エゾシカの  2001/11/01〜2001/11/30

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2001/11/30

西洋文化と日本文化

 食欲と性欲は比例するという、所謂「食性一致」の思想に基づいた上で日本料理に関する考察を行った事があった(2000/10/14参照)のだが、よくよく考えてみれば、日本に於いては食の場に性的な要素を採り入れる事は斯様に数多存在すれど、性の場に食的な要素を採り入れる事は極めて稀なのでは無かろうか。

 性の場に食的な要素を採り入れる行為として最も代表的なものには所謂バター犬が挙げられよう。即ち女陰にバターを塗りまくり、此をバターが好きな犬にべろべろぴちゃぴちゃ舐らせる事に依り、若干ざらついた犬の舌で女陰が刺激され女性が法悦の境地に達する行為なのだが、バターを用いるという点から推測すれば此は恐らく洋風文化では無いかと思われる。蛇足ではあるが、此の行為を犬の立場に視点を移せば、「食の場に性的な要素を採り入れる」事になる。

 同様の行為で、コンドームにチョコレートやヴァニラのフレヴァーを付加するという文化も、此等味付き避妊具の製造元が大抵の場合国外である事から、此も亦洋風由来の文化であると思われる。

 然為れば2000/10/14で展開した考察と併せて西洋と日本との文化の差異を端的に論述する事が出来よう。西洋文化は「性に食を加える文化」、日本文化は「食に性を加える文化」。此即ち「バター犬の文化・女体盛りの文化」。従来両者の文化比較の代名詞であった「罪の文化・恥の文化」に取って代わるに値する表現として、広く人口に膾炙させ永く後世に語り継ぐ事が我々の使命と言えよう。


2001/11/29

相乗効果

 広辞苑に於いて「相乗効果」とは「複数の要因が重なることによって、それら個々がもたらす効果の和以上を生ずること」とされており、「乗」という語を「乗法」即ち掛算の意味で用いている。当然世間の認識もそうであると思っていたのだが、どうやっても掛け合わせて和以上の効果が生じないのでは無いかと思われる場合に於いても「相乗効果」なる語が用いられているのでは無いかと最近感じるようになってきたのだ。

 用いている当事者が、到底相乗効果が期待出来そうに無い複数の要因について真剣に相乗効果が発生すると考えている、或いは発生して欲しいという願望を強く抱いているのか、若しくは只単に複数の要因を重ねる事を須く「相乗効果」と称しているのか。何れにせよ此等の表現、就中後者については「乗」を「乗法」では無く基本的な字義通りに解し「相乗り効果」と表現する方が適切では無かろうか。


2001/11/28

肉欲・3

 朝から職場で社外の方々との打ち合わせが続いており昼休みに昼食を案内する事となったのだが職場界隈の目ぼしい飲食店を何箇所か巡った処此が皆混雑を極めており結局入ることとなったのは但馬牛ステーキ専門店であった。

 先方様はさぞお慶びになった事であろう。しかし頗る肉欲の乏しい私(2000/08/30参照)にとっては此は拷問に近い事であるばかりか、先方様の手前、此をさも美味しそうに食さねばならぬという、2000/08/31で触れた事件以来、業務上肉欲を奮い立たせる必要が生じたのであった。尤も出来る限り肉が話題にならぬ様、話題を極力店舗の内装だとかBGMだとかに持って行き、食肉中は只管食に徹するというスタイルを貫いていたのだが。

 其れにしても冷静に考えれば、本来食事の決定権を持つ私がよりによって自らに拷問を科すかの如き行動を採らねばならぬとは甚だ誤って居ると言わざるを得ぬ。尤もそう断じた処で、其の誤りの原因、換言すれば遣る瀬無い感情の遣り場を何処に求めれば良いのかが追求出来ぬのだ。私にはステーキ専門店以外の選択肢が無く、先方は言うに及ばず私に案内されるが儘。ましてやステーキ専門店に問題があった訳でも無いのだ。


2001/11/27

討論番組に於ける政治家

 政治家が出演する討論番組を目にする度に思うのだが、未だ嘗て話を聴けば聴く程惚れ込むという経験が存在しないばかりか逆に話を聴けば聴く程胡散臭さを感じる経験が非常に多いのである。本来己の思想を白日の下に晒し民から支持を受けて国政に活用する事が彼等の重要な役目の一つである筈。然為れば「話せば話す程胡散臭さを感じさせる」という状況は決して好まれるものでは無かろう。

 其の理由の一つとして、当該政治家の弁の中に何かしらの矛盾が包含される機会に加え、其の矛盾を糊塗する事でどんどん矛盾が矛盾を呼ぶ事が挙げられる。或いは其の場に於いては論理の破綻が生じぬものの別の場に於ける彼の言動と照らし合わせて矛盾が生じるケースなんぞも有り得よう。

 斯様な光景を目にする度に、一度で良いからすかっと騙される様な弁を耳にしたいと一瞬願う一方で、否否政治家の詭弁なんぞ成功せぬ方が民衆にとっては余程幸せに違いあるまいと思い直す次第。一々政治家の詭弁を論う事で益々政治家の詭弁が上達する事は本意では無い。


2001/11/26

続・シカ科の時代

 最近になって世間では鹿が再ブレイクの兆しを見せつつある。「エゾシカの嘶き」のコアな読者から頂いた情報に基づき確認した処、エア・ドゥが今冬から保有機体にエゾシカの写真をあしらい、機内に於いてもエゾシカの写真を掲出するとの事。

 暫く前には、プロモーションヴィデオにエゾシカを出演させた桑田佳祐のシングルが大ヒットし、エゾシカ効果に注目したアーティスト達が今後数多のプロモーションヴィデオだのアルバムジャケットだのにエゾシカを出演させる事は疑う余地も無い位の勢いである。

 昨年暮れに本年を「鹿の年」と位置付けた(2001/01/01参照)処、世間の動向も確実に此の一年を「鹿の年」に仕向けつつある模様。私の慧眼も満更では無かろう。


2001/11/25

獣愛エロメール

 最近どういう訳か国内のみならず海外からもエロメールの類が次々と到着する傾向にある。そんな中、先日受信したエロメールは事もあろうに「Animals In Action!!!!!」なるタイトルであり、本文は初っ端からいきなり赤字ででかでかと「Hot Girls And Wild Horses!」と書かれていた。

 抑も一体どういう経緯で斯様なエロメールが私の元に来たのだ。私は本格的獣愛サイトを訪れ掲示版等に書き込みを行う際には一切メールアドレスは開示せぬ。仮に日本語獣愛サイトに私のメールアドレスが開示されたとして、英語圏の人達には其のサイトの趣旨等が判らぬのでは無いか。

