エゾシカの  1999/07/01〜1999/07/31

最新 前月 翌月 一覧 「EZOSHIKA TOWN」トップ ※明朝体推奨

1999/07/31

馬といちゃつく

 日記みたいな出だしで恐縮なのだが、今日知人と馬に乗りに行った。かつてあの暴れん坊将軍が毎週馬で疾走していた九十九里浜を、引き馬で歩いた。

 乗り終わって乗馬クラブに戻ってきて、乗った馬としばらくいちゃついていた。最初は手を近づけると嫌がるそぶりを見せたが、おでこを撫で回しているうちに気持ちよくなってきたようで、目をとろんとさせて私に顔をもたれさせてきた。私も嬉しくなり、その顔を抱きかかえたり、鼻筋、鼻、目の回り、首など、あっちこっちを撫で回しまくった。馬もさらに気持ちよくなってきたようで、口元が緩み私に涎を垂らしてきたりした。知人が待っていたのに気づき、馬から離れようとすると「もっとやってくれ」の意思を表す「前掻き」(前足を掻くようにして地面に打ちつける行動。人間がやったらただ単に「落ち着きのない奴」と思われかねない。それ以前に人間が前足を地面に打ち付ける機会自体そうそうないのだが)を始めたため、再び知人をないがしろにして馬といちゃついていた。好きな人と言葉を交わさずにお互いの気持ちを確かめ合っているかのような至福のひととき。

 よく動物園等で、獣を蔑ろにしてにして同行者の恋人といちゃついている人を見かけるが、今日の私は、さながら知人を蔑ろにして獣といちゃついているようなものだった。


1999/07/30

脚線美と鬘

 深夜番組の「CNNヘッドライン」、宇宙船の船室のようなこぢんまりとしたスタジオに簡単なテーブルと簡単な椅子。そこにキャスターが脚線美を露わにするようにして座っている。オープニングではハードコアテクノっぽい音楽をバックに、キャスターの脚線の下あたりにスポンサーの企業名が表示される。

 毎回1社提供で、Apple社のような外資系企業が提供したりしている中、「アデランス」がスポンサーになる日がある。その日のオープニングは必然的に、ハードコアテクノ+宇宙船+脚線美+アデランスという組み合わせになる。

 いや別にアデランスを悪く言っている訳ではないし、ここしばらくのマーケティング戦略を観ていても、深夜のこの番組への広告出稿は極めて適切なものだと思う。しかしそれにしても、ハードコアテクノ+宇宙船+脚線美+アデランスである。一種独特の雰囲気を醸し出させるオープニングではある。


1999/07/29

山手線実況中継

 最近は帰宅後とてもじゃないが執筆する時間がないので、今日は初めての試みとして、帰宅中の電車の中で執筆している。折角だから、車内の様子でも書くことにする。

 7月29日深夜、乗っているのは山手線外回り、座席が異常に少ない車両である。新橋駅を出た時点で、前の3人掛けの座席には向かって左から50代サラリーマン、40代サラリーマン、怪しげなアロハシャツの30代男。私のすぐ隣には新橋駅から他人を押しのけるように車内に飛び込んで一目散に席についた50代女性、その隣には水商売風の40代女性。当然誰も自分たちのことが書かれているとは思っていまい。

 目の前に20代男性と30代女性のカップルがいる。男が彼女の首を撫でたりキスを迫ったりと、なかなかお盛んである。当然2人ともよもや自分たちのことが書かれてこの後公開されることになろうとは思っていまい。今男は彼女の背中にぴったりと寄り添い、後ろから一生懸命彼女に唇を寄せようと努力している、あ、2人が私のすぐ横の扉の前に移動した。女が扉に凭れる形でついに男と女はいつでも容易に好き放題いちゃつける体制になっている。これで品川到着。私は降りるので実況はここまで。


1999/07/28

同級生

 学生時代のサークルおよびゼミの同級生からメールが届いた。現在あるパソコン雑誌に本人の写真付きで連載記事を執筆しているとのこと。

 夕食がてら、職場近辺の本屋でその雑誌をチェックした。どういう訳かパソコン雑誌とはいえ表紙はお色気ムンムンである。この同級生の女性がそういった雑誌にいったい何を連載しているのか、興味を抱きつつページを捲っていった。

 自分が今何の雑誌を読んでいるのかわからなくなるくらい、艶めかしい女性たちがページを飾っている。「ひょっとして、彼女はパソコン雑誌のグラビアモデルとして登場しているのではないか」と思った。だいたい通常の雑誌の連載に、本人の顔写真まで掲載するなんてそうそうあるまい。

 結局艶めかしい女性はたくさん見たものの、彼女とおぼしき女性の写真は見つからなかった。もしかしたら彼女は数年間ご無沙汰のうちにすっかり別人の如く見違えるようになったのかも知れぬ。

