エゾシカの
題名一覧 過去作品 (2000/01/29〜) ※等幅明朝体推奨。 首頁

2008/05/25

「やらしさ」と「エロ」

 先日の事、テレヴィを観ていて腰を抜かさんばかりに驚いた。毎回視聴者を彼の手此の手で驚かせる大日本除虫菊株式会社のCMなのだが、嘗て日本経済新聞連載のポルノ小説『愛の流刑地』の映画版で主役を演じた豊川悦司が斯くの如く呟く。「長持ちする奴かっ、遠く迄飛ぶ奴かっ、今夜はどっちのキンチョールが、ええんやっ!」。続く女性からの「やらしいわぁ〜」の声にも「やらっしいやろぉ〜!」と開き直る始末。

 慌てて東京の知人の女性に関東でも此のCMが放映されて居るか確認した処、矢張り存分に放映されて居るとの事。其の数日後、大阪で友人と会食の機会があり、其の際にも同じ質問を尋ねた処、此方も矢張り存分に放映されて居るとの事。而も話は其れだけで終わらぬ。「そう言えば俺、『おしとね天繕』という漫画ずっと読んでたけど、これがまた今まで読んだ漫画の中で一番やらしいねん」。左様な話など誰も尋ねもして居ないのだが、彼は其の話にのめり込んだ挙げ句そそくさと会食の場を後にし、其の裏手の漫画喫茶に私を拉致したのだ。目的は唯一つ、『おしとね天繕』を探して読み耽る、其れだけである。

 目聡く全五巻を探し出した彼と手分けして早速読み耽る。嗚呼確かに此はいやらしい。江戸時代の大奥での閨房に於ける性行為を中心に、大奥内外での性愛に満ち溢れた此の漫画、全編此いやらしいの一言に尽きる。然し不思議な事に、自らが性的興奮を覚えて居ない事に気付いた。隣に座る友人など眼中に無かった上、抑も自らの男性機能には何ら問題が無い。然らば何故斯様な現象が起こり得るのか。

 此処でふと気付いた。此の漫画、確かに「いやらしい」のだが「エロ」とは微妙に異なるのでは無かろうか。直截的に卑猥さを語るのが「やらしさ」であれば、間接的・比喩的に、即ち人間の五感を駆使する事で卑猥さを語るのが「エロ」では無かろうかと。例えば「おまんこ」「チンポ」は「やらしさ」、「花弁」「松茸」は「エロ」と云った具合に。其れ故、私は此の漫画に時代劇性を感じつつも、五感を存分に駆使する以前に時代劇的背景を強く感じ、「エロ」を存分に感じる事が出来なかったのではと推測した次第。

 

2007/12/30

ターミナルの喧噪を離れ

 師走も晦日を前にしてターミナルの喧噪を後にしつつ郊外に向かった処ふと目に入ったのが「明倫ゼミナール」なる塾の看板。ほほう「倫」という字は「倫理」「絶倫」以外の使用法があったかと感じつつ思いを巡らせた。

 男性が一夜(否夜とは限らず朝も昼も含む)に複数回、しかも出来るだけ長時間に亘り絶頂を迎えた場合、「絶倫」なる称号を否が応でも得る事になるのだが、一方で女性が一夜(否夜とは限らず朝も昼も含む)に如何に激しく何度絶頂を迎えようが「絶倫」なる称号を得る事は寧ろ稀と思われる。大抵の場合「淫乱」等と云った称号を得る事が多かろう。畢竟、「絶倫」なる称号は男性専用では無いかと思われる。

 此処から一つの結論を導く事が可能となる。男性の場合は絶頂を迎える回数に「倫(みち)」があるのだろうが、女性の場合は何度絶頂を迎えようが其れは「倫(みち)」に反しないと云う事であろう。即ち女性の性欲には限界や禁忌と云った物とは無縁という事である。斯様に女性の性欲には際限が無い物と改めて気付いた次第。此ぞ正に「あな奥深し」と云えよう。

 

