エゾシカの  1999/12/01〜1999/12/31

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1999/12/31

年越し蕎麦

 1996年末以来、年越し蕎麦を食することにした。あれこれ思案するまでもなく、今年の年越し蕎麦は天下一品のラーメンである。

 天下一品にはまず間違いなく100回以上足を運んでいるのだが、実は一度たりとも「大盛り」を食したことが無かった。いくら空腹を感じていようと、さすがにあの麺、あのスープを大盛りで食しようという気は起こらなかったのである。そこで、千年代最後の年越し蕎麦に相応しく、この度大盛りを注文してみた。

 大盛りに葱を追加して注文、大きな丼に盛られたラーメンが登場した。全面に盛られた葱の隙間から麺が顔を覗かせている部分を観るだけで、その量の異常さが推測できる程である。しかしその反面、スープが少なすぎる。麺に葱とスープをよく絡めて食べている最中にスープが尽きてしまい、最後の方は麺だけを食べねばならないのではないかという恐怖に襲われた。もともと天下一品の麺は、あのスープと絡める事によって味が出てくるのであり、麺だけでは別段味わうに値しないものである。

 そこに葱である。思いの外葱がスープを吸ってしまったようで、麺に十分絡むほどのスープが足りなくなってしまった。後半はスープを吸った葱を箸で絞りつつ、僅かなスープに一生懸命麺を絡ませて何とか食べきることができた。

 やはりこれまで100度以上の選択は正解であったのだ。天下一品では努々大盛りを注文する事勿れ。


1999/12/30

広辞苑を読む

 柳瀬尚紀「広辞苑を読む」を読む。この人の文章はかなり昔から将棋雑誌でよく目にしていたのであるが、本職である翻訳家・文筆家としての文章を読むのは今回が初めてである。巧妙な言葉遊びを惜しげもなく文中に鏤める彼が、そのツールたる言葉の泉である辞書をどのように見ているのか、興味深く読んでみた。

 一つ驚いた事がある。日頃我々が何気なく用いている「乳繰る」という言葉についてである。元々の語源は、男女(場合によっては男男、女女などもあり得る)2人(場合によっては3人、4人、2人+1匹などもあり得る)が床に就き(場合によってはソファや車中や立ったままなどというケースもあり得る)互いの乳首や乳輪等(=乳)を引き寄せ、触ったり摘んだり舐ったり囓ったりして弄ぶ(=繰る)ところからという言葉から来ているものだと思いこんでいた。従って、言葉の意味も「男女が性行為を行う」事一般を指すものだと思いこんでいた。

 ところが、広辞苑第5版に依れば、「乳」というのは当て字であり、そのものには意味がないようである。また、言葉の意味も、「男女が密会する」という意味であり、「密会」が必要条件となっている一方で、性行為は必ずしも必要条件ではないようである。

 ということは、日常生活において初対面の人との会話や職場での朝の挨拶において「○○さん、昨夜は乳繰ってらっしゃいましたか?」などと尋ねる場合、相手が未婚か既婚かにより、この一言によって「おう、存分に乳繰ったわ」と会話が弾むか、「アホかおんどりゃ!儂には妻がいるのじゃ!他の女と密会なんぞしてないわい!」と殴られ二度と口をきいてもらえなくなるか大きく分かれるのだ。挨拶の前にはせめて相手の方の既未婚を確認しておくくらいの余裕が欲しい。


1999/12/29

年末年始の過ごし方

 この期に及んで年末年始の過ごし方を考えることになった。もう世間では年末年始に入っている所もあるというのに。

 1999年を迎えたのは、「九州一刺激的なスポット」と謳われていた福岡市のキャナルシティであった。当初は湯布院の温泉宿でひっそりと年を越そうと考えていたのだが、当日になって宿がどこも取れなかったため、博多に足を伸ばしてキャナルシティに向い、カウントダウンイヴェントに参加し、10代の若者達に紛れて「5!4!3!2!1!」と宙に拳を振り上げながら絶叫していたのだった。刺激的な年明けを送ることにより刺激的な1年にしようという試みであったのだが、高校生の男女で溢れかえる会場で独り年越しを待つというのは予想以上に恥ずかしいものであった。あまりの恥ずかしさに、携帯電話で他人とコンタクトをとって待ち合わせをしている振りをしていた。

 1998年は列車の中で新年を迎えた。移動中に瀬戸大橋から初日の出を拝むという浮世離れしたシチュエーションにそそられたのだが、結局曇り空で何も見ることができなかった。その分四国到着後はいの一番に動物園に足を向けたり、生まれて初めて馬に乗るなど、獣を堪能した正月であった。

 1997年は最果ての地・稚内で年を越し、宗谷岬で初日の出を迎えようとした。しかし実際には雪に見舞われ日の出は観ることができなかった。それでも「元旦にしてはここ10年くらいで最もいい天気」との事であった。この旅行では何人の人と知り合いになったであろうか。人との出会いという点でも大きな収穫のあった旅行であった。

 ここ3年、毎年それなりに何かを考えてユニークな年末年始を過ごしてきた。そう考えるとますます「とりあえず寓居で過ごす」「近場を適当に回って済ます」などといった過ごし方は許されない気分になってきたではないか。


1999/12/28

コンタクトレンズ

 初めてコンタクトレンズを着用してから10年近く経つのだが、未だに着脱の際に難儀している。購入直後は片目に装着するのに1時間以上かかっていたのだが現在は5分程度とかなり装着が楽になった。とはいえ通常の人間よりは時間が掛かることには変わらず、出社時等朝時間に余裕のない時に装着することはまずない。