 帰宅後改めて頂いたメールを確認して初めて、私は「DOS/V Powerreport」と「DOS/V USER」とを間違えていたことに気づいたのであった。


1999/07/27

肥えた緑の乳

 1999/07/17で書いたとおり、デスクトップパソコンを1台下取りに出したのだが、先日勢い余って新しくノートパソコンを購入した。従来から使用しているノートパソコンから新しいパソコンにデータを移し替えた際「データ乳緑肥」というメモデータが発掘された。確かに以前、見積書の「データ入力費」という文字をパソコンで打っていたら、「データ乳緑肥」と変換されて驚いたことがあった。昨今の高性能IMEの、いったいどこをどう教育したらこういう無茶な変換ができるのだ。「乳」に「緑」で既に頭が拒否反応を示したところに追い打ちをかけるように「肥」である。頭の切り替えが各漢字の織りなす展開にとてもでないがついていけない。

 なお、さっき念のために辞書を調べてみたところ、「緑肥」という単語があることがわかって、さらに吃驚した次第である。


1999/07/26

殺されそうな夢

 特筆すべき怖い夢を見た。日頃寝相のいいことで定評のある私が寝床で足をばたつかせたり思いっきりのけぞったりし、結局ばしっと目が覚めてしまったのだ。冷房のスイッチが入っていたにも関わらず、寝汗でびっしょりであった。

 舞台は以前いた会社、キャストもその時のメンバー。同じ部の女性が包丁を振り回し2人ほど刺殺して職場にやってきた。彼女は何食わぬ顔をして自分の席につき、我々はみな普段と変わらぬ様子で彼女と接することになった。みんないつ刺されるかびくびくしながら仕事を続け、彼女とミーティングに出席したり出張に出たりしていた。そして全員で宿に泊まり同じ部屋で寝ることになったのだが、当然みんなおちおちと眠れない。いつ殺されるかわからない恐怖で打ち震えていた矢先、彼女がどうやら次の殺人を起こそうとしていることがわかり、みんな慌てて逃げ出した。いかに彼女に遭遇せずにその街から脱出するかを考えて、私は駅に向かった。すると恐ろしいことに包丁を振り回している彼女と駅で遭遇したのである。電車が来るのが早いか、彼女に捕まるのが早いか…。電車がホームに入って扉が開いた瞬間私は電車に乗り込んだ。そして彼女が別の扉から乗り込んだのを確認し、発車間際に再び電車を飛び出した。「もし彼女もこの隙に電車を降りていたらどうしよう」と思ったとき、目が覚めてしまった。

 それにしても、逃げている間に警察に通報するという手段は思いつかなかったのだろうか…。


1999/07/25

続・まるで別人

 先日、華原朋美の新曲発表記者会見があったのだが、「自殺未遂騒動」以来の痛々しさは相変わらずであった。1999/06/17で触れた時と比べると確かに若干顔の肉が落ちたものの、二重顎は相変わらずであり、「ビールを飲むのも我慢して痩せました!」と力説しているのが空しく思えた。

 その他にも「大ボケ」や「大胆発言」と一部で言われているものの、ほとんど意味不明の譫言じみた発言、その場限りの思いつきで発せられただけの言葉などがあり、インタビュアーはフォローに困り、他の報道陣達は呆気にとられていた。確かに一昔前であれば「HEY!HEY!HEY!」なんぞでダウンタウンがこの手の発言に厳しいツッコミを入れることによって場がもったりしたのだろうが、ただでさえ痛々しい今の彼女に、さらにその痛々しさに対してツッコミを入れることはとてもできない、というか面白くも何ともない。

 これらの状況を見るにつけ、改めて彼女の身に起こった一連の出来事の重大さが思い知られるのであった。


1999/07/24

体内時計

 今日もそうであったのだが、休前日の夜から翌日の昼下がりまで半日以上、思いっきり睡眠をとることがある。しかしそれにしても不思議なことに、何時間睡眠であろうが、決まって15:00〜15:30頃に嫌でも目が覚める。そう、競馬のメインレースの発走直前の時刻に。そして慌ててTVを見ることになる。

 昔から生物には体内時計が備わっており、それによって他の生物を食べたり他の生物に襲われるのを避けたりして生きていくことができた。私のこの習性が体内時計の名残だとしたら、生きるために競馬が欠かせないようで結構恥ずかしい。


1999/07/23

漁色家達との夜の饗宴

 以前、漁色家とおぼしき男性と口角泡飛ばす激論になったことがあった。テーマは「もんじゃ焼きを1人で食することの是否」である。結局「それは変である」「いや変でない」との主張が平行線を辿るだけの議論であった。

