エゾシカの  2001/03/01〜2001/03/31

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2001/03/31

時を超えて

 三月初旬の事、何年か振りに大学時代の学舎を訪れた。此だけ落ち着いて学内を歩き回るのは卒業以来初めてかも知れぬ。学校を取り巻く周囲の光景のみならず学内も大きな変貌を遂げ、古い建造物は淘汰されると共に新しい建造物が所狭しと建ち並ぶ。しかしながらそんな中にも当時の匂いは残っているもので、キャンパスを歩きながら自然と私の頭に遺された学生時代の構内地図や構内写真が発掘されるのに併せ、其の場所での想い出迄もが手に取る様に浮かぶのであった。

 歩いている内に時を超えたのはキャンパスの様子だけでは無かった。己自身の在り方や物の考え方についても学生時代のものが次から次へと脳裏に湧き出て来たのだ。普段生活している時間の連続の中に於いては己の変貌を意識する機会は少ないのだが、現在の私の意識の中に唐突に学生時代の自分が現われれば、否が応でも其の変貌振りを感じ驚かざるを得ぬ。

 大学に於いて勉学にせよ部活にせよ其の他私生活にせよ好奇心の赴く儘の行動を取りつつ、一方では新たに己の進む道を模索して再度の大学受験を試みようとしていた18歳の頃の自分が、相手が宗教家であろうが過激派であろうが己の価値観を他人にぶつけては其の正当性を問わんとしていた当時其の儘に、いきなり眼前に現われ私の胸座を掴みつつ「お前ほんまにそんなんでええんかよ!」と罵っている様子がやけにリアルに脳裏に浮かび、当時のそんな自分に嫉妬を覚えると共に、今の自分が本当に今の自分で良いのかどうか、改めて深く考え入る事になった。其れから一月、未だに答えが出ない。否否答えは出ているのだがどうして良いのか解らぬといった方が寧ろ正確なのだが。


2001/03/30

天王洲アイル

 一昔前にウォーターフロントブームの一端を担った天王洲アイル(東京都)。周囲を運河に囲まれた一帯に飲食施設や商業施設が展開し、水辺の回廊からは従来から存在する倉庫群が目に入る。しかしウォーターフロントブームに翳りが見えてきた事に加え、天王洲アイル界隈に不足していたアミューズメントの要素を加味した同様の施設が東京湾周辺に続々登場してきた事などから賑やかさが失われ、今では殆ど日本航空本社社員の通勤、昼食、暇潰しの為のスポットと言っても過言では無い位の静けさすら感じられる。

 此の天王洲アイル北西端から天王洲運河を挟んだ北側対面に、数本の桜が植えられている。夜になると巨大ビルだの倉庫だのといった無機質な建物がライトアップされる事により、水面に映る其等の景色と相俟って、人工建造物が光や水といった基本的な天然物と織り為す美しさを楽しむ事が出来るのだが、此の対岸の桜が風景に己の生を吹き込むかの如くえも言えぬアクセントとなるのだ。此処で重要なのは桜が「数本」という処であり、此が若し対岸を埋め尽くす量であれば、人工と天然とのバランスを生が崩してしまい兼ねぬ。

 ちゃきちゃきの江戸っ子であった2年前、花見の場所を物色する内に発見した此の美しさ。辺り一面が桜の花で覆われている風景も魅力的でありながら、数本の桜であるからこその魅力を感じ入ったのだ。


2001/03/29

放置プレイ

 今一つ理解し難い遊戯の一つに「放置プレイ」がある。自らの性的興奮の対象者を全裸若しくは半裸の状態で置き去りにした儘立ち去る行為により、放置される側は誰に目撃されるか分からない羞恥心、誰の助けも求められない不安感により極度の性的興奮を得るものである。私自身は此の遊戯の経験が無いのだが、以前知人の先輩がラヴホテルで相手をした女性を縄で縛って放った儘知人達との飲み会の席に参加したという生々しい逸話を聞き、やけに衝撃を受けた覚えがある。

 さて、私が理解し難いのは放置される側の心境では無い。誤解無き様断っておくが、私自身が放置される事により極度の性的興奮を味わう事が可能という事では断じて無く、「ああそういう人が居てもおかしく無いよなぁ」といったものである。SMに於ける被虐欲の一つであると考えればさほど不思議なものでもあるまい。不思議なのは放置する側の心境である。放置された客体を何処かから眺めつつ羞恥や不安に表情を歪める様を観て興奮するのであれば兎も角、放置した儘其の姿を観る事も無く其の場から立ち去る事により一体何の快楽を得るのか。性的興奮の根元として挙げられる視覚、触覚、嗅覚等を一切断ち切り、「あいつは今頃羞恥心に表情を歪めつつ身悶えしているのであろう」などといった想像力のみが性的興奮の根元として存在する様は、素人眼から見れば或る種の勿体無さを感じてしまうのだが。


2001/03/28

獣愛掲示板

 先日、2001/02/08で触れた獣愛サイト掲示板が閉鎖される旨告知が為された。実は其の掲示板を訪れはすれども一度たりとも書き込みをした訳でも無かったのだが、闊達な意見や議論を目にする事により、己の獣愛観に一層の磨きを掛ける事が出来るなど、私にとっては非常に有益な場であったのだ。

 閉鎖の理由は、掲示板のメンバーが固定化され、獣愛を此以上展開する場が必要なのかという疑念が運営者に生じたとの事であり、2001/01/10で触れたサイトの閉鎖理由と幾分似通っている。己が何一つ其のサイトに対して有益な事、意義ある事を出来ずにサイトの消滅を辛い気持ちで見届けた事を思い起こせば、何も出来ぬ儘件の掲示板の消滅を指を咥えて見ている訳にはいかぬ。其処で私は獣愛に対して極めて関与度の薄い立場ながら勇気を振り絞って其の掲示板に登場することとした。

 赤子が大人のパーティーに混じるかの如く、私の如き者が獣愛のプロフェッショナルの社交場に登場するに際して、単なる売名行為だの「EZOSHIKA TOWN」の宣伝だのと思われては元も子も無い。私は自己の最低限のアイデンティティとして、「エゾシカ」なるハンドル名のみを記し、記入が要求されているメールアドレスやサイトアドレスは空白の儘、私の様な獣愛界の風上にも置けぬ者ですら其処での意見交換に学ぶものが多かった旨、感謝の気持ちと共に記したのだ。

 程無くして運営者からレスポンスの書き込みがあったのだが、驚いた事に其の方、私の存在を既に御存知であり、「エゾシカの嘶き」にも目を通してらっしゃったのだ。此の際「嘶き」が「囁き」になっていた事は気にすまい。私の存在を伝えたいと思っていた獣愛のプロフェッショナルの方に、既に私の存在を認識して頂いていた事が嬉しくて嬉しくて堪らなかったのだ。


