エゾシカの 1999/06/01〜1999/06/30

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1999/06/30

外国産キャラクター

 最近外国産キャラクターが流行っているようだが極めて可愛気がないように思える。例えば、トヨタ自動車「Cami」に出てくるクネクネ躍る赤ちゃん。オッサンのような退廃的な目つきで退廃的なゴーゴーらしき躍りを楽しんでいる。他にも、発売日には行列までできたというファービー人形。昔のヒット映画「グレムリン」に出てくる怪獣を連想させるくらい気色悪い。

 これら外国産キャラクターと、日本人好みのキャラクターとでは決定的な違いがある。それは「瞳」である。日本では従来より、キャラクターにおいては獣のように黒目たっぷりのものが好まれる。ペット感覚で「かわいい」という感覚が刺激されるのであろう。これに対して外国産キャラクターは、極めて人間(しかも成人)に近いものが好まれる。「自分たちと近い立場」ということで親しみを感じるのであろう。双方の民族性が読みとれそうで興味深い。


1999/06/29

煙草

 世の中には煙草を吸う人種と吸わない人種とが存在する。それぞれに立場がありそれぞれに意見があり、そこに議論や対立が生じる。しかし議論に入る前にお互いが平等な立場なのかどうかを考えてみた。

 煙草を吸うのは「喫煙」、吸わないのは「禁煙」「嫌煙」。片や「味わう」。ああ、いい行為だ。片や「駄目」「いや」。ああ、いやな行為だ。

 煙草を吸う人は「愛煙家」(しかも吸えば吸うほどこの称号が相応しくなる)。周囲が迷惑を感じようが「愛」である。また、煙草の煙は「紫煙」。高貴な色である。

 そもそも議論のスタート台に就く前に、煙草を吸う人種の方が最初から「素敵な人達」になっていないか。煙草を吸うのは「排煙」、吸わないのは「喫気」だとか、煙草を吸う人は「排煙家」、煙草の煙は「白煙」など、妙な思い入れを入れずに全て中立な言葉を用いたうえで、お互い議論を始めるべきではないだろうか。


1999/06/28

有料便所

 普段使っているJR品川駅が昨年秋にリニューアルされ、便所が有料(チップ制)になった。確かに普通の便所よりはきれいであるが、かといって小便器の下には他人の尿が広がっているなど、「ここで寝ころんでもいい!」「ここで暮らしたい!」というほど美しくはない。大便器の方は利用したことがないのでどの程度美しいのかよくわからない。

 ところでこの有料便所、お金を払うのには吝かではない。毎日その便所を用いるわけでもないし、たかだか財布の小銭程度をけちるほど生活に切迫していない。しかしながら、排尿後に手を洗い、手を拭いてスーツのポケットに手を突っ込んで財布を取り出し小銭を探してチップ受けに入れる、という時間がとてもないのである。そんなことしているうちに体はトイレを出て数十メートルほど歩いているのが普通である。わざわざ立ち止まっていたら後ろの人が出られない。

 かといって、お金を踏み倒すのも嫌なので、最近では予め財布から小銭を取り出した上で、その小銭を握ったまま便所に入って放尿し、手を洗って小銭をチップ受けに投入する。

 私のチップにはできることなら触れないでおくに越したことはなかろう。


1999/06/27

CM好感度

 職場で「CM好感度ベスト10(「Yahoo!」のランキングコーナーより)当てクイズ」を行い、解答者となった。好きなCMを次々に挙げていったのだが、悉くベスト10に入っていないとのこと。どうやら私のCM選好基準と世間の基準とは大きくかけ離れているらしい。だいたい傾向が読めてきて、有名タレントを用いて大量の露出を行っているCMを挙げていったら少しずつ当たっていった。結局、1位は広末涼子の「iモード」、2位はKinkiKidsの「沖縄キャンペーン」、3位はSPEEDの「テレチョイス」(4位以下略)であった。20位まで見てみても、有名人を用いていない作品はトヨタ「Cami」のみである。結局、有名人が出てよく目にして無難なつくりだったら「好感度」なるものは向上するのだ。作品のクオリティ、商品を購買に至らせるプロセスの秀逸さなどでは評価されず、TVをつけてて違和感を覚えない毒にも薬にもならぬCMだと評価が上がるのである。

 いいのかよ、こんなCM評価って。こんなところで評価が上位に来てても企業の広告担当者は手放しで喜ぶべきではなかろう。


1999/06/26

株主総会

 先日、生まれて初めて「株主総会」というイベントに出席した。怒号に罵声、あわや乱闘という、血沸き肉躍るイベントであった。偶々座っていた席が企業の役員達の真正面かつ、企業側の差し金とおぼしき軍団約300名と怒号や罵声を浴びせる集団との間という場所であり、楽しみには事欠かなかった。それにしても、よその会社だから気楽なものである。

 最も面白かったのは、怒号や罵声を浴びせる集団が、自分達のよく勉強している領域についての質疑に対しては手を変え品を変えいろんなヴァリエーションの野次を飛ばすにも関わらず、彼らにはとても理解できないような財務や子会社などに関する質疑に対しては、「しっかり答えろ!」「質問者にわかるように説明しろ!」などと、非常に具体性に欠ける下らぬ野次を飛ばすということであった。「質問者にわかるように」って、わからんのは野次ってるあんたら自身だけやぞ。