 そして今日、漁色家とおぼしき男女を含めた人間達で、もんじゃ焼きを食した。漁色家達が漁色談義に花を咲かせている一方で、私は生涯2度目のもんじゃ焼き体験を楽しんでいた。

 今回気づいたのだが、会話なしではもんじゃ焼きが成り立たないということ。注文の順番における厳しいしきたりはほんの序の口に過ぎず、そこから、材料のかき混ぜ方、鉄板上への配置方法、所謂「土手」の作成方法、製造過程において「土手」を液状の部分と混ぜることの要否、各自の取り分け方法など、その都度その都度誰かが誰かに対して厳しい指導を行ったり敵対する意見を調整したりしている。「もんじゃ焼きを食する」ということは即ち「もんじゃ焼きを巡って言葉を交わす」ことなのである。他の料理の場合はせいぜいその味について会話がなされるくらいであり、料理を巡って他人と会話を交わす必要は特にない。鍋料理などのように、材料的に複数で食することが要求される食事ならともかく、言葉を交わすために複数で食することが要求される食べ物は「もんじゃ焼き」以外にそうそうなかろう。

 当初「もんじゃ焼きを1人で食してもいいではないか」と主張していた私は考えを改めるに至った。漁色家達にいい勉強をさせてもらった一夜であった。


1999/07/22

格好良さ勝負

 apple社の「i-Mac」人気を受け、当のapple社からノートパソコン版「i-Mac」的なもの、WindowsパソコンメーカーからWindows版「i-Mac」的なものがそれぞれほぼ時を同じくして発表された。それにしても双方とも、「i-Mac」ほどの格好良さが感じられないのはどうしてなのだろう。

 思うに、両者とも所詮「i-Mac」の模倣に過ぎないからではなかろうか。かっこいいものと同じ土俵で格好良さを競っても、既に「かっこいい」とされているものを追い抜くのは至難の業である。従って結局先行のかっこいいものと比較されて必然的に劣ってしまうため、どうしても格好良く見えない。格好良さを狙おうとすれば全く異なる土俵で勝負することが必須条件である(もちろん十分条件でない)。SONYの「VAIO」が「i-Mac」と並び、女性達にダントツの支持を得ているのも、「VAIO」と「i-Mac」とが全く異なる土俵で格好良さを追求しているからではないかと推測される。

 apple社のノートパソコン、Windows版「i-Mac」、いずれも今後どうなるのか見物である。


1999/07/21

善悪の判断基準

 最近、世論が騒ぐところっと態度が変わった例2つ。一つは公職選挙法違反の告発をいったん不受理にしながら予想以上の抗議を受けて結局受理した司法機関。もう一つはサポートセンター社員の無礼極まる応対を公開したホームページに公開停止の仮処分申請までしておきながら予想以上に世間が反応したため副社長が謝罪会見をしたメーカー。いずれにしても、彼ら自身の善悪(正誤)の判断基準は世論しかないのだろうか。ある行動をとった結果世論が背を向けたからやめるというのであれば、最初からそういった行動をとらなければよい。自らの意思によるところなく世論が騒いだとの理由で「撤回」だとか「謝罪」だとかしたところで、自らの善悪判断基準のいい加減さを露呈するだけであろうに。


1999/07/20

ヤブイヌの来訪

 従来パソコンの壁紙は頻繁に替えていたのだが、ここ1ヶ月、自分の撮影したヤブイヌの写真を使い続けている。その効果あってか、1999/07/05に続き、ヤブイヌが主役となる夢を見た。

 私の下宿(舞台は学生時代か?)にヤブイヌ君が遊びに来るというので、慌ててヤブイヌファンの知人達に下宿に来るよう連絡を回して下宿に呼び、ヤブイヌ君の到着を待っていたところ、偶然にも両親や妹達が私の下宿に来るとのこと。親には私とヤブイヌ君との交際を隠していたので、ヤブイヌ君が見つかったら激怒されるのは必至である。そうこうしているうちに親たちの方がヤブイヌ君より先に来てしまった。何としてでも親たちとヤブイヌ君とが出会わないように、親達を外出に行かせるようし向けたり、ヤブイヌ君が来ても部屋の中に入らないようにお願いすべく、下宿の前でヤブイヌ君を待ったりしたのだが、結局ヤブイヌ君が到着せぬまま、目が覚めてしまった。

 ヤブイヌとの再会を目指して親との修羅場を徹底的に経験するのか、ややこしい結末を避けてヤブイヌとの再会を断念してしまうのか…。結局後者となってしまったのだが、今から思えば極めて残念である。理想を追い求めることの大切さをほんの一瞬ながら味わうことができた。


