エゾシカの  2000/12/01〜2000/12/31

最新 前月 翌月 一覧 「EZOSHIKA TOWN」トップ ※明朝体推奨

2000/12/31

海獺

 実に3ヶ月以上振りの旅行という事で宮城を訪れている(2000/12/19参照)。其の一環として、松島水族館に足を向けることとした。

 初めて訪れたのは学生時代、家庭教師先の教え子との旅行であった。共に旅行するにあたり、当時彼が狂う様に嵌っていた漫画の主人公が海獺であり、当時としては数少なかった、海獺を売り物にしていた水族館を訪れるべきという事で、必然的に松島水族館が選ばれたのであった。当時全く獣心の無かった私にしてみれば、中学生でありながら大学生顔負けの体格を誇り部活でも全国大会を目指すスポーツ少年が何故其の漫画に登場する海獺だの縞栗鼠だの洗熊だの漁猫だのに身も焦がさぬばかりに心を奪われているのかが到底理解出来なかったものの、門外漢には一見けったいに思える趣味の背景に触れる事が出来るかも知れぬ良い機会だと思い、嬉々として旅行先として選択した次第。

 確かあの時の旅行では只管鈍行列車を使っていた為左様な旅行に慣れぬ(当たり前である)彼が道中体調を崩してしまい、申し訳ない事をしたものだなぁなどと当時の感慨に浸りつつ、獣心を抱いて以来初めての訪問に心を躍らせながら海獣達の居所を訪問する事となった。

 海驢、バイカル海豹、海獺と一通り訪れて気付いたのだが、昔は其のあどけない眼差しや仕草で、家庭教師先の教え子のみならず世間全体を虜にして「ジャイアントパンダの再来」と迄称えられた海獺の人気が、今となっては一般の動物達とそう変わらぬものとなっているようである。海驢ショーはほぼ満席で場内からはのべつ幕無しに歓声が上がっていたし、海驢との握手も人数制限が出る位であった。バイカル海豹は流石に其程人が集まっていた訳ではないのだが、水中でユーモラスに往復運動を繰り返す様は、長時間人々の視線を集めていた(流石に30分近く飽きる事無く楽しんでいた私程の人間は他に居なかったが)。而るに海獺といえば、水槽一面が塞がる程の人が群がっていた訳でも無し、長時間動きを追っていた海獺ウォッチャーが大勢居た訳でも無い。

 海驢の様に見事な芸を披露する事無ければ、バイカル海豹程ユーモラスな訳でも無い。あどけなさ、可愛さが最大の売りであり、アミューズメント、エンターテイメント性には他の海獣に遅れをとっている(少なくとも世間では解している)海獺は結局何れ飽きられる存在であったのかも知れぬ。

 昨年の正月に頂いた年賀状の中で「かわいいだけの兎ではいけない」と卯年の抱負を語るものがあった。いみじくも其の翌年の大晦日に、海獺を目にして此の言葉を思い起こす事になろうとは。


2000/12/30

今年のTVCM

 2000/06/13に於いても其の気配を感じたのだが、今年のTVCMを振り返ってみるに、従来はタブーとされていたと思われる流血や暴力や死体(而も此等がパソコンだの不動産だの化粧品だのゲームソフトだのインスタントカメラだのといった生活商品の広告に於いて、日常の一齣として現れるケースすら少なからず存在する)、或いは其処まで至らずとも「こんな事ほんまにやったらやばいんちゃうん?」と思われる表現(人間が顔面から地面に倒れ込む信販会社の広告、顔面に向かって勢い良く放尿する清涼飲料の広告等)が其の作品中に出現するケースが頻見されたように思える。

 別に私は「斯様な方法で商品を売ろうとするのは間違っている」だの「子供達に悪影響を及ぼすかの様な広告は即刻中止すべき」だのという、広告及び広告提供者に対するモラルの如き物を求める気は更々無い。商品の売れ具合は広告提供者側が決定するものではなくあくまで消費者側が決定するものであるし、広告が世間に及ぼす影響など、広告単独でははっきり言って無力だと考えている。即ち、広告たるもの、其の時代の消費者側に受容される素地があり、其処のところを上手くつついたり擽ったり迎合したり摩擦したりする事により初めて商品提供側と消費者側とを結び付け共鳴し合い、商品提供側の代弁者として己の主張すべき事を好感を以て消費者側に受け容れてもらう事が可能となり、其れが出来ない広告及び商品は必然的に淘汰される事となるのだ。「広告は世間や時代の鏡」とは蓋し当を得ていよう。

 畢竟、冒頭に述べた様な広告表現が今年になって次から次へと頻見されたという事は、消費者の意識が斯様な広告表現を抵抗感無く、否、寧ろ好んで受け容れる時代になってきたという事なのである。個人的には左様な時代なんぞ真っ平御免なのだが。


2000/12/29

続・エロメール

 最近のエロメール事情について2000/12/11で指摘したばかりなのだが、従来の「コテコテエロメールタイトル」に加え、最近では如何にも普通のメール的なタイトルの物も氾濫しているようである。世間一般に於いてはエロメールを其のタイトルの淫猥さから受信拒否若しくは開封拒否を行っている為、如何にも通常のメールっぽいタイトルを付与することにより開封に至らしめる事が、其の目的と思われる。

 余りに鬱陶しい物の一つとして「会員様へ」から始まるタイトルのエロメールがある。インターネットに纏わる会員組織だけでも、プロヴァイダやメールサーヴィス、更に任意会員組織を加えれば、パソコンハードウェア・ソフトウェア、銀行、信販、宿泊、航空等々きりがない為、否が応でも開封せざるを得ない。而もたちの悪い事に、此の一連のメール、差出人が微妙に異なる場合がある為に、「こいつからのメールは大丈夫」と安心して開封する事すら出来ぬ。

 後、タイトルはさり気なく「失礼いたします」だの「お久しぶりです」だのといったもので、極一般的な個人名で送付される物がある。誰かいなと思って開封したら、見も知らぬエロメール。つい先日に至っては「お探しの物が見つかりました!」などというタイトルである。何をこいつに頼んだかいなと思い開封すればエロサイトの紹介。誰が貴様にエロサイトのアドレスを探せっちゅうた!んなもん一々指示されんでも自分で探すわい!