 第一、眼という大事な器官に異物を挿入する事、しかもその光景を目の当たりにせねばならないというのがたまらなく怖いではないか。中学生の頃小説で、かっと見開いた眼を剃刀の刃で真横に切るシーンの描写を読んで以来、殊更に眼に何かが触れるのが怖く感じられるのである。一昔前のエロヴィデオで、前戯の愛撫として眼球を舐めるのが流行した事があったが、私にとっては非常にグロテスクに思えたものだった。

 眼科で初めてコンタクトレンズを作成して頂いたときは大騒動であった。眼科の方に「あのね、コンタクトレンズというのは、眼をレンズより大きく開かないと入れられないのよ」などと小学生でもわかるような当たり前の事をひたすら説教された。

 そして今に至るが、とてもじゃないが人に着用シーンを見せられるものでない。鏡の前でひたすらレンズと格闘である。何度も何度もレンズを眼に突っ込もうとしては瞬きに阻まれるという行為の繰り返しの末、偶然瞬きの直後にレンズが眼球に乗って装着完了となる。

 しかしよく考えると、これだけコンタクトレンズに恐怖を抱いていながら、何故わざわざ眼鏡に替えてコンタクトレンズを作成したのであろうか。恐らく「視界が広くなる」(眼鏡ではフレームが視界の邪魔をする)、「眼鏡よりも矯正視力が高くなる」、「汗をかく度に眼鏡を外す必要がない」などの期待をしていたのだろうが、それにしても現在の恐怖感や着用頻度等を考えると、これらメリットを享受しているとは到底思えぬ。


1999/12/27

子虎

 一般的に幼少の動物を指す際、動物名の前に「子」を付ける。子牛、子馬、子犬、子猫、子鹿、子狐、子熊、子象…。

 今日後輩に対して発した言葉。「君の顔は子虎に似てる」。一瞬きょとんとされてはっとした。そういえば「子虎」という言葉はあまり耳にしないではないか。あれ程大人と子供とで顔や体格に差がある動物について、何故「子」を付けて区別しようとする人がいないのか。それとも他に「幼少の虎」を指す単語が私の知らぬところで存在するのか。


1999/12/26

続・饂飩旅行

 25日早朝に喫茶店で珈琲とクッキー2枚を口にした以外、2日間で口にした食物は饂飩14杯(15玉)のみであった。正確にはこれに天麩羅や油揚げや稲荷寿司や御田、さらには薬味の葱、胡麻、大根卸し、滑子等も口にしていたが。

 そこそこ店舗を回った積もりだったのだが、驚くべき事にいずれも非常に個性溢れる味であり、どれ一つとして同じ印象を持った饂飩はなかった。麺の腰、伸び、仄かな味、出汁の味付け、香り、薬味の味、それぞれが各店各様なのである。しかもそういった14店の味が、完璧に思い起こすことができるくらい個性的かつ印象的なのである。何れも「讃岐饂飩」という名称で語られるグループ。しかし実態は店舗による個性化が激しい食物。恐るべき讃岐饂飩。

 驚くのは味だけではない。田圃、竹藪、住宅地等にさも当然の如く出没する饂飩屋の看板。いや、看板すらない所も存在する。建物も民家、プレハブ工場、掘建小屋等、とても饂飩を食する場所とは思えぬ所が多い。更に実際に食べる場所が、民家の縁側や玄関、庭の前等、これも饂飩を食する場所とは思えぬ。食べ方も凄い。天麩羅などの具を自由に選んだり自分で麺を湯がいたり出汁を注いだりなど驚くに足らず。客が包丁を用いて葱を刻む店、大根をひたすら卸しまくる店もあり。

 日本にこれ程ユニークな文化を持つ食物が他にあるであろうか。県内で広範にこういった食文化を展開しているような地域が他にあるであろうか。全く以て侮り難し。


1999/12/25

饂飩旅行

 1999/12/11で書いた饂飩による「ホワイト・クリスマス」を正に実行している。25日の早朝から香川県高松市に入り、2日間車で饂飩屋を駆けめぐるのである。詳細についてはいずれ「エゾシカの嘶き」若しくは「旅の足跡」、ひょっとすると新コーナーの設置、場合によれば新サイトを立ち上げねばならないくらいの形で表現することになろう。

 とはいえ、旅行のさわりくらいは触れておく必要があろう。

・寝台列車の車中から瀬戸大橋で日の出を目にする予定が、雲に覆われて見られず。
・期待に胸を膨らませ、勢い勇んで最初に行った饂飩屋が店を畳んでいた。
・その少し後、空には絵に描いたような暗雲が。
・3件目の饂飩屋は「暫く休業」。
・降水確率10〜20%だった筈の香川で雨。
・日本一の石垣を上って着いた丸亀城天守閣、昨日で年内の開館は終了。
・ホテルのユニットバスのドア、開閉に不具合。
・事前に充電しておいた筈の携帯電話、バッテリー切れ寸前。

 これらを打ち消して余りあるくらい楽しい1日であったのだ。


1999/12/24

クリスマス・イヴ

 今夜は一生のうちで最も非日常的なクリスマス・イヴである。職場からそのまま寝台列車に乗り込み、明日の朝には高松に着いているのである。並行して走る新幹線の乗客やホームで通勤列車が来るのを待つ人達に、寝台列車の個室でTシャツにトランクスという見苦しい格好を覗かれるイヴの夜。しかし覗いてしまった方もさぞかし気の毒なイヴの夜であろうに。

 TVもラジオもない(正確にはラジオが備え付けられているのだが、少なくともこの部屋では雑音しか聞こえない)個室で一人「恐るべきさぬきうどん」なる書物に没頭するイヴの夜。一息つけば出発直前に購入した競馬新聞に目を通しながら有馬記念の予想に勤しむイヴの夜。そして睡眠前に2日分の「エゾシカの嘶き」を執筆するイヴの夜。いずれも、世間の喧噪から隔絶された空間に身を置いているからこそ為せる技。もしクリスマス・イヴを意識しながらこんな事をやっていたら空しさが募るだけであろう。そう考えるとこういうイヴの過ごし方も満更ではない。