1999/07/19

よい言語生活

 漁色家とおぼしき女性が漁色家とおぼしき男性に対して放った言葉を耳にした。「あなたはただ種を蒔きまくっているだけ。私は剪定作業が大変なのよ」どうやら、見境なく女性に着手している男性に対して、この女性はよりどりみどりの男達を取捨選択をしていくのが大変なのだ、という趣旨の発言らしい。

 ここで問題にしたいのはこの発言内容そのものではなく、発言の中に出てきた「剪定」の「剪」の字である。「はさみでそろえる」という意味を持つこの漢字、「剪定」以外の熟語では目にしたことがないどころか、自分で書いたこともないことに気づいた。

 先日紹介した「日本語練習帳」(1999/07/15)によれば、「一年に一度、一生に一度しか出あわないような単語が、ここというときに適切に使えるかどうか。使えて初めて、よい言語生活が営める」とのこと。この漁色家とおぼしき女性はまさに、よい言語生活を営んでいるものだと、いたく感心したのであった。

 最後に蛇足であるが、通常男性に対して用いられる「漁色家」という称号、女性だけを「漁」の対象として扱うのが女性に対して非常に失礼な行為であること、現状では一般的に女性も思う存分「漁」を楽しんでいることを鑑みて、個人的には性別を問わず用いている次第である。


1999/07/18

特別な週末

 久しぶりにたっぷりと競馬に時間を費やすことのできる筈の週末であった。最近にしては珍しく時間が固定された予定が全くなかったからである。しかし、何という不運、競馬中継を行っているTV局のうち、いつも最も長い時間中継を行っているテレビ神奈川は、高校野球神奈川地区予選の中継で競馬はまったくなく、メインレースを中継しているフジテレビは、27時間ぶっ続けの特番のためにメインレースの中継を1分強ばかり行っただけであった。土曜日には短距離の日本レコードが大幅に更新されたり、日曜日にはメインレースのゴールシーンが非常に見応えのあるものだったり、準メインのレースが「過去の栄光」を背負った馬達で行われるという何とも懐かしくも若干哀れなレースだったりと、派手なレースがない割には是非チェックしておきたいレースが多々あったのである。今日ほどグリーンチャンネルを羨ましく思った日はなかった。


1999/07/17

パソコンの下取り

 思えば2年前の夏だったか、その時起こった事実を受け容れなければならない悲しみ、その事実を最も伝えたい人に伝えたい気持ち、そして伝えたくても伝えられない切なさ、そういったものを歌にしようと考え、DTMを目指すべくマルチメディアパソコンや音楽ソフトを購入した。歌、しかもDTMという表現手段を選んだのも、単にその人の趣味だという理由からであった。結局気持ちの整理がうまくいかぬまま気がつけば有耶無耶になってしまい完成には至らなかったのだが。

 案外こういうものは落ち着いてから取り組んだ方がいいのかもしれないと思う一方で、そういったことに取り組むことによって再び平静さを失うのではないかという危惧もあった。結局そこら辺の整理もつかぬまま今日にいたり、明日そのパソコンを下取りに出すことになった。そのための片づけをしながら結局あれやこれやと2年前の事が思い浮かんでくるのであった。


1999/07/16

献血の想い出

 怖かった想い出。初めて「成分献血」なる高等テクを試したときのことである。ほぼフラットなリクライニングチェアに横たわり、サザンオールスターズのライヴヴィデオを鑑賞するという、日常の生活でも味わえないような豪華な気分の中、血液を抜かれ、エキスを吸い取られた滓の部分を体内に戻すという作業が約1時間続けられた。終了後、医師が「念のため…」と血圧を測った時、事件は起こった。「あなた、本当に大丈夫なんですか!?」医師の絶叫。その中で意識が薄れ、背もたれのない椅子で後ろ向きに倒れる私。気がつけば献血ルーム内のベッドに横たわっていた。その間約1時間。今度は医師が「やっと血圧が100を越えましたね」とのこと。その時の恐怖が尾を引き、以前は1年間に3回も献血を行ったりしていたにも関わらず、この後6年もの間献血から遠ざかってしまった。

 嬉しかった想い出。職場への出張献血で、献血10回表彰を受けた時。本来10回表彰では杯が頂けるのだが、その場には用意されていないため、後日郵送ということになった。しかしスタッフの方々が拍手でお祝いをして下さったとき、別に誉められるつもりもない自分の純粋な行為が他人に喜んでいただけるんだな、こんな人様に迷惑をかけて生きているような自分でも他人に祝っていただけるんだな、と感激し、「ああ、賞品なんかより、この人達のお祝いの気持ちを頂く方がずっと嬉しいや」と心底思ったものだった。スタッフの方々が「気持ちばかりに…」と、献血者に差し上げるジュースを何本か余計に下さった際、「うちの部、9人いるので9本頂いていいですか?」と尋ねたら、心地よく「いいですよ」と9本下さったのが、さらに嬉しさに輪をかけた。お陰で後ほど表彰の杯が郵送で届いても、それ程の嬉しさは感じることができなかったのだが。


