ミヨシノ頭付近からアサヨ峰早川尾根

鳳凰三山を越え、高嶺(たかね)を越えて降り立った白鳳峠(はくほうとうげ)から稜線には静けさが漂うようになってきていた。一山越えて広河原峠(ひろがわらとうげ)。まだ昼をちょっと過ぎただけだ。この時間にここまで来る人は多くないらしく、後になり先になりした単独行者の人がひとりいるだけである。さらに稜線を登り返し、平坦になった山道を淡々と歩いて、早川尾根小屋に着いた。


北沢峠側から来たのか、小屋泊まりの登山者が10数名ほど小屋の外のベンチで休んでいる。小屋は比較的若い感じのする夫婦らしい人達が管理していた。幕営料を払ってテントを張り、ビールを買って休憩する。ここは牛乳も売っていたし、ビールはエビスだった。
夕方になったので夕食を作り、食べ始めたとたんに「小屋でミニコンサートをしますからテントの方もどうぞ」と言われる。食事を放り出してはいけないのでとりあえず食べることにした。南米調の笛の音が流れ出す。食事を済ませて小屋の入り口に行くと、玄関を背にして小屋番の男性が笛を吹いている。そこで扉を開けるわけにもいかず、テントの中で聞くことにした。お馴染みの「コンドルは飛んでいく」の他にも、素朴な調べが幾つも奏でられ、小屋の中からは何度も拍手が湧いていた。
夜、風がかなり強まる。テント場は周囲の樹林に守られて直接風があたることはなかったが、不安をかき立てるような木々のざわめきが一晩中続いた。


山の朝は概して早いものだが、さすがに早朝に「3時5分出発だ」とか言いながら歩き去っていく人の声を聞いたときには驚いた。当方はまだ寝ぼけ眼でシュラフの中である。こういう早立ちは別に珍しくないのだろうが、3時出発となると目覚めは2時くらいで、一時間くらいは暗闇の中をヘッドランプで歩くことになる。盛夏はたしかにその方が涼しくてよいだろうし、ひょっとしたらかなりのロングコースを行くのかもしれない。早川尾根小屋から夜叉神峠(やしゃじんとうげ)入り口まで一日で行ってしまうとか....。
自分の出発は5時だったが、そのときでも風は強いままで、日が昇れば少しは弱まるかとの期待は外れてしまった。ルートはテント場から樹林のなかに入り、徐々に斜度を上げていく。木の根や岩を掴んでよじ登るような場所も出てくる。まだ森林限界より下を登っているため、上空で吹き荒れる強い風を直接受けないで済むが、とにかく急な登高で参る。眺めはやや開けてきて振り返れば白峰三山が見えるとはいえ、山の上部は休みなく湧いては流れていく雲に隠され、昨日までの見晴らしの良さは望むべくもない。仙丈岳も似たような状態で、ときおり行く手に見えるアサヨ峰(みね)も山頂部にガスをまとわりつかせている。唯一、このあたりでは甲斐駒ヶ岳だけがきれいに晴れた姿を見せていた。しかしとんでもなく急な登りが続く。ばてそうだ。甲斐駒ヶ岳よ、応援してくれ。
栗沢山より甲斐駒ヶ岳
栗沢山より甲斐駒ヶ岳
岩稜をアサヨ峰山頂直下までほぼ水平にたどるようになると、本日初めて森林限界を超えて見晴らしはよくなるが、風当たりも強くなる。寒いくらいだ。さすがに短パンでは耐え難くなり、風よけに雨具を着込む。アサヨ峰のピークは雲が取れてきており、人影が見える。早川尾根小屋のテント場から先行した人だろう。


着いてみると、山頂は人が出払っていて誰もいない。岩塔に登り、遮るもののない眺めを堪能する。ちょうどいい具合に白峰三山や仙丈岳を覆っていた雲が晴れ、昨日までと同様の好天になっていた。ただ風はあいかわらず強い。風下側に岩塔を下りて、しばらくザックをおろして休憩する。白根三山を眺めてじっとしていると、足下近くで何か小さいものが動く気配がする。注意してみていると、小さなネズミの仲間が一匹、少しずつ移動していた。耳が小さく、首がどこだかわからない丸々とした姿で、茶色のハムスターみたいだった。
アサヨ峰より北岳
アサヨ峰より北岳を望む
しばらくすると、昨夜は早川尾根小屋に泊まったらしいパーティーがやってきて山頂はやや賑やかになる。眺望と静けさは十分堪能したので、よっこらしょっと荷を担ぎ、一抱え以上の岩が続く平坦な縦走路に出ていく。進む先には甲斐駒があるが、今回はその手前のピークまで行っておしまいだ。岩の上を飛び伝うように歩いていくこと約40分、栗沢山(くりさわやま)に到着する。甲斐駒は目の前に大きく広がり、仙水峠を隔てて見る摩利支天の岩峰がせりあがるように見える。いい眺めだ。
ここは意外と賑やかなところで、北沢峠や仙水峠から次々とひとが上がってくる。「昨日黒戸尾根の七丈小屋に幕営して本日甲斐駒に登り、いまこの栗沢山にいるんですよ」と元気に話すのは、単独で歩いているみたところ60代の元気な女性で、色鮮やかな短パンに細身の身体に似つかわしくない大きなザックを背負っている。「西日本の300名山はすべて登り尽くしたよ」と言うのはやはり同じくらいの年格好の、これまた単独行の男性。他にも、双眼鏡であたりを見回す中年パーティーの先行メンバー等々、みな早川尾根を縦走するとかアサヨ峰に行くとか言っては、わたしが今辿ってきた道に向かっていく。早川尾根は地味な山域で歩く人など殆どいないだろうと思っていたが、そうでもないらしい。
アサヨ峰より仙丈岳
アサヨ峰より仙丈岳
こうして三日を要した鳳凰三山と早川尾根をつなぐ稜線縦走は終わった。山頂から北沢峠へ直接下るルートは短く、縦走で疲れた脚にはありがたかった。
2000/7/22-23(早川尾根のみ 20-23:全行程)

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