エゾシカの  2002/03/01〜2002/04/30

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2002/04/21

血の日曜日

 スーツをクリーニングに出さねばと小雨降る中傘を差して徒歩で駅に向かおうとした処、小雨の程度が非常に弱いと感じた為、傘を閉じ寓居の駐輪場に戻り自転車で駅迄行く事とした。左手には衣類を無造作に入れた紙袋、右手には閉じた傘を持った儘自転車のハンドルを握り、勢い良く左旋回して車道に出ようとペダルを漕いだ。自転車などもう長年乗り慣れており、就中名古屋生活に於いては通勤途上で寓居と駅との往復に用いたりとほぼ毎日乗っており、まさか此の歳になって己に大惨事が降り掛かるとは思いも寄らなかったのだ。

 前輪が左を向けば前輪の後半分は思いっ切り右に振られる事となる。此の際右手に持っていた傘が前輪のスポークに否が応でも挟まり、此が強力なブレーキとなりペダルによる推進力と相俟って自転車毎大きく倒れる事となった。此を足で支える事が出来れば何とか助かったものの間に合わず、右手を掌から地に着き、右足は自転車と私との下敷きとなった。

 取り敢えず荷物と傘を手放し自転車を立ち上げたのだが身体全体が痛い。特に右手掌からは夥しい出血、否、流血が認められ、他にも左手も数箇所から出血している模様。取り急ぎ自転車を駐輪場に戻し寓居に戻るのだが血痕が部屋迄続き、ドアの取っ手や入口の照明のスウィッチも血に染まる。此等を一々拭う間も無く先ず傷口を水に曝した処、良く見れば最も痛みの激しい右手の月丘の皮膚がばっさり裂け肉がはち切れている。此では流水で収まるという問題では無い。私には肉を押し込む技量や根性など無いのだ。激痛は右手だけでは無く右足にも走っている。恐らくジーンズを脱げば此方も傷を負っているばかりか肉や骨を傷めている可能性もある。日曜の夜、為す術も無く私の手は無意識に電話に向かい一一九に通報していた。

 先方は平静に怪我の際の状況や現在の状況を尋ねるのだが当方は激痛と流血、其れ等に因るショックで到底冷静に話せない。左様な様子に「救急車を出しましょうか」と言われるも其処迄大事にしたくは無い為、此を断り救急病院を尋ねた。案内されたのは救急病院を案内する専用の電話番号。止血及び飛び出た肉を守る為にタオルで固く覆われた右手が使えず、電話を床に置き顔毎床に押し付け左手で何とか電話番号を記録する事が出来た。其の後其処に電話して病院を紹介され、同様の方法で病院の電話番号を記録し、病院に架電し今から向かうと伝えた次第。

 隣駅の近くにあるという其の病院、当初は電車で行く予定だったのだが、右手右足の止まらぬ激痛に加え、右手をタオルでぐるぐる巻きにした状態で定期券を出し入れせねばならない事から結局タクシーを拾う事となった。此なら最初から救急車を呼んでいた方が早いわ安いわ安心出来るわで利点尽くめであった。

 何とか病院に着いて車椅子に乗り、取り急ぎ右手の治療をという事で局部麻酔を受け四針縫った。高校時代ラグビーで口唇を負傷し縫って以来の縫合となった。右足についてはレントゲンを撮り「骨には異常無し」という事で片付けられそうになったのだが、挫傷の手当に加え、気休め的に湿布を貼られるに留まった。他の箇所の傷については医師も私も関心は失せていた。取り敢えずは縫合部の消毒の為にGWも含め毎日通院する様指示を受け、今度は電車で帰宅の途に就いた。衣服、とりわけジーンズが血で染まっていたのに気付いたのは寓居に着いた後であった。車内ではさぞ注目を惹いていた事であろう。

 御陰でスーツがクリーニングに出せなかったばかりか、逆に血痕で汚してしまった。そんな事より、暫く右手が痛みと包帯とで使い物にならず、仕事ではパソコンや筆記、生活上は箸を用いた食事が出来ぬ事、更には、予定のある仕事を全てGW後に回して今年のGWこそはゆっくり何処かに行こうと計画を立てようとしていた矢先にGWも通院の憂き目に遭った事が、怪我と同じ位悲しくて堪らぬ。

 

2002/03/23

乳の神秘

 此処暫く自炊生活の為ほぼ毎日の如くスーパーに足を向ける内に気付いたのだが、近年のヨーグルトのパッケージ、風味や舌触り等にも一切触れられる事無く乳酸菌の種類が商品名であるかの如くでかでかと記されており、其の結果商品の惹句も其の乳酸菌をアピールするかの如きものになっているようである。其の中で私の目を惹いたのが「乳の神秘」なる惹句。恐らく「牛乳から驚異的な乳酸菌が誕生する」なる本来の趣旨を伝えようとする為のものであろうが、生憎私はかねてより言語面に於ける「乳の神秘」を強く認識していた余りに、本来の趣旨を存分に受け止める事は出来なかったのだ。

 蛇口と水、電池と電気、陰茎と精液、尻と糞などといった対比を見る迄も無く、排出元と排出物とは異なる名称で呼ばれるのが常である。鼻から出る液体を「はな」と言うでは無いかと反論が有ろうが、漢字では「洟」となり、音は同じだが異なる名称であると言えよう。大体排出元と排出物が同一名称で有れば日常生活上多大な不都合が生じるでは無いか。而るに「乳」は唯一其の例外と言えまいか。乳を出すのも乳、乳から出るのも乳。其れでいて日常生活上不具合が生じている訳でも無く、皆平然と「乳を揉む」「乳を飲む」などと同一単語を用いているのだ。常識を超えて居ながら誰も不自由せぬという奇妙且つ不可思議な「乳」なる語の用法こそ正に「乳の神秘」と呼ぶに相応しかろう。


2002/03/22

長期休暇

 高校三年の夏季休暇ともなると部活も無く予備校の講習会や模擬試験等で日々忙しなく過ごしていた。元々夏季休暇が半月余りしか無い高校、何もせずとも忙しない事に変わりないのだが、私の場合山中深くに存在する実家の周辺に予備校など存在せず、休暇中の大半の間大阪や京都で親戚宅やホテルを拠点として予備校に通っていた為、異なる環境で一層の忙しなさを感じていた次第。

 そんな忙しない夏を前に、後輩から一つの宿題を課せられた。休暇中の自慰回数を日毎に記録し休暇明けに報告せよとの事。今から思えば一体彼が如何なる目的で左様な情報を収集するのか、何故私が一々左様なプライヴェートな情報を馬鹿正直に開示せねばならぬのか噸と見当が付かぬのだが当時の私は若気の至りであろう、深く考える事無く宿題を受け容れるだけでなく「折角やから後輩が吃驚する様な回数をこなしてやろう」とすら考えていたのだ。