2006/03/20

ネット情報の危険性

 先日、職場の女性達と洒落た伊太利亜料理店でパスタやピザに舌鼓を打ちつつ楽しく談笑していた際、会話はスカトロに纏わる話題で盛り上がり、新たな知識を得ることとなった。「そういえば、原田知世はスカトロマニアだそうですよ」「そうですか、それは知りませんでした」「錦織健もそうらしいです」「え、それ誰でしたっけ?山登りする人でしたっけ?」「いや、それは野口健でしょう。オペラか何かの歌手ですよ」

 彼女達が何故斯様な分野に造詣が深いのか、其れ以前に伊太利亜料理を前にして何故斯様な分野の話題で盛り上がる事が出来るのかなど、様々な謎を抱えつつも帰路に就いた。

 其れから暫く後、ふと此の時の話題を振り返る事となった。「そういえば、スカトロマニアなのは野口健だっけ?錦織健だっけ?」軽々しく他人に尋ねられる話題でも無いので、取り敢えずGoogleに頼る事とした。先ず「錦織健 スカトロ」で検索した処、該当したのは40件。案外少ないものだと思い、次に「野口健 スカトロ」で検索した処、今度は53件が該当した。此の結果を見て、「ああ、スカトロマニアは野口健だったか」と判断するに至った。

 然し、その後偶々冒頭の女性達との会話の席上、改めてスカトロの話題が登場した際、「ああ、野口健ですよね」と応じた処、「野口健じゃないです、錦織健です!」と強い叱責を受けた。ネット情報が当てにならぬばかりかとんでもない危険性を孕んでいる事を痛感した次第。

 

2006/02/25

メイドマッサージ初体験

 知人と讃岐饂飩を食していた処、唐突に「メイドカフェに行こう」という流れになり、メイドカフェ自体未経験の私は大いにおののいた。尤も彼自身もメイドカフェ初体験という事で、二人の多大かつ異常な好奇心が自然と足を秋葉原の電気街口に向かわせる事となった次第。

 改めて気付いたのだが、秋葉原駅の電気街口に足を向けるのは5年半振りの事(2000/10/21参照)とあり、所謂「オタク街」としての秋葉原に接するのは初めてかも知れぬ。そんなオタク街の空気を味わったのは、秋葉原駅の改札を出て僅か数秒後の事だった。カメラを手にした男性が、老いも若きもメイド姿の女性数名に群がる。本当にメイド姿の女性が街頭に居る事の驚きに加え、皆が一心不乱に、しかし其れで居て暗黙の順序を守りつつ、彼女達の写真を撮り続けていた事に強い衝撃を受ける事となった。只管順番待ちをする輩、ポーズを要求する輩、自分自身がメイドの集団に囲まれ写真を撮らせる輩…。メイドよりも周囲の様子に驚き凍り付いた儘少し距離を置いていた私、そんな私に撮影を要求してくる知人。渋々鞄からデジカメを取り出し、冷めた目で遠巻きに撮影する私、そんな私に接写を要求する知人。シャッターチャンスを逃しても冷めた私、悔しがり熱くなる知人。

 そんな中、二人はメイドカフェがありそうな場所を探し求め、電気街を散策することにした。秋葉原がオタク街になる前にはよく足を運んでいた私にとっては、馴染みの街が変貌し、馴染みの電器店が無くなった事への感慨が強かったのだが、何時しか二人は何かに誘われるかの如く、メイド喫茶の看板を見付ける事となった。

 どうやら混雑している模様。知人が入口でメイド姿の店員に待ち時間を確認した処、暫し待たねば入れぬとの事。諦めようとする我々に、「申し訳御座いませんご主人様」と頭を下げる店員。まだ客になっていない段階で早くも「ご主人様」とはサーヴィスが良過ぎはしまいか。

 此の儘ヨドバシカメラにでも足を運ぼうとしていた矢先、鼻の利く知人はメイドマッサージの店舗を発見。先程のメイドカフェの入口で雰囲気を十分に堪能した積もりの私を、先程のメイドカフェの入口で益々興奮度が高まったと思しき知人が店内に案内する。当然の如くメイド姿の女性達が待ち構えて居たのだが、どうも我々の想像するメイドの年齢や容姿とは若干異なる女性達で、他の客も居なかった事から、些か不安感を覚えずには居れなかった。