1999/12/23

続・天下一品

 余り食べ物の旨い不味いをとやかく言うたちではない。しかし、日頃からその味を絶賛しておりその味を期待して入った店で期待にそぐわぬものを出された日には、いくら私と雖も激怒せざるを得ない。

 ラーメンチェーン店・天下一品の特徴およびその味の絶品さについては1999/12/12で述べたとおりである。先日兵庫の実家に帰省する際にわざわざ途中で列車を降りてまでして足を踏み入れた或る支店、天下一品のお膝元たる京都で混雑前の夕方だというのに一人の客もいない。

 着席するや否や定番の「こってりの並」を注文する。待つこと暫し、出てきたラーメンを見て驚いた。「なんじゃいこの汁はあっさりとちゃうんかいっ!」一見天下一品の別メニュー・あっさりスープの表面に少々こってりスープを垂らしたかのような汁である。しかし一口啜ると確かにこってりスープの味。但しかなり薄まっている。

 麺を口にして更に驚いた。「こんなつるつるの麺があるかいっ!パスタでも使ってるんか!」こってりスープが麺に良く絡むように工夫されたと思われる少しざらついた麺が特徴のラーメン屋で、実際に出てきた麺は表面がつるつる。ただでさえ汁の薄さが気になっているのに、表面がつるつるではスープの味が麺に乗ってこないではないか。

 半ば諦めながら麺を食べきりスープを飲み干そうとして腰を抜かした。「おんどりゃ、胡椒で味を誤魔化してるんかい!」底には入れた覚えのない胡椒が沈んでいる。確かに私は胡椒が好きであるが、本来天下一品のこってりスープは生半可な香辛料を受け付けない。「辛子味噌」「辛子大蒜」という強烈な調味料を以て初めてあのスープと張り合うことができるのである。そこにきて胡椒である。しかも味の薄いスープに胡椒。

 誰がいつ胡椒スープスパゲティを注文したというのだ。しかもそれを平気で「天下一品」の看板をぶら下げた店内で「こってりラーメン」として客に出している事実。そりゃ客も足を運ぶまい。実はこの支店、以前から足を運ぶ度に「ちょっと違う」と感じさせられていたが、ここに来て「ちょっと違う」どころでは済まされないものを感じた。

 旨い不味いは人の主観であるからとやかく言うまい。しかし少なくともこれを「天下一品」の味として客に提供するのだけは勘弁して頂きたい。


1999/12/22

誕生日

 物心着いた頃から、毎年誕生日が近づくにつれ、「これで○歳も終わりなんだな」という感慨に耽る。記憶を辿れば、14歳の誕生日の前には「これで悪い事したら法律で罰せられるんやなぁ」、18歳の誕生日の前には「これで悪い事したら死刑になる可能性があるんやなぁ」、20歳の誕生日の前には「これで悪い事したら新聞とかで名前が出るんやなぁ」と、ろくでもない感慨に耽っているではないか。けしからん。それは別として、毎年誕生日前には自分の1年を振り返っている。世間が丁度「この1年を振り返って」という話題を口にする時期であることもあり、自然とそうなってしまう部分もあるのだが。

 その一方で、誕生日当日に「これからの1年をどう過ごすか」という事についてはあまり考えたことがない様な気がする。数年前の誕生日に抱負を問われ、「これでオッサンに一歩近づいたので、一層オッサンギャグに磨きをかける」と宣言した事があったくらいである。

 「これからの1年をどう過ごすか」は毎年元旦に考えている。とすると、私の1年は、元旦から始まり誕生日で終わっているようなものではないか。12/23〜31の間、或る意味では抜け殻のような生活を送っているということか。寂しいではないか。


1999/12/21

日本経済新聞

 12/18の日本経済新聞を読んでにんまりしたのは私だけではあるまい。文化欄のトップ記事のうち、一つは1999/12/08で触れた藤井隆の特集、もう一つは踊る人形の特集で、1999/12/04で触れたダンシング・ベイビーを採り上げている。タイミング的なものから推察するに、どうやら日本経済新聞の記者若しくはデスクが「エゾシカの嘶き」を愛読しているようである。遂にこのコーナーが大新聞を左右するに至ったかと思うと、感慨も一入である。

 藤井隆の記事については、前半は私が感じた魅力と同じであり、後半では「彼の芸風はデジタル的」「キモカワイイものが人気」などという切り口で、現在の若者文化と関連づけるという仕上がりになっている。どうやら私と同様の感性を持つと思われる日本経済新聞記者は、「エゾシカの嘶き」読後に自らの意を固め、これを発展させる形で記事にしたのであろう事が容易に推測されよう。

 問題はダンシング・ベイビーの記事。「ブームが去って残ったものが負のイメージだけ」と評した私に対し、「まだまだ人気が高い」と分析する日本経済新聞記者。この人は「エゾシカの嘶き」読後に反論の機会を窺っており、メディアを通じて私に対して宣戦布告したものと思われる。今後この記者がダンシング・ベイビーをしつこく紙面で採り上げたり、街のダンシング・ベイビー人形を一人で買い漁ったりして再びブームを煽っていくことが予想される。

 いずれにせよ、賛意であろうが反論であろうが、私がここで採り上げた意見に対し他の方が何らかの意見を抱き表明したという事については、その意見について論じる以前に非常に嬉しいことなのである。