 大体私の説く「獣愛」は何度も述べている通り肉体面のみに依存するもので無ければ、私自身獣と交わった事が無く現時点では其の意向や予定も無いのだ。縦しんば私が肉体的獣愛派だったとして、何故「人間の女性と馬」なのか。男性に送付するメールであれば通常「人間の男性と馬」で無いと今一つ感情移入出来ぬのでは無いか。左様な理由で当該エロメールに記載された獣愛サイトのリンクは未だチェックして居らぬ。こう書くと「『人間の男性と馬』というタイトルであればチェックしていたのか」と余計なツッコミを受け兼ねぬが。


2001/11/24

流星

 記憶にある限りでは初めて流星を眼にしたのは中学時代、夜に寮の屋上で友人と何気無く空を眺めながら語らっていた時の事であった。其の余りに刹那な様を目の当たりにし、「流星に願い事を託せば其れが叶う」という言い伝えは、其れが不可能である事を前提に言い伝えられているに過ぎない事を悟ったのだ。

 さて先日、其れ以来の流星目撃という事で、到来が予見されていた所謂「獅子座流星群」を観ようと深夜に屋外に出て星空を眺めていたのだが、もう彼方此方でうようよと流星が光るわ光るわ。明るく大きく、而も発光時間が長い。此だと眼の反射神経次第で願い事など幾らでも可能であると思いいざ数多の願い事を託そうとしたものの、肝心の眼の反射神経がなかなか追い付かず、実際には願い事が一つ成立した時点で床に就いた次第。尤も願い事云々という観点が無くとも其の非日常的な美しさは充分に感じ取れ其れ自体が幸福であったのだが。


2001/11/23

案内員との遣り取り

 少し前の事、職場の近くのイヴェントコーナーに通行を妨げ兼ねぬ位の人集りが出来ており私も嬉しがって何事かと覗きに行ったのだがイヴェント自体は既に終了していた様で結局何があったのか判らず、偶々近くのインフォメーションに私に尋ねてと言わんばかりに案内員が鎮座していた為に何のイヴェントなのかを問うた処、「ミニコンサートがありました」との事。コンサートで人集りが生じるのは判るが一体誰が此程の人を日中に集めたのかが気になり誰のコンサートなのかを問うた処、若い娘の案内員は幾ばくか面倒臭そうな態度で「子供のグループです」との事。子供とは言ってもそこらの餓鬼がコンサートを行って此程迄の人集りは生じぬ筈と思いつつ先程の彼女の態度を鑑み敢えて爽やかな笑みを浮かべつつ極めて丁寧に「若し良ければ、具体的に何というグループが来ていたのか教えて頂けないでしょうか」と問うたのだが、彼女は私の態度に反比例するかの如く満面に不快さを浮かび上がらせつつ吐き捨てる様に「w-indsという少年グループです」と答えたのであった。

 相手方のサーヴィスに対しては其れ相応の態度で返すのが人間としての礼儀と弁えて居る私は其の態度に対し最低レヴェルの礼だけ返して立ち去ったのだが、最初は普通に対応していた彼女が僅か二三の質問で不快さを露わにした理由が良く解らず暫し考え込む事になり、其の結果理由が二点に絞られた。一つは彼女が月経期の真っ只中であり少しでも其の気配を悟られぬ様一秒でも早く接客を切り上げたかった事、そしてもう一つは、私如きにw-indsなんぞを説明しても理解される筈が無く徒に無駄であると彼女が判断した事である。前者であれば兎も角、後者であれば即ち私が最早w-indsなんぞを知らぬオッサンであると接客のプロから判定されたという事であり、非常に悲しむべき事態なのだ。


2001/11/22

瞬間最大視聴率

 テレヴィに於いて分刻みで視聴率を算出し或る番組内(若しくは時間内)に於ける視聴率の最大値を指す「瞬間最大視聴率」という概念が存在し、其れを話のネタとしてマスコミが殊更大袈裟に採り上げて喜ぶと共に其れを目にした一部の視聴者が殊更大袈裟に受け止めて喜ぶ傾向が近年強まりつつある。

 大抵の場合、マスコミに於ける採り上げられ方は「此のシーンが最も視聴率が高かった=多くの視聴者を惹き付けた」というものであるのだが、視聴率の統計的な算出方法なんぞに触れる迄も無く、此は大きな過ちでは無いのか。

 視聴率が最大になった次の瞬間(正確には一分後か)には必ず其れよりも視聴率が低下しており、此即ち視聴率が最大になったシーンを見て其の番組から離れた視聴者の方が其のシーン以降番組を見始めた視聴者を上回っているという事であり、寧ろ視聴率が最大になったシーンというのは視聴者を引き留める事が出来なかった、相対的に魅力が強いとは言えぬシーンと言えよう。

 斯様な過ちを平然と採り上げる番組が多いという事は、視聴者も酷く馬鹿にされたものだと思いつつ、一方斯様な番組が増加しているという事は、其れに比例して馬鹿な視聴者が増加しているという事では無いのかと些か危惧する次第。


2001/11/21

青汁の味

 旅先以外では毎日青汁を飲用し続けて数ヶ月経つのだが、流石に此の程度飲用していると時として味が普段と異なる場合が存在するのに気付く。特に此が強く感じられるのがコンヴィニで購入する青汁の不味さ。原因もほぼ明白であり、陳列棚の冷凍庫の温度管理が不十分或いは入荷後一度溶けたものを冷凍庫で再度凍らせているものと思われる。一杯毎に密封された青汁がやけに袋の片方に偏った儘凍っていたり、袋の表面に矢鱈と霜が降りていれば其れだけで一週間苦味の先行した不味い青汁を覚悟せねばならぬ。

 最も美味しいと思われるのが青汁直販店の店頭にて立ち飲みする青汁。恐らく直販なりに味や保存に多少優れているのでは無いかとも思われるのだが、恐らく美味しいと感じる最大の原因は、寓居で飲用する際にはビニール袋を破り其の儘破った箇所から口に流し込んで飲むという非人間的な方法で飲んでいる一方、直販店店頭に於いてはカップ入りのものをストローで飲んで居り、気分的に普段以上の飲み易さが感じられる所為では無かろうかと思っている。

 処で以前、或る青汁メーカーが原料不足の為に別の野菜を混入させて通常の野菜を百パーセント使用していると喧伝して居り話題になったのだが、同じ原料ですら斯様に味が異なるというのに異なる原料なんぞを使おうものなら誰でも容易に気付くのでは無いか。消費者も酷く馬鹿にされたものだと今にして思う次第。