1999/07/15

日本語練習帳

 このコーナーを立ち上げ、ほぼ毎日のように名文を披露すること百余回、さらなる名文を目指すべく今密かなベストセラーとなっている「日本語練習帳」(大野晋著)を購入した。

 筆者が文章を書く際に留意している2つの心得として、「『のである』『のだ』を消せ」「『が、』を使うな」というものが挙げられていた。私の1999/07/011999/07/14までの2週間分だけの文章を調べてみると、「のである」が5回、「のだ」が16回、「が、」が11回であった。この時点からして筆者の考えとは大きく外れているようだ。既に「お前の文章は名文などではない」と宣告されているような気分である。まだ途中までしかこの本を読んでいない段階で、先が思いやられる。

 果たしてこのコーナーがさらなる名文に発展する可能性はあるのだろうか…。


1999/07/14

エスカレーター

 2週間ほど前だったかの動物番組で、ルームランナーの上でイヌやネコを歩かせ、どれくらいの時間耐えることができるかという特集を放送していた。ふとその番組のことを思い出し、帰宅時に電車乗換の待ち時間を利用して、駅のエスカレーターで同じようなことをやってみた。

 深夜なのでそんなに人はいない。上りエスカレーターの入り口部分で、進行方向を向きながら後ろ向きに歩いてみた。後ろ向きで階段を下りていくというのはかなり困難である。足を踏み外す恐れがあるため、意外とうまくいかずにどんどん上に運ばれていった。

 TV番組のイヌやネコと同じ土俵で勝負するには、進行方向の逆を向いて逆走せねばならない。もう一度上りエスカレーターの入り口に戻り、一歩踏み出して後ろを向き、下方向に向けて歩いてみた。おお、確かにこれならイヌのように10分以上歩けそうな気がしてくる。

 イヌ目指して暫く歩いているうち、気がつけば若者達の好奇の対象になっていることに気づいたため、慌てて素知らぬ顔をしてくるっと進行方向を向き直して上に向かった。幼少時代、近所のスーパーで同じような事をやってて同級生のお母さんに怒られた時以上に恥ずかしい思いをした。


1999/07/13

悪質ないたずら

 「小学校のウサギ小屋にイヌが放たれてウサギを噛み殺した」「クラスの給食の中に鼠の死骸が混入されていた」「公衆の場で異臭を放つスプレーが散布された」など、法律的には軽微かもしれないが洒落にならない或いは人道上許されないような事件が起こったとき、ニュースでは「警察では悪質ないたずらと見て捜査を進めています」という決まり文句で締めくくられることが多い。

 私のイメージする「いたずら」はせいぜい、他人の耳元でひそひそ話をする振りをして熱い吐息を吹きかけたり、隣で寝ている恋人の乳首を思いっきり抓りあげたり、同僚が不在の間にパソコンの壁紙に無断でヤブイヌの写真を設定したりするようなことである。「いたずら」は「悪戯」という文字を見てもわかるように、「戯」でなければならないのだ。「悪質」であればそれは既に「いたずら」とは言えまい。譬え軽微とは雖も法律に悖った行為であるからには明らかに「犯罪」である。

 「悪質ないたずら」という言葉を蔓延させることにより、いたずら自体の価値が低下するとともに、犯罪そのものの違法性、重大性が思いっきり希薄化されかねない。「いたずらめいた犯罪」などの表現で、明確に犯罪であることを謳っておかねば、犯罪内容が凶暴化していく一方で犯罪者や犯罪動機がどんどん幼稚化していくというトレンドの中、「犯罪」と「いたずら」との定義が曖昧になり、早晩「教師をナイフで刺し殺す」「無差別殺人を狙って猛毒を散布する」「死体の頭部を切断して晒し者にする」などの行為が「悪質ないたずら」として扱われてしまう時代が訪れることになるのではないか。


1999/07/12

名前の漢字

 例えば電話の相手に自分の名前の漢字表記を伝えるなど、名前の漢字書きを筆記具なしで他人に伝える際、どのように表現しているのか考えてみた。私の場合、名字は平凡だから伝えるのは楽である。問題は下の名前である。

 昔よく使っていたのは「不成功の『成』に不可能の『能』」。敢えて「不」を付けていたのは、「セイコウの『セイ』にカノウの『ノウ』」と言った場合、「性交」と「化膿」を連想される恐れが多分にあると思われるためである。名前を「性膿」などと書かれてはたまったものではない。何か自分がある種の病に冒されたかのような気分になってしまう。