1999/12/20

虚無感

 刹那ではあるが、ふと「俺は一体何をやってるんだろう」と思える時がある。具体的に自らの何かの行動に対してではなく、突然自分自身に対して漠とした虚無感を感じてしまうのだ。そして具体的に虚無感の原因を考えたりすることなく、暫く虚無感に浸った後、何事もなかったかのように正気に戻るのである。

 白昼は常に光や音等の刺激が常に外部から与えられており、こうなるのは決まって明け方である。テレビや読書等自分の時間に当てている深夜から、一日の生活を始める朝に挟まれた時間。普段なら睡眠に充てているはずの時間帯に何らかの事情で起きていざるを得ない時。外は雑音もなく、十分な視界もない。外部からの刺激を受けずに頭も心もそこそこクリアになっている状態。

 上記の条件を考えてみると、寧ろこの状態こそが正気を取り戻している状態のように思える。となると、そういった時間帯に虚無感を感じてしまうというのは、人間的に危険な状態ではないかという気がしてきた。


1999/12/19

銭湯

 東京で生活を始めたときに思ったことの一つとして、銭湯の湯船が異常に熱い、ということがあった。江戸っ子にとっては熱い風呂が「粋」なものであるとか、東京都の条例か何かで銭湯の湯船の温度は梅毒の菌が死滅する温度に設定されているとか、そういった理由は耳にしたことがあったのだが、それにしても実際浸かってみると相当熱いではないか。というか、浸かるに至るまで相当難儀せねばならない。猫肌の私にとって熱い湯船は拷問に近いものがあるのだ。

 しかしどういう訳か、サウナの湯船はさほど熱く感じられない。サウナの湯船に「粋」を求める江戸っ子は少数派なのか、東京都ではサウナでスピロヘータを繁殖させることを認めているのか良く判らぬが、実際猫肌の私にも抵抗無く入ることができる。

 いずれにせよ冬場においては、ぽかぽか暖まることができる銭湯を肉体が欲しているにも拘わらず、普段寒さで血管が収縮しているせいか、実際銭湯の熱い湯船に浸かると頭がガンガンするのだ。かといってこの時期水風呂などもっての他である。冬場の銭湯との関わり方は案外難しい。


1999/12/18

火事

 先日火事のあった新宿西口(通称「思い出横丁」)に足を運んでみた。案外被害に遭わなかった建物が多いようだったが、火事に遭った北側の区域は通行禁止になっており、道の入り口を塞いでいる鉄板や外から見える焼け崩れた建物が、火事の悲惨さを物語っていた。

 中学時代、未明に自宅の店舗が全焼したのだが、当時寮生活を送っていた私は朝になってもその事実を全く知らなかった。登校前、寮の先生と「お前、自宅から何か連絡あったか?」「いえ、何もありませんが…」「そうか。ならいい」という会話を交わしたのだが、後から思えば、私の家の災害を知ってるなら何で早急に本人に教えないのだという怒りが込み上げてきたものだった。そして一時間目の授業の際、担当の教師が私を教壇に呼び寄せ、いつもの愛想の良い表情で「お前の家、焼けたそうやな」と伝えられ、はじめて事の重大さを知った次第である。それにしても後から思えば、私の家の災害を愛想良く本人に伝えなくても良かろうという怒りが込み上げてきたものだった。

 新聞記事で事件を確認し、自宅に連絡をとったところ、「いや、大したことない、ちょっと燃えたくらいや」との事。そして半月程後に自宅に帰ったところ、頭の中が真っ白になった。店のあったところばかりか裏にあった家の倉庫の位置まで、全く跡形もなく更地になっているではないか!瓦礫の欠片すら見あたらない。ここまで大きな火事なのだったら何で本人にそう言わないのだという怒りが込み上げてきたものだった。

 私に怒りを感じさせた3者とも、事の重大さを私に伝えてショックを与えないようにという配慮からきたものであったのだろう。それにしてもいずれ本人が自宅に帰れば判る事ではないか。そう考えるとまた怒りが込み上げてきたものだった。

 それはさておき、私は店舗が燃えている現場を見たわけでもなく、焼け跡の生々しさも見たわけではない。即ち、自分の家の店舗が焼け、倉庫にあった私の思い出の一部も失われたにも拘わらず、直接には「火事の悲惨さ」「火事の怖さ」を感じることはできなかったのだ。寧ろ今日のように、自分とは直接関係ない場所であろうと、焼け跡の生々しさを目の当たりにする方が却って火事に対する恐怖を感じる事ができるのではないかとすら思えるのである。


1999/12/17

臨床

 競馬評論家の大川慶次郎氏が危篤状態に陥り、予断を許さない状態が続いている。ところで新聞報道によると、夫人のコメントとして、「パパ! 有馬記念だというのに、いつまで寝てるの。早く起きなきゃダメじゃない! って娘たちと叫んだのに、まだ目を覚ましてくれない」との事(日刊スポーツ)。競馬ファン達の気持ちを代弁して記者が勝手に作った話ではないのかと思ってしまうような科白である。

 しかしこの科白、我々のように大川慶次郎の仕事や業績を知っている人間が聞けば成る程と肯けるものであるが、その昏睡状態の男性が大川慶次郎であることを知らない人若しくは彼が競馬評論家の第一人者であることを知らない人がこの科白を聞いた場合、かなりぎょっとするのではなかろうか。有馬記念を競馬のレースだと知らない人はまだ良い。「なんやようわからん励まししてはるなぁ」で済むであろう。問題は、生半可有馬記念を競馬のレース、しかも年度を締めくくる大レースであるという認識だけは持っている人がその科白を聞いた場合である。「そ、そんなにこのオッサンは競馬に賭けてるのかよ」「しかもそんなオッサンを家族は理解してあげているのかよ」というような驚き様が予想される。