2001/03/27

エゴグラム

 先日結婚関連のサイトを訪れている内に、エゴグラムによる性格診断のページに辿り着いた。当然の如く冷やかしがてら性格診断を行ってみたのだが、其処で出た結果に只呆然とするばかりであった。因みに私には別に結婚が間近に控えて居るだの結婚を前提としたお付き合いを育みつつあるだのといった具体的プランが存在している訳でも無く、只単に何時も訪れているサイトのバナー広告を偶々クリックしてしまっただけなのだが。

 さて、分析結果は以下の文章から始まる。「厳しい責任感と使命感に燃えていながら、他人には優しく思い遣りがあり、多情多感な性格で、趣味や娯楽が豊富です」おお、実態と一致しているかどうかは兎も角まあまあええ事書かれてるやんけと思ったのも束の間、其の後からは一文に一度は思いっ切り衝撃を与えるかの表現が容赦無く続く。性格全般については「物事を大局的見地から把握する事が出来ない」「何時も自分を見失いがち」。恋愛に関しては「精神年齢が低い(知能の高低とは直接関係ない)為に、自分自身の調整に何時も失敗」。職業適性は「合理的で、冷静な分析判断を要する様な仕事には性格的に不向き」。対人関係は「物事に対する適応と対応手段が鈍い為に、自分の弱点や欠点を残らず相手に読み取られてしまうタイプ」。

 つまりこういう事か。私は何事も行き当たりばったりで、恋愛については過去の過ちと同様の失敗を今後も繰り返し、自分に全く向いていない仕事を日々こなしつつ、欠点もろ出しで生きていると。何かもう現在の生活や人生を全て否定されたかの如き診断を受けつつ、「此の診断結果の此の部分は断じて間違っている」と明快に言い切れない自分自身が耐え難く辛いのだが。


2001/03/26

鼻テープ

 花粉症対策の一つに鼻テープなるものが存在する。元々はスポーツに於いてより多くの酸素を摂取する為に開発されたとされる此のテープ、鼻の中心辺りに、絆創膏を横にして貼る要領で装着するのだが、其れが何故鼻腔を広げ呼吸を容易にする結果をもたらすのかが全く理解出来なかった。しかし実際に装着してみると、鼻テープが適度な張力を保っており、鼻肉を外側側部から外部に引っ張る力が常に働き必然的に鼻腔が開く事になり、其の結果、鼻が詰まっていても呼吸が頗る容易になり、頻繁に鼻をかむ必要が無くなるのだ。

 此程花粉症ライフを快適に過ごす事が出来る商品を着用する人間が何故少ないのか。言う迄も無く其の最たる理由は着用している姿の格好悪さにあるものと思われる。しかし私の場合は「競馬の騎手みたいで格好ええやんけ」と密かに思いながら嬉々として顔面にテープを貼り付けた儘他人様に顔を晒しながら日常生活を送っているのだ。尤も、花粉飛散量自体が此処数日でピークを越えた模様で、顔テープの着用機会も後僅かとなってしまっているのだが。


2001/03/25

星座+血液型占い

 思う処在って、「星座+血液型恋愛力占い」なる書物を購入した。己の「恋愛力」を測定せねばならぬ位の恋愛をしているという訳では断じて無く、只単に星座+血液型占いの書物が他に無かった為に止むを得ず購入せざるを得なかったに過ぎないのだが。

 星座占いは余り好きでは無い。私の誕生日が偶々星座と星座との境界日に位置しており、占いによって星座が変わってしまうケースが頻繁にあった為に面倒臭さを感じていたのだ。一方、血液型占い(というよりは性格診断なのでは無いか)については「んなもん世間の4割の人間が私と同じ性格やったらめっちゃ気色悪いがな」という意識を強く抱いている一方で、実際問題として私個人の血液型性格診断結果が性格と一致している点が多々ある為、気にならないと言えば嘘になる程度に仄かな関心を抱いている。

 さて此の書物、星座や血液型による出会いのオケージョンだの恋愛体質だの恋愛能力だのセックス傾向だのが仔細に紹介されており、私のセックス傾向は以下の様に分析されている。「自分が満足することよりも、相手を喜ばせたいと思うタイプなので、前戯もていねいで手を抜きません」実際の私が此に該当するか否かは別の話として気になったのは次の段落。「難点といえば、パワーが不足する点。一晩に何回も、というわけにはいかない」。ちょっと待て、此処まで血液型で決定されねばならないものなのか。性格診断の域を超え身体的能力にまで踏み込むとは最早占いの域に留まらぬ、というか大きなお世話である。


2001/03/24

生乳

 一つの熟語を音読みにするか訓読みにするかで大きく意味が異なるケースが少なからず存在する。其の代表的な物として「生乳」が挙げられよう。音読みで「せいにゅう」と読めば新鮮な牛乳(無論羊乳や象乳や鹿乳も有り得よう)を指すケースが多く、「なまちち」と読めば衣服を介さずに観賞したり触ったり揉んだり舐め回したりする為の乳房を指すケースが多い。言う迄も無く此はあくまで人々の勝手な主観及び猥想に因りもたらされる誤解であり、実際に広辞苑を繙けば両者とも「搾乳直後の牛乳(無論海豹乳や馬乳や猿乳も有り得よう)」を意味するのだ。

 従って正しい日本語を常日頃から追究する私は、新鮮な牛乳(無論狐乳や栗鼠乳や子守熊乳も有り得よう)を指す際には、「なまちち80%のカフェオレ」「やっぱなまちちに限るで」「昨夜のなまちちはなかなか味わい甲斐があったわい」等といった具合に断じて「なまちち」を用いる。

 暫く前の合コンの場に於いて美味しい珈琲のネタで盛り上がっていた際、「なまちちの質がめっちゃいいんですよね」と発言した処其の場がたちどころに凍り付いた儘になったのを見て、此奴等は頭の中が猥想に冒されまくっているのでは無かろうかと感じ、満ち溢れた猥想に因り日本語の情趣すら理解出来ぬ輩共と日本語を語る気になれぬと一気に醒めてしまった次第。


2001/03/23

腕枕

 内容はまともに観ていなかったので全く憶えていないのだが、先日トーク番組だったか何かで「男性が腕枕をしてあげる際、どの時点で腕を抜けば良いのか」というテーマが採り上げられており愕然とした。腕枕は然るべきタイミングで腕を抜いても構わなかったのか。