 施術室に案内され、椅子に座る。靴下を脱ごうとした処、メイドが「私がやります」と静止。更には、ズボンの裾を捲ったり、椅子の背凭れを調整したりなども、自分でしようとして全てメイドの静止を受ける事となった。私にとっては斯様な行為を他人の手に委ねる事が余計に面倒に感じるのだが、世間は其れを寧ろ快楽の一部と考えているのだろう。

 此方が施術中に眠りに就いていると、隣からは談笑の声。どうやら知人とメイドはすっかり打ち解けた様で、メイドの身の上話や悩み事を聞き出している。「風俗嬢から身の上話を聞き出すようになれたら一人前」との格言通り、彼は僅か三十分足らずですっかり「一人前」になった模様。否否実際の処は、メイド初体験どころか、此の店自体に何度か出入りしていたのでは無かろうかとすら思えたのだが。

 此処で筆を終えようとして、今どんなに振り返っても、マッサージ技術其の物については何ら触れるべき点が無い事に気付いた次第。

 

2005/12/13

「マイ・バイブ」時代

 本日付日本経済新聞の企業面で「100万本売れたヒット商品も 女たちの『マイ・バイブ』時代がやって来た」との見出しを発見した。程無くして其れが記事本文では無く「週刊ポスト」の広告の見出しと判明したのだが。

 さてそんな「マイ・バイブ」時代に向け、家電メーカーが挙ってヴァイブ市場に参入した場合、如何様な展開が予想されるか。先ず最初に参入するのは松下電器産業である。俗に「白物=ナショナル、黒物=パナソニック」と言われているブランド分けに因れば、玄人好みの黒色ヴァイブはパナソニックで良いとして、普及品の桃色ヴァイブを何れに分類すべきか、抑も同一の商品を色のみで別ブランド化する事に意義があるのかどうかで、社内で熱い議論が為されることになろう。何れにせよ無事商品が上市され、ほぼ時を同じくして日立、三菱、三洋、東芝等もそれぞれヴァイブを発売する。シャープなぞは自慢の液晶パネルのラインをヴァイブ製造に宛てるという力の入れ様である。「亀山工場」という名称は正にヴァイブに相応しかろう。

 松下の発売から約一月遅れで、満を持してソニーの登場である。ヴァイブらしからぬ洒脱なデザインや性感帯を的確に責め上げる技術でヴァイブ市場を騒然とさせる。此を機にユーザーがヴァイブに機能性を追求し始めたのだ。日常愛液防水だけでなく風呂場での使用も可能な位の仕様を誇る「G-SPOT」をカシオ計算機が発売。其れに乗じて富士通が「本人しか使えない指紋認証機能」を売り物としたヴァイブで後を追い掛ける。キヤノンは使い易さを追求して「世界最軽量」を謳い文句にした商品を発売してきた。そうこうしている内に市場は頭打ちの様相を呈し、ヴァイブ活用に新たな意義が求められるようになった。「ヴァイブでヴァギナから美人に!」を合言葉に健康・美容の観点からヴァイブ需要が再燃し、オムロンやテルモの新規参入を許す事となる。

 そうなると先発メーカーが黙っていない。松下が、陰茎のフィット感や微妙な振動を追究する為に一流シリコンメーカーや一流モーターメーカーと提携して商品を発売すれば、ソニーは有名人の陰茎を形取った特別仕様モデルで巻き返しを図る。そして東芝は「マスオ」「カツオ」「波平」「アナゴ」などのラインアップを取り揃えて肌理細やかなニーズに応えようとする。

 「マイ・バイブ」時代の絶頂まであと少し。「店頭では買いにくい」「私のオメコにフィットしたヴァイブを」等の声に応える形で、デルが新規参入。亀頭、陰茎本体、コードの有無等を電話やネットでカスタマイズするという新たな販売チャネルを確立し、隠れユーザーの掘り起こしに成功した。そんな大競争時代に於いて既存のヴァイブメーカーは必死の生き残りを賭けニッチ路線に進出する。極大ヴァイブに極小ヴァイブ、女性同性愛者が愉しめる「双頭ヴァイブ」、獣愛者向けの馬、猿、鹿等のヴァイブ…。

 斯様な「マイ・バイブ」時代が訪れた処で、我々男性にとっては何のメリットも無い。

 