 斯様な姑息なエロメールに比べれば、「アイドル極秘裏ルート流出映像」だの「●全素人●モモ色娘●」だのといったコテコテエロメールタイトルが可愛く思えてしまうから困ったものである。

 因みに、此の手のエロメールの最後に記されている「配信を拒否される方は以下のアドレスに返信メールをお送り下さい」などといった方法で配信を拒否する方法は、実際に其の方法で配信拒否を申し入れたにも拘わらず相変わらずエロメールを配信し続けるエロメール野郎が存在すること、配信拒否のメール送付により当方のアドレスが「健在かつ開封可能性の高いアドレス」と判断されエロメール野郎から彼方此方に転売されるという噂を耳にした事があることなどから、最近では用いない事にしている。


2000/12/28

点滴初体験

 風邪の具合も芳しくなく、前日に引き続き医者に足を運んだ処、点滴の必要ありという事になり、生まれて初めて点滴を体験することとなった。

 床に横たわり左腕に針が刺さる。献血に比べれば遙かに針は細く、長時間刺さっている為の苦痛はさほど感じられぬ。暫し微睡みつつ輸液が導管に徐々に滴下される様子を眺める。さながら己の身体で化学の滴定実験を行っているかのような気分で待つこと30分程度。輸液が底を尽いたのだが、看護婦は一向に現れぬ。カーテンで仕切られたベッドに居る所為なのか、誰も私の存在を忘れたかの如く、店仕舞い作業に勤しんでいる様子。その内医師がベッドの近所にやってきたかと思えば、私には全く気付かぬ様子で携帯電話で相手と戯けた会話を存分に愉しみ帰宅準備に係っている模様。何とかして誰かに私の存在を知らしめぬ事には、腕に針を刺された儘簡易ベッドで一夜を過ごさねばならぬ。如何に私が居ることを示そうか迷った挙げ句「んがあっ!」と声を挙げて看護婦に私の存在を喚起させ、針を抜いて貰い点滴が終了した次第。

 処で、二日間の通院に於いて医者から一言も病名について伺っていない事に気付いた私は、点滴の針を抜いてくれた婦長に「結局私は風邪なんですよね?」と尋ねたのだが、彼女は暫し沈黙の末こう口を開いた。「お医者さんからは何と伺ってらっしゃいますか?」此はどういう事なのだ。何か此処で口裏を合わせておかないと拙いことでもあるのであろうか。第一病名を知らずして輸液の準備など出来ないのでは無かろうか。「えっ…いや、はっきりと伺ってないので、ちょっと気になったんです」「ああ、私の方では、喉とリンパ腺が腫れており今日になってもまだ恢復していないとしか伺ってないですよ」。病状もさることながら此の不自然な応対が非常に気になって仕方が無い。ひょっとしたら風邪だと思い込んでいるのは私だけという間抜けな状態では無かろうかと只管気を揉んでいるのだが。


2000/12/27

尻の初体験

 暫く風邪気味で年の瀬を迎える前に完治させたいと思いつつ、どうしても休みが取れないばかりか医者にも行けない日々が続いていたのだが、僅かな隙を見つけて職場を抜け出し医者に足を運ぶ事にした。

 発熱は殆ど見られぬものの喉と淋巴腺が相当腫れているとの事で、注射を打つこととなったのだが、腕では無く尻との事。実は此の年になって尻に注射を打たれるのは初めての事であり、「名古屋では尻注射が主流なのだろうか」「腕の静脈では堪え切れぬ位きつくて痛い注射なのだろうか」などという不安に駆られつつ、ベッドに俯せになって婦長からトランクスを捲られるのを待っていた。

 此処で私は大きな失敗に気付いたのだ。偶々、本当に偶々なのだが、昨夜風呂上がりにトランクスを選定する際、トランクスの山の中からゴムが一本切れたものを手にして穿いてしまったのだ。再度別のトランクスを選び直せば良かったものの、「まあクリスマスイヴも済んだ事やし、おれに『今宵は貴方に抱いて欲しいんです!』といきなり言い寄って夜を共にする女性も現れまい。外から見る分には誰もゴムが切れてるなんてわからんやろ」と思い直して結局ゴム切れトランクスを穿いたまま出社したのだった。よもや其のゴム切れトランクスを目にするばかりか正に其のゴム切れ部分を手にする人物が出現しようとは。返す返すも不運な事であった。

 此の一件で動転したのであろうか、医者から職場に戻る際のエレヴェータで、人が次から次へと入ってくる為に「開」ボタンを只管押さえていた積もりが「閉」のボタンを思いっきり押さえていて人間を扉に挟んでしまったり、帰宅前にコートを着用せずに帰宅しようとして、途中で慌てて職場に引き返すなどという失態を演じてしまったのだ。


2000/12/26

犯罪のドラマ性

 不謹慎な表現かも知れぬが敢えて言うと、近年の犯罪にはドラマ性が感じられぬ。犯罪の手口や登場人物等は非常にインパクトを有しているのだが、事件に至る迄の背景だの犯罪の動機だの事件後の登場人物の立ち振る舞いだのについては結局「理解出来ぬ」「今時の犯罪の典型である」などという言葉で締め括られ真正面から分析もされぬ儘有耶無耶にされてしまう。

 振り返るに昔の犯罪は非常にドラマ性に富むものであった。男女の愛憎劇、親子の葛藤劇、生活苦等々といった様々な事件背景、各登場人物のそれぞれの局面に於ける心理状況について様々なメディアで触れられ分析され後世に迄語り継がれていくものとなった。

 此処で断っておくが、私は別にドラマティックな犯罪を慫慂している訳でも無く、今後の出現を期待している訳でも無いのだ。いわば「インパクト勝負」と化している最近の犯罪を、世間が其のインパクトに感けた採り上げ方をしてみた処で、何一つ将来に向けての糧とならぬばかりか次に続く「インパクト勝負」の犯罪の陰に隠れてしまい我々の中で闇に埋もれてしまう結果となるのだ。

 具体例を挙げれば今年5月に愛知県で発生した殺人事件。高校の優等生が「人を殺す経験がしてみたかった」という理由で見も知らぬ女性を殺害したのだが、結局事件のインパクトだけがクローズアップされた結果、翌日に発生した高校生によるバスハイジャック事件のインパクトに吸収される形で、巷間からフェイドアウトしてしまったでは無いか。其の結果殆ど議論等も為されぬうちに同種の犯罪が次から次へと発生し、其の度に従前の事件は後発の事件にどんどん吸収され「其の他同種の不可解で衝撃的な事件」という扱いに成り下がる。

 犯罪者に対してドラマティックな犯罪の創出など全く期待していない。何かこう、一本筋の通った分析なり考察なりを其の犯罪毎に本腰を入れて行わねば、同種の犯罪の発生を未然に防ぐ事など出来やしないのでは無かろうか。尤も視点を変えれば、斯様な犯罪の分析や考察自体を抛棄せねばならぬ位、犯罪が完全に別世界の物と化しているとも言えなくも無いのだが、そうだとすれば同種の犯罪の発生の防止など最早不可能である。


2000/12/25

とりわけ

 嘗て職場で得意先に提出する資料を作成していた時の事。作成途中の原稿を先輩が目にして大声で叫んだ。「『とりわけ』!?何や『とりわけ』って!?取って分けるんか!?」

 調査報告書の文中で「とりわけ」という言葉を用いていた箇所についてのコメントだったのだが、当初私は何故斯様な驚きを先輩にもたらしたのか全く理解出来なかった。想定し得るのは此の方が「とりわけ」という単語を知らないケースなのだが、実際問題其れは先ずあり得ぬ。恐る恐る其の驚きの理由を問うてみた処、調査報告書に用いる副詞として先ず使用する機会が無いので驚いたとの事。確かに「特に」「中でも」という言葉の方が平易且つポピュラーな筈であり、驚きが出るのも首肯出来よう。