 怒号や罵声を浴びせる集団が企業側にぐだぐだとつまらぬ質疑を続けていて、聞いているこちらもいい加減疲れて飽きてきた頃に企業側が質疑を打ち切り、怒った集団が立ち上がって暴れようとするシーンが、最も刺激的な一大スペクタクルであった。株主総会終了後もどうやら彼らと企業側警備員とでいざこざを続けており、最後まで見届けてゆっくり楽しむべきだったかと思っている。


1999/06/25

エゾシカの命名

 JR北海道釧路支社が昨年駅にオープンした「ミニエゾシカ公園」で、この度牡鹿が産まれたらしい。これを記念して彼の名前を募集しているとの事。出社したら机の上に既にこの記事のコピーが何故か置いてあった。皆さん応募欲満々のようで、その記事のコピーの横に「『○○』で応募しましょう」などと書いてあったり「こういう名前というのは通常何に因んで付けられるものか」などと問い合わせを受けたりした。この調子だと私の職場から名付け親が出るのは間違いなさそうである。

 命名方法としては「エゾシカ」をもじる(エゾピーとかエゾリンとかエゾ太とか)、地名をもじる(クシピーとかクシリンとかクシ太とか)、地域にゆかりのものをもじる(湿原ピーとか原生花園リンとか摩周太とか)、JR北海道の商品や列車名をつける(ツインクルとかノロッコとかおおぞらとか)、ただ単に一般受けしそうな名前をつける(雄太とか大地とか北斗とか)、などが考えられよう。

 これを見て応募欲を無性に駆り立てられた人のために問い合わせ先を書いておくと、JR北海道釧路支社営業(販売グループ)「エゾ鹿赤ちゃん」愛称名係 0154−24−1235である。6/30必着なので、急いでいただきたい。因みに、賞品はツインクル商品券(JR北海道の商品券)およびノロッコ号(釧路を走る列車)体験乗車証10回分だそうである。


1999/06/24

予期せぬ検索結果

 検索サイトで「サルゲッチュ」に関するサイトを探そうとしたところ、このページに偶々あった「サルゲッチュ」という単語が検索に引っかかってしまい、「サルゲッチュ」について何ら情報を提供していないこのページに来てしまったというから、先日メールを頂いた。彼はその日が誕生日だった模様。幸福であるべき日に味わう不幸。気の毒なこと極まりない。

 さてそれはさておき、このサイトのせいで同様の不幸が起こりうるケースを考えてみた。

・篠原涼子の熱狂的ファンが、検索サイトで「篠原涼子」に関するサイトを調べたところ、訪れたページは彼女の恥丘にしか触れていなかった。

・運輸省調べのデータを収集しようとして、検索サイトで「運輸省」に関するサイトを調べたところ、訪れたページは運輸省の職員の痴漢行為しか触れていなかった。

・鉄道マニアが新型寝台列車の概要を知ろうとして、検索サイトで「新型寝台列車」に関するサイトを調べたところ、車内における性行為の満足度しか触れられていなかった。

・ポケモンについて調べようとして、検索サイトで「ポケモン」に関するサイトを調べたところ、ポニータというマニアックなポケモンしか紹介されていなかった。

・競馬ファンが調教師について調べようとして、検索サイトで「調教師」に関するサイトを調べたところ、訪れたページは「調教師・悦楽の教え」というエロ映画の紹介であった。

 これら若しくはこれらに類する思いをされた方、是非ご連絡いただきたい。精一杯慰めてあげようと思っている。


1999/06/23

官能

 「官」…つかさ。役目。また、役人。おおやけ。政府。朝廷。公。人体のいろいろな役目をする部分。

 「能」…あたう。よくする。よく。事をやりうる力。はたらき。やりての。仕事たっしゃな。ゆるす。やんわりとたえる。柔らかに接する。たえる。物事をなしうるだけの力がある。また、仕事をなしうる力があって任にたえる。ねばり強いかめ。のう。能楽のこと。

 こういった堅い意味を持つ漢字を2つ合わせることによって、どうして「性に関する感覚」という意味が生まれてくるのだ。「公」とか「仕事たっしゃ」とかいう言葉と、上級エロ小説に付けられる冠詞とが、どう考えても結びつかないのだが。それとも、「仕事のできる役人はエロ感覚が研ぎ澄まされている」という事なのだろうか。思わず1999/04/30に登場した運輸省のオッサンを連想してしまった。

 (参考:「漢字源」、「現代新国語辞典」)


1999/06/22

尾行

 「将来何になりたいか」、高校から大学にかけてはこの問に対して明確に回答があった(因みに現在のところ、当時の「回答」とは大きく異なったものになっている)のだが、それでもなお「こんな仕事やってみたいな」という、実現性などを度外視して小学生のように憧れを抱いていた仕事があった。実は探偵なのである。

 一度無性に探偵欲が湧いたことがある。通勤途上の電車の中で目の前にいたサラリーマンが鹿に似ていた。よし、通勤前にこのサラリーマンを尾行してやろうと思い、京浜急行車内から私の「鹿狩り」が始まった。

