との出会いばかりだったため、この旅での出会いは、自分にとって非常に新鮮なものであった。この時に初めて、旅行というものがただ単に景色や現地の空気を楽しむだけのものではなく、道中いろんな形で係わる人間との出会いをも楽しむものだと実感できたのだ。

 こと学生時代に関しては、金を払って観たり味わったりしたものよりは、対価とか損得勘定とかを抜きにして係わってきた人間達の方が、現在の自分を形成する重要なファクターであるような気がする。


1999/10/23

夜の失態

 1999/08/08で一度触れたとおり、私は体がアルコールを受け付けることができない体質である。

 結婚式の二次会会場にて。新郎新婦との会話、久しぶりの知人達や初めての方との会話、それに加えて会の幹事ということで飲食を忘れており、ひたすら喉が渇いていた。そこで、会の終わりになってテーブルの上にあったソフトドリンクらしき飲料を一気に口に含んだ。

 それがアルコールであることに気づくまでにさほど時間はかからなかった。周囲に人がいなければ、そのまま口に含んだ液体をグラスに戻せば済んだのだが、流石にそうはいかない。仕方なく嚥下したのだ。

 飲んでも顔が火照ることはなかった。私も酒に強くなったのかと一瞬思ったのだが、とんでもない。本当にやばいときは、顔に出ずにそのまま吐いたり、酷いときはそのまま意識を失うのだ。会の終了後、直ちに駅に向かって電車に乗り帰路に就こうとした。

 しかし気がつけば、全く別方向の駅に着いていたようである。どうやら列車に乗る際に電車の行き先を間違えたようである。勝手知ったる駅でありながら何たる不覚。しかも乗車中も全く気づかず。結局数十分ほど余計な時間を食って帰宅した。酩酊していたものの吐いたり意識を失ったりしなかったのがせめてもの救いであった。


1999/10/22

横浜・八景島シーパラダイス

 深夜に「横浜・八景島シーパラダイス」のTVCMを見て驚いた。秋の花火フェスティバル告知CMという、何の変哲もないものなのだが、これが従来のシーパラダイスのCMの殻を大きくうち破ったものだったのである。

 テーマパークの中でも、国内では「東京ディズニーランド」に次ぐ集客力を持つ施設でありながら、TVCMはここ数年ぱっとしないものが殆どであった。シーパラダイスの様々な施設をテーマ性もなく細切れでつないだ映像のせいで、結局何が「売り」なのかが全然わからないのである。たとえイベントの告知であろうが、新遊戯施設の告知であろうが、大抵の場合、映像は様々な施設の細切れ映像なのである。それが今回の花火フェスティバルCMでは、島の夜景+花火を何種類か見せるということで、思う存分花火の美しさ、島の楽しさを受け止めることができ、「まあ暇やったら観に行ったろう」という気分になるのである。

 個人的には、シロクマのカットが出てこないのが些か残念ではあったりするのだが…。


1999/10/21

結婚式場

 トヨタ自動車「ファンカーゴ」のTVCMによれば、最近では車の中で結婚式を行う時代である。別に結婚欲がある訳ではないが、唐突に「結婚式を挙げるとすればどういったところが良いか」を考えてみる。なお、仮定の前提として、結婚相手は女性(但し人間に限る)とする。

 海外では、バンジージャンプをしながらだとかスカイダイビングをしながらだとかバイクで川を飛び越えながらとか、シチュエーションを重視する結婚式が行われているようだが、何で結婚式の場でこんなに怖い思いをせねばならないのだ。既婚者の意見を聞くと、大抵の場合、結婚後の生活の方がこんな儀式よりもずっと怖いらしいではないか。

 折角だから、自分らしさを追求してみよう。最近JRAが競馬場での結婚式を募集しているが、場所はともかく、何で見知らぬ人達の喧噪に囲まれた状態で式を挙げねばならないのだ。しかも彼らの目は自分たちでなく馬と馬券にひたすら注がれているのだ。周囲に人が多ければ多いほど、自分達が浮いた存在になってしまう。