 講習会で実家を離れる迄の間は日々精々一二回程度だったのだが其の直後、京都のホテルに宿泊して京都と大阪の予備校とを往来していた五日間については、昼間は勉学に没頭、ホテルでは自慰に没頭という生活であった。結果、五日間で二十四回、就中最終日に至ってはホテルで過ごしていた時間の内食事等を除く五時間で八回という、今振り返っても過去最高の回数を行う事となった。流石に途中からは「おれ何やってるんやろ」という虚無感が心身を襲いかけ、九回目途中で虚無感が極限に達した事、「今日は八月八日やから八回で丁度良かろう」という達成感を抱いた事から、打ち止めとした次第。

 結果最終的には十九日間で四十一回。喜び勇んで後輩に報告した処彼は己が課した宿題を完璧に亡失していた為私は途轍も無い虚脱感に襲われる事となった。

 其れはさておき現在の長期休暇、薬の副作用なのか知らぬが性欲が湧かず勃起すら意の儘にならぬ。先日怪しげな薬局にて数千円の怪しげな勃起薬を購入し服用してみたのだが別段効果は表れず終い。何処彼処問わず湧き上がる性欲も困りものであるし勃起の必要性が問われる場面にそうそう出会している訳でも無いのだが、性欲をも上回り兼ねぬ精力を持て余していた高校三年の長期休暇を現在の自己の状況と比較するに連れ、哀しさを感じずには居れぬ今日此の頃。


2002/03/21

旅欲の行方・2002/03

 多忙な時期に限って旅欲がむくむくと己の中から生じるのだが、いざ一月近い休暇を過ごす事になるとなかなか旅欲も湧かぬ、否正確には湧かせる事は困難である。本来此の休暇は治療に専念すべしとの事で頂いており、週に一度は上司への病状及び近況報告を行う身、易々と旅に出ている事が判明すれば「彼奴は結局ずる休みをしているだけなのか」と解釈され兼ねぬ。本来己の趣味にじっくり浸るのが最良の薬であると医師からも告げられているのだが職場との無用な軋轢を気に掛ける位であれば左様な行動を取らぬ方が賢明と判断した次第。抑も週一度の割合で丸一日掛けて通院している事から長期旅行は不可能なのだ。

 そう思いつつも、縦令治療休暇を取得して居ずとも、卯月から最繁忙期に突入するにあたり、一度位弥生に旅行に出掛けている筈と思い、旅欲への抑制を解除して此の週末に旅行に向かう事とした。先日くるりの新曲のプロモーションヴィデオを目にした処、舞台となっている夜明けの海岸が非常に歌と合っており素敵に感じられた事から、海の見える場所という条件で旅先を選定。海外や北海道など、趣味性が極めて高く職場との無用な軋轢が懸念される場所を考慮から外し、通院を考慮して旅行帰りに兵庫の医師に足を運べる場所を選ぶ事とした。出来る事なら薬を服用しつつぼーっとして居られる、滞在して風光明媚な場所を目にする事が可能な場所としたいと思い真っ先に想起したのが小豆島(香川県)。そういえば睦月にも香川に足を運んだばかりでは無いか(2002/01/12参照)と思いつつも、あの旅行は旅欲の発露というよりは饂飩欲の発露であり今回のものとは些か趣旨が異なるのだと思い直し、宿と交通手段が確保出来る事を確認の上、小豆島が正式に旅欲の目標となった次第。主要な観光地は小学生の時の親戚一同との旅行や学生時代のゼミ旅行で巡っているものの、前者は記憶の彼方に在り、後者は霜月であったにも拘わらず台風に見舞われろくな観光が出来なかった事から、今回は新鮮な気持ちで観光出来ようと期待する次第。尤も、私につきものの「旅先での大雨」に見舞われれば、一挙に詰まらぬ旅行に陥る事が明らかなのだが…。


2002/03/20

玉筋魚

 春が訪れんとする僅かな時季に限り、私が贔屓にしている牡蠣サイトに於いて玉筋魚が販売されるのだが、丁度日々自炊を行っている折、調理欲も相俟って購入を申込む事とした。そして本日玉筋魚が到着。内容は玉筋魚を丁寧に茹で上げた所謂「釜揚」と、じっくりと天日で干した「干し」の二種類。元々小魚の釜揚は其の食感と淡泊な味が好みなのだが、スーパー等で偶に購入するものの矢鱈と塩味が利き過ぎて居たり仄かに苦味を感じたり視覚的にも不必要に白かったりとで「うむ此は」と思い食せる機会がそうそう無く、今回の玉筋魚に期待していたのだ。

 先ずは届いた釜揚を其の儘口にしてみた処「魚を茹でた」としか言い様の無い純粋且つ素朴な味。決して魚本来の味を邪魔せぬ塩味が適度に利いている。此の儘だと自制の効かぬ儘全て喰らい兼ねぬと思い途中から御飯に塗して食すが、御飯の熱気にも身崩れする事無く生と変わらぬ味形を御飯の中で誇る。そして最後には釜揚に鰹出汁を掛けて澄まし汁にしてみた処、出汁と釜揚との相性は頗る良く、釜揚の塩味が五月蠅くも無く目立たなくも無く、更には食感と味とが出汁とマッチしており、おお此ぞ春の味哉と、口中に春が訪れた感を抱くに至る。

 其の一方で干しも食す。五百グラムという量が小型段ボール一杯分にもなるとはつゆ知らず先ずは分量に圧倒されるも、お八つの如く摘んで口に運んでみた処此が全然止まらぬ。此の儘では一日中「カウチイカナゴ」で過ごし兼ねぬと思い、自制を掛けてやっと食が止まる位に其の歯応えとしがしがと噛んだ時に口中にじわっと拡がる魚と太陽の味が堪らぬ。次いで大量の胡麻と和えて御飯に塗す。干しの味と胡麻の香ばしさが御飯の熱気で一層増す。そして最後に此の御飯を湯漬けにして胃袋に掻き込めば、御飯のさらさら感と干しや胡麻の適度な歯応えが相俟って愉しい食感。更に湯に魚と太陽の味が染み渡り、舌や歯から喉越しに至る迄其の魅力を感じ取る事が出来るのだ。此だけの贅を感じても干しは未だ段ボールに半分以上残っている。暫くの間此の贅を感じる事が出来る、否、段ボールから干しが無くなる迄此の贅を感じ続けねばならぬと考えれば、いわば「至福の拷問」と評するに相応しかろう。


2002/03/19

奇妙な小旅行

 此の長期休暇を過ごすにあたり己に課している事がある。必ず一日数時間は外出する事、外食を控え出来るだけ自炊する事の二点、何れも精神的不衛生を避けるべく、手軽に気分転換を行ったり生活への刺激を与える為に心掛けているのだ。

 大抵の場合は自転車や電車で買い物に向かい、最後にスーパーで食材を購入する事で両者が満たされるのだが、斯様な生活を何日か送れば刺激も薄れよう。電車に乗って買い物に向かう途中で徐に其の儘電車に乗り続ける事とした。嘗て毎週の如く出張で慣れ親しんだ沿線風景を眺めつつ小一時間程して終点に着けば丁度駅前のバス停で高速バスが出発を待っていた為、目的地や時間や運賃を何も考えぬ儘乗車する事とした。