2001/11/20

政治家のテレヴィ出演

 マスコミ、就中テレヴィが政治家にとって其れなりに手軽且つ効果的なパフォーマンスやプロパガンダの場として利用し易くなった所為なのかどうかはさて置き、僅か数分間程度であろうが一般の報道番組に政治家が顔を出して己の意見を開陳する機会が一昔前に比べ増えてきた様に思える。

 彼等は番組司会者から己にとって心地良い質問に回答したり、時折与えられた時間を全く無視して一通り好き放題の発言を行ったりした後、自分にとって不都合のある質問を受けたり意見を求められた際には決まって「マスコミは何時もそうやって我々を批判して陥れようとする」などと交わしては批判の論点をずらすのが常である。

 毎回左様な光景を目にする度に思うのだが、左様な事が予め判っており其れが嫌なのであれば最初から出演しなければ良いでは無いか。抑もテレヴィ側が彼等に出演依頼を行う場合というのは人気アイドルや旬の著名人をゲストに招いて其の魅力を偸閑にするのとは訳が大いに異なり、寧ろ逆に「口では良い事を言っておきながら実際はどうなのだ」「世間で斯様な批判があるのだが其れについての真意を伺いたい」という趣旨で依頼を行うのが常なのである。

 此が単なる政治家の主義主張を問うものであればさほど大きな実害は無いばかりか「ハハ此奴アホか」と思えば済む話なのだが、此処暫く日本国内に於いて間接的乍ら甚大な影響を及ぼしパニックを起こさんばかりの病気感染について、彼方此方の報道番組に出演して「牛肉は安全である」と声高に主張する一方で批判や質問に満足に答えられぬばかりか挙げ句の果てに其の場でマスコミ批判に終始する政治家を目にするにつけ、「安全宣言」を行う度に余計に皆が不安を抱かざるを得ない状況を鑑み、斯様な政治家を一切テレヴィに出してはならぬと切に念ずる次第。


2001/11/19

有り難さ

 先日の事、或るセミナーに参加したのだが講師の話す内容がなかなか興味深いものであった。内容については此処では触れまいが、私以上に周囲の参加者も相当其の内容に惹かれていた様であり、講師の言に頷く事頻りであった。否正確に言えば「頷く事頻り」というレヴェルを凌駕しており、私は途中から講師よりも其の参加者の首の動きに目を奪われる位であったのだ。

 確かに講師の話に感心する気持ちは良く解るのだが其れにしても其の感心を絶えず首振りで表現せねばならぬものなのか。勿論私は其の行為について批判めいた論を展開する積もりは毛頭無い。只純粋に脳への血流に異常を来たさないかが気になり彼が動きを止める時は即ち眩暈や脳震盪を起こしている状況では無かろうか、下手に首の動きが長時間止まって居れば即ち心停止すら有り得るのでは無いかと心配でならなかったのだ。

 世間で首を上下させる代表として挙げられる歩行時の鳩や走行時の麒麟等について、斯様に長時間首を上下させる機会は未だ嘗てお目に掛かった事が無い。そういう意味では非常に有り難い光景を目の当たりにする事が出来たのでは無かろうか。講師の有り難い講義と相俟って有り難さが非常に印象に残った次第。


2001/11/18

旅欲の行方・2001/12

 久し振りに三連休に向け旅欲を高める事とした。尚此処で言う「三連休」とは今週末の勤労感謝の日絡みでは無く師走三連休の事である。霜月の三連休は勤労感謝の日に勤労せねばならぬという皮肉を肌身で感じねばならぬ為とてもじゃないがヴァカンスを愉しむ時間など存在せず、斯様な時期に下手に旅欲を高めるのは一つ間違えば危険行為に繋がるのだが、逆に眼前の困難を将来の快楽で糊塗する効果を期待した次第。

 さて師走の三連休、今年は私の誕生日、天皇誕生日、基督の誕生日前夜がそれぞれ含まれて居り正に誕生日尽しの日々という事で、生まれた儘の姿で三日三晩愛人と交わるなどといった趣向も良かろうと思いつつ肝心の愛人が居ぬ事に気付き折角の趣向も実現能わぬ。

 という訳で行先を考えるに本命となったのは花巻(岩手県)。己の価値観に揺らぎが生じた日々を過ごしていた時の事、「銀河鉄道の夜」で主人公ジョバンニが親友カムパネルラに呟いた「ほんとうのさいわいは一体何だろう」という疑問に対する自分としての解答を求めるべく宮澤賢治に触れようと、彼の足跡を多数遺す花巻を四年近く前に訪れ、正解は見付からぬものの彼の思想や信念をより深く知る事により解答の方向性が見出せた事があり、己の価値観が揺らぐどころか減耗すらして居る感のある現在に於いては尚更足を運ばねばと思った次第。更には花巻温泉、足を伸ばして、前回訪れた時には開業前で涙を呑んだ遠野に開業した「遠野馬の里」を訪れるのも良かろう。幸い花巻であれば、誕生日前後の利用が大幅に安くなる割引が存在する航空会社があり、名古屋からの数少ない直行便の行先の中に花巻空港が存在するのだ。

 処が此程迄の花巻への旅欲を打ち消すものが私の中に沸き起こった。此の時期に私が花巻で「ほんとうのさいわい」を模索する過程及び結果に対して自分自身が何かしら耐え切れないのでは無いかという根拠無き獣感が働き、自分自身の欲望に「花巻に行ってはならぬ」という理性の箍を、恐らく旅欲に対しては初めて掛ける事となったのだ。

 そんな訳で次なる目的地として浮かんだのは金沢及び周辺温泉。一体過去の「旅欲の行方」に於いて何度有力候補になり其の都度落選してきた事か。独り旅でも受け容れる温泉旅館も存在し、予約もまだ充分に可能(抑も基督誕生日前日あたりの休日に独りでわざわざ非日常を味わう輩などそうそう存在しまい)。併せて最近郊外に移転したいしかわ動物園にも移転後初めて足を運び、来年度の大河ドラマの舞台という事で私にとっては或る種不要な盛り上がりを見せていると思われる金沢城址(此も前回訪れた時は金沢大学のキャンパスであり、どうも城を訪れたという感が極めて薄い)に、運が良ければ雪を纏った兼六園を訪れる事が出来よう。加えて連休中は常時金沢競馬が開催中。

 此等の魅力に惹かれ、此以上他の地を検討する事も無く早々に宿を確保し、「万年有力候補」が遂に旅欲目的地と決した次第。


2001/11/17

コンヴィニと文化

 コンヴィニに於いては狭く限定された店内に売れ筋商品を如何に陳列するかが激しい店舗間競争の命運を握っており、其の結果コンヴィニの陳列棚は或る意味流行だの文化だのを象徴していると言えよう。

