太刀岡山山頂にて水ヶ森(左)から奥帯那山に続く稜線を遠望する
帯那山から水ヶ森
曲ヶ岳太刀岡山羅漢寺山を歩いた折り、東の空を区切るように浮かぶ稜線がよく目についた。帯那山から北上するもので、標高1300メートルから1400メートルの比較的なだらかに見える山稜が続く。名の通りに大きくたわむ弓張峠を隔てて高度を上げるのが水ヶ森で、丸く大きな山体と、すぐ隣り合わせに小さく盛り上がる北峰とが並ぶ。悠々と空に浮かぶ姿はじつに魅力的だが、ガイドマップを見ると一般コースはない。訪れるならヤブの葉が落ち雪がまだ来ない晩秋がよさそうだ。初めて目にした年はすでに冬近く、翌年は仕事が忙しく、さらに翌々年も葉が落ちだしてすら出かける余裕がなかったが、クリスマスの三連休にようやく時間ができ、予定の晩秋よりは遅いものの歩きに行くことにした。
水ヶ森は山頂に近いところを林道が通る。車で行けば簡単に登れるだろうが、それでは物足りない。歩きでを求めて、まずは稜線南方の帯那山を要害温泉の古湯坊から登り、北に稜線を辿って弓張峠から水ヶ森を往復し、峠から西へ、昇仙峡へと下ることにした。冬至近くなので日照時間が気になったが、下山先は大観光地であるし、早々に車道に出さえすれば、たとえ昇仙峡に着くまでに日が落ちても心配することはない。


とはいえ朝は早くに歩き出すに限る。それで甲府駅前に前泊し、明けた日にタクシーで要害温泉に向かうこととした。6時過ぎにようやく白んできた空を見ながら宿で支度をし、駅前で車を拾う。古湯坊の敷地前から歩き出したのは7時だった。防音がしっかりしているのかまだ目覚めきっていないのか、駐車場は満杯だというのに宿からは物音が聞こえてこない。足下では落ち葉が騒がしい音を立てつづけ、鳥すら鳴かない冬枯れの森に唯一のこだまを響かせている。枯れ木が散乱する道が続く。ただのハイキングコースにしては幅が広い。
山中の集落跡近くで
山中の集落跡近くで
謎の差し掛け小屋
謎の差し掛け小屋
道の両脇に石組みで補強された場所が目立つようになる。地図を見るとどうやら集落跡らしい。なるほど道幅が広いわけだ。どれを見ても狭い平坦地に立つのは木々ばかりで、どこに住居があったのか判然としない。うねうねと道筋を辿りながら高度を稼ぐ。ここに暮らしていた人たちは食料品や生活用品を入手するのに苦労したことだろう。
梢越しに甲府盆地やその上の南アルプスが窺える。白峰三山は雪で真っ白だ。登り一辺倒だった生活道路らしきが下りに転じるあたりで左に分岐する道のりがある。帯那山へを示す古びた標識にしたがってその分岐へ入ると先には開けた畑地らしきが見えてくる。脇には少々大きめの差し掛け小屋が建ち、なにかを下に埋もれさせているが、なにがあったのかは覗いてみてもわからない。
山腹沿いにしばらく行くと簡易舗装道に出た。このあたりは馬込と呼ばれ、二軒の家があると少し前のガイドにはあったが、うっかりしていたかすでになくなっていたのか、人家を目にすることはなかった。右手に登り気味に行くと両側をコンクリで固めた切り通しのような場所がある。コンクリ壁の上に細木から下がる赤布が目に入ったので壁の脇を登ってみると、古い道形があった。これもかつての生活道の名残なのだろう。だが進んでみるとヤブだらけで歩くには効率が悪いことおびただしく、トレースはあきらめて舗装道に戻った。
馬込上方の車道から甲府盆地越しに富士山、毛無山(中央奥)
馬込上方の車道から甲府盆地越しに富士山、毛無山(中央奥)
日がようやく東の尾根から顔を出し、山肌に万物の影を落とし出す。富士山が雲一つ無く眺められる。その右手の毛無山がいつものように大きい。舗装道は二車線道路にでくわす。地図に従い、左へ行く。堅すぎる地面は足裏と膝に心地よくないが、左手に甲府盆地が見渡せて気分は悪くない。車道が右に大きくカーブを描くところで左に始まる幅広の山道に入った。すぐに崩壊場所にぶつかり、道筋が直線的に進んでいたと思える山腹側に回り込んで見つかった踏み跡を辿った。だがしばらく進むと行き止まりになってしまう。ただの植林の仕事道だった。あらためて地図を確認すると本来辿るべきは稜線を辿っている。
斜面を掻き上がってみると1メートルくらいはある幅広のものにでくわした。崩壊場所からどうつながっていたのだろうかという疑問はさておき、すっかり歩きやすくなった道筋をのんびり行く。左方、梢越しに白峰三山鳳凰三山が窺えるようになる。正面近くには茅ヶ岳が広い裾野を誇示し、背後から八ヶ岳が顔を出す。徐々に高度を上げて行くと帯那林道と水ヶ森林道の合流点に出た。日陰の車道は雪に覆われ、一部は凍っているようだ。立て看板には12月から4月は閉鎖されるとあった。本日車を目にしないのはそのせいだろう。