 そう考えると、少し奇を衒えば動物園のパーティールーム(全ての動物園にあるのかどうか知らないが、上野動物園にはあった)、正攻法で考えれば城の天守閣、ということになるのであろうか。いずれにせよ、たとえ私に結婚相手が現れようと、これでは結婚式の場所を決める段階で既に夫婦生活の危機が訪れかねない。


1999/10/20

移住先

 考えてみれば今の寓居に住んでから5年あまり経つ。同じ場所に5年以上住むというのは実は小学校以来の事である。当然移住欲が沸々と湧いてくるわけで、唐突に「暫くどこかに移住するとすればどこが良いか」を考えてみる。

 言葉の問題を考えると海外は無理であろう。そもそも海外経験が一度しかないため、検討しようにも頭の中にサンプルが殆ど存在しない。

 国内ではどうか。まず第一に、山紫水明、風光明媚な場所を選びたい。また、実生活を送るにあたり、いくら自然があろうと多少は街の機能を有しているところが良い。そうそう、衣食住にかかる費用ができるだけ安く住むようなところでないと生活はできないだろう。また、学生時代に思いっきり観光地に住んでいて観光客の多さに辟易した経験から、観光客人口が現地の人口よりも多いと思しき地域はできれば避けたい。意外なことに、暑さ寒さにはそう拘らない。贅沢を言えば、雨の少ないところの方が良いが。

 これだときりがない。更に細かく条件を指定してみることにする。自分の趣味である動物園、城もしくは城跡、競馬場のうちいずれかが比較的手近にある街といえば多少限定されよう。3つとも兼ね備えた街となると、もう日本に数ヶ所くらいしかなくなるのではないか。

 私が足を運んだことのある街の中で、ここまでの条件を全て満たしていると思われるのは、盛岡くらいではないか。「山紫水明、風光明媚」という条件を若干緩和すればこれに金沢と姫路とが加わり、さらに動物園の存在をまだ確認していない街として福山、高知、中津とがある。しかしそれにしても余りに少なすぎるではないか。


1999/10/19

続・「どうぶつと動物園」10月号

 昨日に引き続き、「どうぶつと動物園」である。私が楽しみにしているコーナーの一つに「会員のページ」がある。ここには会員限定の動物観察会や講演会などの掘り出しイヴェントが紹介されており、偶に私のツボを突いたイヴェントが紹介されると、それだけで翌月のスケジュールを一生懸命調整したりするのだ。

 今月の目玉は「じっくり動物研究」と「ゆったりガイドツアー」という、まる1日かけて動物園若しくは特定の動物を観察するというイヴェントであった。早速申し込もうとして、申込先を見て思わず声をあげた。「東京動物園協会受託事業課 おとなの動物園」である。繰り返す。「おとなの動物園」である。

 おとなの動物園。口にして思う。「君のここはもうイヌの鼻みたいに濡れてるね」「いやん、あなたのここはもう象牙状態ね」のような会話がなされるような光景なのだろうか。それとも「お前はイヌよ!ワンとお鳴き!」「ワン!」「今度はウマよ!」「ひひ〜ん!」のような痴態が繰り広げられるような光景なのだろうか。

 そのような妄想に浸っていて、ふと昔の想い出が鮮明に蘇ってきた。学生時代にポルノ映画を見に行った際、運悪く私の趣味に合わないSM物であった。男が女を全裸にひん剥き、首輪と縄を付けて四つん這いのまま部屋中を引き回す。途中で女は何度となく「わん」「わん」と鳴くのだが、その時の女の表情が、「お前それでも女優か!」と思いたくなるくらい無表情なのである。見ていてその不気味さに怖くなり、ひたすらその状況に耐えている女性の心境を推し量って胸が苦しくなった。快楽のネタ探しに映画を鑑賞して行ったにも拘わらず、とことんまでブルーな気持ちになって帰ってきてしまったのだ。