 私が腕枕を行う際には一晩中腕を抜かない為、私自身が寝入る迄に腕に相当の痺れを感じる事となる。また逆に、寝入った後も痺れの為に目覚めてしまう機会が多い。相手の頭をずらすなり自分の腕をずらすなりしようとしても、相手が覚醒している内は「自ら腕枕を提供しておきながら腕を抜くのはおかしいでは無いか」、相手がしっかり寝入っている時には「此処で体勢を変える事に因り目覚めてしまうのでは無いか」などと気を揉む事となり結局相手が寝返りを打つのを只管待ちつつ夜明けを待つといった事象も少なからず存在する。私自身寝相が悪いのであれば気が付けば腕が抜けていたという弁解も可能なのだが生憎私の寝相の良さについては万人の認める処である。そして抑も私の中に於ける根本的な腕枕観として、腕枕をする側の醍醐味なるものは「寝る前も目覚めた時にも自分の腕の中に相手が存在する」という心地良さにあり「腕を何時抜くか」を考える事自体が無粋なものに感じられるのだ。

 私は現在に至る迄他人が一晩中腕枕をしている光景を目にした事が無い上、腕枕の礼儀作法について学んだ事も無い。精々シャガールの絵画に頻繁に描かれている腕枕を目にして堪らぬ心地良さを感じる程度である。従って自分の行う腕枕が世間一般に行われている腕枕と比べてどういった差異があるのかについて論じる事は出来ぬ。とはいえ腕枕の醍醐味を出来るだけ保ちつつ腕の痺れに因る睡眠障害を克服する手法については非常に関心のある処であり、其の道の先達より一度御教示頂ければ幸いである。


2001/03/22

アヌス

 1996年10月6日、東京競馬場第11競走・毎日王冠の勝ち馬はドバイから此のレースの為に来日したアヌスミラビリスであった。本来であれば「驚異の(ミラビリス)年(アヌス)」を指す由緒ある名であるにも拘わらず日本人なら誰しも顔を赤らめそうな名を持つ此の馬、日本のマスコミ界に於いては「アヌスミ・ラビリス」と、肛門を連想させぬ様本来の語とは異なる発音で呼ばれるか、逆に新聞の見出し等に於いて「アヌス一発」「アヌスは穴」だのと意識的に肛門に関連づけられるかの両極端の扱いを受けていた。

 と事実を淡々と書いたが、私は此の時未だ競馬を全く知らず、上記の事柄を知ったのは此の1年程後であった。もう一度彼が来日する際には世間で其の名がどう扱われるのか関心を抱きつつ記念に彼の名の入った勝馬投票券でも購入しておこうと思っていた処、1998年6月21日、阪神競馬場第11競走・鳴尾記念の為に来日することとなったのだ。しかし生憎此の日は北海道の牧場巡りツアーに参加しており、勝馬投票券を購入する事能わず3着に終わった結果を見守るだけであった。

 そして1999年秋、彼が現役を引退して日本で種牡馬になると知った際には狂喜乱舞した。数年後には父の名を承継し「エアアヌス」「メジロアヌス」「アヌススズカ」などという名の馬が続々と登場するのでは無かろうかという期待感が高まったのだ。しかし此の期待も虚しく、彼は日本に輸入された直後高熱を発し、検疫中ということで十分な治療も受ける事無く死亡してしまったのだ。

 此の時のショックを未だに若干引きずりつつ先日テレヴィで競馬観戦をしていた際、「ハドリアヌス」なる名の馬を発見した。言う迄も無くローマ五賢帝の一人が其の名の由来なのだが、彼が将来活躍して種牡馬になった際に其の子孫が「アヌス」を承継したり、競馬番組でさとう珠緒が「アヌス」と口にするシーンを想像したりして、何かしら晴れやかな気分になった次第。


2001/03/21

猿仕事

 猿程度の能力・労力で足りる仕事という意味で「猿仕事」なる語が用いられる機会が多い。此が若し他の獣であれば意味に変化が生じるのか否かを考えてみる。

 犬仕事。盲導犬、介助犬、麻薬犬、救助犬等、現に様々な分野で人間にはなかなか出来ぬ仕事を十分にこなしていると言えよう。馬仕事。肉体労働の分野に於いて人間以上の能力・労力が発揮出来る仕事では無いか。

 鹿仕事はどうか。牡の場合であれば、第三者の家宅侵入に備えて、得意の角を用いて侵入者を撃退するという仕事が与えられようが、牝の場合如何なる仕事を期待すれば良いのかとんと見当が付かぬ。逆にカンガルー仕事となると、牝の腹部に位置する袋が有益な作業に用いる事が可能な一方で牡に与える仕事について悩む事になってしまう。

 ハムスター仕事。仕事に取り組んでもらおうと思ってもあの泣きそうな表情が視界に入ると仕事も頼むに頼めぬ。コアラ仕事。あのむっとした表情が視界に入ると仕事を頼む気も起こらぬ。


2001/03/20

時代と感覚とCM倫理

 アルバイト雑誌のTVCMを観て私は腰を抜かさんばかりに驚いた。バスケットのユニフォーム代を稼ぐ為にアルバイトを勧められた若者が、宅配便のアルバイトで荷物をバスケットボール代わりに用いてダンクシュートよろしく荷物を上から叩き付けるかの如く積み上げ、恐らく現場責任者と思しき中年女性が其れを見て拍手するものである。単なる絵空事だと思えば其れ迄なのだが、他人様の荷物を斯様に扱い雇用主も其れに対して理解を示している様には幾ら何でもといった感が否めぬ。

 しかし此が果たして直ちにTVCMの倫理観欠如と結論づけて良いものかどうか。下手をすれば己の感覚が時代と大きくずれてきているという事では無いのか。此のTVCMに限らず「おいおいこんなんでええんかよ」と思ってしまうTVCMを目にする機会が増えている状況を鑑みるにつれ、斯様な悩みも其れに合わせて増大しつつあるのだ。


2001/03/19

存在の耐えられない軽さ

 私の中では「異性と共に観た最初で最後の映画」として深く記憶に刻まれている「存在の耐えられない軽さ」。追いかける女の存在を認めつつも自由奔放な性に溺れ己の生き方を貫く男。其の状態に只管戸惑いつつ男を追いかけ続ける女。映画を観ている内に何時しか其の女性の恋愛観に惹かれ、二人が田舎生活で共に本当の幸せを共有したシーンで胸暖まった瞬間に訪れた暗転に後味の悪い思いを抱きつつ、此の後味の悪さが堪らない魅力として私を捉えたものであった。

 唐突に十年以上前の此の映画を突然振り返りたくなり、ウェブサイトを漁ってみた。映画評を読んでいると此がなかなか面白い。政治と己の生き方との狭間に立ち行動する主人公の男性に焦点を当てたもの、主人公達が田舎生活に至る迄の過程に焦点を当てたもの等々、私自身とは異なる観点による評を読みつつ此の映画を立体的に反芻することとなった。