 自分の考えた中で最もポピュラーと思われるものは「平成の『成』に能力の『能』」。しかし一度、「ヘイセイの『セイ』」を、「平静の『静』」とされたことがあり、これもまだ十分とは言えないことがわかった。『成』については他に「成るという字」という説明をしたことがあったが、どうも「鳴」とか「為」とかと混同され、うまくいかなかった。

 読み方ではなく漢字の構造から説明する方法もある。「『盛(さか)り』という字から下の皿を取った字」というのはほとんど通じなく、そもそも「盛」という漢字自体がなかなか想起されない(「盛岡の『盛』」とか「女体盛りの『盛』」とか言ってもなかなか通じない)。一方、「『熊』という字から下のてんてんを取った字」というのは結構通じる。前者さえうまく相手に通じれば、「『盛ってる熊』を漢字で書いて、下半分を消す」というなかなかシンプルかつワイルドでアグレッシヴな説明が可能になるのだが。


1999/07/11

続・渋谷

 できる事なら訪れずに済ませたかったのだが、前回の訪問からわずか1ヶ月ぶりに渋谷に足を運んだ。1999/06/19で渋谷と私との相性の悪さについて述べたが、今日はそれどころではなかった。相性の悪さについて書いたために祟られてしまったかのようだった。

 まず、渋谷に着いたら大雨。前回と同じパターンである。今回の最初の訪問地はWINS渋谷だったのだが、思いっきり道に迷ってしまった。バケツをひっくり返した大雨の中、傘は意味をなさずにポロシャツとジーンズは水を吸ってどんどん重くなる。コンビニで地図を見たり、警官に尋ねたりしながら30分ほどぐるぐる歩いてやっと場所を見つけることができた。だいたい渋谷と相性の悪い私のような者に「明治通り」だとか「渋谷警察署」だとか渋谷独特の目印を説明されてもとんと理解できないのだ。

 結局目的のレースの時間ぎりぎりに到着し、朝のうちにWINS新橋で買っていた馬券を手にしてレースを見ていた。結果は「EZOSHIKA PADDOCK」のこちらを参照していただきたいのだが、これもきっと私の渋谷に対する敵意、渋谷の私に対する祟りがそうさせてしまったのではないかと思っている。

 これだけではない。全身雨と汗とで水まみれになって次の目的地の映画館に行ったのだが、上映直前に突然コンタクトがずれ、最初のシーンを見逃してしまった。

 こうしてますます嫌いな街が輪をかけて嫌いになってくるのである。


1999/07/10

続・エゾシカの命名

 1999/06/25で話題にしたエゾシカの赤ちゃんの名前募集の件だが、気になって眠れない人、応募したがその名前が採用されたのかどうかわからない人などのために、結果をご報告する。「ご報告」といっても私には何ら報告義務がないのだが。

 結論を言うと、「ロッシー」になった。「釧路」「塘路」のロ、沿線を走る列車「ノロッコ号」のッ(これは些か強引に過ぎないか)、「湿原」のシを組み合わせたらしく、審査員はこの名前の由来にいたく歓喜した模様である。命名者は、家族6人で道東旅行をしている途中、塘路駅で応募した岩手県の主婦(40)とのこと。応募総数87点のうちのかなりの数を占めると推測される、私の職場の人間や、当サイトを見て慌てて葉書を出した人からは、残念ながら当選者は出なかったということだ。

 7/4に「ミニエゾ鹿公園」で開かれた命名セレモニーには関係者ら約100人が出席したとのこと。ん?「約100人が出席」?応募総数を上回る関係者が集結したということなのか?暇な関係者が多かったのか、よほど応募総数が低かったのか…。いずれにせよ残念なことである。


1999/07/09

過ち

 当初、昨日(1999/07/08)のタイトルは「朝の過ごし方」であった。そう、1999/07/07のタイトルがそのまま残ってしまっていたのである。昨日訪れた方は驚いたに違いない。何せ「朝の過ごし方」を読んでみたら、ギャンブルに全財産をつぎ込もうという話である。

 過去に「エゾシカの嘶き」では何度か過ちを犯したことがある。断りを入れて修正したもの、慌ててこっそり修正したもの、面倒くさいからそのまま放っているものなどがあるが、過去の過ちを挙げてみることにする。

 ・フグ田マスオの嫁の名を「磯野サザエ」としてしまった。
 ・「BLACK」を「BRACK」と表記してしまった。
 ・「Lucky animal!」が「Luchy animal!」になっていた。
 ・ゲーム「サルゲッチュ」を「サルゲッチュウ」と誤記した。