 しかしこの文章、とんでもない結末に達してしまった。


1999/10/18

「どうぶつと動物園」10月号

 1999/08/14で少し触れたが、私が定期購読している数少ない雑誌の一つに「どうぶつと動物園」(財団法人東京動物園協会)というものがある。今日は10月号が届いていたので、寝る間を惜しんでぱらぱらと斜め読みしていた。

 今月の特集は「葛西臨海水族園 開園10周年」ということで、全体の3/4が水族館ネタであった。獣好きとしては若干物足りなさを感じつつ、暫くページを捲っていった。「ハワイモンクアザラシの展示」「アカダイショウのふ化」など、国内外の動物園のトピックスに目を通していたら、いきなり俗な記事の見出しがあり目をひん剥いた。「麻布のニホンザル捕まる」。一時のワイドショーネタではないか。

 良く読めば、捕獲にあたったのは上野動物園の飼育課長達、サルが暫くいたのが上野動物園の動物病院ということで、ここに記事が掲載されたようである。この記事、締めくくりが良い。「マスコミの取材攻勢による騒然とした雰囲気がなくなったいま、どんな気持ちでいるのでしょうか」である。一般の報道等の無責任な締め言葉ではなく、こういった雑誌がそう問うことによって、読者も思わず真剣にあのサルのその後の心境を考えてしまうのである。同じ情報でも、伝え手によって受け取り方も異なるものである。

 しかしこの文章、一般的な結論に達してしまった。


1999/10/17

続・馬と女

 中央競馬ではいよいよ来週から秋のG1レース週間が開催される。それに合わせて本日よりG1第1弾・秋華賞のCMがオンエアされている。

 1999/05/28で採り上げたとおり、私はてっきり春の「♪おーかしょー」「♪おーくすー」のCM素材を用いて歌だけ「♪しゅーかしょー」に替えたものがオンエアされるものと思っていたのだが、今回は木村拓哉以外はアニメが用いられ、中国風の音楽に合わせて万馬券の喜びを歌っている。

 そういえば昨年の秋華賞は万馬券決着、翌週の天皇賞・秋も万馬券決着であった。きっとこのCMは天皇賞・秋でも用いられるに違いない。更に昨年のG1戦線を思い起こせば、12月の阪神3歳牝馬ステークスおよびスプリンターズステークスも万馬券決着ではないか。

 そう考えれば、今秋のG1全10戦のうち、上記4戦についてはこの素材が使い回しされることになるのではなかろうか。昨年と比べてかなり広告制作費が削減されることであろう。


1999/10/16

生活比較

 思えば学生時代の方が健康的で充実した生活を送っていたのかも知れぬ。卒業の年の今頃、自由に過ごせる日にはどういう生活をしていたのか振り返ってみる。

 驚くべき事に、午前中には起床していた。そして「おかあさんといっしょ」を観てから、新聞・雑誌にじっくりと目を通す。当時は新聞1紙、週刊誌3誌を購読しており、日によってはこれだけで十分時間がとられていた。それに比べて現在の休日は、ひどい時では昼下がりに起床して競馬中継を観て、外食先で新聞を斜め読みしている。

 昼食後はぶらぶらと学校に出向いてサークルの部室や学部の掲示板を覗き、生協の本屋で立ち読み。帰宅後は当時狂ったように凝っていた将棋の勉強をし、一旦昼寝(実質的には「夕寝」であるが)。今では近所の本屋巡りが当時の習慣のまま残っている。

 夕方にもう一度起きて夕刊を読み、食事後うだうだしてから銭湯へ。ここが一日のメインイヴェントなのである。自転車で15分ほどのところに100円でサウナ付きという銭湯があり、そこで毎日1時間以上過ごしていた。そして帰宅後は「ニュースステーション」以降、各局の報道番組をはしごし、深夜に知人との長電話を楽しむ。現在ではこの時間帯、夕食を摂ってから下らぬTVをつけたまま、読書やインターネットに没頭している。