2004/12/10

胎児写真

 嘗て胎児のエコー写真を郵送された事がある。通常であれば病院位でしか目にする事の無い人体写真。而も被写体は人の様で人で無く、恰も臓物を想起させる状態。何かの嫌がらせであれば意図が明白なだけまだ良いのだが、海外在住の知人が近況報告として、己の腹に棲む胎児の写真を嬉々として送付しているのだから余計反応に苦慮する事となった。

 恐らく私以外の人間も同様の当惑を覚えるものと信じていたのだが、先月偶々読者の方から頂いた便りを目にして己の常識が根底から覆される事となった。どうやら現在巷間では「おなかのアルバム」と称した胎児のエコー写真集制作が流行しているとの事。胎児のエコー写真さえ有れば、誰でも台紙付きの胎児アルバムを数千円で作成出来るのだ。此が一部の好事家のマニアックな趣味に止まらぬ事は、此のサーヴィスを提供しているのが天下の富士写真フイルムである事から明白である。

 何時の間に世間は斯様な流行を受け容れる様になったのか。写真其の物の不気味さもさる事乍ら、己が孕む子種を此見よがしに嬉々として公開する事自体、其の思想を疑わざるを得ぬ。己達の精子や卵細胞を他人に見せ付けるのと大差無いのでは無かろうか。

 其処迄思考を巡らせてはっとした。以前年賀状の趣向として「焙り出し」を用いたのだが、果汁を入手するのが億劫で、己の精液で焙り出しを書いた事が有った。果汁とは異なり、数日後に投函する際には自然と文字が黄色く浮かんでしまい、残念ながら受け取る側の評判は今一つだった。左様な過去を思い出し、己の精子を見せ付けるという点では私が他人を兎や角批判する資格など無い事に気付いた次第。

 

2004/11/18

三年の距離

 以前松山(愛媛県)を訪れた際(2001/09/23参照)、現地でお会いした方からドライヴのお誘いを受け乍らも故有って此を丁重にお断りした。「どうせ又此方を訪れる機会は有りますよ。其の時には又宜しく御願いします」そう別れてから三年、私は松山を訪れる事無く、其の方は松山を離れた。

 此の程出張で新居浜(愛媛県)に向かう事となり、航空機から電車への乗り継ぎの為に松山に足を踏み入れる事と成った。三年前とは打って変わって小雨の降り頻る中、三年前と変わらぬ駅前の風景を眺め、三年前と変わらぬ駅構内を彷徨き、そして三年前、極度の人見知り屋の私が初対面の緊張に満ちつつも小一時間愉しい時を過ごした駅前の喫茶店を訪れた。

 其の店の時間を感じさせぬ位落ち着いた雰囲気が一層そう感じさせたので在ろう、恰も三年前に時を過ごした翌日にでも独りでふらっと訪れた様な感覚が私を包む。当時と同じ場所に独り腰掛け、注文した珈琲が出て来る迄の暫しの間、此の空間に於ける「前日」の事を思い起こしていた。お会いする前には尋ねたい事で頭が一杯になっていたにも拘わらず、現在の仕事と愛媛の観光情報の話題に終始して居たのだなぁ。然し其れで居て私は充実感と満足感に浸る事が出来ていたのだ。

 珈琲を味わう内に愉しい回想は薄れ徐々に現在に戻った。あれから三年、生活環境も職場環境も大きく変わる事となる一方で自分自身は、三年前の自分は疎か前日の自分に対してすら胸を張る事が出来ぬ日々を過ごす事が多い。過去を懐かしむ要素は、時間的距離だけでは無く、現在の自分の在り方と当時の自分の在り方との距離でもあるのだ。そう考えると、己の三年は周囲の三年に比べ、余りに遠い。

 

2004/11/10

日本経済新聞の紀行文

 神無月の三連休を用いて平戸(長崎県)を訪れた。暫く前に日本経済新聞紙上に於いて長崎県の教会の紹介が連載されており、ついつい影響を受けてしまい旅行欲が高まったのだ。普段日本経済新聞には過去多くのネタを提供してきた事もあり、偶には逆にこちらが日本経済新聞のネタを活用させて頂くのも良かろうと思った次第。