 幸いにして始業時間までは余裕で時間があるため、鹿がどこでこの列車を降りようが、同じ駅で降りて後をつけることも可能である。しかし偶然にも鹿は私が通勤で用いる乗換駅で下車した。そこから地上に出るのか、別の地下鉄に乗り換えるのか。鹿は私の行動を見透かしたかのように、私の本来の通勤経路と同じ列車に乗り込み、しかも私の職場の最寄り駅で下車して地上に出たのだ。

 さらに驚いたことには、私の職場と同じ方向に進んでいったのである。こうなると逆に尾行が困難である。私は道路の右側と左側とを行ったり来たりして、鹿が振り向いたとしてもばれないように苦心しながら鹿を追い続けた。結局鹿は私の職場のビルに入っていった。

 当時の職場のビルは目的の階によって到達するエレベーターが異なり、鹿がどのエレベーターを選ぶか=どの職場に行くのかに注目した。鹿は私を弄ぶかのように、私が日頃使っているエレベーターを選んだのだった。さすがに降りる階は異なっていたが、降りた方向から鹿の職場を突き止めることができた。

 尾行自体は終了したが、探偵としては何も結果を残していない。会社の記念アルバムで鹿の職場のページを開いて名前を確認し、その後入社年度、日頃つきあいのある会社などを調べることができた。この時ばかりは探偵気分を満喫したのだった。憧れている仕事の真似事ができるだけでも嬉しいものである。


1999/06/21

或る休日の晩餐

 どうしてそうなったのか未だによくわからないのだが、先日の夕食はたこ焼きと納豆と西瓜であった。たこ焼きは「大阪風」を銘打っており、納豆と同じ食卓に就くことを潔しとしないにも関わらず、納豆が「黒豆納豆」「激辛豆板醤納豆」という、関東における異端児的存在であったため、お互い相惹かれるものを感じたのであろう。西瓜1/8切れをどう解釈するかは問題なのだが。

 食卓にこの3者を並べ、どの順番で食べるかに頭を悩ませた。小学校の給食の時間に推奨される「三角食い」が私は不得意である。たとえ得意だったとしても、たこ焼きと納豆と西瓜とを交互に口に運び口中でぐじゃぐじゃ咀嚼して嚥下する気には到底なれない。味の薄いものから食べようとすると西瓜→たこ焼き→納豆となるが、デザート→腹の足し→主食のおかずという、通常とは正反対の順番になってしまう。かといって通常の順番で食べると、納豆で糸を引いた唇にソースと鰹節とを付けて西瓜にかぶりつくという、西瓜に対する侮蔑と恥辱と冒涜を行うことになる。結局、温度が変わったらまずくなるものから先に食べるということにして、たこ焼き→西瓜→納豆という順番に落ち着いた。しかし豆板醤納豆!これは豆板醤味の納豆というよりは納豆の形をした豆板醤である。たれが辛すぎる。西瓜をこの後に持ってくるべきだったのではないかと多少後悔している。


1999/06/20

今度こそズーラシア体験記

 「リンク集」にも紹介しているサイトのオフ会に参加させて頂いた。先日久しぶりにそのサイトを覗いてみたところ、週末に「ズーラシアオフ会」との事で、最近職場で異常なまでに蔓延している「ヤブイヌ熱」に日々魘されている私はそのイベント告知に過敏に反応してしまい、衝動的にオフ会参加を申し込んでいた。誰一人会ったことはないどころか、チャットや掲示板を通じても接したことのない方々ばかりである。ヤブイヌ熱の勢いは恐ろしいものだ。というわけで、1999/05/03で掲載し損ねた「ズーラシア体験記」を記すことにする。

 小雨の降る中、JR中山駅に行き、ズーラシア直通バスに乗った。天候のせいもあってか車内も道路も、当初思っていたほどには混んでいなく、集合時間より30分ほど前に会場に着いた。時間つぶしに売店に行き、レジの方にヤブイヌグッズの有無を問い合わせたところ、「ない」との事。その後集合場所に行き、「獣医師広報板 第一回定例関東オフ エゾシカ」という名札を受け取り着用した。

 中は動物園というよりはむしろ、自然公園に動物が棲んでいる、と考えるべきであろう。広大な敷地を贅沢に使い、岩や木や流水などが極力自然な形で動物舎に配置されており、私が獣であれば是非棲みたい場所だと感じた。そのため「動物が岩や木に隠れて出てこない」などという苦情が多数寄せられているようだが、そもそもそれが動物たちにとって自然な状態なのであり、じっくりと柵の前に待っていて彼らが一瞬でも出て来ればそれで嬉しいではないか。そう考えると、6月にしては涼しい気候、小雨と曇天が交互に繰り返す天候という、我々にとっては好ましくない気象条件も、動物にとっては「数日前の暑さもなく、昨日からの雨も落ち着いて、体を動かし易い」という好条件であったかもしれない。思った以上の動物を観ることができたのだ。

 今後の動物園は従来の「展示型」が進化したもの(たとえば水族館の「海中トンネル」形式だとか、希少動物を3-Dバーチャルで展示したりとかなど、「いかにはっきりと見せるか」に重点を置く方法)と、「ズーラシア」のような「いかに自然に近い状態で見せるか」に重点を置く自然公園形式とに二極分化していくのであろう。