 現在も当時も同じ「自由に使える1日」であり、当時よりも経済的余裕があるにも拘わらず、何なんだこの違いは。


1999/10/15

たこ焼き

 同じ職場の人がラーメン食べ歩き紹介のホームページを開いていることを知って驚いた。それに影響を受けた訳ではないのだが、こちらはたこ焼きを紹介する事にする。

 最近会社の最寄り駅の地下にオープンした関西風たこ焼きの店。1999/10/10で述べたように1週間前に食べるチャンスがありながら食べなかった本物のたこ焼きを食べるチャンスが今日巡ってきた。

 時間は夕食時、よもや夕食にたこ焼きを食べる人間などそうそういまいと思ったのが甘かった。着席、持ち帰り共に長蛇の列。幸い客の回転は速く、30分くらい待って着席できた。そしてたこ焼きと明石焼を注文。待つこと10分でまずたこ焼きが出てきた。

 お盆に美しく盛りつけられた10個の大粒たこ焼きに、ソース、青海苔、削り粉、マヨネーズを自分でかけて食する。おお正にこの味、この食感である。私がここ暫く追い求めていたたこ焼きは。囓るほどに口でとろける球体、そして存在感を露わにしている大きめのタコ、逆にさり気ない姿でありながら味覚にその存在感を留めるキャベツ。いくらソースやマヨネーズをかけてもたこ焼き自身の味は全く死なない。これで500円。これまで我慢して食べていた、12個で350円もする「小さい小麦粉の固まり」は一体何だったのだ。

 たこ焼きを食べ終える直前、明石焼が8個出てきた。出汁に明石焼きをつけて軽く崩してみる。明石焼の内部にも出汁が程良く染みて絶妙の味。淡泊な明石焼と淡泊な出汁とが出会って、これ程の味が生まれるのか。1+1が2とか3とかではなく、1+2iとかという複素数になってしまったかのような別次元の味である。最後には出汁の一気呑み。苦み一つない、鰹と昆布のエキス。

 なかなか充実した食の一時であったが、よくよく冷静になって考えてみると、関西にいた幼少の頃など、祭りの屋台だとかスーパーだとかで気軽に立ったまま爪楊枝でこの手のたこ焼きを普段から当たり前のように食していたではないか。今更何故たこ焼きでこんなに感動せねばならないのだ。この東西文化のギャップの大きさ、饂飩と蕎麦どころではあるまい。


1999/10/14

馬学

 日頃から自分の趣味をアピールしておいたのが奏功したのか、今日いきなり職場の方から乗馬体験無料券(27000円相当)を頂いた。

 同封されていたパンフレットに体験コースの時間割表が載っていたのだが、その中で馬の写真の次に私の目を釘付けにしたのは、時間割の最初にある「馬学」というカリキュラムであった。馬学。何をやるのかは十分想像がつくだろうし、実際「馬への接し方、基本姿勢、歩様、扶助、その他注意事項」と解説が加えられている。しかしそれにしても「馬術学」ではなく「馬学」である。

 この30分間のカリキュラムをあくまで乗馬のためのテクニック論として考えれば「馬術学」と表記すべきであろう。今回このコースを楽しむ方々の大半はそのつもりではないかと思われる。しかしこれを「馬学」と表現するということは、これは決して只単に乗馬を円滑に行うための手段としての学問ではなく、馬を理解する、馬を修得して自分のものにするためのカリキュラムであるということを、この乗馬クラブが声を大にして強く主張し、高らかと宣言しているものであり、彼らの並々ならぬ意思が読みとれるではないか。