 まあそれはそれとして、個人的には有馬記念までには何とか目を覚ましていただき、是非予想を拝聴させて頂きたいものである。


1999/12/16

誤審

 極度の高所恐怖症である。ただ単に高いところにいるだけなら良い。飛行機なんぞは寧ろ好きな乗物の一つである。問題は、真下を見たときに、足より低いところに地面が見える場合である。ビルからの飛び降り自殺など想像するだけで卒倒しそうになる。自分なら、飛び降り自殺するくらいなら死んだ方がましだと思っている。また、展望台から遠くを見る分には何もないが、真下を見るとそれだけで気が遠くなる。他には遊園地のアトラクション。絶叫ジェットコースターなんぞより観覧車の方がずっと絶叫してしまう。昔女性と「象さんの空中散歩」という、地上数メートルのレールをゆっくりと移動するだけのアトラクションに乗っていた時、恐怖で涙をだらだら流しているのを指摘されたのも今となっては良い想い出である。相当情けないが。

 さて、ここまでなら普通の高所恐怖症かも知れない。ところが私は、地上2m程度の、テニスの審判台ですら恐怖を覚えるのである。学生時代、体育で庭球を選択していたときは大変だった。審判を担当する際、審判台に上るまでは良い。椅子に座ってパイプ製の椅子を意識したらもう終わりである。試合をまともに観ておれない。こんな状態で審判を行うと誤審のもとなので、私が審判台に上るときにはいつも当事者に判定を任せていた。

 とまあ、暫くの間、タイトルを先に決めて強引に文章をしたためてみた。次回「ろくしん」というタイトルで文章を書くことはないであろう。


1999/12/15

失神

 不思議な熟語である。「気を失う」を熟語にすると何故「神を失う」ことになるのか。初めて「失神」という単語を知った小学生時代以来、長年抱いておりながら別に生活に支障があるわけでもなく等閑にしていたこの疑問を、今になって解決しようと試みた。どうやら「神」という語には、本来の「かみ」の意味の他、「理性では判らぬ不思議な力」(神秘の「神」など)、「ずば抜けて優れた様」(神品の「神」。こんな熟語は初めて知った)、そして「こころ、精神」という意味があった。そうか、「失神」の「神」は「精神」の「神」かと、目から鱗が落ちたような気分になった。

 さてこの単語で最も印象に残っている出来事といえば、中学校の修学旅行時、池田湖(鹿児島県)のトイレに備え付けられていた大人の玩具の自動販売機。そんなトイレを修学旅行生に開放するかよ、それ以前にそんな場所に大人の玩具の自動販売機なんぞ設置するかよ、と思いながらその自動販売機をじっくりと見てみた。凄い。耳なし芳一の世界であった。表面にびっしりと「悶絶」「快感」「絶頂」「恍惚」「失神」などの熟語が明朝体で書かれていたのである。この時に初めて、漢語、字体、レイアウトの織りなす独特な世界というのを感じたのであった。今、このコーナーで私が漢語を駆使し、字体やレイアウトに偏執しているのは、この時の大人の玩具自動販売機を見た時に感じ取った世界観が無意識の内に私を支配していたためではないかと思われる。「人類補完計画」を代表とする熟語群を極太明朝体で画面に所狭しと配置するエヴァンゲリオンの世界も、人名を画面の角に鉤状に配置してわざと一文字だけ色を変えるという市川昆の世界も、きっと出発は池田湖の大人の玩具自動販売機であったに違いない。今更ながら池田湖に感謝。


1999/12/14

三振

 野球の投手にとって三振とは格別の味わいがあるのであろう。同じ一死でも、セカンドゴロやライトフライ等とは明らかに異なる喜びを感じるものではなかろうか。本来9人で行う勝負事において、唯一投手と打者との2人(本当は捕手も加わるが)で一死が完結する勝負。まさに己の力を噛み締める至福の勝利。ある意味野球を超越した勝負事が同じグラウンドで行われているかのようである。

 中学の寮生活時代にあった或るソフトボール大会。偶々相手チームにに仲の悪い同級生がいた。負け試合の敗戦処理でマウンドに立ちながら尚も火付け役となっている私に対峙して、その彼がバッターボックスに立った。「こいつだけは…」という思いが実ったのか、その勝負は三振で決着がついた。失点を重ねているという自己の置かれた境遇や自チームの怒りなど、喜びの大きさにかき消されてしまう程であった。そして再び「こいつだけは…」の念が通じたのか、彼の次の打席での勝負はピッチャーフライ。その時の気分はそれこそ格別の味わいであり、思わず小さくガッツポーズをしてしまった。

 失点があまりに大きかったからなのか、気合いが特定の人物に対してしか発揮できなかったからなのか、打たれまくっている試合でガッツポーズをしたのがばれたのか、いずれにせよ、次の試合以降私がマウンドに立つ機会はついぞ無かった。格別の悲しみである。


1999/12/13

妊娠

 ある女性の妊娠騒動が一段落した。結局現段階では妊娠と判断できないとの事。一頃のパンダの妊娠騒動を久しぶりに思い出させた数日間であった。

 余計な想像になろうが、この人が結局最終的に妊娠できなければ一体どうなるのだろうか。普通の女性と異なり、彼女は子供(しかも男子)を産むことを世間から期待されて止まないのである。実際のところ、皇室典範第2条には彼女の配偶者の跡継ぎとして長男以外にも様々な立場の人々が列挙されており、これだけ挙げておれば誰かが跡継ぎになるだろうと思われる。しかし世間はそれを許さない。彼女が出産すること、しかも男子を出産することを熱望されているのである。純日本産同士のトキの交配が期待された時期の盛り上がり様が思い出される。