 其の中で一つユニークな映画評を発見した。「宣伝がエッチっぽかったのでエッチな映画が観られるという期待が見事に裏切られた」。人間の持つ観点の多様性を端的に肌で感じ取った次第。


2001/03/18

ご当地キティ

 比較的長期に渡り人気を博しているキャラクターの一つに、所謂「口無し猫」なるものが存在する。口の無い猫が横を向いて腰を下ろし、顔だけを90度此方に向けているものなのだが、最近では「ご当地キティ」なる名前で、成熟期に達した有名ブランドに「地域限定」なる希少価値をプラスする事によりブランド力を活性化するという最近のスナック菓子拡販戦略よろしく各観光地に於いて其の土地を象徴する出で立ちの口無し猫を目にする機会が少なくない。

 さて、何時もの如く競馬番組を観ていた処、プレゼントコーナーに於いて此の「ご当地キティ」を発見した。当該競馬場限定のタオルの刺繍には、此の口無し猫が馬に乗って相変わらず首を横に90度曲げている姿があしらわれている。其れにしても凡そ口無し猫に相応しいとも思えぬ競馬場にまで「ご当地キティ」として登場しようとは節操の無さが思い知られよう。

 と思いつつ更に考察を深めてみた。長年に渡りブランド力を維持してきたキャラクターが敢えて冒険とも思えるブランド展開をするには屹度何か理由があるに違いない。となると結論は自ずと絞られよう。ブランド展開の陰には猫と馬との獣愛が存在したのだ。「競馬場ご当地キティ」のデザイナーが、己を猫に託して馬との獣愛を愉しむべく制作したのか、其れとも純粋に猫と馬との獣愛を愉しむべく制作したのかは定かで無い。何れにせよ此のデザイナーが獣愛志向である事は疑う余地も無く、其の趣味嗜好の発露としての作品に他の「ご当地キティ」とは一線を画したものを感じ取った次第。


2001/03/17

テレヴィ番組

 報道番組と競馬を除いて私が欠かさず観ているテレヴィ番組として、「探偵!ナイトスクープ」「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」「よしもと新喜劇」「さんまのSUPERからくりTV」がある。此等については外出や睡眠等で放映時間に観る事能わぬ場合には事前に録画する様努めている。

 此の中でも先に掲げた内前二つは金曜深夜(日付としては土曜)の放送という事もあり、大抵の場合は金曜夜に仕事を終え寓居で報道番組を一頻り観た後にチャンネルを捻って一週間の疲れを取りつつ「探偵!ナイトスクープ」を観て、暫くして再度チャンネルを替えて「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」を観るというパターンに落ち着いている。

 処が極偶に寓居に帰宅する時刻が予想外に遅くなるケースが存在する。左様な場合には取る物も取り敢えず仕事を持ち帰るなり無理矢理片付けるなりして寓居に急行する事になるのだ。果たして昨日が其のパターンであり、職場を抜け出す頃には既に本来の放映時間を過ぎてしまっており、些か消沈した気分で足取り重く寓居に戻ることとした。

 処が幸甚な事に、此の日は偶々「探偵!ナイトスクープ」の直前に大相撲関連の番組が入っていた為に丁度寓居に辿り着いた頃に番組を観る事が出来たのであった。更に言えば「探偵!ナイトスクープ」終了時刻の繰り下がりに因り丁度良い塩梅でインターヴァルを置く事無く別の局の「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」を観る事が出来たのだ。此の時ばかりは普段此の大相撲関連の番組に関心を持たぬばかりか此が他の深夜番組の放映時間に多大な影響を与えている事実を不快にすら思っている事も忘れ、絶妙のタイミングで放映時間に影響を与えてくれた事を只管感謝した次第。


2001/03/16

獣愛・6

 所謂「猿仕事」に纏わる作品をしたためようと思い広辞苑で「猿」を検索した処見慣れぬ文字が目に入り戦いた。通常誰しもが容易に想起し得る「えん」「さる」の他に「まし」「ましら」という読みが存在したのだ。意味は何れも所謂猿の事であり、「えん」を別とすれば何れも猿の呼称という事になる。高々数年程度の獣歴しか持たぬ私にとっては猿の事を「まし」「ましら」などと呼ぶなど全く以て初耳であり、驚きを禁じ得ぬ次第。

 広辞苑には親切にも語源が掲載されており、一説に「優る」から転じたとの事。という事は、世間で「猿仕事」だの「猿芝居」だの「猿知恵」だの、頭を使わないとか浅はかだとかといった意味で用いられているのと正反対では無いか。以前(2001/01/15参照)にも少し触れた様に人は猿を其の外見や仕草から人間と同レヴェルに扱おうという意思を抱いているものと思われる一方、「朝三暮四」の諺に代表される様に、猿を人間に劣る浅はかな存在であるものと看做そうとしているのだ。

 一方で己に近き存在として認識しながら時には距離を置こうとする。此の感情、思春期の男女が共に抱く恋心と全く同一では無いか。人と猿との獣愛と同じ感情を、実は誰しも若かりし頃に若干形は異なれど必ず抱いているのだ。或る意味我々が最も自然な形で理解し体験する事の出来る獣愛であると言えよう。


2001/03/15

 毎年此の時期に私を悩ませ今年も御多分に漏れず私を襲う花粉症の被害を何とか最小に収めようとすべく、予防の為に抗アレルギーの注射を打ってもらおうと先日医者に足を運んだ。尤も嚔や鼻水という症状が出てから治療を求めるのを「予防」というのは些か不適切なのだが。

 近所の総合病院の中にある、待合室と診察室とが一つになっているという特異な構造の耳鼻科コーナーで待つ事暫し、問診後にレントゲンと採血を行う事となった。花粉症の予防(繰り返すが、嚔や鼻水という症状が出てから治療を求めるのを「予防」というのは些か不適切なのだが)で訪れた積もりが非道く大事になってきたのだ。抑も注射については「副作用の危険性があり、抑もアレルギーの種類が特定出来ぬ段階で適切な注射など打てぬ」という趣旨であっさりと却下された。

 さて、私の顔のレントゲン写真を見た医者が開口一番口にした言葉は「鼻が歪んでいますね」であった。此が花粉症と関係あるのかと訝りつつ、過去に二度程顔のレントゲン写真を撮影した際、二度共医者が同じ指摘をしていた事を想い出した。どうやら私の鼻の内部が歪んでいる事、そして其の事実が医者の関心を惹く位医学的に問題のある事については疑い無いようである。因みに此が具体的にどういった問題があるのかは未だに良く解らぬ。