 流行や文化が比較的均質化された昨今に於いてコンヴィニは正に全国均質化の象徴であるとも考えられるのだが、絶えず売れ筋商品を陳列せねばならぬという宿命から一商品の陳列期間が相対的に短いコンヴィニに於いては、所謂エリアマーケティング展開の最前線として、或いは地元企業やマスコミ等とのタイアップにより、地域及び期間を予め限定した上で其のエリアに向けた商品が並べられ、成功した商品は永続的に販売される事により、地域毎に異なる顔を見せる事になるのだ。

 そんな訳で私は旅先等他地域に於いてコンヴィニを覗く機会が最近増えている。以前は「何故斯様な地に迄来て何処にでも存在するコンヴィニに足を運ばねばならぬのだ」と寧ろ抵抗感すら抱いていたのだが、上記の点に気付き最近では逆に他地域に於いて取り立てて目的も無くコンヴィニに入る事が多い。

 そんな訳で、先日のゼミOB会(2001/11/10参照)で京都に足を運んだ際、念願だった日清どん兵衛の関西出汁味(2001/10/19参照)をコンヴィニでしこたま購入した。此の時ばかりに地域限定品を買い漁るのはカップ讃岐饂飩「恐るべきさぬきうどん」(2001/01/16参照)以来又しても饂飩という事になるのだが、饂飩が如何に食文化の一翼を担っているかを如実に示す一例と言えよう。尤も視点を変えれば只単に私が饂飩の出汁に異常な拘りを示している証左とも言えるのだが。


001/11/16

弁護士

 先日のゼミOB会(2001/11/10参照)の場で、唯一私の同期で参加していた人物と近況を語り合い大いに感心する事となった。元々地元大阪の弁護士事務所に勤めていた彼は突然縁もゆかりもない或る地方都市に数十年振りの弁護士として開業するに至ったとの事。

 観光地として名高いだけでなく歴史的にも錚々たる人物を数多輩出している其の市に弁護士が全く居なかったという事に先ず驚いたのだが、其れはさておき是非ともとの依頼を受け住み慣れた地を離れ全く見知らぬ地に居を構え生業を営む事を決断した彼の心意気が如何にも彼らしいと感じると共に、其の志を実行する点に大いに惹かれた次第。

 そして此に併せ、弁護士なる職業が其の気になれば全国何処へでも殆ど身一つで移転し其の地で開業する事が可能である(言う迄も無いが其の地での同業との競合状態や市場性、或いは現在の顧客及び所属団体との関係等を全く加味せずあくまで物理的な側面のみから論じている)点が、気に入った土地に熱を上げては時折居住欲を高ぶらせる私にとって今更乍ら魅力的に感じられたのだ。給与所得者は言うに及ばず、同じ「一国一城の主」である開業医や商店主等でもこうは行かず、己の移動以上に資産の移動がほぼ不可能に近い場合すら存在する。そう考えてみると私は従来弁護士なる職業を此の一点に於いて過小評価していたと言えよう。尤も一般的に弁護士及び其れを志す人物が斯様な点に多大な魅力を感じているとは到底思えぬが。


2001/11/15

エロ電話攻撃

 物理的に携帯電話を携帯しているものの実際には使用する機会は殆ど無いばかりか抑も日常生活の多くを過ごす職場に於いて普段は着信音を消して上着のポケットに入れた儘上着を脱いでいる為に事実上「不携帯電話」と化しているのだ。従って着信電話を即受信する事は殆ど無く大抵が着信履歴を目にして初めて受信に気付く事となり、留守電メッセージがあれば内容を聴き、そうで無くとも着信履歴に残された番号に折り返し架電する事になる。

 今日も大阪から着信が入っており、学生時代の知人か或いは携帯電話契約先のNTTドコモ関西かと思い折り返し架電してみるとダイヤルQ2紛いのエロテープが流れて居り慌てて電話を切る事となった。

 恐らくエロテープを聴けば知らぬ間に課金される事となるのであろうが其れにしても何と卑劣な手口。とりわけ私の様に携帯電話の使用頻度がそう高くなく他人の電話番号も余程使用頻度が高くない限りメモリに登録して居らぬ場合など、何も考えずに折り返し架電せざるを得ぬ。勿論エロテープを聴かねば実害も無く収まる話なのだが、目に見る事能わぬ輩の卑劣さ振りに怒りが鎮まらぬ。


2001/11/14

ブランドのネーミング化

 昨冬発売された無糖珈琲「エンブレム」、発売元には既に「ジョージア」という缶珈琲界に於けるトップシェアブランドが存在するにも拘わらず敢えて其の範疇に属する事無く別ブランドを立て、広告のトーンも既存の「ジョージア」とは一線を画しており発売時には大層驚いたのだが、「生活に疲れた時の一時を過ごす為のアイテム」では無く本格的に味だの製法だのに拘った本格高級珈琲である事を高らかに宣言する為に敢えて新ブランドとしたという主張が感じられ、実際に口にする事により日本コカ・コーラ社の自信と気合の程が窺われたものであった。

 而るに先日、自動販売機で珈琲を購入しようとした際に「エンブレム」のラヴェルが変化していた事に気付いたのだが、「エンブレム」はブランド名から商品名に成り下がり、商品名の上にでかでかと「ジョージア」のブランドを冠していたのだ。推測するに「本格高級珈琲」路線が今一つ支持されず、TVCMから派生したドラマやCD等のタイアップで益々勢いを増す「ジョージア」の傘下に入り「ジョージア」人気に肖ると共に、既存の「ジョージア」ブランドに更なる刺激を与えブランドを活性化させるという効果が期待されたのであろう。

 他社の商品に喩えてみると、日清食品が主力ブランドの「カップヌードル」と内容的にも形態的にも競合する「日清のラーメン屋さん」をブランドとして立てるのが前者、主力ブランドの「カップヌードル」の傘を広げると共に商品の成長期をとうに過ぎ安定期を終えようとする「カップヌードル」に話題を持たせ斬新さを与える為に毎年一度は誰も知らぬし名を覚えられぬエスニック味だの奇妙奇天烈なスープと具の組み合わせの商品に「カップヌードル」のブランドを冠して発売するのが後者と言えよう。

 無糖珈琲の中でも格段の味香を感じさせた「エンブレム」が、発売後一年も経たずにカップヌードル界の「マサラ」だとか「ブタホタテドリ」だとかと同種のレヴェルの地位に置かれたのかと思うと、悲しさも一入である。


2001/11/13

麻雀ソフト

 元々コンピュータゲームを嗜む趣味はファミリーコンピュータやプレーステーション等のテレヴィゲームも含めて基本的に持ち合わせておらず、現在パソコンにインストールしているゲーム類と云えば精々将棋と四年前に購入した競走馬育成ゲーム位であり而も後者に至っては一年余り触れていない。