 それにしても皇室典範なる法律、「皇統に属する男系の男子しか皇位を継げない」だの「養子はだめ」だの定めている一方で、男性が一族から消えてしまった時の事などまるで想定されていない。即ち、皇族に嫁いだ女性の誰かが必ず男子を出産することが絶対命令なのである。ある意味もの凄い法律ではないか。


1999/12/12

天下一品

 前日の深夜、無性に「天下一品」のラーメンが食べたくなり、インターネットで近所の店舗を調べてタクシーを呼ぼうとした。さすがにそれはあと一歩のところで思い留まったが。

 「天下一品」のラーメン、京都で生活していた頃には手頃な学割価格、スープだけで一日の必要摂取カロリーくらいあるのではないかと思われるくらいの腹持ちの良さ、そして勿論そのたまらない味に惹かれ、屡々食していたものだった。さすがに3食連続で、オプションの辛子味噌をたっぷり入れて汁一滴残さず食べたときには、これでもかと言わんばかりの腹痛を感じることとなったのだが。

 冷静に考えれば、腰のない麺、固体かと見紛う程のドロドロしたスープ、見るだけで口の中が熱くなりそうな辛子味噌、とても美味しそうに思えない。しかしそれらが絶妙の組み合わせで、ラーメンの常識を覆すような強烈な味を放つのである。一度虜になるともう抜けられない。京都を離れ、大阪に住んでいた時も、愛知に住んでいた時も、そして東京に住んでいる今でも、何かの機会があれば全国に散らばる支店を訪ねてはその都度その味の虜になっているのである。

 普段は会社帰りに職場から一駅のところにある神田店を利用しているのだが、寓居からわざわざ足を運ぶには若干遠い。今日行ったのは川崎店。インターネットで知った住所をもとに駅から歩くこと数分、商店街近辺をうろうろしまくってやっとの事で見つけることができた。

 それにしても近辺の飲食店(ラーメン屋含む)が混雑している時間帯、天下一品川崎店はがらがらではないか!30席程度ある店内に私を含め4名。落ち着いて食するには適しているが、あまりに悲しすぎるではないか。寂しくて悲しいのではない。自分の好きな味が認められていない状況が、何か私自身が川崎市民に認められていないようで悲しいのである。


1999/12/11

ホワイト・クリスマス

 お洒落なクリスマスを過ごそうとしてみる。テーマは「ホワイト・クリスマス」。

 知人が企んでいるのが、12/25早朝から香川に足を運んでひたすら饂飩を食べ巡るツアー。饂飩の白さがクリスマスに相応しい。

 北海道に行けば手軽にホワイト・クリスマスが味わえそうである。ソフトクリームを頬張り、六花亭のホワイトチョコレートを囓りまくる。酒の飲めない私の晩酌は必然的に牛乳となろう。ゴージャスなホワイト・クリスマスであるが、後で腹を壊した上体重が一気に増えそうである。

 乳白色の牡蠣もなかなかのものである。狂ったように大きい新潟の牡蠣を生で一気に平らげる。無論、宮城や広島で牡蠣を食するのも良かろう。また、同じ海産物の世界では、透き通るような白を誇る河豚があるではないか。

 それにしても書いているだけである種の空しさが募るクリスマスである。


1999/12/10

globeとカラオケ

 最近のglobeの曲はとてもじゃないがカラオケに向いていないように思われる。その理由としては、まず曲に占めるラップの部分が異常に増えてきたことが挙げられる。昔の曲であればマーク・パンサーが何か早口で英語を捲し立てている部分がサビの直後あたりに入っており、そこさえ何とかクリアすればとりあえずは歌うことができるばかりか、「Joy to the love」('95トヨタ自動車「サイノス」TVCMソング)のような早口英語ラップなんぞをマスターしておけばそれだけで称賛の目で見られるようなものであった。しかし最近の曲になると、日本語の呟き的ラップが寝言のように散文的にかなり入ってきており、カラオケで歌う側としてはどのタイミングで言葉を呟けば良いのかをマスターするだけで大変であり、聴く側としてはひたすら呟きを聞かされる事になり退屈になってしまう。苦労してマスターするだけ無駄とも言えよう。因みに今年TVCMでサビの部分が頻繁に流されていた「still growin' up」('99日本コカコーラ販促キャンペーンTVCMソング)、このサビのフレーズ以外は全て日本語の呟きであり、5分23秒の曲中、曲に合わせて歌われている部分を測ってみたところ、3分弱しかなかった。

 それ以前の問題として、彼らが結成当時は無茶苦茶なペースでシングルをリリースしていたのが昨年辺りからアルバムアーティストに変貌してしまったため、市中で彼らの曲を耳にする機会が激減し、その結果カラオケで歌っても昔に比べて盛り上がりに欠けてしまうようになったのが大きな問題なのかも知れぬ。

 別にカラオケに向く向かないでアーティストの評価が決まる訳でもなく、私もその件でglobeについて批判等をするつもりは毛頭ない。ただただ個人的に、良く聴く音楽がカラオケで歌いづらいとなると、カラオケのレパートリーがいつになっても増えないという難点があるだけの話である。


1999/12/09

動物キャラクター

 動物を商品等のキャラクターに用いる際には3つの指標をTPOに合わせて用いる必要があるのではないかと思う。実証したことはないのだが。

 その3つの指標とは、「認知度」「好意度」「溺愛度」である。広く浅く訴えたい時には認知度×好意度の高い動物を用い、特定の層に深く訴えたい時には好意度×溺愛度の高い動物を用いる。また、ただ単にそれらのスコアの高い動物を上位から用いていると、結局どこもかしこも同じようなキャラクターになってしまい埋没する恐れがあるので注意が必要である。