 旅行は何時もの如く台風弐拾弐号による大雨の影響を受け大変な思いをしたものの、後半は好天に恵まれ、思う存分平戸の街を歩き回り、つい先日其の時の旅の写真を「EZOSHIKA TOWN」のトップページに飾る事としたのだが、其の僅か三日後、私は偶然とは思い難い新聞記事に接する事になったのだ。

 日本経済新聞2004年11月10日夕刊「旅・レジャー」欄。「長崎・平戸 異国情緒 町並みに」なる見出しに私は目をひん剥かざるを得なかった。否、目をひん剥かずして記事に接する事など出来ぬ位の出来事である。地方部の記者が平戸を訪れ其の紀行文を掲載しているのだが、其の頁に掲載されている写真二点、私も先月全く同じアングルで撮影していた。偶然を超越した一致はまだ続く。紀行文は平戸バスターミナル→阿蘭陀商館跡→山手と続くのだが、此は先月に私が訪れた足跡と全く同一。

 「我々の記事に触発されて旅行したのであれば、其の事実をライヴァルたる日本経済新聞が採り上げても何等不都合など有るまい」。此が日本経済新聞社の言い分であろうが、私の原点である旅という範疇に至る迄、徹底的に追随せずには居れない日本経済新聞の姿勢其の物もさる事ながら、私の旅行行程をどうやって調べ上げたのか、私が現地で撮影した写真を何処でチェックしたのか、畏れと共に恐れを強く感じた次第。

 

2004/10/24

M字開脚

 先日讃岐饂飩マニアの方と讃岐饂飩を食していた処、会話は自然とM字開脚の話題となった。一般的には女性が腰を下ろし、所謂「体育座り」の状態から両脚を昆虫の様に折り曲げた儘両側に開き、恰も女陰を陰干しするかの如く露わにする格好とされ、前面(即ち女陰側)から眺めた脚の姿がM字になる事から左様に名付けられたものと思われる。私が其の姿を好む好まぬは別にして、両脚の不安定さと女陰界隈の明け透けさによるアンビヴァレンスなアンバランスが途轍も無いエロティシズムを醸し出すものとして世間で遍く珍重されて居る模様。

 私が此処で主張したいのは其のネーミングの秀逸さである。前半では「T字路」「S字結腸」等の様に、本来形状を示すのには最も無機質とも言えるアルファベットを用い、後半では「開脚跳び」「開脚前転」等に見られる通り、エロティシズムとは縁の遠い体操用語を用いているのだ。其れで居て此の両者が合体するや否や、恐らく現時点に於いて最もエロティックな格好の一つと言える体位を指す事になるのだ。

 エロティックな物事にはエロティックな表現をと考え、此を単純に「ゴージャス股開き」等と言った無粋な表現を用いてしまうと、其の物の持つエロティシズムが掻き消されてしまう。何食わぬ顔をして最上級のエロティシズムを表現する。此ぞネーミングの真骨頂であり、私も是非其の精神を見習わんと思う次第。

 

2003/04/20

似非讃岐饂飩

 通勤途上に在る上野駅の構内に本場企業直営の讃岐饂飩店が開業したと云う話は少し前から耳にして居たのだが、実際に足を運ぶのは此の日が初めてであった。「足を運ぼうとした」事は何度か有ったのだが、其の度に饂飩店の場所が良く分からずに結局構内に在る馴染みの拉麺店に足を運んでは其の度に味とサーヴィスの激烈な低下振りを嘆いて帰宅の途に就いて居た次第。

 夕飯には未だ早い時間帯であったのだが店内に入れば列が出来て居り、「エゾシカの嘶き」が火付け役とされている全国的な讃岐饂飩ブームを身を以て感じさせられ、大いに期待感が煽られたのだが、其の期待は饂飩を味わう前に敢え無く吹き飛ばされる事と成った。勤務が終わったアルバイトと思しき小娘がスタッフルームから出て来たのだが、手に持った大きな鞄を客の行列にぶつけつつ詫びの言葉すら無く店を引き上げる有様。一体店内で如何なる教育を受けたのか、店長の顔が見てみたいわいと思い厨房を覗けば其処に居るのは全て此の手の若者。若者間での従業意識醸成が必ずしも不可能とは思わぬが、店員皆が此の小娘に匹敵する下劣な接客意識を抱いて居るのでは無かろうかと推測するのには十分であった。