 これらを並べてみると、今回の過ちというのは過去最大の過ちと言えそうである。皆様にご迷惑をおかけして反省している。


1999/07/08

財テクギャンブル

 自分の資産をすべて競馬につぎ込んだらどうなるか、先日そんな恐ろしいことを一瞬考えてみた。単純に「EZOSHIKA PADDOCK」における回収率(配当金/賭け金)から計算すると、今年の平均回収率で1.3倍、1レースの最高回収率で約5倍になる。もし私が早急にマンションを買わねばならない必然性が生じたりした時、長期の放浪生活を強いられた時、体が不自由になった時(因みに私は生命保険の類に加入していない)等々、極めてハイリスクながら、短期間にリターンを得る可能性がある方法として競馬を選択する可能性はそう低くないような気がする。ギャンブルに堕ちていく人間の気持ちが多少なりともわかってしまった嫌な瞬間であった。


1999/07/07

朝の過ごし方

 先日の新聞によると、今トレンドは「夜型」でなく「朝型」らしい。朝6時から数人のグループで会合を開いたりする例が挙げられていた。一日を前向きにスタートさせることができるのがトレンドとなった理由との事。そういえば少し前に「せめて前向きに見せたいと 夜型の生活を変えてる」という歌があったっけ(「High Pressure」/T.M.Revolution)。

 既述のとおり(1999/07/04)、朝出社前に若干の余裕ができた。この時間を「一日を前向きにスタートさせる」ためにどう過ごすかを考えてみた。

 まず考えついたのはごろ寝。職場の近くにごろ寝ルームがあれば、朝出社前に30分ほどごろんと横になって新聞を読むなり二度寝するなりした後、徐に職場に向かう。職場の近所なら寝過ごすおそれも少ない。次に考えたのはマッサージ。出社前に半分眠った体を覚醒させるのにうってつけではないか。足裏のツボなんぞを強く刺激されると、嫌でもしゃきっと目覚めてしまいそうである。

 職場の近所に上述のような早朝サービスが提供されないのだろうか。少なくとも私は毎日のように通わせていただきたい。徒に風俗店ばかり次々とオープンさせてる場合ではないのだ。


1999/07/06

或る深夜番組

 深夜番組で、顔黒のションベン臭い餓鬼共を高級そうなスタジオに呼び、高名な化粧品業者社長が彼女たちに化粧を施し顔を白くするというものがある。ここ半年以上、ネタの餓鬼に困っているのか、明らかにドーランか何かを塗って顔黒を装っているとおぼしき餓鬼共を連れてきて化粧を施している。そんなのドーランを落としてちょっと厚めの化粧を施せば誰でも可能ではないか。

 このような企画って、情報の受け手がヤラセだと認識していなければ由々しき問題である。また、情報の送り手、受け手ともにこのようなヤラセを承知しているのであれば、あまりにつまらん企画である。


1999/07/05

醒めてはいけない夢

 帰宅時の電車の中で寝ていたときに見た夢。

 六本木のクラブに行った。今夜は伝説の「ヤブイヌナイト」の日である。薄暗い階段を下りて扉を開け、店内に入った。熱気ムンムンの暗いホールでは、興奮したヤブイヌ達がダンスフロアを駆けめぐっている。音楽に合わせて各所から「ヒョーヒョー!」という鳴き声が起こる中、前に疾走するヤブイヌ、後ろ向きに疾走するヤブイヌ。興奮した雄は片足を上げて放尿し、興奮した雌は逆立ちしながら放尿する。気がつけば自分もヤブイヌの姿で店内を後ろ向きに疾走していた。

 人生、醒めてはいけない夢もあるものである。


1999/07/04

月が替わって

 気がつけば月が替わっていたようなので、当ページで好評を博していたピカソの「青の時代」デザインを終えることにする。時代的には次は「キュビズム」の時期なのだが、さすがにこれを絵画以外で表現するのは困難なので、結局旧来のデザインにに戻すことにする。

 ところで、替わったのは月だけでなかった。仕事も替わったのだった。これによってライフサイクルに大きな変化が生じた。従来よりも若干遅めの出社で間に合うようになったのだ(今までの出社時刻が早かっただけの話だが)。

 特に大きく変わるのが月曜の朝。従来は6時過ぎに起床し、乗換駅で雑誌を購入した後、7:30過ぎに会社の最寄り駅に着いて高級喫茶店で珈琲を飲みながら雑誌に目を通して8時に出社していた。このサイクルが30分以上遅くなる。朝の30分の睡眠がいかに大きいか、朝に弱い方々はよくご存じのことであろう。さらに、喫茶店での時間つぶしを削れば、これプラス30分、計1時間余計に睡眠時間をとることができるのだ。そう考えると嬉しくなって心おきなく洗濯に勤しむ日曜の深夜であった。