 処が先日、パソコンのデータを新機種に移行させる際に偶々件の報告書が出て来たので3年振りに読み返してみたのだが私は腰も抜かさんばかりに驚いた。先輩に驚きをもたらし其の原因も指摘され、納得の上で修正すべしと判断したにも拘わらず、肝心の箇所は全て「とりわけ」の儘では無いか。只単に私が修正するのを忘れた儘得意先に提出したのか、其れとも私の中にある何かが「とりわけ」を修正するのを拒んだのか。

 尤も「エゾシカの嘶き」の文体を操り慣れた今の私であれば、無意識の内に「とりわけ」を「なかんずく」などと修正している危険性も無くはないような気がする。


2000/12/24

御神籤

 誰しも新年早々御神籤で「凶」など引きたく無いであろう。処が敢えて新年の御神籤に「凶」ばかりを揃えているのでは無いかと感じられる神社が存在するのだ。

 高校時代に初詣で訪れた神社。御神籤を引いた処、いきなり「凶」であった。確かに籤運には決して恵まれた方では無いのだが、嘗て御神籤で「凶」など引いた経験もない上、新春早々「凶」など連発しては神社のイメージダウンに繋がる為に「凶」を減らしているのでは無いかという推測も働き、「此処で凶を引いたということは、今年は余程悪い年に相違あるまい」と気が滅入ってしまった。処が身内が御神籤を引いてみても次々と「凶」の嵐。その内周囲からも「うわっ、『凶』やんけ」「いやっ、私もや」などという声が聞こえてくる。其の時点でどうやら意図的に神社側が凶の割合を相当高くしているのではないかと思えるようになった。

 更に驚いたのは、御神籤の本文の中に「吉」という文字を見出した時。良く本文を読んでみれば、其の神社に篤くお詣りをすれば「凶も吉と転ず」との事。要は「お前は凶や。けどうちにしょっちゅう来て賽銭投げまくったら吉になるで」というのを御神籤を通じて参拝者の大多数に喧伝しているようなものなのである。今から思えば、そんじょそこらの似非宗教団体も顔負けの商法と言えまいか。


2000/12/23

舌代

 最近では文庫化もされ、私が昨年のクリスマス・イヴの夜に読み耽っていた事で夙に知られている(1999/12/24参照)「恐るべきさぬきうどん」なる書物の中で、各饂飩店に於ける価格紹介欄に「舌代」なる単語が用いられている。私は此の語について、飲食店用語で「舌で味わう為の代金」=「飲食の為の価格表」なる意味しか無いと思い込んでいたのだが、広辞苑を繙いてみて、斯様な解釈を押し退ける形で「口上のかわりの簡単なあいさつ文」なる解説から始まっていたのに驚いた。即ち、「舌」=「飲食」では無く「口上」であり、「代」=「代金」では無く「代わり」であったのだ。判った気になっている単語についても確認してみれば意外な発見が出来るものだと感心した次第。

 処で全く関係無いのだが、風俗に於いて、ディープキスだのフェラチオだのアナル舐めだののオプションサーヴィスの料金について「舌代」という語を用いてみれば、結構受けるのでは無かろうか。


2000/12/22

ケーキ

 偶には誕生日に誕生日らしく振る舞おうと、仕事を早目に切り上げてケーキ屋に赴いた。ささやかに祝うべくショートケーキを物色しようとしていた処、店頭に於いて或る特定のケーキのポスターが目立っていた。

 「ボンミッソ」なる仏蘭西の薫り高き其の商品名。名古屋名物、当店限定発売などと謳われており、其の店の一押し商品である事が容易に理解出来るのだが、幾ら何でも、幾ら何でもである。ケーキの主材料として名古屋の象徴的食品とはいえ八丁味噌を用いる事は無かろうに。

 店内の小洒落た明るい雰囲気を否定するかの様な「八丁味噌ケーキ」の存在。左様な商品に店頭の全広告を用いて販売促進を行う店の姿勢。嘗て何度か名古屋特有の文化、否正確には左様な文化が恰も世界標準であるかの如く声高に主張する一部の名古屋人に対して強い反発心を抱いていたのだが、此の商品を目にした時には彼等に対して反発心を通り越して同情心や哀れみにも近い感情を抱いてしまったのであった。

 さて、視点を変えて、此の商品を「名古屋人の中華思想的スタンダードの象徴」では無く純粋に「けったいな商品」と捉えれば、此程私の誕生日を飾るに相応しい商品は無かろう。左様な訳で通常のショートケーキに加え、しっかりと「ボンミッソ」を購入して帰ったのであった。

 因みに、再び視点を変えて、此の商品を純粋に味覚面から捉えてみれば、此程再購入欲を減退させるに相応しいケーキは無かろうと痛感した次第。


2000/12/21

カラオケ

 人間に嘗められるのもさることながら、機械に嘗められるというのは殊の外不愉快なものである。尤も舐められたり舐めたりというのは満更でも無いのだが、本筋から大きく外れそうなので此処では此以上言及しないでおく。

 カラオケに繰り出した処、偶々流行り物の採点機能付きカラオケ機が装備されて居たのだが、此がまあ鬱陶しいくらい歌の最中に余計なコメントを画面上に表示するのである。殆どワンフレーズ毎に何か一言は言わないと気が済まないようで、「なかなか上手く歌えている」だの「聴き惚れる位である」だのの他、「もっと頑張って歌え」だの極めつけには「音程が外れている」という手厳しいものまであったのだ。

 人間に「もっと頑張って歌え」や「音程が外れている」などと指摘される分には単なる盛り上がりの一つと思えば良いのだが、機械に如何にも客観的判断に基づくものであるという前提で沈着冷静に「もっと頑張って歌え」などと言われた日にゃ、気が滅入るばかりか怒りすら覚えてしまうのである。而も私の歌の際には「もっと頑張って歌え」以外のコメントが何一つ出なかっただけに、怒りも一入であったのだ。


2000/12/20

十二支

 そろそろ年賀状の準備をせねばと思いつつ来年の干支が何だったかを考えてみた処、巳年だという事に気付いた。此即ち、本年の辰年から巳年への移行ということになり、十二支の中に於いても唯一異常な干支替わりとなっているのだ。

 十二支を頭から振り返るに、ネズミ目→偶蹄目→食肉目→ウサギ目→(分類不能)→(爬虫類)→奇蹄目→偶蹄目→霊長目→(鳥類)→食肉目→偶蹄目。「鼠が居るのに何故猫が居ないのか」「犬が居るのに何故猫が居ないのか」「虎が居るのに何故猫が居ないのか」などとの批判の多い十二支も、種類別に見れば案外と獣のバランスが取れている一方で、実は非獣→非獣という干支替わりは辰→巳のみなのである。此では獣好きに対して「12年に一度は情趣無き干支替わりを味わえ」と強いているようなものでは無いか。

 此処で十二支のバランスを維持しながら獣好きの不満を解消すべく、辰、巳、酉の替わりに、人気がありながら従来の十二支には含まれていなかった有袋目、長鼻目、鰭脚目を入れてみる。