 大いに気勢が殺がれた儘おろし饂飩を注文し、着席後一口で仰天。歯応えが全く無い処か麺の外側は長時間水に曝されていた所為かぷよぷよ。抑も麺の味がせず、純度の高い澱粉の塊を口にして居るかの如き味。市販の饂飩玉でも此処迄酷い饂飩は出来まいと思われるのに、本場の饂飩粉を一体どう調理すれば斯様に不味い食物に成るのだ。

 誤解無き様に言えば、私は決して不味さにのみ怒って居るのでは無い。費用対効果を考えれば安価に空腹を満たせる手段として斯様な饂飩が存在しても悪くは無かろう(其れを私が選好するか否かは別として)。斯様に不味い食物について「本場の讃岐饂飩」たるブランドを詐称し、接客から味に至る迄本場の讃岐饂飩に対して如何程の責任を抱いて居るのかも噸と分からぬ輩達が其の責任も全うせず、自称「讃岐饂飩」を平気で提供する神経に対し怒りを覚え、斯様な似非讃岐饂飩に対し無垢な客が「此が本場の讃岐饂飩か。大した味では無いぞ」「世間では斯様な饂飩が流行して居るのか。然すれば私の味覚は流行に後れて居るのであろうか」等と云った感想を抱く事を強く懸念し憂いて居るのだ。

 余程怒っていたので在ろう、普段借りて来た猫の様に大人しく静かな私が帰りの電車の中で靴を履いた儘座席で立ち上がる餓鬼を暖かい目で見守る馬鹿親を睨み付け「靴脱がさんかいボケ」と罵り帰路に就いた次第。

 

2003/04/18

ホテルのサーヴィス

 先週末、塩原温泉を訪れていた。元々は「那須どうぶつ王国」が主たる目的だったのだが、折しも此処半月程園内改修工事で屋外施設が利用出来ぬという事で、温泉をメインに据えた一泊二日旅行に相成った次第。

 宿泊したホテルは積極的な宣伝活動により知名度は高いものの、サーヴィスの劣悪さも巷間で話題になって居り、他に独り客を受け入れる温泉宿がそうそう無かったという消極的理由に加え、一体何処までサーヴィスが劣悪なのかを是非見てみたいという好奇心とが相俟って其のホテルに宿泊する事にしたのだが、少なくとも後者の好奇心は入館早々に僅か乍ら満たされる事となった。

 三つの建物から構成される其のホテル、どの建物に宿泊するのか即ち何処でチェックインすれば良いのかが噸と見当が付かず取り敢えず目に付いた建物に入りフロントらしき空間に居た人物にでチェックインの方法を尋ねた処、案内するので暫し待てとの事。其れにしても「暫し」が長い、十分程度は待ったであろうか。丁重に詫びられフロント迄案内されるが、別段其の方が私の荷物を運んで下さる訳でも無く、同行して頂く意味は極めて薄い。此なら案内図か何かを呈示して呉れれば私一人で十分。

 まあホテル側としては従業員自らが客を無事フロント迄案内する事が優先すべきサーヴィスと考えているのであろう其れは其れで解らなくも無いと思いつつ夕食を迎えた。僅か1時間半しか設定されていない夕食タイム、開始時刻に間に合う様食堂に足を運びバイキング料理を適宜食卓に運んだのだが口にして仰天。夕食タイム開始早々で何故料理が冷たいのだ。味など言うに及ばず、市販の調味料の足下にも及ばぬ味付け。好物のパスタを多目に皿に盛ったのが仇となった。更には浅蜊の殆ど入っていない浅蜊パスタ、野菜の具が殆ど無い野菜スープ、餃子が申し訳程度にしか入っていない水餃子と、驚きは続く。極め付けは食堂内を闊歩する従業員。私のテーブルが物置だと思っているのか、食堂内の不要品をどんどんテーブルの脇に積んでいく。落ち着いて食事が出来ぬが従業員からの一言の言葉も無い。私の存在其の物も不要品の一部と思われているのか。