1999/07/03

トークライヴ

 午前は幕張で「WINDOWS WORLD Expo」なるパソコン展示会、午後は中野で「ファザーレス ミーティング」なるトークライヴに、それぞれ参加してきた。

 後者のトークライヴは、映画「ファザーレス 父なき時代」(1999/07/01参照)を題材としたもので、制作者が登場人物達の映画撮影中や撮影後の様子などを語ったり、この映画のテーマである「家族」について、論客と観客との間、論客同士の間で意見の交換がなされるといった内容であった。

 それにしても非常にいろいろな事を考えることができた3時間であった。映画で読みとれなかった部分や誤った解釈をしていた部分について制作者から生の意見を聴けたこと、パネリストのドラアグクイーンが実は幼少時代の私と同じような眼で家族を見ていたこと、発言者の人々が自らの過去の体験に基づく家族観について様々な意見を飛び交わせ、それらの考え方を咀嚼することで広い眼で「家族」を考えることができたこと、等々。イベント終了後、無性に誰かとこのイベントについて語り合いたい気分になった。トークの合間に話しかけてくださった隣の方と、もっと真剣に会話しておくべきだったと後悔している。

 私が多大な関心を持ち続けている「自分と家族との関わり方」というテーマについて、万人に対する「模範解答」的なものを得ることはできなかった。当たり前である。いくら識者が頭を捻ろうと「模範解答」なぞあるわけがないのだ。まずそのテーマを解決するにあたっては「自分ならどうするか」を考えること、実行に移すことが必要なのである。たとえその方法を採ったところで、それが本当に幸せを生むのか不幸せになるのか誰にもわからない。「ファザーレス」の主人公はこのテーマに対し、家族との関わりを崩壊させようと自分の気持ちを家族にぶつけ、その後自殺する覚悟を持っていた。本人だけではない。本人が家族に執拗に怒りをぶつけていくのに辟易した本人の義父(母親の再婚相手)は、妻(本人の母親)に離婚話を持ちかけていたという。

 自分にとって今回のイベントは、家族観について「正解」を得るというよりは、自分自身の「正解」に向かっていくために改めて自らの家族観を問い質すためのいいきっかけとなった。暫くこのテーマからは足を洗えそうにない。


1999/07/02

エゾシカの…

 このページのタイトルを微妙に弄くるとどうなるか。

 エゾシカの呟き エゾシカの囁き エゾシカの呻き エゾシカの啼き エゾシカの疼き エゾシカの瞬き エゾシカの閃き エゾシカの扱き エゾシカの蠢き エゾシカの厭き エゾシカの犬掻き エゾシカの溜息 エゾシカの精液 エゾシカの狂気 エゾシカの生意気 エゾシカの反抗期 エゾシカの虫の息…

 たまにはタイトルをこっそりと変えてみるのも気分転換に良かろう。


1999/07/01

久しぶりの映画

 先々週の事になるが、1年半ぶりに映画を鑑賞した(1999/06/19参照)。因みに前回観た映画は昨年初めに当時の会社の先輩と行った「フェイス・オフ」、その前に観た映画は一昨年末、当時の会社が協賛していた「もののけ姫」、さらにその前となると、それから2年前の誕生日に観た「ブラック・ジャック」まで遡ることになる。

 今回観た映画は「ファザーレス 父なき時代」というドキュメンタリー映画である。被写体の主人公の青年は学校にもアルバイトにも通わず、夜には見知らぬ中年男性との性行為に溺れることで心を慰め、時には自分で自分の体をナイフで切り刻み、その痛みで心を癒す。「どうして自分はこうなんだろう」その解答を求めに彼は帰郷し、育ての母、生みの母、唯一のきょうだいである兄、自分を棄てた父、軽蔑の対象だった義父、それぞれに会って自分の苦い思い、怒り、悲しみを吐露していく過程をカメラの前にさらけ出したものである。

 この映画を観ようとした理由は主に2つある。1つは「自傷癖」を持つ人の精神構造に深い関心を持ったことが挙げられる。もともと私がこの映画を知ったきっかけが、TVの報道番組で「自殺」「自傷癖」という切り口で紹介されていたことであり、どういう気持ちが自分を傷つける行為に至らせるのか、精神的「痛み」と肉体的「痛み」との共通点・相違点は何なのか、自殺と自傷癖との共通点・相違点は何なのか、そういったものがこの映画から読みとれないかと思ったのだ。もう1つは、自分の人格や生き方と家族との関わりについて以前から深く考える機会が多かったため、この映画から自分の生き方にとって何か得るものがあるのではないかという期待があったためである。

 今回のネタについて一気に書こうとして結局まとまらずに2週間かかってしまった。この文章の続きは追々書いていきたい。


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