 車窓の風景を愉しむ一方で何処で下車しようか思案している内、気付けば終点の飯田(長野県)迄やって来た。飯田と言えば確か動物園が存在した筈と思いつつも時刻は既に酉の刻、陽も暮れた中で何をしようかと考えようとした矢先、名古屋に向かうバスが出発を告げようとしていた為、又何も考えずに其の儘乗車し車中で微睡みつつ名古屋に到着。

 結局何が目的で何を行っていたのか。滅多に足を運ばぬ地で何もせぬ儘滞在時間は僅か五分、本来一日懸けて周回してもおかしくない行程。余りに勿体無い他県訪問と思いつつも、抑も私の旅の原点は気の赴く儘滞在地も決めずに寝袋一つで列車で揺蕩う行為であった事を思い出し、今回の如き奇妙な小旅行こそ精神的健康を保つ手段として相応しいのでは無かろうかと感じ入った次第。


2002/03/18

献血手帳

 そう言えば献血十回表彰(1999/07/16参照)を受けて以来此処数年献血を行っていなかった事に気付き、日々他人様の役に立つ事無く、就中此処暫くは働きもせず病気治療を行っている己の不甲斐無さに嫌気が差すと共に、斯様な状態の中、何等かの形で他人様の役に立ち己の存在意義を証明したいという気持ちが高ぶり、献血に向かう事にした。実は昨日も献血ルームに赴いたものの営業時間外との事で宿願叶わず、本日改めて出直した次第。

 久し振りという事で若干緊張しないでも無い。此処暫く通院の度に備付けのセルフ血圧計を用いて計測しているのだが、俗に血圧の正常値とされる「年齢+九十」を常に下回っている状態であり、過去の「献血直後の貧血・失神」なる恐怖(1999/07/16参照)が頭を過ぎっていたのだが、献血欲が其れを上回っていた。此に加え心中では、高校時代から用いていた献血手帳が証明印で一杯になりやっと更新される喜びを密かに期待していたのだが。

 血管が浮き難く針が刺し難いと彼方此方の医師の間で頗る評判の悪い私の腕、何れの腕から採血するかと問われても「取り敢えず針を刺し易そうな方を選んで下さい」とクイズの出題者の如く応えるしか無い。看護士に散々難儀な思いをさせた後やっと採血が始まるが「これは時間が掛かりそうですね」と早速宣告を受ける位血圧も弱かった模様。結局予想していたよりは早く採血が終了し、控室にて無料飲料を嗜みつつ「取り敢えずは失神の兆候は無さそうやな」と一安心。

 其の一方、更新された新しい献血手帳、本来期待していた筈だったのだが、判子で一杯の初代献血手帳と比べつつ記載がすかすかの手帳を眺めている内に、「嗚呼又一から出直しやな」と些か残念な気持ちを抱くに至った。どうやら私が常時携帯している献血手帳、己の世間への貢献度を確認する為の精神的バロメーターであった様である。


2002/03/17

記者と嘶き

 暫く前の事になるが、新聞紙上で見覚えのある名前を見付けた。確か此の方は「エゾシカの嘶き」の読者では無いか。書かれている内容に目を通せば此が新聞記事にしてはなかなか辛辣極まる。老若男女を問わぬ最近の公共マナーの悪さを逐一俎上に上げ「邪魔です」「苦情は多い」「迷惑です」「やめてもらいたいです」などと厳しい言葉が続くのだが、私としても常に同様の怒りを抱いており時には「エゾシカの嘶き」の作品上で触れずには居れぬ位である。新聞紙上では滅多にお目に掛かる事の無い辛辣表現が私の心中を端的に代弁していた事が非常に心地良く感じられると共に、私自身も一層「エゾシカの嘶き」に於いて己の心中を余す所無く表現すべしと意を固くした次第。

 そう思いつつ先日此の方にメールを差し上げた際に此の話題に触れた処、思わぬ返信を頂いた。元々此の方、公共マナー向上の為には自己と他者双方の努力が必要なる旨表現した処、新聞記者が「怪しからん輩が多過ぎる」なる趣旨で記事にしたとの事。左様であったか。

 其れにしても己の表現が勝手に趣旨を変えられて公になるとは。得も言えぬ恐ろしさを感じると共に、他者の表現の一部が偶々己の意に叶っていた為其れを心地良く感じ公にするという点に於いては、此の新聞記者の編集行為と、私の本作品に於ける第一段落とではそう差異が無いのでは無かろうかと、執筆しつつ感じ入った次第。


2002/03/16

即席饂飩出汁でお嘆きの貴兄に

 此処暫く出張や通院の為関西方面に足を向ける機会が多いのだが、記憶に留めていれば其の都度「きつねどん兵衛」を大量に購入する事にしている。無論、名古屋では味わえぬ関西出汁ヴァージョンを堪能するのが其の目的である(2001/10/19参照)。

 処がどうも最近購入せずに名古屋に戻って来る機会が多い。大阪や新大阪や京都など、乗換で使用する大駅の周辺にはそうそうコンヴィニが存在せず、乗換の僅かな時間でコンヴィニ迄往復するのは至難の業である為、一歩街に出る序でが無ければなかなか購入しようという気にならぬ。

 購入の機会が存在するにも拘わらず購入せずに帰宅するというのは非常に歯痒い。其処で私は「どん兵衛関西出汁ヴァージョン」の代案をふと思い付き、実行に移す事とした。普段用いるスーパーで一旦「どん兵衛関東出汁ヴァージョン」を購入するのに併せ、鰹節も購入する。そして食する際、「どん兵衛」添付の粉末出汁を用いず、どん兵衛カップに可能な限り、袋一杯を入れる位の積もりで鰹節を詰め込む。一旦麺と揚げをカップから抜き、鰹節を詰め込んだ上から再度麺を押し込む等、工夫は怠らぬ。其処で湯を注ぎ待つ事暫し。仄かに色付いた出汁で浸された麺と揺蕩う鰹節、そして其等を支配するかの如く鎮座する揚げ。本来此処で鰹節を引き上げるのが、時間の経過と共に出汁を無用に苦辛くせぬ必要条件なのだが、出汁を採った後の鰹節をしがしがと噛みエキスをチウチウと吸うのが密かに好きな私(2002/01/15参照)は敢えて鰹節を残した儘食す。此が非常に美味であり、関東出汁文化圏に於いても非常に美味しくどん兵衛を食す事が可能となる、画期的な発見となった。

 鰹節を選べば「どん兵衛関西出汁ヴァージョン」をも凌ぐ味かも知れぬ。気分次第では炒子をブレンドするなどして自分専用の関西出汁味を発見するのも亦一興。此の発見が嬉しくて嬉しくて堪らず、私同様の悩みや嘆きを持つ、関東出汁文化圏に於ける関西出汁文化人に対して、是非此の嬉しさを共有せんと此処に紹介する次第。


2002/03/15

空中庭園

 深夜に大阪に居た際突然御上りさん的精神が発揮され、(少なくとも大阪に於いては)数年前よりの話題のスポットである空中庭園から夜景を臨む事とした。ツインビルの屋上を無理矢理繋げ、其処を屋内からも屋外からも周回する事が可能という、眺望面を考えると御上りさんで無くとも嬉々として利用したくなる様な施設である。