 今回最も楽しみにしていたヤブイヌとの対面も無事済ませることができ(あまりにちょこまか動くので写真はうまく撮れなかったが)、獣医さん、学生さん、その他の方々などとお話もでき、1人で訪れていたら決して得られない知識や情報を得ることができた。お世話になった皆様(当然ヤブイヌも含む)にこの場を借りて感謝させて頂きます。

 今回は特別に、撮ってきたヤブイヌの写真をここで公開することにする。→ No.1 No.2 No.3


1999/06/19

渋谷

 珍しく渋谷に足を運んだ。低年齢層の人間が闊歩しているということで、もともとこの街の雰囲気にただならぬ敵意を抱いているせいかどうも相性が悪く、ここ1〜2年だけでも、訪れたら大雪でとても歩ける状態でなく滑って転んでびしょ濡れになりながら駅とNHKホールとを往復したり、別の時に駅からNHKホールに向かう際、何度も行っている場所であるにも関わらず、どこをどう迷ったのかNHKホールの半径500mくらいをぐるっと1周していたり、深夜街を徘徊していたら知らぬ間にとても暗く怖い路地に入っていて慌てて逃げたりといった事があった。

 果たして、今日も相性の悪さを露呈した。まず、駅を出たら大雨。とりあえず傘を買って急場を凌いだのだが、今回の目的地の1つであるタワーレコードに行こうとして迷ってしまい、気がつけばHMVに着いてしまった。前者には何度か行ったことがあり、後者には足を運んだことがないというのに。さらに今回の最大の目的地である映画館に行くのにも迷ってしまい、街頭の住宅地図を参考にして上映時間ぎりぎりに何とか到着したのだった。

 こうして嫌いな街がますます嫌いになってしまうのである。


1999/06/18

新聞記事より

 「東京駅は動物王国」「広告空き地に”繁殖”」「乗客なごみJR渋い顔」。これら衝撃的なフレーズは6/15朝日新聞の紙面を大きく飾った記事の見出しである。記事の内容は、駅の広告スペースが、不況で広告主が見つからずに空きスペースが目立つようになり、その殺風景な光景を埋めるため、とりあえず動物ポスターで間に合わせている、というものである。また、記事の分量よりも多くの紙面を割いて、所狭しとカンガルー、ライオン、アザラシの写真が掲載されている。

 しかしそれにしてもこの記事、テーマ、切り口についてはともかく表現方法がたまらない。見出しの付け方、やけに充実した写真(カンガルーなんぞ掲載された大きさの半分でも十分である)、「あちらこちらで愛くるしい姿」「主要駅で『繁殖』が目立つ」など、あたかも本物の動物であるかのような比喩表現を多用していることなど、並みの新聞記者ではここまでやらんだろうと思えるような表現である。

 動物好きの朝日新聞社会部A記者は、入社8年目でありながらなかなか動物記事を書けないことに最近苛立ちを覚えていた。ある日、駅頭の広告スペースに溢れる数々の動物ポスターを見ながらそのキュートさを何とか記事にしたいと思ったのだが、ただ単に「駅の動物ポスターがかわいい」だけでは記事にならない。そこで、「不況で広告主が減った」というテーマでこれらの写真を採り上げるべく、日々「取材」と称して、駅広告を担当している広告代理店であるJR東日本企画に通い、ポスターを入手したり「今度はヤブイヌを使ってみたらどうですか?」など提案したりしつつ、記事をしたためていた。

 記事をデスクに提出したところ、デスクは半ば呆れつつ、動物好きのA記者の気持ちも斟酌したうえで、「動物ポスターの愛くるしさに視点が偏りすぎている。もう少し駅の利用者の意見なども採り入れたらどうか」「いくら何でもこの記事に写真を10点も付ける必要はないだろう。3点で充分」などと手を加えて、記事を世に出すことを許可した。

 以上、勝手な推測にすぎないのだが、とりあえず記事を書いたA記者も、自分の強い思い入れを込めて世に出した記事がこのように話題になってさぞ嬉しかろう。ただ一つ残念だったのは、これら一連の動物ポスターの第1弾であるエゾシカについて全く触れていなかったことである。


1999/06/17

まるで別人

 深夜情報番組を観ていたところ、馬が出てきてちょっと興奮したのだが、ナレーションを聞くと華原朋美の復帰記者会見とのこと。あれ?華原朋美はどこにいるのだ?と思いよく見ると、馬の上に乗ってぼさーっと喋っている、全体的に腫れぼったい顔をした二重顎で丸顔の冴えない女性が華原朋美であった。いやぁ驚いた。人間、短期間に変われば変わるものである。


1999/06/16

最近のTVCM

 このコーナーで採り上げるTVCMは、今のところどちらかといえば批評の対象として捉えているものが多い。今日は珍しく、最近うまいと思ったCMを紹介することにする。

 まずは最近のコカコーラのCM。従来はこの商品、若者のライフスタイルを切り取ったシーンを採り入れることによって若者の共感を得ようとしていたのだが、今年の月替わりのシリーズは「ココロが躍り出す」というキャッチフレーズのもと、若い頃の「心が躍りだした」シーン(入学、部活、初恋など)を何シーンか紹介することによって、若者から少し上の年代層までの共感を得ようとしている。そこで採り上げられているシーンはいずれも季節感および躍動感を感じさせる屋外のシーンばかりであること、また従来のシリーズとは異なり、決して奇を衒ったシーンではなく、若者に限らず誰もが共感できそうなシーンを採り上げていることから、観ていて「ああ、この人たち本当に心躍るだろうなぁ」と強く感じさせるつくりになっている。