 勝手に動物を指標化してみる。動物名の後の数字は、それぞれ認知度、好意度、溺愛度の順になっている。

 イヌ=100,95,90
 ネコ=100,90,95
 ウサギ=100,95,85
 ハムスター=70,80,70

 ここら辺は全ての指標が高く、オールマイティで用いることができそうである一方、同様のキャラクターの中で埋没する恐れが大きい。

 ライオン=95,60,30
 ペンギン=80,70,30

 ここら辺は認知度、好意度が高いものの溺愛度が低く、幅広く訴える分には使えるが深く訴えるのには向いていない。

 ウマ=90,40,60
 カメ=80,30,70
 ヘビ=95,10,60
 カエル=90,15,65

 好意度が低いのが問題。ただ、持ち前の認知度を生かし、可愛いイラストにして好意度を若干上げるなどして用いることにより、方法次第で使えなくもない。また、溺愛度の高さを生かし、マニアックな用い方も可能である。

 シカ=60,40,40
 カワウソ=40,30,40

 スコア的にはそこそこバランスが取れているのだが、今ひとつ中途半端。

 ゴリラ=90,30,30
 ヤブイヌ=10,20,60

 強い指標が一つしかないと苦しい。

 結構世の動物キャラクター利用実態と上述の分析とは合致しているのではなかろうか。


1999/12/08

藤井隆

 最近藤井隆のテンションの高さに魅せられている。テンションの高さを売りにする芸人は決して少なくないのだが、その中で彼が特に私を魅了している点は、テンションが極めて自然な形で発露され、それを芸と感じさせないところまで昇華されている点である。即ち、通常の「テンション芸人」であれば、テンションの高さを芸にすることにより、「俺はお前達を楽しませてやっているのだ」と自らに酔う(例:ルー大柴、江頭2:50)か、「俺はここまで自分を落としてやってるんだぞ」と自らの姿を笑うことにより自分が三枚目ではないことをさり気なくアピールしたり(例:所ジョージ、堺正章)するかの両パターンに分類されるのだが、藤井隆は極々自己および他者に対して忠実にそういった芸ができるのである。実際にはさほどテンションの高い人物ではない(らしい)彼が、テンションの高さにおいて「天然」を感じさせるのである。彼を見ることにより、研鑽された芸というものを味わったような気分に浸ることができ、贅を感じずにはおれない。


1999/12/07

死刑

 高校時代のクラスメイトに対し、司法の場で死刑が求刑された。自分が接したことのある人間が公に「お前は死ぬべきである」と宣告されるという経験は当然ながら初めてのことであり、滅多に感じることのできない心境を味わうことができた。まあこの後死刑判決が出るようなことになれば、更に希有な心境を味わうことになるのだろうが。

 死刑という制度がこんなに身近に感じられるのは初めてのことである。学生時代ゼミで死刑制度の是非について資料をまとめたり討論を重ねたりしていた時ですら、私と死刑との距離というものは現在と比べれば遠いものである。その存在意義や法的根拠・解釈において議論が尽きない制度がまさに私の身近な人間に対して求められんとしている。恐らく今までの一生において現在が一番死刑制度について考えようとする欲求が高まっている時期なのかもしれない。

 敢えて正直に薄情かつ不謹慎な言い方をすれば、今の私の心境は「私の身近な人間が国家の手によって殺される可能性が生じてきた」というそのクラスメイトへの感傷や危機感というよりは「私の身近なところですごい制度が適用されようとしている」という死刑制度への関心の高まりである。彼が犯したとされる犯罪の重大さ、悲惨さが、いつしか彼についての想い出をぶち壊し、客観的な「クラスメイトであった」という事実だけを残してしまったようである。自らの基準においてこれでいいのか俺は。


1999/12/06

幼女趣味

 私自身そういった方面にはとんと疎いので造詣の深い方々に是非教えを乞いたいのだが、所謂ロリータ漫画に登場する幼女達の髪の色というのは何故斯くもカラフルなのであろうか。赤だの緑だの紫だの恐らく天然の日本人には然う然う出現しないであろう髪色が大抵の登場人物に見られる。染めるにしては余りに彼女たちの年齢が若すぎる。

 世間でロリコンと称される人々はあのような毛色が欲情の対象となっているのだろうか。素人考えでは、ロリコンの人達はあんなに非日常的な幼女を見ているよりは現実の幼女を見ている方が余程興奮するのではないかと思うのだが。逆に非日常的なところに興奮するのであれば、肌の色や鼻の位置や目の数なんぞも非日常的なものにしてみたらどうなのか。幼女に対する興味はないのだが、幼女に対して興味を抱く人には興味が尽きない。


1999/12/05

中谷美紀

 オリンパスのデジカメ、TVCMキャラクターに中谷美紀を起用している。当初彼女に求められていたものはお色気路線であった。化粧をして獣のように肢体をくねらせ、カメラに色っぽく視線を送る。

 余程競合他社の起用する藤原紀香に正攻法で対抗しようとしたのであろう。しかしそれにしては中谷美紀はどうなのであろうか。個人的にはドラマ「ケイゾク」で観た天然ボケ振りがいたく印象に残っており、色気で勝負する中谷美紀にはかなり違和感を覚えた。新たな彼女の一面を見たといえば聞こえはいいのだが、別に見たくない面を見せられたというのが正直な感想である。

 そして最近、競合他社の新製品を宣伝する藤原紀香に対抗した中谷美紀の戦法は、普通の女性と普通の日常風景。彼女が出演している伊藤園のお茶の世界に通じるものを感じる。こういったナチュラルさがまさに彼女の魅力。最初から同じ土俵に乗らなくても、勝つ方法などいくらでもあるのだ。