 子、丑、寅、卯、子守熊、象、午、未、申、海豹、戌、亥。

 個人的には鹿やカンガルーなどが含まれて居ないのが心残りなのだが、万民の納得する十二支という点に於いてはなかなかバランスの取れた十二支と言えよう。此で心置きなく年賀状作成に勤しみつつ子守熊年を送って象年を迎えることとしたい。


2000/12/19

続・旅欲の行方・年末年始篇

 2000/12/06での検討を更に深めた結果、今回の年末年始のコンセプトとして、「21世紀の幕開けは初日の出」(因みに今年の元旦も「2000年の幕開けは初日の出」とのコンセプトの下、羽田空港にて初日の出を迎えていたような気もするが)に加え、己のアイデンティティ主張の為に「鹿」を含むことにした。

 初日の出と鹿。此の異様な取り合わせを満たす場所は何処にあるのかと思いつつ記憶を総動員させた結果、「『鹿』に纏わる名を持つ地に於いて、本州東岸で水平線からの初日の出を鹿に囲まれつつ迎える」というブリリアントなスポットに気付いた。宮城県東岸の牡鹿半島沖の小島・金華山。本州に於いて最も早く初日の出を迎える事が可能なスポットの一つであり、而も島内では神の遣いとされる鹿様達が所狭しと闊歩している。正に私の21世紀の幕開けの為に存在しているかの如き場所ではないか。

 一も二も無く情報収集を開始し、島内の宿泊施設である神社の存在を確認し、申し込みの電話を入れた処、どうやら年末年始期間は貸切の「信者デー」となっているとの事。此では神道に関心の無い一介の鹿好きの宿泊など到底不可能である。島近くの宿泊施設にもあたってみたものの、世間に私と同じく年末年始を鹿と過ごしたいという方々が想像を絶する位多いのであろう、何処も満杯状態であり、結局牡鹿半島の麓に宿を求める結果となった。

 其れにしても、鹿好き人口の予想外の多さには只管驚かされた。きっと元旦の金華山に於いては各所でお気に入りの鹿のナンパや、人影に於ける鹿とのいちゃつき等が頻見される事であろう。


2000/12/18

風俗比較

 偶々職場の自席周辺に於いてキャバクラの話で盛り上がっていた為、私は風俗に疎いながらも首を突っ込まざるを得なかった。「ああ、キャバクラって確か、お触り自由なんですよね」と去り気無く話題に乗った積もりが予期せぬ反駁を食らうこととなった。「何言うてんねん。そんなエッチな処に我々が行くかいな。キャバクラ言うたら女の子と酒飲んで会話を愉しむとこやがな」「ええっ!?でも私は以前後輩にそういう話を聞いたんですけど…なんか突然店内の電気が消えたかと思ったら女性が一斉に男性の腰の上に乗って激しく上下運動をしたりして、其の間男性は女性に何をしても構わんらしいやないですか」「それはランパブじゃ!」

 左様であったか。「ランパブ」と聞いても一瞬「乱交パブ」などと連想してしまう位風俗界に疎い私が、ランパブとキャバクラとを混乱させるのも無理無かろう。大体、語感からしてどう見ても「キャバクラ」の方が派手でアクティヴに思えるではないか。

 此処で、キャバクラ、ランパブに加え、ピンサロ、ヘルスも並べてみる。各々の詳細な定義を知りそうにも無い小学生に対して斯様な質問をしてみてはどうだろうか。「此の四語を淫猥と思われる順に並び替えよ」恐らく大多数の小学生が、キャバクラ>ランパブ>ピンサロ>ヘルスの順に並べるのではないかと思われる。特に、前半二語のけばけばしさに比べ、後半の二語は可愛さや明るさ、健康さすら感じさせるものである。而るに実態はそれぞれ「飲んでお話」「着衣でお触り」「手及び口」(因みに私自身、ピンサロとヘルスの相違について、価格差以外に何があるのか良く把握していない)となり、実態の淫猥さは全く逆となっている。なかなか興味深い発見であった。


2000/12/17

ほとほと

 前日の作品の結びに用いた「ほとほと」なる副詞。否定的な意味合いを表す語を従えて「まったく」「ほんまに」などという呆れを込めた強調語として用いられるケースが多い。しかし冷静に字面を眺めてみれば、「ほと」は女陰であり、「赤々」「道々」などと同種の畳語とも言えるのではないか。広辞苑に於いても「正に女陰たる様子」だの「女陰を弄んでいる最中」だのといった解説が並んでいても不思議ではあるまい。

 其処で早速広辞苑を繙いた処、此を上回る程の珍妙な解説が掲載されていた。「正月14日夜に、青少年たちが顔を隠し、蓑笠姿で『ほとほと』と唱えて戸ごとに訪れ、餅・祝儀などを貰う行事」。いきなり蓑笠姿の青少年の集団が正月早々寓居の前で「ほとほと」と唱えながら祝儀の無心をする様を思い浮かべて、其の超現実的光景を何とも思わぬ人は居まい。

 丁度来年の正月14日は休日。此で21世紀の正月の娯楽は決定したようなものである。後一月で蓑笠を準備し、誰の家庭の前で「ほとほと」と唱えようか心を躍らせることとなろう。

 それにしても広辞苑よ、一体此は何処の行事なのか。特記されていない点、正月の季語として「ほとほと」が用いられている点からして、相当メジャーな行事ではないかと推測されるのだが…。


2000/12/16

最近のパソコン事情

 勢い余ってパソコンを購入する事となった。何の勢いが余ったのかは良く解らぬが。

 元々二ヶ月程前にパソコン関連機器を購入しようとしていたのだが(2000/10/21参照)、店舗を巡って最近のパソコン事情に触れる内に、関連機器よりも新規パソコンを購入した方が良いのではないかという気分になった挙げ句に結局布団乾燥機を購入して帰ったという経緯があり、日々布団乾燥機を使用する度に私の中でパソコン購入欲が増幅されつつあったのだ。商品比較に悩みつつ希望商品を選定して暫く価格調査を行う内に、実は寓居からそう遠くない場所でそこそこの価格で販売されている事が判明し、冬季賞与を取り崩して購入に至った次第。

 其れにしても、此の前にパソコンを購入したのが何時だったか正確に想起出来なくなる位、今時のパソコンはハードウェア、ソフトウェア両面に於いて大きな変化を遂げているようである。とてもでは無いが最近の新製品には頭が追いつかぬ。

 先ずwindows2000。将来の為に自ら好んで此が導入された機種を選んだのだが、今の私の頭で此のオペレーティング・システムの概念を理解するのは相当の時間を要することになろう。「windows98なら此処をこうすればすぐに出来るのに」「幾らセキュリティ確保とはいえ、此処で斯様な手順を踏まねばならぬのか」「此の機能の売りは、稼働中に自由に着脱が可能な点では無いのか。何故windows2000では其れが利かぬのだ」などと一々頭の中で文句を言いつつ、諸設定をこなしていく事となった。