2001/03/14

続・牡蠣サイト

 2001/02/26で触れた牡蠣サイトの商品を注文し、先日配達を受け食してみた。既に牡蠣シーズンも終了に近づいており、本来もっと早くに注文すべき処、私が確実に寓居に居る時間帯に配達を受けようとする為此処迄遅くなってしまった次第。

 面倒無く直ぐに食する方法として、殻の儘電子レンジで温めるという方法を牡蠣サイト管理人の方から教えて頂いており、今回も牡蠣到着後即数個を電子レンジに入れて温める。待つ事5分、電子レンジの蓋を開くや否や芳香が此でもかと私を襲う。潮の香りのする海岸通りで晒された海産物の如き香りが凝縮され、正に「襲う」という感覚通り、一気に鼻腔目掛けて飛んで来るのだ。

 閉じた貝殻を開く時間すら無駄に感じられる位私の牡蠣欲は高まっていた。刃物で蓋をこじ開け、猫舌の私が己の舌の火傷も顧みずに牡蠣身にむしゃぶりつく。貝汁に浸された生柔らかい身は卵で言えば「半熟」といった状態であろうか。身と汁とが同時に感じられ、正に「一粒で二度美味しい」という感覚である。而も驚いた事に、普段牡蠣料理を食する際に味わうグリコーゲンの仄かな苦みが全く感じられぬ。身は純粋に甘く、汁は其の儘出汁にでも使えそうな位円やかである。

 牡蠣サイト管理人からはレモン汁やバターを用いた調理法も推奨されていたのだが左様な調味料を買い出しに行く間すら惜しい。今度は牡蠣を若干長目に温めてみる。今度は卵に喩えれば「固茹で卵」。牡蠣の旨味が出汁に出る事無く其の身に凝縮されており、此も亦美味し。

 気がつけば配送された牡蠣21個を息つく間もなく次から次へと電子レンジに放り込んでは調味料を一切使わずに食していたのだ。嘗てオーストラリアで牡蠣の安さに惹かれて生牡蠣を10個近く一気に平らげた事があったが、今回は其れを遙かに上回る量である。何たる贅沢。

 其れにしても何より悔しいのが、此が今シーズンの牡蠣の締め括り。もう少し感動なりシーズンの終わりを惜しむなり、何かしらの感慨に浸りつつ食するべきでは無かったか。左様な心掛けすら無くして獣の様にばくばくと平らげ、而も腹具合も快調となれば、何か己が人間として問題があるのでは無いかとすら思える次第。


2001/03/13

アルバイト・7

 学生時代の夏、短期間に或る程度纏まった金銭を準備する必要に駆られ、短期集中型のアルバイトを探す事になった。幸い程無く求人情報が見つかり、先ずは面接を受験する事となった。

 面接先は滋賀県教育委員会、求人内容は「歴史調査補助員」。肩書きは如何にも研究者的なものであるのだが、具体的に言えば炎天下の下、遺跡の在りそうな土地を掘り返しては其れらしき物を発見するという作業であり、一言で言えば「土掘り」である。面接の場で希望を求められ、私の好きな明智光秀関連の史跡が多い大津市周辺で戦国時代関連の作業がしたい旨返答した処即座に「否やってもらうのは守山市の南北朝時代のものになるであろう」との事。だったら尋ねるなよと思いつつ、其の場で採用が決定した。

 此の仕事を行うにあたり難点も存在した。一つは金銭面。交通費は先方持ちなのだが賃金と同様後払いとの事であり、一回の仕事で寓居からバス、JR、バスと乗り継ぎ往復千円を超える金額を事前に当方にて立て替えねばならぬ。左様な金銭的余裕すら無かった私は泣く泣く親にアルバイト期間内の交通費を前借りする事となった。もう一つは時間面。土掘りという作業の関係上、日の明るい内に作業を行う必要がある為、朝が異常に早いのだ。寓居から現地迄はバスの待ち合わせ時刻を考慮すれば優に1時間半。当時より朝が弱かった私にとっては、此の早起きは労働内容以上に苦しいものであった。

 さて、此の仕事を続けている内、期間の半ば頃であったか、現場監督者といざこざが生じてしまった。石灰を準備する際に其の量を大きく間違えてしまった処、彼の態度が急変し、如何なる雑談にも取り合って頂けない位冷たくあしらわれるといった状況がアルバイト期間終了に至る迄継続したのだ。

 因みに私が量を間違えた原因は「バケツに粉を一杯入れといて」という指示を、「バケツに(粉をバケツに移す際に用いている)柄杓一杯」と解する事が要求されていた処を「バケツに一杯」入れておいた事である。一杯を単位と取るか日常用語と取るか。日本語の奥深さがコミュニケーションにも多大な影響を及ぼした、苦い体験であった。


2001/03/12

アルバイト・6

 此も学生時代、知人から料理旅館のアルバイトを紹介された。泊まり込み勤務で食事の盛り付け、各部屋への配膳を行い、其の後に撤収、食器洗い。此を夕方、早朝に行う。食事は食べ放題との事であり、普段哀れな食事を摂取している私の口に凡そ不相応な料理旅館の食事が腹一杯堪能出来るのでは無いかという期待を抱きつつ、此幸いと参加させて頂く事となった次第。

 此の料理旅館、あのデュークエイセスの名曲「女ひとり」で有名な三千院の近くに位置し、秋とはいえ此処がもう京都市街地とは数度位温度差があるような厳しい寒さに包まれていた。而も作業場である厨房には暖房が無く、冷気に包まれつつ乾いた皿を磨いては既に用意された食材を盛り付けていった。此の時に判明したのだが、料理旅館とは雖もレトルト食材や作り置き食材を案外用いているものである。

 盛り付け、配膳が一頻り終わってそう間も無い内に片付けが始まり、一頻り食器片付けや皿洗いを済ませた後、待望の夕食タイムとなったのだ。しかし私の抱いていた勝手な期待感は大いに裏切られる事となった。食べ放題なのは御飯とカップラーメンであり、おかずらしき物も冷えたフライ一品のみ、更に言えば其のフライは私が苦手とする肉では無いか。私は失意の内に、食後他のアルバイト学生とそう盛り上がった話をするでも無く蛸部屋の隅で床に就く事となった。

 考えてみれば食事のレヴェルなど、当時の日常の私の生活とそう大して変わらぬ筈なのだが、憖じ事前の期待が大きいだけに、其れが裏切られた時の精神的痛手も非常に大きいものであったのだ。尤も今から冷静に振り返れば、幾ら何でも勝手な思い込みに拠る労働内容以外の部分で何故彼処迄ショックを受けていたのであろうか、抑も其れ以前に一体何を期待してアルバイトに参加していたのだと思わざるを得ないのだが。