 次に、JR東日本の旅行商品「めぐり姫」のCM。旅行で列車に乗っている主婦のグループ、それを見送っている旦那の姿などが、井上陽水のBGMおよび主婦のモノローグをバックに映し出されるものである。このCMで私が最もショックを受けたのが、CMの色使い。普通旅行シーンのCMとなると、明るい色使いで「ああ素敵だ。旅行に行こう」という気分にさせるのがセオリーだが、このCMはわざと全体的に暗い色調に仕上がっている。これは旅行シーンを「これから体験する光景」として提供するのではなく、「過去の想い出」として擬似的に刷り込むことにより、そういう実体験のない人に対してすら「ああまたこんな旅行がしたい」という気分ににさせているのではないかと推測される。そう考えたとき、このCMがすごいと感じられたのであった。

 3つ目に、サントリー「BOSS BLACK」の登場時CM(1999/04/11で既述)。基本的に「BOSS」シリーズのCMはいずれも秀逸だと思うのだが、「黒」というのを印象的に植え付けるという点では右に出るものはないのではないか。初めて観たとき、脳味噌を擽られたような感覚になった。

 後、理屈抜きにそそられたCMとして、UCC「新すらっと茶」、プレステゲーム「サルゲッチュ」、今年4/19の日本テレビCM「日テレ営業中」(浜田雅功が番組の罰ゲームで早朝から深夜まで仮装生CMに出演)を挙げておく。


1999/06/15

店員の応対

 少し前の話になるのだが、或るドラッグストアで薬を購入した際に、レジの打ち間違えか何かで余計にお金を取られた。気がついて返金を要求したのだが、レジの方が平謝りに謝り返金していただいた後、別の方が奥から出てきて、お詫びということで、鎮痛剤4日分、整腸薬錠剤1日分、胃腸薬細粒2回分、胃腸薬チュアブル錠2食分、それぞれ試供品を頂いた。

 別に店員を脅したわけでも強面で迫ったわけでもない。ただでさえ私は他人様の前では極めて大人しく気が弱いのだ。レシートと商品の値札とを見比べて店員に声をかけるタイミングをはかっていたところ、逆に店員から「何かありましたでしょうか?」と声をかけられ、返金を要求できた次第である。

 それにしても、一度に鎮痛剤だの胃腸薬だのを頂いても、なかなか使う機会などないものである。いや、考えてみたらむしろそんな機会がない方が好ましいように思える。


1999/06/14

風俗

 どうも風俗に抵抗を感じる。職場の近所にも最近「韓国垢擦りエステ」なる新種の風俗が続々登場しているのだが、私にしてみれば、そんな余計なサービスするくらいならその分垢擦りに注力してほしいと思うのである。

 別に他人の性を金で買うことが許せないというわけでもない。素人少女売春(私は「援助交際」という、実態を言いくるめるような言い換えが大嫌いである)とは異なり、プロフェッショナルの商行為の一種だと思っている。相手の気持ちを利用してさも恋愛行為の如く相手の肉体を貪っては捨てていくような行為の方がずっと許せない。

 それでは一体どこに抵抗を感じているのか。最大の理由は、お互いが感情を共有することができない点ではなかろうか。すなわち、風俗に行く最大の目的が「思いっきり淫らになって互いの肉体をぶつけ合い食い合い、欲望の思いの丈を他人にぶちまけたい」という事であるとすれば、この思いは極めて片面的なものにならざるを得ない。なぜなら、相手方(プロ)が客と交わる最大の目的は、決して持て余す性欲の処理ではなく、あくまで金稼ぎであるからである。愛情交換にせよ、性欲処理にせよ、お互いが同一の目的を持っていない性行為ほど白けるものはなかろう。最大の目的にずれを生じるような人間と肌を合わせて気持ちよくなるというのはむしろ面倒臭さや鬱陶しさすら感じるのだが。


1999/06/13

ピカソ展

 会期末間近の「ピカソ展」を観るために昨日上野公園に行った。考えてみれば動物見学以外の目的で上野公園に行くのは希有なことである。それ以前に、絵画展に行くこと自体が希有なことであるのだが。

 ピカソの絵は一見よくわからない。ただ、他の「よくわからない」絵と異なる点は、ピカソは明らかに目の前にある物象および風景を描いているのであり、自我の中の精神状況のみをキャンバスに表現した前衛画とは一線を画している、という点である。従って、彼が描こうとした客体については我々も容易に共有できるものであり、彼の絵を前にして、「自分ならこの客体をどう表現するだろうか」「自分ならどういう気分の時にこういった表現方法を用いるか」という物差しを用いることによって、彼独自の視点、その背景となる思想、生活環境などを自己の視点と相対化させて立体的に楽しむことができるのである。

 人生におけるステージ毎に全く異なる極端に個性的な表現方法を用いることによって、彼のその時々に傾倒していた人々(時としてそれは愛人であったり親友であったり芸術家であったりした)との関わり方が非常によくわかり、生い立ちの順に並べられた絵を辿っていくと、あたかも一編の小説を読んでいるかのような気分になっていった。この感覚、1枚や2枚、彼の絵を観るだけでは味わえなかったであろう。