 次に悩んだのが、既存のパソコンとのネットワーク設定。以前パソコンを2台所有していた時に用いていたネットワーク用カードに、店舗のサーヴィスとしてパソコンに付けて頂いたコードを装着したのだが、全く反応しない。暫し悩んで、ネットワーク用のコードには2種類あり、店舗側は当然の如く、近年主流となっている方のコードを付けてくださっに相違無いという結論に至った。換言すれば、以前の私の様に2台を直接コードで結ぶ方法など今時誰も行わぬという事である。

 抑もwindows2000のマニュアル自体が本体に用意されていないでは無いか。結局最も頼りになるのが、パソコン本体に入っているオンラインマニュアル。調べたい項目が無いばかりか偶に掲載されていても何の事やら全く理解出来ぬ事で定評のあるwindowsのオンラインマニュアルしかあてにならぬとは悲しい限りである。

 最も悩んだのが、所謂レガシーフリー仕様。要は従来のパソコンには装備されていたものの、代替装備により陳腐化した機能を排除するという最近のコンピュータ業界のトレンドに伴い、既存のパソコンでは接続出来る周辺機器が、今回のパソコンでは接続不可能というケースが生じているのだ。最も困ったのが既存のターミナル・アダプタとの接続。2種類ある接続方法のうち、一つはwindows2000に対応せず、もう一つは接続する箇所が今回のパソコンには無いのだ。結局新しいパソコンからISDNでインターネットを行うには、新しいターミナル・アダプタを購入するしか方法は無い。

 己のパソコン経歴や知識の水準等に基づき、購入後の労力について事前に凡その把握を行った積もりであったのだが、其れを遙かに超える労力を既に購入当日だけで割く結果と相成った次第。2000/02/05に続き、ほとほと苦労させられる機器である事よ。


2000/12/15

そそくさ

 「エゾシカの嘶き」執筆も気が付けば600回を優に越えた位になろうか、其の甲斐あってか此処暫く言語感覚が研磨され日常の言葉遣いに敏感になっている様が自分自身で把握可能な位になってきている。此処一月ばかりで「エゾシカの嘶き」上に於いて採り上げた言語感覚ネタだけでも、「巨頭」「夜な夜な」「あながち」「おおむね」「素肌攻め」「簀」、他に拳銃を「発」で数える事に対する疑問提起と、漢語に大和言葉に、名詞に副詞に数詞にと、激しい問題意識を世にぶつけているではないか。

 さて、先日何気なく用いた「そそくさ」なる名詞。通常は「そそくさと〜する」等と用いることにより、「慌ただしい様」「急かされている様」を指すのだが、冷静に字面を眺めてみれば、「そそ」は女陰、「くさ」は「臭い」という事であり、「女陰が臭いさま」を指すとも言えるでは無いか。下手に中学国語の試験で「『そそくさ』を用いて短文を作りなさい」なる設問を出したりしようものなら、「隣のクラスの○○さんはそそくさである」「月経の際にはこしけや経血でそそくさ気味になる為に香水で体臭を誤魔化すようにしている」「おれはちょっとくらいそそくさの方が嘗め回す時に興奮するのじゃ」などという解答が頻出することは火を見るより明らかと言えよう。


2000/12/14

草食獣

 恐らく幻覚の類では無いと思うのだが、3年程前に当時の寓居近くのコンヴィニに於いて「草食獣」なるインスタントラーメンが発売されていた。蓋にでかでかと踊る「草食獣」の文字にいたく惹かれて思わず手に取り能書きを読んでみた処、麺に野菜が練り込まれているとの事。只其の特徴をアピールするためにわざわざ「草食獣」なるネーミングを授けた方の獣心を垣間見て嬉しくなったのだが、残念な事に丁度旅行に出発する直前という時であり、商品を購入するは疎かメーカー名の確認すらせずに店を立ち去ったのであった。

 旅先でも其の話題で盛り上がり、帰宅後其のコンヴィニに立ち寄った処、悲しい事に「草食獣」は全て撤去されていたのであった。どうやら新開発ラーメンのテスト販売だったものと思われるのだが、其れにしても初めての出会いから僅か3日程度で其の姿を消し去るとは余りに無念である。さほど食物に執着心の無い私が、其れ以来此の「幻のラーメン」が気になって仕方ないのだ。其の後の運命及び消息について御存知の方、何卒御報告を頂けないものだろうか。


2000/12/13

痴漢電車

 先日、痴漢界に衝撃の走るニュースが世を駆け巡った。京王電鉄が一部の時間帯の列車に「女性専用車両」を設けることとなったとの事。目的は言う迄も無く世に蔓延る痴漢共の手から女性の乳や尻や女陰等を隔離し、物理的に痴漢行為を不可能たらしめる為であると思われる。痴漢被害に晒される女性達からは概ね好意的な意見が聞かれる中、注目されたのは痴漢界を含む男性からの意見である。

 新聞報道に拠れば、男性側からの賛成意見の方が女性の其れを上回ったとの事(12/5付中日新聞。しかしそれにしても、サンプル数は男女各50名、賛成意見の割合は男性54%、女性52%(12/5付毎日新聞)。此のサンプル数及び男女差を見る限りでは到底「男性の方が女性専用車両に肯定的」とは言えまい)。テレヴィの報道番組等に於いても、大抵の男性は事態を好意的に受け止めている。其の理由として多く挙げられているのが、「女性専用車両を設けることにより、男性への痴漢の冤罪が減少する」という意見である。

 しかし10両編成の列車の1両を女性専用車両にする事によって一体如何程の女性が其の車両を目指すのであろうか。女性の全員が全員「女性専用車両」を目指すとは限らず、男性と女性とが同一の車両に乗っている限り、男性は痴漢の冤罪の恐怖から逃れることは不可能である。

 また、「女性専用車両」の設置を良いことに、「女性専用車両」以外の車両に於いては痴漢し放題と解する輩共が多数発生し、「キャー!痴漢!」「何言うてんねん。此処は女性専用車両とちゃうぞ。文句があるんやったら女性専用車両に乗らんかい」「女性専用車両に移動する時間が無かったんです!ですからもう後ろから私の乳首を指で摘みながら乳を揉みしだくのは止めて下さい!」「ええやないか、減るもんやなし。乳が嫌なら今度は尻の谷間に指を這わせながら尻揉みまくったろか」などという会話が車両の方々で飛び交う大惨事を引き起こし兼ねぬ。実際に新聞に於いて、女性専用車両の前で「お、女性専用か。ってこたあ、他の車両に乗ってる子は『おさわりOKよ』ってことですかあ」などと平然とほざくご機嫌なオッサンの声が紹介されている(12/9付東京新聞)。

 斯様な問題を解決する為に寧ろ「男性専用車両」の設置が声高に叫ばれても良いのでは無かろうか。此だと「女性専用車両は女性を特別視する点で問題あり」とする意見にも応える事が出来よう。尤も、此も解釈次第に拠っては「痴漢行為への自制心が利かないために仕方なく物理的に女性と遮断せざるを得ない痴漢虞犯者の為の車両」と言えなくも無いのだが。