 わずか30分の「馬学」ではあるが、この限られた時間で精一杯乗馬クラブの並々ならぬ意思を汲み取りたい。


1999/10/13

鹿と子供

 奈良公園の鹿は子供が好きである。鹿煎餅を持っていなくても、子供に対しては嬉しそうに寄ってくる。見ていて羨ましい限りである。しかしその一方で、子供は鹿が苦手である。鹿が寄ってくると大声で泣きわめき、親の助けを呼ぶのだ。そして逃げ惑う子供を見て、鹿は一層楽しげに子供に擦り寄り、子供は一層大声で泣きわめき…という循環が公園のあちこちで繰り広げられるのだ。

 鹿の気持ちはよくわかる。彼らの視線から見ると、人間の大人は馬鹿でかくていつ自分の身に危害を加えるかわからないような存在である。一方彼らが擦り寄る子供は丁度同じくらいの視線。彼らにしてみれば「ちょっと姿の違う仲間」的な感覚なのではないか。

 しかしその一方で、子供の気持ちもよくわかる。自分と姿形の異なる生き物が迫ってくる。このまま何をされるかわからない。彼らにとって鹿はどう間違っても「ちょっと姿の違う仲間」たり得ない。何を隠そう、この私ですら、幼少の頃は動物が怖くて怖くてたまらなく、イヌを見ては「吠えられる、噛まれる」、ネコを見ては「ひっかかれる」と、泣きわめいていたのである。

 仲間と敵とを判別する基準が異なる鹿と人間。世間並みに獣愛を嗜むには、鹿の感覚を多少なりとも身につけておきたいものである。


1999/10/12

大阪市営地下鉄

 それにしても大阪の地下鉄駅は相変わらず汚い。凡そ装飾というものを知らない壁に床、低い天井、そして通路の所々では人間の尿の香りがすっかりその場に馴染んでおり嗅覚を襲ってくる。高校時代、予備校の講習会に通うために使っていたときの汚さと全く変わらないではないか。

 しかし面白いことに、高校時代から変わらない汚さであるからこそ、時の流れや色褪せた様を感じさせないのである。御堂筋線は今でも、予備校の講習会帰りに同級生とラーメンを食べに行っていたときの御堂筋線であり、四つ橋線は今でも、好きだったアーティストの映画を観るために厚生年金会館に足を運んだときの四つ橋線であり、千日前線は今でも、安くパソコンソフトを買うために日本橋に通っていたときの千日前線であった。だから逆に、数年前に梅田やなんばの地下街が様変わりしているのを見たときには、「俺みたいな昔の人間がこんなとこ歩いててええんやろか」と不安にすら感じたものである。

 「時が止まっている」という使い古された表現を、久しぶりに自分の感覚で味わえた週末であった。


1999/10/11

最下位

 4ヶ月前には2年ぶりに勝利の美酒に酔った私の好きな馬が、先日デビュー以来初めて「どべ」の屈辱を味わった。事もあろうに、初めて応援に駆けつけた私の目の前で。

 夏前には最高の出来でレースに臨んでいた彼は、夏休み明けも日々練習に励んでいた。調教師のコメントは「これまでにない最高の出来」。いつもこのコメントには散々騙されていたのだが、今回はあちこちのマスコミで絶賛の声も。このレースでは上位の相手が強すぎるのだが、その一角崩しは十分に考えられた(考えたのは私だけか?)。

 今秋は国内で2戦ほど行った後、香港の国際レースで引退するのではないかと思われたので、一度は生で見たいと思い、京都まで足を運んだ。少しでも近くで見れるよう、太陽の照りつける中、パドックで2時間近く前から場所取りをしていた。

 普段TVで観ているのと同じように、起きてるか寝てるかよくわからないような歩き方でパドックに登場した彼を撮影した後、彼の複勝馬券(3着までに入れたら「当たり」)を購入してレースに臨んだ。いつもの如く後方から追走していた彼が、いつもよりかなり早く先頭集団に加わろうとしており「このままではゴールまでにばてるのでは」と思ったところ、案の定ばてて最下位。一瞬怪我でもあったのかと思ったくらいである。