 其の一方でパソコンに初めて触れて以来数年の間、何度かパソコンを購入する度に必ず用いていたゲームソフトが二種類あり、一つは先述の将棋、もう一つは麻雀である。将棋については時折弄くる事があるのだが、麻雀については其の思考ルーティンの脆弱さに加え、パソコンを相手にした処で相手の顔色や反応を読むという麻雀の副次的な愉しみが味わえぬという事から暫く遠ざかっていたのだ。

 処がどうした事か近頃麻雀欲が高まり先日久方振りに麻雀ソフトを購入した。原因としては最近競馬予想が頗る不調であり、より確率の高い勝負に手を出したくなった事、併せて勝負欲を鍛え直す事により其れを競馬に活かそうなどと深層心理下に於いて考えたのでは無いかと思うのだが定かでは無い。

 そんな訳で早速コンピュータ上で麻雀を愉しんでいるのだが此が亦なかなか思う様に勝てぬ。強気に打てば多少の放銃はあれどトータルでは必ずと言って良い程プラスになる昔のソフトとは異なり、大役は愚か幾ら簡単な役であろうがコンピュータ側が私の手を聢と読み「そろそろ」という時にも当たり牌が出て来ないのだ。

 麻雀ソフトの進化に舌を巻くだけでは無い。三面以上の待ちが読めず己が聴牌か否かも一目で把握出来ぬ。更には自分が聴牌していないにも拘わらずまるで図ったかの様に当たり牌を出し放銃するのだ。己の手を造りながら他者に勝たせないという麻雀の基本極意が全く行動に現われぬ。

 とはいえ慣れとは恐ろしいもので、心血を注ぎつつ繰り返していく内に昔の勘が戻って来つつある事が自分で把握出来る位になるのだ。そう思った瞬間に「昔の勘が戻って此かよ」と情け無い気持ちに陥るのも悲しい事実である。


2001/11/12

番組編成

 何時もの如く「筑紫哲也NEWS23」を観た後惰性で「ワンダフル」を観ようとした処、米国内での航空機墜落事故の為にNEWS23に続き報道特別番組が其の儘放送される事となったのだが、ワンダフルのオープニングと報道スタジオでの筑紫哲也の挨拶とが重なり、ワンダフルお馴染みの軽快なテーマソングをバックに筑紫哲也が沈痛な面持ちで報道番組放送延長の案内を伝えていたのだ。

 只単に報道番組と小便臭い若者好みの番組とがだぶったというだけでは無く、事もあろうに眉間に皺を寄せたり変に目を伏せたりして表情を造る事無く沈痛な面持ちを感じさせる点に於いては他の追随を許さぬ(強いて言えば同じ東京放送系に於いて表情を造る事無く不平不満に溢れる表情を極自然に演出した料治直矢が存在しようが)筑紫哲也が、派手なジングルに加え「う〜〜〜ワンダフル!」である(勿論彼が此の決め台詞を口にした訳では無いが)。恐らく日本のテレヴィ番組の中でも此程迄に妙な組み合わせを感じさせるものはそうそう無かろう。

 そう考えると抑も「筑紫哲也NEWS23」の直後に「ワンダフル」を放送している事自体(而も元々「ワンダフル」が放送されていた時間帯は「筑紫哲也NEWS23」の一部であり、いわば報道番組の一部を小便臭い若者好みのヴァラエティ番組に譲ったようなものである)、東京放送の大胆さが今更乍ら窺われ興味深い。


2001/11/11

民族間抗争

 米国の攻撃を契機に益々激化するアフガニスタン国内での民族間抗争を報道で度々目にして、若し仮に日本国内に於いて全国民を巻き込む民族抗争があるとすれば如何なる属性を以て民族が分断される事となるのかについて思索を巡らせる事とした。

 抑も民族なるもの、広辞苑に拠れば「文化の伝統を共有することによって歴史的に形成され、同属意識をもつ人々の集団」とあり、更に「文化の伝統」の代表例として言語、宗教、生業形態が挙げられている。

 言語については一見一考に値しよう。関東弁、関西弁に加え九州弁、東北弁等々の文化が存在し、更に言えば関西弁一つ採り上げても大阪弁(此の中にも更に河内弁なる流派が存在したりとややこしい)、兵庫弁(此も摂津弁と播州弁とで流派が異なる)、京都弁等々が存在する。而るに此等が全国を巻き込む位の抗争に至らしむる事が可能かと言えば甚だ疑問である。東京弁由来の言語文化のマスメディアによる急速な伝播により事実上国内全体に東京弁が(用いられるには至らぬ迄も)浸透していること、産業活動の発達等により他地域との交流機会が増え、言語自体の価値が「文化の伝統」から「伝達の道具」に比重を移しつつあることなどから、現在日本に於いて「文化の伝統」としての言語は其の力を失い掛けているのでは無いかと思われるのだ。

 宗教や生業形態については論じる迄も無かろう。前者は日本国内に大小様々の宗教が存在する一方、それらがまともに意識されぬ機会が少なく好き勝手に入り乱れている事、後者は抑も日本国内に於いてはほぼ均質化されていると言える事から、抗争の生じる機会など凡そ想定出来ぬ。

 抗争の生じる余地のある「文化の伝統」を強いて挙げるとすれば、食文化が其れに該当すると思われる。主食たる米以外に嘗て日本国内を支配した食文化は存在せず、とりわけ食文化の細分化傾向は海外に於ける其れも取り込み益々進んでいると言えよう。例えば主食の脇を固める味噌汁ですら、赤味噌対白味噌、加えて鰹出汁・炒粉出汁・昆布出汁の覇権争いに終止符が付いているとは断じて言えまい。更に大きな抗争の火種としては、饂飩の出汁の色が存在しよう。

 因みに私について言えば、言語についてはちゃきちゃきの江戸っ子生活を経て「貴様の関西弁は関西弁の様で関西弁に非ず、即ち似非関西弁也」等と日々厳しい指導や叱咤を受けるに至って居り(2001/02/03参照)、既に関西弁代表として抗争に加わる資格など無い。而るに饂飩の出汁については此が若し醤油系黒出汁に統一されるという不穏な動きがあれば私は透明出汁派同士で結託して対抗勢力及び醤油工場と断固戦い、場合によっては鰹出汁や炒粉出汁を一杯に担いで醤油樽に突入するという「自爆テロ」も辞さぬ位の心積もりで居る。