 さて、お気づきの方もいらっしゃるかもしれないが、今日から「エゾシカの嘶き」の配色を変えてみた。ピカソの「青の時代」を意識したものである。勿論、飽きたらやめる。


1999/06/12

今日の喜び

 阪神タイガースの単独首位よりも嬉しかったこと。好きな馬が今日、2年ぶりに勝ったのである。彼は阪神タイガースと異なり、格上相手であろうが格下相手であろうが、常に惜しいレースをしていたため、今回の勝利で「やっと運が実力に伴ったんだな」と思った。

 私のあまり好きではない「良血馬」でありながら、「レース中、隣に馬が来ると、嬉しくなって追い抜こうとしない」だの「厩舎では自分の前を通る馬に対して必ず威嚇する」だのやたらお茶目な性格。その性格のため、レース中は注意力を散漫させないように、恐らく競走馬の中では最も深いのではないかと思えるようなブリンカー(横や後ろの視界を遮るための目隠し)を着用しており、しかもそのブリンカーが何にあやかったのか黄色と黒の縦縞というどこかのプロ野球チームのような色使いであるなど、容姿もお茶目。レース運びも「雨が降ると異常に強い」だの「中山競馬場のレースだと異常に強い」だの訳の分からない特技を持っており、その類い希な個性に、競馬を覚えたての私は強く惹かれたのであった。

 4歳から5歳にかけて6勝を挙げて注目されたのだが、それから2年間、「この相手だと楽勝」というレースでも3着止まり。かといって強豪揃いのレースでも3着に食い込むなど、不思議なレースを続けていた。気分転換に海外遠征を目論みたところ、遠征直前に石を踏んづけて初めての故障という、彼らしい不運もあった。復帰後3戦目の今日、圧倒的1番人気の馬が馬群に沈む中、彼は1頭抜け出して、先頭でゴールインし、TVにもしっかり「1着 ローゼンカバリー」と表示された。

 今日は名古屋で知人の結婚式の2次会、その後美術館に行っており、今回のレースは深夜に帰宅後録画で見て、そこで初めて結果を知った。当然馬券は買う時間がなく、「馬券を買っていたら儲かっていただろう」と思う一方で「そっと応援してあげてて良かった」とも思っている。


1999/06/11

 「この漢字、いったい他にどういう使い道があるんだろう」という字がある。以前(1999/04/20)に触れた「狼狽」というのもそうである。今回気になったのは「浣」という字。熟語としては「浣腸」という、常用漢字外でありながら小学生でも知っている言葉に用いられるこの漢字、もともと「洗う」という意味のようだが、「浣腸」以外の熟語で用いられているのを見たことがない。漢和辞典によれば幾つかの熟語や固有名詞が存在しているようだが、どれ一つ馴染みがない。

 逆にこの字が下手に他の熟語で用いられて、街のどこかでふと目にすることがあったら大変である。恐らく街の中で「浣」という字を見たら、条件反射的に太い注射器とグリセリンと洗面器を思い出すことになろう。コインランドリーや高速洗車や銭湯は、ゆめゆめ「浣服」とか「浣車」とか「浣体」とか名乗らないで頂きたい。


1999/06/10

首位

 昨日数年ぶりに阪神タイガースがセリーグ首位に立った。一時の快進撃も鳴りを潜め、「いい夢見させてもらったぜ。フッ」という気分だったのだが、1位だったチームが知らぬ間にもっと低迷していたようだ。因みにそのチーム、今日は大敗したようで、阪神は単独首位になった。

 実は阪神が強かった時期、私は兵庫県民でありながら阪神ファンでなかった。小学校の頃、日々私に体罰を加えていた父親が熱狂的な阪神ファンであったこと、中学・高校時代、阪神ファンか否かで体罰の程度を大きく変える教師が多数存在したことなどから、「阪神ファンの大人=身勝手で暴力的」というイメージが植え付けられてしまい、阪神ファンの大人に対して多大な嫌悪感を抱いていたのだ。大学に進学してそういう環境から解放されてはじめて、やっと自らの自由意思で阪神タイガースの野球および選手を個性的であり面白いと感じることができた時、既に阪神は優勝とは縁の遠いチームになってしまっていたのである。

 従って、今回のように「首位」と言われても私は当惑してしまうのである。どうも落ち着かない、居心地がさほど良くない。むしろ2位くらいの方が応援のし甲斐を感じてしまう。勿論嬉しいことは嬉しいのだが、長年叶えたくても不可能だった事があっけなく実現したみたいで、気持ちが実態に追いつかないのである。恐らく優勝しても心中「戦力は去年とほとんど一緒やのに、一体なんで優勝できたんやろ…」と冷静に考えていそうな気がする。


1999/06/09

薬の味

 暫く熱で苦しんでいたと思ったら、その時に服用していた薬のせいで胃の調子が良くない。未だ固形物の食事が困難で、空腹感はあっても食欲が湧かない。そこで今日「液キャベ」なる薬を服用したのだが、とにかく驚いた。本当にキャベツの味がするのである。ここまで期待を裏切ることのない味の薬もなかなか珍しいのではないか。というか、味で自己主張する薬自体そうそうあるまい。正露丸の匂いとともに語り継がれるべき薬である。