標識が山道を案内しているので稜線に付けられた踏み跡をたどる。防火帯のなかの道だ。踏み跡が支尾根の左手に回り込むと、左下の斜面から幅広の道が上がってくる。これはまた古くからの峠道らしい。三叉路には石仏が立ち、右手前のに道標代わりの文字が刻まれている。「左 山道」は読めたが、右を示す地名は読みとれなかった。
稜線の道を行く 三叉路の石仏

左) 稜線の道を行く
上) 三叉路の石仏
「山道」とされる道のりを進んでいくと、左手下からの林道のような道に合流する。木々の向こうに再び甲府盆地が大きく広がり出し、南アルプス北部が屏風のように立ち並ぶ。早川尾根の背後に真っ白な仙丈岳も見えてきた。八ヶ岳、茅ヶ岳や黒富士火山群も再登場だ。こんな展望なのに誰も上がってきていないのかなと思っていると、大望遠レンズを盆地に向けていた夫婦に出会った。言葉を交わすと、つい先ほどまでは槍ヶ岳も見えていたという。いまは雲が出てしまっていて北アルプスは判然としない。しかしこれだけの眺望なら大満足だ。
牧場上から鳳凰三山、白峰三山を望む
牧場上から鳳凰三山、白峰三山を望む 
山腹下には行程に併走するように柵が見えている。屋根のある餌場もあって、一帯は牧場だったらしい。今やかなりの範囲が成長した雑木に覆われ、車止めのゲートにかかる看板には休牧中とある。ゲートの先には先ほどの夫婦が乗ってきたらしい車が停まっていた。とすると林道はすべてが閉鎖されているわけではないらしい。
左手に一面の草原斜面が見上げられるようになった。踏み跡が登っていっている。上がってみると、帯那山だった。足下は大豆色に冬枯れた草の葉が覆うばかりだ。日差しが回るだけで人影はまったく見当たらない。山梨百名山もクリスマスイブの午前中は開店休業のようだ。木造休憩舎に入って湯を沸かし、コーヒーを飲みながら食事休憩した。正面の富士山は逆光で、朝と異なり山頂から大量の雲を吹き流している。予報では日本海側は荒れた天気になるといっていた。上層気流が本州脊梁を越えて吹き込んでいるのだろう。
帯那山山頂から富士山と毛無山を望む
山頂から雲棚引く富士山を望む。左右に延びるのは御坂の山並
あいかわらず誰も来ない帯那山の山頂部をうろうろする。以前は警察の無線中継所だったというコンクリ造りの休憩舎を覗き、南に続くゆるやかなスロープが初夏にはお花畑になるのだろうなと想像し、山梨市八景の一として帯那山の雲海なるものを説明する看板を眺め、あらためて逆光の富士山を一瞥してから、北方に立つ稜線続きの奥帯那山へ向かう。標高差は50メートル程度に過ぎないのでなんとなく着いてしまう山頂は山頂らしくなく、話に聞くとおり展望は無い。ただ妙に明るく、どことなく間が抜けた感じすらする。散り残りの白いススキの穂が柔らかな光を揺らめかせているのも親しみを感じさせるのだった。