2001/11/10

恩師

 学生時代に所属していたゼミの恩師は講義やゼミの度には他の学者の唱える学説を扱き下ろすのが常であり、少なくとも学内に於いては歯に衣着せぬ毒舌で夙に知られていた。毎年ゼミ選択の時期には決まって上級生から「彼はゼミで気に食わぬレジュメを目にしたら其の場で破り捨てる」だの「窓から放り投げる」だのといった噂が遍く流れ、多くの学生が其の噂や日頃の彼の言動などから其のゼミを選択肢から外す事となるのだ。

 其の中で私は敢えて其のゼミを選択する事となった。最大の理由はゼミの内容に惹かれたという至極当然のものなのだが、其れに匹敵する理由として、教官のキャラクターに惹かれたというものが存在したのだ。彼の講義を聴講していて気が付いた事として、彼が他の学者を扱き下ろす際には大抵只単に学説だけでなくどうでも良いエピソードやキャラクターを絡めて扱き下ろすのだが、此が余程の愛情を注いでいない限り誰も左様な処に関心を持たぬ位のエピソードやキャラクターなのだ。他者への攻撃の中に垣間見られる木目細やかな愛情、此が最終的に私の決意を後押しする事となった。

 ゼミという少人数の中で接していると彼の毒舌振りを此でもかという程堪能出来たのだが、私が強く印象に残っているのは以下のエピソードである。ゼミ一同が街に出る機会があり、其の途中で喫茶店に入る事となったのだが、十数名がそれぞれ珈琲だの紅茶だのを注文する中、彼が注文したのは珈琲とアイスクリームという、中年男性には凡そ似つかわぬ、否そうでなくても通常想定されぬ組み合わせの飲食物であったのだ。

 暫くして注文に応じた品が各人に供される中、彼の席に運ばれたのは温珈琲と冷珈琲であり、其れを見た彼は此処ぞとばかりに普段の歯に衣着せぬ毒舌振りを発揮して「儂が注文したのは珈琲とアイスクリームやろが。ホットコーヒーとアイスコーヒーを一緒に注文する奴が何処におるんや」と店員に食って掛かっていたのだ。店員にしてみれば、というか私を含め周囲の誰もが「珈琲とアイスクリームを一緒に注文する中年男性が何処におるんや」という心情であったと推測されるが、「此も彼のキャラクターである彼なりの愛情表現なのであろう」と思いつつ何とも微笑ましい気分に浸ったものであった。

 さて、今日四年振りにゼミOB会が開催され、久し振りに恩師とお会いする事となったのだが、彼がエレヴェータを降りて受付をする際に最初に口にしたのは、受付への労いの言葉でもOB達との久方振りの再会を懐かしむ言葉でも況や「こんにちは」「こんばんは」的な挨拶でも無く、「地図がようわからんやないか」という、会の案内状に掲載されていた地図に対するクレームであった。月日は過ぎても変わらぬものは何時迄も変わらぬものである。


2001/11/09

バビルサ

 先日の事、体調が芳しく無く早々に退社し寓居にて夢現状態でテレヴィを付けていた処、犀の様で犀で無し、豚の様で豚で無し、猪の様で猪で無しといった動物の番が交尾していたのだ。やがて意識が戻り、何やけったいな夢を見たなぁと思いつつ改めて床に就いた。

 翌日の事、偶々後輩と電話で話していた処、獣の話など滅多にしない彼から唐突にバビルサなる獣を知っているか否かと問われ、流石の私でも其れは初耳であり貴君が知っているのであれば是非教えを乞いたい旨伝えた処、朧気乍ら概要を教えて頂いたのだが、どうやら前日に偶々彼が職場で流れていたテレヴィ番組を目にした処、猪に角が生えた様な姿の其の動物がすっかり彼の心を射止めたとの事であった。即ち私が夢で見た積もりになっていた動物が現実にテレヴィで紹介されていたという事である。

 己の獣度もまだまだだわいと思いつつ改めてバビルサを図鑑やインターネットで調べた処、どうやら「豚鹿」なる異名を持ち、鹿の四肢に豚の胴体に加え、顔は猪をベースに犀の牙を装着したという出立である。まず、鹿のスレンダーな四肢に豚の胴体という時点で既に大きく道を踏み外しているでは無いか。此に加えて猪の顔に上顎の皮膚すらも突き破り更に大きく反り返って生える犬歯。馬、牛、驢馬、鹿という或る程度統一感の取れた獣を寄せ集めた四不像(2001/04/04参照)が至極真っ当に思える位不可思議な組み合わせと言えよう。

 其れにしても此の後輩もさること乍ら、バビルササイトを探してみれば国内外を問わずバビルサマニアも少なからず存在し、非常に深い獣愛を注いでいるように見受けられる。其のものの珍奇度と取り巻きの執心度とが比例している様子は、獣界にあっても普遍的な道理と同様である。


2001/11/08

羞恥心

 先日の事、朝通勤の為電車に乗り込んだ処制服を着た高校生と思しき男が床に胡座をかいて座り込んでいた。公衆道徳に欠ける阿呆餓鬼が一匹人間社会に舞い込んで来て居るわいと思い此奴の面を眺めてやろうとした処彼は其の体勢で蹲っていたのだ。彼が気分が悪く動けない状態にあるとは到底思えぬ事は、座席に居る制服を着た高校生と思しき女の太股に顔を埋めた儘顔を小刻みに動かし女は其れに応えるかの様に己の太股に存する男の髪や耳に手を当て小刻みに弄っていた事から容易に推測出来た。

 電車、而も混雑時に於いて床に座り込む事、公衆の面前で女性の股間に顔を埋める事、何れか片方だけでも、善し悪しは兎も角(前者は「悪し」と断言しても良かろう)羞恥心が著しく欠けていると判断されように、両方を同時に行うとはもう羞恥心なんぞという物差しを持ち出す事すら許されぬ位の存在と言えよう。

 そう考えると、羞恥心の「し」どころか「S」程度も存在すると思えぬ彼等が制服などという衣類を身に纏っている事が何とも不可解に思えると共に私が彼等と同様スーツに身を纏っている事が途轍もなく恥ずかしく思われ、彼等が衣類を着用しているのであれば私が同じ格好をしてても良いものか、私も最近の中東情勢報道で流行の兆しを見せているアバヤあたりで身を包んだ方が良いのでは無いか、否否其れでは足りぬ、潜水服や宇宙服で身を隠す位でないと彼等の衣服と釣り合わぬ、とすら思うに至った次第。