 今年の活躍ぶりといい、今回のレース運びといい、まるでペナントレースの阪神タイガースを観ているかのようであった。思えば、1999/06/12で阪神タイガースと並べて採り上げたのがまずかったのかも知れぬ。深く反省している。ローゼンカバリー、君は頑張って走ったんだから、次回も元気に走ってくれよ。もう余計な採り上げ方はしないから。


1999/10/10

食べ損ね

 今までこんな事は無かったのだが、今夏頃から無性にたこ焼きを食べたくなるという訳の分からぬ衝動に屡々駆られる。最近では、休日の外出時にたこ焼きを買ってくるのがすっかり生活スタイルとして定着しつつある。

 しかしそれにしても東京のたこ焼きは不味い。小麦粉の固まりにタコの切れ端が申し訳なさそうに入っているだけではないか。「大阪風」を銘打った店でも、只単に関西で有名なソースを用いているというだけで、たこ焼きそのものは小麦粉の固まりである。

 関西のたこ焼きは、外はサクサク、中はトロトロ、しかもタコは食べ応えのある分量なのである。このたこ焼きが近場で食べることができないかと日々思っており、今週末の関西出張+旅行の際に、是非とも口にしようと考えていたのである。

 しかし振り返ってみれば、関西ではどういう訳かコンビニ、ファーストフードの食事が主であった。一体私は何を考えていたのだ。東京に戻ってきて大いに後悔している。


1999/10/09

鹿に学ぶ

 奈良公園の鹿は鹿煎餅が好きである。いくら草を美味しそうに食んでいても、近くに寄って鹿煎餅を近づけると、必ず寄ってきて鹿煎餅を囓ろうとする。まだ十分に人になれないばかりか人の気配がするだけで逃げてしまう子鹿ですら、鹿煎餅を見せると脚を竦ませたまま首を一生懸命伸ばして鹿煎餅を囓ろうとする。

 さて、ここで大きな疑問が生じた。街中至る所に出店されている鹿煎餅売り場。これ程までに鹿煎餅をこよなく愛する彼らは何故売り場を直接襲撃しないのだろうか。襲撃とまではいかずとも、売り場近辺に屯していても良さそうなものである。

 ここで私は或る仮説を立て、その検証のため実験を行った。鹿煎餅を手にして鹿が密集しているところに入っていったのだが、決して鹿達と視線を会わせないよう明後日の方向を向き、鹿煎餅を手にしつつも彼らにあげる素振りも見せず普通に歩いてみたのである。すると彼らは私の手にある鹿煎餅には目もくれず、別の人が与えようとする鹿煎餅に群がっていったのだ。

 これは何を意味するのか。鹿達は只単に鹿煎餅を欲しがっているだけではなく、鹿煎餅を介した人間とのコミュニケーションを楽しんでいるのである。つまり、彼らにしてみれば、コミュニケーションの無いところに鹿煎餅欲は湧かないのである。観察してみても、人間が手ずから渡す鹿煎餅と、地面に置いてあるだけの鹿煎餅とでは、彼らの食欲も全く異なっていた。人間しか相手にしていない鹿煎餅売り場のおばちゃんとはコミュニケーションが楽しめないため、鹿達が売り場のおばちゃんを襲撃するという事態が発生しないと言えよう。

 鹿も特定の媒介により、他の動物とのコミュニケーションを楽しいと感じるのである。彼らも「獣愛」という概念を知っているということがわかり、私も獣愛の何たるかをまた少し会得できたような気がする。