1999/06/08

異種交配

 栃木の方で、父親がシマウマ、母親がロバという子供が誕生したらしい。全国的にも話題を浚っているようで、私の職場でも朝のひとときの話題の中心となり、職場備え付けの朝刊各紙の記事に熱い視線が寄せられ、記事のコピーも多数取られていた。

 今回記事の中で注目すべきは、この交配が自然交配であったということである。すなわち、互いに欲情し合い、すっかり受け入れ態勢のロバに向かってシマウマが存分に勃起させた状態の陰茎を挿入して(この時点で人間の手を介した可能性はあるが)、絶頂に達したのである。我々に置換えてみれば、あなたが犬や猫や猿や鹿などと、寄せては返す快楽の波に我が身を委ねつつ、お互いの肉体を貪り合ってひたむきに欲望をぶつけ合っているシーンを想像すればピンと来るであろう。

 問題は、彼が、彼女が、どういう経緯でそうなったのかである。考え得る選択肢としては、1.幼い頃からずっと仲良しで、「幼なじみ」を越える感情を持ってしまった。2.他に適当な相手がいなかったので、仕方なく。3.普通の性行為に飽きた。などがある。私がもし同じ立場であれば、1のように飼っている動物と一戦交える、ってことはないだろうし、2のように手頃な人間がいないから動物と一戦交える、ってことはないであろう。3は、普通の性行為に飽きた経験がないのでよくわからない。

 いずれにせよ、彼らの心の葛藤を垣間見てみたいものである。


1999/06/07

復活宣言

 熱が35度台におさまり、頭痛がなくなったので、「エゾシカの嘶き」を復活させた。

 頭痛はなくなったものの、体調はまだ万全ではない。未だにご飯ものが食べられないし、新たに鼻づまり、くしゃみの症状が現れてきた。ともあれ頭痛がおさまっただけで非常に楽である。

 いずれにせよ、この1週間、不安定な更新で皆様にご迷惑をおかけいたしました。明日からは(たぶん)通常通りの更新となります。朝の爽やかなお目覚めに、夜の充実したナイトライフに、「エゾシカの嘶き」をご活用ください。


1999/06/06

騎手の東京優駿

 旧仮名遣いに飽きたので、普通の文体に戻ることにする。

 本日行われた第66回東京優駿(日本ダービー)は、武豊が史上初めて2年連続で制した。今までどんなに期待された馬に乗ってもこのレースが勝てなかった彼が、昨年、10年目にして初の「ダービージョッキー」の栄冠を得て、翌年にまたこれである。しかも去年が、鬱憤を晴らすがごとく5馬身差の圧勝という勝ちっぷり、今年が道中後方から最後の直線で大外に持ち出しての差し切りという、別の意味で派手な勝ち方であった。こうなったらもう後10年くらいは彼が日本ダービーを勝ち続けるのではないかとすら思えてくる。

 その最後の直線、ゴール前寸前で差しきられた渡辺薫彦。日本ダービー初騎乗で2着という快挙であったが、レース後の検量室では誰がどう見ても泣きわめいていたと思えるくらい、目を真っ赤にして顔を濡らしていた。レースまでの日々、本命馬というのにいつもひたすら沈着冷静なコメントを残し、若いのに何なのだこの落着きは、と思っていたのだが、ゴールの1秒前まではほぼ手中にあった「ダービージョッキー」の栄冠を逃したことで、様々な感情が溢れ返ったのであろう。唯一救いだったのが、彼にとって悔いの残らないレースだった、という点。来年以降、力でダービージョッキーの座を勝ち取っていただきたい。

 前走の皐月賞で勝った和田竜二。日本ダービーは3着に破れたが、勝とうが負けようがいつもの半笑いの表情しかイメージが浮かばないのだが。


1999/06/05

休筆繼續のお知らせと理由

 ここ數日體調が惡く、聯日37〜39度の熱に魘されてゐるために暫く「エゾシカの嘶き」を休筆させていただいてゐる。

 何となく體調が良くない、といつた日々が續く中、6月1日の夜、歸宅してやけに惡寒を感じたのが、はつきりと體調不良を實感した發端だつた。

 夜はとても寢られる状態ではなく、一晩中頭痛と異常發汗に惱まされてゐた。朝熱を測ると38度を超へてゐる。體を動かすだけで頭が疼く。とりあへず出社し、職場の近くの醫者で藥を頂いて歸宅した。

 醫師の話によると、最近、熱だけの風邪といふのが流行つてをり、1、2日寢てゐれば治るとのことであつたが、一日中寢てゐても夜に熱を測つたらまだ37度8分。頭痛と發汗と惡寒とが交互に襲つてくる状態がひたすら續き、3日の朝には39度といふ、私の記憶では最高温となる熱を記録した。この日の午前中には眞劍に救急車を呼ばうと思ふくらゐ、激しい頭痛に襲はれてゐた。いや本當に「襲はれてゐた」といふ感覺なのである。ベッドから立ち上がつてもなかなか歩けない。歩いても眞つ直ぐ歩けないのだ。しかし午後にシャツを2枚着替えるほどの大汗をかいた後はかなり樂になり、熱も36度臺に戻つてきた。