2000/12/12

大審院

 単語を口にするにあたり、「此の言葉絶対言い間違えそうやな、言い間違えたらめっちゃ恐いことになるよな」などというびくびく感を常に感じさせる言葉が存在するのだが、其の一つに「大審院」なる語がある。大日本帝国憲法下に於ける、現在の最高裁判所に当たる機関を指す此の言葉、高校時代に於ける日本史の授業や学生時代に於ける過去の判例研究等の場に於いて頻繁に口にする機会があったのだが、其の都度「大陰唇」と間違いそうになるのである。

 元々世間一般に於いては「大審院」なる語自体を用いる機会が「大陰唇」なる語を口にする機会に比べても遙かに少ないこと、「○in○in」という韻を踏んでいる点では両者共通していること、頭に「だい」が付くため、其の次の語は「だい」の「い」に引っ張られて必然的に「い」が浮かぶこと等、危険の要素を多分に孕んでいるのである。勉学の場に於いて誤って「大陰唇」なる語を口にした際の周囲の狼狽、驚愕振りを想像するだけで、心も体もびくびく感で一杯になるのだ。

 少なくとも過去には言い間違えた記憶は無いだけに一層恐怖と不安が私をびくびく感で支配するのであろう。此のびくびく感から少しでも解放される為には、一度くらい言い間違えてみるのが却って有効ではないかと思うのだが、問題は何時どの場に於いて言い間違えてみるかである。極めて親密な者ばかりが居る場に於いては言い間違えてみたところでたかが知れている。とはいえ学生時代の法学の恩師等の眼前に於いて言い間違えてみようものなら即破門になり市中五里以内立入禁止だの市中引き廻しの上磔獄門だのといった処分すら受け兼ねぬ。びくびく感から解放されようと余計な心配事を抱えてしまったではないか。


2000/12/11

エロメール

 どういう訳なのか定かでは無いのだが、此処暫くやけにエロメールの着信数が多い。非道い時には一日で10通を軽く超えるケースすら存在するのだ。

 基本的に所謂エロメールの類は全く好まぬ。メールの内容其の物がエロティシズム溢れるものであれば此は非常に愉しいものなのかも知れぬが、実際には有料エロ画像だの出会い系チャットだののサイトの案内に終始しており、前者についてはまだエロヴィデオを観た方が余程画像も滑らかでリアルだと思うし、後者については、素直に双方のエロとエロとのガチンコ勝負ならまだしも、ナンパだの合コンだので必要不可欠な様々な気配り等が只管面倒臭いだけだと感じている為、其の内容自体にも全く興味は無いのだ。

 私の用いているメールソフトは、受信段階に於いて特定の条件に該当するメールを自動的に削除する機能を備えているのだが、此だけエロメールが多いということは、エロメールの送信元が相当広範に亘っている上日々新規の送付元が入れ替わり立ち替わり加わっている為、特定の送信元で篩いに掛けて削除するのは困難である。となると、如何にもエロメール特有のタイトルをセレクトして受信時に削除する方法はどうであろうか。実は此には大きな欠点がある。私が通常の方々と日頃遣り取りしているメール自体が其処等のエロメール顔負けのタイトルである為、旅行の計画だの旧友の近況だの「エゾシカの嘶き」読者からの御意見だのといった重要な情報まで、合コン云々だの女陰の香りだの飲尿の素晴らしさだの陰茎の硬度や太さ等だのについて端的に述べられたタイトルの所為で削除されると日常生活上非常に困るのである。


2000/12/10

馬の広告

 確か11/10付日本経済新聞一面の右側にある「日本経済新聞」と書かれた題字の真下辺りという、狭いながらも広告価値の高い部分だったと思う。日本特殊陶業なる会社の企業広告が出ていたのだが、真ん中にあしらわれているのが勾配を登ろうとして左前脚で地面を蹴り上げ、首を前に倒して鼻息を出している馬なのである。

 1999/05/22で触れた通り、広告界に於いて馬をキャラクター化するのは極めて困難とされている。処が此の馬は一見簡略なデザインでありながら極めて写実的に馬の特徴をよく捉えており、肩の筋肉の隆起、首の使い方、耳や眼に表れている表情等々、強く、それでいて優しい表情が表現されているのである。懸念されている下品さは微塵も感じられぬ。

 更に此の絵に添えられた惹句は「速い、そして力強い!」。これぞ正に1999/05/22で述べた、嘗て私が広告化を提案しながら却下された、「speed & power」を馬に象徴させた広告ではないか。当時の私の無念さが、別の人の手によって広告となり世の人々の馬心を一心に集める事となったのである。己の手で実現出来なかったという若干の悔しさを感じつつも、其れを上回る喜びを感じる事が出来た次第。


2000/12/09

プライヴァシー

 ウェブサイト上に於ける自己のプライヴァシーの開示について、私ならどの程度許容出来るのかを考えてみる。

 基本的なものとして先ず姓名。姓名自体が自己のアイデンティティ及びプライヴァシーの基本中の基本である事、全く面識の無い第三者が私の名前を知る事により其れを悪用する虞がある事等から、開示などとんでもないと思う一方で、本名だけでは直ちに私の全てを調べ上げて私に接触を試みたり直接何等かの危害を及ぼしたりする事が余程の労力を割かねば困難と思われる事もあり、自ら一切自己の姓名を何処にも晒さぬだとか他者から為された私の姓名開示に対して訴訟も辞さぬだとかという程神経質になっている訳でも無い。

 居住地については下手をすれば第三者から直接何等かの接触があったり危害を及ぼされたりという虞が極めて大きい一方で、其れ自体をウェブサイト上で話題にすべき機会も少なからず存在する為、住居が特定出来ぬように最寄駅や近所の主要道路を適宜暈かして県や市レヴェル迄の開示を行っている。

 電話番号については言わずもがな。通常の付き合いの人間に対してもさほど開示する機会など存在しない。況やウェブサイト上での開示なんぞ不特定多数に嫌がらせを行うよう喚起するようなものである。

 他の方から見れば意外に思われるのが年齢。別に斯様なプライヴァシーなど開示しようが何ら危険性が感じられぬにも拘わらず、私自身一度たりともウェブサイト上で具体的に開示した事が無い。別に年齢を知られるのが恥ずかしいという訳でも決して無いし抑も左様な事を恥ずかしがる柄でも無い。「エゾシカの嘶き」上で頻繁に繰り広げているオッサンや餓鬼共に関する論評が単なる「世代論」的なものに受け止められたくない為、己の世代的属性を出来るだけ曖昧な形にした方が良かろうと考えているのだ。同様の理由で出来れば性別も開示したくないのだが、こんなもの顔写真を掲載したり「僕」などという一人称を用いたりで必然的に開示せざるを得まい。

 居住地並に開示を拒みたいのが勤務先。第三者から何等かの嫌がらせがあるとすれば其れが自己だけに留まらぬ事態が生じる上、勤務先から私に対して何等かのマイナスアクションがある事が容易に想像されよう。