 最上階の一歩手前迄、此の手の建物ならではのシースルーエレヴェータで高所恐怖症の私(1999/12/16参照)に散々恐怖感を植え付けた挙げ句、終点から最上階迄は今度はシースルーのエスカレータが待っている。怖がる私を嘲るかの如き不必要に凝った趣向に対し思わず、全国一千万人を超えると推測される高所恐怖症の方々の心境を慮ってしまったのだ。

 兎にも角にも、屋内最上階には到達した。大阪在住経験は僅か半年であるものの、大抵の親戚が大阪に密集している事等から土地勘はそう薄い訳では無く、眼前に広がる大阪の街を、地域毎に於ける想い出と絡み合わせて夜景を愉しんでいた。

 屋内最上階を一頻り回れば後は屋外に出るしか無い。屋外に至る案内板は、何を血迷っているのか、何処から転用したのか、よく高級旅館やホテルや結婚式場にて「○○の間 ××会議」だとか「歓迎 △△様御一同」だとか「□□家 ▽▽家 御親族控えの間」などといった立て看板に、其れと全く同じ字体で「屋上展望台入口」と記されているのだ。恰も私がこれから味わう恐怖を祝するかの如き挑発的態度であると言えよう。

 景色自体は非常に素晴らしいものであった。恐らく大阪の夜景としては、学生時代生駒山(大阪・奈良)の展望台から観たものをも凌駕し兼ねぬ位のものであった(尤も大阪で夜景を愛でた経験が今回を含め二度しか無いのだが)。それだけに、「幻想的な雰囲気を醸し出す」なる趣旨で、中途半端に色付きの人工霧が時折噴霧されるのは頂けぬ。然も噴霧されるのは足下にも及ばず、別に景色自体が其れにより幻想的になる訳で無いばかりか、偶に舞い上がった霧が衣服を濡らし兼ねぬ。どうせ夜更けに濡れるのであれば適切な相手と別の場所で別の物を濡らしたい処である。

 そうこうしている内に風景を十分に堪能し、再度屋内に入った処驚嘆すべきポスターを眼にしたのだ。「大阪出世タワー七巡り」なるイヴェントが今月一杯催され、大阪府の主要(後述するが「主要」なのか?)七タワーを全て巡る場合、入場料金が割安になるというものとの事。首都圏であれば、記憶にあるだけでも東京タワー、聖路加タワー、恵比寿ガーデンプレイス、東京都庁展望台、ワールドトレードセンター、サンシャイン60、後強引に横浜ランドマークタワー、或いは都内に拘るのであれば、漁色家として名高い私の嘗ての上司が女性を口説き落とす為に不動産業者を散々連れ回した挙げ句ゲットした、都内で最高とも言える夜景を誇っていた板橋区のマンション辺りを入れれば立派に「タワー七巡り」が成立しようが、大阪の場合、高層建造物の大半はホテルであり、私の場合「タワー七巡り」などしようものなら高層階のバーで飲めも出来ぬ酒を片手に「あーあ、此処の入場料は実質五千円かよ」などと呟かねばなるまいという懸念が生じ兼ねぬ。

 そして実際にポスターの中で「大阪出世タワー」と称される建造物を眼にして私の驚嘆が始まった。「空中庭園」「ワールドトレードセンター」「りんくうゲートタワー」迄は「タワー」として相応しい。「通天閣」もまあ良かろう。而るに「堺市役所展望室」。まあ東京都庁の展望室も開放している事だし、と思いよく観ると僅か二十一階との事。勿論此でも十分高いのだが、強いて「出世タワー」とするには疑問符を付けざるを得ぬ。そして「大阪城」。貴方は何時からタワーなる称号を得たのか。極めつけには「四天王寺」。そりゃ「どこがタワーちゃうねん!此こそ正に立派な由緒あるタワーやんけ!」と言われれば反駁する言葉は見付からぬし、四天王寺の伝統も知っていれば四天王寺と夜景との関係もポスターに紹介されている。而るに先述の摩天楼に並べる意義がどの程度存在するのか。大体、ポスターの中でも、高層ビルに囲まれた大阪城と四天王寺五重塔はポスターの内容を観る以前に、何かのミスプリントでは無かろうかと私の目を長時間に亘り惹いていたのだ。

 そう思いつつ今回の夜景、此の時の笑いも相俟って、金のそう掛からぬ夜の愉しみとして十分なものであった。


2002/03/14

君の名は

 昨日のヤブイヌ訪問で判明したのだが、彼女は清掃員のおばちゃんに「ややちゃん」と呼ばれていた。思わず私は其の場でおばちゃんに「彼女は『ややちゃん』という名前なのですかあああっ!」と驚喜しつつ問うた処「いやぁ、私等が勝手に呼んでるだけよ」との返答が帰ってきたのだが、少なくとも清掃員達の間では「ややちゃん」なる名前が罷り通っている模様。今迄私は名も無き彼女を後々語り継ぐ為に個性の重要な一要素である名前を付与すべくあくまで私の心の中で「ゆき」と命名していた(2001/11/04参照)のだが、此で思う存分彼女を「ややちゃん」と呼ぶ事が出来る。例えば日常生活に於いて、夕陽に向かって彼女の名を叫んでみたり、相合傘の下に私と彼女との名を記してみたりする事が可能となるのだ。

 此の後相談担当係員に、ヤブイヌの病状を尋ねがてら、念の為「ヤブイヌには名前が付いているのですか」と問うた処、「彼にはカバの重吉のような名前は無く、飼育員が適当に名前を付けているようですよ。具体的には知らないんですが」との事。ヤブイヌの現場で呼ばれている名前を知らないのは兎も角、幾ら何でも老淑女に対して「彼」は有るまい。


2002/03/13

祖母とヤブイヌ

 先月京都市動物園にてヤブイヌのチエコ嬢の御転婆振りを目の当たりにした(2002/02/23参照)だけに、東山動物園のヤブイヌの様子が気になりつつも、会いに行くのに一抹の不安を感じざるを得なかった。前回の密会に於ける彼女の様子が余りに痛々しかった事(2001/11/04参照)から、熱帯好きの彼女が無事に冬を越せたのであろうか、昨冬同様「病気の為公開中止」となっているのか、或いは最悪の事態を引き起しているのか、更新頻度の高い東山動物園ホームページもどういう訳かヤブイヌには冷淡で、動物紹介コーナーのヤブイヌ欄には、未だに夫が健在だった数年前の記事が掲載された儘である。畢竟自分で彼女の様子を直接此の目で確かめる以外、私の不安は解消される事は無いのだ。其れが縦令、安堵で解消されようが、悲嘆で解消されようが。

 電話で東山動物園に尋ねれば済むのであろうが、ヤブイヌへの関心が高いとも思えぬ相談担当係員は悲報であろうが淡々と述べるに留まるであろう。激しい感情を共有出来ぬ時程孤独感や疎外感を味わう事は無い。其れ位なら己一人で激しい感情を持て余す方がましである。そんな訳で今日東山動物園のヤブイヌ舎を訪れる事とした次第。