さらに奥へ行く。踏み跡はがぜん薄くなり、ガイドマップでは目立たない次の小さなコブへ向かう際に道を見失った。稜線通しに灌木を分けつつ歩いてそのコブの上に立つ。梢越しにこれから越える1400メートルの峰々が並び、その奥に水ヶ森が窺える。谷間に落とす尾根が長い。
コースはやや左に折れ、カラマツ林のなかをいったん下って登り返すと1400メートルを超える次のコブで、高みに出てみると眼前が開け、予想外に広い防火帯が、それも左右に延びていて驚く。左手の先に窺える甲斐駒に背を向け、スキー場の中級コースのような斜面を下る。
防火帯の梢越しに茅ヶ岳・金ヶ岳、曲ヶ岳、太刀岡山を望む
防火帯の梢越しに茅ヶ岳・金ヶ岳、曲ヶ岳(右奥)、太刀岡山(曲ヶ岳の手前)を望む
下り着いた先は踏み跡の十字路になっており、稜線に従って左の踏み跡に入る。再び登り返すと足下に岩が目立つようになり、周囲は防火帯のせいもあって開け、誰もおらず誰も来る気配がなく、我が道を一人行くような気分だ。梢越しだが眺望もよい。再び、茅ヶ岳曲岳、八ヶ岳が見える。なかなか分からなかったが、昇仙峡の脇に立つ羅漢寺山もようやく認められた。最後までわからなかったのは太刀岡山だが、これも茅ヶ岳の前に立っているのが見えた。尾根が分かれるところは右へだが、水ヶ森を追うことさえできれば迷うことはない。正面に来た本日最終目標の左手背後には、金峰山が瑞牆山を従えて宙に浮く。
ようやく弓張峠に着く。吹き越す風はなく、カラマツの木々が静かに立っている。ここで車道がすぐ脇に近づくものの動くものはない。南東方向には三ツ峠山を初めとする御坂の山やお坊山の顕著な三ツコブが見える。広く静謐な山のなかだ。