1999/10/08

3連休前日

 出張で名古屋に足を運んだところ、夕方の人の多さに閉口した。いつからこの街はこんなに人が増えたのだ。ちょっとした荷物を持っていたのだが、その荷物がしょっちゅう人にぶつかるし、一度はふと横に動いただけで人にぶつかり思いっきり舌打ちされる始末。切符売り場は人で溢れかえり、自由席のホームも長蛇の列で、乗客はスムーズに列車に乗り込めず、発車時刻も若干遅れていた。秋の行楽シーズンの、ゴールデンウィーク以来となる3連休前日。人々が浮かれ移動する様を、身をもって体感した。よく考えれば私もそのうちの1人に過ぎないのだが。


1999/10/07

奈良

 京都に6年、大阪に半年住んでいたことがありながら、それぞれの隣県である奈良にはどういう訳か殆ど足を踏み入れたことがない。記憶を辿ってみても、小学校の修学旅行、知人の祝福、学生時代の研修旅行、ゼミの遠足くらいであり、その他只単に通過した事が数度あるだけである。

 別に奈良が魅力に乏しいわけではない。煎餅を1枚手にすれば鹿のハーレムでウハウハ状態になれるのは確実であるし、歴史的建造物にもそそられるものを感じている。ただ、関西に住んでいたときは私は獣愛に対する感受性が欠如しており、歴史的建造物を愛でるという意味では京都市内で満足していたのだ。

 獣愛の何たるかを世人並に会得した現在、獣愛と歴史を味わうために奈良に足を運ぶのは当然のことと言えよう。従って、週末のうち1日を奈良で過ごすことにした。鹿の角切りで市内全体がフィーバーしているこの時期の3連休ということで奈良で宿が取れず、1日だけというのが残念ではあるのだが。


1999/10/06

習慣

 最近偶に朝の通勤ルートを替えている。職場と最寄り駅との距離が幾分長くなるが、住処の最寄り駅から着席したまま乗り換えなしで職場の最寄り駅に行けるのが強みである。言ってみれば数百円で快適な通勤環境を買っているようなものである。

 偶然にもこのルートは、過去2年間別の会社への通勤で用いてた路線と同じであり、当時はその途中の駅で下車していた。そのせいであろう、車内でぼおっとしていてこの途中駅に到着するアナウンスがあると、思わず下車しそうになってしまうのである。一旦体に染みついた習慣は恐ろしいものであると、改めて痛感した次第。


1999/10/05

お誕生日

 「お誕生日」という小説があった。10月5日が誕生日の主人公の身に訳も分からぬまま降りかかる悲劇。ところがそれは周囲にとっては喜劇となり、周囲との意識のギャップに悩まされる主人公が破滅に向かうという不条理ものである。

 小説が「あった」というのには理由がある。この小説、私が当時のパソコンを用いて執筆したものの、現在ではそのフロッピーディスクが行方不明になっている。いや、フロッピーディスクが発見されたとしてもそれを見るためのパソコンが今となっては世間に殆ど存在しないのである。

 10月5日を迎える度に、この小説をもう一度無性に読みたくなるのだ。いっそのこと、当時の記憶を辿りつつもう一度書いた方が早いかも知れぬ。


1999/10/04

半径10km

 茨城の臨界事故の影響で、問題となった施設の半径10km以内が暫くの間立ち入りできなくなった。この時私は偶々盛岡にいたのだが、タクシーの運転手はその話題で私に話しかけてきた。「半径10kmといったら、ここから小岩井まで入ってしまうくらいの広さなんだよ」との事。私のように実際に小岩井に足を運んだことがあり土地勘のある人間なら良いが、全く彼の地が初めての人にとっては今ひとつぴんと来ないであろう。