 結局は「第三者が目にする所で自己のプライヴァシー情報を公開するのは避けるべき」という一般的な定規に私自身がほぼ納得しているという結論に至ったに過ぎないのだが。


2000/12/08

巨頭

 「巨頭」なる語、実は読み方によって二通りの意味が存在することが判明した。日常お目に掛かる方の「きょとう」なる読み方に加え「おおあたま」という読みがあり、後者については「金持」という意味が存在するようである。

 左様な蘊蓄を述べる積もりで「巨頭」を持ち出した訳では無い。本来の「主立った人物」なる意味で此の語を用いた際、どういう訳かそこはかとなく顔をちらちらと見え隠れさせているエロティシズムを感じ取ってしまったのだ。此処で少し其のエロティシズムの背景について思索を巡らせてみることにする。

 世間の人間を遍く調査したとしたら、「巨」という文字から連想される言葉の第一位は「巨乳」である事に疑いは無い。巨乳にさほど強い関心を抱いている訳では無い私ですら「巨」から「巨乳」が想起される事から容易に推測されよう。其の他には保有者である男性及び咥え込み希望者である女性が想起するであろう「巨根」、そして巨人ファンの連中が想起するであろう「東京読売巨人軍」なんぞが考えられようが。

 更に、「巨乳」を想起した直後に「頭」という文字から言葉を連想してみると、必然的に「乳頭」が出てくる事になろう。即ち「巨頭」なる語の「巨」と「頭」の間には明示されてはいないものの「乳」が見え隠れしながら介在していたのであった。自らは表に立たずとも漢字を結合させて熟語を成立させてしまうという「乳」の偉大さに只管感謝する次第。


2000/12/07

鼻血

 先日、僅か3日間の内に4度の鼻血を経験する事となった。

 最初の出血は会社の受付付近で発生した。研修先から電車で職場のある建物に戻り、其の中をエスカレーターで移動していた最中に矢鱈鼻汁の通りが良くなった様に感じ、鼻汁が流出せぬよう啜りながら手の甲を鼻腔に押し当てた処、其の部分が鮮血で染まっているのに気付き、慌ててティッシュで押さえて上を向き、止血に勤しんだのであった。

 しかし上向きになったのが却って徒となったのか、鼻血が口腔まで逆流した結果口中に血液が広がったのだが、此の量が半端でなく嚥下しようがなかなか追い付かずに何度か血で咽せ返りそうになったのだ。幸い職場の受付近くということで、受付にいた警備員に案内され、ソファに暫く身を横たえて相当楽になったのだ。そして続いての出血は此の日の帰宅後入浴中。慌てて入浴を切り上げて止血を行うこととなった。

 翌日は東京でのオフ会(2000/12/02参照)終了後、ホテルの一室に戻った際。鼻腔を伝って血液が流れているのに気付かず、布団のシーツに滴下した血液を目にして事に気付いたのだ。更に其の翌日、寓居に戻ってきて落ち着いたと思った時に鼻血。全然落ち着いていないではないか。

 しかし元々鼻血の出易い体質ならいざ知らず、記憶を遡っても鼻血が自然に流れた経験は極めて少なく、3年前の秋、京都で最も栄えている四条河原町交差点でバスを待っている最中に突然鼻血に見舞われた位では無かろうか。尤も、流血という程では無いが鼻をかむ都度血液が鼻汁に混入するケースは時々存在するのだが。

 「自然に流れる」という条件が無ければ、小学校の頃偶々虫の居所の悪かった父親に訳も判らぬ儘気の済む迄殴られ、母親が其の光景を見て冷笑する中顔中鼻血等で血塗れになり、更に其の二日後に同級生とのキャッチボールの最中にボールを思いっ切り鼻で受けてしまい鼻血がだらだら出た、というケースが存在する。自然出血であろうが外傷による出血であろうが、滅多に生じないにも拘わらずどういう訳か集中して発生するというのが私の鼻血の特徴のようである。


2000/12/06

旅欲の行方・年末年始篇

 僅かしか無い年末年始を如何に過ごすかを考えてみる。尤も私の場合年末年始を「如何に過ごすか」は此即ち「何処に出掛けるか」という事になるのだが。

 今回は20世紀が終わり21世紀が始まるという事で別段己の生活が大きく変わるだとかという事も無いのだが、どうせ過ごすのであれば何かしら自らにとって意義のあるものにしたいという希望も少なからず存在する。世紀の変わる瞬間(どうでも良いのだが私のFEPは先程から「世紀」を「性器」と変換しており、「性器の変わる瞬間」ってどんな瞬間やねんおれ性転換でもするんかいな大体性転換手術受けるんやったら麻酔効いてるんちゃうんかと思わず突っ込んでしまうのである)に何か意義深い場所にいたり意義深い事を行ったり出来ないものかと思案している次第。とはいえ1999年の様にキャナルシティ(福岡)で10代の若者達と大声でカウントダウンを行ったり、1998年の様に寝台列車の中で過ごしたりというのを再度繰り返すのも芸が無い。

 自己のアイデンティティの多くを占めるのが旅と獣という事であれば、いっその事獣じみた土地で新世紀を過ごしてみるのも良かろう。都道府県で言えば群馬(馬)、熊本(熊)、鹿児島(鹿)、そして獣では無いが鳥取(鳥)が挙げられよう。此に所謂「なんちゃって獣県」である宮城(山羊)、石川(鹿)を加えれば、案外訪れるべき獣じみた土地が存在するではないか。後は日程と足と宿の確保が問題となろう。

 しかし斯様な方法で自己に意義深き世紀の変わる瞬間を迎えるべき土地を決めて良いものかどうかは甚だ疑問なのだが。


2000/12/05

名器

 先日の作品(2000/11/28参照)に於いて、所謂「名器」として並び称される「蚯蚓千匹」や「鯑天井」について触れる事となった。言う迄も無く前者は、生きた蚯蚓が千匹も陰茎に纏わり付くかの如きにゅるにゅる感を得ることが可能な膣壁の事であり、後者は鯑が亀頭の上部を刺激するかの如く、ざらざらでいて而も滑らかな感触を得ることが可能な膣壁の事であるのだが、字面だけ見ると全く気持ち良さそうに思えぬ事に気付いた。抑も私自身、此等を試してみて気持ち良いものだと思えるだけの体験があった訳ではないのだ。とはいえ「試してみて」とは言うものの、実物で試した訳では無く、若気の至りで疑似体験を行ったに過ぎぬのだが。

 「蚯蚓千匹」については言う迄も無く世の男性が必ず一度は試した事のあるカップラーメンを用いた疑似体験なのだが、此を試す際に私は非常に重大な行程を失念するという大失態を演じてしまったのだ。カップラーメンを作り、湯を抜いてふやけた麺が完成した迄は問題無かったのだが、余程未知の体験にはやる気持ちを抑え切る事が能わなかったのか麺を冷ますのを失念してしまい、只でさえ熱に過敏な私の体質の内でも最も熱に敏感な部分を思いっ切り麺に突っ込んでしまったのだ。此程迄に屈辱的な火傷を私は知らぬ。此の際味わったカップラーメンに対する屈辱は、知人との賭けに破れた際の屈辱(2000/05/18参照)を味わう迄の間、「人生最大の屈辱」として脳裏に深く刻まれたのであった。