2001/11/07

贅沢な悩み

 書店の特定のコーナーに於いて矢鱈と馬顔が表紙を飾る書物が平積みにされて居り、遂に世間も馬との獣愛を認知するに至ったのか、否否認知などという生易しい物では無く馬との獣愛人口が爆発的に増加しているに相違在るまい、此程迄に獣愛ブームが広がればそろそろ人と馬との結婚が法制化される動きも高まるのでは無かろうかなどと思うに至ったのだが、抑も其れ以前に、来年の干支が午であり年賀状シーズン用に馬のイラストや画像ファイルを集めた書物が人気となっているに過ぎぬ事に程無く気付いた次第。

 さて来年の干支が午年だという事に気付き私は年頭の悩み(2001/01/07参照)を再び抱くに至ったのだ。即ち、巳年用に馬写真を用いた結果、「年賀状に二年連続で同工のネタを用いても芸が無い」という私の信念に従えば午年用に馬写真を用いる訳にはいかないのだ。

 今年一年間に撮影した馬写真は数知れぬ。就中北海道に二度足を運び、内一日は朝から晩迄馬に乗り接していた事が写真数の増加に大きく寄与している。而るに此等の写真を一枚たりとも使用出来ぬとは余りに勿体無いでは無いか。

 世間の人々が馬のイラストを求めて書店に群がる一方、有り余る馬写真がすぐにでも使用出来る状態にありながら一枚たりとも使用出来ぬとは、世間からしてみれば非常に贅沢な悩みを抱えていると言えよう。本人は素敵な馬写真を前に世に出せぬ苦痛を抱きつつ来年の年賀状用の写真を選定するのに此程迄に頭を抱えているというのに。


2001/11/06

エロメール・4

 元々携帯電話からメールを発信する機会は殆ど無かったのだが、半年程前から学生のメル友を得る事になり、時々メール交換を愉しむに至る。とはいっても別段出会い系サイトで知り合った異性とラヴラヴな交際を行っている訳では無く、学校の後輩(而も同性)とのメール交換に携帯電話を用いているに過ぎぬ。

 さて先日の事、其の後輩が私に幾らメールを送信しようとしても拒否されて居るという話を別の後輩から耳にし驚いた。どうやら其の後輩、メールアドレスを変更して其の告知をしようと私宛にメールを送ろうとしていたとの事であり、指定したアドレス以外のメール受信を拒否している(2001/08/19参照)私には、彼の新しいアドレスからのメールを受信する術を持ち合わせていないのだ。

 即ち、怪しからぬ事に携帯電話の此の受信制限機能、一旦相手がアドレスを変更したら最後、其の事実を別の手段で伝えない限りは相手からのメール着信が全く不可能になるのだ。今回は偶々人伝にアドレス変更の旨を知る事が出来たから良いものの、そうで無ければ此の儘双方共に不都合を感じ続けていたであろう。

 以前触れた様に(2001/08/19参照)指定したアドレスからの受信を拒否する方法も、今回の様に指定したアドレスからの受信のみを行う方法も、エロメール撃退の為には何等役に立たぬ若しくは日常生活に不都合が生じる結果となる。何とか実効性のある対策及び機能が出現せぬものか。


2001/11/05

二つの発見

 昨日東山動物園を訪れた際(2001/11/04参照)、二つの新発見があった。一つは帰り際に足を運んだ「動物会館」(2001/11/04参照)に於いて東山動物園に初見参したヤブイヌ夫妻の間に産まれた六頭の子供達の行方を問うた処、必要最小限の回答として「野毛山動物園(横浜市)」なる言葉を得た事である。無論其の後の生死だの六頭全てが野毛山動物園に行ったのかだの現在東山動物園にて訪れる人々を次から次へとイチコロにしているヤブイヌの「ゆき」(2001/11/04参照)との関係だのについては固く口を閉ざされた儘だったのだが、何時野毛山動物園に移ったのかについては1988年如月との事であった。

 此は重大な事実と言えよう。現在ズーラシア(横浜市)に居るヤブイヌが其の開設時に野毛山動物園から引っ越したという事実に加え、東山動物園の「ゆき」(2001/11/04参照)が東山動物園に初見参したヤブイヌ夫妻と何等かの関係があるという仮定を加味すれば、東山動物園とズーラシアとの双方のヤブイヌが親戚同士という事になってしまうのだ(因みにヤブイヌを擁するが故ズーラシア、東山動物園に並び「日本三大動物園」と称されている京都市動物園のヤブイヌは、チェコから直接来訪した外国人であり、国内のヤブイヌ一族とは血縁関係を認め難い)。こうなると俄然、野毛山動物園に足を運んでヤブイヌ一族の謎に迫り家系図を作成せねばという気になるのであった。

 そしてもう一つの発見。日曜の午後、ヤブイヌ舎前の休憩所のテレヴィに於いては競馬中継が放映されている事に気付いた。此で休日を過ごすにあたり、競馬中継と動物園との狭間に悩む事もあるまい。


2001/11/04

三つの誓い

 何かに惹かれるかの如く突然ヤブイヌ欲が高まり競馬中継を観る事無く私の足は自然と東山動物園に向かった。ヤブイヌは何時もの如くソプラノサックスの声色を発しつつ何時もの巡回路をぐるぐると回っていたのだが唯一何時もとの違いを感じさせたのが後ろ脚であった。どうも前脚と後ろ脚との動きがちぐはぐで、恰も後ろ脚が前脚に引きずられているかの如き歩様。此のちぐはぐさが顕著に現われたのが僅かの傾斜を登る際であり、人間で言えば尻餅に相当するのであろう、後ろ脚を滑らせてずるんと股から下半身を落としてしまう光景が何度か見られた。

 そういえば昨年の此の時期、彼女は暫し病の床に伏していたとの事。晩秋の気配が漂う此の時期、体調を崩しつつあるのか或いは年齢的なものなのか、恐らく其の両方であろう。絶好の動物日和の中で賑わうヤブイヌ舎の前で、私は考えてはならない、考えたくもない、然し何れ考えねばならない事を考えていたのだ。若し彼女に万が一の事があった場合、名も無き彼女は河馬の重吉(2001/04/17参照)の様に訃報が全国規模で伝えられる事は疎か、地元のニュース、否、東山動物園のサイトですら其の報を採り上げるとは思えぬ。只単に数が少ないというだけでなく其の天性の類い希なる個性で人々を魅了し続けてきた、私が唯一名古屋の象徴として誇る事の出来る彼女の存在が此の地から忘れ去られるのは余りに無情では無かろうか。

 其処で私は三つの決心を固く心に誓ったのだ。一つ、彼女の存在に多大な関心を抱き其れを誇りに思う人間が存在する事を管理側の動物園に認識して頂く事。一つ、東山動物園のヤブイヌの係累について調べ上げる事で日本のヤブイヌ界に於ける彼女の地位を確認及び認識する事。一つ、永遠に彼女の個性を認めるべく、名前を付けてあげる事。