弓張峠直下の林道から水ヶ森を仰ぐ 

弓張峠から御坂の山々とお坊山(左奥)を望む
水ヶ森へは懸念した踏み跡の薄さはなく、まずは緩やかな山道だった。本峰は、目の前に来ると本当に大きい。どう登っていくのかと思っていると、単純にほぼまっすぐ、相当な急傾斜を上がる。手を使うことはないが、足首が悲鳴を上げ始める。登りはともかく下りは御免被りたい。振り返って足下を見ると余計にそう思う。道のかたわらに小さな岩が出てきて、斜度が緩まってくると山頂は近い。やっと急登から解放だ。雑木林のなかに顔を出す三角点にもたれるように、山名表示板が地面に直接置かれていた。予想通り眺めはなく、まばらに灌木が生え並ぶだけだ。登っている最中は汗まで出たが、山頂は日は差すもののとにかく寒い。空気が冷たい。だがここですぐ引き返しては2年越しの憧憬が解消されない。グラウンドシートを広げて腰を下ろし、湯を沸かす。
雪が残る水ヶ森山頂
雪が残る水ヶ森山頂
コーヒーを飲んでいる間考えていたことは、どうやって下るかだった。登ってきた斜面を戻るのはできれば避けたい。地図を引っ張り出して検討してみると、北峰を越えて緩やかに下り、車道を歩いて弓張峠に戻るのが安全度は高そうだ。では、と、身支度して立ち上がる。北峰との鞍部までは、本峰への登りからは想像もつかないほど広くゆったりとした斜面だ。しかし登ってきたのと同様に反対側の山腹も相当な急傾斜のようである。鞍部を越えて北峰へはすぐに着く。本峰に比べると北峰自体は小さなピークで、灌木がまばらに生える冴えないところだが、眺望は本峰に比べて格段によい。小楢山と大菩薩連嶺が大きな空の下にゆったりと眺められる。展望に浸った後、さて下ろうかと足下を見ると、車道がはるか下を通っている。それは予想外の高度差だった。あそこまで下るのかと思うと行く気がすっかり失せてしまった。
水ヶ森北峰から大菩薩の稜線を望む。
手前の山は戸市山
水ヶ森北峰から望む水ヶ森本峰
水ヶ森北峰から望む水ヶ森
地図には鞍部からの踏み跡が昇仙峡方面に延びている。これををたどったほうが早いのではないだろうかと踵を返して鞍部に戻り、うっすら残る古い道型を辿りだしてみるが、すぐにひどいヤブになり、踏み跡も見失う。これでは危険だと再度退散することになった。すでに一時間が経過した。予定外に水ヶ森の山頂部を堪能してしまっている。なかなか下れない。
けっきょくあの急傾斜を下るしかないのか、と山頂に戻る。よく見れば南側の尾根に立つ木の枝に赤布(じっさいにはピンクのテープ)が見える。これに釣られて南尾根に入る。斜度が緩やかなのが急になるとただの斜面になる。赤布も目に入らなくなる。こちらもだめなのかと怯んだが、よくみると右手に尾根の形状があり、これに乗ると踏み跡が再現した。赤布も目に入る。途中少々急なところはあるものの、手を使うところはなく下っていく。尾根を回り込む車道が近づいてくる。
やっと下りつく、というところで左手を茨にひっかけてしまう。恐るべし水ヶ森。簡単には人を下ろさせない。ようやく車道に出て、弓張峠へと向かう。振り返り見上げれば相変わらず水ヶ森は半円形の屏風のように立ち上がっている。水ヶ森が背後に退いていき、空が大きくなると、再び弓張峠だった。
弓張峠に続く林道から見上げる水ヶ森
弓張峠に続く林道から見上げる水ヶ森
夕暮れ迫る弓張峠
夕暮れ迫る弓張峠
峠からは西へ細い山道をひたすら下る。遙か下に沢音が聞こえるものの、なかなか近くに降り立たない。水際にたどり着くと荒れ果てた林道にでくわし、これを下っていく。道の真ん中に間伐したらしい木々が何本も倒されている。歩きにくいことこの上ない。沢を渡る橋も壊れており、道自体の荒れ具合も相当なもので、車で入り込めるものではない。
とにかく下っていく。高成の集落が見えてきた。しかし明かりの点いている家が見あたらない。夕暮れを迎える時間だというのに光っているのは街灯だけだ。停まっている車があるので人がいることはいるのだろうが、なぜか気配が感じられない。きっと家が大きすぎるのだろう。集落が後になり、山の奥に埋もれる頃になると、山の端に輝いていた日も隠れ、空の赤みも薄れていった。正面に岩峰を貼り付けた山が見える。昇仙峡だろうか。分岐に着いてみるがすでに地図が読めない暗さだ。足下こそ残光でわかるが道標さえ見えない。ヘッドランプを点けて向かうべき方向を探る。
日の終わりを迎える高成集落
日の終わりを迎える高成集落
昇仙峡グリーンラインと名のつく車道に出たのは17時30分、空には星が光り、車道にはヘッドライトの明かりがまぶしく、一段下の道路沿いに建つ土産物屋はみな閉まっていた。県営グリーンライン駐車場に到着し、バスの時刻を見てみたら、ここでの最終は16時29分だった。水ヶ森で下るのに難儀していなかったとしても、バスには間に合わなかっただろう。


電話でタクシーを頼むと20~30分かかるという。かまわないから来てほしい旨伝えて電話を切ると、あとは静かな山の夜だった。この時点で甲府方面に戻る車はあらかた下ってしまったらしく、グリーンラインはすっかり静かになっていた。暗闇に浮かび上がる覚円峰の上空に視線をさまよわせると、甲府盆地の明かりと道路の照明とで満天の星空とはいかなかったが、頭上にカシオペアがやたらと大きく、その背後に天の川がうっすらと見えていた。
2011/12/24

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