 まあ部屋と風呂はそこそこ満足がいくものであり温泉と睡眠を満喫する事が出来、加えて翌朝は天候にも恵まれ早々に起床して食事と朝風呂の後に近辺を散歩して気分良くチェックアウトの時を迎えようとしていた処、従業員が部屋をノックした。聞けば冷蔵庫内の備付飲料利用状況チェックとの事。手には各部屋の合鍵を持っており、本人が居ようが居まいが部屋に入ってチェックを行っている模様。旅行歴はそう浅くは無い積もりなのだが斯様なチェックは初めての経験。「使っていない」と申し立てても無視して庫内をチェックされるのは気分の良い事では無い。ましてや不在であれば尚更。だいたい斯様な入室チェックがあるのであれば予め客に説明すべきでは無いのか。高い金を払って得た自分の時間空間を無断で蹂躙される謂れは縦令相手が従業員であろうが無い筈。

 従業員が愛想良くニコニコして居れば其れでサーヴィスを満たしているとでも勘違いしているのであろうか。館内でのべつ幕無くホテルのテーマソングを延々と流し続ける事が当該ホテルならではの素敵なサーヴィスだと勘違いしているのであろうか。サーヴィス改善の為のアンケートを宿泊客に呼びかけさえしていればサーヴィス熱心なホテルだと思われると勘違いしているのであろうか。不要な「サーヴィス」の存在、必要なサーヴィスの欠如。何れもソフト面での問題であり、其の気になれば即改善出来る話では無いか。尤も、サーヴィスの劣悪さについての好奇心だけは存分に満たされて宿を後にする事が出来たのだが。

 

2003/04/12

突き当たり

 ホテルの非常口案内板で「突き当たり」なる表現を目にした途端私の脳裏には、性交時に男性が思いっ切り腰をグラインドさせて長大な陰茎を女性の膣内深くに没入させ、陰茎の先端が子宮入口に到達する様が浮かばずには居られなかった。而も御丁寧な事に「おらおらどや」「ああっ!もっと奥まで突いて!」「うりゃ!うりゃ!ふんっ!」「あああっ!いい…貴方の熱いのが子宮に当たってるぅ!」などといった登場人物の台詞付きの映像である。余りに日常的な単語が此程迄に人間の想像力を沸き立て掻き立てる事が非常に面白く感じられ、ホテルの廊下で独りにやりと猥笑を浮かべて居た。

 然し直後に我に返り慌てて表情を元に戻す事となった。というのも先日私は職場で偶々一瞬猥笑を浮かべていた処を指摘され、猥想の内容を正直に告白せざるを得なかったばかり。流石に見知らぬ此の地では猥想の内容を問い立てる人間など居まいが、「此奴は猥想を抱いているに相違有るまい」と推測される危険は避けるべしと判断した次第。

 

2003/04/09

纏まらぬ感情

 暫く前に偶然、社会人になってから全く音沙汰の無かった学生時代の知人のサイトを発見した。元々別の学生時代の知人の消息を知ろうとして検索エンジンを弄りリンクを辿っていった処、此のサイトに出会した次第。

 久しく接していなかった人物と斯様な形で再会出来た嬉しさ。再会出来た事で鮮明に蘇った学生時代の愉快な会話や行動。そして何よりも、彼が人々から慕われ信頼され立派に活躍しているという現況に対する喜びなど、様々な感情が込み上げて来る事となった。

 早速メールをしたためようにも感情が纏まらぬ。何から伝えて良いのか分からぬ。結局何も出来ぬ儘半月が過ぎる事となったが、恰も私が其のサイトを読んでいる事を彼が把握して居り、私に更なる懐古の念を抱かせるかの如く、学生時代の私の寓居界隈に関わる話題が日記に登場するようになった為、居ても立っても居られなくなり取り急ぎ纏まりの無い挨拶文を掲示板に記す事とした。

 早速彼からの言葉が掲示板に記されたのだが其の中にあった「あのころは若かった…」というフレーズ、現在に至る迄の時間的距離の長さ、当時若気の至りでお互いに繰り広げていた言動、そして一介の学生だった当時から立派に活躍しているという彼の現況がそれぞれ込められている様に感じられ、益々先述の様々な感情が私を襲う事となった。今週末辺りに落ち着いて彼へのメールをしたためようとしていたのだが、まだ私の中で感情を纏めるのに時間が掛かりそうである。