 果たして私の不安を解消するかの如く、此処数日にしては珍しく気候が落ち着いた所為か、彼女は何時もの寝床の内の一箇所で太陽を全身に浴び昼寝をしていた。小一時間程彼女の前のベンチで時を過ごしていた処、彼女は目覚めたのだが、其の寝惚け眼に私は強い違和感を覚えずには居れなかったのだ。寝起きという事を割り引いても、何時ものキュートで円らな眼とは程遠いばかりか、敢えて眼を開こうという意思すら感じられなかったのだ。結局彼女は眼を半開きにした儘、舎内を二三周してはすぐ歩くのを止め、暫しの微睡みに就く、といった行動を繰り返していた。そして前回最も気になっていた、踏ん張りの利かぬ後脚は一層酷くなっており、完全に前脚に引っ張られて無理矢理動かされているといった様子であった。

 其の痛々しい様子に併せ、彼女の眼前で見守るだけで何一つ出来ぬ己の無力さに耐え切れず、私は彼女の眼前から姿を消す事にし、せめて彼女の惨状を相談担当係員に訴えねばと、事務所のある園内の「動物会館」に足を運んだ処、相談担当係員は当然其の事実を承知しながらも、「実はつい最近迄彼女は病院と自舎裏(客から見えぬ場所)とを往復しており公開して居なかった」「脚が悪いのは老化の所為であり如何ともし難い」「今後新たにヤブイヌを招聘する予定は無い」との事。即ち彼女は恐らくヤブイヌ仲間の誰からも看取られる事無く其の時を迎えるという事である。彼女と、痴呆と癌とで日々決して快方に向かわぬ儘数年間家族と離れ闘病生活を送りつつ最期を迎えた祖母とが私の中で重なり、幼少から親以上に世話になった祖母に対し、病床に就いてから二度しか対面せぬ儘亡骸と対面する事になった不孝を省み、ヤブイヌには彼女にとって最も幸福な余生を送って頂く為にも東山動物園の動向には聢とアンテナを向けねばと、其の場で「東山動物園友の会」に入会した次第。


2002/03/12

己の道を貫くには

 基本的に「エゾシカの嘶き」の執筆にあたり、其の文体及び表記については日本語として明白に誤って居る訳で無ければ、国語審議会等の公的機関、新聞社及び出版社、辞書・事典等、此等の見解等を認識しつつも敢えて安易に妥協する事無く己の道を貫く事としている。然し敢えて己の道を貫く事を断念した表記が少なくとも二つ存在するのだ。「おののく」を「戦く」、「したためる」を「認める」と己の中で表記すべきと強く考えており嘗ての作品上では実際に使用していた此等の表記、何れも最近では平仮名で表記する事としている。

 前者については、「戦く」なる一見勇ましそうな漢字表記と「おののく」という精神的後退とがどうもアンバランスに思え、通常人の漢字水準に於いて「戦く」なる表記を正しく理解する事は困難では無かろうかと思われる為、私をして「戦く」なる表記を用いる事をおののかせるのだ。後者については、「認める」なる表記が「したためる」「みとめる」の両者を含んでおり、通常人の漢字水準に於いて「エゾシカの嘶き」の中で正確に両者を区別して判読する事は困難では無かろうか、其れ以前に「認める」を「したためる」と認識する事自体が困難では無かろうかと思われる為、縦令「したためる」の意味であろうが平仮名でしたためざるを得ないのだ。

 大体一般人で無くとも、恐れ震える様子に何故「戦」なる文字を用いるのか、書き留めておく行為に何故「認」なる文字を用いるのか、(後者は何とか理解出来なくも無いのだが)一抹の疑問を抱かずには居れぬ。

 「ゆとり教育」「心の教育」云々以前に、今後の国語教育に於いては是非此の二点の疑問を氷解させ、正しい用法用例として遍く認めさせる事が必須と言えよう。そうで無ければ「エゾシカの嘶き」に於いて私が完全に己の道を貫く事が出来ぬのだ。


2002/03/11

芸能レポーターの職責

 相撲取り、或いは元相撲取りの結婚に関する報道を目にする度に不思議でならぬのは、彼等に対して私が何時も抱えている非常に重大な関心事について、インタヴュー等で全く触れられず、本人達も語ろうとしない事である。

 元来私は所謂「芸能ワイドショー」的な存在を好まず、学生時代は縦令暇であろうが一度たりとも寓居で芸能ワイドショーを目にした事が無い位である。而るに相撲取り、或いは元相撲取りの結婚については、其のインタヴューに対し多大な関心を抱かずには居れぬのだ。

 言う迄も無いが、他の芸能人同様、彼等の結婚自体には全く関心が無い(無論相手が年齢差が異常に大きい相手だとか同性だとか獣だとかという事で有れば話は別である)。問題は、夫婦性生活が如何なる体位で行われているかである。通常の芸能人で有れば左様な事など私の関心に足らぬ(尤も世間に於いては「あの人気タレント夫妻は松葉崩しが得意!」という事になれば、此を真似して「今日の君はまるで○○の様に美しいよ」「じゃあ貴方は××ね」などという会話を交わしながら松葉崩しに勤しむ光景が繰り広げられよう。松葉崩しなら兎も角、此が燕返しだの宝船だのといった無謀な体位であれば彼方此方で深夜に外科医や接骨院が大忙しという事に成り兼ねぬ)。而るに相撲取り、或いは元相撲取り夫妻については如何なる体位で性交が行われているのか気になって堪らぬ。通常に考えれば勿論騎乗位等の女性上位で行われるのが基本なのであろうが何時も其れでは飽きよう。偶には大掛かりな器具を用いたり、体重を感じさせぬ様水中等で行ったりするのであろうか。所謂芸能レポーターは何故挙って此程迄に肝心な質問を避けているのか。此では己の職責を果たしているとは言えず、「芸能レポーター」なる肩書きを即刻捨て去るべきである。

 只でさえ巷間に於ける元相撲取りの再婚云々なる報道を耳にし、抑も彼の陰茎は縦令勃起時と雖も腹の脂肪に埋没している事が容易に推測され(此は確認したくも無いが)、一層性交時の体位が気になって仕方無いのだ。ひょっとすると既に「芸能ワイドショー」では頻繁に触れられており、朝の報道番組紛いのワイドショー程度しか目にせぬ私だけが知らぬだけなのか。


2002/03/10

乗馬の後

 今回は只単に己の馬欲を満たすのみならず、「エゾシカの嘶き」のコアな読者の馬欲を満たすべく、いわば「乗馬ミニオフ」的なイヴェントが開催された。其れにしても参加者が彼と私との二名、先に言い出したのも彼、乗馬倶楽部への申込みや日程調整等は全て彼が実施、而も乗馬倶楽部への交通手段が彼の自家用車といった状況を恰も私が主宰であるかの如き「ミニオフ」と言うには相当烏滸がましく思えるのだが。