 「鯑天井」については其の名の通り、お節料理の食材を「天井」に見立てて使用してみた。しかし直接あの様な粒状の塊を擦り付けても気持ち良い筈も無く、寧ろ痛みを伴うものであった為途中で志半ばにして断念したのだ。

 其れ以来実物の蚯蚓千匹や鯑天井に遭遇した事の無い私の中に於いては今尚、蚯蚓千匹は「熱い」、鯑天井は「痛い」という感想しか持ち得ないのである。


2000/12/04

夜な夜な

 日常生活で頻繁に用いられる「夜な夜な」という言葉、音を聴く限りでは何かの擬音語や擬態語を想起させるのだが言う迄も無く古来より「夜毎」「宵毎」なる意を表す副詞である。而るに此の言葉、他の語にはそうそう見られぬユニークな用法がある事に気付いたのだ。因みに「用法」と言っても文法上の其れでは無い。

 「よ」と自然に発音してみる。唇を少々小さくして突き出し気味にしつつ舌を口蓋下部に一旦沈めるのだが、此の格好、接吻直前の唇の構えと共通するものがあるではないか。次に其の儘自然に「な」の発音に移行する。今度は唇の力を若干抜いて広げ、雌伏していた舌は一旦激しく上口蓋に打ち付けられ前進するのだが、此正に接吻中の唇の構え。此を二度繰り返す事、即ち「夜な夜な」と発音する事により唇や舌の力の入れ加減や動かし方等を中心とした接吻の訓練が可能となるのだ。

 此処で肝心なのは、努々発声練習の如き発音を行わぬ様心掛ける事である。一つ間違えれば「よ」はおちょぼ口のダッチワイフ、「な」は口元に締まりの無いダッチワイフと化してしまい兼ねぬ。


2000/12/03

馬の脱走

 昨日オフ会に出席(2000/12/02参照)しようとして身繕いをしていた頃、寓居から僅か数kmの所で馬が路上に出没していたようである。日本経済新聞12月2日付夕刊記事によると、高校の乗馬部の馬が繋がれていた紐を擦り抜けて脱走したとの事なのだが、私を疑いの眼差しで見る向きも存在し兼ねぬので、決して私が紐を解くなり馬を唆すなりした訳では無いと此の場に於いて宣言しておく。

 其れにしても此の記事、人馬共に無事であり交通の混乱も無かった割には、地元の火災(死者発生)や広島の強盗殺人事件(犯人追跡中の男性が刺殺される)等に比べ、遙かに目立った扱いを受けていた。見出しの1行目の「えっ!路上を馬が疾走」という字体にやけに凝った装飾が施されているだけでなく、記事の本文についても、所謂「5W1H」の原則を守り必要最小限の記事にすれば恐らく半分程度の分量で済むのではないかと思われるのだが、脱走した2頭の馬名のみならず、性格だとか保護された際に近所の人が人参を持参して駆けつけただとかについても言及されており、只単に「馬が脱走したものの40分で捕まり、交通への影響も無かった」だけでは飽き足らぬ読者の馬心をそこそこ満足させ得る記事に仕上がっている。どうやら日本経済新聞社にも、朝日新聞程では無いものの(1999/06/18参照)獣心溢れる記者が存在するものと思われる。


2000/12/02

オフ会・3

 昨年のズーラシア(1999/06/20参照)、今夏の大阪(2000/08/26参照)に続き、東京で開催された「獣医師広報板」のオフ会に参加させて頂いた。今回はアクセス数百万ヒット記念のオフ会との事で、非常に目出度く意義深い催しであり、多忙の折東京迄足を運ぶ事となった次第。尤も「参加者に豪華賞品の当たる抽選会あり」という惹句に惹かれたというのも事実なのだが。

 既に3回目の参加ということもありすっかり慣れた気分で東京に向かったものの、直前にとんでもない事実を想起してしまったのだ。2年以上毎日必ず目を通しているサイトでありながら、サイト上の掲示板に書き込みをした経験が、オフ会参加宣言及び終了後の御礼報告以外皆無なのである。確か夏の大阪オフの際にも、他の参加者の方々が「○○の掲示板に登場しています」などと自己紹介する中、私は自己紹介の仕様が無いばかりか抑も皆の目に触れていない存在である事を痛感したばかりだと言うのに。

 結局今回も、他の参加者が自らの参加する掲示板(此のサイトの掲示板は主に動物別に分かれている)に基づき、それぞれ得意な動物について熱く主張し合っていた中で、私は得意な動物どころか獣好きというアイデンティティすら存分に発揮する事無くオフ会を終える事となってしまった。サイトのオフ会に臨むには、只単にサイトに目を通すだけでなく、せめて己の縄張りを主張するかの如き書き込みを一つくらいしておかねばならぬと強く感じた次第。


2000/12/01

検索エンジン・2000/11

 愈々毎月定例の作業となった感のある「エゾシカの嘶き」アクセス解析。今回は先ず、非常に悲しい現実を直視する事から始まる事となった。アクセス傾向だのを論じる以前の話として、11月のアクセス数自体が此処数ヶ月保っていた月間アクセス数の約三分の二に激減したのである。

 考え得る原因としては、先ず更新頻度の急激な低下が挙げられる。秋に始まったと思われるスランプや「EZOSHIKA PADDOCK」の競馬予想と重なるという内的要因、慢性化している常時数日遅れ傾向に追い打ちを掛けるかの如く9月末に数日間研修所に居た事に拠る更新不能という外的要因が考えられる。更には更新遅れが著しい為に新鮮なネタを存分に調理する事が能わぬ事に拠る文章の質の低下も挙げられよう。其の他にも「秋も深まり、ネットにアクセスする暇があれば暖をとる為に布団や炬燵で性行為に走っているに相違在るまい」などと言い訳を考えてみたりもしたのだが、流石に此が決定的なアクセス減少理由とはなるまい。

 悲しみに打ち拉がれつつ、検索エンジンから「エゾシカの嘶き」を訪れた人が如何なる検索語を用いたのかをチェックしてみた。今回首位に立った言葉は、二位の「金津園」の倍以上のスコアを叩き出した「放尿」であった。人は一体放尿の何を知りたくて「エゾシカの嘶き」に辿り着くのであろうか。更に三位には「金津園」と僅差で「女子便所」が初登場。次いでお馴染みの「陰核」が続く。因みに先程「goo」を用いて各々の語でヒットするサイトを調べてみたのだが、「金津園」「女子便所」「陰核」ではそれぞれ500〜600サイト、「放尿」に至っては12000サイトもヒットするのだ。よくもまあ其の中から「エゾシカの嘶き」を見つけて辿り着いたものであると感心する事頻り。

 他に目新しい発見として、中国の検索エンジンから「エゾシカの嘶き」に辿り着いたケースがあったようである。因みに此の方も検索語は「放尿」であったのだが。


最新 前月 翌月 一覧 「EZOSHIKA TOWN」トップ