2001/03/11

アルバイト・5

 京都の夏を彩る催事として「祇園祭」なるイヴェントがある。市内の目抜き通りを30体以上の山鉾が祇園囃子なるBGMの下巡行する儀式であり、全国から毎年其れなりの見物客が訪れている。

 此の山鉾を組み立てるアルバイトを行った事があった。一本柱の鉾を、神輿に車輪を加えた山車に縄で備え付けるという作業なのだが、鉾がメインという事であり一際大事に扱われ、20mを超える鉾は専用の鉾載台に横たえられ丁寧に磨かれる。私も此の作業に加わる中、反対側に移動して磨こうとして鉾を思いっ切り跨いでしまった。他にも数名が私より先に鉾を跨いでいたにも拘わらず、現場監督者に見つかったのは私の行動のみであったようで、結局私がこっぴどく怒鳴られる羽目になってしまった。

 とはいえ此は此で通常人には行えぬ貴重な経験。他人に祇園祭の説明をする際には、必ず山鉾を差しては「おれ、あの鉾跨いだ事あるねん」と付け加えるようにしている。


2001/03/10

アルバイト・4

 嘗て京都で国民体育大会が開催された時の事、大会に出場する高校生の勉学が遅れぬ様、彼等の合宿先に赴き勉強を教えて欲しいとの依頼を、京都府関係者の知人から受けたのだが、提示された実働時間、賃金それぞれを勘案して私は些か驚いた。普段アルバイトを行う際にも稼げるだの割に合うだのといった事をさほど気にせぬ私ですら、其の業務は稼げるものであり割に合い過ぎるものであった。

 さて、「勉強を教えて欲しい」とは聞いていたのだが、其の教科が数学である事以外は何も聞いて居らず、余程賃金に見合ったハードな内容をこなさねばならぬのではないかと思いつつも、直前迄練習を行い一風呂浴びたばかりの状態の高校生にハードな勉強を要求する筈が無かろうと思っていた。実際現地に足を運び責任者に内容を伺った処、メンバーの中に一人居る工業高校の生徒に微積分を復習させる様指示があった。

 確かに私とて微積分は高校時代に一頻り学んだのだが如何せん相手は工業高校の現役高校生。要求されるレヴェルと己の現在のレヴェルを勘案すれば、此は確かに賃金並みの労力を覚悟せねばならぬと思いつつ、其の生徒を相手にする事にした。

 処が其の生徒、態度も非常に真面目で在れば、教科書程度の問題はすいすい解き、偶に出る質問も私が対応出来る範疇に収まるもの。全く手が掛かる事無く非常に心地良く教える事が出来、合宿期間中何度か足を運び、割に合い過ぎる賃金を得る事となり、此の生徒に感謝する事頻りであった。尤も其の数ヶ月後に、彼が彼女同伴で寓居に遊びに来た時ばかりは「独り者の目の前でいちゃつき振りを見せつけやがって」という怒りを覚える事となったのだが。


2001/03/09

アルバイト・3

 学生時代、サークルの先輩の紹介で或るイヴェント運営のアルバイトをする事となった。東京地区の企業の冠イヴェントが京都で催されるという事で、其の先輩の知人である東京の方からの要請との事であった。

 様々な器具等の設営や撤収、休憩時間に参加者への飲料の配布及び片付け等が主な仕事であり、逆に言えばイヴェント実施中は待機時間となっていた為、控え室で参加スタッフとの雑談に興じる事となった。

 暫し雑談を楽しむ途中で、今回の運営を仕切っている東京の方が早稲田大学の方である事が判り、早稲田大学のミニコミ誌である「早稲田乞食」を当時京都に居ながらバックナンバーに遡る迄愛読していた私は其処で透かさず「早稲田の方なんですか!自分は『早稲田乞食』が好きでよく読んでるんですよ!」と発言した処、其の先輩は其れ迄の爽やかなスポーツマンを絵に描いた様な笑顔を捨て「俺は体育会なんでああいう文化系の活動を軽蔑しているのだ」と、何とも冷たい言葉と態度を私に返した。「うわっ、話題造りで何の気無しに喋っただけやのに思いっ切り地雷踏んでしもたやんけ」と思いつつ、当惑と混乱で其の場を取り繕う事能わず、程無くして取り敢えず話題は変わったものの、私の抱く気拙さは払拭されぬ儘会話が進んでいった。

 此の時の後味の悪さが只管トラウマとなってしまい、其れ以降早稲田大学の関係者との会話に於いて「早稲田乞食」を口にするのが禁忌となってしまった。「早稲田乞食」自体には何等罪は無いとは判っているのだが。


2001/03/08

続・アルバイト

 学生時代、最初に取り組んだアルバイトは通信添削であった。小学生から高校生迄の英語の答案を採点し、誤答の際には正解を、正解の際にはステップアップとなるべき知識やコメントを余白に書き込み、最後に答案全体の講評なり質問に対する回答なりを記すという作業を一週間に十数通程度行う。収入は一通あたりの単価に基づき、担当する通数を増やしたり、トータルの担当通数に基づく「経験」を積み単価をアップさせたりする事により収入増を目指すというシステムであった。従って、出来る限り数をこなす事が収入を増やす必須条件であったのだ。

 にも拘わらず、私は全く数がこなせぬばかりか当初与えられた通数すらこなす為に一週間に一度は徹夜せねばならぬ位能率が悪かったのだ。原因としては、英語という教科自体私にとって極めて苦手なものであった事、悪筆故通信添削に耐え得る文字を書くだけで異常に時間を費やさねばならなかった事、更には、一つの解答に対してコメントを付すにあたりあれこれ異常に考えてしまっていた事が挙げられる。

 只単に○×だけ付けるのであれば話は早い。問題は解答に付すコメントである。「此奴はどういった点に強くどういった点に弱いのか」「強みを深めるべきか弱い分野を補うべきか」「此の解答は当てずっぽうなのか考えた結果なのか」「此のレヴェルの生徒に合うレヴェルの解説はどのようなものか」等々を一々考えないとコメントを付す気が起こらず、一問に悩み考え込む機会が少なくなかったのである。

 斯様な点に労力を割くこと自体に苦痛を感じなかったのが災いした。半年程度続けている内に、定められた期間内で量をこなす自信が無くなりつつある事を悟った私は、省力化を検討する事無く此のアルバイトを断念する事となった。


2001/03/07

アルバイト

 生まれて初めて労働の対価として賃金を得たのは小学校の頃であった。労働内容は所謂パチンコの玉買いであり、パチンコ店で良い思いをした来店者が得た景品を店の出口辺りの目立たぬ小部屋で買い取るという仕事である。