 

2003/04/07

おさるになっております

 社会人としての応対を身につけて久しい積もりなのだが、電話等に於ける相手方への挨拶に用いられる「お世話になっております」というフレーズと、「おさるになっております」というフレーズが、実際に声にしてみると酷似している事に気付いたのは恥ずかし乍らつい先日の事であった。

 此の発見が嬉しくて堪らなくなり即座にサル顔のクライアントを持つ職場の方に、当該クライアントからの電話に対しては必ず「おさるになっております」と応えて頂く様強くお願いしたのだが直後に私が取った電話が正に其のサル顔のクライアント。気の弱い私は当然「おさるになっております」など言える筈が無く、唇を「お世話」の形にした儘辛うじて「おさる」と発音するので精一杯であった。

 サル顔のクライアントに此が「お世話」と聞こえたのか「おさる」と聞こえたのは定かでは無いのだが、今になって冷静に考えてみれば、縦令彼に「おさる」と聞こえた処で、聞いた側としては、電話で話している私自身が「おさるになって」居る状態だと考えるのが通常では無かろうか。そう考えると敢えて「おさるになっております」とサル顔の方に伝える意味など無いのでは無かろうかとも思う次第。

 

2003/04/05

悦び組

 近年稀に見る優れたネーミング事例として私は「悦び組」を挙げたい。折からの北朝鮮ブームに乗って昨年頃より注目されていた、政府要人等に対して舞踊から性処理に至る迄の接待をこなす北朝鮮女性集団キップムジョを和訳した此の言葉、「歓待団」だの「歓喜隊」だのという漢語的な訳を当てても良さそうなものを敢えて単純に動詞の連体形を用い、ポピュラーな「喜」でも「歓待」の「歓」でも無く敢えて「悦楽」「法悦」の「悦」、加えて「団」や「隊」では無く「組」という政府組織らしからぬ文字を選んだ処に、訳者の並々ならぬ拘りが手に取るが如く感じられるのだ。

 其れだけでは単なる訳者の独り善がりに過ぎぬ。真に此のネーミングが優れていると感じられるのは、訳者の拘りが、当該集団が其定其処等の真っ当な集団では無い事を主張しているかの如く字面から匂っている処であり、而も其の表現が巷間に遍く浸透している事、即ち訳者の主張せんとする処が万人に共有され受容されているという点が此亦素敵なのだ。個人的には二十一世紀の新語・流行語大賞に推挙されるべき言葉では無いかと考えている。

 処が最近の報道を見るにつけ、「喜び組」なる表記が散見される。「悦び組」訳者の主張を踏み躙るだけで無く、今迄其の主張を受け容れていた万人に対する許し難い挑戦と捉えて良かろう。

 

2003/04/01

酒宴と裸体

 現在勤めている会社で初めての花見シーズンを迎える事となったのだがどうやら毎年花見の席上では老いも若きも脱ぐわ脱がせるわで大盛り上がりの宴となるとの事であり、本日期待に胸膨らませ入社したばかりの若者達が僅か数日後に衆目の中で衣類の着用を許されぬ状況に置かれる事も知らずに各部署の挨拶回りに勤しむ様を目の当たりにしては頭の中でドナドナに登場する仔牛を彼等に重ねずには居れなかった。

 酒宴の席上で裸体を晒す事で盛り上がりを見せる行為が一時期大ブレイクした頃、私は左様な行為を行う側に対しても目にして悦ぶ側に対しても「馬鹿」の一言以外の感想を持ち得なかった。而るに最近では斯様な話題を耳にするに連れ参加者に対して「斯様な行動に至る位に重いストレスが普段から蓄積されているのであろう」と、其のストレスの重さに対する憐れみや同情を感じる様になってきたのだ。此即ち、私自身がそういった他人のストレスを感受する事が出来る位に重いストレスを感じており、更にそういったストレスを何等かの行動で発散させたいという意識を何処かで抱いている事に他ならぬのでは無かろうか。然すれば私が斯様な酒席に参加した場合、其の「何等かの行動」が発露される危険も生じよう。

 そう考えた結果、此の花見への出席を見合わせる方が賢明と判断した次第。

 


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