 其れはさておき、所謂「乗馬セラピー」なる分野が確立している昨今に於いて、乗馬の悦びを味わうと共に他者と共有し合う事が私の病にも少しでもプラスの影響を与えるであろうと信じ、晴天の下二人で馬欲を満たす事となった。メニウは通常の体験レッスン通り、僅か三十分程度での輪乗りであったのだが、彼にとっては初めての、私にしてみても久し振りの、馬との接触を存分に愉しむ事となった。惜しむらくはレッスン終了後、馬に水を与える以外には彼等といちゃつく機会が殆ど無かった事であり、コアな読者が獣愛を存分に嗜んだか否かは定かでは無い。

 其の代わりと言っては何なのだが、夕食を「天下一品」で摂る事となった際、店内で偶然獣顔の後輩(2001/04/27参照)一家と出会す事となり、メインイヴェントの獣欲発散後も期せずして締め括りは獣となった。流石に彼で獣欲を満たす訳には行かぬのだが。


2002/03/09

牡蠣鎮魂祭

 私が其のサイトと併せ贔屓にしている牡蠣の通信販売が愈愈シーズンを終えるとの事で、慌てて牡蠣を注文し、今シーズン若牡蠣から熟牡蠣迄様々な味を提供して呉れた牡蠣への感謝と、来シーズン以降更なる美味しい牡蠣を口に出来る事を祈る為に鎮魂祭を行う事とした。「祭」と名乗る以上、前回の「牡蠣祭り」(2002/01/26参照)とは異なり出来れば盛大に挙行したいと思い、親しい後輩の中では珍しく配偶者を有していないヤブイヌ似の後輩に声を掛けたのだが、生憎以前牡蠣に中ったとの事で敢え無く断られ、結局前回の祭り同様一人で実施する事となった次第。

 早朝に牡蠣を受け取った後暫し微睡み昼頃起きて早速眠気覚ましの珈琲代わりに、前回よりも一回り大きくなった感のある完熟殻付き牡蠣を次々と電子レンジへ抛り込んでは殻を割って胃袋に抛り込む。正に「ぷっくり」という言葉其の儘に膨れている牡蠣身、膨れた分だけしっかり美味もぷっくり含まれていた。其れにしても此の牡蠣の電子レンジ蒸しを食する度に思うのだが、一昔前迄誰もが親しんできた「やめられない止まらない」なるスナック菓子のキャッチコピーは此の牡蠣のレンジ蒸しにこそ相応しいのでは無いかと思えてならぬ。そう言えばスナック菓子の方も原料が海産物というのは奇遇である。

 さて此だけで鎮魂祭は終わらぬ。剥き身牡蠣を半々に分け、一方は牡蠣飯として炊き込み、一方は夕刻の牡蠣鍋用に保存しておく。そして牡蠣飯が炊き上がり夕食の時間を迎え、牡蠣鍋を拵える。具材にはあれこれ考えず、鍋の中で牡蠣と最も相性が良いと考えられる白菜キムチのみを用いて味噌で炊く。厨房は牡蠣蒸しの香りが未だ残る中、炊飯器から出て来た蒸気による牡蠣の香り、そして牡蠣鍋の香りと、もう香りだけで存分に満腹に成り兼ねぬ位の状況であった。しかし胃袋に納めねば鎮魂にならぬ。部屋の暖房を敢えて切り、鍋を食する事でのみ暖まる事にする。淡泊な牡蠣と白菜が濃厚な唐辛子と味噌と共に、一口で二度美味しい味を与えて呉れる。其れにしても牡蠣鍋を食する度に思うのだが、一昔前迄誰もが親しんできた「一粒で二度美味しい」なるキャラメル菓子のキャッチコピーは此の牡蠣鍋にこそ相応しいのでは無いかと思えてならぬ。そう言えばキャラメル菓子の方も其の根幹を成す原材料が牡蠣であるというのは奇遇である。

 牡蠣鍋を一頻り食した後、牡蠣飯を入れて雑炊にする。一見「猫まんま」の様相であるが、斯様に複雑かつ奥深い、舌を鋭敏にすればする程様々な美味しさが味わえるという贅沢な雑炊。そして最後に、御飯と牡蠣という、最もシンプルな出会いによる牡蠣飯で全ての牡蠣を食し終わり、牡蠣鎮魂祭が無事終了。此で屹度来シーズンも美味しい牡蠣を口に出来る事であろう。


2002/03/08

読者の反響

 最近「エゾシカの嘶き」の更新ペースが好い加減二ヶ月遅れに近づきつつある中、昨日公表した2002/01/18の作品には久し振りに読者の大反響があったのだ。

 駅名と地名との違いについて触れた作品に対し、「永井荷風の『断腸亭日乗』に、『秋葉原』が『あきばはら』が誤って『あきはばら』駅にされたなる記載がある」「仁万駅は現在こそ仁摩町に存在するが元々其処は邇摩郡仁万村であった」「名古屋に住んでるのであれば『幸田』が『こうた』町の『こうだ』駅という例を思い付くであろうに」等、駅名に造詣が深いと思しき方々から即メールを頂いたのだ。其れにしても、「エゾシカの嘶き」の読者に、駅名ネタで反応する駅名マニアが此程多いに拘わらず、獣愛ネタには反応する方がなかなか存在しないというのも哀しいものである。

 其れはさておき、発表が二ヶ月も遅れた作品に対して大反響がある事自体、非常に嬉しい事である。実は私としては、斯様な知識の泉となる反響があるとは思いもせず、「小宮悦子の悪口を言うな」という、小宮悦子フリークのオッサン達からの大抗議を密かに恐れていたのだが、杞憂に終わりほっとした次第。


2002/03/07

日本経済新聞の狙い

 以前にも同様の出来事は存在したのだが(2001/08/18参照)、「エゾシカの嘶き」をライヴァル視している存在として夙に知られている日本経済新聞が、記者の記事のみならず文化人のコラムコーナーに於いても「エゾシカの嘶き」を意識したとしか思えぬタイミングで然るべきネタを掲載していたのだ。まあ過去には広告に於いても「エゾシカの嘶き」(2002/02/25参照)若しくは私自身(2000/08/22参照)に関するネタを掲載していた事もあるだけに、一々驚く事も有るまいが。

 どうやらコラム編集者は2001/12/30付「エゾシカの嘶き」を読み、国際日本文化研究センター教授を唆し、海外に於ける日本文化を探る愉しみについてコラムを一本書かせて昨日付日本経済新聞に掲載したものと思われる。其の結果、「海外に於ける日本文化の愉しみ」→「自分が海外で体験した日本文化」といった作品の展開や「海外の日本」というタイトル迄「エゾシカの嘶き」の当該作品に酷似したものとなっていたのだ。

 其れにしても、記事に広告に他者執筆のコラムに、斯様に迄「エゾシカの嘶き」を意識する日本経済新聞の次なる狙いは何なのであろうか。然りげ無く紙面上部の日付表示を「2002/03/07」なる表記に改めるなり、紙面の色遣いを黒地に灰色明朝体にするなり、挙げ句の果てには「毎日発行」を謳い乍ら記事を平然と一月以上遅らせて掲載したり「月経の疼き」なる袋綴じ隠しページを設けたりなどの大技小技が近々日本経済新聞紙面で頻見される事であろう。