 いやそもそも「半径10km」という範囲がどの程度のものか、実感のわかない人が大半ではないか。そこで少し調べてみた。

・東京駅から半径10km:東は荒川、西は山手線をそれぞれ一回り大きく覆う範囲。新宿、渋谷、池袋の都心だけでなく、三軒茶屋、中野、王子などが含まれる。

・大阪駅から半径10km:大阪市をほぼすっぽり覆った上、吹田、豊中、伊丹、尼崎のそれぞれほぼ全域が含まれている。

・名古屋駅から半径10km:名古屋市および西春日井郡のほぼ全域。

 こう書いてみて、改めてその範囲の広さに驚いた次第である。


1999/10/03

寝床の本棚

 部屋が狭いため、ベッドの一部を本棚にしている。と言っても様々な書物を平積みにしているだけなのだが。

 先日この平積みの山が倒壊した。小さいものの上に大きいものを積んでいたため、倒れるべくして倒れたようである。改めて倒壊したものを見てみると、本以外のものがかなり混じっていたようである。旅先で入手したパンフレット、土産物、頂いた郵便物、買ったばかりのCD、500mlペットボトル等、「何でこんなもん寝床にあるねん」というようなものまで本と一緒に積まれていたようである。

 処分できるものをとりあえず処分したものの、結局この週末に書物類を買い込んでしまい、結局平積みの山は以前よりも高くなってしまった。さっさと読み終えれば山は低くなるのだが…。


1999/10/02

新・広告における「競合問題」

 このタイトルを付けると否が応でも篠原涼子の恥丘に触れなくてはならないので、今回から「新」をつけて新たなシリーズとして展開していく(かも知れない)。

 ポッカの新商品・缶コーヒー「ガティ!」のCMに登場している織田裕二を見て思う。確か彼は10年以上前にまだ殆ど無名だった頃、他の役者達とともにキリンの新商品・缶コーヒー「JIVE」のCMキャラクターになっていた。

 今年初め、ある会社のCMキャラクターの契約が切れて3ヶ月後に競合他社のCMキャラクターになるという離れ業を演じていたのと比べるまでもなく、別にどうってない事なのだが、奇しくもこの時期に、キリンが織田裕二の関わった「JIVE」のブランドを捨て、新たなブランド「FIRE」を強力な宣伝で売り込んでいるのに対抗して、ポッカが織田裕二を使って新商品「ガティ!」を売り込もうとしているのが、単なる偶然とはいえ興味深い。


1999/10/01

自殺の動機

 自殺の動機を大別してみると、1.「できれば死にたくないが今生きているのが嫌で、仕方なく死を選ぶ」、2.「死そのものおよび死後の世界に憧れや希望を持っており、それを実現させるべく死を選ぶ」の2つになろう。実際には前者の自殺が大半であり、借金苦、病気、校内犯罪および企業内犯罪(蛇足であるが私は「いじめ」というような、事の重大さを矮小化するかの如き言い換えが大嫌いである。何故犯罪を犯罪としっかり言わないのか。そういう「誤魔化し」のせいで、学校(もしくは企業)、加害者、そして加害者の親(もしくはその企業の人間)に「何らかの形で犯罪に荷担している」という意識が欠落するのである。長くなるので別の機会に述べるが)の被害などがこれにあたる。後者というのは例えば、少し前に小説・映画・ドラマで採り上げられたような、編集者が人妻と不倫の上「永遠」を求めて心中するというケースなどが挙げられる。ごく希に「誰かを笑わせたり驚かせたりしようと思って死ぬ真似をしたところ本当に死んでしまう」というパターンがあるが、これは「自殺」というより「事故」とすべきである。余談だが、子供の頃プールで溺れた振りをして周囲を驚かそうとしたところ、誰も気づかずに本当に息が止まりそうになった、という経験を持っているのは私だけではあるまい。

 自殺について議論するに当たり、2に対しては、私は明白な反論ができない。何故なら私はかつて死んだことがないからである。しかし、1については、「本当に今味わっている苦痛は避けがたいものなのか」「自分を消去するくらいなら原因となる事象(時によっては人物という場合もあり得よう)を消去する方がまだましではないのか」等をそれぞれまず検討してみる必要があろう。たとえ「自殺」を一つの権利と考えようと、できれば死にたくないのであれば死ぬ必要はないではないか。

 過去、知人が自殺する度にそう思ってきた事である。


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