 ところが結局4日にはまた37度に。退社後朝までゆつくり寢たのだが、5日も38度と囘復の兆しが見えない。先述の醫者に行つたところ「そんなにすぐ治るもんぢゃないよ」とのこと。さらに新たな症状が出てくることを豫言され、新しい藥を追加された。云ふことがちやうやんけ…。

 といふわけで、もう暫くこのコーナァを休筆させていただきます。また、休筆の期間次第では、その期間の執筆をすつ飛ばす可能性もあります。どうかご了承ください。


1999/06/04

續・魘されるCM

 「魘されるCM」といへば、ゲーム「サルゲッチュウ」のCM。發賣はしばらく先の筈なのに、早くからTVCMが流れてゐる。

 ♪サルサルサササササルゲッチュウ、ウ〜、サルゲッチュウ(ゲッチュウ!)、といふ歌に合はせてゲームキャラクターのサルが踊る。で、オッサンが夢で魘されて汗びつしょりで目を覺ますのだが、しつかりと本人はサルに洗腦されてゐて寢床でバナナを食べる、といふオチである。

 私はこの輕快な歌が好きで、頭の中でメロディがしょつちゅうリフレインしてゐるのだが、やつぱし夢にこのサルが出て來て踊るのは勘辨願ひたい。先日サル似の知人に相談したところ、「何なら俺が夢に出てやらうか」とのこと。彼1匹ならまだしも、集團で「サルゲッチュウ踊り」をやつて私を洗腦しやうものなら、夢の中で皆殺しにしてやるつもりである。


1999/06/03

魘されるCM

 廣告が、これから商品を買はうとする消費者に對して效果があるものであることは云ふまでもない。既に商品を購入した消費者に對しても「あなたの選擇は間違つてゐないのですよ」といふ安心效果を與へることにより、リピーター需要やその會社の別商品に對する需要を喚起することができるのである。もちろんそのためにはターゲットの消費者に對する廣告量が少なければ效果が期待できないし、廣告の質次第では全く逆效果になつてしまふ恐れがある。

 私の攜帶電話、最近になつて競合商品が相次ぎ登場したせいかよくTVCMを流してゐるやうである。昔はその機種を持つてゐなかつたので全然關心を持つてゐなかつたのだが、今は多少なりとも關心を持つてこのTVCMを見るやうになつてゐる。

 で、よく見ればよく見るほど譯の分からぬCMである。その商品を持つた男が夜道を歩いてゐると、動物逹が興味を持つて聲をかけてくるのだが、その動物逹、何故か人間の顏をしてをり、人面犬、人面猫、人面蛙などがアップで迫つてきて、男はパニックになつてしまふといふものである。

 確かに映像的にはクオリティが高いと思ふ。それだけに、この人面犬、人面猫、人面蛙がリアルすぎて氣色惡いのである。特に人面蛙。これだとCMの中の男でなくてもパニックになつたり惡夢に魘されたりしても不思議ではない。最近惡夢に魘される機會が多いだけに、恐怖感を感じるのである。「新商品の告知」といふ點ではともかく、少なくとも「安心效果」は期待できないのではないだらうか。

 そもそも、この商品の「賣り」である「iモオド對應」といふのが、「動物も興味を持つ」といふ點でしか表現されてゐないではないか。何を狙つたのか不可思議なCMである。


1999/06/02

天正十年六月二日

 この時期になると、毎年あの事件を思ひ出し感慨に耽る。「あの事件」とは天安門事件でも雲仙・普賢嶽噴火でもない。勿論云ふまでもなく本能寺の變である。學生時代からこの事件の主人公には多大な關心を持つてをり、彼の事件前後の足跡を辿つて樣々な史跡を歩き囘つたものだつた。

 生き馬の目を拔いて生きるやうな戰國時代にあつて、決して野心家であつたわけでもなく、血の氣の多い人物であつたわけでもない。いやむしろ彼は平時には領民に慕はれる武將であり、有事には殺戮戰ではなく敵を降伏させやうと盡力してゐた。そのやうな男が、日本史上でも有數の權力者を一瞬にして葬つたのである。

 「天下簒奪」と云ふには、彼にしては事件後のヴィジョンがあまりにお粗末である。「キレた」と云ふにはあまりにも事前準備が綿密すぎる。決して自分だけのためではない何らかの使命感に己の感情が激しく突き進んでいつたのであらう。1人の男の、人智を超へ歴史を變へた激情。そこにたまらない魅力を感じるのだ。


1999/06/01

世代

 6月は趣向を變へて、舊假名遣ひで書いてみることにする。勿論、飽きれば即中止である。尚、作成にあたつては「辭書を用ゐたテキスト變換ユーティリティ」及び「丸谷君EX」を使用してゐる。

 普段歸宅後には深夜番組「ワンダフル」(東京放送系列)を見て、若者の最先端の動向に接觸するのだが、我々との間にある行動や思想の溝を時々感じてゐる。今日は偶々、同じ時刻の「トゥナイト2」(テレビ朝日系列)を見てみた。いきなり今日の特集が「地球が滅亡してエロ本や風俗がなくなつた際、どうやつて樂しむか」といふものであつた。情報の送り手の馬鹿さ加減も大概のものだが、さういつた特集で視聽率を獲得できる現實も相當哀しいものがある。オッサンと我々との間には相當の行動や思想の溝があると痛感し、まだまだ自分は若いと再認識した次第である。


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