 偶々小学校の冬休みであった。或るパチンコ店の玉買いが急病で倒れたとの事で、数日間代役として私が雇われる事となった。朝から晩迄、パチンコ店の裏手にある二畳程度の蛸壺の様な小部屋に入り、人間の手が1本入る程度の「窓」を介して客から景品を受け取っては其れに見合う額の現金を渡すのが私の仕事であった。此で当時一日4000円。真偽の程は定かでは無いが、此のパチンコ店のどの従業員よりも高給であったと聞く。

 其れにしても来店者の驚き様は相当のものであった。窓から現金を持って出て来る手は明らかに子供の手。「はい」と現金を渡す声は未だ変声期を迎えぬ子供の声。もしやと思い中を覗き込めば其処に居るのは高々10歳程度の子供である。18歳未満の入場を禁じている聖域に存在する小学生。驚かない方が無理というものである。勿論私は私で来店者の驚く様を目にしては喜んでいたのだが。

 処で、冷静に考えてみれば此の仕事場、人目に付かず、一人で多額の現金を管理している空間。若し私が強盗を行うことになれば間違い無くパチンコ店の玉買いを襲うであろう。実際世間で発生するパチンコ店強盗の対象も玉買いでは無いか。今であれば縦令今此の仕事を斡旋された処で、斯様に危険極まり無い仕事を直ちに受諾する事は無かろう。ましてや当時は小学生。襲われればまず勝ち目は無い。私の両親もよく斯様な仕事を子供に任せたものである。


2001/03/06

傍若無人

 「傍若無人」をワープロで表示させようとしてはたと困った。此の手の熟語類には多少なりとも自信があったのだがいざという時に読み方が出て来ぬ。前半は「ぼうじゃく」か「ぼうにゃく」か。後半は「むじん」か「むにん」か「ぶじん」か「ぶにん」か。単純に考えて2×4=8通りの組み合わせが考えられる。此処で私は一気に変換させる事を諦め、前半で1/2の可能性に賭けた後、後半で1/4の可能性に賭ける事とした。此だと最善の場合でも2回の変換が必要である一方で、最悪の場合でも、2+4=6回の変換で正解を求める事が出来よう(因みに「傍若無人」を一気に変換させる時は最善なら1回の変換で足りるが最悪だと8回も「ぼう○ゃく○○ん」と入力し変換せねばならぬ)。

 「ぼうじゃく」と入力して変換させた処、表示されたのは「棒弱」。此処で私は本来の目的を忘れ、「棒弱」の後「むじん」「むにん」「ぶじん」「ぶにん」としてどういった文字を続ければ面白いかを想像した。「棒弱武人」。肉体を鍛え上げた武道家が実は肉棒だけは鍛える事能わず粗末であったというケースが此に該当しよう。「棒弱撫人」。性交時に相手の男性の肉棒が萎え切ってしまい、女性が一生懸命撫で回している光景が手に取るように浮かぶでは無いか。

 此処ら辺で私のボキャブラリーも底を尽いた。頭の中がクリアになった所為か、一発で「ぼうじゃくぶじん」が脳裏に浮かび事無きを得た。


2001/03/05

記者

 偶々阪神競馬場に足を運んで想い出したのだが、私のマスコミデビューは小学校の頃であった。休日に家族で阪神競馬場の近くに遠出をした際、当時世間で大ブームを起こしていたフィールドアスレチックなる健康遊戯施設に赴く事になったのだが、運の悪い事に此の日は其の施設も定休日であったのだ。因みに私の親の仕事の都合上、休日は世間で言う「平日」に設定されていた為、家族全員で遠出という事になればわざわざ小学校を欠席させられてまで付き合わされていたのだ。己の道楽の為には学校の存在すら無視して恰もペットの散歩の如く子供を扱う其の行為については此処では一々言及しまいが。

 其れはさておき、人間万事塞翁が馬の喩えでは無いのだが、偶々当日新聞記者が話題のフィールドアスレチックを取材しようとやって来ており、施設の管理人等への取材は行えたものの定休日故利用客を被写体に出来ずに困っていた処であった。我々は取材対象として、施設内を無料で利用しまくっては記者の気の赴く儘シャッターチャンスを提供し、最後には其の新聞社がバックアップしている球団の選手のサインボールまで頂いて帰ったのだ。当時巨人ファンだった私にとって、王貞治のサイン入りボールは其れこそ宝物であった。

 程無くして新聞紙のレジャー欄に、妹や私が丸太に乗って水面に浮かんでいる写真が掲載された。通常であれば其れだけで感動するものであろうが、当時の私は「何であんな沢山写真を撮ったのに一枚しか乗ってへんねん」だの「名前位載せて呉れよ。わざわざあの時に教えたったやろうが」だのといった不満を強く抱いていたのだ。

 只此の時の取材を通じて、新聞記者というものが極めて一般市民に対して友好的な存在だという認識を持つことになった。暫く後に地元のキャンプに参加した際、偶々取材に訪れた新聞記者のカメラに対して只管無邪気にピースサインを送り続けて「ええ加減にせんかい!もう写真撮ってやらんぞ!」と恫喝される迄は。


2001/03/04

親馬鹿

 本日の阪神競馬場第11競走、仁川ステークス。今年に入り2連勝、而も前走はコースレコードをマークした私の一口出資馬・カネツフルーヴが3連勝の期待に応えるべく出走するのだ。阪神競馬場への初訪問がてら、愛馬の応援に出向く事にした。

 前走の勝ちっ振り、馬場状態、彼自身の体調など、何一つとっても理想的にレース当日を迎える事になり、後は彼がどんな勝ち方をするのかで朝から頭の中が一杯となっていたのだ。関西地区のスポーツ新聞では何紙もが彼を写真入りで採り上げていたが、「んなもん勝つ前から買うよりも勝った後で大きく採り上げられるのを買うのがええんや」と思い、一紙も購入する事無く競馬場に足を踏み入れた。無論勝馬投票券は、他のレースを買う金があるのならば少しでも彼に回すべしと考え、其のレースで彼が絡むものを一頻りしこたま購入していた。

 後は彼の勇姿をレース前後にカメラに収めるべく、前日(2001/03/03参照)とは打って変わってフルに充電した電池をデジカメに収め、パドックに登場する数十分前から最前列に陣取ってカメラを構えていた。いよいよ仁川ステークス出走の面々が一頭ずつパドックに登場したのだが、8番目に登場するべき彼が出て来ぬ。他馬が全部登場してトラックを周回している最中、やっとのそのそと彼が姿を現わした。何時もの如く周回中に何度と無く大欠伸をするわ、のろのろと歩いて後ろの馬を苛つかせるわで、「嗚呼何時もと同じだ」と大いに安心してレースを待つ事にした。