2002/03/06

 私は猪であり、一事が目に入ると他事に対して盲目になる傾向が極めて強い。就中一事に向かったり心を奪われたりする程度が高ければ高い程盲目度も此に追随して高まるのだ。当然此の猪振りが災いし、あらゆる意味で痛い目に遭う機会が矢鱈多い事は言う迄も無い。従って、何かに専念している際に別の物を眼前に提示された場合、無意識の選択として、此を全く無視し記憶にすら留めぬか、別の物を目に入れた挙げ句当初専念していた物を記憶から抹消する傾向にある。

 高校時代辺り迄はそうでは無かった。あらゆる分野に首を突っ込む事が格好良いという価値観に基づき、自分でも身体や精神が複数あるのでは無いかと思える位同時にばらばらな分野に手を出し、勉強にも趣味にも勤しんでいた時期が確かに存在したのだ。

 此の価値観が崩れた、否、崩したのは大学生活の過程に於いて、左様な真似など大抵の人間にとっては極普通の事であり、実際左様な人間を目にする事で格好良さを感じなかった為である。私が「格好良い」と感じる人間達は、寧ろ私が嘗て抱いていた価値観とは無縁であった。尤も裏を返せば、山中深くの田舎で小学校生活を送り、男子寮という閉塞的な空間で中学・高校生活を送ってきた過程に於いては不遇にも「格好良い」(今更言う迄も無いが、外面に於ける意味では無く内面に於ける意味での「格好良」さである)と思える人間に出会えなかったという事であると言えよう。

 己の中から、古い価値観を捨て去り、所謂「器用貧乏」を回避した迄は良かった。而るに私はどうやら此の過程で「貧乏」のみならず「器用」も回避する事となってしまい、気が付けば猪と化していたのだ。

 処で「仕事の事を一切忘れ病気療養に専念せよ」との言葉を職場から頂き本日から休暇をとって居るのだが、猪にとって最も得意な筈の「専念」がこういう時に限って出来ず、早速寓居から職場に、遺した仕事の資料修正依頼のメールを送る始末。猪なるが故選択せざるを得なかった「専念」すら満足に出来ぬとは、猪も呆れて物も言えまい。


2002/03/05

最後の言葉

 少なくとも今年度に於いては最後の出社日となり、暫し寓居にて病気療養に専念する事となった。本当に「暫し」で治るのか、治ったとして再出社すべき職場が存在するのか(御世話になった方々や今後御指導を頂きたかった方々に対し何も言えぬ儘一生会えなくなる可能性が有る事が非常に辛いのだ)などといった不安を抱きつつも、医師とも相談し、出来る限りの範囲で療養生活に入らざるを得なかったのだ。

 然し自分の中では「今日が最後」という意識は極めて低い。同じ職場の人間ばかりか縦令仕事上密接な関係を有する人間に対しても、今回の療養の件は殆ど知られていない。通常通り出社し、通常通り仕事を行い、通常通り帰宅する事となった。

 否正確には最後の一つだけは「通常通り」では無かった。今回の療養の件を知っている人間から帰り際に受けた一言。「此の会社では辛そうな顔をすればする程仕事熱心だと思われるよなあ」。要は私が今回の病気を奇貨として「仕事熱心」との評価を得ようとしているとの皮肉。事実とは大いに反する其の言葉自体に対する悲しみ、而も敢えて病気療養に入る前に斯様な言葉を投げ掛けられた事に対する辛さ、病気の際に辛そうな顔をするどころか寧ろ積極的に周囲にアピールする彼が斯様な言葉を発した事に対する呆れ、更には抑も今回の病気の原因の大部分が、日常に亘る彼の斯様な種の批判に起因するものであるという怒り、そして此等の事実や其れに対して私が抱いた感情を今に至る迄彼に一言も伝えられぬ私自身の弱さに対する情け無さ、此等全てが明日からの私の生活を一層不安にするのであった。


2002/03/04

初体験の飲み会

 振り返って驚いたのだが、社会人になって以来、酒の飲めぬ私が自分から後輩を夜飲みに誘う事など初めてでは無かろうか。而も、普段から公私共に懇ろな仲の後輩だとか同じ職場の後輩だとか、ましてや後輩は後輩でも密かに男女の仲を結んでいる相手なんぞならいざ知らず、仕事を依頼する機会が少なくないものの互いのプライヴェートなど一切知らぬ他部署の後輩、勿論男性が其の相手なのだ。

 数ヶ月前から仕事で世話になる機会が増えるようになってから、彼からそこはかと無い面白さが薄々感じられた。本人は別段私相手に笑いを取ろうとしている訳では無く普通にメールの遣り取りや業務打ち合わせを行っているにも拘わらず、私の笑いの壷を微妙に刺激するのだ。

 私の職場の後輩である彼の同期(2001/10/24参照)に対して密かに彼のキャラを尋ねた処、矢張り面白い人物である事が判明し、其れから数ヶ月を経て、職場の後輩を「仲人」として飲み会のセッティングを行い、先日三人で飲みに行った次第。

 其れにしても件の後輩と会話を重ね、プライヴェートに於ける彼の「合コン王」振りをはじめとする数々の逸話を聴けば聴く程、其の内容もさる事乍ら別に笑いを取ろうという姿勢など見せぬ彼の話術が私の笑いの壷をどんどん刺激したのだ。其れと共に、彼と私との意外な接点が明らかになった。私が以前勤めていた会社に彼の御尊父も勤めていた事、彼が新入社員に成り立ての頃から私との面識があった事(私は全く覚えていなかったのだが)等々。勿論「仲人」も普段のボケやツッコミを大いに披瀝し、私にとっては年始以来の酒席を非常に愉しむ事が出来たのだ。

 何だかんだ言いつつも、仕事でお世話になりながらも何もしてあげる事の無い儘、数日後から下手をすれば当分の間どころか一生会えぬかも知れぬ後輩に対し、御礼も兼ねて酒食を共にし楽しい気分に浸りたいという気持ちが、敢えて此の時期に私に社会人初体験となる行為へと走らせたという一面は否定出来まい。


2002/03/03

休日出勤

 暫し休暇に入る事となり、身辺整理の為本来業務的に閑散期であるにも拘わらず休日出勤をする事となった。通常の仕事で有れば持ち帰り寓居で行う事で出来るだけ休日出勤を避けたいという希望を持っていたのだが流石に職場の机周りを弄くる身辺整理だけは左様な訳には行かぬ。まあ斯様な機会などそうそう有るまいと思い此も亦善しと思いつつ職場に赴く事とした。

 若干遺した仕事を進めつつ一段落付ける事とした。職場は業務閑散期という事で殆ど人も居ず気兼ね無く振る舞える。ふんぞり返って珈琲で喉を潤しながら暫く後に放送される競馬中継に思いを馳せ、精神を摩耗する事の無い休日出勤も亦善しと思いつつ再び仕事を進め机上を整理していた次第。