1999/12/04

今年の流行

 早くも報道番組では今年の回顧が始まっている。「あんなにブームになったのに今では…」という採り上げられ方をされるものはまだ良い。今年確かに流行ったはずなのに今では採り上げられもしないものも存在している。

 1999/06/30で採り上げたダンシング・ベイビー。一時TVや新聞等でひっきりなしに話題になり、一部の間でのブームをマスコミが煽るという典型的な構図。ここまでは「だんご3兄弟」と同じである。両者とも、何故ここまで流行るのかがよくわからないという問題意識からスタートした採り上げられ方であった。ここから両者が大きく違ったのは、「だんご3兄弟」が「何で流行ってるかよくわからんけど流行ってる」ことから、紹介されることによりさらなるブームを生み出したのに対し、「ダンシング・ベイビー」には紹介される度に「気色悪いやないか」という負のイメージがどんどん目立ってしまったことではなかろうか。もともとその気色悪さが一部に好まれていたことから、当然の事と言えようが、ブームが去って残ったものが負のイメージだけだとは哀れである。ブームに乗ってダンシング・ベイビーの人形なんぞを部屋に飾っていた人達は、今頃夢に魘されそうな心配をしながら人形を部屋の片隅に押しやっているのではなかろうか。

 トヨタ自動車「Cami」ではなおもダンシング・ベイビーの冬ヴァージョンCMを流しているが、「いくら何でも…」の感を抱かずにはおれない。


1999/12/03

吐瀉物

 早いところでは既に忘年会なんぞを実施しているところがあるのだろうか、そろそろ街や駅など公衆の場において吐瀉物が目に付くようになってきた。偶に深夜のJR蒲田駅を利用する時があるが、どういう訳かあの駅はこのシーズン、吐瀉物の宝庫である。

 それはさておき、屋外ならともかく、電車内等で吐瀉物を見かけるときがある。見た目がグロテスクなだけでなく、異臭が籠もるのがたまらない。いや、見た目や異臭で済めばまだましである。吐瀉物に「溺れる」という恐ろしい事態を目の当たりにしたことがあった。

 何年前の事であろうか。時期は年末。山手線を利用して帰路に就く際、電車の扉のところに思いっきり吐瀉物がぶちまけてあった。停車する度、当然乗客がそこから入ってくる。ここで吐瀉物が目に入ればその人はまだ幸せである。一般的に、乗客は扉が開くや否や座席を確保しようと車内に突入し、よもや足下に吐瀉物がぶちまけられているなど考えもしない。従って勢いよく吐瀉物の中に足を突っ込んでしまって吐瀉物の上に綺麗に腰を下ろしてしまうのである。停車する度に目の当たりにする光景を目の当たりにして、気の毒さを感じる一方で、どうしても笑いが込み上げてきて、反応の仕方に困ったものだった。

 さて、足を突っ込んだときの初速度をv、革靴とと吐瀉物付きの車内の床との摩擦係数をμとすると、足を突っ込んだことによって、その人は(vの2乗)/(19.6×μ)メートル足を滑らせることになる。で、この値が足の長さの2倍を超えたとき、その人の股が自動的に裂けてしまわない限り、下半身は間違いなく吐瀉物と接することになる。おや、その人の体重は直接関係ないのか。

 従って、こういった悲劇を避ける自衛策としては、電車に乗る際には水平方向に勢いをつけて足を踏み入れない以外方法はないようである。


1999/12/02

カレンダー

 そろそろ来年のカレンダーが出回る時期である。職場でも会社のカレンダーが配布されたり、日頃つきあいのある会社などから挨拶がてらカレンダーが続々と届いたりしているようである。

 私の部屋には常時3本のカレンダーを飾っている。それぞれ先月、今月、来月を表示させているのだが、これが案外便利である。因みに、先月のカレンダーは飛行機カレンダー、今月のは競馬カレンダー、そして、捨てるわけにもいかない自分の会社のカレンダーを来月用に用いている。

 メインの競馬カレンダーは通常のものとは異なり、月曜から始まり日曜で終わっている。言うまでもなく、土曜日曜でセットにして開催される中央競馬のスケジュールに合わせたものである。土日は色ですぐに曜日が判別できるのだが、水曜とか木曜とかは一瞬考え込んでしまう。とはいえ文字が大きく読みやすく、その日に行われる主要レースも書き込んであり、そして馬達の写真が眺められるなど、メリットが非常に大きい。

 と書いていて、まだ暦が11月のままであることに気づいた。セイウンスカイよさようなら、メジロドーベルよこんにちは。


1999/12/01

師走

 「師走」とはよく言ったものである。この時期仕事も生活も忙しくなる。どこの企業も「年内に片づけねばならない仕事」というのが多数存在しているようで、得意先企業を抱えていた仕事に就いていた時など、11〜12月は各得意先企業の要望を受け、もう連日連夜壮絶な状況であった。そういった状況でありながら、「忘年会」などという儀式も方々で行われる。何も忙しい時期を選んで行わなくても、と感じるのはきっと少数派なのであろう。労働者だけでなく学生も然り。この時期は試験だの受験だのの追い込み時期となっている。そして休日は休日で年賀状を書いたり、私のような不精者はともかく一般的には身辺の掃除に勤しんだりする時期でもある。

 さらにこの時期の特徴として、実際の忙しさ以上に物事が忙しなく感じられる。即ち、月の前半には既に街中が12/24〜25あたりの様相を見せており、中旬あたりからは「今年の回顧」が各メディアを中心に始まり、下旬になると人々はすっかり翌年気分。時の流れが急に半月ほど早まったかのようである。これでは忙しないのも当然であろう。

 ここまでに列挙した忙しさが最も集中するクリスマス前に誕生日を迎える私にとって、意識の中に占める誕生日の重みは、他の人より遙かに軽いものなのかもしれない。


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