 前二つの誓いを実行すべく、帰りに園内の資料館「動物会館」に足を運び、自分がヤブイヌに惹かれ多大な関心を抱いている者である事を主張し、東山動物園のヤブイヌの係累について尋ねてみた。しかし此の時は己の名刺は疎か、ヤブイヌグッズやヤブイヌ写真の類を一切持参しなかった為、「一見さん」と判断されたのであろう、ヤブイヌに関心がある旨伝えても別段反応も無く、係累に関する資料についても口頭で一言説明を頂くに留まった。いずれはヤブイヌ縫いぐるみを持参したり、ヤブイヌTシャツを作成して身に纏うなり、名刺にヤブイヌ写真をあしらって持参するなり、「エゾシカのカバリーさん」(2001/10/26参照)の如く然りげ無くヤブイヌ写真を披瀝したりで己のヤブイヌ度を積極的にアピールする事により「ほほう此の方はヤブイヌに対する目が肥えている」「ヤブイヌに執心されるとはなかなかお目が高い」と動物園側から一目置かれる存在となりたいものである。

 そして最後の誓いについては、日本のヤブイヌの中で唯一彼女にだけ名前が付いていない状況を鑑み、私にヤブイヌの存在を教え私をヤブイヌの虜にしてもう後戻り出来ない身体にした後輩(1999/05/07参照)に敬意を示し、彼の妻の名を勝手に拝借して私の心の中で「ゆき」と命名した次第。


2001/11/03

保護者機能

 パソコンのネットワークセキュリティを保つ為に使用しているソフトウェアの最新ヴァージョンのものを購入したのだが、今回のヴァージョンアップに伴い「保護者機能」なる機能が追加されたとの事であり、子供にとって不適切とされるウェブサイトが自動的に閲覧不可能となるよう設定が可能との事。

 別段私には子供が居る訳でも無し己のサイト閲覧に際し一々不適切なサイトを遮断せねばならぬ程の禁欲家でも無い。而るに此の機能を是非一度試してみたいとの意識が強かったのだ。具体的には他ならぬ「エゾシカの嘶き」が無事閲覧出来るのかが気になって仕方無かったのだ。

 「エゾシカの嘶き」が猥褻なページなどとは私も含め誰一人思っていないのだが、一方で一体何の間違いなのか「包茎写真」だの「強姦小説」だの「女性用風俗店」だのといったものをネットで調べようとして「エゾシカの嘶き」を訪れるケースが少なくない事も毎月の様に(2001/11/01参照)此処で触れている通りであり、「エゾシカの嘶き」読者層の猥褻度がネット上に於いて比較的高いと言えよう。「エゾシカの嘶き」の一読者たる私が猥褻度平均を如何に下げていようが、である。

 よもやソフトウェアが読者の猥褻度平均迄判断する事はあるまいと思いつつも、今日日の技術は我々の与り知らぬ訳の判らぬ事を容易に実現する事が可能である。最近「エゾシカの嘶き」のアクセス数が頓に減少しているのも斯様なソフトウェアの所為かも知れぬでは無いか。斯様な心配をしつつ、此のソフトウェアを導入した後、真っ先に「エゾシカの嘶き」にアクセスしてみた処、全く問題無く閲覧出来、胸を撫で下ろした次第。


2001/11/02

有名人の誰に似ているか

 テレヴィ番組の街頭インタヴュー等に於いて「貴方は有名人の誰に似ているか」と問うものが存在する。其の際問われた側が似ても似つかぬ有名人の名を口にする機会が屡々存在し、其の度に呆然とし驚愕し愧慄せざるを得ないのだが、考えてみればあくまで本人達の主観を問われている以上は第三者が其れをとやかく言おうが彼等が自分達でそう思っているのであれば此を過ちと断ずる事は不可能であろう。

 一方、冒頭の質問の更問で「ではどの部分が似ているのか」と問われた際、有名人とは似ても似つかぬ顔の輩に限って「髪型が似ている」「顎髭が似ている」などと答えているのだが、髪型や髭なんぞ後天的に何とでもなるものでは無いか。而も偶然似た訳では無く明らかに其奴が有名人の真似をしているとしか思えぬ。此は「似ている」では無く「似せている」のであり、斯様な場合に「似ている」とほざく事は過ちと言う他あるまい。「顔は似ても似つかぬが髪型や髭だけは無理矢理有名人の誰某に似せている」と申告させるなり、其の旨画面にテロップで表示させるなりする必要があろう。

 尤も、敢えて斯様な奴等を嗤いの対象とすべく採り上げているのであれば、斯様な配慮も不要であろうが。


2001/11/01

検索エンジン・2001/10

 今回の検索語ランキングは趣向を変え、「エゾシカの嘶き記念競走」と銘打ち、「EZOSHIKA BBS」に於いて検索語を予め馬に見立ててて神無月のトップに輝く検索語を読者と共に予想するというイヴェントを開催してみた。八頭立ての此のレース、一枠一番から順に、「エゾシカの嘶き」「エゾシカ」「歌舞伎町」「包茎写真」「陰茎写真」「強姦小説」「強制女装」、そして此等以外の語を八枠八番に纏める事とした。

 前回(2001/10/01参照)僅差で破れた「エゾシカの嘶き」と、見事勝利した「包茎写真」とが人気を分け合う中、「エゾシカの嘶き」が前走の直接対決の雪辱を晴らすかが見所となった此のレース、「包茎写真」が「エゾシカの嘶き」をダブルスコアで破り圧勝を収める結果となった。そして二着争いは「エゾシカの嘶き」と、前走五着からの巻き返しを図ろうとした「強姦小説」とが激しく争い僅かにエゾシカの嘶きが二着を死守する結果となった次第。次いで入線したのが初登場「女性用風俗店」。以前「女性専用風俗」が上位を賑わせて居り、此の手の需要が世間で高まっている事が窺われよう。巷間のマーケターは此の事実を聢と心に刻み込むべし。

 さて、今回出走した珍名馬は、「風俗店 唾液 咀嚼」「大阪 宿泊 女装」「アナウンサー 包茎」「包茎 アナウンサー」「映画 近親相姦 母と息子」「俺の彼女 ペット 調教 露出」など、一体何が目的で斯様な組み合わせを行ったのか理解に苦しむものが多数存在したのだ。いずれ此等の馬名も「マチカネ フクキタル」や「グルメ フロンティア」などと肩を並べる位に出世するのであろうか。

 最後にもう一頭、珍名馬を紹介する。「人の恋路を邪魔する者は馬に蹴られて」。馬名に「馬」が含まれしかも長名という、正に「エゾシカの嘶き記念競走」に相応しい馬名と言えよう。


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