 処が此処で大事件が勃発した。事も有ろうに取締役が出勤して来たのだ。幾ら部屋が隔たられているとは雖も私の机からの直線距離は僅か数米。而も楽しみにしていた競馬中継を観る積もりであったテレヴィは彼の部屋の隣室にあるのだ。「今日は何で来てるの?」と尋ねる彼に対し「其れは私の台詞です」「競馬中継を職場の大画面で愉しむ為です」と喉迄出掛かった言葉を強引に呑み込み、とはいえ「身辺整理です」と答えて休暇をアピールする訳にも行かず、若干遺した仕事をさも期限に間に合わぬかの如く答える事となったのだ。

 然し一度伸び切ったゴムが元に戻るのは困難である。申の刻近くになると私はせめて競馬のメインレースだけでも目にしようと、テレヴィの音声を消し、息を殺し、取締役と壁一枚隔てた場所で競馬中継に興じていた次第。此では愉しみも半減である。抑も職場で競馬中継を愉しむ事自体大いに間違っているのだが。

 一方で、プールや海やビルの屋上やマンションのホールや学校のトイレや電車の連結扉の部分等で何時誰に発見されるか分からぬスリルを十分に堪能しながら性交を行うのが近年若者の間で流行しているとの事。私は左様なスリル溢れる性交よりは、当事者だけの世界で声を出したり出させたりで自由奔放に交わり狂う方が向いているのであろうと、今回の出来事で改めて思い知った次第。


2002/03/02

続・検索エンジン・2002/02

 冷静に考えれば月間検索語ランキングと銘打ちつつ包茎写真の話題しか無いでは無いかという疑念を昨日の作品に対して若干抱きつつあった為、一着「包茎写真」に続く検索語を紹介しておく。

 二着「強姦小説」、三着「エゾシカ」四着「エゾシカの嘶き」と来るのだが、五着の「w」が不可解極まる。一体何を調べようと「w」の関係するサイトを検索し「エゾシカの嘶き」に辿り着いたのかを仔細に調査した処、「w-inds」に関する情報を検索するにあたり用いられていた事が判明して一件落着。一方で此の儘謎めいていた方が面白かったような気もしないでも無い。

 他に気になった検索語としては、「近親相姦母と息子」、何なのだ此のリアリティ溢れる検索語は。「個人マンコ」、対峙する概念として「団体マンコ」「共有マンコ」などというものが存在するのか(「共有マンコ」は存在しそうだが)。敢えて「個人」に拘る理由は何なのか。確かに私自身共有マンコよりは個人マンコの方が好ましいのだが。そう言えば「動物マンコ写真」なる明け透けなものも存在した。因みに此で検索したのは断じて私でない事を強く主張しておく。

 「女装 生理になっちゃった」、なっちゃったという表現に目を奪われたのだが抑も女装との関係や如何。一箇月間女装を続けて試してみるのも良かろうという考えが脳裏に浮かび慌てて消去する。

 個人的に心打たれた検索語が「料治直矢」。没後五年近くを経て未だに斯様な検索語で何を探すのか、そして何故敢えて数多の料治直矢関連サイトの中から「エゾシカの嘶き」を選んだのかは定かでは無い。其れは其れとして、週末の本来寛ぐべき夕方に最も相応しくない、強面で暑苦しく神経質な独特の表情と声が画面に登場する報道番組に於いて、司会者、時にはレポーターとして活躍する其の姿を愉しむ為、週末の寛ぎを犠牲にして私は好んで居たのだ。折しも「素人にも分かり易い報道は素人が伝えるべき」「報道の内容など何でも良い、人気者が報道を伝えれば視聴率が稼げる」なる風習がテレヴィの報道番組に散見されていた頃、敢えて此の風習に抗うが如きキャスター及び報道内容に余計惹かれる事となったのだ。一度彼が番組の中で「先日TBSの社内会議で、此の番組は少なくとも五千回迄(百年)は打ち切らない事が決定しました」と伝えたのが嬉しくて堪らなかったのだが、何時しか彼は番組を含めマスコミから姿を消し、比較的若くして世を去った。知人の類を除き「惜しい人を亡くした」と心底思い悲しんだという点では私の中で五指に入るであろう。

 そんな事を思い感傷に耽りつつ、「其れにしても包茎写真の人気は相変わらず衰えんなぁ」と昨日の作品をしたためていた次第。


2002/03/01

検索エンジン・2002/02

 幾ら如月の日数が短いとは雖も月間トータルのアクセス数が全盛期の約三割に落ち込むとは予想だにしなかった。尤も如月という月が私にとって彼此迷い悩む月であり(2002/02/28参照)、作品をしたためる心境で無く更新がどんどん遅れていったのが其の最大の原因である事は疑い無かろう。

 原因を聢と把握した処で、毎月恒例の検索語ランキングを公表する事とする。一着はそろそろ口にするのも飽きてきた「包茎写真」。而も全体のアクセス数が激減する中、「包茎写真」を検索しようとして「エゾシカの嘶き」を訪れた方の延べ人数は増加の一途を辿り、全アクセス数の五%を占めるに至る。其れにしても普通に考えれば、本当に包茎写真が目当てなのに誤って「エゾシカの嘶き」に不時着した人は、此に懲りて二度と「包茎写真」の検索から「エゾシカの嘶き」を訪れない筈。そう考えると、余程学習能力の無い人間の存在を考慮に入れねば、今迄「包茎写真」から「エゾシカの嘶き」に辿り着いた人というのは毎月コンスタントに大量に存在するという事であり、包茎写真需要が非常に高い事が容易に推測され得る。

 そう考えれば昨今の景気低迷下、包茎写真産業が景気浮揚の起爆剤として非常に有益である事は火を見るより明らかである。「貴方の包茎写真撮ります!」「貴方の包茎写真をスペースシャトルに乗せませんか?」等の惹句が巷に溢れ、男性アイドルは顔写真よりも包茎写真で評価され、年末には「レコード大賞」ならぬ「包茎写真大賞」が行われるのであろう。週刊誌には袋綴じで「包茎写真コーナー」が設けられ、美術館では「包茎写真展」なんぞが開催されるのであろう。

 無論、速やかに法解釈の変更が行われ、「包茎写真は猥褻に非ず」との司法判断が行われる事が前提なのだが、先ずは政府あたりが「男性の証明写真は包茎写真に限る」などという法令を矢継早に制定する事が、抽象的な言葉を振り巻いて所謂「構造改革」を行っている気分に浸ったりする以前に景気対策として必要なのだ。免許証、パスポートに包茎写真が義務づけられれば、早晩会社の社員証や果ては遺影に至る迄包茎写真特需が生じ、いわば「包茎バブル」が到来する事となろう。

 一方で国際問題に発展し兼ねぬ恐れが存在する。回教の儀式である割礼を否定する施策であるとして、回教圏の国家から抗議、最悪の場合テロ組織からの攻撃を受け兼ねぬ。所謂外務省問題などで騒いでいる場合では無いでは無いのだ。

 来月は検索語ランキング以上に、政府月例経済報告に「包茎写真産業の活性化」が盛り込まれるかどうかが楽しみでならぬ。因みに個人的には、私が今年自動車免許を更新する迄に斯様な動きが活発化せぬ事を祈るばかりである。幾ら日本の景気浮揚の一翼を担うという大義名分の下と雖も、流石に仮性包茎時の写真を免許証に貼付させられる事は勘弁願いたいものである。


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