 本馬場入場の際、一頭一頭がアナウンスされるのだが、相変わらず彼は姿を見せぬ。何か事故でも起きたのかと思って暫くの後、人々が競馬場の大スクリーンに映し出される他の競馬場の実況中継に注目していた時になってやっとのこのこと彼が現れた。此も亦善しと思いつつ、後はレースを待つのみ。しかし結果は直線伸びず4着。馬券に絡む3着をも守り切る事が出来ず敗退。金銭的出費など此の際どうでも良い。全く想像だにせず結果に只管呆然とした儘帰路に就く事とした。

 さて、私は従来所謂「親馬鹿」の心境がとてもではないが理解出来ない上、其の感情を有する事すら能わぬと思っていたのだが、此の日の私の感情が、縦令血縁関係が無くとも、単なる「愛馬の応援」に留まらず、「己が暖かく見守る事により初めて好成績が期待出来る」「他馬や他の応援者の存在など眼中に無し、其処に存在するのは己と愛馬のみ」などという、世間で言う「親馬鹿」に比類するものでは無かろうかと思われたのだ。


2001/03/03

ヤブイヌ撮影

 昼下がりに仕事を終え、京都に足を運んだ。目的の内の一つは言う迄も無く、京都市動物園に足を運んで日本国内のヤブイヌ完全制覇を成し遂げる事であった。一昨年はズーラシア、昨年は東山動物園でそれぞれヤブイヌと出会い、今回京都市動物園に足を運ぶ事により、日本国内でヤブイヌの棲む動物園を全て極める事になるのだ。

 動物園到着は閉園1時間前。案内板にはヤブイヌの居場所が書かれて居らず、一体何処に居るのかを探すだけで非常に難儀し、園内を外から内に螺旋状に練り歩いた結果、ヤブイヌが居たのは園内の中心部、即ち会えたのは一番最後となってしまったのだ。

 彼女は非常に元気な様子で独特の甘美な鳴き声と共に檻内を所狭しと走り回っていた。残念ながら逆立ち放尿や後ろ向き走行は目にする事が無かったものの、其の元気さだけで立派に存在感をアピールするものであった。早速其の様子を撮影しようとデジカメを取り出してスウィッチを入れ私は愕然とした。来園時に電池容量が少なかった事は把握していたのだが、シカやワラビーの写真を撮影し過ぎた所為なのか、スウィッチを入れても数十秒後には自動的にスウィッチが切れる位に電池容量が枯渇していたのだ。左様な状況でも何とかヤブイヌの姿を捉えようと一生懸命ファインダーを覗いたのだが、悉くピントが手前にある檻に合ってしまう。マニュアル操作をしようとしても、マニュアル設定を弄くる内にスウィッチが切れてしまう。仕方無く檻にピントが合った状態でヤブイヌを捉えようとも、此亦電池切れの所為か、シャッターを操作してもなかなか上手く切れない。

 此の時程、此処1年程触っていない銀塩カメラが手許に無いことを後悔した事は無かった。改めて、2001/02/012001/01/06でも触れた様な技術革新の影響を身に染みて感じ取った次第。


2001/03/02

辛子蓮根

 辛子蓮根なる食物の存在を知ったのは、ボツリヌス菌による食中毒が世間を賑わしていた頃である。死者が出るわ辛子蓮根メーカーが倒産するわで連日「辛子蓮根」という名称がメディアに乱舞しており、ほう左様な食物が存在するのかという発見と共に、何て恐ろしい食物なのだという驚きを日々感じていたのだ。

 数年前に熊本に行った際、私の頭の中に引っ掛かっていた此の辛子蓮根を是非一度食してみようと、土産店に赴いた事があった。「蓮根の穴の合間に辛子を詰め込んだ食物」というイメージしか無かった私は、土産店に於いて保存を利かせる為に冷凍状態になっているのを見て、何の疑いも無く冷凍状態の物を通常の姿だと思い込み、購入して宿でかぶりついたのだ。

 其れにしても不味い。というか凍った蓮根及び表面を覆う衣に歯が立たぬ。此では薄くスライスしないと食用に耐えぬが此処は生憎旅先であり包丁の類は無い。仕方無く室温で解凍することにして暫し時を待った。表面を覆う衣は解けた霜でぐじゅぐじゅ、ぼろぼろになっている。何とか歯は立ったもののしゃりしゃりの蓮根にしゃりしゃりの辛子。味は少し辛みの利いたかき氷程度にしか感じる事が出来ず、食物を滅多に残さぬ私が1/3も食べぬ内に残さざるを得なくなってしまった。

 翌日再度辛子蓮根を市中にて発見し、通常は揚げ立てを食するものであること、冷凍されていたものは電子レンジ等で解凍した後に食する為のものであった事に気付いたのだ。しかし前夜に辛子蓮根に敗北した手前、此処で改めて購入し直すのも己の前日の敗北を思い起こすようで嫌だと思った私は敢えてリターンマッチを挑まぬ儘熊本を去る事にしたのだ。

 結局其の後は真の辛子蓮根を口にせぬ儘今に至る。己の無知が抑もの原因で今尚残る禍根。少しの事にも先達はあらまほしきことなり。


2001/03/01

検索エンジン・2001/02

 「エゾシカの嘶き」へのアクセス解析による検索語ランキング、毎月繰り返している内に恐らく2月が初めてでは無いだろうか、所謂猥語では無く食物の固有名詞である「ボンミッソ」が初登場で首位の座を確保したのだ。遂に「エゾシカの嘶き」も本格派グルメサイト、若しくは名古屋の文化の象徴としてインターネット界に君臨する事になったのである。其の証拠にgooで「ボンミッソ」を検索してみても「エゾシカの嘶き」以外に表れるサイトはほんの数件しか存在せず、「エゾシカの嘶き」が如何なるグルメサイト、名古屋文化サイトをも凌駕している事が判るのである。

 2位もランキング初登場では無かろうか、「hアニメ小説」。因みに「Hアニメ小説」と合計すれば丁度「ボンミッソ」と同数でトップの座に立つことになるのだ。そして3位は「陰茎 写真」。2語に区切られている処が従来ランキングの常連であった「陰茎写真」とは異なるのだが、此も「陰茎写真」と合計すれば偶然にも「ボンミッソ」と同数でトップに並んでしまう。

 今回はお馴染みの猥語がなかなか登場せず、代わって新鮮な語句の組み合わせがランキングに顔を出している。「ダッチワイフ 購入 初めての」「ラブホテル 鏡 東京」「名器 日本語 性器」「ドクター中松 ラブジェット」「乳 拷問 小説」「女性専用 風俗 関西」「近親相姦 画像 母と息子」等々。従来は採り上げられる機会の無かった単語の織りなす妙が感じられよう。

 それにしても検索語ランキングは兎も角、1日あたりのアクセス数自体の落ち込みが異常に大きかった2月であった。


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